名字

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名字(みょうじ、苗字)は、家(家系家族)ののこと。法律上はと呼ばれ(民法750条、790条など)、一般的にはとも言う。

概要[編集]

名字は苗字とも書き、元々、名字(なあざな)と呼ばれ、中国から日本に入ってきた(あざな)の一種であったと思われる。公卿などは早くから邸宅のある地名を称号としていたが、これが公家・武家における名字として発展していった。

例えば、徳川家康の場合は、徳川次郎三郎源朝臣家康となり、「徳川」が名字(苗字)、「次郎三郎」が通称、「源」が(「姓」、本姓とも呼ばれる)、「朝臣」が古代の(かばね、古代に存在した家の家格)、「家康」が(いみな、つまり本名)になる。

貴族の名字[編集]

古代の氏族制度が律令制に移行した後に、氏族格式そのものよりもその本人が属する家系や家族の方が重要になってきており、従来の(うじ)の中でもその家を区別する必要が現れた。例えば、同じ藤原氏でも藤原北家藤原式家、藤原北家の中でも道長頼通流とそれ以外といった様に同じ氏の中でも格の違いが現れている。

そのため、その家を現すためにその出身地を付けたのが名字(苗字)の始まりと言われている。平安時代の貴族は母親の邸宅で育つため、その母方の邸宅のある地名などを名字につけた。貴族の初期の名字は一代限りのもので、号といい家名を現すものではなかったが、平安時代後期から家名となりその家系を示す様になってくる(近衛家九条家西園寺家など)。

武士の名字[編集]

平安時代後期になると律令制が崩壊し、荘園の管理や自ら開拓した土地や財産を守るために武装集団である武士が出現する。武士は自らの支配している土地の所有権を主張するために自分の所有する土地(本貫地)( - みょう)の地名を名字として名乗り、それを代々継承した。また荘官であれば荘園の名称を、郡司であれば郡の名称を名字とする者も現れた。

鎌倉時代になると武士の所領が拡大し、大きな武家になると全国各地に複数の所領を持つようになった。鎌倉時代の武家は分割相続が多かったため、庶子が本家以外の所領を相続すれば、その相続した所領を名字として名乗るようになる。またさらなる土地の開墾によって居住域が増え、新たな開墾地の地名を名字とし、ますます武士が名乗る名字の数は増大していった。ただし、注意すべきは、名字(苗字)は異なろうとも姓(本姓)は同じということである。

例えば、新田義貞の弟は脇屋義助だが、本姓で言えばどちらも源姓であり、源義貞、源義助である。新田という名字(苗字)は、源義家(八幡太郎義家。八幡太郎とは義家の通称)の四男の源義国(足利式部大夫義国。足利は義国の母方の里の地名、式部大夫は役職)の長男の源義重が、新田荘を開墾し、そこを所領とし、藤原忠雅に寄進して荘官に任命されたことから新田荘の荘名を名字(苗字)にしたことに始まる。義助は兄の義貞が相続した嫡宗家から独立して新田荘内の脇屋郷を分割相続して住んだことから、脇屋を自己の名字とし、脇屋義助と名乗った。ただし、新田氏は源頼朝から門葉として認められなかったため、鎌倉時代には幕府の文書に「源○○」と署名する事や記載されることはなかった。

南北朝時代以降は嫡子単独相続が主流となったため、このような形での名字の拡大は収まった。つまり一族の所領は兄弟で分割相続するのではなく、嫡子が単独で相続するため、嫡子以外の兄弟はその配下となり、独立しないため、新しい名字を名乗ることが少なくなった。

江戸時代になると名字は支配階級の象徴として固定化する。

なお、時代が下るにつれ本姓は、もっぱら朝廷から官位を貰うときなどに使用が限られるようになり、そのような機会を持たない一般の武士は、本姓を意識することは少なくなった。事実幕府の編纂した系図集を見ると、旗本クラスでも本姓不明の家が散見される。一方一般の人であっても朝廷に仕えるときは、源平藤原といった適切な本姓を名乗るものとされた。また、一部の学者等が趣味的、擬古的に名乗ることもあった。したがって本姓の有無は支配階級の象徴として本質的なものではない。

ちなみに名字の下に直接接続するのは通称であり、(実名)を直接つなげることは明治時代までなかった。本姓に対しては実名を直接つなげることはできる。下級武士や庶民には原則として実名はなかった。

庶民の名字[編集]

古代の庶民は主に、豪族の所有民たる部曲の「○○部」という姓を持っていた。例えば「大伴部」「藤原部」というようなものである。しかし部曲の廃止や支配者の流動とともにその大半は忘れられ、勝手に氏を名乗ることもあった。

