大量殺人

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大量殺人(たいりょうさつじん)とは、1人の人間もしくは組織が一度に多数の人間を殺害する殺人行為。犯人がパラノイアの場合「古典的大量殺人」と「家族大量殺人」の二種類に分類される。大量殺人を侵した者を大量殺人犯、または大量殺人者Mass murderer)という。

分類[編集]

古典的大量殺人[編集]

数分から数時間、あるいは数日間といった期間をかけて1人の人間の手で行われる。動機は怒りや復讐心であり抱えている心理的問題が限界に達した時、怒りが爆発し所属している場所の人間や全く無関係な人々が狙われる。通常は計画的に行われ犯人はその場で自殺するか殺されるか現行犯逮捕されることがほとんどである。最初から逃げることは考えていないように思われる。

犯人は20~30代の男性であることが多く、孤独な社会不適応者や精神を病んでいる者、薬物による中毒者が多く占める。凶器は主に銃や刃物を使用する。特にアメリカでは銃社会ということあって近年、銃の乱射による事件が増加している。

家族大量殺人[編集]

家族内で行われる殺人。家族のうち四人以上が殺され犯人も自殺した場合は「大量殺人および自殺」(一般的には無理心中)、犯人が自殺しなかった場合は「家族殺戮」(ファミリー・キリング)と呼ばれる。

大量殺人者[編集]

人物名 場所 事件名 人数(犯人は除く)
ジョン・D・リー 1857 マウンテン・メドウの大虐殺
John Filip Nordlund 1900 プリンス・カール号事件 死者5,負傷8
Simone Pianetti 1915 死者7
アンドリュー・フィリップ・キーホー 1927 バス学校爆破事件 死者45
都井睦雄 1938 津山事件 死者30,負傷3
Howard Unruh 1949 死者13
アルベール・ガイ 1949 カナディアン航空機爆破事件 死者23
Tore Hedin 1952 死者9
ジャック・ギルバート・グラハム 1955 ユナイテッド航空629便爆破事件 死者44
Edgar Ray Killen 1964
チャールズ・ホイットマン 1966 テキサスタワー乱射事件 死者14,負傷31
ハリー・ロバーツ 1966 死者3
リチャード・スペック 1966 死者8
Victor Ernest Hoffman 1967 シェル湖殺人事件 死者9
John Linley Frazier 1970 死者5
ジョン・リスト 1971 死者5
Edward Charles Allaway 1976 死者7,負傷2
ジム・ジョーンズ 1978 死者914
禹範坤 1982 死者57
Denis Lortie 1984 死者3,負傷13
James Oliver Huberty 1984 マクドナルド事件 死者21,負傷19
ジェレミー・バンバー 1985 死者5
アンドリュー・ウォーカー 1985 死者3
Inaki de Juana Chaos 1985-6 死者25
Patrick Sherrill 1986 死者14,負傷6
David Burke 1987 死者43
マイケル・リアン 1987 ハンガーフォード事件 死者16,負傷15
ロナルド・ジーン・シモンズ 1987 死者16,負傷3
デビッド・ブロム 1988 死者4
Patrick Edward Purdy 1989 死者5,負傷29
Jeffrey Don Lundgren 1989 死者5
Marc Lepine 1989 死者14,負傷14
Julio Gonzalez 1990 ハッピーランド放火事件 死者87
デビッド・グレー 1990 死者13
George Jo Hennard 1991 ルビーズカフェテリア事件 死者23,負傷20
Juan Luna 1993 ブラウンズ・チキン事件 死者7
Kenneth French, Jr. 1993 死者4,負傷7
Colin Ferguson 1994 死者6,負傷19
マティアス・フリンク 1994 死者7
バールーフ・ゴールドシュテイン 1994 マクペラの洞窟虐殺事件 死者29,負傷125
ティモシー・マクベイ 1995 オクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件 死者168
トマス・ハミルトン 1996 ダンブレーン事件 死者17,負傷17
Martin Bryant 1996 ポートアーサー事件 死者35
Mohammad Ahman al-Naziri 1997 サヌア事件 死者8
ミシェル・ジョンソン
アンドリュー・ゴールデン
1998 ジョーンズボロ銃乱射事件 死者5,負傷10
Matthew Beck 1998 死者5
Larry Gene Ashbrook 1999 死者7,負傷7
Susan Eubanks 1999 死者4
Buford O. Furrow, Jr. 1999
エリック・ハリス
ディアン・クレボルド
1999 コロンバイン高校銃乱射事件 死者13,負傷24
Byran Uyesugi 1999 死者7
Michael McDermott 2000 死者8
ディペンドラ・ビール・ビクラム・シャー・デーヴ 2001 ネパール王族殺害事件 死者9~11
宅間守 2001 附属池田小事件 死者8,負傷15
Robert Steinhauser 2002 エアフルト事件 死者17,負傷7
Richard Durn 2002 ナンテール事件 死者8
ジェフ・ワイス 2005 レッドレイク高校事件 死者9
Terry Ratzmann 2005 死者7
Kyle Huff 2006 キャピトルヒル事件 死者6,負傷2
Charles Carl Roberts IV 2006 アーミッシュ学校乱射事件 死者5,負傷5
チョ・スンヒ 2007 バージニア工科大学銃乱射事件 死者31,負傷29
Nikola Radosavljevic 2007 死者9

