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'''練馬一家5人殺害事件'''(ねりまいっかごにんさつがいじけん)は、[[1983年]](昭和58年)[[6月27日]]に[[東京都]][[練馬区]][[大泉学園町]]で起こった[[バラバラ殺人]]事件。[[不動産競売]]の取引をめぐるトラブルから、幼い子供を含む一家5人が殺害された。
 
'''練馬一家5人殺害事件'''(ねりまいっかごにんさつがいじけん)は、[[1983年]](昭和58年)[[6月27日]]に[[東京都]][[練馬区]][[大泉学園町]]で起こった[[バラバラ殺人]]事件。[[不動産競売]]の取引をめぐるトラブルから、幼い子供を含む一家5人が殺害された。
  
== 事件の経緯 ==
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== 事件概要 ==
[[1983年]]2月、当時48歳の[[不動産鑑定士]](以下、鑑定士)は、鑑定士認可後の初仕事として、練馬区内の競売物件を約1億円で落札した。同年4月、都内の不動産業者に6月30日を引き渡し期限として当該物件を転売した。鑑定士は購入資金の大半を[[銀行]]からの借入金でまかなっており、[[金利]]負担だけでも月100万近くにのぼるため、早急に当該物件を売却する必要性があった。
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[[1983年]]2月、当時48歳の[[不動産鑑定士]]・[[朝倉幸治郎]](犯行当時48歳)は、鑑定士認可後の初仕事として、練馬区内の競売物件を約1億円で落札した。同年4月、都内の不動産業者に6月30日を引き渡し期限として当該物件を転売した。朝倉は購入資金の大半を[[銀行]]からの借入金でまかなっており、[[金利]]負担だけでも月100万近くにのぼるため、早急に当該物件を売却する必要性があった。
  
鑑定士は当該物件に住む賃借人一家を相手に立ち退き交渉を始めた。旧地権者は賃借人一家の妻の父親であったが、賃借人一家は彼から立退料の吊り上げを要請されていたため、当該建物の占有を続けていた。鑑定士は立ち退きを求める裁判を起こすが、賃借人の「裁判を取り下げれば立ち退く」との言を受けて訴訟を取り下げた。しかし、この賃借人の言葉は引き伸ばし工作であり、賃借人は取り下げ後も全く立ち退く気配を見せなかった。鑑定士は、逆に賃借人の息のかかった[[ヤクザ]]に脅されたことから(実際には鑑定士の[[神経症]]からくる妄想であった)精神的に追い詰められ、賃借人の殺害を決意し、5月下旬から一家殺害の準備をすすめた。
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朝倉は当該物件に住む賃借人一家を相手に立ち退き交渉を始めた。旧地権者は賃借人一家の妻の父親であったが、賃借人一家は彼から立退料の吊り上げを要請されていたため、当該建物の占有を続けていた。朝倉は立ち退きを求める裁判を起こすが、賃借人の「裁判を取り下げれば立ち退く」との言を受けて訴訟を取り下げた。しかし、この賃借人の言葉は引き伸ばし工作であり、賃借人は取り下げ後も全く立ち退く気配を見せなかった。朝倉は、逆に賃借人の息のかかった[[ヤクザ]]に脅されたことから(実際には朝倉の[[神経症]]からくる妄想であった)精神的に追い詰められ、賃借人の殺害を決意し、5月下旬から一家殺害の準備をすすめた。
  
同年[[6月27日]]、鑑定士は立退き交渉と偽って午後2時46分ごろに賃借人宅に入り込み、賃借人の妻(41歳)、次男(1歳)をかなづちで撲殺、三女(6歳)をかなづちで殴打後扼殺、小学校から帰宅した次女(9歳)の首を手で絞めた後電気掃除機のコードで絞殺、その後午後9時半に帰宅した賃借人(45歳)をマサカリで切りつけ殺害、賃借人と妻の遺体を浴室で切断し解体した。鑑定士は逮捕された後「賃借人を粉々にしたかった」と供述している。賃借人一家のうち小学5年生の長女(当時10歳)は、たまたま[[林間学校]]に参加していて留守だったため、難を逃れている。
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同年[[6月27日]]、朝倉は立退き交渉と偽って午後2時46分ごろに賃借人宅に入り込み、賃借人の妻(41歳)、次男(1歳)をかなづちで撲殺、三女(6歳)をかなづちで殴打後扼殺、小学校から帰宅した次女(9歳)の首を手で絞めた後電気掃除機のコードで絞殺、その後午後9時半に帰宅した賃借人(45歳)をマサカリで切りつけ殺害、賃借人と妻の遺体を浴室で切断し解体した。朝倉は逮捕された後「賃借人を粉々にしたかった」と供述している。賃借人一家のうち小学5年生の長女(当時10歳)は、たまたま[[林間学校]]に参加していて留守だったため、難を逃れている。
  
