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<nowiki>'''グランツール'''('''英:Grand Tour'''、'''仏:Grands Tours'''、'''西:Grandes Vueltas'''、'''蘭:Grote Ronde''')とは[[ヨーロッパ]]で開催される自転車のプロ[[ロードレース (自転車競技)|ロードレース]]のうち、[[ジロ・デ・イタリア]]、[[ツール・ド・フランス]]、[[ブエルタ・ア・エスパーニャ]]の3つのステージレースの総称である。'''三大ツール'''ともいう。
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'''グランツール'''('''英:Grand Tour'''、'''仏:Grands Tours'''、'''西:Grandes Vueltas'''、'''蘭:Grote Ronde''')とは[[ヨーロッパ]]で開催される自転車のプロ[[ロードレース (自転車競技)|ロードレース]]のうち、[[ジロ・デ・イタリア]]、[[ツール・ド・フランス]]、[[ブエルタ・ア・エスパーニャ]]の3つのステージレースの総称である。'''三大ツール'''ともいう。
  
 
==概要==
 
==概要==

2020年1月11日 (土) 00:02時点における最新版

グランツール英:Grand Tour仏:Grands Tours西:Grandes Vueltas蘭:Grote Ronde)とはヨーロッパで開催される自転車のプロロードレースのうち、ジロ・デ・イタリアツール・ド・フランスブエルタ・ア・エスパーニャの3つのステージレースの総称である。三大ツールともいう。

概要[編集]

ステージレースはこの他にも数多存在するが上記3大会については競技実施期間及び全走破距離が長く(いずれも3週間程度の期間行われる)、しかも平地・山岳・タイムトライアルというそれぞれ要求される競走能力が異なる種目で総合的な力を発揮できなければ良い成績を収められないという点において共通しており、「最大のステージレース」という意味合いから上記の通り呼ばれている。また、グランツールは完走することさえ困難であることから、総合優勝者には最上級の賞賛が贈られる。

とりわけツール・ド・フランスはグランツールの中で最も歴史があり、加えて相対的に他のグランツールと比較すると出場選手のレベルが高く「世界最大の自転車レース」と呼ばれる所以である。中にはツールを「世界三大スポーツ競技大会」と位置づける人もおり、毎年大会期間中にテレビ中継等で観戦する人は世界で10億人を超すとも言われていることから、あまりロードレースに関心のない人もツールだけは特別に興味を持っていることが伺える。しかしながら、ツールがグランツールの中で最も過酷なレースかというと必ずしもそうとはいえない。山岳コースの設定はむしろジロ・デ・イタリアのほうが厳しいと見る人もいる。

各グランツールの特徴[編集]

ツール・ド・フランス ~選手・チームの総合力が要求される~[編集]

ツール・ド・フランスにおいては、ジャック・アンクティルが確立したとされる山岳コースではなるべく消耗度が少ない走りに終始し、個人タイムトライアルで一気に勝負をつけるといった形の戦法が定番とされていた。ミゲル・インドゥラインはそうした走り方の典型であったといえる。また1989年の大会で大逆転優勝を収めたグレッグ・レモンはプロローグを除くタイムトライアルで常に勝利したことが後の勝因に繋がった。エディ・メルクスランス・アームストロング、後にドーピング疑惑で優勝を剥奪されたフロイド・ランディスは山岳でも積極的に攻撃を仕掛けたが、タイムトライアルでもやはり圧倒的な力を示した。そう考えると、ツールではとりわけ、タイムトライアルにかかる比重が大きいといえよう。そして、タイムトライアルで得た(または得られると予想できる)差を基にして、いかにして勝利の方程式へと導けるかがツール制覇の一番の鍵となろう。この勝利への方程式を導く為に各チームが総力を結集させて闘うため、ツールでは個人のみならず、チーム力も重視される。綿密な戦略も要求され、まさに「総力戦」の形で挑まねば栄光には浴せない。

