織田信成

提供: Yourpedia
移動: 案内検索
織田 信成

織田 信成(おだ のぶなり、1987年3月25日 - )は、日本の元フィギュアスケート選手(男子シングル)。学歴関西大学文学部英語英文学専修卒業学位学士(文学)

主な成績に2010年バンクーバーオリンピック7位、2006年四大陸選手権優勝、2008年全日本選手権優勝、2005年世界ジュニア選手権優勝、2009年・2010年GPファイナル2位、2006年世界選手権4位など。

アマチュア引退後の現在は、プロスケーター・スポーツ解説者・TVタレント指導者コーチ)などで活動中。

人物[編集]

織田 信成

大阪府高槻市出身。大阪府立阿武野高等学校卒業。卒業後は関西大学文学部英語英文学専修に進学。2010年4月2日、関西大学学長表彰を受彰した。同月22日、中学時代の同級生だった女性(当時妊娠4ヶ月)と入籍。10月1日、第1子の男子が生まれた。

2011年3月19日に大学を卒業。4月から同大学大学院文学研究科修士課程に入学した。

2013年1月5日には第2子の男子が生まれた。

祖父・重治、父・信義は大阪通管工業所の創業者。

織田信長から数えて17代目の末裔(参考:織田信高系統(旗本高家))にあたると自称しているが、家系図などの客観的な証拠がなく、その系譜の信憑性は疑問視されている。

織田信長 - 初代:信高(七男) - 2代:高重 - 3代:一之 - 4代:信門 = 5代:信倉(養子) = 6代:信直(養子) - 7代:長孺 - 8代:長裕 - 9代:信真 - (10代から12代は不明)- 13代:豊春- 14代:重治 - 15代:信義 - 信成(次男)

途中で養子が入っており、自称する血筋としては信長の次男・信雄の子孫である。ただし「自称歴史研究家である祖父が、歴代以前に自身の親の名前すらも明らかにできていない」「9代信真(1842年生)から14代重治(1917年生)に至るまでの歴代(9~13代)がそれぞれ15歳頃に次代を産まないと都合が合わない」など、この自称経歴にはいささかの齟齬がある。2014年7月時点では13代の名前を出すと共に、9代信真を省略した家系図を公表している。

織田家の末裔と自称していることは海外でも紹介されており、デヴィッド・ウィルソンが2004-2005シーズンのフリープログラムに『座頭市』を選んだのも信長にちなんでのことだという。テレビ番組で「戦国三武将で有名なホトトギスの歌を詠むなら」とインタビューされた際は「鳴かぬなら それでいいじゃん ホトトギス」と詠んだ。2010年1月には愛知県清須市の「清須越四百年事業」のPR役として信長も居城とした清洲城の名誉城主に就任した(任期は1年間)。

大変涙もろく、現役時代から人目憚らず男泣きするシーンが数多い。2005年のスケートカナダでは、7位に終わったショートプログラム後に悔し涙に暮れたが、大逆転のフリースケーティング後には嬉し涙を流し続けている。特に2005年のNHK杯では、初優勝が決まった瞬間にキス・アンド・クライでは大声をあげながら大号泣、母親コーチの織田憲子が笑いながら信成を宥める姿が全国に大きく放映され、織田を一躍有名にした。2013年全日本フィギュアスケート選手権でも、女子シングルの鈴木明子が28歳の最高齢で同大会初優勝を果たした際、織田は鈴木と対面した時に顔を覆いながら泣き崩れ、鈴木を笑わせた。

勝負強く、本番で練習以上の力を出すこともしばしばある。3回転アクセルは2005年世界ジュニア選手権の公式練習で初めて成功した。他方、規定に反してザヤックルール違反やコンビネーションを跳び過ぎて、高難度ジャンプの得点が無効になってしまうことが、過去に公式試合で9回あった。柔軟性が高く、スピンはバリエーションが豊富。演技の流れの中で跳ぶジャンプは評価が高く、膝と足首を柔らかく使った着氷も美しい。

経歴[編集]

織田 信成
織田 信成
織田 信成

母の織田憲子が元スケート選手で、兄や姉もスケートをしていたため、自然な流れで7歳からスケートを始めた。しかし、小学生の頃はスケートを続けているとお金がかかって親に負担がかかってしまう為、スケートを止めたいと思っていた。1998-1999シーズン、全日本ノービス選手権8位。1999-2000シーズン、全日本ジュニア選手権27位。2001-2002シーズンは左腕を骨折したため競技会に出場しなかった。