事件の翌朝、電話が通じないことを不審に思った賃借人の義母が賃借人宅の隣家の主婦に様子を見に行って貰う様依頼し、主婦が様子を見に行き賃借人宅の中の様子を窺っていると鑑定士が応対に出て、「この家の人達は昨夜引越した。私はイチノセという者です。」と応対したが、不審に思った主婦が義母に連絡し義母が警察に通報して事件は発覚した。その後昼過ぎに、賃借人の兄弟と義母からの通報を受けた警官2人が共に賃借人宅に到着、鑑定士は賃借人宅の勝手口から逃亡しようとしたが警察に拘束され、一家殺害を認めたため[[逮捕]]された。
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事件の翌朝、電話が通じないことを不審に思った賃借人の義母が賃借人宅の隣家の主婦に様子を見に行って貰う様依頼し、主婦が様子を見に行き賃借人宅の中の様子を窺っていると朝倉が応対に出て、「この家の人達は昨夜引越した。私はイチノセという者です。」と応対したが、不審に思った主婦が義母に連絡し義母が警察に通報して事件は発覚した。その後昼過ぎに、賃借人の兄弟と義母からの通報を受けた警官2人が共に賃借人宅に到着、朝倉は賃借人宅の勝手口から逃亡しようとしたが警察に拘束され、一家殺害を認めたため[[逮捕]]された。
  
鑑定士は[[1985年]][[12月20日]]に[[東京地方裁判所]]において[[死刑]]判決を受け、[[1990年]][[1月23日]]に[[東京高等裁判所]]で[[控訴]]棄却され、[[1996年]][[11月14日]]に[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]で[[上告]]棄却されて死刑が確定した。
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朝倉は[[1985年]][[12月20日]]に[[東京地方裁判所]]において[[死刑]]判決を受け、[[1990年]][[1月23日]]に[[東京高等裁判所]]で[[控訴]]棄却され、[[1996年]][[11月14日]]に[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]で[[上告]]棄却されて死刑が確定した。
  
