ラジオ

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ラジオ英語radioテンプレート:Audioとは、無線通信により音声を送受信する技術である。一般的にはラジオ放送(放送無線電話[1])やラジオ受信機の略称[1]の意味で使用される。radiotelegraphy無線電信)の短縮語を語源とする。レディオレイディオと呼称される場合もあり、古くはラヂオとも表記した[2]

概説[編集]

会話や音楽などの音声信号を、電波を使って送受信する。いくつかの方式があるが、最も歴史の長いのは振幅変調による中波放送で、基本的な方式は100年間も変わらず、現在でもラジオ放送の主流である。この方式および受信機は一般に「AM放送」「AMラジオ」と呼ばれる。また周波数変調による超短波ラジオ放送も広く普及しており、「FM放送」「FMラジオ」と呼ばれる。本項目でも特筆しない限り、この呼び方を用いる。

災害耐性[編集]

送信システムは比較的簡単な構造で、仮に地震などで放送局が破壊されても、肩に担げる程度の大きさの小型送信機から放送することも可能。これを活かし、大規模災害の発生時には臨時災害放送局が開設されることがある。一部のラジオ放送局ではこの特長を利用し、自分以外の局員が全員操作できない状態になっても、1人いれば、全てを遠隔操作して放送が続けられるようになっている。東日本大震災以降、開局が盛んとなっている。

ラジオ放送の種類[編集]

変調方式による分類[編集]

電波に音響情報を乗せて送るためには、高周波の電波を低周波の音響信号で変調(modulation)する必要がある。変調方式の違いにより幾つかのラジオ放送方式が存在する。

周波数による分類[編集]

放送に用いられる電波の周波数の違いにより分類することもできる。日本では、中波放送、短波放送、超短波放送の3種類の放送が、その他の国ではこれに加えて長波を用いる長波放送が行なわれている。 極超短波以上を用いる地上波放送は、どの国でも行われていない(電波の性質上不適当であるためとみられる)。

長波放送[編集]

振幅変調(AM)による放送。放送バンドの周波数は153 - 279kHz

ロシアヨーロッパなどの高緯度(北緯60度超の)地域で放送に利用される。これは送信機が簡単に製作でき、低出力で広大な地域に伝播させられるためである。

日本では、放送法電波法施行規則に長波放送の定義がなされず実施もされていないので、ロシア極東地域の放送が比較的良好に受信できるものの一部の受信愛好家以外に需要はなく、受信機も少ない。

中波放送[編集]

詳細は 中波放送 を参照

短波放送[編集]

詳細は 短波放送 を参照

超短波放送[編集]

詳細は 超短波放送 を参照

ラジオ受信機の種類[編集]

詳細は受信機も併せて参照されたし。

回路方式による分類[編集]

回路方式により、以下の種類に分類できる。

鉱石
受信したものを増幅せず、鉱石検波器ゲルマニウムダイオード等で直接検波し、クリスタル・イヤホン等で聴取する。
ストレート
受信した周波数のまま増幅・復調を行う。戦前はほとんどこのタイプ。戦後は電子回路を理解するための電子工作で製作する程度の利用のみ。正帰還を用いた再生検波も広く用いられた。
レフレックス
ラジオ搬送波と復調後の音声の周波数帯域が異なるのを利用し、検波前の高周波増幅と検波後の音声増幅を一つの増幅素子で兼ねる方式。増幅素子には真空管トランジスタ等を用いる。昔は高価だった増幅素子を節約するために考案された。原理的にはストレート、スーパーヘテロダイン共にレフレックス方式とする事が可能ではある。
スーパーヘテロダイン
受信した周波数を一定の周波数(中間周波数)に変換した上で増幅・復調を行う。戦中は規制されており、戦後に主流となる。
ダイレクトコンバージョン
受信した周波数に近い高周波を発生させ、直接、音声信号を取り出す。近年、技術革新により安定して高周波を作り出すことが容易となり、中間周波数に変換する部品が省け小型化できるメリットから携帯電話などに盛んに用いられるようになった。
デジタル信号処理(DSP)
受信した周波数を一定の周波数(中間周波数)に変換し増幅・復調をデジタル信号処理して再びアナログ信号に変換してから音声信号を取り出す。近年、ソフトウェアラジオなどに用いられている。

チューニング方式による分類[編集]

ファイル:Radio-with-Alarm clock.jpg
アナログチューニング式の2バンドラジオ(目覚まし機能付)