2004-2005シーズン、城田憲子の紹介でカナダのリー・バーケルのもとへ渡る。初めのうちは英語も分からず苦しんだが、ジェフリー・バトルらとの練習を通じて成長した。世界ジュニア選手権で優勝。同大会男子シングルで日本人が優勝したのは、2002年大会の高橋大輔以来2人目。女子シングルの浅田真央とともに日本勢のアベック優勝となった。

2005-2006シーズンから本格的にシニア参戦。グランプリシリーズスケートカナダで3位、NHK杯では初優勝を果たし、本田武史、高橋大輔に続く日本人男子3人目のグランプリシリーズ優勝者となった。トリノオリンピック代表がかかった全日本選手権では、初め優勝と発表されたものの、採点ミスが明らかになり2位に訂正される(詳細は第74回全日本選手権を参照)。この結果、代表選考ポイントでも僅差の2位となり、トリノオリンピック出場を逃した。年が明けてからは四大陸選手権を制し(同大会での日本人男子シングルの優勝者は本田武史以来2人目)、世界選手権でも4位入賞。日本男子シングル出場枠を1から2に増やした。練習では、体力面で他の選手に劣るという指摘を受け、松本整のもとで筋力トレーニングに取り組み始めた。

2006-2007シーズン、スケートアメリカで優勝し、NHK杯では高橋大輔に次いで2位。2年連続で進んだグランプリファイナルでは銅メダルを獲得した。世界選手権ではSPで14位と出遅れたが、プログラムを『ミッション:インポッシブル』に変えて臨んだFSでは冒頭の3回転アクセル-3回転トゥループ-3回転ループから次々にジャンプを成功させて追い上げ、総合7位に入った。同時に、高橋大輔が2位になったため、2人の順位合計により翌2008年大会の日本男子シングル出場枠は3枠となった。

2007年の誕生日で20歳になったが、同年7月27日の未明には、大阪府高槻市内ミニバイクの酒気帯び運転によって警察に摘発された。前日に大阪市内で関西大学アイススケート部の顧問(同大学の学生センター長)などと酒を飲みながら競技活動と学業の両立を相談した後に、「(自宅のある高槻方面への)電車で寝過ごして時間も経っていたので、酔いもさめた」という自己判断でミニバイクを運転していたことによる。この摘発によって、日本スケート連盟からは、大会への出場停止(国際大会5ヶ月、国内大会3ヶ月)と特別強化指定選手5ヶ月間解除の処分を受けた。さらに、スケートカナダエリック・ボンパール杯への派遣も中止された。なお、復帰戦として注目された11月の西日本選手権には、「調整の遅れ」を理由に欠場。12月の全日本選手権で復帰を予定していたが、開催直前に「過度の精神的重圧」などの理由で欠場した。四大陸選手権世界選手権の出場権を得ることはできず、年明けのアイスショーにも参加しなかった。

2008年4月、ニコライ・モロゾフのコーチ就任を発表。アイスショーにも復帰した。2008-2009シーズンが始まると、ネーベルホルン杯カールシェーファーメモリアルと立て続けに優勝。国内でも西日本選手権を制し、グランプリシリーズ復帰戦となるNHK杯でも優勝。全日本選手権でも優勝した。世界選手権は、SPでフェンスに激突し、FSでジャンプの回数規定違反を犯しながらも、初めて4回転トゥループ-3回転トゥループのコンビネーションジャンプを成功させ総合7位になった。同大会で6位だった小塚崇彦との順位合計は13となり、翌2010年バンクーバーオリンピックの出場枠は辛うじて最大の「3」を確保した。

2009-2010シーズン、エリック・ボンパール杯中国杯グランプリシリーズで連勝。グランプリファイナルでは2位と好成績を残しオリンピック日本代表に内定した。バンクーバーオリンピックでは、SPでは4位と好発進だったが、FSで後半靴紐が切れたことによる演技の一時中断と、転倒による計3点の減点が響いて7位入賞に留まった(高橋大輔が3位入賞・銅メダル獲得、小塚崇彦は8位入賞)。世界選手権ではSPですべてのジャンプに失敗し28位、FSに進めなかった。

2010-2011シーズン、スケートカナダスケートアメリカともに2位に終わる。グランプリファイナルではSPでは初めて4回転トゥループ-3回転トゥループのコンビネーションジャンプに成功し1位となったが、FSでは2度のジャンプの転倒があり3位。総合では2位となった。世界選手権ではSPで2位につけながらも、FSでまたもジャンプの回数違反を犯し、総合6位に終わった。

