久米宏

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久米 宏(くめ ひろし、本名:同じ、1944年7月14日 - )は、オフィス・トゥー・ワン所属のフリーアナウンサータレントラジオパーソナリティ司会者ニュースキャスター。元TBSアナウンサー血液型A型

支持政党は民主党。思想は親中親韓である。

NHK会長・籾井勝人氏を激しく非難「誰が責任をとるの?あの人、モミガラだとか訳わかんない人」[編集]

2014年1月25日の就任会見で、従軍慰安婦について「今のモラルでは悪いことだが、当時の戦争地域には大体つきものだったと思う」などと発言していた、NHK新会長の籾井勝人(もみいかつと)氏。

同氏は発言を「個人的見解」としていたものの、その言葉は国内外の多くのメディアが取り上げ、波紋を呼ぶことになった。1月31日衆院予算委員会で、籾井氏は「誤解と迷惑を掛けて、誠に申し訳ない。非常に不慣れだった」と陳謝し、職務続行に意欲を示している。

しかし、今回の騒動を期に籾井氏のNHK会長としての資質に疑問を持ったものもいるようだ。2月8日放送のTBSラジオ久米宏 ラジオなんですけど」では、フリーアナウンサーの久米宏が、籾井氏とNHKに対し激しい非難の言葉を浴びせている。

番組のオープニングトークで、数日中のおもだったニュースについて語っていた久米。NHKの特集番組が話題となっている佐村河内守氏を「別人作曲」騒動前に取り上げていたことに触れ、報道の持つ影響力について持論を語っていた。

やがて久米は「マスコミの力ってとっても大きいんです。心しなきゃいけないなって思うんですけど」と、報道する側の責任について言及。その上で籾井氏を話題に挙げたのである。

久米は、かなり腹をたてている様子で

「なんで?どう考えたって相応しくない人を、NHKの会長にしたこの感覚ね。誰が責任をとるの?あの人、モミガラだとか訳わかんない人」

と、皮肉まじりに籾井氏の会長としての資質に疑問を呈した。続けて

「あんな発言をする人を。何が公共放送だ。公共放送って言うんだったら、あんな人物をトップに据えるってこと自体、滅茶苦茶でしょ。わかってるんだから、(籾井氏が)あんな人だって」

とNHKを非難。それでも久米の怒りは収まらず、その矛先はNHKの経営委員にも及んだ。

「その(経営委員)中の二人が…何といいますかね、国際的に、とても人前で『こういうこと言ってる人です』って紹介できない人が入ってたりするんです」

などと発言し、匿名で批判したのである。その後も、久米は「NHKの人もつらいと思いますよ?『あれが会長かよ』って」と職員に気を使いつつも、「とにかく酷い。先進国とは思えない人選ですよ」「あんな人がトップに来たら、僕ならやめますよ、NHK」などと、籾井氏を激しく批判し続けた。

これだけに留まらず久米は「これからNHKのニュースなどを見る場合、特に政治むきのニュースを見る場合は、眉に四回くらい唾つけないと」などと、NHKの放送内容にも不信感を口にしている。

籾井氏については、1月27日に菅義偉官房長官が「放送法に基づいて職務を果たしていただきたい」とコメントし、NHK会長続投の見解を示している。

経歴[編集]

生い立ち[編集]

TBSアナウンサーとして[編集]

ニュースキャスターとして[編集]