ジロ・デ・イタリア ~選手個人のパフォーマンスが最大限要求される~[編集]

ジロ・デ・イタリアは比較的山岳が得意な選手が強いといえる。これはツールよりも概ね山岳コースの設定回数が多く、また他のグランツールより山岳コースの難度が高いことにも起因しているようである。他のグランツールにおいてはポイント賞の受賞者といえばスプリンター型の選手にほぼ集約されている形となっているが、ジロの場合は相対的に見て山岳レースにおいて実績を挙げている選手が獲得するケースも少なくない。これには中間スプリントポイントが1ステージで1つしかなく、しかもポイント賞争いのポイントと関係がない(インテルジロポイントという、その地点の通過タイムの合計で争うインテルジロ賞のための地点となっている)年も多いため、実質的にゴールのポイントのみでポイント賞が争われているという点も影響しているといえる。

総合優勝を数多く経験している往年の名選手であるアルフレッド・ビンダジーノ・バルタリファウスト・コッピといった選手たちは、山岳コースでも部類の強さを発揮した[1]。また、コッピが1949年にツールも同年に制し、史上初のダブルツールを達成したことに起因して、同一年にジロとツールを制することが真のチャンピオンであるという見方もされるようになった。

一方、ブエルタが1995年に従来の春開催から夏場の開催へと移行した点について、次第にジロにも微妙な影響を及ぼしはじめ、ランス・アームストロングのようにジロを回避してツール一本に照準を定める形を取る選手が増加しはじめた。したがって1970年代から1990年代半ばの総合優勝者については選手の国籍が多様化していたが、1996年に優勝したパヴェル・トンコフロシア)を最後にイタリア国籍選手以外の優勝者が出ていないということにも繋がっている。このあたりの傾向についても、他のグランツールとは様相を異にしている。

レースの形態については、平坦と山岳にはっきりと分けられるような形でコース設定がなされていない傾向が見られるからか最後は持久戦の様相を呈し、総合優勝争いが大混戦になるケースがよくある。よってグランツールの中では最もタフなレースと目する人もおり、またグランツールの中では選手個人の能力が最大限要求される傾向が強いレースであるといえよう。

ブエルタ・ア・エスパーニャ ~山岳の多い地形と混戦をいかに制するか~[編集]

ブエルタ・ア・エスパーニャはスペインという国の地形の関係でコース上に中級を含めて山岳が多く、スペイン領土内にアルプス山脈が存在しないため高低差こそ控えめなもののしばしば勾配の厳しい激坂が登場する。このため、ジロと同様にホセマヌエル・フエンテルイス・エレラのような典型的なクライマーが優勝するケースもある。しかし、かつて春期に開催されていた頃は日程的な問題もあって有力なオールラウンダーやクライマーが他のグランツールに照準を合わせる傾向もあったため、スプリンター型の選手でも総合優勝を果たしているケースが少なくなかった。全区間総合トップで優勝したことがあるフレディ・マルテンスショーン・ケリールディ・アルティヒといった選手たちはスプリンター型と言われた選手である。したがってかつてはツールやジロではポイント賞、山岳賞どまりの選手たちがブエルタでは総合優勝が十分狙えるといっても過言ではなかった。しかし開催時期が1995年より現在の8~9月に移行してからはオールラウンダー型選手の優勝機会が増え、反面スプリンター型の選手が総合優勝争いをする例はなくなっている。またロベルト・エラスカルロス・サストレといったクライマー型の選手の活躍も目立つことを考えると、現在はジロのような特徴を持つ大会であるともいえる。ジロ同様大混戦も多い。

ダブルツールについて[編集]

