秋田県

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秋田県のデータ
秋田県の位置
自治体コード 05000-8
面積 11,612.11km2
全国第5位
総人口 1.142.799
平成18年2月1日現在:全国第37位)
総世帯 393,039世帯
平成17年10月1日現在)
県民の日 8月29日
知事 佐竹敬久
ISO 3166-2 JP-05
秋田県の花 フキノトウ
秋田県の木 秋田杉
秋田県の鳥 ヤマドリ
秋田県の魚 ハタハタ
秋田県の歌 秋田県民歌</br>県民の歌
秋田県庁
所在地 〒010-8570
秋田縣秋田郡秋田市山王4丁目1番1号
電話番号 018-860-1111
外部リンク 秋田縣
市町村境界図
市町村境界図

秋田県(あきたけん)は、日本東北地方の県のひとつで、日本海に面する。県庁所在地秋田市

秋田県の団体職員募集に応募してみた[編集]

この間就活で山間の村に行ってきたんだがそこはキチガイ村だったんだ。

まず、なぜわざわざそんな田舎に行ったかというと条件の割に応募者が0で余裕そうだったから。事務は高卒の条件なんだが、給与25万、土日祝日休み 賞与6か月分 寮費光熱費無料。かなり良い条件だと思った俺は電車に乗って面接に行った。

朝市で出発し半日後、その村についた。電車で3時間、そのあとバスを2時間待ってバスでさらに1時間の距離。携帯の電波が3Gすら途切れ途切れの受信だった。正直不便だなぁと思いつつ面接の時間までまだ2時間あったので村を徘徊することにした。

歩いているだけで村人が声をかけてくるんだ。最初は気さくな人が多いんだなぁと微笑ましかった。しかしすぐにそれが間違いということに気が付く。何人かの村人が後をつけてきているんだ。振り向くと数人が白々しく立ち話や草むしりをしている。

しばらく村を歩いていると個人商店があったから、そこにに入ってやり過ごそうとしていたら ババアが店に入ってきた。店主が「来てるよ」と囁いていたので怖くなって店から飛び出した。そのあと高校生くらいの男数人がチャリで捜索しているのを見かけ身震いした。

「いたか?あっちで見たってよ!」と大声で会話をしている。高確率で自分を探しているんだろう。

なぜか今日自分がそこの村に行くことが村中に知れ渡っているみたいだった。俺は怖くなって、少し時間は早いけど面接の場所に行くことにした。

施設についた俺は、受付の人にあいさつを済ませ少し早くついてしまったことを告げた。すると、予定を早めて面接してくれることになった。 融通が利いていいなぁなどとのんきに考えていたがこの後もひどかった。村がおかしけりゃこの施設も相当おかしかった。

面接の内容はこんな感じ。

志望動機や同じ業種の中からどうしてうちを選んだのか?この村のことは聞いたことがあるのか?永住するのか?

最初はある程度まともな事を質問してきたから用意しておいた回答を述べた。すると、受けが良かったのか採用を前提にした話に切り替わった。 ここからが本当にひどい。

まず、村のジジババの介護を村人と協力してやること
両親も村に引っ越させること
財産はどれくらいあるのか?
彼女はいるのか?いるなら別れろ(当然いませんがw)
都会の友達とは縁を切れ
村人で共有できるものは進んで差し出せ
親戚や知り合いに医者はいるか?などなど

一番ドン引きしたのが、○○さんって家の娘がいるからそいつと結婚しろ、後で会せてやる。
子供はたくさん作れ。みんなで面倒見るから安心しろ

っての。もう頭おかしいとしか言いようがない。

ちなみに娘さんの写真を見せられたんだがイモトの眉毛を細くしたような女だった。もちろんノーセンキュー

女のことは適当に保留して、とりあえず良い顔だけして面接を終えた。帰りに襲撃されたら困るからな。

バスを待っているときにババアとかが話しかけてきたんだが、もう面接の話を知っていて寒気がした。村の話を色々してくれて根はいい人なんだろうがその時は恐怖でしかなかった。

家に帰ったのが11時過ぎ。疲れて昼過ぎまで寝てから辞退の電話を掛けたんだ。やっぱりというか、断ったら発狂してね。

こんないい村は他にない!
都会だからって馬鹿にしているのか!
結婚するって話の娘に失礼だ!
村に来てみんなに謝罪しろ!
安心して外を歩けると思うな!