  • 1985年10月7日 - テレビ朝日の夜の大型ニュースショー番組『ニュースステーション』がスタート。メインキャスターを務める。フランクな司会ぶりは民放の報道番組に変革をもたらし、賛否両論を呼んだ。
    • この間、引き続き『がん戦争シリーズ』など単発番組の司会は務めた他は、ほぼ『ニュースステーション』に専念。『おしゃれ』の終了と同時に、完全にこの番組一本となった。
  • 1989年10月10日 - 『ニュースステーション』の企画「ジャイアンツエイド'89」での公約を守り、プロ野球読売ジャイアンツ優勝を受けて丸坊主になる。さらに11月3日、日本シリーズを制した時の公約に従い、他局である日本テレビの夕方に放送されていた徳光和夫メインキャスターのニュース番組『NNNニュースプラス1』に出演し『読売ジャイアンツ、バンザイ!』と叫んだ。この一件は翌日の朝のワイドショーでも話題として採り上げられた。さらに、当時リクルート事件などで頻用されていた「ケジメ」という言葉が、この一連の出来事を伝える際にも使われるようになり、その結果、1989年版の現代用語の基礎知識流行語部門で「ケジメ」という言葉が銀賞を獲得した時、その言葉の代表例として、久米の名前が表記された。
  • 1990年4月- TBSラジオの特別番組『大沢悠里のそれ行け!ラジオ天国』に出演。パーソナリティの大沢悠里永六輔とラジオをテーマに鼎談を行う。
  • 1994年9月24日 - ほぼ5年ぶりの日本テレビ出演となった『スーパースペシャル'94・久米宏の道徳の時間』の司会を務める(視聴率25.3%)。なお、この道徳の時間はその後、1995年6月に第2弾、1996年2月に第3弾が放送された。視聴率の伸び悩みや日本テレビ側からの第4弾出演依頼を固辞したことなどにより、第3弾で、打ち切りになった。
  • 1995年2月- TBSラジオの戦後50年特別番組『久米宏のトーク スクランブル』で10年ぶりにパーソナリティを務める。アシスタントには『ニュースステーション』共演者の小宮悦子を迎え、5時間の生放送を行った。
  • 1996年10月 - 『ニュースステーション』でのインドのルポの中で、インド人がよどみない日本語で話をする映像を見て、「しかし、外人の日本語は片言の方がいいよね」と発言、直後から有道出人の猛烈な抗議を受ける。ただし大きな問題として表面化はせず。トニー・ラズロが代表を務める、一緒企画からも回答願を出されている。2006年12月1日になって、久米本人から有道に対し、当発言に対する謝罪のメールがあった。
  • 1999年2月1日 - 『ニュースステーション』のダイオキシン問題に関する特集で埼玉県所沢市の葉物(実際には煎茶)から多く検出されたと伝えた。これにより、埼玉県所沢市産のホウレンソウなど野菜の価格が風評被害により暴落[1]。その後、2004年6月16日にテレビ朝日が農家側に謝罪。1000万円で和解した。
  • 同年10月6日 - 気力、体力の問題により『ニュースステーション』を降板。自身のウェブサイト、著書ではこの期間を「無職」としている。テレビ朝日は「休暇」としていた。
  • 2000年1月4日 - 『ニュースステーション』に復帰。ヒゲ姿で登場した。写真入りで「久米ヒゲ復帰」などの見出しが新聞各紙を飾った。番組はリニューアルされ、ロゴがカタカナ表記から英字表記(『NEWS STATION』)に改められる。
  • 2004年3月26日 - 『ニュースステーション』の放送最終日。エンディングでは、「今まで頑張った自分へのご褒美」と称してビールを飲んで締めくくり、60歳を目前にして、18年半のメインキャスター生活にピリオドを打つ。番組の終了の際、他局でも「ニュースステーション終了」が取り上げられたり、裏番組筑紫哲也 NEWS23』の筑紫哲也が番組内でコメントするなど、反響が大きかった。

『ニュースステーション』終了以降[編集]

人物[編集]

