西田昌司

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安倍晋三と西田昌司(JKとともに2012年12月)

西田 昌司(にしだ しょうじ、1958年(昭和33年)9月19日 - )は、日本政治家自由民主党所属の参議院議員(1期)、きょうと青年政治大学校事務総長、参議院憲法審査会幹事。

京の発言』編集長、自由民主党全国青年議員連盟会長、参議院財政金融委員会理事などを歴任。

概要[編集]

滋賀大学経済学部出身。『発言者』等で言論活動を行う。『京の発言』編集長を歴任。京都府議会議員を経て、2007年(平成19年)より自由民主党参議院議員

予算委員会では税理士としてのスキルを生かして国政の不正を問い質し、財政金融委員会等では専門家からの評価も高いマクロ経済学理論を応用した政策提言を行う。

2009年自由民主党総裁選挙では党内の一部で西田総裁案も上がったように注目されることが多く、国会質疑や党執行部に対する発言などがメディアに取り上げられる機会も多い。

2011年(平成23年)からは外国勢力に関わる問題の追及を集中的に行い、2012年(平成24年)1月30日には安倍晋三とともに特定勢力からサイバーテロを受ける。

来歴[編集]

生い立ち[編集]

1958年(昭和33年)に京都府京都市で生まれる。父は参議院議院運営委員長などを歴任した西田吉宏。吉宏が養鶏場の経営に携わっていた少年期は、商品価値の無い鶏肉麦ご飯、そして料亭から調達してきた飼料用の魚のアラを食べて育ったという(ただし、「それでも不思議に、貧しいという思いはありませんでした」と回顧している)。また、今ではその著書やTPP問題などでアメリカに対して懐疑的かつ強硬な姿勢を取る政治家として知られているが、幼き頃はアメリカナイズされた戦後世代の一般的な日本人と同様に、アメリカに対する憧れが非常に強かったと述懐している。

言論と税務のプロへ[編集]

京都市立塔南高等学校を経て、1981年(昭和56年)に近江商人の伝統を引く滋賀大学経済学部を卒業。滋賀大卒業後は日本税理士会連合会会長を歴任する森金次郎の税理士事務所に勤務し、1987年(昭和62年)には自身の税理士事務所を開設して独立する(後年には、この税務スキルを武器に国政の不正を正してゆき、「政治資金収支報告書を読むプロ」と称されるようになる)。またその一方で、西部邁佐伯啓思宮本光晴らとともに『発言者』等で言論活動を行い、その姉妹誌にあたる『京の発言』では編集長を兼任し、京都『発言者』塾では世話人代表を務める。

京都府議時代[編集]

当初は政治家になるつもりはなかったが、1990年(平成2年)の京都府議会補欠選挙で、立候補予定者が家庭の事情で不出馬となり、急遽お鉢が回ってきて出馬し初当選(翌年の京都府議会選挙では、前原誠司が初当選を飾っている)[1]。以後、5期に渡ってトップ当選を続ける。この間、京都府議会総務常任委員会委員長、自民党全国青年議員連盟会長などを歴任。この府議時代の共産党とのディベート情報戦や毎朝の街頭遊説によって、後に国政で注目されることになる討論力が鍛えられたと言われている。そして2000年(平成12年)には、初代事務総長としてきょうと青年政治大学校の設立に携わる。

国政進出と政権交代[編集]

2006年(平成18年)秋、参議院議員を務めていた父・吉宏が末期癌の宣告を受ける。当時の首相・安倍晋三が掲げていた政治信条と自身の信条が合致していたこともあって、自民党の予備選考で候補者となり、2007年(平成19年)7月第21回参議院議員通常選挙京都府選挙区から自民党公認で出馬し当選する。2008年自由民主党総裁選挙では麻生太郎を支持。2008年(平成20年)の参議院決算委員会より、小沢一郎鳩山由紀夫の「政治とカネ」問題を追及し、徐々にメディアにも取り上げられるようになる。

