霊魂

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霊魂(れいこん)とは、一般に生物、特に人間が生きている間はその体内にあって、生命の源や精神そのものとされる、人や生物の死生観の根源的な解釈のための概念の一つ。(たましい)ともいう。

生物について、その肉体以外の部分を言い表す概念であり、また、肉体・精神とともに生命の三要素のうちの一つとされる。と同一視される事もある。ぬと肉体から離れて「あの世」(死後の世界、霊界)へ行ったり、「この世」(生者の世界、現世)に影響を及ぼしたりすると考える文化・思想も存在する。あの世に還った霊魂が、再びこの世に生まれ変わるという考えが、輪廻転生(転生輪廻)の思想である。

(れい、たま)もほぼ同一の概念だが、現代では死者の霊のことを指す場合が多い。また、そこに何かいると感じられるが、実体としては捉えられない現象や存在聖霊など)のことを指すこともある。

一方、大和言葉(たましい)の方は、信念や思想、あるいはその心を表現する言葉としても慣用的に使われる。

起源[編集]

人類誕生以来、いつ頃から「霊魂」という概念が芽生えたかははっきりわかっていない。ホモ・エレクトス以前の古人類には死者を埋葬した証拠が発見されていない。ネアンデルタール人については、(一部に否定説はあるが)死者を埋葬し花を供えるなどの宗教行為を思わせる遺跡が幾つか知られており、これらの行動や文化の原動力として原初的な死生観を持ちえていた可能性があるとする解釈も主張されている。クロマニヨン人などホモ・サピエンス段階になると、より手の込んだ埋葬方法や墓制の存在がはっきりしており、食料や道具などの供物、墓の上に大石を置いたり死体の手足を縛って埋葬するといった風習もあって、原始的な宗教観念と霊魂への慕情や恐れの観念も、より明確であったと思われる。

宗教などにおける説明[編集]

多くの宗教においては、人は死んでも意識あるいはそれに近いものは霊魂となって残ると説く。霊魂は生前暮らしていた土地に鎮まるとも、黄泉のような霊魂の住まう世界に旅立つともいう。霊魂の存在は、しばしば道徳倫理などと結びつけて語られる。キリスト教などが説くように、生前の行いに応じて天国地獄などに送られるともいわれる。あるいはヒンドゥー教のように霊魂は生前の行いに応じて転生すると説く宗教も有る。仏教の一部(大乗仏教)でも、六道の間を輪廻すると説く。

古代エジプト[編集]

古代エジプトでは、霊魂は不滅とされ、死者は復活するとされていた。オシリス死と再生を司る神として尊崇された。 自然界のあらゆるものに霊が宿るとされ、霊にも人間と同様に感情や弱点、欠点があると考えられていた[1]。定められた呪文を唱えたり定まった儀式を行うことによって願望を神に伝えたり、動植物の霊と交流したり、病人から苦痛の原因である悪霊を追い出すことや、死者に再び魂を入れる役割の神官、祭司(魔術師)などがいた[2]

人の魂は5つの部分から成っているとされた(アルファベット表記なら、Ren、Ba、Ka、Sheut、Ibの5つ)[3]。死者の魂(Ba バー)のよりどころとして死者の体をミイラにして保存した。死者の魂が無事冥界に渡り、将来死者が甦るようにと、ミイラ作成期間の70日ほどの間、祭司は何度も大量の呪文を唱えた[4]。『死者の書』(死者の霊魂が肉体を離れて冥府に至るまでの過程を描いた書)が死者とともに埋葬されることもあった。 ピラミッド・テキストと呼ばれる初期の死者埋葬のテキストでは、死者が行くのは天の北にある暗黒の部分であり、そこで北極星のまわりの星とともに、霊(エジプト語でアク)として永遠の命を生きる、とされた[5]

古代ギリシャの哲学[編集]

プラトンは対話篇において霊魂の働きに着目しつつ探求した。『パイドン』および『メノン』においては、永遠の真理を認識する方式として想起論を提示し、その前提として霊魂不滅説を唱えた。

キリスト教など[編集]

欧州においては人間を構成する要素は霊魂(アニマ、ANIMA)、精神(SPIRITVS)及び肉体(CORPVS)であり、錬金術ではこれらは三原質と結び付けられて考えられていた。また、3という数からキリスト教では三位一体に比せられることも多かった。霊魂と精神は肉体に宿り、肉体が滅びると精神と霊魂は分かれると考えられており、霊魂と精神は肉体という泉を泳ぐ二匹の魚に擬せられたこともあった。ここにおける霊魂は人間の本能のようなものであり、成長することはないと考えられていたのに対し、精神は理性のようなものであって成長するものであるとされていた。 精神の成長は人格に比例して大きくなる、という見解もある。