2011-2012シーズン、かねてからの左膝蓋骨靱帯炎の治療と、膝以外の使える筋肉を使ってのトレーニングを続けながら挑んだグランプリシリーズ初戦の中国杯では2位に入ったが、第2戦のエリック・ボンパール杯では7位と沈み、3年連続グランプリファイナル進出はならなかった。全日本選手権は左膝の故障のため欠場。

2012-2013シーズン、左膝の治療とトレーニングがほぼ完了。挑んだグランプリシリーズスケートカナダ3位、ロステレコム杯5位となり、グランプリファイナル進出はならなかった。世界選手権代表をかけた全日本選手権では、SPでは転倒があり5位。FSでは4回転を決めたが、3回転アクセルの1度目で手をつき、2度目に転倒。総合で4位となり、世界選手権代表はならなかった。

2013-2014シーズン、ネーベルホルン杯ではSP、FSともに4回転に成功。FSと合計スコアのパーソナルベスト更新し2位に大差を付け優勝。スケートカナダでは、SPは2位発進するもFSでジャンプのミスが目立ち総合3位。NHK杯ではショートプログラムSPは3位発進、FSでは逆転し総合2位となった。ポイントランキングは7位に終わるが、高橋大輔が怪我のため欠場したため、3シーズンぶりのグランプリファイナル進出が決定した。グランプリファイナルではSP、FSともに4回転で転倒するも、ともに3位で総合3位に入った。ソチオリンピック出場を懸けて臨んだ全日本選手権ではSPでは冒頭の4回転が3回転になるなどし5位と出遅れた。FSではほぼノーミスの演技を見せて3位となるも、総合4位に終わり、2大会連続のオリンピック出場を逸した。

現役引退[編集]

2013年全日本選手権の終了直後、日本スケート連盟は2014年四大陸フィギュアスケート選手権の日本代表選手に織田を当初選出していた。しかし織田自身「これからは若い選手に頑張って欲しい」という意向から、四大陸選手権の出場を辞退(代替選手は無良崇人)。全日本選手権のエキシビション(12月24日)で演技を終えた直後にリンク上からマイクを通じて、現役を退くことを涙ながらに発表した。その後に開かれた引退会見では、「鳴かぬなら 泣きに泣きます ホトトギス」という自作の句を照れ笑いながら披露していた。

現役を引退した2014年には、ソチオリンピックの開催期間中に、『FNNスーパーニュースアンカー』(関西テレビが平日の夕方に放送中のローカルワイドニュース番組)で自身初の「スポーツコメンテーター」を担当。ほかスポーツ関連番組やバラエティ番組のゲストとして、自身現役時代の体験談や、ライバル・新旧の日本代表選手に関するエピソードを語る機会が多い。

ソチ五輪のフィギュアスケート個人戦の男子シングルは羽生結弦が日本男子で史上初の金メダルを獲得、他町田樹が5位、高橋大輔は6位と日本男子シングルは3選手共全員入賞を果たし、テレビ東京系列でコメンテーター担当の織田は、特にかつて好敵手の高橋に話し掛けるも「もうちょっと…泣きそうになって、TV見てて…」と絶句、感極まり涙を流した(高橋は織田の男泣きに「俺泣かれへんやん」と思わず苦笑。後方にいた武井壮が織田の両肩を抱いて慰め、萩原智子は織田の涙に貰い泣きしていた)。女子シングルでも、SP16位と大きく出遅れた浅田真央がフリーで3回転アクセルを成功する等ほぼノーミスの演技を披露、6位入賞を果たした際自宅のテレビで見ていた織田が泣き続けていた。

主な戦績[編集]

大会/年 2001-02 02-03 03-04 04-05 05-06 06-07 07-08 08-09 09-10 10-11 11-12 12-13 13-14
冬季オリンピック

7
世界選手権 4 7 7 28 6
四大陸選手権 1 4
世界国別対抗戦 3
全日本選手権 16 6 5 3 2 2 1 2 2 4 4
GPファイナル 4 3 2 2 3
GPNHK杯 1 2 1 2
GPスケートカナダ 3 2 3 3
GPロステレコム杯 5
GP中国杯 1 2
GPエリック杯 1 7
GPスケートアメリカ 1 2
ババリアンオープン 1
ネーベルホルン杯 1 1 1
シェーファー記念 1
ユニバーシアード 2 1
世界Jr.選手権 11 1
全日本Jr.選手権 4 3 2 1
JGPウクライナ記念 3
JGPスケートロングビーチ 4
JGPSBC杯 3
JGPスケートスロバキア 2 2
JGPトラパネーゼ杯 7