 
[[2001年]][[12月27日]]、死刑執行。
 
[[2001年]][[12月27日]]、死刑執行。
  
 
なお、賃借人の居座りは違法行為であり、法的手段を講じて立ち退かせることも可能であったが、法律の抜け穴が多かったために司法での解決には長期化することが多かった。
 
なお、賃借人の居座りは違法行為であり、法的手段を講じて立ち退かせることも可能であったが、法律の抜け穴が多かったために司法での解決には長期化することが多かった。
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== 事件詳細 ==
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1983年(昭和58年)2月、東京都杉並区に住む不動産鑑定士の朝倉幸治郎(犯行当時48歳)は、東京地裁で競売にかけられた東京都練馬区大泉学園町6丁目×××番地の物件(木造2階建て、敷地面積は624平方メートル、1階は76.03平方メートル、2階は56.19平方メートル)を落札して購入した。資産のほとんどを担保に入れて銀行から1億数千万円借りた。
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銀行の金利は毎月100万円近くにもなった。所有権移転登記を済ませると、すぐに転売しようと走り回った。
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4月13日、朝倉は渋谷の不動産屋と売買契約を成立させた。値段は1億2950万円。明け渡し期限は6月30日で、朝倉は内金1500万円をこの不動産屋から受け取っていた。
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この物件には、もともと、新宿区西早稲田にある日本洋書販売配給会社の商品管理課長の白井明(45歳)一家6人が住んでいた。だから、立ち退き料は必要であったが、払っても1.000万円の儲けにはなるはずだと見込んでいた。
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朝倉は落札した直後から立ち退きの交渉を始めていたが、白井が期限までに立ち退いてくれなければ、転売先に内金の倍額の違約金3,000万円を払わなければならないことになる。一日も早く立ち退いてもらいたい朝倉は、3日に一度は交渉のために白井宅を訪ねた。
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だが、白井はいろいろと理由をつけて、立ち退こうとしなかった。業を煮やした朝倉は明け渡しの裁判を起こしたが、白井の引き伸ばし作戦にあった。
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白井は「裁判を取り下げれば、すぐにでも引越しする」と言った。朝倉は白井の言ったことを信用して裁判を取り下げてみたが、それは白井の罠にはまったにすぎなかった。その後、朝倉は白井宅に行ってみても、引越しの準備をしている様子もなく、夫婦の対応も誠意のないものだった。
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実はこの物件は白井の妻の父親の和田俊夫(仮名)の所有だった。和田の借金のカタに競売にかけられたのだが、白井は和田から居座り続けるように指示されていたので、それに従ったまでだった。和田は不動産取引きのベテランで、以前から裁判が好きで、2,3回、自分でも訴訟を起こしていた。
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和田は立ち退き料をできるだけつり上げようとして引き延ばし工作をした。立ち退き料は500万円が相場だが、3,000万円も朝倉にふっかけた。
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会社を倒産させた和田は、この立ち退き料で新しい事業を起こそうと考えていた。朝倉はそんな事情など知らずに立ち退きを迫り続けた。だが、いっこうに埒があかず、次第に白井一家に対し殺意を抱くようになっていった。
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「もう、殺すしかない。一家全滅させてやる」
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5月下旬、朝倉は綿密な殺人計画を立てた。完全犯罪でなければならない。死体は富士山麓の樹海に棄てることにした。その運搬には車が必要なので、ペーパードライバーの朝倉は車を購入して、自動車教習所で練習した。また、天気が悪かった場合を想定して、一時的な隠し場所として1DKのマンションを月10万円で借りた。同年6月27日午後2時45分ごろ、朝倉は白井宅のすぐ近くに停めた車から出て、手提げバッグ1個を持って白井宅に向かった。
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バッグには金づち2本、着替え用トレーニングウエア上下などが入っていた。金づち2本のうち1本はいつでも取り出せるようにバッグの外側に付いているポケットに入れた。
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朝倉は白井宅の勝手口に行くと、「白井さん、白井さん」と声をかけた。出てきた白井明の妻の幸子(41歳)に、「今日も明け渡しの件で来ました」と、それまで何度も言った言葉を繰り返した。
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だが、幸子は「主人がいませんので、私には分かりません・・・・・・」と、やはりそれまで何度も繰り返した言葉を言った。
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朝倉は凄んで言い放った。「ここの土地や建物は私のものだ。一体、いつになったら立ち退くんだ」
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幸子はその言葉を無視するように、奥の居間に引っ込んでしまったが、朝倉は幸子の後を追いかけ、居間に入った。12畳の洋室には、食事用テーブルの脇に幸子、その横に次男の正利ちゃん(1歳)、玄関寄り出入り口のところに、小学校に入学したばかりの三女の昌子ちゃん(6歳)が立っていた。
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「もう、話し合う余地はないんだな!」
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そう叫びながら、バッグのポケットから金づちを取り出した。朝倉は2人の子どもが見ている前で、幸子の正面から金づちを振り上げ、幸子の頭めがけて、力の限り振り下ろした。
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幸子はその場に崩れ折れたが、「痛い、痛い」とうめきながら、ダイニング・ルームに逃げ出した。朝倉は金づちを持ったまま幸子を追いかけ、流し台の前で襟首を左手で掴んで引き寄せ、金づちを脳天めがけて振り下ろした。2回、3回、4回、朝倉は幸子の頭蓋骨が砕けたような手応えを感じ、死んだと判断した。
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朝倉は、もう1回、振り下ろした。そのとき、金づちの柄が折れ、鉄の部分が床に当たって跳ね飛んだ。この日は、奇しくも幸子の41回目の誕生日であった。前日は小学3年生の次女の朋子ちゃん(9歳)の誕生日で、2日続けてこの日の夜もバースデー・パーティーが開かれることになっていた。
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その後、次男の正利ちゃんがダイニング・ルームに入って来ると怯えた様子で泣き始めた。次男の正利ちゃんは長男の亮利ちゃんと双子の兄弟であったが、長男は舌が異常に肥大する先天性の奇病で、生まれた翌年に誕生日を迎えて間もなくして死亡した。
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朝倉は正利ちゃんの泣き声が外にもれてはまずいと判断し、正利ちゃんも殺すことにした。居間に引き返し、バッグの中からもう1本の金づちを取り出しダイニング・ルームに戻った。
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正利ちゃんは倒れた母親の胸に両手をかけて泣いていた。朝倉は金づちを正利ちゃんの脳天に振り下ろすと、その一撃で正利ちゃんはそのまま母親の上に重なるように倒れて動かなくなった。
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朝倉は居間に引き返した。そこでは三女の昌子ちゃんが恐怖のあまり、顔色を変え、両手を震わせ、放心状態になって立ちすくんでいた。朝倉は昌子ちゃんの正面に回り、金づちでその頭を打ち砕いた。
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昌子ちゃんは「苦しい・・・・・・」とうめきながら、その場に仰向けに倒れた。朝倉はひざまづき、昌子ちゃんの首に両手をかけ強く絞めた。2分ぐらいそうしていた。朝倉はぐったりした昌子ちゃんを見て、死んだと判断した。
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朝倉は3人の死体を浴室に運んだ。そして、居間やダイニング・ルームに滴り落ちた幸子の血を雑巾できれいに拭き取った。再び、浴室に戻ると、幸子と正利ちゃんの着衣を包丁で切り、剥ぎ取った。だが、昌子ちゃんの着衣だけは不憫に思い、着けたままにしておいたという。その後、3人の死体を浴槽に入れ、フタをして隠した。剥ぎ取った着衣は洗濯機で水洗いして脱水し、2階に持って行ってその場にあったビニール袋に入れた。
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次女の朋子ちゃんが、「ただいま」と声をかけて、勝手口からダイニング・ルームを通って居間に入った。ソファーに座っている朝倉を見て、何も言わないで2階に上がろうとした。