ヴェーダやウパニシャッド[編集]

『リグ・ヴェーダ』などのヴェーダ聖典では、人間の肉体は死とともに滅しはするものの、人間の霊魂は不滅である、とされていた。同聖典では、人間の死後に肉体を離れた霊魂は、火神アグニなどの翼に乗って、最高天ヤマの王国にたどり着き、そこで完全な身体を得る、とされた。

後のウパニシャッドにおいては、死者の魂は、解脱する人の場合は"神道"を通ってブラフマンに至り、善人の場合は祖道を通って地上に再生する、と説かれた(「二道説」と呼ばれる)。そして解脱することがウパニシャッドの目標となった。

霊魂を示す言葉としては「アス」「マナス」「プラーナ」「アートマン」といった言葉が使われた。その中でも「アートマン」はウパニシャッドの中心概念となっている。

中国の宗教(道教など)[編集]

中国の道教では(はく)という二つの異なる存在があると考えられていた。魂は精神を支える気、魄は肉体を支える気を指した。合わせて魂魄(こんぱく)ともいう。魂と魄はの思想と結びつき、魂は陽に属して天に帰し、魄は陰に属して地に帰すと考えられていた。民間では、三魂七魄の数があるとされる。三魂は天魂(死後、天に向かう)、地魂(死後、地に向かう)、人魂(死後、墓場に残る)であり、七魄は喜び怒り哀しみ、懼れ、、惡しみ、欲望からなる。また、殭屍(キョンシー)は、魂が天に帰り魄のみの存在とされる。(三魂は「胎光・爽霊・幽精」「主魂、覺魂、生魂」「元神、陽神、陰神」「天魂、識魂、人魂」、七魄は「尸狗、伏矢、雀阴(陰)、容贼(吝賊)、非毒、除秽(陰穢)、臭肺」とされることもある。)

日本の土俗信仰や神道[編集]

日本神話には、イザナギが黄泉の国にいるイザナミを訪ねるという話がある

霊は怨霊悪霊となって人間に病気や災いごとをもたらすともいわれ、日本では特に平安時代を中心として、天災や伝染病を非業の死を遂げた人物の怨霊の祟りとして恐れ、これを鎮め祀ることで社会の平安を願う御霊信仰が興った。その代表が菅原道真を祀る天神信仰である。

神道では、特に優れた事績を残した人物の霊魂は、あるいはこれに相当する存在となると考えることがある。

尊敬語はいずれも御霊(みたま)。また明治以降、戦死者の魂のことを敬っていう場合は特に「英霊」(えいれい)という[6]

イタコなど、霊と交流することができる霊媒の能力を持つと自称する人も存在する。

外部リンク[編集]

心霊主義など[編集]

霊魂は死者の身体からのみならず時に生きた人間から抜け出す「幽体離脱」を起こし、宙に浮かび「浮遊霊」あるいは「亡霊」としてさまようことや、それが他の生物に乗り移る「憑依」を起こすこともあるといわれている。あるいは高い能力を持つ霊は「守護霊」として人間を守護したりするともいう。

霊媒が霊を説得したり、鎮めたり、祓ったり、あるいは浄化することによって病気や不幸を取り除くことが出来る「心霊治療」という話もよく聞かれる。

懐疑主義[編集]

その実在や根拠の論理的な証明がきわめて困難であり、人間には知ることが出来ないか、または知りえる機会がまだ訪れていないとする立場(未来には技術の進歩などで知ることが出来るようになるかもしれない)。霊魂などの存在を必ずしも否定していない点では無神論と異なる。 このうち永久に知ることが出来ないとする立場は不可知論に連なる。

古代インド[編集]

仏教興隆期のインドのサンジャヤ・ベーラティプッタは来世に関する4つの問いを設け「来世は存在するか?」「来世は存在しないか?」「来世は存在しかつ存在しないか?」「来世は存在するわけでもなく、存在しないわけでもないか?」それぞれすべてに対して「私はその通りだとも考えないし、別だとも考えない、そうでないとも考えないし、そうでないのではないとも考えない」として確答を避け、不可知論の立場をとった。このような態度はゴータマ・ブッダの無記の立場と通じあう点がある、とされる[7]。仏教では「無我」を説いて霊魂を否定した、ともされる[8]。また初期仏教では「無我」は「霊魂がない」と解するのではなく「非我」の訳語が示すように、「真実の我ではない」と解すべきもの(自他平等の境地を目指した思想)である、ともされている[9]

現代の懐疑主義[編集]