政権交代後の2009年自由民主党総裁選挙では、党内の一部で西田を総裁候補にしようという動きが起こり、西田自身もそれを画策しているかのような報道がなされたが、本人はその動きには関与しておらず、稲田朋美らとともに平沼赳夫を自民党に復党させ総裁候補にしようと安倍晋三らに働きかけていた(結果的には、平沼が固辞したため同じ京都府選出の谷垣禎一に投票したが、平沼は2010年与謝野馨藤井孝男園田博之中川義雄ら自民党議員を引き連れて「たちあがれ日本」を結成する)。

2010年(平成22年)4月に発足した政権力委員会(ネクスト・ジャパン)において、治安・法務・政治改革部門の副担当(副大臣相当)に就任。その他、参議院予算委員会理事、参議院財政金融委員会理事、参議院自由民主党国会対策委員会副委員長などを務める。2010年(平成22年)9月の自民党参議院議員会長選挙では、町村派所属ながら同派幹部の谷川秀善参議院幹事長ではなく、無派閥に転じた中曽根弘文外務大臣の推薦人に派閥政治を否定する形で名を連ねる。

外国勢力追及とサイバーテロ[編集]

2011年(平成23年)3月以降、前原誠司野田佳彦蓮舫菅直人らの在日外国人暴力団関係者との「政治とカネ」問題及び「黒い関係」問題、「市民の党」や「がんばろう、日本!」国民協議会に関する「民主党の闇」問題を追及(詳細は西田昌司#発言・活動前原誠司#在日韓国人献金問題・引責辞任野田佳彦#政治資金問題蓮舫#暴力団関係者から献金菅直人#在日韓国人違法献金問題などを参照のこと)。

2012年(平成24年)1月30日YouTubeの公式チャンネル内においてサイバーテロを受ける。過去には「西田昌司に外国人献金をしましょう」といったメールやツイートが出回ったり、脅迫や在日外国人関係の団体から突然郵送物が届くといった事が頻繁にあったという。翌31日、安倍晋三のオフィシャルサイト内においても同様の被害を受けていたことが明らかとなり、また発信源が国外であったことなどから、特定勢力による保守系議員を狙った組織的犯罪である可能性が高いと見られている。

安倍自民党の下で[編集]

2012年9月に実施された自由民主党総裁選挙安倍晋三の推薦人に名を連ねる。当初は安倍に対して次回の総裁選まで出馬を見送ることを促していたが、中国の強攻策や党執行部の分裂など政局の変化もあり出馬を支持。同年10月4日には、参議院議員有志32名からなる「新しい日本型社会を考える会」(経済政策担当)を代表して、市場第一主義との決別や自立的な安全保障体制の確立等を主旨とした政策提言を行う。同月発足の自由民主党シャドウ・キャビネットでは影の財務副大臣に就任。

思想・政策[編集]

正論』2012年3月号の特集「2012年注目の政治家50人を値踏みする」では、注目を集めることの多い国家観歴史観だけでなく、経済政策の面でも評価されており、安倍晋三石原慎太郎小泉進次郎とともに、10点満点中9点の評価を得ている。また、同誌2011年4月号の特集「これが日本再生の救国内閣だ」では、計7人の識者よりそれぞれ、財務大臣(2人)、経済産業大臣(2人)、厚生労働大臣(1人)、国土交通大臣(1人)、拉致問題担当大臣(1人)に推薦されている。

倫理教育[編集]

政治家がまずは国民に規範的な倫理行動を示さなければならないとして、政治資金の出所・使途が国益及び国内法に反する政治家や、詭弁を弄して国民に向き合わない政治家に対して、自党・他党問わずその根源を問い質してきた。その上で政治家は、憲法教育基本法の制定時の歴史的背景を国民に知らせる義務があり、それらを含めた日本の歴史と日本人の心は、家庭教育と地域教育を主な母体として、永続的に伝えられていかなければならないとしている。

法務行政[編集]

