川本源司郎

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川本 源司郎(かわもと げんしろう、1932年 - )は、日本実業家銀座中洲小倉などに多くのソシアルビルを持つ「丸源ビル」のオーナー。日本の億万長者の1人として知られる。

人物[編集]

北九州の裕福な呉服屋の家に生まれ、地元小倉の私立常磐高等学校を卒業、慶応大学を中退し稼業を継ぐ。その後、不動産投資を始める。2013年現在未婚(結婚暦が無い)で子供もおらず、家族は居ない。

自身の事を『日本一の資産家』と自称し、かつては『1000億、2000億は簡単に動かせる』と豪語して回っていたという。また、7年前にハワイに高級住宅を購入し、そこに低所得者を住まわせた事もある。

丸源ビル[編集]

スナッククラブなどが多数入居するビル(ソシアルビル)が中心である。ビルには番号が付いており、例えば「丸源29ビル」のように表記される。ちなみに、1番は福岡県北九州市小倉北区京町にあったが、小倉駅前東地区第一種市街地再開発事業によるセントシティ北九州ビル(現在、コレットが入居)建設に伴い解体された。

また、売却されたビルや、売却後解体されたビルもある。

2013年3月4日、会社の所得約28億円を隠し、約8億円を脱税したとして、東京地検特捜部法人税法違反容疑で、5日に社長に対する強制捜査された。翌5日法人税法違反で逮捕された。

ハワイでの事業[編集]

1987年、ハワイカイの高級住宅176件を買収、1988年、ヘンリー・カイザーの邸宅をアメリカの個人住宅としては当時最高額の4255万ドルで買収。

脱税容疑で逮捕の丸源社長「これ以上お金いらない」「国税に無敗」[編集]

法人税法違反容疑で逮捕された川本源司郎は2月上旬、滞在中の東京都内のホテルで取材に応じた。主な一問一答は次の通り。

 --法人税法違反の疑いが指摘されている

 「すでに財を成した私は、これ以上のお金を手にしようとは考えていない。脱税する動機はない」

 --税についての考えは

 「これまで自分で新しい節税方法を考えて実践してきた。節税法をめぐって、国税局と何度もやり合ってきたが、35年以上無敗だ」

 --新しい節税法とは

 「節税の手の内は明かせない」

 --受け取った家賃を隠していた疑いも浮上しているが

 「そんなことをしたら大問題だ。家賃の未収が多いので捜査当局もそう疑ったようだが、全ての店子の調査を受け、疑いは晴れたと考えている」

「丸源ビル」オーナー逮捕。孤独な富豪「節税はゲーム」[編集]

銀座の不動産王「カネ執着ない」[編集]

丸の中に「源」という赤いネオンは、夜の銀座の象徴にもなっていた。法人税法違反容疑で逮捕された川本源司郎は多数のビルを抱え、巨万の資産を形成して「銀座の不動産王」と呼ばれた。家族も側近もおらず、一人で会社をかじ取りし、バブル経済崩壊も切り抜けた川本。「節税はゲーム」とも語った“孤独の富豪”に、捜査のメスが入った。

バブル生き残る[編集]

「カネを稼げる人間は運とチャンスを逃さない。僕はそういう人間だ」

川本は自信たっぷりに語った。痩せた長身で白髪のオールバック。80代にもかかわらず、細身のジーンズとブーツをはきこなしていた。

東京・渋谷に広大な自宅を持ちながらも、高級ホテルで生活。6千万円の腕時計を着けて1億円のロールスロイスに乗り、「日本一の資産家」と周囲に称した。

川本は昭和7年北九州市に生まれた。慶応大を中退して家業の呉服店を継いだが、その後、貸しビル業に転身。都心の一等地に次々と不動産を購入した。「銀行の融資は極力避け、賃料を軸に経営をまかなった」

最盛期には約60棟のビルを持ち、保有テナント数は5,900軒に。バブル崩壊で同業の資産家が続々と表舞台から去っても、丸源ビルは成長を続けた。「バブル景気を冷めた目で見ていて、無茶はしなかった。その冷静さが不況でも成長を続けた理由だ」。古くからの知人男性は、そう明かす。

独特の美学持ち[編集]

「他人に頼るな、と親に言われて育った。信頼できるのは自分の頭だけだ」。独身で子供はおらず、側近も後継者もいない。入居を希望する店子の面接すら自ら行うなど、ほぼ独力で会社経営を担っていた。

そんな川本について、周囲は「独特の美学の持ち主で変わり者」と口をそろえる。「らしさ」が発揮されたのは7年前だ。ハワイの高級住宅地で1戸2億~20億円の住宅を数十戸購入し、それを月額数千円で低所得者向けに貸し出した。地元でも「ミステリアスな出資」とニュースとなった。

「もうカネに執着はない」。そう語る一方で節税には並々ならぬ意欲を見せ、「ゲームのようなもの」と話した川本。会社の社名変更や住所移転を頻繁に繰り返しており、経営実態を外部から把握しづらくする工作を展開していたとみられる。

今後は持ちビルから店子を徐々に撤退させ、事業を縮小する予定だったという。「テナントを空にして、腕のいい陶芸家を招いて個展を開きたい」と将来の夢を語っていた。

別の知人男性は首をひねった。「芸術の理解者に見えず、本当に個展が開きたいのか疑問だ。財産もあり余っており、節税を繰り返したうえ脱税に手を染める理由が理解できない。孤独で不思議な人間としかいいようがない」

映画[編集]

芸術関係にも造詣が深く、さまざまな映画の企画なども手がけた。

  • 食卓のない家 - スタッフ(製作)。監督:小林正樹
  • 鹿鳴館 - スタッフ(製作)。監督:市川崑。丸源が製作、数億円を投じて再現された鹿鳴館の豪華セット、セリフを舞台風に読ませた大胆な演出などで話題になったが、現在権利上の問題で封印されている。
  • 地平線 - スタッフ(製作)。監督:新藤兼人

参照[編集]

関連項目[編集]