長らくブエルタとジロについては実施時期が接近、はたまた年によっては日程が重複するケースもあったことから、同一年度に全グランツールの出場を果たす選手はほとんどいなかった。そうした要因もあり、とりわけ歴史の長いツールとジロの2大会については今もダブルツールと呼ぶ場合がある。下記に同一年度におけるダブルツール達成者を列記してあるが、ツールとジロの組み合わせのケースが最も多い。これはツールとジロの両方を制することが真のチャンピオンであるという大きな意味合いを包含しているものと考えられる。もっとも、ダブルツールという呼称は世界的に見て以前より一般的な言い方とはされていない。

また、1995年に従来春シーズンに開催されていたブエルタが9月に開催時期を移行したことにより、現在は日程的には支障なくジロ・ツール・ブエルタの3大会に出場することが可能になったことや、UCIプロツアー2008年のプロツアーよりグランツールは全て撤退。この話については後述)においては、ジロとブエルタは同格に扱われていた。したがってツールとブエルタ、ジロとブエルタという組み合わせはダブルツールとはいえないのかといった疑問にも繋がることから、ツールとジロだけを指す呼称として使用するのは望ましくないといえる。

UCIプロツアー離脱問題[編集]

2005年からはじまったUCIプロツアーはグランツールの価値を高く認識していた。ツール・ド・フランスは最上級のカテゴリーA級に位置づけ、ジロ・デ・イタリア、ブエルタ・ア・エスパーニャはカテゴリーB級に位置づけていた。また、プロツアーとしては2007年までグランツールを対象レースに組み込んでいた。

しかしプロツアー参加チームに出場を限定するとしていた国際自転車競技連合(UCI)の考え方に対し、ASO(ツールの主催者)、RCS(ジロの主催者)、ウニパブリック(ブエルタの主催者)がプロツアー制定当初より猛反発。度々これら主催者側は主催者希望チーム枠の扱いを巡ってUCIとの対立姿勢を強め、制定初年度よりプロツアー離脱をほのめかしていた。

そしてプロツアー制定2年目となる2006年ジロ・ディ・ロンバルディアのレース終了後に、本来ならばプロツアーの表彰式が行われる予定であったにもかかわらず同レースの主催者であるRCSがこれを拒否したことから、UCIと主催者グループとの間の対立が表面化した。

UCIは懐柔策として、2007年のグランツールについては主催者側が希望するチーム(いわゆる「ワイルドカード」)枠を認めることで、グランツールのプロツアー離脱を防止した。しかし同年に発生したユニベットチームを巡る問題(詳細はUCIプロツアー#グランツールとの主導権争いを参照)を発端にUCIと主催者グループの対立構図は決定的となり、ついに主催者グループ側はUCIとの事実上の決別姿勢を明らかにした。

またUCIも主催者グループの主張を認め、2008年のプロツアーより、グランツールは全て離脱することになった。この他主催者グループが運営を行っている他のステージレースやワンデーレースにおいても離脱が相次いだことから、2007年においては26の対象レースであったものが2008年は17へと大きく減少する事態(ツアー・ダウンアンダーの格上げや開催地未定の新設レース(仮称:ファイナルレース)を含めて)となった。

ジロ、ブエルタはヨーロッパツアーに「格下げ」[編集]

一方、主催者グループ側は水面下でUCIプロツアーに代わりうる新シリーズの制定に動いていたが、UCIはこれを認めなかった。UCIは、ツールについては国別対抗戦形式である北京オリンピック世界選手権自転車競技大会とともに新設のUCIワールドツアーに組み込こむことを決定し、プロツアー参加チームにも積極的にツールへの参加を促す制度を制定した。しかしジロ、ブエルタについてはプロツアーのいわば「下部組織」という位置づけとなっている、UCIコンチネンタルサーキットの中のUCIヨーロッパツアーに組み入れられるという、事実上の「格下げ」処置を行うことになった。

コンチネンタルサーキットに組み入れられてしまうと、プロツアー参加チームの出場機会が著しく失われるばかりかレースの質そのものの低下も余儀なくされてしまう。この他UCIはツール以外のプロツアー離脱レースについては全てヨーロッパツアーへと組み入れた。UCIのこれまでの一連の動きを見る限り、明らかに主催者グループ側に対する「報復処置」を行っている。しかもUCIのこの処置については、形の上ではジロ、ブエルタが例えば同じステージレースでありながらも、ツール・ド・スイスなどのプロツアー対象レースよりも格下になるということをも意味している。