チューニング(tuning、同調、選局)方式による分類は以下の通りである。

アナログ
可変容量コンデンサ(バリコン)や可変インダクタンス(μ同調器)やバリキャップと可変抵抗、などで選局するもの。大まかに振られた目盛りを頼りに(「コリンズ」のように精密なものもあるが)選局する。昔からあるタイプ。
デジタル表示式アナログ
同調回路はアナログと同様であるが、デジタル表示の周波数カウンタが内蔵されたもの。デジタルのように周波数を数字で確認しながらの直感的な選局が可能だが、テンキーやメモリによる選局は出来ない。また、中間周波の周波数をカウントし定数を足して(または引いて)受信周波数として表示するものであるから、調整がズレていると正確ではない。PLLが安価になる以前に、高級機やBCLラジオなどで採用が見られたが、次に述べるデジタル式の普及によりほとんど見られなくなった。しかし近年、PLLは消費電力が多い、コストがPLLより安い、などの理由で、デジタルを謳っているがこの方式、というラジオが見られるようになってきている。
デジタル(PLLシンセサイザ
基準周波数を元に、一定ステップの周波数を合成して同調回路を構成するもの。高級機や、近年は薄型機にも多く使われる。民生機では1970年代後半頃から登場している。

形態による分類[編集]

厳密な線引きは必ずしもないが、形態によりおおよそ以下に分類できる。

大型
部屋などに置いて使う大型のもの。真空管時代は殆どこれに属する。
通信型(通信用)受信機
送信機と組にする無線設備としての性能を重視したもので、外観としてはチューニング・ダイアルが大きく操作しやすい、読みとりやすい周波数目盛りがあるかデジタル表示になっている、感度や選択度を可変できるつまみ類が付いている、電波型式を切り替えるスイッチがある、外部アンテナ端子があるなどの特徴がある。ただし必ずしもこれらすべてを満たしているとは限らず、また機能が豊富なものではよりたくさんのつまみ、スイッチ、接続端子を備えているものもある。
ファイル:TU-307 Sansui Radio tunar.JPG
コンポーネントオーディオとして製品化されたチューナーの一例。AM放送とFM放送に対応している。周波数を選択するためのダイヤルや、信号強度、同調の具合を示す計器などが付属している(SANSUI製 TU-307)。
チューナー
コンポーネントオーディオのコンポーネントのひとつ。ラジオの受信機能のみ。アンプを通してスピーカーを鳴らす。
ポータブル
VHSカセット - タバコの箱位の大きさ。乾電池で動作可能。真空管時代にも電池管という電池で動作するミニチュア管やサブミニチュア管を使い、数十ボルト程度の積層乾電池を用いたものがあったが、消費電力の少ないトランジスタの登場により電池管ラジオは急速に衰退し、代わってトランジスタラジオが急速に普及していった。
薄型
シャツの胸ポケットに入る程度のもの。スピーカーを内蔵していないイヤホン専用のものもある。

受信周波数による分類[編集]

1バンド
多くは中波(530〜1605kHz)AMのみ、またはFMのみの製品で、安価な携帯ラジオやライトバン・トラックなどの商用車のカーラジオに多い。その他、ラジオNIKKEI受信専用の短波ラジオも市販されている(受信周波数が固定されておりスイッチ切り替えだけで済む代わり、周辺の局を聴くことは出来ない)。
2バンド
中波+FMが多い。アナログチューニングの機器は76.0MHz〜108.0MHzまで受信できるものが主流(アナログ終了後の2011年7月以降はアナログチューニング式でも90MHzまでのラジオが増えてきたが2015年頃からFM補完中継局が整備されることににより108MHzまで受信できるものがまた出始めている)。FMステレオが受信できるものや、わずかではあるがFM・AMともにステレオで受信できるものがある。デジタルチューニングのうち、一部の携帯ラジオやラジカセなど90.0MHz以降が「テレビ(TV)1〜3チャンネル」のようにチャンネル(音声周波数)が決まっているものは海外では受信できない。なお、FM放送開始以前の1960年代前半(FM東海が動き出したのが1958年末、NHK-FMが動き出したのが1969年)までは中波+短波(3.9〜12MHz)が多かった。現在でも、中波+短波(ラジオNIKKEI受信用)のラジオは市販されている。
3バンド
かつては中波+FM+テレビの1〜12チャンネルの音声が受信できるものが多く市販され、中波+FM+短波(3.9〜12MHz)も市販されていた。現在は中波+FM+短波(ラジオNIKKEI受信用)のラジオが市販されているほか、2012年に入ってからは中波+FM+テレビUHF(ワンセグ)の音声が受信できるラジオも市販されている。
4バンド以上
ファイル:SONY ICF-SW77.jpg
マルチバンドラジオ
中波+FM+短波放送のバンド75〜13mの各バンド、あるいは(長波)中波・短波の150〜530kHz〜30000kHzを連続受信可能な、「ゼネラルカバレッジ」と呼ばれるもの。ラジオとしては日本ではソニーのみ。他にはソニーのICF-890V(生産終了)や、一部のラジカセなどで中波+FM+テレビVHF(1〜12チャンネル)+テレビUHF(13〜62)というタイプもあったが、1〜3チャンネルを除く(ハワイ及びアメリカ本土では88MHz〜108MHzまでが放送バンドである。超短波放送参照)VHFバンドとUHFバンドは2011年7月24日岩手宮城福島の各県は2012年3月31日)に地上デジタルテレビ放送への完全移行による地上アナログテレビ放送の終了で受信できなくなるため生産が打ち切られ、中波+FM+テレビVHFの1〜12チャンネルの音声が受信できる3バンドラジオや中波+FM+短波(ラジオNIKKEI受信用)+テレビVHFの4バンドラジオも同様の理由で生産が打ち切られた。

