みのもんた

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みの もんた
みの もんた

みの もんた(本名:御法川 法男(みのりかわ のりお)、1944年(昭和19年)8月22日 - )は、日本司会者タレント実業家であり、自身の個人事務所である株式会社ニッコク代表取締役社長である。愛称は、みのさんみのちゃんなど。

東京都世田谷区祖師谷出身。現在は神奈川県鎌倉市在住。

来歴[編集]

みの もんた

幼少時、伯父が森繁久彌と一緒に芝居をしていた関係で、世田谷区の自宅の離れに森繁が下宿していた事があり、森繁の出演する映画のチケットを貰って、よく見に行っていたため、小学校に入学した頃には、映画や芝居に興味を持っていたという。

世田谷区立祖師谷小学校、立教中学校(現:立教池袋中学校)、立教高等学校(現:立教新座高等学校)を経て、立教大学経済学部へ進学。大学では放送研究会に所属し、ラジオドラマをやっていた。みのは、4年先輩の徳光和夫から「アナウンサーはいいよ」「これからはテレビの時代だよ」などと言われ、スタジオ見学などに連れて行ってもらっていたと述べている。

立教大学経済学部卒業後、1967年(昭和42年)文化放送に入社。なお、就職先の第一志望はTBS(東京放送)だったが、採用試験で不合格となっており、同年TBSに入社した久米宏を長年に渡り常に意識していたと再三語っている。なお、父親は宮城県栗原郡鶯沢村(現:栗原市)出身である。

文化放送時代[編集]

文化放送ではほとんどの期間をアナウンサーとして活動した。同期には落合恵子などがいる。

初めの2年弱は研修として、同じフジサンケイグループ産業経済新聞社(産経新聞社)に通っていた。新聞原稿をラジオニュース用の原稿(読み原)に書き換える仕事をしたが、まったくダメで「ニュースには向かない」と言われたと、後に当時アナウンス部長だった土屋恵が語っている。

文化放送での初めてのレギュラー番組は『ゲリラでいこう』(15分番組)。そして、ニッポン放送の『オールナイトニッポン』やTBSラジオの『パックインミュージック』で、深夜放送ブームに火が点き、遅れて始まった文化放送の『セイ!ヤング』の初代パーソナリティ1969年6月 - 1973年3月まで担当)に抜擢される。

ほぼ同じ頃、洋楽ランキング番組『オール・ジャパン・ポップ20』(『全国ポピュラーベストテン』の前身)では、オープニングで「♪みのみのー、もんた、みのもんた」と、独特の節まわしでリスナーの関心を惹きつけた(高橋小枝子とDJを担当)。

またプロ野球中継でもベンチリポーターを務め、後楽園球場読売ジャイアンツ戦やオールスターゲームなどを担当していたこともある。

後に、『みのもんたのワイドNo1』、『ダイナミックレーダー〜歌謡曲でいこう!〜』等を担当し、文化放送と同じくフジサンケイグループに所属するフジテレビの番組にも出演。『オールスター水泳大会』の司会などで人気を博したが、人事異動で営業部へ配転される。

1979年(昭和54年)9月に文化放送を退社。退社理由は、アナウンサー室にいながら、販売促進の仕事もしろという事になり、社内での嫌がらせやいじめがあったと、後に中村雅俊のラジオ番組にゲスト出演した際に語っている。

文化放送退社後[編集]

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父親が経営する水道メーター製造・販売会社「日国工業」に入社し、10年間全国を営業で回った。

その間、フジテレビに声を掛けられ、『プロ野球ニュース』の週末版で、雨が降って野球が中止になると、MLBのビデオを流し、それに「よっ、真っ黒に日焼けして」などとナレーションを入れた所、これが当たった。また『なるほど!ザ・ワールド』の国内リポーターや、『オールナイトフジ』でオールナイターズの実家を訪ねる「深夜の家庭訪問」などを担当し、コミカル系サブ司会者(コメディリリーフ的存在)として認知される様になる。

1989年(平成元年)4月から『午後は○○おもいッきりテレビ』(日本テレビ)の司会を担当。番組が高視聴率を取るようになり、一気に人気司会者の地位を築くに至った。

1999年(平成11年)10月、父親が経営する「日国工業」を受け継ぎ(それまでの自身の個人事務所「オフィスモンタ」を合併し、現在の「ニッコク」に社名変更)、代表取締役社長に就任。

タレント活動[編集]