日本おける大量殺人事件[編集]

貰い子殺人[編集]

日本にかつてあった大量殺人の類型のひとつに貰い子殺人があった。これは刑法では堕胎が禁止されているため人工中絶が非合法であったが、そのため私生児が誕生した場合や夫以外の男性の子を出産した場合には育児できないことから養育費を添えて貰い子に出す場合が少なくなかった。しかし貰い子を引き受ける者のなかには養育費目当てての輩も少なくなく。現金を受け取った後で殺害する事件が多発した。これらの事件は連続かつ大量殺人にいたる場合もあった。1909年佐賀貰い子殺人事件(被害者60人以上)、1913年の名古屋貰い子殺人事件(200人以上)、1930年板橋貰い子殺し事件(被害者41人以上)などが上げられるが、10人以上の貰い子殺人も少なくなかった。戦後発覚した寿産院事件では預かっていた乳幼児を虐待で大量殺害しており、被害者数は103人説のほか85人から169人の間とされている。なお、同種の犯罪は社会的大多数が貧しい時代では多発していたが、現代では養育費をつけて里子にだすことは廃れているため同種の犯罪が起きる可能性は低い。

戦後の大量殺人事件[編集]

下記は1945年から2009年現在までに発生した大量殺人のうち、犯人を除き6人以上が犠牲になった事件のうち連続殺人によるものを除外した表である。一部テロ事件や放火事件も含まれている。なお、連続殺人については別表を参照のこと