こうした一連のUCIの方策に対し、主催者グループ側は当然のことながら猛反発。またUCIも、コンチネンタルサーキットのレースは現在最高カテゴリーは「HC」となっているが、ジロ、ブエルタを含めたプロツアー離脱レースについてはHCを上回るカテゴリーの制定を検討している。

グランツールにおける主な記録[編集]

全グランツール総合優勝達成者[編集]

過去に4人の達成者がいる(達成順に列挙)。

ジャック・アンクティルフランス
ツール5回(1957, 1961, 1962, 1963, 1964)、ジロ2回(1960, 1964)、ブエルタ1回(1963)
フェリーチェ・ジモンディイタリア
ツール1回(1965)、ジロ3回(1967, 1969, 1976)、ブエルタ1回(1968)
エディ・メルクスベルギー
ツール5回(1969, 1970, 1971, 1972, 1974)、ジロ5回(1968, 1970, 1972, 1973, 1974)、ブエルタ1回(1973)
ベルナール・イノー(フランス)
ツール5回(1978, 1979, 1981, 1982, 1985)、ジロ3回(1980, 1982, 1985)、ブエルタ2回(1978, 1983)

なお、同一年における全グランツール総合優勝達成者は2007年現在、いまだ存在しない。

主要3部門独占者[編集]

グランツールでは総合優勝の他、ポイント賞、山岳賞がそれぞれ設けられている。これらを主要3部門と呼ぶ場合がある。過去2選手が同一年に開催されたレースで主要3部門第1位を達成。内、エディ・メルクスは2大会で達成している。

エディ・メルクス(ベルギー)
ツール1回(1969)、ジロ1回(1968)
ローラン・ジャラベール(フランス)
ブエルタ1回(1995)

同一年度全グランツール区間優勝達成者[編集]

過去に3人の達成者がいる。

ミゲル・ポブレットスペイン
1回(1956)
ピエリーノ・バフィ(イタリア)
1回(1958)
アレサンドロ・ペタッキ(イタリア)
1回(2003)

なおグランツールの山岳賞に関連する項目は山岳賞、ポイント賞に関連する項目はポイント賞を参照のこと。

その他のグランツールに関連する記録[編集]

ダブルツール[編集]

一般的にダブルツール達成とはツール・ド・フランスとジロ・デ・イタリアを同一年度に総合優勝することを指す。しかしこの組み合わせ以外の「ダブルツール達成」のケースもあるため、これも併せて紹介する。

ツール・ド・フランスとジロ・デ・イタリア[編集]

過去7人達成

ファウスト・コッピ(イタリア)
2回(1949, 1952)
ジャック・アンクティ'(フランス)
1回(1964)
エディ・メルクス(ベルギー)
3回(1970, 1972, 1974)
ベルナール・イノー(フランス)
2回(1982, 1985)
ステファン・ロッシュアイルランド
1回(1987)
ミゲル・インドゥライン(スペイン)
2回(1992, 1993)
マルコ・パンターニ(イタリア)
1回(1998)

ツール・ド・フランスとブエルタ・ア・エスパーニャ[編集]

過去2人達成

ジャック・アンクティル(フランス)
1回(1963)
ベルナール・イノー(フランス)
1回(1978)

ジロ・デ・イタリアとブエルタ・ア・エスパーニャ[編集]

過去2人達成

エディ・メルクス(ベルギー)
1回(1973)
ジョバンニ・バッタリン(イタリア)
1回(1981)

トリプルクラウン[編集]

ツール、ジロの両レースの総合優勝に加え、世界選手権の個人ロードレース種目も併せて同一年度に制覇することを「トリプルクラウン」と呼ぶことがある。過去に2人が成し遂げている。

