月足都望

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つきあし とも
月足 都望
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本名
別名
生年月日 1966年7月24日
没年月日 月日
出生地 日本の旗 日本 福岡県福岡市博多区
死没地
国籍 日本
民族
身長
血液型 O
職業 脚本家
演出家
作詞家
心理カウンセラー
ジャンル 舞台演劇
心理学
活動期間 1984年 -
活動内容
配偶者
家族
公式サイト
主な作品
受賞
備考
テンプレート

月足都望(つきあし とも)は日本脚本家演出家作詞家心理カウンセラー。本名は月足朋子(つきあし ともこ)。

仲代達矢主宰の俳優養成所無名塾文芸演出部第二期生。

福岡県福岡市博多区出身。心理カウンセラーと同時に、チャイルドマインダーの資格も取得している。

来歴[編集]

誕生から幼稚園時代 - 文学への早熟な目覚めと発達障害・キリスト教との出会い・母親からの虐待[編集]

月足が新聞や雑誌などのインタビューで語ったところによれば、0歳児の時に母親が寝床で絵本を読んでくれた記憶が、はっきりとあるらしい。2歳の頃、両親は離婚。3歳から母子家庭に育つ。母親は生活のために仕事で家にいなかったため、ほとんどひとりきりで幼児期を過ごした。空腹になると生のキャベツを齧り、部屋にあった活字を本だけではなく洗剤のラベルの裏まで舐めるように読んで、孤独を癒した。また字を書くようになったのもこの頃からで、自分で物語を創り始め、漢字混じりでスケッチブックに挿絵と共に綴り、簡単な絵本を制作して遊んでいた。

やがて、日本キリスト教団付属聖愛幼稚園に入園し、「神様」と「お祈り」「天使」「天国」「地獄」などのキリスト教的宗教観念に触れた。当時の幼い月足にとって、「イエス・キリスト」は優しい兄のような存在に思えていたらしい。礼拝に通った小さな教会の素朴な美しさ、ご褒美にもらえた聖書の物語の挿絵カードの神秘的な異国情緒に、月足は幼い心をすっかり奪われた。しかし、入信して信仰することはなく、今も全ての宗教から距離をおいている。

なお、幼稚園入園時から社会人として働き出してからも、奔放で落ち着きがなく、得意な分野と不得意な分野に大きく開きがあることに(例えば月足は小学1年生から卒業するまで作文コンクールなどであらゆる賞をとったが、算数は分数以後全く理解不可能だった。中学・高校の全国模試国語は常に1位だったが数学はほとんど最下位だった)、「ムラがありすぎる」「好きなことだけは夢中になってやるが、嫌いなことは怠けてばかりいて努力をしない」と、教師や母親などの周囲の反応は極めて厳しく、特に母親の無理解と冷たい態度に、本人は大人になっても苦しみ続けた(30歳を過ぎてから、先天的学習障害注意欠陥障害であることが医師によって確認された)。

月足の母親は極めてアンビバレンスな性格で、常に娘への愛情嫉妬憎しみに揺れ動いて精神が安定することがなかった。月足は幼児期から母親からの暴力暴言による酷い虐待を受け続け、上京するために家を出てもなお、やり方が他の形に変わっただけで、それは終わらなかったという。

小学校から東京上京まで - 演劇との運命的な出会い[編集]

演劇に興味を持ったのは小学校3年生、学校の体育館で演劇部が上演したシェイクスピアの「ヴェニスの商人」を見た時からである。小学生が演じた劇そのものは非常に拙い出来であったと思われるが、それでも、生まれて初めて触れた「演劇」シェイクスピアの世界に月足は絶大な衝撃を受けた。

中学生になった月足は母親の転勤に従い、福岡市立三筑中学校に転校。自分で演劇部を創設し、毎日のように、難解なシェイクスピアの作品を中学生向きに簡潔で解り易い脚本にするため、推敲することに熱中し続けた(これが脚本家としての最高の勉強になった、と後に語っている)。ちなみに初めて自身で上演した作品は「ハムレット」である。