歴史[編集]

世界[編集]

無線での音声放送(ラジオ)を世界で初めて実現したのは元エジソンの会社の技師だったカナダ生まれの電気技術者レジナルド・フェッセンデンで、1900年に歪みはひどいものの最初の通信テストに成功した。彼は引き続き、ヘテロダイン検波方式や、電動式の高周波発振器を開発してラジオの改良に取り組んだ。

1906年12月24日には、アメリカ・マサチューセッツ州の自己の無線局から、自らのクリスマスの挨拶をラジオ放送した。フェッセンデンはこの日、レコードヘンデル作曲の「クセルクセスのラルゴ」を、そして自身のバイオリンと歌で“O Holy Night”をそれぞれ流し、聖書を朗読した。この放送はあらかじめ無線電信によって予告されたもので「世界初のラジオ放送」だっただけでなく「最初のクリスマス特別番組」でもある。フェッセンデンは「史上初のラジオアナウンサー&プロデューサー」と言えるだろう。

フェッセンデン以後、実験・試験的なラジオ放送が世界各地で行われるようになるが、正式な公共放送(かつ商業放送)の最初ははるかに下って、1920年11月2日にアメリカ・ペンシルベニア州ピッツバーグで放送開始されたKDKA局と言われる。これはAM方式によるものだった。最初のニュースは大統領選挙の情報で、ハーディングの当選を伝えた。

あるマンハッタンの住人は、ラジオについて手記を残している。

「ラジオの世界、それは、私にとってリアルそのものだった。まるで目の前に映画スターやミュージシャンがいるかの様に思えた・・・。ある日のこと、私たちがラジオを聞いている間に、女の子が近くの井戸に落ちたことがあった。誰もそのことに気づかず、井戸に落ちた女の子が見つかるまで3日もかかったのだ・・・。どこにいても、『何か新しいこと聞いた?』というのが人々の合言葉だった」[3]

極長距離を伝送できる短波ラジオ放送を最初に行ったのはオランダ国営放送で、1927年11月から海外植民地向けに試験放送を開始、翌1928年には当時オランダ領だったインドネシアジャワ島での受信に成功する。この実績に追随してドイツソ連フランスイタリアイギリス等が1929年 - 1932年にかけて植民地向け放送や海外宣伝放送を短波で開始している。

周波数変調方式(FM方式)は、フェッセンデンによって1902年に考案されているが、実用化されたのは1933年になってからで、アメリカのエドウィン・H・アームストロングの手による。アームストロングは1920年にスーパーヘテロダイン検波方式も実用化している。 FM方式による公共放送はアメリカで1938年から試験的に開始された。

2000年代に入って、先進国で地上デジタルラジオ放送が開始され、またアメリカのシリウスXMラジオのような衛星デジタルラジオサービスも開始されている。

日本[編集]

国民のラジオ熱(免許制以前)[編集]

アメリカでのラジオ放送開始は、即座に日本にも伝わった。

ラジオ受信機の製作に関する雑誌(現在はオーディオ雑誌に変わっているが誠文堂新光社刊の「無線と実験」など)が数多く発売され、また新聞社による独自のラジオ中継が行われたりした(1924年には、大阪朝日新聞による皇太子昭和天皇)御成婚奉祝式典や大阪毎日新聞による第15回衆議院議員総選挙開票の中継をはじめ、数多くの実験的要素の強い中継が行われている)。

