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Yourpedia - 利用者の投稿記録 [ja]
2024-03-29T06:15:19Z
利用者の投稿記録
MediaWiki 1.25.1
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=Shigeru-a24_(1)&diff=319421
Shigeru-a24 (1)
2016-03-23T09:30:28Z
<p>ウマスラ: 同じような記事が複数あるためトコロテン射精の文字色を変更した上で内容更新</p>
<hr />
<div>'''{{WPuser|Shigeru-a24}}'''(通称:トコロテン射精)は、ウィキペディア日本語版の元自警、2ちゃんねる史上最悪の荒らしである。Wikipediaでは3年間の超長期ブロック中(実質追放)。<br />
{|<br />
|-<br />
|__TOC__<br />
|<span style="font-size:100pt; color:red">トコロテン射精</span><br />
|}<br />
<br />
== 概要 ==<br />
[[1993年]]生まれの若手(GAKI)利用者。広島県出身の在日コリアン。[[2014年]]現在は[[京都府]]在住の[[京都薬科大学]]生であり、一年[[浪人]]している。両府県のポータルメンバー。'''トコロテン射精'''の第一人者。[[wiki:利用者:Taisyo|Taisyo]]の主催する[[wiki:Portal:日本の都道府県/広島県|広島県人会]]の参加者である。包摂主義メンバーであり、新右翼的傾向を持っていた。話題の論争に参加して注目を浴びるのが好きなようだが、実力が全くと言っていいほど伴っておらず、不必要な問題を無数に引き起こした(後述)。周りに総スカンを食らってからは投稿ブロック回避のため執筆と新着投票のみ参加を宣言しているが管理行為の旨味が忘れられずすぐに反故にされ、コメント依頼・ブロック依頼に出没するようになった。[[新着投票]]・[[強化投票]]の他、[[刺激惹起性多能性獲得細胞]]の編集が日課であった。新着・強化投票においても内容を読まずに投票という不正を働いたため氷鷺にブロック依頼を出され実質追放された。<br />
<br />
なお、似た名前の[[wiki:利用者:Shigeru23|Shigeru23]]は誰が見ても同一人物であるが、Wikipediaでは別人ということにしている。<br />
<br />
得意科目は韓国薬膳(トンスル、キムチなど)、苦手科目は生化学である(本人談)。<br />
<br />
ブロック後は逆恨み八つ当たりで毎日2ちゃんねるの趣味板を盛大に荒らしている。無職のニートで一日中インターネットしかしていないくせに、極めて偉そうにしていて上から目線でいるのが特徴である。いったい何様のつもりなんだろうか。また、「ガキ」・「テブス」・「ボケ老人」などのいじめ・差別用語を何の抵抗も無く使う、人間性のかけらも無い人間性の腐りきったクズである。この人物には何を言っても無駄であり(こいつの悪口を言ってもコテを外した名無しが「朝鮮語じゃなく日本語しゃべれよ」「日本語の翻訳ソフトこわれてるの?」などの暴言が返ってくるだけである)、相手しても何のメリットもないので、専ブラのNG機能を使い見えなくさせることを強く強く推奨する。自分のしていることは絶対に正しいと信じており、多大な迷惑をかけたウィキスレの住民に謝罪をする気は無いようである。 <br />
<br />
== 初心者とは思えないデビュー ==<br />
アカウント取得後一ヶ月も満たずして、注意に訪れたLearningBoxに対し「Wikipedia:五本の柱」や「削除者」を持ち出したり、IP利用者ページにWelcomeメッセージを投稿したり、さらには[[wiki:プロジェクト:鉄道|ウィキプロジェクト鉄道]]に参加して生体bot作業も行った。すぐにShigeru23の生まれ変わりであることがばれてRCで名前が上がり、Vigorous actionが殴り込みに来たが、「初心者ユーザー」であるといけしゃあしゃあと語った。その時、ネット掲示板(2ちゃんねる)を見ていることも自ら暴露した。別人であるなら「違います」と一言いえばいいだけなのに10行近くも釈明文を載せた。<br />
<br />
== 生野区連続通り魔事件 ==<br />
2013年6月11日 (火) 13:27(UTC)、[[wiki:Wikipedia:削除の復帰依頼/生野区連続通り魔事件|生野区連続通り魔事件の復帰依頼]]にて華々しいキチガイデビューを飾った。3編集目では「''賛否のマークを書いていない人のうちほとんどが賛成派であるように見えます''」という恣意的なコメントを行っている。<br />
<br />
2013年6月11日 (火) 14:41(UTC)、「''話を変えないでください。一度削除した記事は何が何でも復帰を妨害しようという姿勢はどうなんでしょうか?''」と暴言を吐いた[https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=Wikipedia:%E5%89%8A%E9%99%A4%E3%81%AE%E5%BE%A9%E5%B8%B0%E4%BE%9D%E9%A0%BC&diff=48135713&oldid=48135517]。しかしながら、直後にRienziに晒し上げられる。これに飽きたらず「''大きな特筆性の前で小さな屁理屈をこねないでください''」とも言っている。<br />
<br />
2013年6月13日 (木) 08:57 (UTC) 、今度はMaximusM4のコメントに難癖をつけたが、会話の内容をまったく理解していないものであったため「''仰る意味がよくわかりません''」とあしらわれた。<br />
<br />
=== 全世界に公開されているのに公開質問状w ===<br />
2013年6月14日、標準名前空間にサブページを作って記事を復帰させるという暴挙に出る。しかし、明らかな削除逃れのために即時削除された。削除を行ったHosiryuhosiに逆ギレして'''公開質問状'''なるものを突き付け、自分の利用者サブページに記事を再作成した。が、被害者名が思いっきり載っておりこちらも即時削除された。これらの暴走によりVZP10224から3日間の方針熟読ブロックを食らう。<br />
<br />
=== 法的脅迫 ===<br />
これで反省すると思いきや会話ページで大暴れ。すでに管理者を退いているにも関わらず「[https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85%E2%80%90%E4%BC%9A%E8%A9%B1%3AShigeru-a24&type=revision&diff=48187168&oldid=48186811 もし今後Vigorous action氏による不可解なコメントが続けば解任提案の提出あるいは法的手段を取ることを検討することは念のため述べておきます。]」と恫喝した。もう滅茶滅茶である。それまで親身に話を聞いていたWolf359borgからも怒られることとなり、ブロックの解除依頼を撤回した。最終的には、2ちゃんねるやウェブ魚拓を参考にしていたなどとほざいた。<br />
<br />
記事はその後、二度に渡る改善なき作成と削除により現在は無期限白紙保護となっている。<br />
<br />
=== 再度の大暴走 ===<br />
3日間の短期ブロックで反省するはずもなく、自動解除早々[[wiki: Wikipedia:削除依頼/生野区連続通り魔事件 20130618|Wikipedia:削除依頼/生野区連続通り魔事件 20130618]]に乱入。自分の論理が通りそうにないことを悟ると勧誘行為(カンバス、この場合正確にはマルチポスト)をはたらく。即座にMaximusM4に見つかり一ヶ月の暫定ブロックとなり、[[wiki:Wikipedia:投稿ブロック依頼/Shigeru-a24 追認|ブロックの追認依頼]]が提出された。結果、Hmanの対話の甲斐があり一週間のブロックに短縮されたが、本人は「''こちらの主張が認められました''」とまったく反省していないご様子。解除されるやいなや大規模な勧誘行為を再開。Ashtrayが止めに入るも訳の分からない御託を並べたため対話を諦められた。<br />
<br />
業を煮やしていたikedat76により[[wiki:Wikipedia:投稿ブロック依頼/Shigeru-a24 20130630|Wikipedia:投稿ブロック依頼/Shigeru-a24 20130630]]が提出された。しかし、カンバスかどうかの疑義が発生した上、ウィキブレイクおよび事件に一切関わらないことを宣言したためブロックは見送りとなった。ここで素直にウィキブレイクしないのがShigeru-a24である。2日後、舌の根の乾かぬ内にウィキブレイク宣言を破り、自分のブロック依頼に現れikedat76に喧嘩を売り始めた。しかし、Ashtrayがとりなし、事なきを得た。<br />
<br />
== トコロテン射精 ==<br />
Shigeru-a24を語るのに'''[[wiki:トコロテン射精|トコロテン射精]]'''を外すことはできない。トコロテン射精をグーグルなどの検索エンジンで検索すると容易に「'''[[wiki:トコロテン(アダルト)|トコロテン(アダルト)]]'''」に到達できるのは、トコロテン射精のリダイレクトを作った彼のもっとも大きな功績である。試験勉強のためにという嘘をついてブレイクを宣言しているなか、敢えてトコロテン射精を作成するあたりに、並々ならぬ思い入れを感じざるを得ない。<br />
<br />
'''トコロテン射精''' <br />
(最新 | 前) 2013年7月8日 (月) 14:07 Shigeru-a24 (会話 | 投稿記録) . . (42バイト) (+42) . . (←トコロテン (アダルト)へのリダイレクト) (感謝)[https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%88%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%86%E3%83%B3%E5%B0%84%E7%B2%BE&oldid=48429692]<br />
彼の功績を讃えるために、Wikipediaにアカウントを持つ諸君はぜひ、「[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E5%88%A5:Thanks/48429692 感謝]」を送ろう!2014年現在、感謝の数は100件を数えるに至る。この場を借りて厚くお礼申し上げる次第である。<br />
<br />
トコロテン射精マスターであることから、彼の股間はイカ臭いというよりはウ○コ臭くなっている。<br />
<br />
== 射精の削除依頼 ==<br />
2013年9月17日 (火) 08:56(UTC)、何を思ったか[[wiki:Wikipedia:削除依頼/射精|Wikipedia:削除依頼/射精]]に参戦する。持論が通らないと見るや[[wiki:Wikipedia:井戸端/subj/刑法第175条に反する可能性がある画像|Wikipedia:井戸端/subj/刑法第175条に反する可能性がある画像]]に場所を移して駄々をこね始めた。場所を移したところで持論が通る訳はなく全員に否定され、ノートでikedat76にボロカスに言われ、逆切れして「''日本語のネイティブスピーカーであれば、争点が「学術・医学目的で掲載されている」のであることは分かるでしょう。失礼ですが、これが分からないのであれば、無理してjaWPの議論に参加しないほうがよろしいのではないかと思います''」[https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=Wikipedia%E2%80%90%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E4%BA%95%E6%88%B8%E7%AB%AF/subj/%E5%88%91%E6%B3%95%E7%AC%AC175%E6%9D%A1%E3%81%AB%E5%8F%8D%E3%81%99%E3%82%8B%E5%8F%AF%E8%83%BD%E6%80%A7%E3%81%8C%E3%81%82%E3%82%8B%E7%94%BB%E5%83%8F&diff=prev&oldid=49184035]と暴言を吐いた。Vigorous actionはこの発言を管理者伝言板に報告したが、ぱたごんに反対され、ぱたごんのブロックも依頼するという暴挙に出た結果、逆にVigorous actionが短期ブロックされた。だが、皮肉つきで反対したぱたごんも悪い。<br />
<br />
== Chichiiiとの共闘 ==<br />
同じ新右翼傾向のChichiiiとはウマが合うようで各地で相互擁護を繰り返した。<br />
<br />
=== 横浜線中山駅踏切死傷事故 ===<br />
2013年10月5日 (土) 11:55(UTC)、町ゴミを作る程度しか能力を持ち合わせていないにも関わらず、[[wiki:Wikipedia:削除依頼/横浜線中山駅踏切死傷事故|横浜線中山駅踏切死傷事故の削除依頼]]に現れ、存続させるため削除意見にいちいち不自由な日本語で反論してまわり再度周囲を呆れさせた。最終的には超恣意的な票の取りまとめを行い、削除票をほとんど存続票に転換させた結果、総スカンを食らい苦情の嵐となった。記事を統合してリダイレクト化、リダイレクトを削除依頼などとGFDLをまったく理解していない素っ頓狂なことを言い出したりもした。<br />
<br />
=== ChiChiiiのブロック依頼 ===<br />
2013年10月6日 (日) 18:38 (UTC)には、[[wiki:Wikipedia:投稿ブロック依頼/ChiChiii 2013年10月|Chichiiiのブロック依頼]]に登場。依頼者=ikedat76への個人攻撃をまじえてブロック反対を主張した。Chichiiiがシゲルのブロックに反対した恩を感じていたのだろうが、Chichiiiは圧倒的賛成多数によりあっけなく無期限ブロックとなった。<br />
<br />
[[wiki:Wikipedia:投稿ブロック依頼/Chichiii 2013/10/16 解除|ブロック解除依頼]]が出たものの、ブロック継続票が殺到するとあっさりChichiiiを見捨てて、「''「解除依頼出しておいたからこの話はここまでね」とのことですが、進行中の対話の妨害じゃあありませんか。提案理由も意味不明です。コミュニティを無駄に疲弊させないでほしい。''」と意味不明な発言をした。なお、これまで最もコミュニティを疲弊させたのは他ならぬShigeru-a24であるのは疑いようがない。<br />
<br />
== 在日疑惑 ==<br />
低質な管理行為が問題になって総スカンを食らっている中、無理をおして、2013年10月22日 (火) 08:39 (UTC) には[[wiki:朝鮮の食糞文化|朝鮮の食糞文化]]を、同10月25日 (金) 11:31(UTC)には[[wiki:キムチ|キムチ]]を編集した。<br />
<br />
韓国に対する並々ならぬ愛国心が伺える。<br />
<br />
== クリーンスタート失敗 ==<br />
2013年11月27日には利用者ページにて「''近年(?)の2chやYourpediaでの状況の影響もあり、このたびこのアカウントからの撤退を決めました。''」とShigeru-a24としての引退を表明し、Shigeru23の時と同様にクリーンスタートを狙ったが、即座にTokyodesertに殴られ、[[Twitter]]でも引き止められたため、またもや即時撤回。コミュニティーの温情でコメント依頼が閑古鳥だったのに一瞬で満員御礼となった。コメント依頼を出したLiberiaに塩を送ったのだろう。一部に「意思が弱いのか、計画性がないのか、ただの無知なのか、有言を実行する度胸もないのか。」とする声がある。「''方針及び草案の解釈に違いがあったためやむをえず撤回したというのが事実であろう。''」と無茶な言い訳をした。どういう奇抜かつ斬新な解釈をしたのか不思議でならない。<br />
<br />
そもそも、クリーンスタートというのは違法スレスレの方法であり、手順は厳格に規定されている。自警でありながら、それを知らないもしくは解釈の違いというのは見え透いた嘘であり、お子様脳全開の思考である。<br />
<br />
== 著作権侵害画像の大量アップロード ==<br />