など一方的にののしられた。団体職員って安定してそうで応募したけどあんな村住めないよ。彼女と別れろとか結婚しろとか干渉してくる時点で普通じゃない。あと面接で「一発芸とか特技はないのか?」って聞かれたから、「ディアボロやヨーヨーが得意です」って言ったら「もっと練習して村人を楽しませなさい」だもん。

もう仕事関係ないじゃんってねwww全てはジジババの為にみたいな思想が蔓延してるんだろうな。

しかも給料25万じゃなくて18万だったしなw寮もなくてアパート経営してるなんとかさんとかいうのと相談しろとか意味不明だし。かなり条件違ったよ。求人詐欺とはまさにこのこと。

たぶんそこで働いてもきっちり給料払われるわけないし土日とか関係なく働かされるぞ。「若いくせに文句言うんじゃない」「若い頃はお前よりもっと働いたんだから働くべき」ってな感じで。

お金とか休みとか個人のことじゃなくて村に貢献するのが大事とか理事長さんが言ってたからね。その癖ロレックスなんぞつけてる老害だった。

地理[編集]

人口密度[編集]

  • 102.4人

位置[編集]

地形[編集]

自然公園[編集]

気候[編集]

  • 秋田県の具体的な気候に関しては秋田美人の項を参照。

歴史[編集]

現在の秋田県は令制国での出羽国(明治初年に羽後国)と陸奥国(明治初年に陸中国)の一部からなる。「秋田」の名前の由来は土壌が稲作に向かなかったため付けられた「悪田」が転じたものだとも、アゴに似た地形から付けられた「齶田(あぎた)」が転じたものだともいわれている。天平時代に「秋田」の表記で定着した。

古代[編集]

縄文時代より、おそらくマレーポリネシア系と思われる縄文人によって、現在の秋田県域にも縄文文化が栄えた。縄文後期の墓地遺跡であるストーン・サークル(環状列石・石籬;せきり)が鹿角市の大湯に同規模の二つの環状列石があり、西側が万座遺跡、東側が野中堂遺跡である。やや大きい万座遺跡は、環状部分が直径46メートルある。太平洋戦争中は「神代」(かみよ)の遺跡として扱われた。

西日本では、この縄文人に加え弥生時代頃から弥生人と呼ばれるユーラシア大陸東部からの移住民が増えた。雑多な民族は次第に統一され、ヤマト民族としての統一国家が近畿地方を中心に形成された。これが後に朝廷と呼ばれるようになる。朝廷は8世紀に国号を「日本」と改めた。現在の秋田県を含む東北地方北部はこの時点で、朝廷に属していなかった。そのため朝廷はこの地方への征服活動を進めた。

8世紀の前半に朝廷により日本海沿岸北辺の交易・征服等の拠点として出羽柵が現在の山形県庄内地方に設置されるが、733年天平5)12月26日、出羽柵は秋田村高清水岡(現在の秋田県秋田市)へ移設された(続日本紀)。出羽柵は760年頃に秋田城に改称される。780年には出羽国府が秋田に移されたが、エミシ民族(蝦夷:縄文人の末裔とも、朝廷に属さないヤマト民族ともいわれる)の反撃によって秋田城が陥落し、出羽国府は再び移されることになった。秋田城はこの後朝廷側によって再建され、北東北日本海側征服の一大拠点となる。この頃になると墾田の私有が認められ、地方豪族の勢力はいっそう発展した。9世紀頃には太政官命令で、勝手に開墾地を私有し農民を困らせてはならぬとの規則が出るほどになる。

878年(元慶2年)元慶の乱が起こった。これは重いや労役の苦しみに耐えかねた蝦夷の秋田城司に対する反抗であった。秋田城や民家は焼き払われ、多くの物資や兵を失った。朝廷は急いで陸奥国から五千人の援軍を派遣したが平定に失敗し、新任出羽守の藤原保則を派遣した。保則は反乱の平定に蝦夷をもって当たらせることで成功した。この後、城の修復や兵力の増強をはかったが、939年天慶2年)には再び天慶の乱が発生した。当時はこのように蝦夷に対する朝廷の力は絶対的なものではなく、「俘囚の長」と呼ばれたヤマトに服属するエミシ民族の地方豪族の力は加速度的に強大になっていった。

前九年の役と後三年の役[編集]

中央の律令政治が衰えるとともに、私有地の占領が次第に増え、農民は有力豪族の保護を求めるようになり、蝦夷地の各所には豪族を中心とする武士の集まりができた。豪族は更に、重要地点に分家を配して勢力を拡げて団結を強固にした。その中の有力だったものが陸奥の安倍氏、出羽の清原氏である。