1923年12月、逓信省は放送用私設無線電話規則を制定。翌年、当面東京名古屋大阪の3地域で、公益法人として各1事業者ずつ、ラジオ放送事業を許可する方針を打ち出した。

日本初のラジオ放送[編集]

ファイル:ラジオ番組表 (1925年).jpg
1925年のラジオ番組表。『朝日年鑑 大正14年 - 大正16年』より。“米突”はメートルの当て字。つまり375m=800kHz、385m=779kHz

日本初のラジオ放送は、1925年大正14年)3月22日9時30分、社団法人東京放送局(JOAK:現在のNHK東京ラジオ第1放送。略称:AK)が東京・芝浦東京高等工芸学校千葉大学工学部の前身)内に設けた仮送信所から発した京田武男アナウンサーによる第一声は

アーアー、聞こえますか。(間)JOAK、JOAK、こちらは東京放送局であります。こんにち只今より放送を開始致します

だった。当時使われていたラジオは「探り式鉱石受信機」がほとんどで、第一声の「アーアー」は、この間に聴取者が鉱石の針先を一番感度の良い部分に調節できるようにするための配慮と言われている。

波長は375m(周波数800kHz)、空中線電力(出力)約220Wだった。当時の受信機の性能に比して出力が弱かったため、東京市内でないとよく聴こえなかった。

元々は3月1日に放送を開始する予定だったが、購入する予定だった、当時日本に1台しかないウェスタン・エレクトリック(WE)社製の放送用送信機が、前年12月に同じく設立準備中の社団法人大阪放送局(JOBK:現在のNHK大阪放送局、略称:BK)に買い取られてしまった。

そこで東京放送局は、東京市電気局電気研究所が放送実施のために購入したゼネラル・エレクトリック社製の無線電信電話機を借り放送用に改造して使用することにしたが、2月26日逓信省の検査で「放送設備が未完成のため3月1日の放送開始は時期尚早」と判断された。

既に3月1日から放送を開始すると発表しており、また、大阪放送局よりも先に日本初のラジオ放送を行いたいということで、「試験送信」の名義で逓信省の許可を受け、何とか3月1日から放送を開始することができた。

3週間の試験放送の後、逓信省の検査に合格し、3月22日に仮放送(仮施設からの正式な放送という意味)を開始し、7月12日東京府東京市芝区(現在の東京都港区)の愛宕山からの本放送が開始された。これには改めて購入した出力1kWのWE社製送信機を使用した。

大阪放送局はその年の6月1日から仮放送を出力500Wで開始した。

さらに、社団法人名古屋放送局(JOCK:現在のNHK名古屋放送局、略称:CK)も同年7月15日に、出力1kWのマルコーニ社製送信機を使用して放送を開始した。

1945年まで[編集]

社団法人東京・大阪・名古屋放送局は翌年の1926年に「社団法人日本放送協会」として統合された。これは実質的には政府機関的な性格を持っていた。「全国鉱石化」(日本全国のどこでも鉱石受信機によるラジオ聴取を可能とするインフラの整備)を目標に日本各地に放送局を開設したほか、当時日本領だった南樺太豊原放送局)や南洋群島パラオ放送局)にも置局した。さらに、朝鮮には朝鮮放送協会台湾には台湾放送協会が設立され、日本放送協会の番組を多く中継した。

受信機としては、交流商用電源や大容量電池によって作動する真空管を使ったものが登場し、鉱石式のイヤホンに代わって、スピーカーで大きな音量の放送が聞けるようになる。ラジオ受信機自体は国内メーカーによって生産が可能となっており、アマチュアによる受信機自作も当時から趣味の一ジャンルとして広まり始めていた。

やがてラジオ受信機の普及が進み、音楽、演芸、スポーツ中継、ラジオドラマなどの多彩なプログラムが提供されるようになったことで娯楽の主役となったが、1941年太平洋戦争大東亜戦争)開戦とその後の戦局の進行と共に大本営発表を行なうための機関と化しプロパガンダ的な番組が増えた。この傾向は終戦まで続いた。

1945年8月15日に終戦ノ詔勅(いわゆる玉音放送)が放送され、戦後は海外領土を失う。「社団法人日本放送協会」は連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の管理・監督下に置かれ言論統制が行われた。アメリカ軍イギリス軍を中心とした(中華民国軍及びソビエト連邦軍は日本に進駐していない)、いわゆる進駐軍向け放送局が主要都市に置かれた。アメリカ軍向けは後にFEN、現在のAFNの前身である。一部の局については日本放送協会から施設や役務の提供が行われた。