2013年12月、お菓子パッケージを写した著作権侵害画像を次々コモンズにアップロードした。すべて削除されたが、[[wiki:ノート:ジューC|ノート:ジューC]]には「''どういう基準になってるのかいまだによくわからん''」と著作権への理解が皆無であることを宣言した。とんでもないことである。<br />
<br />
== 強姦被害者を中傷 ==<br />
2013年12月、とある削除依頼[https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=Wikipedia%3A%E5%89%8A%E9%99%A4%E4%BE%9D%E9%A0%BC%2F%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%81%95%E3%82%93%E4%BA%8B%E4%BB%B620131108&diff=49976618&oldid=49975098]にて「''強姦被害を受けることが不名誉なことであるかどうかについては社会学的議論の対象にもなっていますが、意識的であれ無意識的であれ不名誉だと考える人も多い''」と、強姦被害者を中傷するとんでもないことを言い放った。普通の日本人ならまず持ちえない考えの持ち主のようである。<br />
<br />
== MaximusM4の解任投票 ==<br />
シゲルのミートパペットである[[みしまるもも]]が[[wiki:Wikipedia‐ノート:投稿ブロック依頼/Chichiii 条件変更|Wikipedia‐ノート:投稿ブロック依頼/Chichiii 条件変更]]でヒステリーを起こし、MaximusM4により一日ブロックされる。<br />
<br />
誰が見ても正当な権限行使であったが、過去の逆恨みもありMaximusM4に質問と称し殴り込みをかけた。が、相手にされる訳もなく適当にあしらわれたためMaximusM4の解任動議を提出。動議は成立したものの、解任反対が圧倒的になると日和って解任反対票を投下。コミュニティーに合流しようとしたのだが裏目にでて失敗、またもや周囲を呆れさせた。ノートに「''総合的に考えて今回は解任反対と致しました。この投票で信任された暁には、しっかり考えて慎重に行動していただきたいと思います。''」と皮肉たっぷりのふざけたコメントを載せ、みちまんがブチ切れて[[wiki:Wikipedia:コメント依頼/Shigeru-a24 20131227|Wikipedia:コメント依頼/Shigeru-a24 20131227]]を提出した。<br />
<br />
== みちまんによるコメント依頼、投稿ブロック依頼 ==<br />
[[wiki:Wikipedia:コメント依頼/Shigeru-a24 20131227|みちまんが提出したコメント依頼]]に厳しいコメントが続いたが、Shigeru-a24の馬鹿者はこれまで通り薄っぺらい謝罪の言葉を重ね、仕舞いには「当面(半年ほど?)自粛させていただき、プロの方の議論を観て学ばさせていただきます」という周りからの助言や批判をまったく理解しない皮肉を書いた。彼にとって議論の場は喧嘩を楽しむ場であったようである。そもそも、諸法律やガイドラインを学習し理解することに徹するべきところ、議論を見て学ぶと声高らかに宣言したところが笑いどころのようである。<br />
<br />
自粛期間についてもクエスチョンマークがついており、半年ほどと言いながらまたもや2~3日で反故にして戦線復帰する腹積もりだったのであろう。これに対し、すでにブチ切れていたみちまんにさらに油を注ぐ結果となり、[[wiki:Wikipedia:投稿ブロック依頼/Shigeru-a24 20140106|投稿ブロック依頼/Shigeru-a24 20140106]]が提出された。<br />
<br />
始めのうちはいつもどおり投稿ブロックの方針に該当せずという意見が大勢を占めると考えられたが、ブロック依頼提出者のみちまんの投稿したコモンズ画像に削除タグを張り付けるという報復的管理行為を行い、総スカンを食らう。これが決定打となり、無期限または超長期ブロック賛成票がなだれ込むことになる。結局のところ、彼は学習能力が全く無く、管理ゲームを楽しんでいただけのようである。過去に自分に苦言を呈したVigorous actionを管理者解任しようとしたり、自分をブロックしたMaximusM4の解任動議を出したりするあたり、逆恨みだけで行動するおバカであることは否定のしようがない。しかしながら、某利用者同士の代理戦争の様相を呈し、反対票がなだれ込むことになる。ただし、管理に手をだしたらアウトという条件付きばかりであり、以降は管理から手を引くことにした。<br />
<br />
=== ブロック賛成の良識派 ===<br />
* {{WPuser|みちまん}} 様 (依頼提出者)<br />
* {{WPuser|森藍亭}} 様<br />
* {{WPuser|WDS487}} 様<br />
* {{WPuser|Hman}} 様<br />
* {{WPuser|フォット}} 様<br />
* {{WPuser|JapaneseA}} 様<br />
* {{WPuser|Holic 629W}} 様<br />
* {{WPuser|Nanafa}} 様<br />
* {{WPuser|Ostwind}} 様<br />
* {{WPuser|Vigorous action}} 様<br />
* {{WPuser|Ikedat76}} 様<br />
<br />
=== ブロック依頼で反対を入れた馬鹿ども ===<br />
* {{WPuser|663highland}}<br />
* {{WPuser|山岡武揚}}<br />
* [[みしまるもも]] (11,858バイト(400字詰め原稿用紙9枚分)もの長文反対票を書く)<br />
* {{WPuser|Naitou1980}}<br />
* {{WPuser|Freetrashbox}}<br />
* {{WPuser|香川二郎}}<br />
* {{WPuser|みっち}}<br />
* {{WPuser|頭痛}}<br />
* {{WPuser|ノーザン123}}<br />
* {{WPuser|RMSystem}}<br />
* {{WPuser|Akaniji}}<br />
* {{WPuser|朝姫}}<br />
* {{WPuser|T34-76}}<br />
* {{WPuser|Husa}}<br />
* {{WPuser|Dwy}}<br />
* {{WPuser|FoodDelinker}}<br />
* {{WPuser|Rienzi}}<br />
* {{WPuser|アルトクール}}<br />
* {{WPuser|Fomalhaut373}}<br />
<br />
== 刺激惹起性多能性獲得細胞 ==<br />
[[ファイル:How to produce STAP cells.jpg|thumb|500px|なんだこのマウスは(笑)]]<br />
2014年1月からは生物細胞学の知識が皆無にも関わらず'''流行に乗って'''新聞記事の出典だらけの[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%BA%E6%BF%80%E6%83%B9%E8%B5%B7%E6%80%A7%E5%A4%9A%E8%83%BD%E6%80%A7%E7%8D%B2%E5%BE%97%E7%B4%B0%E8%83%9E 刺激惹起性多能性獲得細胞]を作成。ブロックノイズが酷いjpg画像まで投稿した。繰り返しになるが知識が皆無であるため、新聞記事に書いている内容も理解できておらず、誰が見ても意味不明な記事に仕上がる結果となる。理系利用者から苦言が来るも自己流の理解で突っぱねて聞く耳を持たなかった。<br />
<br />
さらに調子にのって、幹細胞や万能細胞にも手を広げて記事を滅茶滅茶にした。オマケに[[みしまるもも]]が加わりダブルで記事破壊行為を開始。当のシゲルは劣勢を見るやいなやダンマリを決め込み雲隠れした。そのためにみしまるももが集中砲火を浴びることになる。<br />
<br />
本人は名誉挽回のつもりでの作成であったのだろうが、所詮は大学の一年坊主であり、結局は汚名を上塗りしただけだったw<br />
<br />
=== 公開処刑(笑)===<br />
[https://twitter.com/Shigeru_smile/status/459584816292196352 ツイッターにて]、''とりあえず、確実に壮大なブーメランを起こしている模様の石井氏については #jawp の #STAP細胞 の記事に加筆して公開処刑。''とツイートし、編集を行ったためまたもや釈明に追われることとなった。<br />
<br />
=== 万能細胞 ===<br />
万能細胞ではみしまるももががんばっているためShigeru-a24も負けじと罵倒合戦に参加。・・・していたがみしまるもものコメント依頼が提出されたことで事態が変わる。Shigeru-a24は管理を自粛することを条件に参加を許されているためコメント依頼に参戦できないことから、発狂し、[https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%9D%82%E4%B8%8A%E7%94%B0%E6%9D%91%E9%BA%BB%E5%91%82&diff=prev&oldid=50871736 Otheruses付加したから見てたもー。]や、[https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:Shigeru-a24/%E6%8A%95%E7%A8%BF&diff=prev&oldid=50871990 小鬼めらには疲れたでおじゃる。]という意味不明な荒らし行為を行った。自分の利用者ページについては即時削除が可能なため証拠隠滅を図った。<br />
<br />
== またもや有言不実行 ==<br />
管理からは手を引いたはずであったが、どうしてもあの味が忘れられず、2014年2月からは管理者伝言板やコメント依頼に顔を出し始めた。どうやら大恩のあるエナレスの履歴は毎時確認していたようである。さすがゲイである。<br />
<br />
ブロック依頼に参加できないことから、みしまるもものページに投稿ブロック依頼に関する書き込みを行ったが[https://ja.wikipedia.org/w/index.php?&diff=prev&oldid=51049555]、即座にぱたごんに見つかり怒られた。「''当面、経験を積むために記事執筆を中心に活動し、「標準名前空間」「ノート名前空間」「利用者名前空間」「利用者-会話名前空間」を活動範囲といたします。自らの執筆に影響しない管理活動には一切タッチしない事にし、行動範囲内の案件について触る場合にも冷静に慎重に対応いたします。新着投票にはこれまで通り参加します。''」と宣言したはずであるが、舌の根の乾かぬ内に破っている。<br />
<br />
== 尾崎豊怪死事件 ==<br />
2014年5月26日、名誉棄損のおそれがある記事「尾崎豊怪死事件」に投票、[[wiki:Wikipedia:削除依頼/尾崎豊怪死事件|Wikipedia:削除依頼/尾崎豊怪死事件]]にてhyolee2が問題視すると呼ばれてもいないのに意味不明な釈明を始める。「新着投票の際、名誉棄損のある記事として評価して投票したという事実はありません。なお、名誉棄損とは「ある疑惑を肯定すること」を言うのであり、「論争を記述すること」「論争になりやすい主題であること」だけでは名誉棄損には当てはまらない、というのがこちらの見解であり、そして名誉棄損が無いと判断した根拠です。」[https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=Wikipedia%3A%E5%89%8A%E9%99%A4%E4%BE%9D%E9%A0%BC%2F%E5%B0%BE%E5%B4%8E%E8%B1%8A%E6%80%AA%E6%AD%BB%E4%BA%8B%E4%BB%B6&diff=51788763&oldid=51786259]。ツイッターにおいても、「[[wiki:Wikipedia:削除依頼/尾崎豊怪死事件|Wikipedia:削除依頼/尾崎豊怪死事件]] まさか新着への投票が問題視されるとは、ただただ驚きですね。コンプライアンス上の問題がないと判断して投票した事を説明しました。[https://twitter.com/Shigeru_smile/status/470910413471612930]」とコンプライアンスの意味を分かってない頓珍漢な釈明を行った。<br />
<br />
== 新着投票での不正行為 ==<br />
記事を書く能力は皆無(あっても町ゴミか新聞記事のスクラップ程度)であり、管理能力も同様に皆無であることから、新着投票に毎日のように参加し貢献した気になっているようである。<br />
<br />
=== 「お薬手帳」重複作成、新着不正自薦事件 ===<br />
2014年6月1日 (日) 16:52、[[wiki:おくすり手帳|おくすり手帳]]が既にあるにも関わらず、[[wiki:お薬手帳|お薬手帳]]をリダイレクトから立項した上、もとの記事をリダイレクト化し重複記事とした。それに飽きたらず自分が作った'''低質な'''記事を新着に自薦するという暴挙に走る。無茶苦茶な行動にChiba ryoから苦言が来るも、「''全面改稿である以上、履歴継承が不要であること、通常の改稿手続きでは手間がかかることから、簡略的な手順を取りました''」というコミュニティー軽視、手順無視のコメントを投下。Chiba ryoと差し戻し合戦をやらかす。会話ページには、ShellSquid、ぱたごん、みちまん、Hmanも現れ苦情の嵐となる。結局、Ks aka 98が履歴統合案を出して幕引き。本人は「''医療費改定の事が話題となって閲覧数が急激に伸びていたため新着ネタにしたかった''」と思っていたようだが、結局今回も閲覧者を混乱させ、コミュニティーを振りまわしただけであった。<br />
<br />
== 強化投票での不正行為 ==<br />
強化投票にも出没して貢献した気になっているようであるが、評価能力ゼロどころかそもそも推薦記事を読みもしていないことが明らかになった。<br />
<br />
2014年6月3日 (火) 14:12 (UTC)、[[wiki:茨城県|茨城県]]に大殿様とか称する利用者が「Wikipedia:完璧な記事」にするためと称して45万バイトを投下した。45万バイト=15万字=400字詰め原稿用紙375枚にも達するこの膨大な加筆を、わずか47分後の2014年6月3日 (火) 14:59 (UTC)に推薦したが、問題はその後。[[wiki:ノート:茨城県|ノート:茨城県]]で完璧な(笑)加筆はフルボッコになり、全て差し戻された。さすがにまずいと思ったのかほぼ4日後にミートパペットのみしまるももが投票したが、もともとミートパペットなだけにどっちみち無駄。推薦もとっくにコメントアウトされて時間切れで消え去った。[[wiki:Wikipedia‐ノート:メインページ強化記事投票所/項目候補|ノート]]にてikedat76に推薦記事をまったく読んでいないことを暴露されてしまった。<br />
<br />
=== コメント依頼 ===<br />
強化の件について謝罪するどころか、問題は無い!と居直ったためikedat76が[[wiki:Wikipedia:コメント依頼/Shigeru-a24 2014年6月|Wikipedia:コメント依頼/Shigeru-a24 2014年6月]]を提出した。ここでも謝罪するどころか大嫌いなikedat76に対して個人攻撃を繰り返すという暴挙に出た。<br />
<br />
==== Shigeru-a24による暴言 ====<br />
* お話にはなりません。依頼者さんについては方針の曲解を認めたうえでコメント依頼を撤回されるべき<br />
* 依頼主さんはツイッターで常時僕の悪口を垂れ流しているほか、覚醒剤の記事改善議論にも出没して粘着してきていますが、こんなことを各地で繰り返しているようでは流石に嫌われますよ。<br />
<br />
=== 新着でも記事を読まずに投票 ===<br />
2014年6月22日 (日) 13:21 (UTC)に、いつも通り新着投票を行ったのだが、投票した6記事ともバイト数が20キロバイト超えの大きな記事であり、合計文字数は93,077文字≒原稿用紙232枚分となる。しかし、直前の編集から9分しかたっておらず、中身を読まずにバイト数だけを見て投票したことがバレバレである。<br />
<br />
== 覚醒剤 ==<br />