詳細[編集]

2013 - シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2013年12月20日 - 月23日 第82回全日本フィギュアスケート選手権さいたま 5
77.72
3
178.75
4
256.47
2013年12月5日 - 月8日 2013/2014 ISUグランプリファイナル福岡 3
80.94
3
175.02
3
255.96
2013年11月8日 - 月10日 ISUグランプリシリーズ NHK杯東京 3
82.70
2
170.46
2
253.16
2013年10月25日 - 月27日 ISUグランプリシリーズ スケートカナダセントジョン 2
80.82
3
152.18
3
233.00
2013年9月25日 - 月28日 2013年ネーベルホルン杯オーベルストドルフ 1
87.34
1
175.64
1
262.98

2012 - シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2013年2月6日 - 月11日 2013年ババリアンオープンオーベルストドルフ 2
72.74
1
178.06
1
250.80
2012年12月20日 - 月24日 第81回全日本フィギュアスケート選手権札幌 5
80.75
3
159.81
4
240.56
2012年11月9日 - 月11日 ISUグランプリシリーズ ロステレコム杯モスクワ 8
63.18
2
154.74
5
217.92
2012年10月26日 - 月28日 ISUグランプリシリーズ スケートカナダウィンザー 3
82.14
3
156.20
3
238.34
2012年9月27日 - 月29日 2012年ネーベルホルン杯オーベルストドルフ 1
79.64
1
153.69
1
233.33

2011 - シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2011年11月18日 - 月20日 ISUグランプリシリーズ エリック・ボンパール杯パリ 7
62.95
9
104.25
7
167.20
2011年11月4日 - 月6日 ISUグランプリシリーズ 中国杯上海 4
77.65
2
149.46
2
227.11

2010 - シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2011年4月24日 - 5月1日 2011年世界フィギュアスケート選手権モスクワ 2
81.81
9
150.69
6
232.50
2011年1月30日 - 2月5日 ユニバーシアード冬季競技大会エルズルム 1
77.04
1
146.11
1
223.15
2010年12月24日 - 月27日 第79回全日本フィギュアスケート選手権長野 3
77.48
3
160.00
2
237.48
2010年12月9日 - 月12日 2010/2011 ISUグランプリファイナル北京 1
86.59
3
156.22
2
242.81
2010年11月12日 - 月14日 ISUグランプリシリーズ スケートアメリカポートランド 1
79.28
2
146.81
2
226.09
2010年10月29日 - 月31日 ISUグランプリシリーズ スケートカナダキングストン 1
81.37
3
155.15
2
236.52

2009 - シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2010年3月24日 - 月25日 2010年世界フィギュアスケート選手権トリノ 28
50.25
-
28
2010年2月12日 - 月28日 バンクーバーオリンピックバンクーバー 4
84.85
7
153.69
7
238.54
2009年12月25日 - 月27日 第78回全日本フィギュアスケート選手権大阪 3
79.60
2
164.70
2
244.30
2009年12月3日 - 月6日 2009/2010 ISUグランプリファイナル東京 3
87.65
3
155.71
2
243.36
2009年10月29日 - 11月1日 ISUグランプリシリーズ 中国杯北京 1
83.35
1
156.23
1
239.58
2009年10月15日 - 月18日 ISUグランプリシリーズ エリック・ボンパール杯パリ 2
79.20
1
163.33
1
242.53

2008 - シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2009年4月16日 - 月19日 2009年世界フィギュアスケート国別対抗戦東京 3
79.35
4
149.90
3
229.25
2009年3月23日 - 月29日 2009年世界フィギュアスケート選手権ロサンゼルス 7
76.49
8
141.67
7
218.16
2009年2月2日 - 月8日 2009年四大陸フィギュアスケート選手権バンクーバー 6
75.04
3
145.22
4
220.26
2008年12月25日 - 月27日 第77回全日本フィギュアスケート選手権長野 1
86.45
1
157.25
1
243.70
2008年11月27日 - 月30日 ISUグランプリシリーズ NHK杯東京 1
81.63
1
154.55
1
236.18
2008年10月14日 - 月17日 2008年カールシェーファーメモリアルウィーン 2
72.51
1
139.05
1
211.56
2008年9月25日 - 月28日 2008年ネーベルホルン杯オーベルストドルフ 1
77.91
1
146.76
1
224.67