1945年 - 1959年[編集]

ファイル:5tubes-radio.jpg
1955年頃のラジオ受信機、5球スーパー式。FM放送が始まる前の機種なのでバンドは中波と短波のみ

1950年に「社団法人日本放送協会」が公共企業体としての「特殊法人日本放送協会」に改組され、翌1951年には9月1日朝に中部日本放送(現・CBCラジオ)、同日昼に新日本放送(現・毎日放送MBS〕)が、同年12月25日にはラジオ東京(現・TBSラジオ)と、民間放送も相次いで開始された。1953年にはテレビ放送も開始されたが、白米10kg680円、銭湯の入浴料15円程度だった時代にテレビ受像機の価格は20 - 30万円程度と高価で一般には買えず、ラジオが一家の主役であり続けた。

ラジオ受信機にしても当時は物品税が高価で、メーカー製完成品を購入するよりは秋葉原などから真空管などの部品を買い集めて自作したほうが安かったために、受信機を製作する人が多かった。彼らは「少年技師(後のラジオ少年)」とも呼ばれ、高度成長期の日本のエレクトロニクス産業の発展の基礎を作る要因の一つともなった。

しかし、当時の皇太子・明仁1959年に正田美智子と結婚しパレードのテレビ中継が行なわれたのをきっかけに、テレビ受像機が普及し始め、ラジオは斜陽化の時代を迎える。

一方、超短波を使用したFMラジオ放送については、1957年12月にNHK-FMが東京で試験放送を開始し、翌1958年12月には学校法人東海大学により、放送教育を目的とした「東海大学超短波放送実験局」が放送を開始した。1960年には日本最初の民放FM局であるFM東海となり、1970年には同局を引き継ぐ形でFM東京が開局している。

1960年 - 1974年[編集]

この頃、部品のトランジスタの普及が進み、これを使ったトランジスタラジオの商品化や、さらにモータリゼーションにより、カーラジオが普及するなど、ラジオは一家に一台から一人に一台というパーソナル化の方向へ向かう。ラジオ放送は家族をターゲットにした編成から、個人をターゲットにした編成へと転換していく。情報トーク番組や音楽番組が増えた他、ターゲットを絞った深夜放送も盛んになった。

1950年代後半から試験放送を続けていたFMラジオ放送は、1969年NHK-FMの本放送が開始され、同年にはFM愛知が開局している。1970年から71年にかけては、FM大阪FM福岡、そして東海大学から一企業に運営が引き継がれたFM東京の3局が相次いで開局した。いずれも音楽を中心とした編成で、高音質のステレオ放送により、レコードに次ぐHi-Fi音源として人気を集めることになる。放送される楽曲を、オープンリールテープやカセットテープで録音する「エアチェック」も流行し、エアチェックを目的として放送される楽曲が載ったFM情報誌も創刊された。しかし、民放局を中心に「楽曲そのものを楽しむ」から「トークの合間に楽曲が流れる」など番組スタイルの変化などから、次第にエアチェックという言葉自体が廃れていくようになる。

1975年 - 1989年[編集]

ファイル:ICF5900.jpg
代表的なBCLラジオ ソニー スカイセンサー5900

1970年代後半に、中東戦争オイルショックをきっかけとして海外の国際放送を受信するBCLブームが中学生・高校生を中心に起こった。この時期には、日本向け日本語放送の充実を図る放送局も多く、時事ニュースに留まらずその国の文化などの理解を深めるうえで一定の役割を果たした。また、受信報告書を送ると受け取れるベリカードの収集も盛んに行われた。さらに、送信方向が日本向けではないなど、一般的には受信困難な放送を工夫を重ねて受信しようとするマニアも増えた。これに応じ、受信周波数帯域の広いラジオ受信機、いわゆるBCLラジオが各社より発売され、戦後2回目の黄金期だった。しかし、日本からの海外旅行の一般化や通信の自由化を遠因とする国際放送の縮小などで、BCLブームも終わりを遂げ、2006年現在、BCLラジオもソニー以外は撤退した(そもそも一般のラジオ受信機自体、ソニーとパナソニックに整理されている)。

1978年11月23日には国際電気通信連合(ITU)の取り決めによりAMラジオの周波数一斉変更(10kHz間隔→9kHz間隔。通称:9キロヘルツセパレーション)が行われた[4]