薬学の知識など皆無であるにも関わらず懲りずに[[wiki:覚醒剤|覚醒剤]]を荒らし始めた。[[wiki:利用者:タバコはマーダー|タバコはマーダー]]が手直しをするも、トンデモ書籍を持ち出して来て差し戻した。ノートで議論が起こるも「''おそらく全然伝わっていない''」とか、「''正直、全然見当違いの意見だと言わざるを得ません''」と暴言を繰り返した。<br />
<br />
それだけでは飽き足らず、タバコはマーダー氏の揚げ足を取り、小さな編集ミスをやり玉にあげて「プレビュー機能のお知らせ」をする暴挙に出た。相変わらず、衝突した利用者に喧嘩を売る悪癖は健在のようである。<br />
<br />
== 投稿ブロック依頼/Shigeru-a24 20140624 ==<br />
コミュニティーに散々迷惑をかけたにも関わらず、'''口先だけの謝罪を弄し、決して反省などせず開き直った上、逆ギレして相手に嫌がらせする'''行動パターンは一向に改善せず悪化の一途を辿っているため、氷鷺により[[wiki:Wikipedia:投稿ブロック依頼/Shigeru-a24 20140624|Wikipedia:投稿ブロック依頼/Shigeru-a24 20140624]]が出された。<br />
<br />
いつも通り「解釈の違い」「語弊」で切る抜けると思いきや、「ルール違反とは言えないはずです」「是非とも良識のある判断をお願い致します」という'''まるで反省していない'''釈明コメントを出す始末。もはやWikipediaを諦めたようである。<br />
<br />
ブロック賛成票が続々と入っているが、そのたびに2chのWikipediaスレで投票者の個人攻撃が行われる珍現象が発生。バレバレの自作自演である。本人によればikedat76のアンチによる反対票がなだれ込むとのことだが、HASHIDATEはブロック済み、頭痛は手のひらを返し済み、みしまるももはコメント依頼中であり、淡い期待である。<br />
<br />
結果、KMTにより3年の長期ブロックとなった。本人はショックのあまり、2ch趣味板にWikipediaスレを乱立させ、対立していた利用者叩きをして荒らしまくった。晩節を汚し放題である。なお、2015年現在も荒らし進行中である。<br />
<br />
=== ブロックに賛成の良識派 ===<br />
# [[氷鷺]] 様 (依頼作成者)<br />
# [[こち]]([[Ostwind]]) 様<br />
# [[WDS487]] 様<br />
# [[森藍亭]] 様<br />
# [[Otherde]] 様<br />
# [[山岡武揚]] 様<br />
# [[零細系統保護協会]]([[Zai零細系統保護協会]]) 様<br />
# [[Claw of Slime]] 様<br />
# [[Tokyodesert]] 様<br />
# [[Ks aka 98]] 様<br />
# [[アルトクール]] 様<br />
# [[Hman]] 様<br />
# [[ミラー・ハイト]] 様<br />
# [[Rienzi]] 様<br />
# [[Nandaro]] 様<br />
# [[みちまん]] 様<br />
# [[Nanafa]] 様<br />
# [[ShellSquid]] 様<br />
# [[Husa]] 様<br />
# [[へんじゃん]] 様<br />
# [[Vigorous action]] 様<br />
# [[Fomalhaut373]] 様<br />
# [[Siwamura]] 様<br />
# [[Kojidoi]] 様<br />
# 新続頭痛([[頭痛]]) 様<br />
# [[UE-PON2600]] 様<br />
# [[Wolf359borg]] 様<br />
<br />
=== ブロック反対の奴ら ===<br />
* {{WPuser|Benzoyl}} - [[wiki:Wikipedia:投稿ブロック依頼/Benzoyl 20140627|Wikipedia:投稿ブロック依頼/Benzoyl 20140627]]が提出され、あっけなく無期限ブロック<br />
* {{WPuser|663h}} - ノートで氷鷺に怒られる<br />
* {{WPuser|むじんくん}}<br />
* {{WPuser|みしまるもも}} - 案の定、長文ヒステリーを投下<br />
<br />
ブロック賛成者数は空前の27人に上り、[http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E6%8A%95%E7%A8%BF%E3%83%96%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF%E4%BE%9D%E9%A0%BC/Aphaia_09022007 Wikipedia:投稿ブロック依頼/Aphaia 09022007]の29人に次ぐ'''ウィキペディア日本語版史上2番目に多くブロック賛成票を集めた投稿ブロック依頼'''となった。<br />
<br />
== Twitterとブログでの活動 ==<br />
Twitterでアカウントを持っているが妄言だらけであり、#jawpクラスタからは誰も相手にしてもらえない。STAP細胞が潰されたのは政府の圧力()とわめいて、今もOBKTでトコっているらしい。調子に乗ってブログもはじめたが、片山が言ってるから生野復活ーとか喚き散らすだけであり、何の反省もしていないことが丸分かりになった。何の知識も無いGAKIのくせに評論家気取りで上から目線で社会を評論している。一体何様のつもりなのか。ボカロPを目指すようだが、薬科大のお勉強はどうなったのであろうかw<br />
<br />
* '''私を追い出したことに後悔するまでどれくらい時間が掛かるのか見ものです。 #jawp ''' という迷言を残した。これまで追い出せなかったことに対してコミュニティー側が後悔しているくらいである。<br />
<br />
ブログに関しては「忙しい」と称して登録解除、ツイッターに関しては2015年8月29日に引退宣言した。ボカロについてもやめたようである。留年したのが余程ショックだったようだ。<br />
<br />
ツイッターの最後の投稿では、次のような狂った妄言を残した。<br />
* シゲP♭変ト長調 ?@ShigeProducer 8月29日<br />
** ①ウィキ百科にSTAP細胞立項したら、事件化して混乱<br />
** ②2chアンチスレ立つ、出鱈目過ぎて名誉棄損非該当で削除不可<br />
** ③部活幹部したら、大量入部で混乱<br />
** ④LINEから出会い厨問題に発展、居心地悪化<br />
** ⑤過去問幹部したら、突然の留年<br />
** ⑥初投稿が引退曲へ、P名だけ付け合いグループ消滅<br />
正確に言い直すとすれば、以下のようになる<br />
:* ①ウィキペディア日本語版にSTAP細胞立項したら、無知識で意味不明な記事に<br />
:* ②2chアンチスレ立つ、正確過ぎて名誉棄損非該当で削除不可<br />
:* ③部活幹部したら、大量入部で有頂天に<br />
:* ④LINEで出会い求めて総スカンくらって、居心地悪化<br />
:* ⑤学内回線からユアペディア編集して、当然の留年<br />
:* ⑥ボーカロイドに手を出したけど2chの荒らしが忙しくて投げ出す<br />
<br />
== Yourpediaでの活動 ==<br />
エディオンインターネットサービス(クオルネット)ユーザーである。2ちゃんねるで削除依頼を行ったユーザとこの書き込みを削除して、リベリアの悪口を書いているIPユーザとも同じプロバイダである。つまり、あ・・・(お察しください)。<br />
<br />
なんと京都薬科大学校内回線からユアペディアを編集していた!有志により学校側に問い合わせがあり、本人はこってり絞られた模様。これが直接の原因か不明であるが、本人の留年が決定したとの情報が2ちゃんねるの京薬スレに寄せられた。Shigeru-a24本人もツイッターで留年したと言っていたので間違いないであろう。<br />
<br />
== 2ちゃんねるでの活動 ==<br />
趣味板のWikipediaスレ、最悪板のシゲルスレ、薬科大スレを毎時巡回し、トコロテン射精のすばらしさを演説してまわっている。<br />
<br />
リベリア叩きは名無しで行うが、広島叩きを行うと突然トリップを付けて登場する。自演をやっていたのがバレバレである。<br />
<br />
2ちゃんねるでは、自分に苦言を呈してきた利用者叩きを行っている。気に入らないなら表でやればいいのにね。ブロック依頼提出後は氷鷺叩きのオンパレードであった。長期ブロック決定後も相変わらず重複スレを立てまくり、私怨コピペをがんばっているご様子。薬科大のお勉強はまったく手についていないようで、自らのブログで赤点を取っていることを暴露する有り様。<br />
<br />
* '''そういう恣意的な解釈は馬鹿のやることですよ。'''という迷言を残した。「お前が言うな」である。<br />
<br />
=== 趣味板強制ID化騒動 ===<br />
Shigeru-a24自身が叩かれるのはこれまでの記述の通り自業自得であるのに、逆切れして趣味板を強制ID化しようと画策し騒ぎ出した。突如「'''803 ◆PPPPZLRIBA'''」を名乗り、外部サイトでの投票を呼び掛けた。板住人を完全無視してである。<br />
<br />
投票開始後、ローカルルールスレで板住人からの苦情が殺到すると「荒らしはスルー」としたり、名無しに戻って質問者を叩いたりした。板住人にお願いする立場であるにも関わらず、超高圧的な文調・態度で仕切っている状況である。本人は自作自演の抑止になると言い張っていたが、本人自ら自作自演でがんばっている状況である。案の定、連投規制に引っ掛かり、回答が突如途切れることもしばしば(笑)。ID反対者は荒らし本人だとまで言い出して板住人の反感を買った。都合悪くなると逆切れして嫌がらせする悪癖は今も健在といったところ。その他Shigeru-a24時代と重複する言い回しが数多く見受けられる。<br />
<br />
肝心の投票も、投票コメントでWikipediaの内情に詳しい個人叩きをした票が3票ありミエミエの多重不正投票である。投票終了後、ID化の申請をしたと言っているがその場所の公表を頑なに拒否している。ちなみに、現状の2chは諸事情により運営が機能停止状態であり、強制ID化が板の総意であっても施行されることはまず無いのである(笑)<br />
<br />
噂によれば、運営スレに申請を行ったようだが依頼場所が違うと怒られたようである。ここで折れないのがトコロテン射精バカシゲル。逆切れして暴れてまたもや総スカンを食らったとのこと。平常運転である。<br />
<br />
=== 規制中でもできる削除依頼を他人に依頼 ===<br />
趣味板にある乱立スレを削除依頼スレに報告しているようである。もし、規制中であっても削除依頼スレは書き込むことができるのだが(しかし、ホストが強制表示される)、レス代行依頼スレに報告の代行を依頼していたことが発覚。報告スレでも多数を偽装しようと画策したようである。もちろん代行スレ住人にはスルーされた。<br />
<br />
=== 強制ID化失敗後は趣味板まるごと荒らす ===<br />
趣味板住人総員から反感を買ってしまったが、ここで反省しないのはいつものこと。またまた逆切れして、今度は自分のスレを隠すために過疎スレを次々と板の上部に上げるage荒らしを開始した。板住人からの苦情が上がるもお構いなし。Shigeru-a24が逆恨みで立てたアカネさんを中傷するスレも、有志により潰されても次々立てる始末。自分の逆恨みのために●を購入したようである。もはや手の付けようがない。ツイッターで帰省したことを告げた直後に新スレが立てられたため、スレ立て規制がかかってない実家回線から立てたようである。こいつはやっぱり逆恨みだけで生きているようである。<br />
<br />
== 勉強もせず2ちゃんねる荒らしまくって留年 ==<br />
薬科大スレにShigeru-a24が留年になったとのタレコミが同大学生より寄せられた。勉強もせずWikipediaと2ちゃんねるを荒らしていたわけだから当然である。むしろ、あの程度の学力で入学できたのも不思議ではある。<br />
<br />
20 :大学への名無しさん:2015/04/28(火) 22:07:05.19 ID:rbFGrnYZ0<br />
>>10<br />
shigeru-a24が留年した<br />
あと学校に特定されて怒られたらしい<br />
<br />
== 新アカウント、風とかくれんぼで復帰 ==<br />
2015年10月より{{WPuser|風とかくれんぼ}}での活動を始めた。最初は真面目に記事を書いていたようだが、声優記事、化学記事に現れるようになり、最終的にトコロテン射精の削除を企てたようである。Shigeru-a24本人だろwと突っ込みが入り、キレてそのまま引退宣言した。2016年1月に無期限ブロックされた。<br />
<br />
== 関係事項 ==<br />
* [[トコロテン射精]]<br />
* [[みしまるもも]](ミートパペット)<br />
* [[あかさ行から始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧]]<br />
* [[たなは行から始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧]] <br />
* [[まやらわ行から始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧]]<br />
* [[数字とアルファベットから始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧]]<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
* [https://twitter.com/KiloMegaNe しげるのツイッター] <br />
* [https://web.archive.org/web/20140627083406/http://blog.livedoor.jp/shigeru_smile/ しげるんブログ] - [[インターネット・アーカイブ]]内の[[魚拓]]<br />
* [http://kilomegane.jimdo.com/ 単位眼鏡の部屋] <br />
* [http://kanae.2ch.net/test/read.cgi/kouri/1428239200/ 京都薬科大学Part4] - 2ちゃんねる<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:しげる}}<br />
[[Category:Fromm|*]]<br />
[[Category:ブサヨ御三家]]<br />
[[Category:日本の左翼]]<br />
[[Category:ネット左翼]]<br />
[[Category:ガキ]]<br />
[[Category:キチガイ]]<br />
[[Category:蛆虫]]<br />
[[Category:泊優稀]]<br />
[[Category:在日コリアン]]<br />
[[Category:創価学会]]<br />
[[Category:死ね]]<br />
[[Category:ソックパペッター]]<br />
[[Category:利用者]]<br />
[[Category:ユアペディア]]<br />
[[Category:ユアペディアン]]<br />
[[Category:ウィキペディア]]<br />
[[Category:ウィキペディアン]]<br />
[[Category:2ちゃんねらー]]<br />
[[Category:ネット中毒者]]<br />
[[Category:荒らし]]<br />
[[Category:長期荒らしメンバー]]<br />
[[Category:インターネットの人物]]<br />
[[Category:インターネット依存症の人物]]<br />
[[Category:ネット弁慶]]<br />
[[Category:反日主義]]<br />
[[Category:偽善者]]<br />
[[Category:悪の組織デビルシャドウ]]<br />
[[Category:JCN関東のユーザー]]<br />
[[Category:狂人]]<br />
[[Category:発達障害の人物]]<br />
[[Category:アスペルガー障害の人物]]<br />
[[Category:中二病]]<br />
[[Category:精神障害の人物]]<br />
