ウオッカ

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ウオッカ日本競走馬である。2007年牝馬としては64年ぶり(戦後初・史上3頭目)に東京優駿(日本ダービー)を制した。他の主な勝ち鞍は阪神ジュベナイルフィリーズ


|説 = 2007年5月27日 東京競馬場 |名 = ウオッカ |性 = |色 = 鹿毛 |種 = サラブレッド |生 = 2004年4月4日 |父 = タニノギムレット |母 = タニノシスター |母父 = ルション |産 = カントリー牧場 |国 = 日本の旗 日本北海道静内郡静内町) |主 = 谷水雄三 |調 = 角居勝彦栗東) |厩 = 中田陽之 |績 = 9戦5勝 |金 = 3億8901万円


デビュー前

デビュー前から高い素質を見せていたため、2006年10月27日に締め切られたクラシック登録には桜花賞優駿牝馬(オークス)のみならず牡馬三冠にも登録された。この背景には馬主谷水雄三の意向があった。

戦績

2006年(2歳)

10月29日京都競馬場新馬戦でデビュー。スタート後すぐに先頭に立つと、直線で再び突き放して勝利を収めた。続く黄菊賞ではスタートで後手を踏み、2着に敗れた。3戦目の阪神ジュベナイルフィリーズではスタート後先団に取りつき道中は馬群の中団からレースを進め直線で先に抜け出したアストンマーチャンを叩き合いの末に豪快に外から差し切り、GI制覇を収めた。なおこの勝利が評価され、2006年度JRA賞の最優秀2歳牝馬に選出された。

2007年(3歳)

2007年の緒戦にはエルフィンステークスが選択された。他馬より2キロ重い56kgの斤量を背負っての出走となったがレースでは直線に入ると馬なりで先頭に立ち、そのまま2着に3馬身差の着差をつけて勝利した。続くチューリップ賞ではダイワスカーレットがウオッカとマッチレースを望むかのようにウオッカをひきつけたが、それを交わしクビ差で制して優勝した。なお2着のダイワスカーレットと3着との着差は6馬身であり、2頭の力が突出していることを示す結果となった。こうなると桜花賞はもはや決まったかのように思われたが前走で瞬発力勝負では分が悪いと踏んだダイワスカーレットが早めに抜け出すという作戦をとり、これを捉えることができず2着に敗れた。

ウオッカには桜花賞に出走する以前から東京優駿に出走するプランが発表されていた。桜花賞で2着に敗れたことで断念するとの見方もあったが、谷水から判断を一任された調教師角居勝彦は牝馬として1996年ビワハイジ以来11年ぶりの出走を決断した[1]。この出走にはJRA元調教師の伊藤雄二が東京優駿施行時における牡馬と牝馬の完成度の違いやウオッカの状態に桜花賞から上積みがないことなどを理由に「理解できない」と述べる[2]など反対や疑問の声が少なからず聞こえた。

しかしレースでは馬群の中団から直線で抜け出して優勝し、父仔2代での東京優駿制覇(トウカイテイオー(父・シンボリルドルフ)以来16年ぶり史上5組目、父娘制覇は史上初)を達成した。また、牝馬の東京優駿制覇は1937年ヒサトモ1943年クリフジに続き史上3頭目、戦後初の出来事であった(レースの詳細については第74回東京優駿を参照)。

6月12日、初めての古馬との対決となる第48回宝塚記念への出走が正式に決まったことが関係者から伝えられた。3歳牝馬が宝塚記念に出走するのは1996年のヒシナタリー(4着)以来11年ぶりのこととなる。しかし、レースでは狙い通りの位置取りを取る事が出来ずに折り合いを欠いてしまい8着に敗れた。

同年秋の凱旋門賞への出走を目指し、ステップレースとしてヴェルメイユ賞もしくはニエル賞から凱旋門賞というローテーションが考えられていた。8月に渡仏しシャンティイ調教場のジャン=マリー・ベギニェ(Jean-Marie Béguigné)厩舎に滞在して調教する予定だったが8月4日に角居調教師らの下見の結果、同じく凱旋門賞に挑戦を表明していたメイショウサムソンと同じリチャード・ギブソン厩舎への滞在が発表された。