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そのとき、朝倉は朋子ちゃんに「お姉さんはいつ帰って来るの?」と訊いた。朋子ちゃんは、「学校の遠足で29日の夜帰ってくる」と答えた。小学5年の長女の良子ちゃん(仮名/10歳)は長野県で開かれていた林間学校に参加していた。
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朝倉は朋子ちゃんの前に立ち塞がると、首に両手をかけ、力を込め、吊り上げ気味に強く絞めつけた。朋子ちゃんは朝倉の手を振り解こうとしたが、果たせず1分ぐらいでぐったりとした。朝倉は朋子ちゃんを床に寝かせると、そばにあった電気掃除機のコードを二重にして首に巻いて強く絞めつけた。朋子ちゃんの死体も服を脱がせて浴槽に入れ、着ていた服を水洗いして脱水し、2階のビニール袋に幸子と正利ちゃんの服と一緒に入れた。
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朝倉は白井家の主人である明を殺害する準備に取りかかった。血で汚れたトレーニングウエアを新しいトレーニングウエアに着替え、
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外に出て、近くに停めてあった自分の車のトランクからマサカリ、タオル、手袋などの入ったナップザックの袋を持って白井宅に戻った。
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再び、元の汚れたトレーニングウエアに着替えると、ソファーに腰を下ろし、明の帰りを待つことになった。明は勤め先の会社を午後6時半ごろ出て、会社の同僚と高田馬場駅前の寿司屋で一杯飲んでから、午後9時半ごろ、帰宅した。
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勝手口からダイニング・ルームを通って居間に入ってきた。朝倉はソファーから立ち上がり、「明け渡しの件で来ました」と言った。トレーニングウエアの下にはマサカリを隠している。
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明は、「まあ、かけましょうや」と言い、食事用のテーブルの椅子に座った。朝倉も明の向かいに座った。明は家の中のいつもとは違う雰囲気を感じ取っていたようであった。明は持っていた傘をテーブルに置き、さらにメガネや時計をはずして、これらもテーブルに置いた。朝倉は明の態度を警戒しながら、「私の方は、事態が切迫しているんだ!」と言い放って立ち上がった。明も一緒に立ち上がった。
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朝倉はすかさず、右手の拳で明の鳩尾(みぞおち)に叩き込んだ。高校生のときにボクシング部に所属していた朝倉のパンチは強烈だった。明は唸り声を発して前かがみになった。そこで、朝倉はマサカリを取り出すと、明の左首めがけて横から一撃を加えた。朝倉は返り血をトレーニングウエアに浴びた。明は、「うおっ」とうめいて倒れたが、手を床について四つん這いになって起き上がろうとした。
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そこで、朝倉は再び、マサカリで明の左首めがけて振り下ろした。明は床に這いつくばるようにして死んだ。朝倉は明の襟首を掴んで、その死体を浴室まで引きずって運んだ。着ていた服を包丁で切り、剥ぎ取って浴槽に入れて隠した。着衣は同じように、水洗いして脱水し、2階に持って行って、今度は隣の部屋にあった紙袋に入れた。そのとき、明の着ていた洋服のポケットの中にあった財布から1万3500円を抜き取り、財布はゴミ箱に捨てた。
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その後、居間に飛び散った血を拭い、血がしみ込んだジュウタンを浴室で洗い、玄関の土間に置いた。時刻は午後10時を回っていた。朝倉は死体を解体するつもりでいたが、その音が外にもれることをおそれ、夜明けを待って行うことにした。
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翌28日午前4時半過ぎ、血のついたトレーニングウエアを再び、きれいなトレーニングウエアに着替え、外に出て自分の車を白井宅の門の前に移動させた。
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車のトランクから電動肉挽き機、骨すき包丁、ノコギリ、ビニール袋などを取り出し、白井宅の中へ運び込んだ。そして、再び、車を元あった場所に戻して停めた。
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朝倉は白井宅に引き返すと、玄関脇階段下から浴室までの廊下に、解体に必要な道具を手順を考えて並べて置いた。浴室にマサカリ、ノコギリ、骨すき包丁を持ち込み、パンツ一枚の格好になり、医療用ゴム手袋をはめて解体作業に取りかかった。
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まず、明の死体の首を落とす作業に取りかかった。マサカリで3、4、5回と切りつけたが、胴体から首が離れなかったので、マサカリでの切断を諦め、洗い場に引きずり出して、今度はノコギリでゴシゴシと切り続けた。そうして、なんとか切断することができた。次に、骨すき包丁で明の胴体から手足をバラバラに切断することにした。左ひじ関節に続いて、左肩関節を切断した。さらに、左足首、左ひざを切断した。右手、右足も切断した。ダルマになった明の胴体の胸と背をノコギリでゴシゴシと切った。腹を骨すき包丁で裂いて内臓を取り出した。今度は胴体を横に切った。さらに、死体を小さく切った。全部で18個になった。これを4つのビニール袋に分けて入れた。内臓は骨すき包丁で10センチ四方に切った上で、電動肉挽き機にかけてミンチ状にし、トイレに流した。
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明の死体の解体作業を完全に終えたのは午前6時半であった。次に幸子の死体を浴槽から洗い場に出した。骨すき包丁で両肩関節、両ひざ関節を切断した。さらに、腹を縦に切り、内臓を露出させたが、内臓は取り出さなくても梱包して運べるのではないかと思い直して中止した。それから、大腿部を切断しようとしたとき、人の気配を感じて中断し、幸子の死体を浴槽に戻した。
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その後、人の気配がなくなったので、浴槽から正利ちゃんの死体を出して解体しようと首の切断を始めたが、包丁の先が欠けてうまく切れず、疲れも出てきたこともあって解体作業を中止し、死体を浴槽に戻した。午前7時になっていた。
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朝倉は浴室で自分の体を洗った。パンツも洗い、2階でパンツを干し、トレーニングウエアを着て、居間のソファーの上に横になってひと休みした。
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午前9時ごろ、隣家の主婦の吉岡成子(仮名)が勝手口から中の様子を窺い始めた。幸子の実母の和田恵子(仮名)から電話で白井家に電話が通じないので家の様子を見てくれと頼まれたのであった。吉岡がいることに気づいた朝倉は、「この家の人たちは昨夜、引越して行きました。私はイチノセだ」と言った。この主婦はさっそく朝倉から言われたことを和田恵子に電話で伝えた。そのあと、幸子の実弟の和田裕(仮名)は母親の恵子から電話を受けた。「今日の午前10時に幸子と会う約束だった。8時ごろには私も出なければならないから朝から電話しているけど出ない。裏の吉岡さんに様子を見てもらったら、イチノセという男がいて、ゆうべ引っ越したと言っているらしい。良子も林間学校に行っているし、こちらにも出るという連絡もないから、おかしい」
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裕は家の明け渡し交渉をめぐって白井一家が監禁されているかもしれない、と考えた。
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午前11時半ごろ、実兄の和田登(仮名)とともに石神井警察署を訪れた。午後0時40分過ぎ、2人の警官とともに和田兄弟が白井宅に急いだ。裏木戸から入って勝手口を開けようとしたが、そのドアはビニールひもで固定してあった。警官がそのドアを強く引いて10センチくらい開いたその隙間から家の中に向かって声をかけた。
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「誰かいないか、石神井警察署の者です」
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朝倉はハッとして、「今、行きますから、ちょっと待ってください」と言って、反対の表の玄関から外に出て停めておいた自分の車に乗り込もうとした。だが、すばやく表に回りこんだ警官に見つかってしまい、「何の目的で入ったんだ」と訊かれ、朝倉ははじめのうちは口ごもっていたが、まもなく、「この家の人を殺しました・・・・・・」と言った。朝倉は殺人罪で緊急逮捕された。
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石神井署に身柄を拘束された朝倉は、落ち着いた口調で犯行動機を述べた。
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「自分は正常です。一貫して、心境に変化はありません。遺体は山中に埋めるつもりだった。白井の奴は、骨まで粉々にしてやりたかったと思っていたので、すっきりした。妻と子どもを殺したのは、可哀相だったと思います」
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小学5年の長女の良子ちゃんは長野県での林間学校に参加して殺害を免れているが、翌日も事件のことを知らされないまま、貸し切りバスの中で出されたゼリー菓子を「弟に持って帰ってやるんだ」と食べずにしまっていた。良子ちゃんはその後、「みんな交通事故で死んだ」と親戚の人に聞かされた。
  