[[Category:躁病の人物]]<br />
[[Category:偏執狂の人物]]<br />
[[Category:依存症の人物]]<br />
[[Category:人格障害の人物]]<br />
[[Category:解離性統一障害の人物]]<br />
[[Category:統合失調症の人物]]<br />
[[Category:虚言癖を持つ人物]]<br />
[[Category:精神障害者福祉手帳を持つ人物]]<br />
[[Category:自己顕示欲の強い人物]]<br />
[[Category:社会復帰途上の人物]]<br />
[[Category:引籠もりの人物]]<br />
[[Category:対話不能者]]<br />
[[Category:引きこもり]]<br />
[[Category:自宅警備員]]<br />
[[Category:無職]]<br />
[[Category:ニート]]<br />
[[Category:誹謗中傷マニア]]<br />
[[Category:個人攻撃マニア]]<br />
[[Category:幸福の科学]]<br />
[[Category:オウム真理教]]<br />
[[Category:特別支援学校出身者]]<br />
[[Category:バカ]]<br />
[[Category:前科者]]<br />
[[Category:犯罪予備軍]]<br />
[[Category:職業訓練を本気で受けるべき人物]]<br />
[[Category:星椎水精に浄霊をしてもらうべき人物]]<br />
[[Category:日本共産党]]<br />
[[Category:民主党]]<br />
[[Category:日本教職員組合]]<br />
[[Category:政治的左翼]]<br />
[[Category:辻井伸行の爪の垢を飲ませたい人物]]<br />
[[Category:無期限ブロックを受けたユーザー]]<br />
[[Category:ヒール]]<br />
[[Category:悪魔]]<br />
[[Category:鬼畜]]<br />
[[Category:粘着]]<br />
[[Category:編集合戦マニア]]<br />
[[Category:偏執狂の人物]]<br />
[[Category:長谷川穂積に一遍どつき回された方がいい人物]]<br />
[[Category:島田紳助に本当に潰されるべき人物]]<br />
[[Category:大藪順子と接する資格の無い人物]]<br />
[[Category:小林美佳と接する資格の無い人物]]<br />
[[Category:戸塚宏に扱いてもらうべき人物]]<br />
[[Category:チンカス]]<br />
[[Category:売国奴]]<br />
[[Category:公害]]<br />
[[Category:死刑囚候補]]<br />
[[Category:犯罪者]]<br />
[[Category:先編集権を侵害されている記事]]<br />
[[Category:役立たず]]<br />
[[Category:在日韓国・朝鮮人]]<br />
[[Category:ネットストーカー]]<br />
[[Category:身の程知らず]]<br />
[[Category:Shigeru-a24]]<br />
[[Category:Shigeru-a24に敵視されたWikipedia利用者|*]]</div>
ウマスラ
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=Shigeru-a24&diff=319420
Shigeru-a24
2016-03-23T09:25:48Z
<p>ウマスラ: しげるんブログの魚拓がインターネット・アーカイブ内にあったためリンクを貼り替える</p>
<hr />
<div>'''{{WPuser|Shigeru-a24}}'''(通称:トコロテン射精)は、ウィキペディア日本語版の元自警、2ちゃんねる史上最悪の荒らしである。Wikipediaでは3年間の超長期ブロック中(実質追放)。<br />
{|<br />
|-<br />
|__TOC__<br />
|<span style="font-size:100pt">トコロテン射精</span><br />
|}<br />
<br />
== 概要 ==<br />
[[1993年]]生まれの若手(GAKI)利用者。広島県出身の在日コリアン。[[2014年]]現在は[[京都府]]在住の[[京都薬科大学]]生であり、一年[[浪人]]している。両府県のポータルメンバー。'''トコロテン射精'''の第一人者。[[wiki:利用者:Taisyo|Taisyo]]の主催する[[wiki:Portal:日本の都道府県/広島県|広島県人会]]の参加者である。包摂主義メンバーであり、新右翼的傾向を持っていた。話題の論争に参加して注目を浴びるのが好きなようだが、実力が全くと言っていいほど伴っておらず、不必要な問題を無数に引き起こした(後述)。周りに総スカンを食らってからは投稿ブロック回避のため執筆と新着投票のみ参加を宣言しているが管理行為の旨味が忘れられずすぐに反故にされ、コメント依頼・ブロック依頼に出没するようになった。[[新着投票]]・[[強化投票]]の他、[[刺激惹起性多能性獲得細胞]]の編集が日課であった。新着・強化投票においても内容を読まずに投票という不正を働いたため氷鷺にブロック依頼を出され実質追放された。<br />
<br />
なお、似た名前の[[wiki:利用者:Shigeru23|Shigeru23]]は誰が見ても同一人物であるが、Wikipediaでは別人ということにしている。<br />
<br />
得意科目は韓国薬膳(トンスル、キムチなど)、苦手科目は生化学である(本人談)。<br />
<br />
ブロック後は逆恨み八つ当たりで毎日2ちゃんねるの趣味板を盛大に荒らしている。無職のニートで一日中インターネットしかしていないくせに、極めて偉そうにしていて上から目線でいるのが特徴である。いったい何様のつもりなんだろうか。また、「ガキ」・「テブス」・「ボケ老人」などのいじめ・差別用語を何の抵抗も無く使う、人間性のかけらも無い人間性の腐りきったクズである。この人物には何を言っても無駄であり(こいつの悪口を言ってもコテを外した名無しが「朝鮮語じゃなく日本語しゃべれよ」「日本語の翻訳ソフトこわれてるの?」などの暴言が返ってくるだけである)、相手しても何のメリットもないので、専ブラのNG機能を使い見えなくさせることを強く強く推奨する。自分のしていることは絶対に正しいと信じており、多大な迷惑をかけたウィキスレの住民に謝罪をする気は無いようである。 <br />
<br />
== 初心者とは思えないデビュー ==<br />
アカウント取得後一ヶ月も満たずして、注意に訪れたLearningBoxに対し「Wikipedia:五本の柱」や「削除者」を持ち出したり、IP利用者ページにWelcomeメッセージを投稿したり、さらには[[wiki:プロジェクト:鉄道|ウィキプロジェクト鉄道]]に参加して生体bot作業も行った。すぐにShigeru23の生まれ変わりであることがばれてRCで名前が上がり、Vigorous actionが殴り込みに来たが、「初心者ユーザー」であるといけしゃあしゃあと語った。その時、ネット掲示板(2ちゃんねる)を見ていることも自ら暴露した。別人であるなら「違います」と一言いえばいいだけなのに10行近くも釈明文を載せた。<br />
<br />
== 生野区連続通り魔事件 ==<br />
2013年6月11日 (火) 13:27(UTC)、[[wiki:Wikipedia:削除の復帰依頼/生野区連続通り魔事件|生野区連続通り魔事件の復帰依頼]]にて華々しいキチガイデビューを飾った。3編集目では「''賛否のマークを書いていない人のうちほとんどが賛成派であるように見えます''」という恣意的なコメントを行っている。<br />
<br />
2013年6月11日 (火) 14:41(UTC)、「''話を変えないでください。一度削除した記事は何が何でも復帰を妨害しようという姿勢はどうなんでしょうか?''」と暴言を吐いた[https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=Wikipedia:%E5%89%8A%E9%99%A4%E3%81%AE%E5%BE%A9%E5%B8%B0%E4%BE%9D%E9%A0%BC&diff=48135713&oldid=48135517]。しかしながら、直後にRienziに晒し上げられる。これに飽きたらず「''大きな特筆性の前で小さな屁理屈をこねないでください''」とも言っている。<br />
<br />
2013年6月13日 (木) 08:57 (UTC) 、今度はMaximusM4のコメントに難癖をつけたが、会話の内容をまったく理解していないものであったため「''仰る意味がよくわかりません''」とあしらわれた。<br />
<br />
=== 全世界に公開されているのに公開質問状w ===<br />
2013年6月14日、標準名前空間にサブページを作って記事を復帰させるという暴挙に出る。しかし、明らかな削除逃れのために即時削除された。削除を行ったHosiryuhosiに逆ギレして'''公開質問状'''なるものを突き付け、自分の利用者サブページに記事を再作成した。が、被害者名が思いっきり載っておりこちらも即時削除された。これらの暴走によりVZP10224から3日間の方針熟読ブロックを食らう。<br />
<br />
=== 法的脅迫 ===<br />
これで反省すると思いきや会話ページで大暴れ。すでに管理者を退いているにも関わらず「[https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85%E2%80%90%E4%BC%9A%E8%A9%B1%3AShigeru-a24&type=revision&diff=48187168&oldid=48186811 もし今後Vigorous action氏による不可解なコメントが続けば解任提案の提出あるいは法的手段を取ることを検討することは念のため述べておきます。]」と恫喝した。もう滅茶滅茶である。それまで親身に話を聞いていたWolf359borgからも怒られることとなり、ブロックの解除依頼を撤回した。最終的には、2ちゃんねるやウェブ魚拓を参考にしていたなどとほざいた。<br />
<br />
記事はその後、二度に渡る改善なき作成と削除により現在は無期限白紙保護となっている。<br />
<br />
=== 再度の大暴走 ===<br />
3日間の短期ブロックで反省するはずもなく、自動解除早々[[wiki: Wikipedia:削除依頼/生野区連続通り魔事件 20130618|Wikipedia:削除依頼/生野区連続通り魔事件 20130618]]に乱入。自分の論理が通りそうにないことを悟ると勧誘行為(カンバス、この場合正確にはマルチポスト)をはたらく。即座にMaximusM4に見つかり一ヶ月の暫定ブロックとなり、[[wiki:Wikipedia:投稿ブロック依頼/Shigeru-a24 追認|ブロックの追認依頼]]が提出された。結果、Hmanの対話の甲斐があり一週間のブロックに短縮されたが、本人は「''こちらの主張が認められました''」とまったく反省していないご様子。解除されるやいなや大規模な勧誘行為を再開。Ashtrayが止めに入るも訳の分からない御託を並べたため対話を諦められた。<br />
<br />
業を煮やしていたikedat76により[[wiki:Wikipedia:投稿ブロック依頼/Shigeru-a24 20130630|Wikipedia:投稿ブロック依頼/Shigeru-a24 20130630]]が提出された。しかし、カンバスかどうかの疑義が発生した上、ウィキブレイクおよび事件に一切関わらないことを宣言したためブロックは見送りとなった。ここで素直にウィキブレイクしないのがShigeru-a24である。2日後、舌の根の乾かぬ内にウィキブレイク宣言を破り、自分のブロック依頼に現れikedat76に喧嘩を売り始めた。しかし、Ashtrayがとりなし、事なきを得た。<br />
<br />
== トコロテン射精 ==<br />
Shigeru-a24を語るのに'''[[wiki:トコロテン射精|トコロテン射精]]'''を外すことはできない。トコロテン射精をグーグルなどの検索エンジンで検索すると容易に「'''[[wiki:トコロテン(アダルト)|トコロテン(アダルト)]]'''」に到達できるのは、トコロテン射精のリダイレクトを作った彼のもっとも大きな功績である。試験勉強のためにという嘘をついてブレイクを宣言しているなか、敢えてトコロテン射精を作成するあたりに、並々ならぬ思い入れを感じざるを得ない。<br />
<br />
'''トコロテン射精''' <br />
(最新 | 前) 2013年7月8日 (月) 14:07 Shigeru-a24 (会話 | 投稿記録) . . (42バイト) (+42) . . (←トコロテン (アダルト)へのリダイレクト) (感謝)[https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%88%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%86%E3%83%B3%E5%B0%84%E7%B2%BE&oldid=48429692]<br />
彼の功績を讃えるために、Wikipediaにアカウントを持つ諸君はぜひ、「[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E5%88%A5:Thanks/48429692 感謝]」を送ろう!2014年現在、感謝の数は100件を数えるに至る。この場を借りて厚くお礼申し上げる次第である。<br />
<br />
トコロテン射精マスターであることから、彼の股間はイカ臭いというよりはウ○コ臭くなっている。<br />
<br />
== 射精の削除依頼 ==<br />
2013年9月17日 (火) 08:56(UTC)、何を思ったか[[wiki:Wikipedia:削除依頼/射精|Wikipedia:削除依頼/射精]]に参戦する。持論が通らないと見るや[[wiki:Wikipedia:井戸端/subj/刑法第175条に反する可能性がある画像|Wikipedia:井戸端/subj/刑法第175条に反する可能性がある画像]]に場所を移して駄々をこね始めた。場所を移したところで持論が通る訳はなく全員に否定され、ノートでikedat76にボロカスに言われ、逆切れして「''日本語のネイティブスピーカーであれば、争点が「学術・医学目的で掲載されている」のであることは分かるでしょう。失礼ですが、これが分からないのであれば、無理してjaWPの議論に参加しないほうがよろしいのではないかと思います''」[https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=Wikipedia%E2%80%90%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E4%BA%95%E6%88%B8%E7%AB%AF/subj/%E5%88%91%E6%B3%95%E7%AC%AC175%E6%9D%A1%E3%81%AB%E5%8F%8D%E3%81%99%E3%82%8B%E5%8F%AF%E8%83%BD%E6%80%A7%E3%81%8C%E3%81%82%E3%82%8B%E7%94%BB%E5%83%8F&diff=prev&oldid=49184035]と暴言を吐いた。Vigorous actionはこの発言を管理者伝言板に報告したが、ぱたごんに反対され、ぱたごんのブロックも依頼するという暴挙に出た結果、逆にVigorous actionが短期ブロックされた。だが、皮肉つきで反対したぱたごんも悪い。<br />
<br />
== Chichiiiとの共闘 ==<br />
同じ新右翼傾向のChichiiiとはウマが合うようで各地で相互擁護を繰り返した。<br />
<br />
=== 横浜線中山駅踏切死傷事故 ===<br />
2013年10月5日 (土) 11:55(UTC)、町ゴミを作る程度しか能力を持ち合わせていないにも関わらず、[[wiki:Wikipedia:削除依頼/横浜線中山駅踏切死傷事故|横浜線中山駅踏切死傷事故の削除依頼]]に現れ、存続させるため削除意見にいちいち不自由な日本語で反論してまわり再度周囲を呆れさせた。最終的には超恣意的な票の取りまとめを行い、削除票をほとんど存続票に転換させた結果、総スカンを食らい苦情の嵐となった。記事を統合してリダイレクト化、リダイレクトを削除依頼などとGFDLをまったく理解していない素っ頓狂なことを言い出したりもした。<br />