1982年FM愛媛をはじめに全国に民放FM放送局が相次いで開局する。1988年には東京で2番目となるエフエムジャパン(現:J-WAVE)が開局、大都市圏では複数の民放FM局が開設されるようになり、対象セグメントの多様化が進んだ。

1990年 - 1999年[編集]

1992年にはコミュニティ放送が制度化され、都道府県単位よりもかなり狭い地域を対象としたラジオ放送が行われるようになった。1992年にはAMステレオ放送が開始した。1995年にはFM文字多重放送もスタートする。

1995年阪神・淡路大震災では、災害時における情報伝達メディアとしてのラジオの重要性がクローズアップされる結果となった。以降、各局とも災害への対応を重点に置くようになり、また大都市圏には外国語FM局も開局する。

2000年 - 2009年[編集]

ファイル:IPod-5.5G-FM-Radio-connect-with-earphone.JPG
iPodにおけるラジオ受信装置(左のリモコン)

インターネットラジオの登場、さらに衛星や地上デジタルラジオも加わり、従来のアナログラジオ放送とともに、ラジオの多様化が進んでいる。

一方、メディアの多様化が起因となりラジオ離れの動きが顕著化してきており、それに伴い広告費も減少し続けていることから、ラジオ局は厳しい運営状況を強いられている(詳細はラジオ離れを参照)。

AMステレオ放送を実施していた放送局も会社の合理化に加え、送信機更新の際に必要な装置が2000年半ばまでに生産中止になったのに伴い、AMステレオ放送を終了して元のモノラル放送に戻す放送事業者も2000年代後半に九州地区で出てきた。

2010年以降[編集]

2010年にAMステレオ放送を終了する局が相次ぎMBSラジオHBCラジオ2月28日深夜3月1日未明)、ABCラジオ3月14日深夜(3月15日未明)、STVラジオ3月28日深夜(3月29日未明)の放送をもってAMステレオ放送を終了した。翌2011年1月30日深夜(1月31日未明)にはTBSラジオも終了し、今後も縮小傾向が続く様相である。

2010年3月14日深夜(3月15日未明)より、地上波のラジオ放送と同内容をインターネットを利用してサイマル配信するIPサイマルラジオ「radiko」の実証実験が開始された。またこれとは別に、RNBラジオでは、独自で2010年10月1日にCATVサイマル放送を、同年12月18日から2011年3月31日までIPラジオ実験放送をした。

ステレオ放送[編集]

複数の放送波による立体放送[編集]

ファイル:AM Stereo 02.jpg
二波利用のステレオ受信機

民放ラジオ放送が開始された頃の1950 - 1960年代、NHKのAM第1第2放送や民放各社などが2つまたはそれ以上の放送波を使った立体放送を行った。NHKの例でいえば第1放送が左側の音声、第2放送は右側の音声をそれぞれ放送して2つのラジオを並べて置くとステレオ音声が楽しめるという試みだった。また、ラジオとテレビを併用した立体放送も実施された。

この方法では問題点が多く、「モノラル放送との互換性がとれず、受信機を2台用意しないと片方のチャンネルしか聞くことができない」「左右用の受信機に位相特性、周波数特性、レベル等の特性差があると正しいステレオイメージが得られない」「周波数帯域を必要以上に占有する」「NHK等を除くと2局が協力しないと実現できない」などである。現在のFMステレオ放送や中波ステレオ放送ではこれらの問題点は解決されている。

沿革[編集]

