真鍋儀十

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真鍋 儀十(まなべ ぎじゅう、1891年9月16日 - 1982年4月29日)は日本政治家俳人、文学研究家。松尾芭蕉の研究家として知られ、そのコレクションは江東区芭蕉記念館に寄付された。高浜虚子に師事、「ホトトギス」同人。俳号は蟻十。

経歴[編集]

長崎県壱岐郡芦辺町(現壱岐市)生まれ。長崎師範学校(現・長崎大学教育学部)卒業後明治大学法学部に入学。大学在学中から普選運動にかかわり、1920年憲政会に入党。六十数回の拘禁を受けながら1930年立憲民政党公認で第17回衆議院議員総選挙に立候補し初当選、戦前に5回の当選を果たす。政党解消後の翼賛選挙では翼賛政治体制協議会の推薦候補として当選。戦後は日本進歩党の結成に参加するものの公職追放される。

追放解除後は改進党公認で1952年第25回衆議院議員総選挙とその翌年の第26回衆議院議員総選挙に出馬して落選するが、1955年第27回衆議院議員総選挙では日本民主党公認で当選し政界に返り咲く。民主党内では大麻唯男宮沢胤勇野田武夫小泉純也浜野清吾山本粂吉中村庸一郎ら旧民政党系右派の政治家が結集した大麻派に属し、保守合同ののち内閣売春対策審議委員となる。大麻の死後、他の大麻派のメンバーとともに岸派に合流。1957年10月30日東京地検特捜部売春汚職事件の容疑者として逮捕される。翌1958年9月9日東京地裁で有罪の判決。1958年第28回衆議院議員総選挙とその翌年の1960年第29回衆議院議員総選挙にも立候補するが落選、政界から引退。

一方、戦後自宅の庭で幼稚園経営を始める。園の前には銅像が建ち、そこには「撞球純正スポーツ化の父」との岸信介による揮毫がある。これは1955年にビリヤードを風俗営業法適用対象外とし、健全なスポーツへ転化することに尽力した功績を讃えたものである。なお、生地壱岐市にも銅像がある。

外部リンク[編集]