<br />
=== ChiChiiiのブロック依頼 ===<br />
2013年10月6日 (日) 18:38 (UTC)には、[[wiki:Wikipedia:投稿ブロック依頼/ChiChiii 2013年10月|Chichiiiのブロック依頼]]に登場。依頼者=ikedat76への個人攻撃をまじえてブロック反対を主張した。Chichiiiがシゲルのブロックに反対した恩を感じていたのだろうが、Chichiiiは圧倒的賛成多数によりあっけなく無期限ブロックとなった。<br />
<br />
[[wiki:Wikipedia:投稿ブロック依頼/Chichiii 2013/10/16 解除|ブロック解除依頼]]が出たものの、ブロック継続票が殺到するとあっさりChichiiiを見捨てて、「''「解除依頼出しておいたからこの話はここまでね」とのことですが、進行中の対話の妨害じゃあありませんか。提案理由も意味不明です。コミュニティを無駄に疲弊させないでほしい。''」と意味不明な発言をした。なお、これまで最もコミュニティを疲弊させたのは他ならぬShigeru-a24であるのは疑いようがない。<br />
<br />
== 在日疑惑 ==<br />
低質な管理行為が問題になって総スカンを食らっている中、無理をおして、2013年10月22日 (火) 08:39 (UTC) には[[wiki:朝鮮の食糞文化|朝鮮の食糞文化]]を、同10月25日 (金) 11:31(UTC)には[[wiki:キムチ|キムチ]]を編集した。<br />
<br />
韓国に対する並々ならぬ愛国心が伺える。<br />
<br />
== クリーンスタート失敗 ==<br />
2013年11月27日には利用者ページにて「''近年(?)の2chやYourpediaでの状況の影響もあり、このたびこのアカウントからの撤退を決めました。''」とShigeru-a24としての引退を表明し、Shigeru23の時と同様にクリーンスタートを狙ったが、即座にTokyodesertに殴られ、[[Twitter]]でも引き止められたため、またもや即時撤回。コミュニティーの温情でコメント依頼が閑古鳥だったのに一瞬で満員御礼となった。コメント依頼を出したLiberiaに塩を送ったのだろう。一部に「意思が弱いのか、計画性がないのか、ただの無知なのか、有言を実行する度胸もないのか。」とする声がある。「''方針及び草案の解釈に違いがあったためやむをえず撤回したというのが事実であろう。''」と無茶な言い訳をした。どういう奇抜かつ斬新な解釈をしたのか不思議でならない。<br />
<br />
そもそも、クリーンスタートというのは違法スレスレの方法であり、手順は厳格に規定されている。自警でありながら、それを知らないもしくは解釈の違いというのは見え透いた嘘であり、お子様脳全開の思考である。<br />
<br />
== 著作権侵害画像の大量アップロード ==<br />
2013年12月、お菓子パッケージを写した著作権侵害画像を次々コモンズにアップロードした。すべて削除されたが、[[wiki:ノート:ジューC|ノート:ジューC]]には「''どういう基準になってるのかいまだによくわからん''」と著作権への理解が皆無であることを宣言した。とんでもないことである。<br />
<br />
== 強姦被害者を中傷 ==<br />
2013年12月、とある削除依頼[https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=Wikipedia%3A%E5%89%8A%E9%99%A4%E4%BE%9D%E9%A0%BC%2F%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%81%95%E3%82%93%E4%BA%8B%E4%BB%B620131108&diff=49976618&oldid=49975098]にて「''強姦被害を受けることが不名誉なことであるかどうかについては社会学的議論の対象にもなっていますが、意識的であれ無意識的であれ不名誉だと考える人も多い''」と、強姦被害者を中傷するとんでもないことを言い放った。普通の日本人ならまず持ちえない考えの持ち主のようである。<br />
<br />
== MaximusM4の解任投票 ==<br />
シゲルのミートパペットである[[みしまるもも]]が[[wiki:Wikipedia‐ノート:投稿ブロック依頼/Chichiii 条件変更|Wikipedia‐ノート:投稿ブロック依頼/Chichiii 条件変更]]でヒステリーを起こし、MaximusM4により一日ブロックされる。<br />
<br />
誰が見ても正当な権限行使であったが、過去の逆恨みもありMaximusM4に質問と称し殴り込みをかけた。が、相手にされる訳もなく適当にあしらわれたためMaximusM4の解任動議を提出。動議は成立したものの、解任反対が圧倒的になると日和って解任反対票を投下。コミュニティーに合流しようとしたのだが裏目にでて失敗、またもや周囲を呆れさせた。ノートに「''総合的に考えて今回は解任反対と致しました。この投票で信任された暁には、しっかり考えて慎重に行動していただきたいと思います。''」と皮肉たっぷりのふざけたコメントを載せ、みちまんがブチ切れて[[wiki:Wikipedia:コメント依頼/Shigeru-a24 20131227|Wikipedia:コメント依頼/Shigeru-a24 20131227]]を提出した。<br />
<br />
== みちまんによるコメント依頼、投稿ブロック依頼 ==<br />
[[wiki:Wikipedia:コメント依頼/Shigeru-a24 20131227|みちまんが提出したコメント依頼]]に厳しいコメントが続いたが、Shigeru-a24の馬鹿者はこれまで通り薄っぺらい謝罪の言葉を重ね、仕舞いには「当面(半年ほど?)自粛させていただき、プロの方の議論を観て学ばさせていただきます」という周りからの助言や批判をまったく理解しない皮肉を書いた。彼にとって議論の場は喧嘩を楽しむ場であったようである。そもそも、諸法律やガイドラインを学習し理解することに徹するべきところ、議論を見て学ぶと声高らかに宣言したところが笑いどころのようである。<br />
<br />
自粛期間についてもクエスチョンマークがついており、半年ほどと言いながらまたもや2~3日で反故にして戦線復帰する腹積もりだったのであろう。これに対し、すでにブチ切れていたみちまんにさらに油を注ぐ結果となり、[[wiki:Wikipedia:投稿ブロック依頼/Shigeru-a24 20140106|投稿ブロック依頼/Shigeru-a24 20140106]]が提出された。<br />
<br />
始めのうちはいつもどおり投稿ブロックの方針に該当せずという意見が大勢を占めると考えられたが、ブロック依頼提出者のみちまんの投稿したコモンズ画像に削除タグを張り付けるという報復的管理行為を行い、総スカンを食らう。これが決定打となり、無期限または超長期ブロック賛成票がなだれ込むことになる。結局のところ、彼は学習能力が全く無く、管理ゲームを楽しんでいただけのようである。過去に自分に苦言を呈したVigorous actionを管理者解任しようとしたり、自分をブロックしたMaximusM4の解任動議を出したりするあたり、逆恨みだけで行動するおバカであることは否定のしようがない。しかしながら、某利用者同士の代理戦争の様相を呈し、反対票がなだれ込むことになる。ただし、管理に手をだしたらアウトという条件付きばかりであり、以降は管理から手を引くことにした。<br />
<br />
=== ブロック賛成の良識派 ===<br />
* {{WPuser|みちまん}} 様 (依頼提出者)<br />
* {{WPuser|森藍亭}} 様<br />
* {{WPuser|WDS487}} 様<br />
* {{WPuser|Hman}} 様<br />
* {{WPuser|フォット}} 様<br />
* {{WPuser|JapaneseA}} 様<br />
* {{WPuser|Holic 629W}} 様<br />
* {{WPuser|Nanafa}} 様<br />
* {{WPuser|Ostwind}} 様<br />
* {{WPuser|Vigorous action}} 様<br />
* {{WPuser|Ikedat76}} 様<br />
<br />
=== ブロック依頼で反対を入れた馬鹿ども ===<br />
* {{WPuser|663highland}}<br />
* {{WPuser|山岡武揚}}<br />
* [[みしまるもも]] (11,858バイト(400字詰め原稿用紙9枚分)もの長文反対票を書く)<br />
* {{WPuser|Naitou1980}}<br />
* {{WPuser|Freetrashbox}}<br />
* {{WPuser|香川二郎}}<br />
* {{WPuser|みっち}}<br />
* {{WPuser|頭痛}}<br />
* {{WPuser|ノーザン123}}<br />
* {{WPuser|RMSystem}}<br />
* {{WPuser|Akaniji}}<br />
* {{WPuser|朝姫}}<br />
* {{WPuser|T34-76}}<br />
* {{WPuser|Husa}}<br />
* {{WPuser|Dwy}}<br />
* {{WPuser|FoodDelinker}}<br />
* {{WPuser|Rienzi}}<br />
* {{WPuser|アルトクール}}<br />
* {{WPuser|Fomalhaut373}}<br />
<br />
== 刺激惹起性多能性獲得細胞 ==<br />
[[ファイル:How to produce STAP cells.jpg|thumb|500px|なんだこのマウスは(笑)]]<br />
2014年1月からは生物細胞学の知識が皆無にも関わらず'''流行に乗って'''新聞記事の出典だらけの[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%BA%E6%BF%80%E6%83%B9%E8%B5%B7%E6%80%A7%E5%A4%9A%E8%83%BD%E6%80%A7%E7%8D%B2%E5%BE%97%E7%B4%B0%E8%83%9E 刺激惹起性多能性獲得細胞]を作成。ブロックノイズが酷いjpg画像まで投稿した。繰り返しになるが知識が皆無であるため、新聞記事に書いている内容も理解できておらず、誰が見ても意味不明な記事に仕上がる結果となる。理系利用者から苦言が来るも自己流の理解で突っぱねて聞く耳を持たなかった。<br />
<br />
さらに調子にのって、幹細胞や万能細胞にも手を広げて記事を滅茶滅茶にした。オマケに[[みしまるもも]]が加わりダブルで記事破壊行為を開始。当のシゲルは劣勢を見るやいなやダンマリを決め込み雲隠れした。そのためにみしまるももが集中砲火を浴びることになる。<br />
<br />
本人は名誉挽回のつもりでの作成であったのだろうが、所詮は大学の一年坊主であり、結局は汚名を上塗りしただけだったw<br />
<br />
=== 公開処刑(笑)===<br />
[https://twitter.com/Shigeru_smile/status/459584816292196352 ツイッターにて]、''とりあえず、確実に壮大なブーメランを起こしている模様の石井氏については #jawp の #STAP細胞 の記事に加筆して公開処刑。''とツイートし、編集を行ったためまたもや釈明に追われることとなった。<br />
<br />
=== 万能細胞 ===<br />
万能細胞ではみしまるももががんばっているためShigeru-a24も負けじと罵倒合戦に参加。・・・していたがみしまるもものコメント依頼が提出されたことで事態が変わる。Shigeru-a24は管理を自粛することを条件に参加を許されているためコメント依頼に参戦できないことから、発狂し、[https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%9D%82%E4%B8%8A%E7%94%B0%E6%9D%91%E9%BA%BB%E5%91%82&diff=prev&oldid=50871736 Otheruses付加したから見てたもー。]や、[https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:Shigeru-a24/%E6%8A%95%E7%A8%BF&diff=prev&oldid=50871990 小鬼めらには疲れたでおじゃる。]という意味不明な荒らし行為を行った。自分の利用者ページについては即時削除が可能なため証拠隠滅を図った。<br />
<br />
== またもや有言不実行 ==<br />
管理からは手を引いたはずであったが、どうしてもあの味が忘れられず、2014年2月からは管理者伝言板やコメント依頼に顔を出し始めた。どうやら大恩のあるエナレスの履歴は毎時確認していたようである。さすがゲイである。<br />
<br />
ブロック依頼に参加できないことから、みしまるもものページに投稿ブロック依頼に関する書き込みを行ったが[https://ja.wikipedia.org/w/index.php?&diff=prev&oldid=51049555]、即座にぱたごんに見つかり怒られた。「''当面、経験を積むために記事執筆を中心に活動し、「標準名前空間」「ノート名前空間」「利用者名前空間」「利用者-会話名前空間」を活動範囲といたします。自らの執筆に影響しない管理活動には一切タッチしない事にし、行動範囲内の案件について触る場合にも冷静に慎重に対応いたします。新着投票にはこれまで通り参加します。''」と宣言したはずであるが、舌の根の乾かぬ内に破っている。<br />
<br />
== 尾崎豊怪死事件 ==<br />
2014年5月26日、名誉棄損のおそれがある記事「尾崎豊怪死事件」に投票、[[wiki:Wikipedia:削除依頼/尾崎豊怪死事件|Wikipedia:削除依頼/尾崎豊怪死事件]]にてhyolee2が問題視すると呼ばれてもいないのに意味不明な釈明を始める。「新着投票の際、名誉棄損のある記事として評価して投票したという事実はありません。なお、名誉棄損とは「ある疑惑を肯定すること」を言うのであり、「論争を記述すること」「論争になりやすい主題であること」だけでは名誉棄損には当てはまらない、というのがこちらの見解であり、そして名誉棄損が無いと判断した根拠です。」[https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=Wikipedia%3A%E5%89%8A%E9%99%A4%E4%BE%9D%E9%A0%BC%2F%E5%B0%BE%E5%B4%8E%E8%B1%8A%E6%80%AA%E6%AD%BB%E4%BA%8B%E4%BB%B6&diff=51788763&oldid=51786259]。ツイッターにおいても、「[[wiki:Wikipedia:削除依頼/尾崎豊怪死事件|Wikipedia:削除依頼/尾崎豊怪死事件]] まさか新着への投票が問題視されるとは、ただただ驚きですね。コンプライアンス上の問題がないと判断して投票した事を説明しました。[https://twitter.com/Shigeru_smile/status/470910413471612930]」とコンプライアンスの意味を分かってない頓珍漢な釈明を行った。<br />
<br />
== 新着投票での不正行為 ==<br />
記事を書く能力は皆無(あっても町ゴミか新聞記事のスクラップ程度)であり、管理能力も同様に皆無であることから、新着投票に毎日のように参加し貢献した気になっているようである。<br />
<br />
=== 「お薬手帳」重複作成、新着不正自薦事件 ===<br />
2014年6月1日 (日) 16:52、[[wiki:おくすり手帳|おくすり手帳]]が既にあるにも関わらず、[[wiki:お薬手帳|お薬手帳]]をリダイレクトから立項した上、もとの記事をリダイレクト化し重複記事とした。それに飽きたらず自分が作った'''低質な'''記事を新着に自薦するという暴挙に走る。無茶苦茶な行動にChiba ryoから苦言が来るも、「''全面改稿である以上、履歴継承が不要であること、通常の改稿手続きでは手間がかかることから、簡略的な手順を取りました''」というコミュニティー軽視、手順無視のコメントを投下。Chiba ryoと差し戻し合戦をやらかす。会話ページには、ShellSquid、ぱたごん、みちまん、Hmanも現れ苦情の嵐となる。結局、Ks aka 98が履歴統合案を出して幕引き。本人は「''医療費改定の事が話題となって閲覧数が急激に伸びていたため新着ネタにしたかった''」と思っていたようだが、結局今回も閲覧者を混乱させ、コミュニティーを振りまわしただけであった。<br />