  • 大学卒業時、TBSに入社を希望していた経緯もあり、同局(TBSテレビ)との関係を強化。2005年にはTBSで、初の報道冠番組「みのもんたの朝ズバッ!」を持った。
  • 本人が語った所によると最近 いつ?の目標は深夜の生帯レギュラーを持つことだという。
番組における発言
  • 番組中における歯に衣着せぬ発言と自身がレギュラー出演する番組が次々と高視聴率を稼ぐ為、テレビ界では「西の『やしきたかじん』、東の『みのもんた』」と言われている。
  • 日本の政治家や政党が与野党に関係なく、みのの発言で相場観をはかっている現象を、東京大学大学院助手の逢坂巌が「みのポリティクス」と名付けている。

経営活動[編集]

  • 1999年10月から株式会社ニッコクの代表取締役社長を務めており、過密スケジュールの合間を縫って毎日出社し、業務を行っているといわれる。入社試験の面接でみのが現れると驚く人もいるという。世間では副業ではないかといわれているが、会社経営のほうが本業だと語っている。
  • 同社は、父親から受け継いだ水道メーターの会社「日国工業株式会社」に、自分の事務所「オフィスモンタ」を吸収合併したものである。
  • 自身経営の水道メーター会社のライバル社「愛知時計電機」の株式を個人として7.18%所有(2009年3月31日現在)する第2位の株主でもある[1]

談合事件[編集]

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自身の番組で頻繁に政・官・業の不適切な関係を厳しく追及しているが、みの自身も、同様の関係を保持している。

  • 株式会社ニッコクは談合独占禁止法違反)で、何度も刑事告発をされていて、2003年に、追徴金7500万円、和解金3900万円を支払い、翌2004年には、再び他のメーカーとの談合で刑事告発された。さらに別口の談合で家宅捜査を受け、2005年2月には、追徴金400万円を支払っている。
  • 2004年(平成16年)7月15日に、ニッコクと愛知時計電機は他17社とともに2003年7月から2004年7月までの間に行われた東京都水道局発注の水道メータ買入れに係る競争入札に、いわゆる談合を行っていたとして公正取引委員会から排除勧告を受けた。また、各社に対し審決に応じて東京都は損害賠償請求をしている。
  • 談合事件に関して社長としての責任を問われて、「名ばかり」のお飾り社長で実務はわからないと釈明しているが、上記来歴の通り実務には精通しており、自身の番組などでは「名ばかり」のお飾り社長を痛烈に批判したこともある。
  • その東京都水道局の広報誌では、司会者みのもんたとして御園良彦水道局長(当時)との特別対談が掲載されている。また同年10月には、同様にみのもんた名義として東京都から東京五輪招致大使に任命され、水道メーターの納入業者の社長と東京都との関係、報道を扱う番組の司会者と行政との関係に公正性が担保されるのか疑問が持たれている。

セクハラ疑惑騒動、次男の逮捕[編集]

2013年8月30日に放送されたTBSテレビの『みのもんたの朝ズバッ!』の生放送内のCM明け直後、隣に立つ吉田明世アナウンサーの腰付近に手を伸ばし、女性アナがその手を振り払ったようにみえる映像が一瞬流れた。これに対して、TBS広報部は「セクハラ行為があったとは認識していないが、紛らわしい行為だったため、今後このようなことがないよう『番組担当者』に口頭で注意した」と公式に発表している。みのもんた本人への注意には触れられていない。

同年9月9日より、みのもんたは9月16日までの「夏休み」を理由にテレビ出演を休止した。みのもんたはこの年の8月9日から16日にも夏休みをとっており、情報番組の司会者が1年に2度も「夏休み」で番組を休むのは異例のことである。

9月13日には、同月11日に当時日本テレビ社員の次男が、泥酔し道で横たわっていた男性の鞄からキャッシュカードを盗み出し現金を引き出そうとしたとして窃盗未遂容疑で逮捕されていたことがわかった。次男は同年10月8日付で日本テレビを諭旨解雇処分となった。

「朝ズバッ!」を降板[編集]

「夏休み」でマスコミの前から姿を消していたみのもんたは次男の逮捕を受け、報道機関各社へ送信したファクスで自身が出演する『朝ズバッ!』と『サタデーずばッと』への出演を自粛すると発表。その後、10月25日にTBSから全ての報道番組を降板させることが発表された。『秘密のケンミンSHOW』と ラジオ番組『みのもんたのウィークエンドをつかまえろ』への出演は従来どおり続ける。

記者会見

10月26日午後、記者会見を行う。その冒頭で「世間をお騒がせして、誠に申し訳ございません」と謝罪した上で、「辞めなければ収まらない風潮感じた」「(報道は憧れであり)忸怩たる思い」と語った。前述のセクハラ疑惑に対して記者から質問され、「(アシスタントやキャスターが)発言をとちることがあるので、『しっかりしろ』の気持ちで腰をたたいた。セクハラなどということは全くありません」と述べ、否定した。