  • 1952年
    • 12月5日 - 7日 - 第1回オーディオフェアにちなみ、NHK東京AM第1・第2放送の放送終了後の0:35 - 1:00に立体放送の試験放送実施(音楽・街頭風景の録音再生。録音・再生機には東京通信工業製(現・ソニー)のステレオ試作テープ・レコーダーを使用)。
    • 12月20日 - NHK東京ラジオ第1・第2放送、最初の立体放送の本放送実施(『土曜コンサート』。東京ローカルのみ)。
  • 1953年
    • 1月9日 - 北海道放送FEN北海道(札幌)、共同で日米交歓音楽会の立体放送実施。
    • 2月28日 - NHKラジオ第1・第2放送、第2回の立体放送の本放送を全国中継で実施(『土曜コンサート』)。
    • 3月22日 - NHKラジオ第1・第2放送、明治座新派劇『息子の青春』をステレオ録音にて放送。
    • 8月23日 - NHKラジオ第1・第2放送、初の立体放送劇『死んだ鶏』を放送。
  • 1954年
  • 1958年
    • 6月28日 - 北海道放送(札幌)、ラジオ・テレビにより立体放送の実験実施。
    • 9月 - 文化放送・ニッポン放送(東京)、共同で立体放送実施。翌年からは立体放送による帯番組として『パイオニア・イブニング・ステレオ』放送開始。
    • 11月 - 中部日本放送(名古屋)、ラジオ・テレビにより立体放送実施。
  • 1959年
  • 1960年
    • 東北放送(仙台)、ラジオ・テレビにより立体放送実施。
    • 3月1日 - NHK東京、『立体音楽堂』の時間にラジオ第1・第2・教育テレビを使って三元立体放送実施(第2回NHKイタリア歌劇公演よりビゼー作曲・歌劇『カルメン』ハイライト)。
    • 3月27日 - 関西テレビ放送(大阪)・ラジオ関西(神戸)、ラジオ・テレビによりステラマ(ステレオ・ドラマの略)『コルトを持つ男』を放送。
    • 10月4日 - 中部日本放送・東海ラジオ放送(名古屋)、共同で立体放送開始。
    • 11月5日 - 琉球放送(那覇)がKSAR(日本語)とKSBK(英語)の2波を使って立体放送開始。
  • 1965年4月3日 - 前年にNHK-FMのステレオ放送が全都道府県で聴けるようになったことを機に、NHKラジオ第1・第2放送はこの日に放送された『夜のステレオ』の最終回を最後に中波2波によるステレオ放送を終了する。

FMステレオ放送[編集]

アメリカで1961年ゼネラル・エレクトリックゼニス社の共同に基づく「AM-FM」方式が標準ステレオ方式として採用され放送が開始された。日本でも1963年6月25日から当時のFM東海によってこの方式による試験放送が開始される。

日本においてステレオ放送開始の当初、地方都市などに電電公社のステレオ中継回線が整備が整備されるまでNHKでは各基幹局札幌仙台東京金沢名古屋大阪広島松山福岡)に、民放では各放送局に2トラック19cm/sのオープンリールのパッケージテープを送りそれを再生して放送し、更に基幹局でないNHKのFM局では沖縄県及び鹿児島県奄美大島地域を除いて全て放送波中継にて全国番組のステレオ番組が放送されたという[誰?]。その後、1978年10月1日からFM放送用のPCMステレオ回線が整備され始め1980年代には全国のNHK及び全民放FM局にその設備が導入されるようになった。2010年頃からこれまでのPCMステレオ回線に代わり、AM・FMラジオ共用の光デジタル回線が用いられていて、全国一律安定した音質で届けることができるようになっている。詳細はNHK-FM放送の項を参照のこと。

沿革[編集]

  • 1960年8月 - FM東海が、米クロスビー研究所が開発したFM-FM方式によるステレオ実験放送を開始(1961年にAM-FM方式が標準ステレオ方式になるまで実施)。
  • 1963年
    • 6月25日 - FM東海が、日本初のAM-FM方式によるステレオ実験放送を開始。
    • 12月16日 - NHK東京FM放送局が、AM-FM方式によるステレオ放送を開始。
  • 1964年 - NHK-FMが全国に放送局を相次いで開局させ(この時に同時にステレオ放送を開始した局も多い)、遂にFMステレオ放送が全都道府県で聴けるようになる。
  • 1969年3月1日 - 全国のNHK-FMの本放送開始。
  • 1977年12月 - 全国のNHK-FMのローカル放送ステレオ化工事完了。NHK-FMのローカル番組が全局でステレオで放送できるようになる。これに伴い、NHK沖縄のFM放送でもローカル番組のみステレオで聴けるようになる(全国放送はモノラル放送のまま)。
  • 1978年10月1日 - NHKのFM放送用PCMステレオ回線が東京-名古屋-大阪間で開通し、運用を開始する。
  • 1979年12月24日 - 全国のNHK-FMの基幹局全てにFM放送用PCMステレオ回線が開通し、運用を開始する。これに伴い、ステレオ放送開始当初から行っていた各基幹局へのパッケージテープの送付が廃止される。
  • 1980年 - FM民放4局間(FM東京 - FM愛知 - FM大阪 - FM福岡)にFM放送用PCMステレオ回線が開通、運用開始。全国FM放送協議会の興り。
  • 1984年 - NHK沖縄にFM放送用PCMステレオ回線が開通し、同県及び鹿児島県の奄美大島地域がようやく全国放送のFM番組がステレオでの放送が可能になった。
  • 1985年 いつ? - 全てのNHK放送局に、FM放送用PCMステレオ回線が導入される。
  • 2010年 いつ? - 全てのNHK放送局でこれまで使用していたFM放送用PCMステレオ回線から、AM(ラジオ第1・第2)・FMラジオ共用の光デジタル回線に切換。