<br />
== 強化投票での不正行為 ==<br />
強化投票にも出没して貢献した気になっているようであるが、評価能力ゼロどころかそもそも推薦記事を読みもしていないことが明らかになった。<br />
<br />
2014年6月3日 (火) 14:12 (UTC)、[[wiki:茨城県|茨城県]]に大殿様とか称する利用者が「Wikipedia:完璧な記事」にするためと称して45万バイトを投下した。45万バイト=15万字=400字詰め原稿用紙375枚にも達するこの膨大な加筆を、わずか47分後の2014年6月3日 (火) 14:59 (UTC)に推薦したが、問題はその後。[[wiki:ノート:茨城県|ノート:茨城県]]で完璧な(笑)加筆はフルボッコになり、全て差し戻された。さすがにまずいと思ったのかほぼ4日後にミートパペットのみしまるももが投票したが、もともとミートパペットなだけにどっちみち無駄。推薦もとっくにコメントアウトされて時間切れで消え去った。[[wiki:Wikipedia‐ノート:メインページ強化記事投票所/項目候補|ノート]]にてikedat76に推薦記事をまったく読んでいないことを暴露されてしまった。<br />
<br />
=== コメント依頼 ===<br />
強化の件について謝罪するどころか、問題は無い!と居直ったためikedat76が[[wiki:Wikipedia:コメント依頼/Shigeru-a24 2014年6月|Wikipedia:コメント依頼/Shigeru-a24 2014年6月]]を提出した。ここでも謝罪するどころか大嫌いなikedat76に対して個人攻撃を繰り返すという暴挙に出た。<br />
<br />
==== Shigeru-a24による暴言 ====<br />
* お話にはなりません。依頼者さんについては方針の曲解を認めたうえでコメント依頼を撤回されるべき<br />
* 依頼主さんはツイッターで常時僕の悪口を垂れ流しているほか、覚醒剤の記事改善議論にも出没して粘着してきていますが、こんなことを各地で繰り返しているようでは流石に嫌われますよ。<br />
<br />
=== 新着でも記事を読まずに投票 ===<br />
2014年6月22日 (日) 13:21 (UTC)に、いつも通り新着投票を行ったのだが、投票した6記事ともバイト数が20キロバイト超えの大きな記事であり、合計文字数は93,077文字≒原稿用紙232枚分となる。しかし、直前の編集から9分しかたっておらず、中身を読まずにバイト数だけを見て投票したことがバレバレである。<br />
<br />
== 覚醒剤 ==<br />
薬学の知識など皆無であるにも関わらず懲りずに[[wiki:覚醒剤|覚醒剤]]を荒らし始めた。[[wiki:利用者:タバコはマーダー|タバコはマーダー]]が手直しをするも、トンデモ書籍を持ち出して来て差し戻した。ノートで議論が起こるも「''おそらく全然伝わっていない''」とか、「''正直、全然見当違いの意見だと言わざるを得ません''」と暴言を繰り返した。<br />
<br />
それだけでは飽き足らず、タバコはマーダー氏の揚げ足を取り、小さな編集ミスをやり玉にあげて「プレビュー機能のお知らせ」をする暴挙に出た。相変わらず、衝突した利用者に喧嘩を売る悪癖は健在のようである。<br />
<br />
== 投稿ブロック依頼/Shigeru-a24 20140624 ==<br />
コミュニティーに散々迷惑をかけたにも関わらず、'''口先だけの謝罪を弄し、決して反省などせず開き直った上、逆ギレして相手に嫌がらせする'''行動パターンは一向に改善せず悪化の一途を辿っているため、氷鷺により[[wiki:Wikipedia:投稿ブロック依頼/Shigeru-a24 20140624|Wikipedia:投稿ブロック依頼/Shigeru-a24 20140624]]が出された。<br />
<br />
いつも通り「解釈の違い」「語弊」で切る抜けると思いきや、「ルール違反とは言えないはずです」「是非とも良識のある判断をお願い致します」という'''まるで反省していない'''釈明コメントを出す始末。もはやWikipediaを諦めたようである。<br />
<br />
ブロック賛成票が続々と入っているが、そのたびに2chのWikipediaスレで投票者の個人攻撃が行われる珍現象が発生。バレバレの自作自演である。本人によればikedat76のアンチによる反対票がなだれ込むとのことだが、HASHIDATEはブロック済み、頭痛は手のひらを返し済み、みしまるももはコメント依頼中であり、淡い期待である。<br />
<br />
結果、KMTにより3年の長期ブロックとなった。本人はショックのあまり、2ch趣味板にWikipediaスレを乱立させ、対立していた利用者叩きをして荒らしまくった。晩節を汚し放題である。なお、2015年現在も荒らし進行中である。<br />
<br />
=== ブロックに賛成の良識派 ===<br />
# [[氷鷺]] 様 (依頼作成者)<br />
# [[こち]]([[Ostwind]]) 様<br />
# [[WDS487]] 様<br />
# [[森藍亭]] 様<br />
# [[Otherde]] 様<br />
# [[山岡武揚]] 様<br />
# [[零細系統保護協会]]([[Zai零細系統保護協会]]) 様<br />
# [[Claw of Slime]] 様<br />
# [[Tokyodesert]] 様<br />
# [[Ks aka 98]] 様<br />
# [[アルトクール]] 様<br />
# [[Hman]] 様<br />
# [[ミラー・ハイト]] 様<br />
# [[Rienzi]] 様<br />
# [[Nandaro]] 様<br />
# [[みちまん]] 様<br />
# [[Nanafa]] 様<br />
# [[ShellSquid]] 様<br />
# [[Husa]] 様<br />
# [[へんじゃん]] 様<br />
# [[Vigorous action]] 様<br />
# [[Fomalhaut373]] 様<br />
# [[Siwamura]] 様<br />
# [[Kojidoi]] 様<br />
# 新続頭痛([[頭痛]]) 様<br />
# [[UE-PON2600]] 様<br />
# [[Wolf359borg]] 様<br />
<br />
=== ブロック反対の奴ら ===<br />
* {{WPuser|Benzoyl}} - [[wiki:Wikipedia:投稿ブロック依頼/Benzoyl 20140627|Wikipedia:投稿ブロック依頼/Benzoyl 20140627]]が提出され、あっけなく無期限ブロック<br />
* {{WPuser|663h}} - ノートで氷鷺に怒られる<br />
* {{WPuser|むじんくん}}<br />
* {{WPuser|みしまるもも}} - 案の定、長文ヒステリーを投下<br />
<br />
ブロック賛成者数は空前の27人に上り、[http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E6%8A%95%E7%A8%BF%E3%83%96%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF%E4%BE%9D%E9%A0%BC/Aphaia_09022007 Wikipedia:投稿ブロック依頼/Aphaia 09022007]の29人に次ぐ'''ウィキペディア日本語版史上2番目に多くブロック賛成票を集めた投稿ブロック依頼'''となった。<br />
<br />
== Twitterとブログでの活動 ==<br />
Twitterでアカウントを持っているが妄言だらけであり、#jawpクラスタからは誰も相手にしてもらえない。STAP細胞が潰されたのは政府の圧力()とわめいて、今もOBKTでトコっているらしい。調子に乗ってブログもはじめたが、片山が言ってるから生野復活ーとか喚き散らすだけであり、何の反省もしていないことが丸分かりになった。何の知識も無いGAKIのくせに評論家気取りで上から目線で社会を評論している。一体何様のつもりなのか。ボカロPを目指すようだが、薬科大のお勉強はどうなったのであろうかw<br />
<br />
* '''私を追い出したことに後悔するまでどれくらい時間が掛かるのか見ものです。 #jawp ''' という迷言を残した。これまで追い出せなかったことに対してコミュニティー側が後悔しているくらいである。<br />
<br />
ブログに関しては「忙しい」と称して登録解除、ツイッターに関しては2015年8月29日に引退宣言した。ボカロについてもやめたようである。留年したのが余程ショックだったようだ。<br />
<br />
ツイッターの最後の投稿では、次のような狂った妄言を残した。<br />
* シゲP♭変ト長調 ?@ShigeProducer 8月29日<br />
** ①ウィキ百科にSTAP細胞立項したら、事件化して混乱<br />
** ②2chアンチスレ立つ、出鱈目過ぎて名誉棄損非該当で削除不可<br />
** ③部活幹部したら、大量入部で混乱<br />
** ④LINEから出会い厨問題に発展、居心地悪化<br />
** ⑤過去問幹部したら、突然の留年<br />
** ⑥初投稿が引退曲へ、P名だけ付け合いグループ消滅<br />
正確に言い直すとすれば、以下のようになる<br />
:* ①ウィキペディア日本語版にSTAP細胞立項したら、無知識で意味不明な記事に<br />
:* ②2chアンチスレ立つ、正確過ぎて名誉棄損非該当で削除不可<br />
:* ③部活幹部したら、大量入部で有頂天に<br />
:* ④LINEで出会い求めて総スカンくらって、居心地悪化<br />
:* ⑤学内回線からユアペディア編集して、当然の留年<br />
:* ⑥ボーカロイドに手を出したけど2chの荒らしが忙しくて投げ出す<br />
<br />
== Yourpediaでの活動 ==<br />
エディオンインターネットサービス(クオルネット)ユーザーである。2ちゃんねるで削除依頼を行ったユーザとこの書き込みを削除して、リベリアの悪口を書いているIPユーザとも同じプロバイダである。つまり、あ・・・(お察しください)。<br />
<br />
なんと京都薬科大学校内回線からユアペディアを編集していた!有志により学校側に問い合わせがあり、本人はこってり絞られた模様。これが直接の原因か不明であるが、本人の留年が決定したとの情報が2ちゃんねるの京薬スレに寄せられた。Shigeru-a24本人もツイッターで留年したと言っていたので間違いないであろう。<br />
<br />
== 2ちゃんねるでの活動 ==<br />
趣味板のWikipediaスレ、最悪板のシゲルスレ、薬科大スレを毎時巡回し、トコロテン射精のすばらしさを演説してまわっている。<br />
<br />
リベリア叩きは名無しで行うが、広島叩きを行うと突然トリップを付けて登場する。自演をやっていたのがバレバレである。<br />
<br />
2ちゃんねるでは、自分に苦言を呈してきた利用者叩きを行っている。気に入らないなら表でやればいいのにね。ブロック依頼提出後は氷鷺叩きのオンパレードであった。長期ブロック決定後も相変わらず重複スレを立てまくり、私怨コピペをがんばっているご様子。薬科大のお勉強はまったく手についていないようで、自らのブログで赤点を取っていることを暴露する有り様。<br />
<br />
* '''そういう恣意的な解釈は馬鹿のやることですよ。'''という迷言を残した。「お前が言うな」である。<br />
<br />
=== 趣味板強制ID化騒動 ===<br />
Shigeru-a24自身が叩かれるのはこれまでの記述の通り自業自得であるのに、逆切れして趣味板を強制ID化しようと画策し騒ぎ出した。突如「'''803 ◆PPPPZLRIBA'''」を名乗り、外部サイトでの投票を呼び掛けた。板住人を完全無視してである。<br />
<br />
投票開始後、ローカルルールスレで板住人からの苦情が殺到すると「荒らしはスルー」としたり、名無しに戻って質問者を叩いたりした。板住人にお願いする立場であるにも関わらず、超高圧的な文調・態度で仕切っている状況である。本人は自作自演の抑止になると言い張っていたが、本人自ら自作自演でがんばっている状況である。案の定、連投規制に引っ掛かり、回答が突如途切れることもしばしば(笑)。ID反対者は荒らし本人だとまで言い出して板住人の反感を買った。都合悪くなると逆切れして嫌がらせする悪癖は今も健在といったところ。その他Shigeru-a24時代と重複する言い回しが数多く見受けられる。<br />
<br />
肝心の投票も、投票コメントでWikipediaの内情に詳しい個人叩きをした票が3票ありミエミエの多重不正投票である。投票終了後、ID化の申請をしたと言っているがその場所の公表を頑なに拒否している。ちなみに、現状の2chは諸事情により運営が機能停止状態であり、強制ID化が板の総意であっても施行されることはまず無いのである(笑)<br />
<br />
噂によれば、運営スレに申請を行ったようだが依頼場所が違うと怒られたようである。ここで折れないのがトコロテン射精バカシゲル。逆切れして暴れてまたもや総スカンを食らったとのこと。平常運転である。<br />
<br />
=== 規制中でもできる削除依頼を他人に依頼 ===<br />
趣味板にある乱立スレを削除依頼スレに報告しているようである。もし、規制中であっても削除依頼スレは書き込むことができるのだが(しかし、ホストが強制表示される)、レス代行依頼スレに報告の代行を依頼していたことが発覚。報告スレでも多数を偽装しようと画策したようである。もちろん代行スレ住人にはスルーされた。<br />
<br />
=== 強制ID化失敗後は趣味板まるごと荒らす ===<br />
趣味板住人総員から反感を買ってしまったが、ここで反省しないのはいつものこと。またまた逆切れして、今度は自分のスレを隠すために過疎スレを次々と板の上部に上げるage荒らしを開始した。板住人からの苦情が上がるもお構いなし。Shigeru-a24が逆恨みで立てたアカネさんを中傷するスレも、有志により潰されても次々立てる始末。自分の逆恨みのために●を購入したようである。もはや手の付けようがない。ツイッターで帰省したことを告げた直後に新スレが立てられたため、スレ立て規制がかかってない実家回線から立てたようである。こいつはやっぱり逆恨みだけで生きているようである。<br />
<br />
== 勉強もせず2ちゃんねる荒らしまくって留年 ==<br />
薬科大スレにShigeru-a24が留年になったとのタレコミが同大学生より寄せられた。勉強もせずWikipediaと2ちゃんねるを荒らしていたわけだから当然である。むしろ、あの程度の学力で入学できたのも不思議ではある。<br />
<br />
20 :大学への名無しさん:2015/04/28(火) 22:07:05.19 ID:rbFGrnYZ0<br />
>>10<br />
shigeru-a24が留年した<br />
あと学校に特定されて怒られたらしい<br />
<br />
== 新アカウント、風とかくれんぼで復帰 ==<br />
2015年10月より{{WPuser|風とかくれんぼ}}での活動を始めた。最初は真面目に記事を書いていたようだが、声優記事、化学記事に現れるようになり、最終的にトコロテン射精の削除を企てたようである。Shigeru-a24本人だろwと突っ込みが入り、キレてそのまま引退宣言した。2016年1月に無期限ブロックされた。<br />
<br />
== 関係事項 ==<br />
* [[トコロテン射精]]<br />
* [[みしまるもも]](ミートパペット)<br />
* [[あかさ行から始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧]]<br />
* [[たなは行から始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧]] <br />