現代の懐疑主義者らは、主として心霊主義などの霊魂の検証の方法の不備などを指摘し、それを疑似科学だとしている。[10]そして霊魂はオカルト迷信だとしている。[11]現代の懐疑主義は宗教が衰退した時代背景を反映して、無神論・無宗教に近くなっている一面がある。(そうでない人も居る)

学問[編集]

霊魂については、民俗学文化人類学などといった人文科学からの研究がある。霊や魂といった概念の変遷についての研究などがある。

芸術における霊魂[編集]

芸術の領域からみると、霊魂の存在あるいは、霊魂になって何かをするというのは、一つの魅力的なテーマである。日本神話にも、イザナギが黄泉の国にいるイザナミを訪ねるという話があるし、似たモチーフは世界の他の神話にも見受けられる。

  • 映画「21g」:人が死ぬ前と死んだ後で21gだけ重さが違うという話があり、それをモチーフにした映画。

霊魂と死生観・全人的健康[編集]

死生観の説明は世界観の根幹の一つであり、世界中の文化や信仰・宗教に見られるものである。死生観、すなわち、わたしたち人間にとって「人は死ぬと(その意識は)どうなるのか」ということは、人間が出現して以来文化文明というものを手にしてもなお、我々に与えられた最大の問いである。 古来より多くの神話宗教哲学芸術などの根本的な目的の一つは、これら人の生死を含む世界観や体系の説明であり、為政者や宗教者にとって最も重要な課題そして概念であった。

現代においても、魂を肯定的にとらえることが、生きがい健康といったものと深く関係があることが、様々な学者の研究によって明らかにされている[12]

死に臨んだ人々に寄り添う看護(特にターミナルケア死の準備教育など)の現場では、スピリチュアルなケアをすることも大切な課題となってきている。また、ターミナルケアに限らず、日常においても人が本当の意味で健康に生きる上で重要である、ととらえられることも増えてきている。[13]

世界保健機関(WHO)は1984年の第37回総会で決議された「西暦2000年までにすべての人々に健康を」の決議前文で、健康が含むスピリチュアルな側面について言及した。さらに、1999年の総会においては、健康の定義文に以下の語も加えることを提案した。

健康とは身体的・精神的・霊的・社会的に完全に良好な動的状態であり、単に病気あるいは虚弱でないことではない。[14]

脚注・出典[編集]

  1. 吉村作治『ファラオと死者の書 古代エジプト人の死生観』p.37
  2. 吉村作治『ファラオと死者の書』p.41
    • Allen, James Paul. 2001. "Ba". In The Oxford Encyclopedia of Ancient Egypt, edited by Donald Bruce Redford. Vol. 1 of 3 vols. Oxford, New York, and Cairo: Oxford University Press and The American University in Cairo Press. 161–162.
    • Allen, James P. 2000. "Middle Egyptian: An Introduction to the Language and Culture of Hieroglyphs", Cambridge University Press.
  3. 吉村作治 同書 p.55
  4. 吉村作治 同書 pp.74-75
  5. 大辞泉
  6. 岩波書店『哲学・思想事典』、「懐疑主義」の項
  7. 岩波『哲学・思想事典』、「霊魂」の項。
  8. 同項。
  9. 霊魂が関係することがらは、商法などの法律あるいは司法的議論に馴染まない点や扱いづらい点が多々あり、悪意がある者などによって霊感商法などの詐欺の手段として用いられることがあるので、そういった場面では懐疑主義も一定の役割を果たしている。
  10. これらの言葉はレッテル貼りに使われやすい一面もある。
  11. (大石和男は専修大学教授、安川道夫は専修大学教授、濁川孝志は立教大学教授、飯田史彦は福島大学教授)
    • 熊野道子 2003「人生観のプロファイルによる生きがいの二次元モデル」(『健康心理学研究16』pp.68-76)
    • 熊野道子 2005「生きがいを決めるのは過去の体験か未来の予期か?」(『健康心理学研究18』pp.12-23)
    • 佐和田重信、興古田孝夫、高江州なつ子他 2003「伝統的信仰意識が地域高齢者のメンタルヘルスに及ぼす影響についての検討」(『民族衛生69』pp.124-125)
    • 興古田孝夫、石津宏、秋坂真史、名嘉幸一、高倉実、宇座美代子、長濱直樹、勝綾子 1999「大学生の自殺に関する意識と死生観との関連についての検討」(『民族衛生65』pp.81-91)
    • 飯田史彦『生きがいの創造III』PHP研究所、2007年、ISBN 4569694489
  12. 関連文献: 竹田恵子、太陽好子『日本人高齢者のスピリチュアリティ概念構造の検討』(川崎医療福祉学会誌 Vol.16, No.1, 2006 53-66)
  13. 『健康と霊性』宗教心理出版、2001年、ISBN 4879600571

関連項目[編集]

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