  • 明るい性格で、外国人と、すぐに打ち解けられる人物である。久米が入社した年のアナウンサー最終試験は試験官の前に、1台の赤電話が置かれ「赤電話を題材にして、自由にしゃべって下さい」という課題だった。他の志望者は「さぁ、いま私の目の前に赤電話が置かれております」「ここから一体、どの様な人間ドラマが始まるのでしょうか?」という実況型だったが、久米は赤電話を前に暫し、黙考。10円玉を取り出し、その場で、実家に電話をかけた。電話に出た母親と「もしもし母さん? 今、TBSで入社試験を受けているんだけど……」と普通に会話をし、そのまま終了した。
  • 『ザ・ベストテン』で人気を博していた最中、テレビ朝日から『ニュースステーション』のキャスターの打診があった。テレビ朝日の社運を賭けた番組で、久米もキャスター業をしたいと思っていたため引き受けるが、スタッフから番組が決まるまで、絶対に口外しない事を告げられる。そのため、司会の黒柳徹子やスタッフに本当の降板理由を告げられず、黒柳からは自身の自宅に久米を呼び、降板の理由を問い詰めたことがある。結果的には遺恨を残すような形での降板となる。後に『ザ・ベストテン』がなければフリー転身もその後の『ニュースステーション』もなかったと話している。
  • 久米はアガリ性で胃腸も弱く、病弱だったため、入社当初はアナウンサーとしての活動ができず、電話番の仕事が中心だった。病気が回復した1970年4月、「パックインミュージック」のパーソナリティーとして出演する事が決まった。本人は深夜〜早朝の番組に、当初は消極的だったが、その後、出演を許諾。放送開始直後に行われた、TBSの社員健康診断で、医者から「結核を患っている」事を告げられ、番組を休養(事実上降板)。5回で降板した。その後を、林美雄が引き継いだ。
  • たけしの日本教育白書』(フジテレビ系、2007年10月27日放送)に出演した際、「テレビ(のレギュラー番組の司会をやるのは)もうやめた」「テレビは疲れる」などといった、テレビへの本格復帰に消極的な発言をしている。
  • 『土曜ワイドラジオTOKYO』は前身『永六輔の土曜ワイド』時代から長年に渡り担当している。パーソナリティを務めた永六輔は久米にとって、放送業界での師匠格にあたる。
  • 「僕は、社会党が政権を取ったら、アンチ社会党になりますから。これは間違いないです。共産党が政権取れば、アンチ共産党です。だいたいマスコミが政権と同じ所に立ったらめちゃくちゃですから、その国は。なぜ反自民かというと、政権を取っているからです。それ以外には、理由はないですね」と語っているように、自身のスタンスは「反自民」ではなく「反政権与党」である旨を表明している。『ニュースステーション』キャスター当時、現政権を徹底的に糾弾するスタンスを曲げることはなかった。
  • 『ニュースステーション』末期は、イラクへの自衛隊派遣に反対する意見を言い続けた。また、新しい歴史教科書をつくる会が従来の教科書と比べ、保守主義的な教科書を作成した際は、コメンテーターとして番組に出演した、朝日新聞の論説委員とともに「中韓との関係を損ねる」「戦前復古的」「はっきり言った方がいいです、この教科書は嫌だと」などの発言をした。
  • ミャンマー(ビルマ)の軍事政権に批判的で、『ニュースステーション』時代から、同国を「ビルマ」と呼んでいる。
  • 広島東洋カープ福岡ソフトバンクホークスのファン。2000年、福岡ダイエーホークスの始球式に出た事がある。その時の背番号は「9:54」。これは、当時のフライングスタートを開始した『ニュースステーション』の開始時刻「9時54分」にちなんでいる。なお、始球式に関しては『ニュースステーション』で「久米さん、始球式ですよ!」というコーナーが組まれ、キャッチボールの練習を念入りに行った。1989年に広島が優勝を逃して、巨人が優勝した際、ライバル局・日本テレビの『NNNニュースプラス1』に坊主頭で生出演し、巨人ファンの徳光和夫に半ば強制的に「巨人軍優勝、ばんざーい!」と言わされた。
  • 『ニュースステーション』と『NEWS23』のキャスター対決と注目された、筑紫哲也との関係は決して悪くなく、『ニュースステーション』の最終回終了直後の『NEWS23』では筑紫が賛辞を送った(上記参照)他、2人ともカープファンという共通性があり、1991年の日本シリーズ西武ライオンズ-広島東洋カープ)の対戦で、一緒に球場で観戦した。
  • 山口百恵の熱狂的ファンを公言しており、『ザ・ベストテン』時代は百恵の体に軽くタッチしたり、百恵が歌い終わった後、絶叫するなどし、同じく司会者である黒柳徹子に窘められるという場面が数多く見受けられた。百恵が三浦友和との「恋人宣言」(後に結婚)発表後、久米は、かなり気落ちしていたらしく、同番組で、その件に関し、百恵にコメントを求めた時も、久米は思わずマイクを落としそうになるハプニングが見られた。当時、TBSで放送された、百恵の引退コンサート番組の司会を久米が務めている。
  • 『ニュースステーション』担当時の口を開けず、のけぞるように爆笑する笑い方は頻繁にものまねをされた。
  • 『ニュースステーション』では、テレビ朝日が中継する新日本プロレスの話題が取り上げられた事はほとんどない。久米の休養中は取り上げられた。全日本プロレスジャイアント馬場が登場した事は何度かあった。馬場の死去時は久米自ら「テレビ朝日には、プロレスの映像が数多くあります」と話し、日本プロレス時代の馬場の試合映像を放送した。
  • ニュースステーション』は今日のニュース番組としては珍しく、一切プロンプターを使用せず、原稿を机の上に置いて読み上げる方式を終始一貫して行った。久米は自著で「視聴者の側を向いた、ニュースショー番組にしたかったから」と記している。
  • 阪神大震災の取材の際、森永ヒ素ミルク中毒事件の被害者で、脳性麻痺の後遺症を抱える男性と偶然知り合い、現在も交流を続けている。彼との出会い以来、森永グループの製品を口にできなくなった。この件については2007年10月27日放送の『たけしの日本教育白書』(フジテレビ)で、詳しく語った。
  • 『ニュースステーション』担当時は夏休みを一月以上も取っていた。久米の休暇中に、大災害が起こる事があった。アメリカ同時多発テロ事件も、久米の夏休み中に起こり、サブキャスターの渡辺真理が第一報を取り上げた。久米はその2日後に夏休みを切り上げて、復帰している。
    • 休暇中は人間ドックを受けた後、『ニュースステーション』を放送していない山陰地方の温泉を旅行する事が度々あったが、とりわけ『ニュースステーション』の視聴率が高かった近畿地方からの旅行者が多く、「番組を見られていないところに行ったはずなのに、『ニュースステーション観てます』と声をかけられて困った」と語っている。
  • 身長は『ニューステーション』等で長らく、「私の身長は180cmです」と公言してきたが、後に縮んで、178cmになったことを明かしている。
  • NHKのことを嫌いと話し、『NHK紅白歌合戦』の司会を打診されたとしても断るとしている。
  • 『ニュースステーション』の後番組『報道ステーション』のメインキャスターを務める、古舘伊知郎に対して、「自分は家を土台から造った。自由に造って来た。でも、彼はその土台を壊す事をさせてもらえずに、建物を造る様にさせられている。その事に苦労していると思う」と彼を気遣うコメントをしたことがある[2]
  • 久米宏 ラジオなんですけど』において、2012年4月以降、14時台のゲストコーナー「今週のスポットライト」の協賛スポンサーに朝日新聞が就いたにもかかわらず、番組中に「バカ朝日新聞」と誹謗するコメントが放送された事があった。
  • 2013年上期のNHK連続テレビ小説あまちゃん』では、劇中劇として『ザ・ベストテン』のパロディ番組、久米を模した司会者役(演:糸井重里)が登場している。久米はこの場面を視聴した事を、同年7月27日放送分の『ラジオなんですけど』で語っている。