幹事を務める憲法審査会では、憲法とは国柄を表明するものであるという観点から、伝統文化も異にするアメリカ人がその自国語でもって数日で書き上げたものを、主権を失していた占領下において公布・施行した現行憲法にあっては、日本人が祖先から受け継いできた悠久の歴史を担保する相続人としての権利を行使できていないとして、まずはその制定過程の瑕疵の問題及びそこから生じている正当性・有効性の問題の議論から始めるべきことを主張している。その上で、国柄の象徴である皇統の維持が絶対的に担保される仕組みを法制度に組み込まなければならない必要性を提起している。

財政金融[編集]

小泉竹中聖域なき構造改革に関しては、2003年(平成15年)出版の『政論Ⅱ―政治の原点を問う』以前より反対の意を表明してきた。民主党政権下における財政金融委員会などでは、デフレ復興需要が相交わる経済状況の中にあって、有効な財政出動金融緩和を行わずして増税路線に走るのは順序が違うとしている。その理論の根底にあるのは「経済は生き物」という考えで、二項対立的に捉えられることの多いハイエクケインズの理論も当時のそれぞれの状況に応じて構築されたように、その都度の病状(経済状態)の見立て(分析)に合った治療(政策)を行なっていかなければならないと主張する。

外交安保[編集]

実質的には日米FTAとなるTPPへの参加については、アメリカISD条項など日本にとってリスクの高い条件を提示しようとしている以上、日本は農業だけでなく国内産業全般をその犠牲にすることになるとして反対してきた。これは、経済政策と同様に外交政策においても、交渉上の方針はそれぞれの状況や条件に適合させていかなければならないという考えからくる主張であり、親米親中といった思想・政策上の立場に対しては疑問を呈している。また、親米保守親中派保守主義者といったものは理論上成立しえず、日本の伝統や精神を思想・政策上の主軸に据える「保守」に反する「反日保守」であると断じた。

発言・活動[編集]

2010年以前[編集]

  • 2009年(平成21年)の政権交代以前より、小沢一郎鳩山由紀夫の「政治とカネ」問題を取り上げてきた。政権交代後も、予算委員会などでこの問題を追及し幾度も審議をストップさせている。また、同じ自民党所属の二階俊博鳩山邦夫の「政治とカネ」問題に対しても一貫して厳しい姿勢を取り続け、党に対して両者の処分を要求してきた。これらの問題を追求するにあたって、西田は「国民の良識に訴えていきたい。もし事故にあったり私の家族が巻き込まれたり、変な死に方をしたら、なにかあったと思ってほしい」と述べている。
  • 2010年(平成22年)8月4日参議院予算委員会において、仙谷由人内閣官房長官日韓基本条約の有効性について不明瞭な発言をしたためその認識を問い質し、外交政策上そのような言動は通用しないことを指摘。また同委員会では、仙谷が「よく耳をほじくって、刮目してお聞きいただければですね(後略)」と国会での政府答弁としては異例の俗語を使って反論してきたことから、「真面目に答えろ!何だその言い方は!」と非難したが、仙谷とは同年10月14日の参議院予算委員会や同年10月28日の参議院内閣委員会でも引き続き同様の激しいやり取りが繰り返された。その両委員会における質疑では、岡崎トミ子国家公安委員会委員長2003年(平成15年)に韓国ソウルでの元慰安婦による日本大使館への抗議行動(水曜デモ)に国会議員として参加していた事実を明らかにし、国家公安委員長はそのような反日行為を取り締まるべき役職にあることを指摘して、菅直人首相に対して罷免を要求するとともに、岡崎が国会議員の資格すらないことについて言及。

2011年前半[編集]

