朱興隆

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朱興隆(しゅこうりゅう、?‐1344年)は、明の太祖洪武帝朱元璋の長兄。本名は朱重四

濠州の鐘離(現在の安徽省鳳陽県)の貧農朱五四(朱世珍)と妻・陳氏の長男として生まれる。成人すると王氏と結婚して朱聖保(夭折)・朱文正と娘(のちの福成公主)を儲けた。元の至正4年(1344年)、淮北の大旱魃によって父朱五四・母陳氏が餓死し、朱重四自身も餓死してしまった(朱五四・陳氏・朱重四が死んだのは伝染病による病死とする説もある)。朱重四の死後、妻の王氏は飢饉のため子供たちを連れて他の土地に逃れた。その後、朱重四の末弟朱元璋(初名・朱重八)が紅巾軍に参加すると、王氏は子供たちを連れて朱元璋のもとに身を寄せた。

明王朝成立後の洪武元年(1368年)、朱元璋は亡兄を豫章王に追封し、その後さらに南昌王に改封した。

彼の息子朱文正は朱元璋の義子となり、明王朝建国に功績があったが後に粛清された。