 
== 文献 ==
 
== 文献 ==

2013年2月24日 (日) 22:01時点における版

練馬一家5人殺害事件(ねりまいっかごにんさつがいじけん)は、1983年(昭和58年)6月27日東京都練馬区大泉学園町で起こったバラバラ殺人事件。不動産競売の取引をめぐるトラブルから、幼い子供を含む一家5人が殺害された。

事件概要

1983年2月、当時48歳の不動産鑑定士朝倉幸治郎(犯行当時48歳)は、鑑定士認可後の初仕事として、練馬区内の競売物件を約1億円で落札した。同年4月、都内の不動産業者に6月30日を引き渡し期限として当該物件を転売した。朝倉は購入資金の大半を銀行からの借入金でまかなっており、金利負担だけでも月100万近くにのぼるため、早急に当該物件を売却する必要性があった。

朝倉は当該物件に住む賃借人一家を相手に立ち退き交渉を始めた。旧地権者は賃借人一家の妻の父親であったが、賃借人一家は彼から立退料の吊り上げを要請されていたため、当該建物の占有を続けていた。朝倉は立ち退きを求める裁判を起こすが、賃借人の「裁判を取り下げれば立ち退く」との言を受けて訴訟を取り下げた。しかし、この賃借人の言葉は引き伸ばし工作であり、賃借人は取り下げ後も全く立ち退く気配を見せなかった。朝倉は、逆に賃借人の息のかかったヤクザに脅されたことから(実際には朝倉の神経症からくる妄想であった)精神的に追い詰められ、賃借人の殺害を決意し、5月下旬から一家殺害の準備をすすめた。

同年6月27日、朝倉は立退き交渉と偽って午後2時46分ごろに賃借人宅に入り込み、賃借人の妻(41歳)、次男(1歳)をかなづちで撲殺、三女(6歳)をかなづちで殴打後扼殺、小学校から帰宅した次女(9歳)の首を手で絞めた後電気掃除機のコードで絞殺、その後午後9時半に帰宅した賃借人(45歳)をマサカリで切りつけ殺害、賃借人と妻の遺体を浴室で切断し解体した。朝倉は逮捕された後「賃借人を粉々にしたかった」と供述している。賃借人一家のうち小学5年生の長女(当時10歳)は、たまたま林間学校に参加していて留守だったため、難を逃れている。

事件の翌朝、電話が通じないことを不審に思った賃借人の義母が賃借人宅の隣家の主婦に様子を見に行って貰う様依頼し、主婦が様子を見に行き賃借人宅の中の様子を窺っていると朝倉が応対に出て、「この家の人達は昨夜引越した。私はイチノセという者です。」と応対したが、不審に思った主婦が義母に連絡し義母が警察に通報して事件は発覚した。その後昼過ぎに、賃借人の兄弟と義母からの通報を受けた警官2人が共に賃借人宅に到着、朝倉は賃借人宅の勝手口から逃亡しようとしたが警察に拘束され、一家殺害を認めたため逮捕された。

朝倉は1985年12月20日東京地方裁判所において死刑判決を受け、1990年1月23日東京高等裁判所控訴棄却され、1996年11月14日最高裁判所上告棄却されて死刑が確定した。