しかし8月7日に右後肢の蹄球炎を発症した事が発表され翌8月8日にオーナーサイドとの協議の結果、凱旋門賞出走断念を発表した。なお蹄球炎は4日間馬房内で治療に専念して回復したもののこの4日間の療養で調教ができなかったことで万全の状態でレースに挑めなくなったことが出走断念の理由となった。

8月11日に発表されたJPNサラブレッドランキングの2007年度上半期において117ポンドの評価を得た。

その後8月26日には坂路入りを再開して調教が行われ、秋はトライアルレースを使わず直接第12回秋華賞に向かうことになった。レースでは後方に位置し3コーナーで外から進出していくものの、最後はダイワスカーレットだけでなくレインダンスも交わすことができず3着に敗れた。秋華賞後はエリザベス女王杯ジャパンカップのどちらに向かうかが注目され、10月3日には有馬記念に出走する意向を角居調教師が明らかにした。

10月23日第32回エリザベス女王杯に向かうことが発表されダイワスカーレットとの決着が期待されたが11月11日のレース当日の朝、右関節破行の故障が発生したためレースへの出走を取り消した。

なおウオッカは前日売りオッズで2.1倍の単勝1番人気に支持されており、同馬絡みの馬券の返還金の総額は約15億円だった。しかし症状は軽症だったため、11月25日に行われるジャパンカップに出走登録を行っている。

競走成績

年月日 競馬場 競走名


オッズ
(人気)
着順 騎手
距離(馬場) タイム(3F タイム
勝ち馬/(2着馬)
2006 10. 29 京都 2歳新馬 13 4 4 3.3(2人) 1着 鮫島克也 54 芝1600m(良) 1:35.0(34.5) -0.6 (レースドール)
11. 12 京都 黄菊賞(500万下) 8 7 7 3.0(2人) 2着 四位洋文 54 芝1800m(良) 1:49.5(34.1) 0.2 マイネルソリスト
12. 3 阪神 阪神JF GI 18 1 2 11.1(4人) 1着 四位洋文 54 芝1600m(良) 1:33.1(34.2) 0.0 アストンマーチャン
2007 2. 3 京都 エルフィンS OP 9 8 9 1.7(1人) 1着 四位洋文 56 芝1600m(良) 1:33.7(34.0) -0.5 ニシノマナムスメ
3. 3 阪神 チューリップ賞 JpnIII 16 6 11 1.4(1人) 1着 四位洋文 54 芝1600m(良) 1:33.7(33.5) -0.1 ダイワスカーレット
4. 8 阪神 桜花賞 JpnI 18 7 14 1.4(1人) 2着 四位洋文 55 芝1600m(良) 1:33.9(33.6) 0.2 ダイワスカーレット
5. 27 東京 東京優駿 JpnI 18 2 3 10.5(3人) 1着 四位洋文 55 芝2400m(良) 2:24.5(33.0) -0.5 アサクサキングス
6. 24 阪神 宝塚記念 GI 18 1 2 3.5(1人) 8着 四位洋文 51 芝2200m(稍) 2:14.0(38.0) 1.6 アドマイヤムーン
10. 14 京都 秋華賞 JpnI 18 8 16 2.7(1人) 3着 四位洋文 55 芝2000m(良) 1:59.3(33.2) 0.2 ダイワスカーレット