タレントみのもんた(69)が2013年10月26日、TBS系報道番組「みのもんたの朝ズバッ!」(月~金曜午前5時半)と「みのもんたのサタデーずばッと」(土曜午前5時45分)の降板や、窃盗容疑で逮捕された次男について都内で会見した。

関係者によると、みのの「朝ズバッ!」の出演料は放送1回につき300万円という。「サタデーずばッと」を合わせると、月曜日から土曜日までの出演で、単純計算すると、1年間で9億円を超える出演料を手にしていたことになる。報道番組のキャスターとしては破格の収入を得ていたが、みのは今回の降板でこれをすべて失うことになる。

次男コネ入社発言で日テレ「秘密のケンミンSHOW」終了[編集]

コネ入社」発言で読売テレビ制作「秘密のケンミンSHOW」(日本テレビ)の番組終了がほぼ確実となった。

次男の逮捕を受けて先月会見したみのもんた。その後、雑誌などで、自分の思いなどをさまざまなことを語ったのだが、その中で、次男の日テレコネ入社だったことを認めた。

ある制作会社関係者は「テレビ局なんて、スポンサー企業のご子息様だったり、政治家の親戚だったり、そういう人たちは多いですが、決して表面的にはコネ入社とは認めていない。それをみのは堂々と言ってしまったことに、日テレ幹部は大激怒。視聴率争いにも影響しかねないとカンカンですよ」。

かつては息子を入社させるほどの関係だったが、この発言はズバっといき過ぎた。

「今後、日テレ内ではみのの番組は持たないというのが内々に話されています。それほど激怒しているんです。継続していた『秘密のケンミンSHOW』もクレームの多さから打ち切りが検討されていましたが、この発言が背中を押して、来年3月で決定の方向にシフトしましたよ。後番組の企画も進行中で、『ミヤネ屋』で読売テレビと関係の深い宮根誠司を司会に持ってくるものにするそうです。」と同関係者。しかし、収録スタジオを大阪の本社に移したことによって、番組は継続されている。 本人は世間から忘れられてしまう怖さから、さまざまな発言をしているが、「密約があるとも言われているTBSでも『危険すぎる』と今後のみのの起用には否定的な空気がある。それこそ、来年度以降はレギュラー番組ゼロとなる可能性は高いですよ」とは別のテレビ局関係者。テレビで姿を見なくなるのも時間の問題だ。

人物[編集]

愛称[編集]

愛称は「みの」、「みのさん」、「みのちゃん」。

芸名の由来[編集]

  • 芸名の名付け親は野末陳平。由来は当時、御法川を略して「みの」と呼ばれていて、申年生まれであることと、当時人気だった競走馬「モンタサン」に掛けて、「もんた」とした。

家族・縁戚[編集]

  • 妻・御法川靖子は自身の専属スタイリストだった。子供は2男1女がいる。長男の結婚披露宴には民放各局トップや大手芸能プロのトップのほか、自民党の石原伸晃二階俊博、下川俊樹自民党和歌山県連幹事長、タレントの徳光和夫古舘伊知郎高田純次加藤晴彦ら約360人が列席した。司会はTBS『みのもんたの朝ズバッ!』の裏番組である、日本テレビ『ズームインSUPER』のアナウンサー・羽鳥慎一が務め、局の枠を超えた式となった。次男は、前述通り不祥事を起こしている。長女は、母である御法川靖子が亡くなってからは、父の専属スタイリストに転身した。
    • 妻・御法川靖子はがんのため2012年5月22日に亡くなった(満66歳没)。その通夜では、野田佳彦内閣総理大臣(当時)からも供花があった。

交友関係[編集]

  • 交友関係は幅広く、芸能界やスポーツ界はもちろん、政財界などにも私生活で交流のある人物が多いのが特徴である。特に政界では遠縁に自民党所属の議員がいる事などから自民党関係者が多い。
  • 石原慎太郎と親密であるとされる。2007年には石原の要請を受け「東京五輪招致大使」に任命された。
  • 安倍晋三との交流も深く、1回目首相時代は秘書官の井上義行と逗子市の居酒屋で情報交換を繰り返し、首相退陣の日には安倍自らがみのに電話している。
  • 二階俊博との親交は有名で、二階はみのの長男の披露宴で主賓として祝辞を述べ、みのの「アナウンサー生活おもいッきり40周年ズバッと感謝の会」でも、芸能関係者に混じりお祝いのスピーチをした。2007年12月8日には、二階を団長とした経団連などを中心とした訪中団にみのも招かれていた。東海地方で「ニッコク」を興したみのの父親が、二階俊博が秘書を務めていた遠藤三郎の後援者だった縁によるもので、20年来懇意にしており、大下英治著『躍動の日本経済へ 二階俊博の挑戦』には、みのが推薦文を寄せている。