2006 - シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2007年4月29日 - 月日 2007年ジャパンオープンさいたま -
1
150.59
1
団体
2007年3月19日 - 月25日 2007年世界フィギュアスケート選手権東京 14
67.17
6
142.77
7
209.94
2007年1月17日 - 月27日 ユニバーシアード冬季競技大会トリノ 2
75.96
2
148.74
2
224.27
2006年12月27日 - 月29日 第75回全日本フィギュアスケート選手権名古屋 2
81.75
2
153.91
2
235.66
2006年12月14日 - 月17日 2006/2007 ISUグランプリファイナルサンクトペテルブルク 4
69.15
2
147.71
3
216.86
2006年11月30日 - 12月3日 ISUグランプリシリーズ NHK杯長野 2
83.55
2
161.01
2
244.56
2006年10月26日 - 月29日 ISUグランプリシリーズ スケートアメリカハートフォード 1
81.80
2
149.59
1
231.39

2005- シーズン
開催日 大会名 CD OD FD 結果
2006年3月19日 - 月26日 2006年世界フィギュアスケート選手権カルガリー 1
36.23
3
78.25
5
136.73
4
251.21
2006年1月23日 - 月29日 2006年四大陸フィギュアスケート選手権コロラドスプリングス -
1
77.29
2
124.40
1
201.69
2005年12月23日 - 月25日 第74回全日本フィギュアスケート選手権東京 -
2
79.90
2
138.80
2
218.70
2005年12月16日 - 月18日 2005/2006 ISUグランプリファイナル東京 -
4
67.13
5
129.92
4
197.05
2005年12月1日 - 月4日 ISUグランプリシリーズ NHK杯大阪 -
2
74.15
2
142.24
1
216.39
2005年10月27日 - 月30日 ISUグランプリシリーズ スケートカナダセントジョンズ -
7
59.84
2
133.24
3
193.08
2004- シーズン
開催日 大会名 CD OD FD 結果
2005年2月28日 - 3月6日 2005年世界ジュニアフィギュアスケート選手権キッチナー 1
121.30
2
64.33
1
132.09
1
196.42
2004年12月24日 - 月26日 第73回全日本フィギュアスケート選手権横浜 -
4
60.81
3
124.83
3
185.64
2004年11月20日 - 月21日 第73回全日本フィギュアスケートジュニア選手権大阪 -
4
57.53
1
123.22
1
180.75
2004年9月30日 - 10月3日 ISUジュニアグランプリ ウクライナ記念キエフ -
2
59.20
4
108.61
3
167.81
2004年9月9日 - 月12日 ISUジュニアグランプリ スケートロングビーチロングビーチ -
6
50.07
4
98.00
4
148.07
2003- シーズン
開催日 大会名 CD OD FD 結果
2004年2月29日 - 3月7日 2004年世界ジュニアフィギュアスケート選手権ハーグ 8
10
11
11
2003年12月25日 - 月26日 第72回全日本フィギュアスケート選手権長野 -
8
4
5
2003年12月11日 - 月14日 2003/2004 ISUジュニアグランプリファイナルマルメ -
8
7
8
2003年11月21日 - 月23日 第72回全日本フィギュアスケートジュニア選手権京都 -
1
2
2
2003年10月16日 - 月19日 ISUジュニアグランプリ SBC杯岡谷 -
4
3
3
2003年9月18日 - 月21日 ISUジュニアグランプリ スケートスロバキアブラチスラヴァ -
2
3
2
2002 - シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2003年3月13日 - 月15日 2003年ムラドストトロフィー ジュニアクラス(ザグレブ 1
1
1
2002年12月19日 - 月22日 第71回全日本フィギュアスケート選手権京都 8
6
6
2002年11月23日 - 月24日 第71回全日本フィギュアスケートジュニア選手権名古屋 2
4
3
2002年10月31日 - 11月3日 ISUジュニアグランプリ トラパネーゼ杯ミラノ 10
6
7
2002年10月3日 - 月6日 ISUジュニアグランプリ スケートスロバキアブラチスラヴァ 3
2
2

2001 - シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2001年12月21日 - 月23日 第70回全日本フィギュアスケート選手権大阪 16
15
16
2001年11月23日 - 月24日 第70回全日本フィギュアスケートジュニア選手権東京 7
3
4