高校に進学してからは自ら劇団を立ち上げ、オリジナル脚本創作も始めた。1989年のクリスマスに、当時大ブームを巻き起こしていた声優ユニット「NG5」の西村智博(現:西村朋紘)をゲストに呼んでイベントを開催し、その中で演劇を上演したところを西村朋紘のマネージャーとして同行していた野村道子に見出され、翌年上京する。

また、「第26回全国身体障害者スポーツ大会」(パラリンピックの作詞公募で全国千人あまりの応募作品の中から最優秀賞に選ばれ、当時の西日本の各新聞や日本テレビ系列24時間テレビ愛は地球を救う」』などで大きく取り上げられた。

上京から現在[編集]

上京後はしばらく内海賢二主宰の賢プロダクションに所属し、シルバニアファミリーテレフォンサービスのストーリー制作などを手掛ける。

日本脚本家連盟シナリオライターズスクールで内館牧子に師事を受け、その後、無名塾文芸演出部オーディションに合格。二期生となる。

また、日本演劇協会でも、前進座津上忠や、東宝森光子主演の「放浪記」の演出家として有名な北村文典に師事を受けている。

現在は、脚本家、演出家、演劇によって、病んだ心を癒していく「演劇セラピーを主に行う心理カウンセラーとして、活躍中。

野村道子主宰「オフィス・デュオ」「みどり組」などで演劇講師活動も行っている。

人物[編集]

作品の特徴[編集]

月足が最も得意とし、周囲からも高い評価を得ているのは、幕末を舞台としたエンターテイメントである。「es1999 - 7 ~あてもなくドアを開ける その意味への意思~」「サイファ~それは光射すあの扉の鍵を開けるために~」などがそれにあたる。

役者を初めから特定した「当て書き」がほとんどで、「世界中の役者の中でただひとりにしか演じることが出来ない」個性を引き出すための執筆方法である。三谷幸喜もこの方法で書いていることは有名な話だが、月足は別に三谷に習ったわけではなく、最初に書き始めた時から既にそうだった。

また、いわゆる「物語り」と呼ばれる作品、たゆむことなく流れゆく時の砂時計の中で、運命に翻弄されながらそれでも生きていく様々な人々を描いた作品も多く、「眠れる星の街の輪舞曲 ~哀しみのイノセント・バンパイア~」「予感 ~conception notice~」「エリジウム ~今宵眠りの森に優しき声降りて~」などががそれにあたるだろう。

月足の書く作品の絶対的なテーマは、「生きていくこと」「誰かを深く愛すること」そして絶望に近いほどの大きな悲しみ、苦しみの、その果てにある希望である。月足が敬愛し、心を寄せて止まないユダヤ人心理学者ヴィクトール・フランクルの姿を、そこにはっきりと見ることができる。

主な演劇作品[編集]

  • 「俺たちのForever ~小次郎が消えた日~」(脚本・演出・出演)
  • 「予感 ~conception notice~」(脚本・演出・出演)
  • 「夢の樹 ~眠れなかったいくつかの夜のために~」(脚本・演出・出演)
  • 「地下室のクリスマス ~ひとりぼっちのEMANONへ~」(脚本・演出・出演)
  • 「眠れる星の街の輪舞曲 ~哀しみのイノセント・バンパイア~」(脚本)
  • 「es1999 - 7 ~あてもなくドアを開ける その意味への意思~」(脚本・演出)
  • 「サイファ ~それは光射すあの扉の鍵を開けるために~」(脚本・演出)
  • 「well,good lack ! i ll keep fingers crossed for you !~どんなに 遠く 離れても キミのことを 祈ってる~」(脚本・演出)
  • 「エリジウム ~今宵眠りの森に優しき声降りて~」(脚本・演出)

作詞[編集]

(オリジナルバージョン) 作曲/南こうせつ ・ 編曲/前田憲男 ・ 歌/森山良子
(ロックバージョン) 作曲/南こうせつ編曲/道祖淳平 ・ 歌/シャンテ
主催:第26回全国身体障害者スポーツ大会実行委員会、FM福岡
後援:財団法人日本身体障害者スポーツ協会
企画制作:FM福岡開局20周年委員会
協力:福岡県日産販売会社グループ


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