名字(苗字)は、姓(本姓)と違って天皇から下賜される公的なものではなく、近代まで誰でも自由に名乗る事が出来た。家人も自分の住む土地を名字として名乗ったり、ある者は恩賞として主人から名字を賜ったりもした。

江戸時代には幕府の政策で、武士、公家以外では、平民の中で、庄屋や名主など特に許された旧家の者だけが名字(苗字)を名乗ることを許されるようになった。これをもって「江戸時代の庶民には名字が無かった」という具合に語られることがある。だが庶民といえども血縁共同体としての家があり、それを表す名もある。また先祖が武家で後に平民になった場合に先祖伝来の名字が受け継がれる場合もあった。ただそれを名字として公的な場で名乗ることはできなかった。そうした私称の名字は寺の過去帳や農村の古文書などで確認することができる。また商人がしばしば屋号をそのような私称として使った。魚や野菜などの食べ物、土地にちなんだ名字が多く見られるのもこのためで、「○○の人」と分かりやすくするため、用いられていたと言われている。

さらに江戸時代の寺院の寄進帳には、その村の全ての農民が名字を記入している例が大半であり、小作人までもが名字を持っていたという文献も数多く残っている。これは全国各地に見られることである。また、庶民が名字を持っておらず「苗字必称義務令」(後述)の際に適当に名字を作ったというのであれば、地域によって存在する苗字に偏りが出ることも奇妙である(事実、任意に付けることの可能な名前は地域による偏りはみられない)。これらの理由により、現在は「江戸時代の庶民には名字が無かった」という説は、研究家の間でほぼ完全に否定されている。しかし一部には名字を持たなかった庶民、何らかの理由で名字を失った庶民がいたと思われる要出典

明治時代以後の名字[編集]

明治維新直後、明治3年(1870年)9月19日の平民苗字許可令、明治8年(1875年)2月13日の平民苗字必称義務令により、国民はみな公的に名字を持つことになった。この間、明治2年7月以降、武家政権より天皇親政に戻ったことから、一時、名字を副次的なものとして、本姓を名乗ることとした時期もあった。しかし公家出身の者はほとんどが藤原姓、武家出身の者はほとんどが源姓など、源平藤橘で84.6%となった。時代にも合わなかったためか、早々に廃止され、明治4年10月12日には姓尸(セイシ)不称令が出され、以後日本人は公的に本姓を名乗ることはなくなった。氏・姓は用語も混乱していたが、この時点で太政官布告上は、いわゆる本姓は「姓」、氏・名字は「苗字」、かばねは「尸」というように分類されたのである。平民苗字必称義務令公布の日にちなんで、2月13日は「名字の日」となっている。

苗字必称令の際には、江戸時代までに付けられた家の名称を名字とする者が多かった。しかし、現代の名字が武家や公家と同じ名字だからといっても必ずしもその子孫とはいえない。名字の多くは、正確な由来を追跡することは困難である。

明治以前の名字は先祖伝来の名を名乗るものとは限らず、地元の有力者に倣って名字を変える者などがおり、血のつながりとは無関係に同じ集落の家の苗字がみな同じということも起こった。中には自分の名字が分からないため、僧侶や名主(庄屋)などに頼んで適当な名字をつけてもらったというような話もある要出典。そのほか、自分で名字を創作して名乗ることもあった(たとえば与謝野鉄幹の父礼厳は先祖伝来の細見という名をあえて名乗らず、故郷与謝郡の地名から与謝野という名字を創作した)。

また、中には非常に難読な珍しい名字がある。例として、小鳥遊(たかなし。鷹無し、つまり鷹がいないので小鳥が遊ぶことができるから)、四月朔日(わたぬき。昔は四月一日になると、着物の綿を抜いたことから) など。

幽霊名字[編集]

近年刊行されている雑学本や名字関連の本に記載されている珍姓・奇姓・難読姓の中には、架空のものや江戸時代の戯書から引用されたものがあり、理解には注意が必要である。このように実在が確認できず、その存在自体が疑わしい名字を幽霊名字と呼ぶ。この言葉は姓氏研究家の森岡浩が提唱したものである[1]

幽霊名字の実例[編集]

姓氏辞典などには記載されているが実在しないと思われる名字の例[2]を挙げる。

  • 一寸八分:かまつか
  • 十二月一日:しわすだ
  • 言語道断:てらくだ
  • 子子子子:ねこじし
  • 十二月晦日・十二月三十一日:ひづめ

関連項目[編集]

関連書籍[編集]

脚注[編集]

  1. 幽霊名字とは - 『日本人の名字なるほどオモシロ事典』(森岡浩、日本実業出版社)98頁が初出
  2. あっと驚く幽霊名字の実例 - 森岡浩による実例の紹介

外部リンク[編集]

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