現在の出演番組[編集]

ラジオ[編集]

テレビ[編集]

久米書店(BS日本テレビ)

過去の出演番組[編集]

テレビ[編集]

TBS
日本テレビ
フジテレビ
テレビ朝日
テレビ東京
  • 久米宏 経済スペシャル
    • 「酒を飲まない、車に興味の無い、消費しない若者たち」(2008年6月1日)
    • 「1秒でも早く結婚したい女たち」(2008年12月28日)
    • 「激変するニッポンの食卓」(2010年11月14日)
    • 「東京って幸せですか?」(2011年12月18日)
BS民放5局共同キャンペーン
  • 久米宏のニッポン百年物語」(2013年 - 2014年)
    • 「久米宏のニッポン百年物語 食の100年 おいしいは力だった」(BS日テレ)
    • 「久米宏のニッポン百年物語 医学の100年 日本人はなぜ長寿になったのか」(BSフジ)
    • 「久米宏のニッポン百年物語 流行歌の100年 未来に残すべきニッポンの歌」(BS-TBS)
    • 「久米宏のニッポン百年物語 鉄道の100年 日本人は鉄道がつくった?」(BS朝日)
    • 「久米宏のニッポン百年物語 家族の100年 人生相談にみる日本人」(BSジャパン)
パソコンテレビGyaO