北上川中流以北に勢力を広げていた安倍氏は朝廷に対する貢租・徴役を怠り、横暴な態度であるというので朝廷は討伐を行った。これが前九年の役(1051~1062)である。しかし、当時の陸奥守や秋田城介の力では討伐ができず、新興武士であった源頼義が陸奥守として向けられ、七年以上にわたり戦いを繰り広げた。頼義も自軍のみで討伐できずに横手付近に根拠をおいた豪族清原光頼に臣下の礼の形を取り参戦を依頼した。光頼は弟の武則を大将とする一万余の兵を出し、遂に討伐に成功した。源頼義、義家の兵力はわずか三千であったが、この清原氏が出した兵力だけでもその武力を伺い得る。

しかしこの後、武則の孫の代にいたって一族争いが起こり、家衡が出羽の国、沼の柵(現在の横手市雄物川町沼館)に立てこもる。家衡はここを源義家に攻められ、金沢の柵(横手市金沢中野)に移ったが、遂に敗れた。これが後三年の役(1083~1087)である。この戦の後に、清衡が奥州藤原氏として栄えた。

中世[編集]

奥州藤原氏は初代の清衡から二代基衡、三代秀衡を経て四代三代泰衡に至るまでのおよそ一世紀(11世紀末~12世紀末)にわたって栄え、東北の天地は完全に豪族の支配下になった。藤原氏の支配原理は、代々押領司を世襲することで軍事指揮権を公的に行使し、併せて荘園の管理も請け負うというものであり、当時の秋田では比内郡河田氏秋田郡大河氏、由利地方の由利氏が藤原氏の支配下にあったと言われているが、近年の研究では出羽国奥州合戦後も御家人として在地支配を許された豪族が多いこと及び渥美・常滑焼が広まった平泉付近を中心とする太平洋側と珠洲焼の出土が多い秋田郡近辺の陶器文化圏が異なることから、在地領主の家人化が進んだ陸奥国と押領司としての軍事指揮権に留まった出羽国の差を指摘する見解もある。特に出羽北部である秋田地方には荘園が存在せず、公領制一色の世界であったため、どの程度まで奥州藤原氏の支配が及んだかは疑問であるとされている。

隆盛を極めた藤原氏も、鎌倉幕府を創設した源頼朝平泉の藤原氏にのがれた弟義経を追討することによって打ちくだかれる。頼朝は1189年、十九万の軍勢を率いて奥州征伐を行った。藤原泰衡は平泉から蝦夷地への逃亡を始めたが、途中立ち寄った河田氏の元で裏切りに遭い、河田次郎によって討ち取られる。同年12月に挙兵した大河氏の大河兼任も挙兵3ヶ月で討ち取られた。

数世紀にわたった豪族の天下も、この藤原氏の滅亡で幕を閉じ、東北は完全に頼朝の支配下となった。藤原氏を倒した頼朝は、御家人地頭職を新たに東北各地に配し、東北における大きな政治的転換点となった。頼朝が秋田に配した御家人は成田氏、安保氏、秋元氏、奈良氏、橘氏、浅利氏、平賀氏、小野寺氏などであった。また由利氏は藤原氏に仕えていたが、そのまま由利地方を治めることとなった。これらの豪族はほぼそのまま藩政以前までその地を治めることとなる。

その後、日本海北部に勢力を持った安東氏(安藤氏ともいう)が津軽地方から南下し、戦国時代になると檜山安東氏と湊安東氏の一族抗争があったものの、安東愛季の時代に最盛期を迎えた。横手盆地には戸沢氏前田氏本堂氏六郷氏小野寺氏などが勢力を持っていた。由利郡は由利氏の一族と地頭であった小笠原氏の子孫等が中小の豪族に分かれ由利十二頭と呼ばれる勢力になった。

近世[編集]

詳細は久保田藩佐竹氏を参照せよ

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで西軍を破った徳川家康征夷大将軍に任ぜられ、幕府江戸に開いて天下の実権を握った。秋田県下の諸大名は西軍についた小野寺氏以外は所領安堵されたが、慶長7、8年にほとんどが常陸に移らされて、多くの地域は鎌倉以来となる長年の領主と住民のつながりは切れた。幕府の武家諸法度、参勤交代制度、各大名の労力奉仕などのため、大名の財政は次第に困窮し、反対に幕府の支配力は強化されていった。