エディ・メルクス(ベルギー)
1回(1974)
ステファン・ロッシュ(アイルランド)
1回(1987)

一方、全グランツールへの同一年度出場が日程的に可能となり、UCIプロツアーにおいてブエルタがジロと同格の位置づけをされている上にレースの形態が違う世界選手権を同一視することは望ましくないという観点があり、現在ではこのような呼び方は適当ではないと考えられている向きもある。

グランツール歴代総合優勝者[編集]

ジロ・デ・イタリア ツール・ド・フランス ブエルタ・ア・エスパーニャ
1903年   モリス・ガラン  
1904年 アンリ・コルネ
1905年 ルイ・トゥルスリエ
1906年 ルネ・ポチエ
1907年 ルシアン・プチプルドン
1908年 ルシアン・プチプルドン
1909年 ルイジ・ガンナ フランソワ・ファベール
1910年 カルロ・ガレッティ オクタブ・ラビス
1911年 カルロ・ガレッティ ギュスタブ・ガリグー
1912年 アタラチーム[2] オディル・ドフレイエ
1913年 カルロ・オリアーニ フィリップ・ティス
1914年 アルフォンソ・カルツォラーリ フィリップ・ティス
1915年 第一次世界大戦の影響により中止
1916年
1917年
1918年
1919年 コスタンテ・ジラルデンゴ フィルマン・ランボー
1920年 ガエターノ・ベローニ フィリップ・ティス
1921年 ジョバンニ・ブルネーロ レオン・シウール
1922年 ジョバンニ・ブルネーロ フィルマン・ランボー
1923年 コスタンテ・ジラルデンゴ アンリ・ペリシエ
1924年 ジュゼッペ・エンリッチ オッタビオ・ボテッキア
1925年 アルフレッド・ビンダ オッタビオ・ボテッキア
1926年 ジョバンニ・ブルネーロ ルシアン・ビュイス
1927年 アルフレッド・ビンダ ニコラ・フランツ
1928年 アルフレッド・ビンダ ニコラ・フランツ
1929年 アルフレッド・ビンダ モリス・ドゥワエル
1930年 ルイジ・マルキシオ アンドレ・ルデュック
1931年 フランチェスコ・カミュッソ アントナン・マーニュ
1932年 アントニオ・ペゼンティ アンドレ・ルデュック
1933年 アルフレッド・ビンダ ジョルジュ・スペシエ
1934年 レアルコ・グエラ アントナン・マーニュ
1935年 バスコ・ベルガマスキ ロマン・マエス グスタフ・デロール
1936年 ジーノ・バルタリ シルベール・マエス グスタフ・デロール
1937年 ジーノ・バルタリ ロジェ・ラプビー スペイン内戦の影響により中止
1938年 ジョバンニ・パレッティ ジーノ・バルタリ
1939年 ジョバンニ・パレッティ シルベール・マエス
1940年 ファウスト・コッピ 第二次世界大戦の影響により中止
1941年 第二次世界大戦の影響により中止 フリアン・ベレンデーロ
1942年 フリアン・ベレンデーロ
1943年 第二次世界大戦の影響により中止
1944年
1945年 デリオ・ロドリゲス
1946年 ジーノ・バルタリ ダーマシオ・ランガリカ
1947年 ファウスト・コッピ ジャン・ロビック エドゥアール・バンディック
1948年 フィオレンツォ・マーニ ジーノ・バルタリ ベルナルド・ルイス
1949年 ファウスト・コッピ ファウスト・コッピ 中止
1950年 ユーゴ・コブレ フェルデイ・クブラー エミリオ・ロドリゲス
1951年 フィオレンツォ・マーニ ユーゴ・コブレ 中止
1952年 ファウスト・コッピ ファウスト・コッピ
1953年 ファウスト・コッピ ルイゾン・ボベ
1954年 カルロ・クレリッチ ルイゾン・ボベ
1955年 フィオレンツォ・マーニ ルイゾン・ボベ ジャン・ドット
1956年 シャルリー・ゴール ロジェ・ワルコビャック アンジェロ・コンテルノ
1957年 ガストネ・ネンチーニ ジャック・アンクティル ヘスス・ロローニョ
1958年 エルコーレ・バルディーニ シャルリー・ゴール ジャン・スタブリンスキ
1959年 シャルリー・ゴール フェデリコ・バーモンテス アントニオ・スアレス
1960年 ジャック・アンクティル ガストネ・ネンチーニ フランツ・デ・ムルダー
