麻生太吉

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麻生 太吉(あそう たきち、安政4年7月7日1857年8月26日) - 昭和8年(1933年12月8日)は日本の炭鉱業者、実業家政治家。第92代内閣総理大臣麻生太郎の曽祖父。

麻生商店社長、石炭鉱業連合会会長、九州水力電気社長、衆議院議員貴族院議員等を歴任した。

年譜[編集]

  • 1857年 - 7月、筑前国嘉麻郡栢ノ森村(現在の福岡県飯塚市柏の森)に村の庄屋(今でいう村長)を務めていた父賀郎、母マツの子として生まれる。幼名は鶴次郎。
  • 1868年 - 1月、村に対する貸渡金595両余を免除したことにより倅代まで“大庄屋格”を申し付けられ、麻生苗字名乗りを許される。
  • 1869年 - 上野彦三郎私塾に入り修学
  • 1871年 - 6月、檀那寺川島正恩寺住職井上誓存について修学
  • 1872年 - 太吉と改名。目尾御用山を共同で採掘し、初めて石炭鉱山事業に着手。11月、立岩村副戸長。
  • 1873年 - 2月、福岡県鞍手の吉川半次郎6女ヤスと結婚。10月、忠隅山王谷採炭。11月、有井山採炭。
  • 1874年 - 11月、長女真由子誕生。
  • 1876年 - 2月、次女タケ誕生。
  • 1877年 - 9月、有井開ヶ谷坑採炭。
  • 1878年 - 9月、母・マツ死去(44歳)。12月、川島村立岩村戸長(~1881年11月)
  • 1879年 - 1月、有井泉ヶ谷坑採炭。
  • 1880年 - 4月、鯰田浦田坑及寺ヶ坂坑、綱分煽石坑採炭。10月、平恒煽石山採炭。
  • 1881年 - 2月、泉鳥羽坑採炭、網分傍子ヶ浦煽石坑を採炭。11月、立岩村戸長(~1882年10月)。
  • 1882年 - 3月、鯰田大師坑採炭。7月、長男太右衛門誕生。
  • 1883年 - 4月、立岩村川島村戸長(~1884年4月)
  • 1884年 - 1月、有井下鳥羽坑採炭。2月、鯰田炭鉱開坑。
  • 1885年 - 10月、忠隅炭坑採炭。12月、2男鶴十郎誕生。
  • 1887年 - 1月、立岩村外四ヶ村村会議員当選。5月、父賀郎死去(68歳)。9月、3男太郎誕生。
  • 1888年 - 1月、三緒社及び徳明社を組織。2月、嘉麻煽石社を組織。9月、嘉麻炭坑を株式会社化。
  • 1889年 - 4月、鯰田炭坑を三菱に譲渡。5月、嘉麻煽石社社長就任
  • 1890年 - 6月、笠松炭坑(通称:獅子場炭坑)開坑。
  • 1891年 - 4月、筑豊興業鉄道株式会社常議員就任。7月、笠松炭坑廃坑。忠隅炭坑浸水事故。3女ヨネ誕生。
  • 1893年 - 6月、4男太七郎誕生、11月、筑豊石炭鉱業組合常議員就任
  • 1894年 - 4月、忠隈炭坑を住友家に譲渡。9月、上三緒炭坑開坑
  • 1896年 - 3月、株式会社嘉穂銀行頭取就任。4月、若松築港株式会社監査役就任、12月、合資会社幸袋工作所取締役就任
  • 1897年 - 4月、九州鉄道株式会社取締役就任。
  • 1898年 - 8月、第6回衆議院議員総選挙福岡県選挙区より出馬、当選。
  • 1901年 - 5月、豆田炭坑開坑。
  • 1902年 - 1月、藤棚炭坑を譲り受ける。5月、4女理沙誕生。
  • 1903年 - 4月、笹原炭坑経営に参画
  • 1905年 - 1月、九州コークス株式会社取締役。
  • 1906年 - 4月、綱分炭坑開坑。7月、南満州鉄道株式会社設立委員。
  • 1907年 - 7月、藤棚本洞両炭坑を三井鉱山に譲渡。
  • 1908年 - 10月、嘉穂電燈株式会社取締役社長。11月、久原炭坑買収
  • 1909年 - 5月、吉隅下臼井炭坑開坑。11月、西本願寺より本山勘定方を依嘱。
  • 1910年 - 3月、山内農園を開始
  • 1911年 - 3月、筑豊石炭鉱業組合総長就任 6月、貴族院議員 9月:孫太賀吉誕生
  • 1913年 - 7月、九州水力電気株式会社取締役
  • 1916年 - 6月、大分紡績株式会社取締役
  • 1917年 - 11月、東洋製鉄株式会社取締役
  • 1918年 - 5月、麻生商店を株式会社化し、社長に就任。6月、貴族院議員2期目
  • 1921年 - 7月、渋沢栄一中野正剛らと共に国士舘維持委員。10月、石炭鉱業連合会長就任。
  • 1924年 - 6月、杖立川水力電気株式会社社長、9月、夫人ヤス死去(68歳)
  • 1927年 - 3月、朝鮮総督府より安眠島の払い下げを受け、5月、安眠島林業所を開設。
  • 1928年 - 11月、筑後電気株式会社社長就任
  • 1929年 - 12月、九州産業株式会社社長就任
  • 1930年 - 3月、日本産業協会評議員。4月、延岡電気株式会社社長。8月、九州保全株式会社社長。10月、九州電気軌道株式会社取締役。12月、昭和電燈株式会社社長。
  • 1931年 - 1月、九州電気工業株式会社社長。3月、全国産業団体連合会委員及西部産業団体連合会委員長。6月、小国水力電気株式会社社長。
  • 1933年 - 3月、福岡県国防会参与。7月、嘉麻興業株式会社設立。11月、九州産業鉄道、九州産業合併セメント製造業に参入し、産業セメント鉄道株式会社設立。12月、死去。従五位に叙せられる。