慶長7年(1602年)、秋田郡を領有していた秋田実季(安東氏から改姓)と入れ替わりで、関ヶ原の戦いで西軍に内通していた佐竹氏常陸国から転封される。初代藩主は佐竹義宣。義宣ははじめ湊城(現在の秋田市土崎)に本拠を置いたが、まもなく秋田の神明山(秋田市千秋公園)に久保田城を築いて藩内を治めることとなる。その組織としては、領内統治を担当する家老の下に財政担当の勘定奉行、城下支配の久保田奉行、そのほか能代奉行、各郡の郡奉行、鉱山支配の銅方奉行、山林支配の木山奉行などを配した。このような藩の組織機構の下、直接生産を営む農民と、その中間の商人、職人が位置づけられ、新たな時代の生活が始まった。

佐竹氏は54万石の常陸から、明治まで表高20万石の秋田藩を治めることになったが、実際の内高は開墾などで田地が増し、40万石ぐらいであったとされる。しかし、領内に存在した院内鉱山阿仁銅山諸鉱山及び全国に著名な秋田杉らによって久保田藩財政は潤っていたと言われている。

近世の秋田地方からは思想家の佐藤信淵平田篤胤や秋田蘭画を切り開いた佐竹義敦、小田野直武らが出ている。また、旧象潟町内にあった象潟は全国的に著名な景勝地であったため、松尾芭蕉らもこの地を訪れている。

  • 初代 義宣 (よしのぶ)(1602-1633)
  • 二代 義隆 (よしたか)(1633-1671)
  • 三代 義処 (よしずみ)(1671-1703)
  • 四代 義格 (よしただ)(1703-1715)
  • 五代 義峰 (よしみね)(1715-1749)
  • 六代 義真 (よしまさ)(1749-1753)
  • 七代 義明 (よしはる)(1753-1758)
  • 八代 義敦 (よしあつ)(1758-1785)
  • 九代 義和 (よしまさ)(1785-1815)
  • 10代 義厚 (よしひろ)(1815-1846)
  • 11代 義睦 (よしちか)(1846-1857)
  • 12代 義堯 (よしたか)(1857-1869)

久保田藩以外に秋田県下に存在していた藩として、 久保田新田藩亀田藩本荘藩矢島藩仁賀保藩盛岡藩領鹿角郡がある。

近・現代[編集]

1868年に始まった戊辰戦争で、久保田藩ら出羽諸藩は奥羽越列藩同盟に加わる。しかし、久保田藩内の勤皇派がクーデターを起こして久保田藩は一転新政府側となったため他の奥州諸侯の標的となった。最終的に勝利したものの、久保田藩領の大半は荒廃したと言われる。 1871年(明治4年)廃藩置県により秋田藩から秋田県となる。 同年11月、亀田県・本荘県・矢島県・岩崎県・鹿角を合わせて現在の秋田県となる。

人口[編集]

年齢構成[編集]

テンプレート:秋田県/5歳階級別人口

512px
秋田県と全国の年齢別人口分布図(比較) 秋田県の年齢・男女別人口分布図
紫色は秋田県
緑色は日本全国
青色は男性
赤色は女性
総務省統計局 / 国勢調査2005年

行政[編集]

県令

  • 初代 島 義勇 1872年(明治5年)
  • 2代 杉孫七郎 1872年(明治5年)
  • 3代 国司仙吉 1873年(明治6年)
  • 4代 石田英吉 1875年(明治8年)
  • 5代 赤川戇助 1883年(明治16年)
  • 6代 青山 貞 1886年(明治19年)(同年7月に県令から知事となる)

