高山正樹

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高山 正樹とは、100人以上の幼女を強姦した、日本のロリコン犯罪史上最悪の犯人である。被害女児の人数があまりにも多いため、事件詳細につき報道規制がなされた。

当時の新潮45(2002年5月号)で父親が中国人だと報道された。

事件概要

仙台連続幼女暴行事件と言われるこの事件は、1996年頃から2000年にかけて発生した。2000年の宮城県仙台市では女児強姦事件が多発しており、被害届は60件以上に及んでいた。

高山 正樹は、仙台市青葉区などで当時3歳から10歳の少女に、「猫を探して」などと声をかけ、 マンションの踊り場などへ誘い、4件の強姦未遂5件の強制わいせつおよび2件の強姦致傷事件を起こし、それらの様子をビデオで撮影していた。

立件されたこれらの事件の他、計45人もの幼女が写ったビデオテープが見つかり、100件を超す犯行を自供した。女児の中には子宮破裂による摘出、人工肛門で一生を過ごす女児、歩行障害になった被害者もいた。

高山逮捕

警察は同一犯の犯行と見て厳重な警戒態勢を敷く。2000年8月8日に1週間前や2週間前で女児暴行が発生したアパートで張り込みをしていると、アパートの入り口で目撃証言と一致する不審な男が出現して何かを物色していた。

警察官は高山に職務質問をすると、高山はアパートに住む友人に訪問する予定であると主張。しかし、高山は訪問先友人の部屋番号や名前を言わず、さらに自分の名前を名乗らなかった。高山は任意同行を拒否したため、警察官は高山を強制わいせつ容疑で緊急逮捕した。

高山は逮捕されたときリュックに、ビデオカメラとローションを入れていた。

緊急逮捕直前に警察官と男が職務質問で問答をする場面がテレビ局によって撮影されており、後にテレビで報道され現在もYouTubeで視聴できる。

裁判

検察側は論告で「わが国の性犯罪史上、類がない卑劣な犯行。最高刑をもって臨むしかない」として、無期懲役を求刑した。

2002年3月29日仙台地裁は被告に無期懲役判決を言い渡す。被告は上訴をしたが、2004年5月に最高裁で無期懲役判決が確定した。死亡者がいない性犯罪で前科がない人間が無期懲役となるのは極めて異例である。

検察側は、起訴された11件の他にも、高山被告が3年間で約100人の女児に乱暴し、45人への 犯行をビデオに撮影していたことなどを指摘。

「犯行はおぞましいの一言に尽き、鬼畜にも劣る」と糾弾した。

同じ刑務所にいた犯罪者が服役中の高山の様子を雑誌で証言

別冊宝島の「死刑と無期懲役」より(千葉刑務所元受刑者の話)

高山正樹の精神状態は素人目にもひどいように見えました。
糞尿を垂れ流すこともあり、その汚物はマスク、手袋をした掃夫が処理していました。もちろん掃夫も受刑者です。私ははじめこの男を「完全にイカれたしまったかわいそうな受刑者」だと思っていました。

しかし、しばらく観察しているうち、奇妙な点に気づきました。高山は担当が目を離している間は何もないのに、彼らの足音が聞こえて来ると思い出したように手を震わせ、うわごとをつぶやき始めるのです。

一度高山は私に「早く病院に行きたいなあ…」と言ったことがあります。「ここが病舎でしょう」と言うと「ここじゃなく街の精神病院に行きたい」というのです。

高山は完全に狂ってはいません。重い精神疾患を装って、一般の精神病院に移り、あわよくば無期刑の執行停止を願っているのです。救いは高山の詐病に医務の人間も気づいているフシがあることです。

病舎ではテレビも見ることができます。私と高山ともう1人の3人でNHKの旅番組を見ていたとき、そこに小さな女の子が映りました。まだあどけない小学校低学年くらいの児童です。その時、画面を見ていた高山が何やら異様な言葉を発しました。

「ああ~サシてえ~」。私はその時、身も凍る思いでした。サスとは挿入のことです。