* [[まやらわ行から始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧]]<br />
* [[数字とアルファベットから始まるウィキペディア日本語版の利用者一覧]]<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
* [https://twitter.com/KiloMegaNe しげるのツイッター] <br />
* [https://web.archive.org/web/20140627083406/http://blog.livedoor.jp/shigeru_smile/ しげるんブログ] - [[インターネット・アーカイブ]]内の[[魚拓]]<br />
* [http://kilomegane.jimdo.com/ 単位眼鏡の部屋] <br />
* [http://kanae.2ch.net/test/read.cgi/kouri/1428239200/ 京都薬科大学Part4] - 2ちゃんねる<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:しげる}}<br />
[[Category:Fromm|*]]<br />
[[Category:ブサヨ御三家]]<br />
[[Category:日本の左翼]]<br />
[[Category:ネット左翼]]<br />
[[Category:ガキ]]<br />
[[Category:キチガイ]]<br />
[[Category:蛆虫]]<br />
[[Category:泊優稀]]<br />
[[Category:在日コリアン]]<br />
[[Category:創価学会]]<br />
[[Category:死ね]]<br />
[[Category:ソックパペッター]]<br />
[[Category:利用者]]<br />
[[Category:ユアペディア]]<br />
[[Category:ユアペディアン]]<br />
[[Category:ウィキペディア]]<br />
[[Category:ウィキペディアン]]<br />
[[Category:2ちゃんねらー]]<br />
[[Category:ネット中毒者]]<br />
[[Category:荒らし]]<br />
[[Category:長期荒らしメンバー]]<br />
[[Category:インターネットの人物]]<br />
[[Category:インターネット依存症の人物]]<br />
[[Category:ネット弁慶]]<br />
[[Category:反日主義]]<br />
[[Category:偽善者]]<br />
[[Category:悪の組織デビルシャドウ]]<br />
[[Category:JCN関東のユーザー]]<br />
[[Category:狂人]]<br />
[[Category:発達障害の人物]]<br />
[[Category:アスペルガー障害の人物]]<br />
[[Category:中二病]]<br />
[[Category:精神障害の人物]]<br />
[[Category:躁病の人物]]<br />
[[Category:偏執狂の人物]]<br />
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[[Category:虚言癖を持つ人物]]<br />
[[Category:精神障害者福祉手帳を持つ人物]]<br />
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[[Category:社会復帰途上の人物]]<br />
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[[Category:引きこもり]]<br />
[[Category:自宅警備員]]<br />
[[Category:無職]]<br />
[[Category:ニート]]<br />
[[Category:誹謗中傷マニア]]<br />
[[Category:個人攻撃マニア]]<br />
[[Category:幸福の科学]]<br />
[[Category:オウム真理教]]<br />
[[Category:特別支援学校出身者]]<br />
[[Category:バカ]]<br />
[[Category:前科者]]<br />
[[Category:犯罪予備軍]]<br />
[[Category:職業訓練を本気で受けるべき人物]]<br />
[[Category:星椎水精に浄霊をしてもらうべき人物]]<br />
[[Category:日本共産党]]<br />
[[Category:民主党]]<br />
[[Category:日本教職員組合]]<br />
[[Category:政治的左翼]]<br />
[[Category:辻井伸行の爪の垢を飲ませたい人物]]<br />
[[Category:無期限ブロックを受けたユーザー]]<br />
[[Category:ヒール]]<br />
[[Category:悪魔]]<br />
[[Category:鬼畜]]<br />
[[Category:粘着]]<br />
[[Category:編集合戦マニア]]<br />
[[Category:偏執狂の人物]]<br />
[[Category:長谷川穂積に一遍どつき回された方がいい人物]]<br />
[[Category:島田紳助に本当に潰されるべき人物]]<br />
[[Category:大藪順子と接する資格の無い人物]]<br />
[[Category:小林美佳と接する資格の無い人物]]<br />
[[Category:戸塚宏に扱いてもらうべき人物]]<br />
[[Category:チンカス]]<br />
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[[Category:公害]]<br />
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ウマスラ
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25カ条綱領
2014-06-01T18:06:16Z
<p>ウマスラ: /* 概要 */</p>
<hr />
<div>'''25か条綱領'''(''25-Punkte-Programm'')はナチス党([[国家社会主義ドイツ労働者党]])の党[[綱領]]。[[1920年]][[2月24日]]、[[ミュンヘン]]の[[ビアホール]][[ホフブロイハウス]]で採択された。<br />
<br />
== 概要 ==<br />
ナチス党の前身である[[ドイツ労働者党]]は、創設者[[アントン・ドレクスラー]]が起草した「原則」はあったものの、綱領は存在しなかった。この原則には熟練労働者の保護による[[中産階級]]の拡大、[[不労所得]]への反対、[[ユダヤ教]]への敵対等が含まれており、党をドイツ人指導者によって指導される社会主義的組織であると規定していた<ref>村瀬、ナチズム、45-46p</ref>。<br />
<br />
[[1919年]]に入党した[[アドルフ・ヒトラー]]は精力的な活動を行い、党内での地位を高めていった。ヒトラーは綱領策定などを通じて党の運動を拡大するべきと主張し、[[トゥーレ協会]]の支持を受け、間接的な影響拡大を目的とする第一議長[[カール・ハラー]]と対立した。ヒトラーはドレクスラーと結託し、党規則を改定してハラーを追放した。後継の議長となったドレクスラーとヒトラーは、綱領策定5人委員会を設置し党綱領の策定を検討しはじめた。<br />
<br />
[[ドイツ国 (1933年-1945年)|ナチス・ドイツ]]時代にはヒトラーが一人で作成したとされていたが、現在は事実とは見られていない。綱領の策定にはヒトラーは関わっていないという[[ヘルマン・エッサー]]の主張はあるが、ドレクスラーはヒトラーと二人で策定したと述べており、[[コンラート・ハイデン]]([[:en:Konrad Heiden|en]])、[[村瀬興雄]]等の研究者も最終的にドレクスラーとヒトラーが綱領をまとめたと見ている。ハイデンによれば外交政策についてはヒトラー、利子制度打破の主張は[[ゴットフリート・フェーダー]]、人種政策は[[ディートリヒ・エッカート]]、国有化政策はドレクスラーが主張したとされている<ref>村瀬、ナチズム、67p</ref>。<br />
<br />
完成された綱領は1920年2月24日にホフブロイハウスで開催された党大会において発表された。発表を行ったのはヒトラーであり、一項目ごとに聴衆が理解するか問いかけた。ヒトラーは『[[我が闘争]]』において「一条また一条と、高まる歓呼の声でもって承認され、全会一致に次ぐ全会一致で採択された」(大意)としているが、当時の警察記録によると、時折反対党と支持者の間で騒ぎが起きたが、演説の最後には「いつまでも続く嵐のような賛成の声」が起こったという<ref>村瀬、ナチズム、64p</ref>。聴衆の一人であった[[ハンス・フランク]]は、「ドイツの運命を支配する者がいれば、それはヒトラーをおいて他にない」と感じたと記述している<ref>トーランド、203p</ref>。<br />
<br />
[[1921年]][[7月29日]]にヒトラーが第一議長になり独裁権力を握ると、党綱領の意義は薄れていった。[[ミュンヘン一揆]]でヒトラーが収監された後、[[グレゴール・シュトラッサー]]ら[[ナチス左派]]は社会主義色を強める綱領改定案を出した。しかし既成勢力との関係は党勢の拡大に重要と考えたヒトラーは、バンベルクで開催された[[バンベルク会議 (1926年)|バンベルク会議]]において「[[指導者原理]]」を強調し、反対派を沈黙させた。この会議で綱領は不変のものとされたが、ヒトラーは「指導者原理」により綱領を有名無実化していった。<br />
<br />
ヒトラーは1926年に出版された『我が闘争』第二部において、綱領は「論理的に完全なものであるとは言えない」としながらも、綱領というものは政党の信条であり、信条は決して変更されてはいけないとしている。綱領は変更しようとすれば党内に内紛をもたらすだけであり、党員の信念に動揺を来すだけだとした。<br />
<br />
== 綱領本文 ==<br />
# 我々は、[[民族自決|民族の自決権]]を根拠として、全てのドイツ人の1つの[[大ドイツ]]への合同を要求する。<br />
# 我々は、他国に対するドイツ民族の同権、[[ヴェルサイユ条約]]および[[サン=ジェルマン条約]]の廃止を要求する。<br />
# 我々は、我が民族を扶養し、過剰人口を移住させるための土地([[植民地]])を要求する。<br />
# 民族同胞のみが国民たりうる。宗派にかかわらずドイツの血を引く者のみが民族同胞たりうる。ゆえに[[ユダヤ人]]は民族同胞たりえない。<br />
# 国民でない者は、ドイツにおいて来客としてのみ生活することができ、外国人法の適用を受けねばならない。<br />
# 国家の指導と法律によって定められた権利は、国民のみがこれを有する。ゆえに我々は、いかなる公職も、それが国家のものであるか州のものであるか市町村のものであるかを問わず、国民のみによって占められることができるようにすることを要求する。我々は、人格や能力を考慮せずにただ政党の視点のみによって占領されている腐敗した議会の体たらくに対して闘争する。<br />
# 我々は、国家がまず第一に国民の生活手段に配慮することを約束することを要求する。国家の全人口を扶養することが不可能であれば、外国籍の者(ドイツ国民でない者)は国外へ退去させられる。<br />
# 非ドイツ人の今以上の移民は阻止される。我々は、1914年8月2日以降にドイツに移住してきた非ドイツ人が、直ちに国外退去を強制されることを要求する。<br />
# 国民は全て同等の権利と義務を持たねばならない。<br />
# 全国民の第一の義務は、精神的または肉体的に創造することであらねばならない。各人の活動は公共の利益に反してはならず、全て全体の枠において利益をもたらさねばならない。ゆえに我々は、以下のことを要求する:<br />
# [[不労所得]]の撤廃、[[寄生地主制|寄生地主]]の打倒。<br />
# あらゆる戦争において民族が払わされた財産や血の莫大な犠牲を考慮すれば、戦争による個人的な利得は民族に対する犯罪とみなされねばならない:ゆえに我々は、全ての戦時利得の回収を要求する。<br />
# 我々は、(今までに)すでに社会のものとなった([[トラスト]])企業全ての[[国有化]]を要求する。<br />
# 我々は、大企業の利益の分配を要求する。<br />
# 我々は、老齢保障制度の大幅な強化を要求する。<br />
# 我々は、健全な[[中産階級]]の育成とその維持、および大規模小売店の即時公有化、小規模経営者に対するその安価な賃貸、全小規模経営者に対して最大限考慮した国家・州または市町村に対する納品を要求する。<br />
# 我々は、我が国民の要求に適した[[土地改革]]、公益目的のための土地の無償収用を定める法の制定、地代徴収の禁止と土地投機の制限を要求する。<br />
# 我々は、公共の利益を害する活動に対する容赦ない闘争を要求する。高利貸し、闇商人等の民族に対する犯罪者は、宗派や人種にかかわらず全て容赦なく処罰される。<br />
# 我々は、[[唯物論|唯物主義的]]な世界秩序に奉仕する[[ローマ法]]に代わるドイツ一般法を要求する。<br />
# 高い教養を身につけ、それにより指導的な地位に就くことのできる有能で勤勉なドイツ人については、国家が我が民族の教育制度全般を賄うよう徹底的に拡充する。全ての教育機関の授業計画は実生活に即していることを必要とする。国家思想の理解はすでに学校(公民科)を通じて理解を始めねばならない。我々は、貧しい両親の特に素質のある子弟に対する、その地位や職業にかかわらず国費で行われる職業教育を要求する。<br />
# 国家は、民族の健康を向上させるために、母子の保護、少年労働の禁止、体操とスポーツを義務として法的に定めることによる肉体鍛錬をもたらすこと、肉体的青少年専門教育に従事する団体による最大の援助を行わねばならない。<br />
# 我々は、[[傭兵]]部隊の廃止と国民軍の形成を要求する。<br />
# 我々は、故意の政治的虚言およびその報道による流布に対する法的な闘争を要求する。我々は、ドイツ的報道機関を創造することを可能にするため、以下のことを要求する:<br />
#: a. [[ドイツ語]]で発行される新聞の全ての編集者と従業員は民族同胞でなければならない。<br />
#: b. ドイツ以外の新聞はその発行にあたって国家の明確な許可を必要とする。それらをドイツ語で印刷することは許されない。<br />
#: c. 非ドイツ人によるドイツの新聞に対する出資または影響は、法律によって禁止される。違反に対する罰として、そのような新聞企業の閉鎖、および関与した非ドイツ人の即時国外追放を要求する。<br />
#: d. 公共の福祉に反する新聞は禁止される。我々は、我が民族生活に退廃的な影響を与える芸術・文学的傾向、および行事の閉会、上述の要求の違反に対する法的な闘争を要求する。<br />
# 我々は、それが国家の存続を危うくせず、またはドイツ民族の公序良俗および道徳に反しない限りにおいて、国家における全ての宗教的信条の自由を要求する。党自体は、特定の信条に縛られることなく、[[積極的キリスト教]]の立場を支持する。積極的キリスト教は我々の内外のユダヤ的・唯物論的精神と戦い、根本的に内面からのみ達成される我が民族の永遠の救済を確信させる。<br />公益は私益に優先する。<br />
# 我々の要求をすべて実行するために:国家の強力な中央権力の確立。中央議会の国家全体および組織一般に対する絶対的な権威。公布された国家の大綱的法規を連邦各州において実施するための階級・職業別の団体の形成。<br />
<br />
党の指導者は、上記の条項が各人の生活に必要であるならこれを実行することを約束する。<br />
<br />
== 参考文献 ==<br />
* [[村瀬興雄]] 『ナチズム―ドイツ保守主義の一系譜』 ([[中公新書]]154、1968年) ISBN 978-4121001542<br />
* 村瀬興雄 『アドルフ・ヒトラー―「独裁者」出現の歴史的背景 』(中公新書478、1977年) ISBN 978-4121004789<br />
* [[ジョン・トーランド]]著 [[永井淳]]訳『アドルフ・ヒトラー』([[集英社文庫]])第一巻 ISBN 978-4087601800<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