  • 2011年(平成23年)3月4日参議院予算委員会において、前原誠司外務大臣が巨額脱税事件に関与していたS氏の関係会社から献金を受けていた問題及びその際の政治資金収支報告書に虚偽の記載をしていた問題について、S氏を野田佳彦財務大臣蓮舫行政刷新担当大臣だけでなく民主党本部にも紹介して献金を受けさせていた事実を認めさせた上で、S氏が覚醒剤保有で逮捕された暴力団関係者である事実を明らかにし、前原と野田の虚偽記載は暴力団関係者からの献金を隠蔽するためのものであったという疑いを新たに浮上させた(なお、前原は2006年偽メール問題の際、武部勤自民党幹事長に対して議員辞職を要求している)。続いて前原に対し、自身の知人から得た情報を手引きとして、献金を受けていた相手が韓国国籍在日外国人と認知していたかどうかを確認していったところ、古くからの親しい支持者で認知していたという旨の答弁をしたことから、前原が政治資金規正法の抵触による公民権停止の対象者に該当していることを指摘。そして、菅直人首相に続出する問題に対する責任を求めるとともに、前原の議員辞職を要求。前原は二日後の3月6日に早くも外国人献金問題のみを理由として大臣の職を辞任したが、西田は更なる疑惑・問題の追求で前原に纏わる「民主党の闇」問題を明らかにさせようとしていたことから、「朝鮮総連との関係を含めていろいろある。そこをやる予定だったが、勝手に自爆して…」と発言した。
  • 2011年(平成23年)3月31日参議院本会議での議員歳費減額法の採決では、まず復興財源には子ども手当を廃止して充てるべきだとして、衆議院・参議院を通じてただ一人反対票を投じた。また、2012年(平成24年)2月19日の参議院本会議での国家公務員給与を平均7.8%削減する法案の採決では、現在の状況での公務員給与引き下げはデフレ脱却につながらず、そもそもこの給与削減法は民主党と連合が実現を目指している国家公務員の労働協約締結権の導入につながるものとして、自民党でただ一人造反した。

2011年後半[編集]

2012年[編集]

人物[編集]

発信[編集]

  • WiLL』や『表現者』、自身が編集長を務めていた『京の発言』などで執筆活動を行う。街頭演説は京都府議時代、京都府内の駅前で悪天候の日も毎朝こなしていた。また、インターネットテレビ超人大陸』やビデオレターなどを通して毎週メッセージを発信しており、これらはYouTubeニコニコ動画を合わせて毎週数万単位で視聴されている(自身のYouTubeアカウントで公開されているものに限れば、2012年1月30日までに合計114万視聴)。
  • 山本一太参議院で最もネット視聴数が多いのは西田の国会質疑と指摘するように、国会における西田の発言はジャーナリスト評論家からも注目を集めており、2012年(平成24年)4月4日参議院予算委員会では、そのことを意識してか石井一委員長が「以上で、西田劇場…西田昌司君の質疑は終了いたしました」などと言って締めくくった。また、国会のネット視聴数は2009年(平成21年)から急増しており(特に参議院は2009年の約205万視聴から2010年1月~11月の約769万視聴と約3.8倍)、西田は視聴上位5回のうち4回で質疑に立っている。

交友[編集]

  • 西部邁については「一番尊敬する人物で、師匠である」と述べているように、数十年来の付き合いで公私ともに親交が深く、西部が司会を務める東京メトロポリタンテレビ西部邁ゼミナール』に計37回出演(2012年7月現在)しているほか、各種シンポジウムや討論番組などでもたびたび共演している。また、西部はその著書の中で西田を「今の自民党における最後の優れた人材」と評している。
  • 稲田朋美との信頼関係は厚く、各種シンポジウムや部会などでも行動を共にすることが多い。稲田は「自民党の中で頼りになるのは西田昌司くらいです」「味方がほしい時には西田昌司にメールして、すぐ来てと。来たら、彼が自説を言いますから」と述べている。
  • 田中康夫とは思想は違えど政治に対する姿勢は共鳴するところが多いようで、田中は西田を畏友と呼び、西田は田中の冠番組である日本BS放送『田中康夫のにっぽんサイコー!』にたびたび出演している。また、田中は前原誠司の「口先番長」(「言うだけ番長」)に対して西田を「ブレない番長」と命名している。