2001年12月27日、死刑執行。

なお、賃借人の居座りは違法行為であり、法的手段を講じて立ち退かせることも可能であったが、法律の抜け穴が多かったために司法での解決には長期化することが多かった。

事件詳細

1983年(昭和58年)2月、東京都杉並区に住む不動産鑑定士の朝倉幸治郎(犯行当時48歳)は、東京地裁で競売にかけられた東京都練馬区大泉学園町6丁目×××番地の物件(木造2階建て、敷地面積は624平方メートル、1階は76.03平方メートル、2階は56.19平方メートル)を落札して購入した。資産のほとんどを担保に入れて銀行から1億数千万円借りた。

銀行の金利は毎月100万円近くにもなった。所有権移転登記を済ませると、すぐに転売しようと走り回った。

4月13日、朝倉は渋谷の不動産屋と売買契約を成立させた。値段は1億2950万円。明け渡し期限は6月30日で、朝倉は内金1500万円をこの不動産屋から受け取っていた。

この物件には、もともと、新宿区西早稲田にある日本洋書販売配給会社の商品管理課長の白井明(45歳)一家6人が住んでいた。だから、立ち退き料は必要であったが、払っても1.000万円の儲けにはなるはずだと見込んでいた。

朝倉は落札した直後から立ち退きの交渉を始めていたが、白井が期限までに立ち退いてくれなければ、転売先に内金の倍額の違約金3,000万円を払わなければならないことになる。一日も早く立ち退いてもらいたい朝倉は、3日に一度は交渉のために白井宅を訪ねた。

だが、白井はいろいろと理由をつけて、立ち退こうとしなかった。業を煮やした朝倉は明け渡しの裁判を起こしたが、白井の引き伸ばし作戦にあった。

白井は「裁判を取り下げれば、すぐにでも引越しする」と言った。朝倉は白井の言ったことを信用して裁判を取り下げてみたが、それは白井の罠にはまったにすぎなかった。その後、朝倉は白井宅に行ってみても、引越しの準備をしている様子もなく、夫婦の対応も誠意のないものだった。

実はこの物件は白井の妻の父親の和田俊夫(仮名)の所有だった。和田の借金のカタに競売にかけられたのだが、白井は和田から居座り続けるように指示されていたので、それに従ったまでだった。和田は不動産取引きのベテランで、以前から裁判が好きで、2,3回、自分でも訴訟を起こしていた。

和田は立ち退き料をできるだけつり上げようとして引き延ばし工作をした。立ち退き料は500万円が相場だが、3,000万円も朝倉にふっかけた。

会社を倒産させた和田は、この立ち退き料で新しい事業を起こそうと考えていた。朝倉はそんな事情など知らずに立ち退きを迫り続けた。だが、いっこうに埒があかず、次第に白井一家に対し殺意を抱くようになっていった。

「もう、殺すしかない。一家全滅させてやる」

5月下旬、朝倉は綿密な殺人計画を立てた。完全犯罪でなければならない。死体は富士山麓の樹海に棄てることにした。その運搬には車が必要なので、ペーパードライバーの朝倉は車を購入して、自動車教習所で練習した。また、天気が悪かった場合を想定して、一時的な隠し場所として1DKのマンションを月10万円で借りた。同年6月27日午後2時45分ごろ、朝倉は白井宅のすぐ近くに停めた車から出て、手提げバッグ1個を持って白井宅に向かった。

バッグには金づち2本、着替え用トレーニングウエア上下などが入っていた。金づち2本のうち1本はいつでも取り出せるようにバッグの外側に付いているポケットに入れた。

朝倉は白井宅の勝手口に行くと、「白井さん、白井さん」と声をかけた。出てきた白井明の妻の幸子(41歳)に、「今日も明け渡しの件で来ました」と、それまで何度も言った言葉を繰り返した。

だが、幸子は「主人がいませんので、私には分かりません・・・・・・」と、やはりそれまで何度も繰り返した言葉を言った。

朝倉は凄んで言い放った。「ここの土地や建物は私のものだ。一体、いつになったら立ち退くんだ」

幸子はその言葉を無視するように、奥の居間に引っ込んでしまったが、朝倉は幸子の後を追いかけ、居間に入った。12畳の洋室には、食事用テーブルの脇に幸子、その横に次男の正利ちゃん(1歳)、玄関寄り出入り口のところに、小学校に入学したばかりの三女の昌子ちゃん(6歳)が立っていた。

「もう、話し合う余地はないんだな!」

そう叫びながら、バッグのポケットから金づちを取り出した。朝倉は2人の子どもが見ている前で、幸子の正面から金づちを振り上げ、幸子の頭めがけて、力の限り振り下ろした。

幸子はその場に崩れ折れたが、「痛い、痛い」とうめきながら、ダイニング・ルームに逃げ出した。朝倉は金づちを持ったまま幸子を追いかけ、流し台の前で襟首を左手で掴んで引き寄せ、金づちを脳天めがけて振り下ろした。2回、3回、4回、朝倉は幸子の頭蓋骨が砕けたような手応えを感じ、死んだと判断した。

朝倉は、もう1回、振り下ろした。そのとき、金づちの柄が折れ、鉄の部分が床に当たって跳ね飛んだ。この日は、奇しくも幸子の41回目の誕生日であった。前日は小学3年生の次女の朋子ちゃん(9歳)の誕生日で、2日続けてこの日の夜もバースデー・パーティーが開かれることになっていた。

