中山孝太郎

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なかやま こうたろう
中山 孝太郎
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本名
別名
生年月日 1949年月日
没年月日 月日
出生地 広島県安芸高田市
死没地
国籍 日本
民族
身長
血液型 B型
職業 小説家、フリーライター
ジャンル 純文学
活動期間 1985年
活動内容 小説
配偶者
家族
公式サイト
主な作品
『魚(うお)』

『藪を這う』

『現れた情景』

『脳裏を抉る映像』

『気になる紐と首』

『争点』

受賞
コスモス文学新人賞
備考
テンプレート

中山 孝太郎(なかやま こうたろう、1949年 - )は、日本小説家である。



来歴

人物

  • 生まれ広島県[1]。育ち広島市[2]。広島県立広島国泰寺高等学校[3]、法政大学文学部[4]、東京建築専門学校[5]、文学士。 防衛省特別職国家公務員[6]の退職後は少し職を点々と確かめたが、詰まる所、物書きになっている[7]
  • 96年12月16日発行「広島西飛行場存続の危機脱出変遷史」広島市教育委員会から教育用として採用を頂き、県と市や市内の各図書館へ謹呈している。[8]
  • 1998年「第68回コスモス文学新人賞」(長崎市のコスモス文学の会主催)小説部門に「憔悴した点」が決定し、受賞。
  • 1998年「第68回コスモス文学新人賞」ノンフイクション部門に「揺れる灯」が佳作に選ばれ、受賞。
  • 2001年1月31日に「脳裏を刳る映像(2)」が愛知県土地家屋調査士会の「地図読み人」に採用され、全文が掲載された。
  • 1998年9月彩図社のぶんりき賞で小説「魚うお」が雑誌に全文が掲載された。
  • 2000年4月同文書院のまとりた賞で小説「現れた情景」が雑誌に全文が掲載された。 

 小学時代から随筆らしきモノを書いていた。その頃から物書きの片鱗を見せていたが、父親の激怒で折り合いが悪く、めげていた。いま回顧すると父の激怒は叱咤激励だったとも述べている。また母親は厳しい中にも見守ってくれた。今があるのは少しシャイな面があった父の𠮟咤激励の要因が大きく、ハングリー精神も芽生えたという。長男だが、きょうだいは姉と妹がいる。子どもの頃は随筆らしきモノを書いていた他、ラジオなどの機械いじりも好きで、これにも精を出していた。その中学時代の頃将棋も指していて、仲間うちの連中のなかでは結構イケていた。次第にハングリー精神が旺盛になり将来は建築家になるか小説家になるかが夢であった。しかし、実力が伴わずこれまでの生き方には自責の念が強い。また、いままで努力が足りず紆余曲折ばかりで、うだつが上がらず後悔しているという。しかし、本人は少年時代から色んな事に飛んでいて夢があった様だ。うだつが上がらずとは少し疑問であろう。小さい頃実家の生活は平常な時もあったが、父親の苦労の甲斐もなく、空回りで、ほとんど極貧の生活で青息吐息だったという。この生活の難局打開のため青年期から絶えず自分で切磋琢磨していて、一生涯実務や勉強が必要だという。今頃は父親との折り合いが悪くは思い違いであったと回顧し、ある反面妻子には和やかに接することに注力している。昔は亡き父とのしがらみがあったが、今は反省し、何事もなかったように、それ以降現在も物書きの筆が動く限り描いている。数年前までは法務総合事務所などを主宰しながら執筆も並行していたが、次第に小説に傾倒したため、実質法務総合事務所はペーパーカンパニー状態であった様だ。はたから見る歳は客観的にも高齢者であろうが、本人は未だ壮年期だと思っており、精神年齢は若い。その思いが強いので現在でも今から巻き返すという。元来負けず嫌いで初志貫徹という性格に見えるが、ダメだと決断したら、いさぎよく手を引くのが早い。また、あえてこの男は苦難の道に入り込む独特な性格の持ち主でもある。

作風

往時

幾多の困難があった。そんな中、短編、中篇の純文学小説を書き続け、数多くの作品がたまるが、中々日の目を見なかったが、1998年、人間の煩悩や心の葛藤を描きぬいた僅か「1センチ4ミリ」を争う世界の作品が、やっと芽生えた。98年、第68回コスモス文学新人賞(長崎市のコスモス文学の会主催)の小説部門に「憔悴した点」が決定し、受賞。[9]

近作

 これまでになかったモノ、バーチャルの世界と現世とが融合しており、他人とは違う世界が見えている小説が主。現実と妄想の境界が入り乱れ、引き込まれる。因って読み手の頭が混乱するであろう。この作者は、ここまでも書くのかというクレイジーな感じで「藪を這う」なんかはまるで映画を観ているようで、少し気が違う面には動揺するが、中々変わっていて、近頃は珍しい。「藪を這う」と「争点」は、ここに掲載されている代表作品。