プログラム使用曲[編集]

シーズン SP FS EX
2013-2014 映画『コットンクラブ』より
作曲:ジョン・バリー
振付:デヴィッド・ウィルソン
ウィリアム・テル序曲
作曲:ジョアキーノ・ロッシーニ
振付:ローリー・ニコル
映画『ラストサムライ』より
作曲:ハンス・ジマー
振付:ローリー・ニコル
2012-2013 ラグタイム・ミュージック
振付:トム・ディクソン
The New Moon in the Old Arm's Moon
作曲:マイケル・ケイメン
振付:ローリー・ニコル
魔法使いの弟子
作曲:ポール・デュカス
ダフニスとクロエ
作曲:モーリス・ラヴェル
振付:ローリー・ニコル
ニューヨーク・ニューヨーク
ボーカル:フランク・シナトラ
振付:宮本賢二
2011-2012[1] メンフィス・ソウル・シチュー
振付:セバスチャン・ブリテン
映画『シェルブールの雨傘』より
作曲:ミシェル・ルグラン
振付:セバスチャン・ブリテン
アイ・キャン・シー・クリアリー・ナウ
ボーカル:デンザル・シンクレア
2010-2011 Storm
演奏:吉田兄弟
振付:セバスチャン・ブリテン
ピアノ協奏曲イ短調
ピアノ協奏曲ロ短調
作曲:エドヴァルド・グリーグ
振付:セバスチャン・ブリテン
踊り明かそう
ミュージカル『マイ・フェア・レディ』より
作曲:フレデリック・ロウ
ボーカル:ジェイミー・カラム
振付:坂上美紀
2009-2010 死の舞踏
作曲:フランツ・リスト
演奏:マクシム・ムルヴィツァ
振付:ニコライ・モロゾフ
チャールズ・チャップリンメドレー
作曲:チャールズ・チャップリン
振付:ニコライ・モロゾフ
ソウル・ボサ・ノヴァ
映画『オースティン・パワーズ』より
作曲:クインシー・ジョーンズ
振付:ニコライ・モロゾフ
スマイル
作曲:チャールズ・チャップリン
ボーカル:マイケル・ジャクソン
2008-2009 仮面舞踏会
作曲:アラム・ハチャトゥリアン
振付:ローリー・ニコル
ワルソー・コンチェルト
映画『危険な月光』より

作曲:リチャード・アディンセル
振付:ローリー・ニコル
歌劇『トスカ』より
作曲:ジャコモ・プッチーニ
振付:ニコライ・モロゾフ
2007-2008 映画『ミッション:インポッシブル』より
振付:デヴィッド・ウィルソン
アラウンド・ザ・ワールド
by レッド・ホット・チリ・ペッパーズ
振付:宮本賢二
映画『ニューシネマパラダイス』より
作曲:エンニオ・モリコーネ
振付:織田憲子、杉田由香子
2006-2007 フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン
作曲:バート・ハワード
振付:デヴィッド・ウィルソン
映画『ミッション:インポッシブル』より
振付:デヴィッド・ウィルソン
交響曲第4番
作曲:ピョートル・チャイコフスキー
映画『ニューシネマパラダイス』より
作曲:エンニオ・モリコーネ
振付:織田憲子、杉田由香子
フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン
ボーカル:フランク・シナトラ
振付:デヴィッド・ウィルソン
2005-2006 セビリアの理髪師
作曲:ジョアキーノ・ロッシーニ
振付:デヴィッド・ウィルソン
映画『座頭市』より
作曲:鈴木慶一
振付:デヴィッド・ウィルソン
ルースター
振付:デヴィッド・ウィルソン
スーパーマリオブラザーズ
2004-2005 スーパーマリオブラザーズ ルースター
振付:デヴィッド・ウィルソン
2003-2004 映画『ニューシネマパラダイス』より
作曲:エンニオ・モリコーネ
振付:織田憲子、杉田由香子
禿山の一夜
作曲:モデスト・ムソルグスキー
THE Rock
振付:織田憲子、杉田由香子
Rhythm Delivery
2002-2003 エル・クンバンチェロ
作曲:ラファエル・エルナンデス
映画『マスク・オブ・ゾロ』より
作曲:ジェームズ・ホーナー
トースト・オブ・ザ・タウン
by モトリー・クルー
2001-2002 -

表彰歴[編集]

CM出演[編集]

脚注[編集]

  1. SP, FSはISUによるバイオグラフィーより

参照文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]