新代田駅

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新代田駅(しんだいたえき)は、東京都世田谷区代田五丁目にある、京王電鉄井の頭線である。駅番号はIN06

年表[編集]

駅構造[編集]

相対式ホーム2面2線を有する地上駅橋上駅舎を持つ。ホームは掘割内にあり、駅の上に環状七号線(環七通り)が通っているため、ホームの一部は道路下にある。改札口は環状七号線の道路沿いにある。

改札口とホームとの間には車椅子対応エスカレーターおよびエレベーターが設置されている。トイレは1番線ホームにあり、ユニバーサルデザインの一環として「だれでもトイレ」も設置されている。

のりば[編集]

番線 路線 方向 行先
1 井の頭線 下り 明大前永福町久我山吉祥寺方面
2 井の頭線 上り 下北沢渋谷方面

利用状況[編集]

2013年度の1日平均乗降人員は8,859人である[1]

乗降人員および乗車人員の推移は下表のとおりである。

年度 1日平均
乗降人員
1日平均
乗車人員
出典
1955年(昭和30年) 9,012
1960年(昭和35年) 10,362
1965年(昭和40年) 12,005
[2] 1966年(昭和41年) 12,271
1970年(昭和45年) 12,391
1975年(昭和50年) 10,189
1980年(昭和55年) 8,976
1985年(昭和60年) 13,589
[3] 1987年(昭和62年) 14,376
1990年(平成02年) 11,547 5,723 [4]
1991年(平成03年) 5,762 [5]
1992年(平成04年) 5,759 [6]
1993年(平成05年) 5,677 [7]
1994年(平成06年) 5,767 [8]
1995年(平成07年) 11,657 5,844 [9]
1996年(平成08年) 5,753 [10]
1997年(平成09年) 5,570 [11]
1998年(平成10年) 5,252 [12]
1999年(平成11年) 4,566 [13]
2000年(平成12年) 9,147 4,567 [14]
2001年(平成13年) 4,479 [15]
2002年(平成14年) 4,408 [16]
2003年(平成15年) 4,388 [17]
2004年(平成16年) 4,249 [18]
2005年(平成17年) 8,551 4,285 [19]
2006年(平成18年) 8,501 4,285 [20]
2007年(平成19年) 8,360 4,290 [21]
2008年(平成20年) 8,556 4,389 [22]
2009年(平成21年) 8,526

駅周辺[編集]

隣駅である下北沢駅・東松原駅ともに500mしか離れていない。上り線ホームの中央部分に立つと、前後の駅がともに肉眼で確認できる。

下北沢まで徒歩でも数分で行けることや、改札を出るとすぐ環七通りが走っていること等もあり、当駅周辺は井の頭線の駅では珍しく駅前商店街が形成されていない。しかし、当駅周辺の環七通り沿いにはなんでんかんでんラーメン二郎といったラーメン店が数多く出店しており、ラーメン激戦区となっている。

施設
  • 世田谷区代田区民センター
  • 世田谷区立代田図書館
  • 世田谷区役所 新代田まちづくり出張所
  • 新代田駅前郵便局

バス路線[編集]

駅北側に折り返し場があり、当駅始発の路線バスが運行されている。下記の2路線はかつて直通しており、都営・東急ともに共同運行協定を結んでいた。

都営バス
東急バス
  • 森91:大森操車所行(若林駅前・上馬・洗足駅入口・長原・馬込駅・大森駅経由)

その他[編集]

当駅と小田急小田原線世田谷代田駅の間には、東京急行電鉄大東急)時代の戦争中から戦後にかけて連絡線代田連絡線)が引かれていた。これは、空襲により井の頭線の電車がほとんど消失したために、急遽小田急線から電車を運び込むために用意されたものである。そのため、撤去後もしばらくの間は渡り線が放置されていた。ただし、その後は宅地造成が進んだため当駅付近を含めて痕跡は特に残っていない。僅かに残っている痕跡も、小田急線の複々線化完了後消失する。

長渕剛楽曲「東京青春朝焼物語」(アルバムJAPAN』収録)の最初の歌詞の部分で、当駅のことが歌われている(井の頭線で5つ目の駅とある)。長渕はデビューし上京して間もない頃、当駅近くのアパートで暮らしていた。

隣の駅[編集]

京王電鉄
井の頭線
急行
通過
各駅停車
下北沢駅 (IN 05) - 新代田駅 (IN 06) - 東松原駅 (IN 07)

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]