知事

  • 初代 青山 貞  1886年(明治19年)
  • 2代 岩崎小二郎 1889年(明治22年)
  • 3代 鈴木大亮  1890年(明治23年)
  • 4代 広瀬進一  1892年(明治25年)
  • 5代 平山靖彦  1892年(明治25年)
  • 6代 岩男三郎  1896年(明治29年)
  • 7代 武田千代三郎1899年(明治32年)
  • 8代 志波三九郎 1901年(明治34年)
  • 9代 椿蓁一郎  1903年(明治36年)
  • 10代 岡喜七郎  1904年(明治37年)
  • 11代 床次竹二郎 1905年(明治38年)
  • 12代 清野長太郎 1906年(明治39年)
  • 13代 下岡忠治  1906年(明治39年)
  • 14代 森 正隆  1908年(明治41年)
  • 15代 秦 豊助  1912年(明治45年)
  • 16代 阪本三郎  1914年(大正3年)
  • 17代 小島源三郎 1916年(大正5年)
  • 18代 川口彦治  1917年(大正6年)
  • 19代 名尾良辰  1919年(大正8年)
  • 20代 岸本正雄  1922年(大正11年)
  • 21代 池田秀雄  1924年(大正13年)
  • 22代 長野 幹  1924年(大正13年)
  • 23代 中野邦一  1926年(大正15年)
  • 24代 力石雄一郎 1927年(昭和2年)
  • 25代 鯉沼 巌  1928年(昭和3年)
  • 26代 菊地慎三  1929年(昭和4年)
  • 27代 稗方弘毅  1930年(昭和5年)
  • 28代 内田 隆  1931年(昭和6年)
  • 29代 武部六蔵  1932年(昭和7年)
  • 30代 児玉政介  1935年(昭和10年)
  • 31代 本間 精  1937年(昭和12年)
  • 32代 佐々木芳遠 1938年(昭和13年)
  • 33代 留岡幸男  1939年(昭和14年)
  • 34代 岩上夫美雄 1940年(昭和15年)
  • 35代 長船克巳  1943年(昭和18年)
  • 36代 久安博忠  1944年(昭和19年)
  • 37代 池田欽三郎 1945年(昭和20年)
  • 38代 磯部 巌  1946年(昭和21年)
  • 39代 蓮池公咲  1946年(昭和21年)

戦後の公選知事

  • 初代 蓮池公咲 (1947年4月12日-1951年4月29日)
  • 2代 池田徳治 (1951年4月30日-1955年4月29日)
  • 3代 小畑勇二郎 (1955年4月30日-1979年4月29日)
  • 4代 佐々木喜久治(1979年4月30日-1997年3月31日)
  • 5代 寺田典城 (1997年4月23日- )

司法[編集]

経済[編集]

経済[編集]

産業[編集]

農業[編集]

漁業[編集]

第二次産業[編集]

  • 清酒(酒造業)
  • 秋田は鉱物資源の宝庫であり、かつては銀山・銅山などの鉱業が栄えたが枯渇し、現在は採掘されていない。石油は秋田平野などに油田があり、少ないながらも現在も採掘されている。

秋田県に本社を置く主な企業[編集]

社会[編集]

女性は色白で美人が多く秋田美人として有名である。また、2007年現在少子高齢化による人口減が全都道府県中、最も進んでいる。

言葉(方言)[編集]

 東北地方の中でも、青森に次いで訛が強いと言われることもある。

食文化[編集]

  • どころであり、どころである。日本酒の消費量が多い。酒の飲み過ぎに加えて、雪国のため保存食である漬け物などの塩分過多が加わり、脳卒中などの生活習慣病での死亡率も高くなっている。
  • きりたんぽは、もともと県北の食文化であるが、現在は秋田の代名詞として有名となり、全県で食べられるようになった。きりたんぽ鍋の出汁の多くは比内地鶏天然記念物比内鶏の改良品種)で取っている。
  • ハタハタを大量に消費し、一時は絶滅寸前まで追い込んだが、禁漁や漁獲制限などを経て現在では資源が回復しつつあり、再び食卓に並ぶようになった。ハタハタの卵をブリコという。また、ハタハタの魚醤しょっつるといい、鍋料理が有名。ハタハタをすしにした鰰寿司も祝の席などで食べられている。
  • 他に、とんぶりじゅんさいなどの珍しい野菜も食べられている。一部の地域では納豆砂糖を入れたり、赤飯にも多く砂糖を入れて作るなど甘みの多い味付けをする所もある(特に県南部で顕著である)。ひきわり納豆の消費も多い。イナゴ佃煮などにして食べる食習慣もある。
  • だまこもち

祭り[編集]

民俗芸能[編集]

有形文化財建造物[編集]

重要伝統的建造物群保存地区

地域[編集]

都市圏[編集]

都市雇用圏(10%通勤圏)の変遷

秋田新幹線の駅が設置された都市圏斜体
1980年 1990年 1995年 2000年
秋田都市圏
384718人
秋田都市圏
435144人
91








秋田都市圏
450274人
97








秋田都市圏
452316人
大館都市圏
95521人
能代都市圏
102767人
横手都市圏
111887人
横手都市圏
108286人
能代都市圏
90847人
大館都市圏
90069人
能代都市圏
99720人
大曲都市圏
104840人
横手都市圏
72708人
横手都市圏
78822人
大館都市圏
88231人
能代都市圏
95578人
大曲都市圏
69993人
大曲都市圏
77328人
大曲都市圏
87986人
本荘都市圏
86256人
本荘都市圏
67337人
本荘都市圏
68446人
本荘都市圏
82462人
大館都市圏
86246人
湯沢都市圏
49612人
湯沢都市圏
68421人
湯沢都市圏
81476人
湯沢都市圏
77989人
横手市秋田自動車道湯沢横手道路が接続。そこから奥羽山脈を越えて東北自動車道へと繋がる。