AMステレオ放送[編集]

詳細は AMステレオ放送 を参照

インターネットを利用した展開[編集]

SimulRadio[編集]

詳細は SimulRadio を参照

IPサイマル放送[編集]

詳細は radiko を参照

テレビとの違い[編集]

室外アンテナが主流のテレビと異なり、受信機に備え付けのアンテナを使った室内での受信が普通なので、受信環境がチャンネル選択に影響を及ぼす。放送区域内だからといって必ずしも全ての局が安定して受信できる訳ではない。そのため、そういった環境下では、チューニングしやすい局がよく聴かれる傾向にある。特に、室内で受信する場合、建物(※鉄筋コンクリート等)によって電波が遮られたり電気製品などのノイズを受けたりすることも多く、電波状態の良好な局が好まれる。受信環境は別売りの外部アンテナを使用したり、FMの場合はVHFアンテナを使用し改善できる場合もある(電界強度の弱い地域ではVHFアンテナを使用しても改善できない場合がある。この場合はFM帯域に対応した外部アンテナが必要となる)。ただし、VHFアンテナはアナログテレビ放送の終了にともない、2010年に大手メーカー各社が相次いで生産打ち切りを発表した。

仕事や作業をしながらでも番組を楽しむことができるため、職場やカーラジオなどで聴取されることも多い。首都圏では10:00 - 11:00にテレビの視聴率よりもラジオの聴取率が高くなる。地域・放送内容・機器などの影響により、長時間にわたり1つの局を聴取する傾向のリスナーもいる。番組ごとのスタッフ数は、テレビと比較して少ない[5]

放送局の選局は、ダイヤルを回してチューニング(※いわゆる同調)するタイプが安価なものを中心に多数採用されており、テレビ同様プリセット式で局をボタンで一発選局(いわゆる電子チューナー)できる受信機もある。

短波による国際放送の場合、同じ内容の放送を同時に複数の周波数で放送し、聴取者が最も受信状態の良好な電波を選んで受信できるようにしているのが一般的である。

音声と画像を記録するテレビ番組は予約可能で録画機器が独立/内蔵レコーダー・パソコン・ワンセグ対応機器などとなっているが、音声のみ記録のラジオ番組を予約録音できる商品はラジカセ・CD/MDラジカセコンポICレコーダーHDDレコーダー・パソコン対応機器などの種類がある。また、ラジオ機器とタイマー・録音可能な機器などの機材を組み合わせて予約録音を行うことも可能であり、録音機器としてカセットデッキMDデッキ以外にもテープ部分が機械式のラジカセ・ビデオデッキ・DVDレコーダー・HDDレコーダー・パソコン(適切なソフトが必要)が活用できる場合もある。

テレビがデジタル放送を開始しているのに対して、衛星放送を除きラジオのデジタル化はまだ実験段階である。これは正式な周波数割当てが行われていない事、コピーガードに関する技術策定が遅れている事、一般向けの受信機が携帯電話やワンセグテレビチューナーに限られ殆ど発売されていないなど複合的な要因がある。

ラジオをテーマにした作品[編集]

フォネティックコード[編集]

和文通話表で、「」を送る際に「ラジオのラ」と発声する。

脚注[編集]

  1. 1.0 1.1 広辞苑』「ラジオ」2
  2. 戦前は多く用いられた。『朝日新聞』では1941年4月1日号に「『ラヂオ』は『ラジオ』に」という見出しの記事が掲載され、それ以降「ラジオ」という表記が増えたという。(『朝日新聞』2015年2月5日朝刊、10面)
  3. NHKスペシャル映像の世紀』・第3集「それはマンハッタンから始まった」の中から「マンハッタンの住民」より
  4. 中村禎昭、「中波放送用周波数の変更」、テレビジョン学会誌 32(10)、902-904、1978-10-01
  5. 番組制作における多様な雇用形態 -中堅ラジオ局の事例を中心に- - 2008年5月 久本憲夫(京都大学大学院経済学研究科 教授)、川島広明(日本民間放送労働組合連合会 近畿地方連合会 執行委員)
  6. 片手にラヂヲ♪Kraftwerk
  7. 明石政紀『ドイツのロック音楽 またはカン、ファウスト、クラフトワーク』 P139

関連項目[編集]

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