ラジオ[編集]

TBS
ニッポン放送
J-WAVE
  • Jam the WORLD(2003年12月19日、『ニュースステーション』年末スペシャルとのコラボレーション)

著書[編集]

  • 知的センスおしゃれ会話入門(青春出版社、1979年4月、プレイブックス)
  • 久米宏の新・素朴な疑問 ひまつぶしに笑ってみようか(TBSラジオ編、ベストセラーズ、1981年4月、ワニの本)
  • テーブルマナーなんか怖くない 食べ方でわかる女の魅力(ベストセラーズ、1981年7月、ワニの本)
  • シズルはいかが(1984年7月、ケイブンシャブックス)
  • こんにちは、久米宏です(1989年12月、ケイブンシャ文庫)
  • もう一度読む「おしゃれ会話入門」 好印象と知性の隠し味をサラリ、のコツ(青春出版社、1997年9月)
  • 最後の晩餐 久米宏対話集(集英社、1999年4月)
  • ミステリアスな結婚(久米麗子共著、世界文化社、2001年3月、のち講談社文庫)

参考文献[編集]

  • 久米麗子・久米宏共著 『ミステリアスな結婚』(夫人との共著による自伝)
  • 久米宏 『おしゃれ会話入門』 
  • 三輪和雄 『偏なテレビの直し方―日本をダメにした久米宏と筑紫哲也
  • 久米宏 ニュースショーの孤独な道化師(上杉隆、「文藝春秋2003年8月号)

関連人物[編集]

TBS時代[編集]

ザ・ベストテン関係[編集]

  • 黒柳徹子(『ザ・ベストテン』で共演。その後も『ニュースステーション』にユニセフ親善大使、『久米宏ラジオなんですけど』にゲストとして数多く出演)
  • 山口百恵(『ザ・ベストテン』で共演。久米は山口の熱狂的なファンでもあった)
  • 八神純子(『ザ・ベストテン』で共演。久米は八神の体型などをよくからかっていた)
  • 中森明菜(『ザ・ベストテン』で共演。山口百恵同様、久米がその才能を評価していた)

ニュースステーション関係[編集]

  • 小宮悦子(『ニュースステーション』で共演)
  • 渡辺真理(TBSの後輩であり、渡辺の退社後に『ニュースステーション』で共演)
  • 小林一喜(『ニュースステーション』で共演)
  • 若林正人(『ニュースステーション』で共演)

その他[編集]

  • 永六輔(『土曜ワイド』で共演。久米の放送界における「師匠」ともいえる人物)
  • 芳村真理(『料理天国』で共演。最終回の打ち上げパーティーにも久米は当時参加している)
  • 萩本欽一(『ぴったしカン・カン』で共演)
  • 坂上二郎(『ぴったしカン・カン』で共演)
  • 横山やすし(『TVスクランブル』で共演) 
  • みのもんた(久米のライバル的存在としてよく引き合いに出される。元文化放送アナウンサー)
  • 筑紫哲也(『ニュースステーション』のライバル番組だった『筑紫哲也 NEWS23』のメインキャスター。久米同様、平日最終版のニュース番組の概念を大きく変革させた人物)
  • 肥後克広ダチョウ倶楽部、久米のモノマネの草分け)
  • 小島慶子(『久米宏ラジオなんですけど』でのパートナー)
  • 福山雅治(ドラマ『ガリレオ』で共演)
  • 平野レミ(『ミュージック・キャラバン』で共演)
  • 古舘伊知郎(『ニューステーション』の後番組である『報道ステーション』のメインキャスター)
  • 西野朗(遠縁にあたる)
  • 久米明(冗談でたびたび「私の父親」、「親子」と話す俳優。実父ではない。)

出典[編集]

  1. ニュースステーション#所沢ダイオキシン訴訟
  2. 『久米宏と1日まるごと有楽町放送局』での公開記者会見にて発言。

外部リンク[編集]

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