小説

 初期の小説は一つひとつの文字を書く筆にいきおいを感じながら、それなりのモチベーションで書きあげ、同人会で発表するが中々馴染めない面があった。この時期にある程度の量を書き上げていたが、自暴自棄になっていた。因ってかなりのブランクが発生し、まだ初期の段階で、もう筆を折ろうかと思っていたという。しかし、周りの連中から、これからが良くなると言われ、思いとどまった。自称の作家が言った。「俺は国立大学で同人に入っていて100枚以上の小説を100作以上書いている。お前の小説を読んだが、吐き気がした。小説の体(てい)を知らないのだろう。勿体ないが、俺の1作だけを参考に見せてやる」理不尽で失礼千万だ。小説の体を言う前に手前はどうか、支離滅裂な説教でうんざりとしたという。こいつは小説の書き方が一つしか無いのだと確信していた様だという。小説の中にも絵や図などが入っているのもある。文章間に詳しい説明の文章が入っているのも沢山あるようだ。こいつは本を読んでいないのだろうかとも思ったという。1人称(私小説)や3人称の書き方もあれば、まだ書き方は沢山ある。箇条書きもある。ひらがなやカタカナだけのものもある。また横書きもある。つまり何でも良いという。主題やテーマがハッキリとしていて、それに沿って書き上げていれば問題はないようだ。水の如くいっきに流れるように書いてあるのもある。途中でいきなり回想しているのもある。彼は誹謗中傷侮辱された。しかし、批判は批判として真摯(しんし)に受けとめる。こういう意見もあるのだと感じたという。彼はいろんな作家の小説を読んでいて、どの小説のテーマもまちまちで、出現の仕方も違うという。もちろん文体も違うだろう。かなり自由に書いていて、これらはすべて「小説の体」を成しているという点では共通しているのであろう。もちろんテーマがあってストーリーがあって描写があるのだ。支離滅裂になってはもちろん良くない。質はもちろん大事で、数を書いて会得していくことも大事なのであろう。書き続けることで、なんだ、こんなことで悩んでいたのかはままある。因って小説の体をなしていないとは、そもそも文章自体に乱れ、稚拙で支離滅裂などで破綻(はたん)していることであるという。

受賞

など

  • 1996年12月に「広島西飛行場存続の危機脱出変遷史」を発行。
  • 広島市教育委員会から教育用として採用され、県と市へ謹呈した。
  • 1998年、「第68回コスモス文学新人賞」(長崎市のコスモス文学の会主催)小説部門に「憔悴した点」が決定し、受賞。
  • 1998年、「第68回コスモス文学新人賞ノンフイクション部門」に「揺れる灯」が佳作に決定し、受賞。
  • 1999年9月文藝春秋の雑誌に「第2回草枕文学賞」の中間発表があり、名前が載った。主催は熊本県『草枕文学賞』実行委員会。後援は文藝春秋。全国各地及び海外から総数769編の応募があり、80編が予選を通過した。文学賞の最終選考には残ったが、賞は貰えなかった。草枕文学賞を受賞すると、その作品は文学界の雑誌に掲載され、そして必然的に芥川賞にノミネートされるのだが残念無念だった。その小説は「藪を這う」。後に関西文學に掲載された。さらに改稿後安藝文學にも掲載された。その小説は「日本ペンクラブ電子文藝館」に所蔵されている。
  • 1999年4月号の小説現代に「第67回小説現代新人賞」の予選発表があった。応募総数1615編で予選通過者数は114名。これに名前が載った。その作品は改稿後「争点」で安藝文學に掲載された。後に「日本ペンクラブ電子文藝館」に所蔵されている。
  • 2001年1月31日に「脳裏を刳る映像(2)」が愛知県土地家屋調査士会の「地図読み人」に採用され、全文が掲載された。
  • 2001年「第18回織田作之助賞」に「気になる紐と首」が応募総数503篇で第1次予選を通過し、さらに第2次予選も通過した。50篇が第2次予選を通過。
  • 2002年に改稿後「第3回関西文學新人賞」で第1次予選を通過し、さらに第2次予選も通過した。応募総数190篇で第2次予選通過作は23作。2012年7月さらに改稿後安藝文學に小説「気になる紐と首」が掲載された。現在は「国立国会図書館」に所蔵されている。
  • 1998年9月彩図社のぶんりき賞で小説「魚うお」が雑誌に全文が掲載された。
  • 2000年4月同文書院のまとりた賞で小説「現れた情景」が雑誌に全文が掲載された。
  • 2003年6月新風舎出版賞第20回、小説「未発表作品」で出版奨励賞受賞。

その他諸々予選は通過したが、中期はブランクがあって応募はしていなかった。後期、最近も応募していないため、 ここに載せてはいない。今かなりの作がたまっているが推敲校正が必要で、近いうちに発表予定であるという。