その他・エピソード[編集]

現在の出演番組[編集]

テレビ番組[編集]

ラジオ番組[編集]

過去の出演番組[編集]

テレビ番組[編集]

NHK[編集]

日本テレビ[編集]

TBS[編集]

フジテレビ[編集]

テレビ朝日[編集]

テレビ東京[編集]

読売テレビ[編集]

  • 失楽園(1997年7月7日 - 9月22日)
  • くれなゐ(1998年4月13日 - 6月22日)
  • ヤッターマン限定版!「今夜限りのドロンボーVSみのもんた!」(2008年5月5日) - 本人役でそのまま出演。その他、番組終了時の提供読みと、次に放送される単発特番としてみのが司会を務める『日テレ開局55周年記念番組 グッと来た名場面ベスト55』の宣伝も兼ねて務めていた。

朝日放送[編集]

東海テレビ[編集]

テレビ愛知[編集]

  • みのもんたの時間ですよー(1983年9月3日 - 1984年3月31日)

配信番組[編集]

ラジオ番組[編集]

文化放送[編集]

コマーシャル[編集]

後述のコマーシャルに起用されている(放送が終了したものもある)。ちなみに報道を扱う番組(『朝ズバッ!』、『サタずば』、『おもいッきりテレビ』内「情報特急便」、『おもいッきりイイ!!テレビ』内「Newsエスプレッソ」など)の司会者がコマーシャルに出演するという事例は、日本以外の先進国では通常ありえない。これは、報道内容の公正性を担保できなくなるためである。ただし、過去にはTBSの夕方のニュース番組に出演していたラサール石井が保険会社のコマーシャルに起用されたこともあり、最近ではあまり珍しいことではなくなってきている。

放送中のもの
放送が終了したもの

ミュージックビデオ[編集]

映画[編集]

CDリリース[編集]

  • 元気イキイキ!おもいッきり(2003年
    • 自身が司会を務める「おもいッきりテレビ」放送15周年の企画曲。「イキイキふれんず」名義。カップリングは『健康!ピンピコピン』(「みのさん&かよちゃん」名義)。
  • 夜の虫/花と小父さん(作詞・作曲:浜口庫之助2006年11月22日
    • 1967年に浜口自身の歌唱で発売した曲のカバーであり、これがソロCDデビューとなった。同じくB面も浜口作詞作曲の作品で、伊東きよ子植木等のカバーである。
    • 10月19日に行なわれたレコーディングでは、「シラフじゃ歌えない」とブランデー片手に歌を歌い、2時間後にはすでに曲も本人も出来上がっていた。「紅白のオファーは(司会としても歌手としても)当然来るでしょう」「もしかしたらレコ大の司会オファーもあるかも」と発言している。結局は取り下げられてしまい、「よく分かりました。紅白の出演は年枠にします。」と発言。
    • 2006年11月10日 - 16日のUSENの総合チャートで、浜崎あゆみの『JEWEL』に次ぐ2位、演歌チャートで1位を獲得した。オリコンシングルチャート初登場で演歌チャート6位、総合チャート90位。
  •  口説きながら麻布十番 duet with みの もんた

著書等[編集]

  • こころの案内図(朝日出版、1995年7月発行)
  • みのもんた十八番勝負 おもいッきり対談集(日本テレビ放送網、2002年9月発行)
  • それでも僕は立ち続ける(日本テレビ放送網、 2006年4月発行)
  • 腰痛スッキリ! 角川oneテーマ21 C-113(角川書店、2006年7月発行)
  • 義理と人情 僕はなぜ働くのか(幻冬舎、2007年3月発行)
  • 死んではいけない いじめ緊急レポート 7600通を超えた悲鳴!(TBS「みのもんたの朝ズバッ!」制作スタッフ著、毎日新聞社、2007年1月発行)

ものまね・パロディ[編集]

カギカッコ内は、キャラクターの名前である。

脚注[編集]

  1. 経営者が競合企業の株式を所有することは、まま見受けられることであり特別なことではない。
  2. 週刊文春2008年3月6日
  3. 2011年12月以降に登場している「もんたクロース」~「休みのもんた」は山寺がそのパペットを使って声を演じている。

関連項目[編集]

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