1961年 アルナルド・パンピアンコ ジャック・アンクティル アンジェリーノ・ソレール
1962年 フランコ・パルマミオン ジャック・アンクティル ルディ・アルティヒ
1963年 フランコ・パルマミオン ジャック・アンクティル ジャック・アンクティル
1964年 ジャック・アンクティル ジャック・アンクティル レイモン・プリドール
1965年 ビットリオ・アドルニ フェリーチェ・ジモンディ ロルフ・ウォルフショール
1966年 ジャンニ・モッタ ルシアン・エマール フランシスコ・ガビーカ
1967年 フェリーチェ・ジモンディ ロジェ・パンジョン ヤン・ヤンセン
1968年 エディ・メルクス ヤン・ヤンセン フェリーチェ・ジモンディ
1969年 フェリーチェ・ジモンディ エディ・メルクス ロジェ・パンジョン
1970年 エディ・メルクス エディ・メルクス ルイス・オカーニャ
1971年 ゴスタ・ペーテルソン エディ・メルクス フェルディナン・ブラッケ
1972年 エディ・メルクス エディ・メルクス ホセ・マヌエル・フエンテ
1973年 エディ・メルクス ルイス・オカーニャ エディ・メルクス
1974年 エディ・メルクス エディ・メルクス ホセ・マヌエル・フエンテ
1975年 ファウスト・ベルトリオ ベルナール・テブネ アウグスティン・タマメス
1976年 フェリーチェ・ジモンディ ルシアン・バンインプ ホセ・ペサロドーナ
1977年 ミッチェル・ポランティエール ベルナール・テブネ フレディ・マルテンス
1978年 ヨハン・ゲミュンク ベルナール・イノー ベルナール・イノー
1979年 ジョゼッペ・サローニ ベルナール・イノー ヨープ・ズートメルク
1980年 ベルナール・イノー ヨープ・ズートメルク ファウスティーノ・ルペレス
1981年 ジョバンニ・バッタリン ベルナール・イノー ジョバンニ・バッタリン
1982年 ベルナール・イノー ベルナール・イノー マリノ・レハレタ
1983年 ジュゼッペ・サローニ ローラン・フィニョン ベルナール・イノー
1984年 フランチェスコ・モゼール ローラン・フィニョン エリック・カリトゥー
1985年 ベルナール・イノー ベルナール・イノー ペドロ・デルガド
1986年 ロベルト・ヴィセンティーニ グレッグ・レモン アルバロ・ピーノ
1987年 ステファン・ロッシュ ステファン・ロッシュ ルイス・エレラ
1988年 アンドリュー・ハンプステン ペドロ・デルガド ショーン・ケリー
1989年 ローラン・フィニョン グレッグ・レモン ペドロ・デルガド
1990年 ジャンニ・ブーニョ グレッグ・レモン マルコ・ジョヴァネッティ
1991年 フランコ・キオッチョーリ ミゲル・インドゥライン メルチョル・マウリ
1992年 ミゲル・インドゥライン ミゲル・インドゥライン トニー・ロミンゲル
1993年 ミゲル・インドゥライン ミゲル・インドゥライン トニー・ロミンゲル
1994年 エフゲニー・ベルツィン ミゲル・インドゥライン トニー・ロミンゲル
1995年 トニー・ロミンゲル ミゲル・インドゥライン ローラン・ジャラベール
1996年 パヴェル・トンコフ ビャルヌ・リース[3] アレックス・ツーレ
1997年 イヴァン・ゴッティ ヤン・ウルリッヒ アレックス・ツーレ
1998年 マルコ・パンターニ マルコ・パンターニ アブラハム・オラーノ
1999年 イヴァン・ゴッティ ランス・アームストロング ヤン・ウルリッヒ
2000年 ステファーノ・ガルゼッリ ランス・アームストロング ロベルト・エラス
2001年 ジルベルト・シモーニ ランス・アームストロング アンヘル・カセーロ
2002年 パオロ・サヴォルデッリ ランス・アームストロング アイトール・ゴンザレス
2003年 ジルベルト・シモーニ ランス・アームストロング ロベルト・エラス
2004年 ダミアーノ・クネゴ ランス・アームストロング ロベルト・エラス
2005年 パオロ・サヴォルデッリ ランス・アームストロング デニス・メンショフ[4]
2006年 イヴァン・バッソ オスカル・ペレイロ[5] アレクサンドル・ヴィノクロフ
2007年 ダニーロ・ディルーカ アルベルト・コンタドール デニス・メンショフ