その後、次男の正利ちゃんがダイニング・ルームに入って来ると怯えた様子で泣き始めた。次男の正利ちゃんは長男の亮利ちゃんと双子の兄弟であったが、長男は舌が異常に肥大する先天性の奇病で、生まれた翌年に誕生日を迎えて間もなくして死亡した。

朝倉は正利ちゃんの泣き声が外にもれてはまずいと判断し、正利ちゃんも殺すことにした。居間に引き返し、バッグの中からもう1本の金づちを取り出しダイニング・ルームに戻った。

正利ちゃんは倒れた母親の胸に両手をかけて泣いていた。朝倉は金づちを正利ちゃんの脳天に振り下ろすと、その一撃で正利ちゃんはそのまま母親の上に重なるように倒れて動かなくなった。

朝倉は居間に引き返した。そこでは三女の昌子ちゃんが恐怖のあまり、顔色を変え、両手を震わせ、放心状態になって立ちすくんでいた。朝倉は昌子ちゃんの正面に回り、金づちでその頭を打ち砕いた。

昌子ちゃんは「苦しい・・・・・・」とうめきながら、その場に仰向けに倒れた。朝倉はひざまづき、昌子ちゃんの首に両手をかけ強く絞めた。2分ぐらいそうしていた。朝倉はぐったりした昌子ちゃんを見て、死んだと判断した。

朝倉は3人の死体を浴室に運んだ。そして、居間やダイニング・ルームに滴り落ちた幸子の血を雑巾できれいに拭き取った。再び、浴室に戻ると、幸子と正利ちゃんの着衣を包丁で切り、剥ぎ取った。だが、昌子ちゃんの着衣だけは不憫に思い、着けたままにしておいたという。その後、3人の死体を浴槽に入れ、フタをして隠した。剥ぎ取った着衣は洗濯機で水洗いして脱水し、2階に持って行ってその場にあったビニール袋に入れた。

次女の朋子ちゃんが、「ただいま」と声をかけて、勝手口からダイニング・ルームを通って居間に入った。ソファーに座っている朝倉を見て、何も言わないで2階に上がろうとした。

そのとき、朝倉は朋子ちゃんに「お姉さんはいつ帰って来るの?」と訊いた。朋子ちゃんは、「学校の遠足で29日の夜帰ってくる」と答えた。小学5年の長女の良子ちゃん(仮名/10歳)は長野県で開かれていた林間学校に参加していた。

朝倉は朋子ちゃんの前に立ち塞がると、首に両手をかけ、力を込め、吊り上げ気味に強く絞めつけた。朋子ちゃんは朝倉の手を振り解こうとしたが、果たせず1分ぐらいでぐったりとした。朝倉は朋子ちゃんを床に寝かせると、そばにあった電気掃除機のコードを二重にして首に巻いて強く絞めつけた。朋子ちゃんの死体も服を脱がせて浴槽に入れ、着ていた服を水洗いして脱水し、2階のビニール袋に幸子と正利ちゃんの服と一緒に入れた。

朝倉は白井家の主人である明を殺害する準備に取りかかった。血で汚れたトレーニングウエアを新しいトレーニングウエアに着替え、 外に出て、近くに停めてあった自分の車のトランクからマサカリ、タオル、手袋などの入ったナップザックの袋を持って白井宅に戻った。

再び、元の汚れたトレーニングウエアに着替えると、ソファーに腰を下ろし、明の帰りを待つことになった。明は勤め先の会社を午後6時半ごろ出て、会社の同僚と高田馬場駅前の寿司屋で一杯飲んでから、午後9時半ごろ、帰宅した。

勝手口からダイニング・ルームを通って居間に入ってきた。朝倉はソファーから立ち上がり、「明け渡しの件で来ました」と言った。トレーニングウエアの下にはマサカリを隠している。

明は、「まあ、かけましょうや」と言い、食事用のテーブルの椅子に座った。朝倉も明の向かいに座った。明は家の中のいつもとは違う雰囲気を感じ取っていたようであった。明は持っていた傘をテーブルに置き、さらにメガネや時計をはずして、これらもテーブルに置いた。朝倉は明の態度を警戒しながら、「私の方は、事態が切迫しているんだ!」と言い放って立ち上がった。明も一緒に立ち上がった。

朝倉はすかさず、右手の拳で明の鳩尾(みぞおち)に叩き込んだ。高校生のときにボクシング部に所属していた朝倉のパンチは強烈だった。明は唸り声を発して前かがみになった。そこで、朝倉はマサカリを取り出すと、明の左首めがけて横から一撃を加えた。朝倉は返り血をトレーニングウエアに浴びた。明は、「うおっ」とうめいて倒れたが、手を床について四つん這いになって起き上がろうとした。

そこで、朝倉は再び、マサカリで明の左首めがけて振り下ろした。明は床に這いつくばるようにして死んだ。朝倉は明の襟首を掴んで、その死体を浴室まで引きずって運んだ。着ていた服を包丁で切り、剥ぎ取って浴槽に入れて隠した。着衣は同じように、水洗いして脱水し、2階に持って行って、今度は隣の部屋にあった紙袋に入れた。そのとき、明の着ていた洋服のポケットの中にあった財布から1万3500円を抜き取り、財布はゴミ箱に捨てた。