家族 親族[編集]

  • 父 - 賀郎(? - 1887、庄屋
  • 母 - マツ(? - 1878、福岡県、永富家出身)
  • 妻 - ヤス(? - ?、福岡県、吉川(きっかわ)半次郎六女)
    • 長女 - マツ(1874 - ?、吉川半次郎の孫、「吉川監十郎」に嫁する)
    • 二女 - タケ(1876 - ?、酒造家「吉田九右衛門」に嫁する)
    • 長男 - 太右衛門(1882 - ?、吉川半次郎の孫、「ミサオ」を妻とする)
    • 二男 - 鶴十郎
    • 三女 - ヨネ(「麻生義之助」に嫁する)
    • 三男 - 太郎(1887 - 191?,192?、子爵加納久朗(かのうひさあきら)の妹、「夏子」を妻とする)
      • 孫 - 麻生太賀吉(1911 - 1980、実業家、政治家)
        • 曾孫 - 麻生太郎(実業家、政治家「第23代自由民主党総裁・日本国第92代内閣総理大臣」)
      • 孫 - 麻生典太(191? - ?)
    • 四男 - 太七郎(医学博士藤沢幹二の妹、「きみ」を妻とする)
    • 四女 - ふよ(「麻生五郎」に嫁する)

系譜[編集]

  • 簡略
        ┏太吉━┳━太右衛門
        ┃   ┣━鶴十郎
        ┃   ┣━太郎━┳太賀吉━━太郎
        ┃   ┃    ┗典太━━誠
        ┃   ┣━太七郎━━三郎
        ┃   ┣━ヨネ
        ┃   ┃  ┣━━┳義太賀
太右衛門━賀郎━┫   ┃麻生義之助┗太介
        ┃   ┗━ふよ
        ┃     ┣━━┳忠二
        ┃    麻生五郎┗欣次郎
        ┃ 
        ┃
        ┗太七━━花
             ┣━┳太喜蔵
          麻生太三郎┣吉郎
               ┣純三
               ┗静四郎
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関連[編集]

外部リンク[編集]