脚注[編集]

  1. ジロに山岳賞が設けられたのは1933年だが、ツールも同年に最初に山岳賞が設けられたことからグランツールにおける最初の山岳賞制定はジロということになる。初代山岳賞受賞者はアルフレッド・ビンダであるが、同時に5度目の総合優勝を達成。過去4回の総合優勝を達成した際にも山岳コースでは圧倒的な強さを示しており、仮に1933年以前にも山岳賞があれば、ビンダが総合優勝と併せて受賞していたのはほぼ間違いないと見られる。
  2. 個人優勝表彰としてはカルロ・ガレッティジョバンニ・ミチェレットエベラルド・パヴェシの3人が対象。したがってカルロ・ガレッティがジロ・デ・イタリア史上初の総合3連覇を達成した形となる。
  3. 後日自身の口から当時禁止薬物を使用していたという告白がなされ、それに基づき国際自転車競技連合(UCI)がマイヨジョーヌの返還を求めている。
  4. 総合首位は当初ロベルト・エラスだったが、レース後行われたドーピング検査の結果失格となり、同2位のデニス・メンショフが繰り上げ優勝となった。
  5. 全レース終了後に行われたドーピング検査において、総合1位となったフロイド・ランディスの体内から多数の禁止薬物が検出された。これを受けランディスの総合優勝は保留とされ、その後公聴会などの調査が続けられた。1年以上に亘る調査の結果、2007年9月20日に「アメリカ合衆国反ドーピング機関」(USADA)が後日ランディスの総合1位記録を取り消し、失格とする告知を出したことからオスカル・ペレイロの繰り上げ優勝はこの時点で決定的となった。21日には、UCIが正式にランディスの失格とペレイロの優勝を認定し優勝が決定。そして同年10月15日に総合ディレクターのクリスティアン・プリュドムより優勝ジャージ(マイヨ・ジョーヌ)が授与された。

関連項目[編集]

ジロ・デ・イタリア
1909 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 | 32 | 33 | 34 | 35 | 36 | 37 | 38 | 39 | 40 | 46 | 47 | 48 | 49 | 50 | 51 | 52 | 53 | 54 | 55 | 56 | 57 | 58 | 59 | 60 | 61 | 62 | 63 | 64 | 65 | 66 | 67 | 68 | 69 | 70 | 71 | 72 | 73 | 74 | 75 | 76 | 77 | 78 | 79 | 80 | 81 | 82 | 83 | 84 | 85 | 86 | 87 | 88 | 89 | 90 | 91 | 92 | 93 | 94 | 95 | 96 | 97 | 98 | 99 | 2000 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08
ツール・ド・フランス
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ブエルタ・ア・エスパーニャ
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