地域圏[編集]

地域区分地図(広域都市圏)

県の地域振興局の管轄地域により、県内は8つの地域圏に区分されている。それらは「県北」「中央」「県南」の3つに大別されている。由利地域振興局管内(旧由利郡地域)を県南とすることもある。ただし、衆議院選挙・小選挙区の区割りでは、秋田市(1区)・県北(2区)・県南(3区)とされている。

地域圏の名称は目的に応じて多少違いがあり、振興局の名称は旧郡名、地域の名称は平成の大合併前の中心市名と旧郡名、都市計画における広域都市圏の名称は平成の大合併前の中心市名となっている。 以下に記載する人口は、2006年8月1日現在の推計人口[1]。秋田県の総人口は1,135,156人

自治体[編集]

県下には、以下の13市6郡9町3村がある。秋田県では、美郷町、三種町、八峰町が「ちょう」である以外は、町はすべて「まち」、村はすべて「むら」と読む(対等合併によって誕生した町が「ちょう」を名乗る傾向がある)。

秋田周辺地域  429987
大曲・仙北地域 146617
大館・北秋田地域 124354
本荘・由利地域 117451
横手・平鹿地域 102663
能代・山本地域 95491
湯沢・雄勝地域 75715
鹿角地域 42885


秋田県内の消滅した郡の一覧

交通[編集]

教育[編集]

学校教育[編集]

  • 秋田県内の公立学校は、教師高齢化が著しく進んでいる。
  • 2004年から高等学校の一学区制が導入され、秋田市内および県内主要都市の一部高校は志願者数が増加傾向にある。教育内容の情報公開等が不十分なため課題も多い。
    • 部活動が盛んな学校が多く、早朝、休日も部活動がある学校がほとんどである。
  • 正規のPTAが組織されていない公立学校もある。そのため保護者の意思形成や学校統廃合における公的機関との交渉等に課題を残している。
  • ふりーせる保育と呼ばれるジェンダーフリー保育が市内で実践され、国会市議会等で問題になったことがある。現在は行われていない。

高等教育機関[編集]

マスコミ[編集]

新聞[編集]

  • 秋田魁新報(県域新聞)
  • 北鹿新聞(北鹿地域新聞)
  • 大館新報(北部地域新聞)
  • 北羽新報(能代山本地域)
  • 秋田民報(県南部(大仙市・仙北市・美郷町)地域新聞)[2]
  • 秋田県南日々新聞[3](インターネット新聞)
  • あきた北新聞(同上)
  • 河北新報(本社 : 仙台市)も青森・岩手との北東北版で発行され、取材拠点もある。

放送[編集]

コミュニティ放送局[編集]

金融機関[編集]

銀行[編集]

信用金庫[編集]

信用組合[編集]

秋田県を舞台・モデルにした作品[編集]

文芸[編集]

映画[編集]

ドラマ[編集]

秋田県にTBS系列はないが、「日曜劇場」だったために、ABS(秋田放送)で放送された。

歌謡[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

県政番組[編集]

その他[編集]

日本都道府県
北海道地方: 北海道
東北地方: 青森県 | 岩手県 | 宮城県 | 秋田県 | 山形県 | 福島県
関東地方: 茨城県 | 栃木県 | 群馬県 | 埼玉県 | 千葉県 | 東京都 | 神奈川県 | 山梨県
中部地方: 新潟県 | 富山県 | 石川県 | 福井県 | 長野県 | 岐阜県 | 静岡県 | 愛知県 | 三重県
近畿地方: 滋賀県 | 京都府 | 大阪府 | 兵庫県 | 奈良県 | 和歌山県
中国地方: 鳥取県 | 島根県 | 岡山県 | 広島県 | 山口県
四国地方: 徳島県 | 香川県 | 高知県 | 愛媛県
九州地方: 福岡県 | 佐賀県 | 長崎県 | 熊本県 | 大分県 | 宮崎県 | 鹿児島県 | 沖縄県


テンプレート:秋田県の自治体