事件名 犠牲者 発生年 備考
歌舞伎町ビル火災 44 2001年 放火の可能性が強いが真相は不明
大阪個室ビデオ店放火事件 16 2008年 リンク先参照
長崎屋火災 15 1990年 放火の可能性が強いが真相は明らかにならず公訴時効成立
帝銀事件 12 1948年 冤罪が指摘されている毒殺事件
山岳ベース事件 12 1971-72年 連合赤軍によるリンチ殺人
地下鉄サリン事件 12 1995年 オウム真理教によるテロ事件
尼崎事件 10 2003-11年 角田美代子らが多数の家庭を乗っ取り、住民を殺害した。
茨城・徳宿村精米業一家殺害事件 9 1954年 毒殺後住居を放火した事件。被疑者が逮捕後に青酸カリで自殺
和歌山一家9人殺害事件 9 1945年 母親に冷たい仕打ちをしたと思いこんだ弟が兄一家を虐殺。死刑判決が出たが後に恩赦され1968年に仮出獄
北海道・音江村一家8人殺害事件 8 1948年 物証がないうえに無免許医による司法解剖が裁判所に証拠として認められなかったといった捜査機関の不手際が重なった為、逮捕起訴された被告人は無罪になった。迷宮入り。
青森・新知村一家8人殺害事件 8 1953年 実家に味噌を盗みに入った男が家にあった猟銃で父親一家を殺害し放火。裁判で犯行時心神耗弱にあったと認定され無罪判決が確定
福岡・豊津村一家8人殺害事件 8 1953年 家族11人が同棲していた理髪師の男に襲われ8人が死亡。男には2年後に死刑が確定
昭島・昭和郷アパート放火事件 8 1957年 火災保険金目当てに自宅アパートを放火。類焼により大惨事に。
三菱重工爆破事件 8 1974年 東アジア反日武装戦線「狼」による無差別爆弾テロ事件
附属池田小事件 8 2001年 リンク先参照
長野・市田村一家7人殺害事件 7 1946年 物取りによる計画的犯行とみられるが、時効を迎え迷宮入り
川崎市一家7人殺害事件 7 1957年 高校をノイローゼのため中退した男が家族を皆殺しに。検察は統合失調症と判断し不起訴処分にし精神病院に強制収容措置とした。
岩槻一家7人殺害事件 7 1959年 家庭環境に疲れ果てた男が無理心中しようとして自宅を放火。1審では無期懲役であったが控訴審で死刑となり後に確定
熊野一族7人殺害事件 7 1980年 ノイローゼの男が親族会議の場を斧や猟銃で襲撃。篭城後自殺した。
加古川7人殺害事件 7 2004年 近隣住民に恨みを抱いていた男による大量殺人。
松本サリン事件 7 1994年 オウム真理教によるテロ事件
北九州監禁殺人事件 7 2002年 リンク先参照
秋葉原通り魔事件 7 2008年 リンク先参照
寝屋川工場主一家殺害事件 6 1945年 住み込み従業員が一家を虐殺し家財を処分して逃亡。1948年に死刑執行
中間町・雑貨商一家殺害事件 6 1946年 博打で負けたために一張羅を取られた炭鉱夫が逆上して雑貨商一家をツルハシで虐殺。1948年に死刑執行
日光中宮祠事件 6 1946年 警察は旅館経営者一家が心中したとして処理したが、1955年になって実際は強盗放火事件であったことが判明。実行犯2人が死刑執行になったのは1974年のことであった。
一勝地村農家6人殺害事件 6 1946年 朝鮮半島へ引揚げようとした朝鮮人3人による犯行
三鷹事件 6 1949年 国鉄三大ミステリー事件のひとつ
北海道拓殖銀行美深支店事件 6 1950年 銀行住宅にいた支店長夫妻とその娘2人、支店長代理夫妻が殺害され支店事務室にあった現金約100万円を強奪。支店長の娘3人は別室にいて助かったが、犯人が特定できず未解決。
黒山事件 6 1951年 大阪府の北八下村で発生した青物商一家放火殺人事件。未解決。
仁保事件 6 1954年 著名な冤罪事件のひとつ
北海道・真狩村一家6人殺害事件 6 1959年 農家で住み込みで働いていた男による犯行。1962年に無期懲役が確定。
四国連続強盗殺人事件 6 1963年 強盗で服役していた男が出所後、四国各地で強盗殺人をしながら逃走。被害額は2870円と食料であったが、3県で6人を殺害。1970年死刑執行。
島原酒造元一族殺害事件 6 1970年 遺言状により自宅と酒造元常務の地位を親族会議で剥奪された男が、遺言状により財産を譲り受けた叔母夫婦を殺害し自身の家族4人も殺害して自殺
池袋のアパート放火事件 6 1975年 家賃免除で生活していた男が、大家に無賃で働かされていた事にむしゃくしゃしてアパートに放火
高知・安芸連続射殺事件 6 1975年 統合失調症の病歴のある男が近隣の住民を猟銃で無差別発砲。裁判では検察が心神耗弱状態であったとして無期懲役を求刑し裁判所も無期を言い渡した。
熊本・義姉一家ら6人殺害事件 6 1977年 妻に出て行かれた男が妻をかくまっていると疑った義姉一家4人を殺害、自らも子供3人を抱え焼身自殺を図り、うち2人を焼死させ、自身も死亡
新宿西口バス放火事件 6 1980年 リンク先参照
夕張保険金殺人事件 6 1980年 リンク先参照
新宿西口バス放火事件 6 1980年 リンク先参照
須賀川女性祈祷師信者殺害事件 6 1995年 リンク先参照
横浜・麻雀店放火事件 6 1999年 麻雀店の経営者と店長が喧嘩し、店長が放火したため経営者と客ら6人が死亡し自身も焼死した
宇都宮宝石店放火殺人事件 6 2000年 リンク先参照
武富士弘前支店強盗殺人・放火事件 6 2001年 リンク先参照

関連書籍[編集]

  • 『大量殺人者』 タイム・ライフ編
  • 『快楽殺人の心理 FBI心理分析官のノートより』
  • 『日本の大量殺人総覧』(村野薫、新潮社)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]