異名[編集]

  • 大マスコミが切り込まない問題を取り上げることから「国会の大砲」や「国会の爆弾男」といった異名を取り、その内容のタブー性ゆえに利害関係者からの「殺してやる」などの脅迫等は止むことがないという。また「国会のヤジ将軍」と呼ばれることも多いが、各委員長が指摘しているように地声が大きいから特別目立つという側面もあり、その中身は西部邁などから「瞠目すべきものがある」と評されている。その一方で、蓮舫参議院議員などは2012年(平成24年)2月6日Twitterでそのヤジを遠まわしに批判している。稲田朋美丸川珠代森雅子とともにヤジの代表格とされ、自民党内でもそのヤジに眉をひそめる議員は少なくない。伊吹文明からは「党を代表して委員会や本会議に出る人は品格をもってやってもらいたい」「(首相を)バカだとか何だとか言うのは自民党の品位を下げ、非常に悪い印象を与える」と批判されている。
  • 一般的な愛称としては、「西やん」(番組内での安倍晋三山本一太の発言など)や銀髪かつ舌鋒鋭いことから「銀狼」(2011年8月11日2012年4月4日参議院予算委員会での宇都隆史や山本一太の発言など)と呼ばれることが多い。また、そのヤジも有村治子が即応的と評しているように「副音声」と称されることが多く、閣僚2011年11月11日2012年3月12日参議院予算委員会での野田佳彦首相安住淳財務大臣など)がその声に直接答弁することも多々ある。西田自身も「副音声もひとつの手段としてTPPへの参加をなんとしても阻止しなければならない」という旨の発言をしている。

その他[編集]

  • 2008年(平成20年)に自民党部会で人権擁護法案に反対し、地元の京都でその旨の講演をしたところ、推進派から1000万円の名誉毀損損害賠償請求を受ける。結局この請求は裁判で棄却されるも、300万円の弁護士費用を支払うことになったことから、人権を盾に他者の人権を蹂躙することを常態化させるこの法案の危険性を身にしみて感じたという。
  • 2009年自由民主党総裁選挙の際、森喜朗から立候補の打診があったことが西部邁の著書に記されている。一年生議員に対して推薦人は森自身が集めるという条件を出して本気を示したことや、西田が断った後の「西田君、こういう時期は楽しまなきゃ損だぜ」といったやり取りなどから、西部も「自民党は今なおなかなかのものだ」と再評価している[2]
  • 2011年(平成23年)6月10日参議院予算委員会開始前、窮地に陥っていた菅直人首相が天敵ともいえる西田に「いつも厳しいご質問やご指導、ありがとうございます。一度、ゆっくり食事でも」と声をかける。訝りつつ「首相を辞めたらいつでもおつきあいします」と切り返したところ、「うちのカミさんに西田さんを会わせてみたい。家庭内野党と本物の野党を引き合わせると、どういう風になるか…」という言葉が返ってきたという。
  • 2011年(平成23年)8月30日内閣総理大臣に就任した野田佳彦は、西田の国会質疑について周囲に「ムカつく」という言葉を漏らしているという。また西田のほうは、同年11月15日参議院予算委員会の質疑において、野田の自省を知らない二枚舌は民主党の先輩総理である鳩山由紀夫菅直人よりも酷いと断じている。

不祥事[編集]

  • 2012年8月16日から4日間ベトナムを私的訪問した際、参院規則で定められた請暇願や海外渡航届を参院議長に提出していなかったため、同22日に鶴保庸介参院議院運営委員長から厳重注意を受けた。

主なテレビ出演[編集]

主な著作[編集]

単著[編集]

共著[編集]

主な所属議員連盟[編集]

脚注[編集]

  1. 「真正保守政権を構想する」連続フォーラム第1回の講演など。
  2. 西部邁『小沢一郎は背広を着たゴロツキである。―私の政治家見験録―』(飛鳥新社、2010年)214頁。

関連項目[編集]

関連人物[編集]

外部リンク[編集]