その後、居間に飛び散った血を拭い、血がしみ込んだジュウタンを浴室で洗い、玄関の土間に置いた。時刻は午後10時を回っていた。朝倉は死体を解体するつもりでいたが、その音が外にもれることをおそれ、夜明けを待って行うことにした。

翌28日午前4時半過ぎ、血のついたトレーニングウエアを再び、きれいなトレーニングウエアに着替え、外に出て自分の車を白井宅の門の前に移動させた。

車のトランクから電動肉挽き機、骨すき包丁、ノコギリ、ビニール袋などを取り出し、白井宅の中へ運び込んだ。そして、再び、車を元あった場所に戻して停めた。

朝倉は白井宅に引き返すと、玄関脇階段下から浴室までの廊下に、解体に必要な道具を手順を考えて並べて置いた。浴室にマサカリ、ノコギリ、骨すき包丁を持ち込み、パンツ一枚の格好になり、医療用ゴム手袋をはめて解体作業に取りかかった。

まず、明の死体の首を落とす作業に取りかかった。マサカリで3、4、5回と切りつけたが、胴体から首が離れなかったので、マサカリでの切断を諦め、洗い場に引きずり出して、今度はノコギリでゴシゴシと切り続けた。そうして、なんとか切断することができた。次に、骨すき包丁で明の胴体から手足をバラバラに切断することにした。左ひじ関節に続いて、左肩関節を切断した。さらに、左足首、左ひざを切断した。右手、右足も切断した。ダルマになった明の胴体の胸と背をノコギリでゴシゴシと切った。腹を骨すき包丁で裂いて内臓を取り出した。今度は胴体を横に切った。さらに、死体を小さく切った。全部で18個になった。これを4つのビニール袋に分けて入れた。内臓は骨すき包丁で10センチ四方に切った上で、電動肉挽き機にかけてミンチ状にし、トイレに流した。

明の死体の解体作業を完全に終えたのは午前6時半であった。次に幸子の死体を浴槽から洗い場に出した。骨すき包丁で両肩関節、両ひざ関節を切断した。さらに、腹を縦に切り、内臓を露出させたが、内臓は取り出さなくても梱包して運べるのではないかと思い直して中止した。それから、大腿部を切断しようとしたとき、人の気配を感じて中断し、幸子の死体を浴槽に戻した。

その後、人の気配がなくなったので、浴槽から正利ちゃんの死体を出して解体しようと首の切断を始めたが、包丁の先が欠けてうまく切れず、疲れも出てきたこともあって解体作業を中止し、死体を浴槽に戻した。午前7時になっていた。

朝倉は浴室で自分の体を洗った。パンツも洗い、2階でパンツを干し、トレーニングウエアを着て、居間のソファーの上に横になってひと休みした。

午前9時ごろ、隣家の主婦の吉岡成子(仮名)が勝手口から中の様子を窺い始めた。幸子の実母の和田恵子(仮名)から電話で白井家に電話が通じないので家の様子を見てくれと頼まれたのであった。吉岡がいることに気づいた朝倉は、「この家の人たちは昨夜、引越して行きました。私はイチノセだ」と言った。この主婦はさっそく朝倉から言われたことを和田恵子に電話で伝えた。そのあと、幸子の実弟の和田裕(仮名)は母親の恵子から電話を受けた。「今日の午前10時に幸子と会う約束だった。8時ごろには私も出なければならないから朝から電話しているけど出ない。裏の吉岡さんに様子を見てもらったら、イチノセという男がいて、ゆうべ引っ越したと言っているらしい。良子も林間学校に行っているし、こちらにも出るという連絡もないから、おかしい」

裕は家の明け渡し交渉をめぐって白井一家が監禁されているかもしれない、と考えた。

午前11時半ごろ、実兄の和田登(仮名)とともに石神井警察署を訪れた。午後0時40分過ぎ、2人の警官とともに和田兄弟が白井宅に急いだ。裏木戸から入って勝手口を開けようとしたが、そのドアはビニールひもで固定してあった。警官がそのドアを強く引いて10センチくらい開いたその隙間から家の中に向かって声をかけた。

「誰かいないか、石神井警察署の者です」

朝倉はハッとして、「今、行きますから、ちょっと待ってください」と言って、反対の表の玄関から外に出て停めておいた自分の車に乗り込もうとした。だが、すばやく表に回りこんだ警官に見つかってしまい、「何の目的で入ったんだ」と訊かれ、朝倉ははじめのうちは口ごもっていたが、まもなく、「この家の人を殺しました・・・・・・」と言った。朝倉は殺人罪で緊急逮捕された。

石神井署に身柄を拘束された朝倉は、落ち着いた口調で犯行動機を述べた。

「自分は正常です。一貫して、心境に変化はありません。遺体は山中に埋めるつもりだった。白井の奴は、骨まで粉々にしてやりたかったと思っていたので、すっきりした。妻と子どもを殺したのは、可哀相だったと思います」

小学5年の長女の良子ちゃんは長野県での林間学校に参加して殺害を免れているが、翌日も事件のことを知らされないまま、貸し切りバスの中で出されたゼリー菓子を「弟に持って帰ってやるんだ」と食べずにしまっていた。良子ちゃんはその後、「みんな交通事故で死んだ」と親戚の人に聞かされた。

文献

関連項目