※競走成績は2007年10月14日現在

過去の牝馬による東京優駿優勝との比較

日本の中央競馬で牝馬で現在の東京優駿に相当する東京優駿大競走・東京優駿競走を制した競走馬は上記の通りウオッカより前に2頭いるが、いずれについても競馬の番組編成上の理由から牝馬であっても東京優駿が上半期の目標となった時代の記録である[3]。また生産頭数も現代ほど多くないために強力な牡馬の絶対数も少ない(ただし、強力な牝馬の絶対数も少ないということにもなるが)ということもあって、かつては牝馬による東京優駿及び現在の東京優駿に相当する競走への挑戦も稀有なことではなかった。時代が進み優駿牝馬が春の東京開催に移り、また競走体系の細分化が進み競走馬の適性に応じて出走レースを選択することが一般的となった現代では牝馬は東京優駿ではなく優駿牝馬などを目指すことが一般的となっている。ウオッカはより勝率が高いと思われる優駿牝馬ではなく、あえて困難といわれる東京優駿へ挑戦した点において高い評価を得ているといえる。

馬名の由来

父・タニノギムレットの馬名の由来であるギムレットジンがベース[4]カクテルであるが、馬主の谷水は、父よりも強くあってほしいとジンよりもアルコール度数が高い(強い)酒であるウォッカから「ウオッカ」と名付け(小文字の「ォ」は使用できなかったらしい要出典)、同様にストレート(に命名すること)の方がアルコール度数が高い(強い)という意味で「タニノ」の冠名を付けなかった。

血統表

ウオッカ血統ヘイルトゥリーズン系/Graustark 4×5=9.38%(父系))

タニノギムレット
1999 鹿毛
* ブライアンズタイム
Brian's Time
1985 黒鹿毛
Roberto Hail to Reason
Bramalea
Kelley's Day Graustark
Golden Trail
タニノクリスタル
1988 栗毛
* クリスタルパレス
Crystal Palace
Caro
Hermieres
* タニノシーバード Sea-Bird
Flaxen

タニノシスター
1993 栗毛
* ルション
Rousillon
1981 黒鹿毛
Riverman Never Bend
River Lady
Belle Dorine Marshua's Dancer
Palsy Walsy
エナジートウショウ
1987 鹿毛
トウショウボーイ * テスコボーイ
* ソシアルバターフライ
コーニストウショウ * ダンディルート
ローズトウショウ F-No.3-l
  • 父・タニノギムレットについては同馬の項を参照。馬主の谷水家が経営するカントリー牧場の育てた牝系から出た東京優駿勝ち馬である。
  • 母・タニノシスターは中央競馬5勝。半弟にガーネットステークス勝ち馬・スリーアベニュー(父・アフリート)。JRAが購入、育成した後に馬主に譲渡される抽せん馬として谷水が入手した。
  • 祖母・エナジートウショウの全妹に桜花賞馬・シスタートウショウ、全弟に北九州記念勝ち馬・トウショウオリオンがおり、日本競馬史上の一大牝系であるシラオキ系に属する。その他の近親に重賞5勝のシーイズトウショウなどがいる。
  • 2007年8月24日に行われたサマーセール(最終日)で叔父に当たるエナジートウショウの2006(父・アグネスタキオン)が同セール最高価格となる2600万円(税抜)で落札された。
先代:
テイエムプリキュア2005年
JRA賞最優秀2歳牝馬
2006年
次代:
-
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  1. ちなみにウオッカと共に東京優駿に出走したアドマイヤオーラはビワハイジ産駒である。
  2. 2007年5月24日大阪スポーツ23面「聞かせて!!核心」
  3. クリフジの時代には現在の優駿牝馬に相当する阪神優駿牝馬は初夏ではなく秋季に開催されていた。従って3歳馬の上半期の目標は牡馬も牝馬も東京優駿競走であり、優駿牝馬を回避してあえて東京優駿に出走したウオッカとは事情が異なる。ヒサトモの時代に至っては阪神優駿牝馬はまだ設立されておらず、こちらも上半期は東京優駿大競走を目標とする競走体系だった。上記の2頭以外にも1947年にはトキツカゼが農林省賞典(現在の皐月賞)を制覇し、その後東京優駿競走に出走し2着。また、本馬の6代母・シラオキ1949年の優駿競走で2着に入っている。
  4. ウォッカをベースにしたギムレットも存在する。