著作

作品

コラムなど

  • 「予算消化工事税金無駄遣い」93.2.25中国新聞
  • 「選挙の資金は国民が出資を」93.3.4 中国新聞
  • 「証人喚問制度もっと厳正に」93.3.16中国新聞
  • 「広島らしさを物産館に望む」96.10.6中国新聞
  • 「専門学校設け広大跡地活用」96.10.20中国新聞
  • 「小企業の支援に商工会議所充実を」96.11.16中国新聞
  • 「運転中の通話について」96.12.19中国新聞
  • 「政治や経済の勉強」97.1.30朝日新聞
  • 「『毛利元就』もっと方言を望む」97.2.13読売新聞
  • 「真の『上得意様』へのサービス」97.2.14毎日新聞
  • 「W杯招致運動もうやめよう」97.2.18中国新聞
  • 「『一人くらい』を返上し投票を」97.3.25中国新聞
  • 「トンネル内の照明を整備せよ」97.12.18産経新聞
  • 「納得できない可部線の廃止」98.4.19中国新聞
  • 「南道路県と市協調を」04.6.19中国新聞
  • 随筆など
  • 「私の健康法」97.1.27中建日報
  • 「地球は生命体」97.3.27川柳ひろしま
  • 「さばを読む」97.4.5川柳ひろしま
  • 川柳など
  • 「ガラス細工」00.4.1葉文館出版
  • ノンフイクションなど
  • 「広島西飛行場存続の変遷史」96.12.16東洋図書出版 著書
  • 「広島のデルタを歩くリベラリスト」99.9.9タニシ企画印刷 著書
  • 小説など
  • 「脳裏を刳る映像(1)」00.1.1ウエノ書房 著書
  • 「三角関係」97.11.1ビジネスセミナー
  • 「魚(うお)」98.9.1採図社
  • 「藪を這う」00.2.1関西文學
  • 「現れた情景」00.4.1同文書院
  • 「脳裏を刳る映像(2)」01.1.31地図読み人
  • 「気に為る紐と首」12.7.10安藝文學
  • 「争点」15.8.10安藝文學

その他寝かせている小説などがあるが推敲校正が必要で未発表作品である。そのためここには掲載していない。

代表

「争点」

 日本ペンクラブ  電子文藝館

「藪を這う」  

 日本ペンクラブ  電子文藝館

所属

日本文藝家協会

日本ペンクラブ

安藝文學

脚注

  1. [1]生まれ広島県
  2. [2]育ち広島市
  3. [3]広島県立広島国泰寺高等学校
  4. [4]法政大学文学部、小説では純文学作品が多い
  5. [5]東京建築専門学校建築学、後に実務を経験し、試験に合格。一級建築士となる
  6. [6]防衛省特別職国家公務員であった
  7. [7]色々と職業を経験したが詰まる所、物書きになっている。これが小説に反映している
  8. [8]広島市教育委員会から教育用として採用を頂き、県と市や図書館へ謹呈している、一部書店では売り上が上位になった。部数が足りないため第2版第2刷発行
  9. [9]1998年、第68回コスモス文学新人賞、小説部門に「憔悴した点」が決定し、受賞している。

外部

いう

「争点」

 思わせぶりで、深刻な出だしで始まるこの小説に、何事を作者は語りだすのだろうかと一気に話に引き込まれた。誰にでもその深刻さの度合は違ってもおこりうる間違いが、その人の人生の全てを左右してしまうという話は興味深い。作者が“点”という言葉に主人公の仕事と重ね合わせてこだわりをみせる所が面白い。特に点滴の“点”という字を見て脳裏から取れなかったと言うエピソードはなる程と思う。最後は、主人公の長年の秘密(悩み)がとけるわけだが、問題の土地を前にして主人公がへたり込み、全身の力が抜けるシーンで“一点の世界の大地から、いままで私が注ぎ込んだ活力よりも遥かなエネルギーの源が加えられた気がした”というくだりは、この小説の主題をよく表わした秀逸の文章だと思う。

「藪を這う」  主人公である“滝沢”は、もはや生きている、というだけで、わずかばかりに残された気力は、生存するためにだけ使われる。歓楽街に出て残飯をあさる。山の麓の小屋に住み、蛇をとる。言葉も忘れ、ただ生きているだけの主人公の滝沢は、かつて世話をしてやった黒川に出会い、彼の恩を忘れない男気によって社会復帰への道が開かれるが、それすらも、滝沢にとっては、わずらわしいものでしかなかった。彼はもう、なにもいらないのだ。そんな滝沢が唯一、心を動かしたのが、生きていくためではない、それ以外の行動を起こさせたのが、車から優しく手を振った女性の存在であった。滝沢は、彼女を探した。もう一度、彼女に会いたいと思った。幾度も探したが分からない、仕方がない彼はもう諦めて小屋に戻り、過去の女性のことを目を閉じて回想していた。ふと周りのざわめきで目が開いた。辺りは蛇の群れが沸き上がり一面湖のようだ。その中には見たことのある彼女がいた。彼は優しくその彼女に包まれ、安らかな眠りに就いた。最後はこの小説の主題をよく表わしているが、悲しい話であった。