{{Reflist}}<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
* [http://www.dhm.de/lemo/html/dokumente/nsdap25/ 25カ条綱領のドイツ語原文] -- [[ドイツ歴史博物館]]<br />
<br />
{{ナチ党}}<br />
{{DEFAULTSORT:25かしようこうりよう}}<br />
[[Category:ナチ党]]<br />
[[Category:ナチズム]]<br />
[[Category:政治理論]]</div>
ウマスラ
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E7%AC%AC%E4%B8%89%E5%B8%9D%E5%9B%BD&diff=230269
第三帝国
2014-06-01T18:06:02Z
<p>ウマスラ: /* ナチ党 */</p>
<hr />
<div><!--{{Otheruses|ナチスに関する事項|その他|第三帝国 (曖昧さ回避)}}--><br />
'''第三帝国'''(だいさんていこく、'''Das dritte Reich または Drittes Reich''' )は、古くから[[キリスト教]][[神学]]で「来るべき理想の国家」を意味する概念として用いられた。'''第三の国'''とも。[[ナチス]]による呼称が有名。<br />
<br />
== 中世における「第三の国」 ==<br />
中世イタリアの思想家[[フィオーレのヨアキム]]は世界史を三つの時代に区分した。「[[三時代教説]]」と呼ばれるこの考え方では、まず「律法の元に俗人が生きる『父の国』時代」、そして「[[イエス・キリスト]]のもとに聖職者が生きる『子の国』の時代」、そして[[最後の審判]]の後に訪れる、「自由な精神の下に修道士が生きる『聖霊の国』の時代」の三つに分けられると定義した。ここでは「第三の国」が来るべき理想の国であるというニュアンスを持つこととなった。<br />
<br />
== ドイツ以外における第三の帝国 ==<br />
[[ヘンリック・イプセン]]は1873年の戯曲「皇帝とガリラヤ人」において、中世キリスト教文明を「霊の帝国」、[[古代ギリシャ思想]]文明を「肉の帝国」とし、この二つをあわせもった理想国家を「第三の帝国」と称した。<br />
<br />
またロシアの詩人[[ディミトリー・メレシュコフスキー]]も同様の意味での「第三帝国」を志向した。<br />
<br />
日本においても[[茅原華山]]が維新以前の「覇者の帝国」と維新以後の「藩閥官僚の帝国」を超克する[[民本主義]]の帝国の出現を唱え、大正2年(1913年)に『第三帝国』という評論雑誌を発刊している。<br />
<br />
== ドイツにおける第三帝国 ==<br />
=== ファン・デン・ブルック ===<br />
[[保守革命]]の思想家アルトゥール・メラー・ファン・デン・ブルックは1923年に著した『第三帝国論』の中で、第一のライヒである[[神聖ローマ帝国]]と、第二のライヒである[[ドイツ帝国]]の正統性を受け継ぐ「第三のライヒ(第三帝国)」の創設を唱えた。当時ドイツ人の多く、特に右派は[[ヴァイマル共和政]]を正統な国家と見なしておらず、右派思想家達は[[ドイツ帝国]]を継承する新たな「ライヒ」の出現を期待していた。またファン・デン・ブルックの本には[[民族共同体]]を破壊する[[自由主義]]への嫌悪、政治指導者による独裁「[[指導者原理]]」など後の[[ナチズム]]と共通する部分が多い。<br />
<br />
=== ナチ党 ===<br />
[[国家社会主義ドイツ労働者党]](ナチ党)統治下のドイツ([[ドイツ国 (1933年-1945年)|ナチス・ドイツ]])では盛んに用いられ、当時のドイツを指す言葉として知られる。ただし、公式のドイツ国名として用いられたわけではなく、公式に用いられたのは「Deutsches Reich('''[[ドイツ国]]''')」、もしくは「Großdeutsches Reich(大ドイツ国)」であった。<br />
<br />
クラウス=エックハルト・ブラッシュは、国家社会主義ドイツ労働者党の前身[[ドイツ労働者党]]の創設者の一人であった[[ディートリヒ・エッカート]]がイプセンやファン・デン・ブルックの著書に触れる機会があったとしながらも<ref>[[Matthias Sträßner]]: ''Flöte und Pistole''. Anmerkungen zum Verhältnis von Nietzsche und Ibsen. Würzburg 2003, S. 76, ISBN 3-8260-2539-3 (Quelle: Ernst Bloch: ''Zur Originalgeschichte des Dritten Reichs''. In: ders.: ''Erbschaft dieser Zeit''. Gesamtausgabe Bd. 4, Frankfurt a.M. 1977, S. 126–160) ([http://books.google.de/books?id=Jhj0ZzS-YGoC&pg=PA73&lpg=PA73&dq=%22Drittes+Reich%22+begriff&source=web&ots=bOaHxxsMMt&sig=LNGW3W32I6yh3xwyBGC78Oixq68&hl=de&sa=X&oi=book_result&resnum=8&ct=result#PPP1,M1 Google Books]).</ref>、『第三帝国論』以前の1919年にエッカートが「第三帝国」の用語を使用していたと指摘している<ref>Claus-Ekkehard Bärsch: ''Die politische Religion des Nationalsozialismus''. München 1998, S. 50.</ref>。正確な時期は不明であるが、ナチ党の数ある用語の一つとして「第三帝国」は用いられた。例としては[[全権委任法]]成立翌日に発行された『[[フェルキッシャー・ベオバハター]]』は「ドイツはめざめた。偉大な仕事が始まった。『第三ライヒ(第三帝国)』の日が到来したのだ。」と書いており、ナチ党の側がいわゆるナチス・ドイツ時代を指す用語としても用いられた。<br />
<br />
[[1939年]][[6月13日]]、[[総統]][[アドルフ・ヒトラー]]は「第三帝国」の用語を使用しないよう告げた。同年7月10日に[[国民啓蒙・宣伝省]]が出した通達によると、この言葉が[[反ナチ運動]]の風刺に用いられたからということになっている<ref>Reinhard Bollmus: ''Das Amt Rosenberg und seine Gegner''. Studien zum Machtkampf im nationalsozialistischen Herrschaftssystem. Stuttgart 1970, S. 236.</ref> 。しかし、この措置は徹底されず、[[ヨーゼフ・ゲッベルス]]の演説などで「第三帝国」の用語は使われ続けている。ヒトラー自身も1941年12月17日から18日にかけての談話で、「今や、ドイツという時、それは『第三帝国』以外の何ものでもない。」と語っているなど、「第三帝国」の語を日常で使用していた。<br />
<br />
=== Reichと「帝国」 ===<br />
{{Main|ライヒ}}<br />
[[ライヒ]] (Reich) とは[[ドイツ語]]で、一支配者が全ての地域 (Land) を治めている全国 (Reich) と規定される。ドイツは歴史的に小さな[[領邦]] (Staat) が分立して神聖ローマ帝国皇帝の緩やかな支配を受けている時代が長く続き、その後もドイツ皇帝(カイザー)の緩やかな支配が続いた。[[バイエルン州|バイエルン]]、[[ヘッセン州|ヘッセン]]と個々の地域は現在も Land ([[ドイツの地方行政区分|州]])と呼ばれ、高度の自治を許されている。<br />
<br />
[[第二次世界大戦]]後に成立した二つのドイツはどちらもReichを使用しなかった。[[西ドイツ]]は「全国」を意味する語としては「Reich」ではなく「Bund」([[連邦]])の語を用い、「Bundesrepublik Deutschland」([[ドイツ連邦共和国]])を名乗った。また東ドイツは「Deutsche Demokratische Republik」([[ドイツ民主共和国]])を名乗っている。<br />
<br />
; 訳語<br />
「Reich」は、過去の神聖ローマ帝国や帝政ドイツで用いられたが、[[ヴァイマル共和政]]時代でも用いられており、「ライヒ=[[帝国]]」というわけではない。しかし日本語では「第三帝国」の語が当時から用いられている。英語の場合は“[[:en:Third Reich|The Third Reich]]”と「ライヒ」をそのまま使用している。<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
{{Reflist}}<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
* [[アドルフ・ヒトラー]]<br />
* [[国家社会主義ドイツ労働者党]] <br />
* 『[[第三帝国の興亡]]』ウィリアム・シャイラー著<br />
* [[第四帝国]]<br />
* [[千年王国]]<br />
* [[ネオナチ]]<br />
* [[ライヒ]]<br />
* [[大ゲルマン帝国]]<br />
<br />
{{ナチ党}}<br />
{{DEFAULTSORT:たいさんていこく}}<br />
[[Category:ナチス・ドイツ]]<br />
[[Category:帝国]]</div>
ウマスラ
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E5%8B%95%E7%89%A9%E3%81%AE%E6%A8%A9%E5%88%A9&diff=230268
動物の権利
2014-06-01T18:05:21Z
<p>ウマスラ: /* 概念の歴史 */</p>
<hr />
<div>'''動物の権利'''(どうぶつのけんり、'''アニマル・ライツ'''、''Animal rights'')とは、動物には人間から搾取されたり残虐な扱いを受けることなく、それぞれの動物の本性に従って生きる権利があるとする考え方である。<br />
<br />
== 概論 ==<br />
動物の権利運動は、[[ピーター・シンガー]]が1975年に出版した『動物の解放』をきっかけに世界中に広まっていった。シンガーはその著書の中で、動物は苦痛を感じる能力に応じて人間と同様の配慮を受けるべき存在であり、種が異なる事を根拠に差別を容認するのは[[種差別]] (speciesism) にあたるとした。功利主義の立場に立つシンガーは平等な配慮という原則を強調し、権利という言葉は使っていない(厳密には「動物の権利」の立場ではない)。<br />
<br />
それに対し、義務論的な意味で「動物の権利」という概念を前面に打ち出したのが、トム・レーガン ([[:en:Tom Regan|Tom Regan]]) が1983年に出版した『The Case for Animal Rights』である<ref>{{Cite book|last=Regan|first=Tom|title=The Case for Animal Rights: Updated with a New Preface|edition=Revised|location=Richmond|publisher=University of California Press|origyear=1983|year=2004|isbn=9780520243866}}</ref>。<br />
<br />
動物の権利運動家の多くは、この運動が[[性差別]]や[[人種差別]]に反対する運動の延長線上にあると考えている。動物の権利を支持する者は、商業畜産や[[動物実験]]、[[狩猟]]等、動物を搾取し苦しめる行為を全面的に廃止するべきだと訴え、人々に[[ヴィーガニズム]]、[[ベジタリアニズム]]の実践を呼びかけている。<br />
<br />
動物の権利運動から見た従来の動物愛護や動物の福祉 (Animal Welfare) の考え方は、動物になるべく苦しみを与えるべきではないと言う点では共通するものの、人間による動物からの搾取を否定していない点で、動物の権利の考え方とは根本的に異なると見なしている。<br />
<br />
== 概念の歴史 ==<br />
今日の動物の権利に関する議論は、最も初期の哲学者たちまでさかのぼることが可能であろう。紀元前6世紀の[[ギリシア]]の哲学者であり数学者でもあった[[ピュタゴラス]]は輪廻転生を信じていたため、動物に敬意を払うように主張した。一方、同じアテナイ人である[[アリストテレス]]は紀元前4世紀の著作の中で、動物は理性を持たないため自身の権利はなく人間の利益のためにだけ存在しているとし、存在の偉大なる連鎖 ([[:en:Great Chain of Being|Great Chain of Being]]) --あるいは自然の階梯 (scala naturae) --の中で人間よりもはるか下方に位置すると論じた。<br />
<br />
17世紀、[[フランス]]の哲学者[[ルネ・デカルト]] (1596–1650) は『[[方法序説]]』(1637) において、動物は精神を持たず考える事も苦痛を感じる事もないため、動物に対してどんなにひどい扱いをしようが間違いであることはあり得ないと主張した。これに対し同じフランス人の[[ジャン=ジャック・ルソー]] (1712–1778) は、『人間不平等起源論』 (1754) の序文で次の様に論じた:人間は「知性と自立した意思を欠いた存在」でこそないものの、出発点は動物である。さらには動物は感覚を持つ存在であるため、「自然権を持つものに含まれるべきであり、人間は動物に対して責務を負っている」、とりわけ「無益に虐待されることのない権利を有するものである」<br />
<br />
ルソーと同時代には、ジョン・オズワルド ([[:en:John Oswald (activist)|John Oswald]], 1730?-1793) がいる。『The Cry of Nature or an Appeal to Mercy and Justice on Behalf of the Persecuted Animals』の中で彼は次の様に論じた:人間は生まれつき慈悲と思いやりの心を備えている。もし自分が食べる動物が死ぬのを見なければならないとしたら、[[ヴェジタリアン]]になる人は今よりはるかに増えるだろう。しかしながら分業が発達したために、近代の人間は生まれつきの思いやりの心を起こさせることなく肉を食べられるようになる一方で、残忍な行いに慣れていった。<br />
<br />
[[ドイツ]]の哲学者である[[イマニュエル・カント]] (1724–1804) は、人間が動物に対して責務を負うという考えを否定した。カントは、動物は人格ではなく物であり単なる手段として使ってかまわない。ただし、動物を残虐に扱う習慣は、他の人間に対しても冷酷にふるまう行動につながってしまうため慎むべきであるとした。<br />
<br />
18世紀後期、近代[[功利主義]]の創始者で[[イギリス]]の哲学者、[[ジェレミ・ベンサム]] (1748–1832) は動物の苦痛は人間の苦痛と同じくらい確かで類似したものであるとし、「人間以外の動物が専制政治の手によってしか奪うことの出来ない様な権利を手にする日がいつか来ることであろう」と述べた。彼は、理性があるかどうかではなく、苦しむかどうかということこそが、我々が人間以外の存在を扱う際の基準であるべきだと主張し、もし理性的能力が基準となるのであれば、赤ん坊や障害者などを含む多くの人間が物の様に扱われることにならなければならないと論じ以下の有名な一節を残している。<br />
<br />
:「{{要出典範囲|感覚を持つ生き物を同じ悲運に追いやる理由として、脚の本数や、皮膚の毛の密度や、仙骨の末端(尾のあるなし)のどれもが十分な理由とはならないと認められる時代が来るであろう。しかし他に何が超えられない一線となるのだろうか? 理性的な能力、あるいはもしかして議論をする能力だろうか? だが成長した馬や犬などの我々がよく知っている動物は、生後一日か一週間、あるいは一ヶ月の赤ん坊よりもはるかに理性的である。とは言え、もしそうではなかったとしても、そのことに何の意味があるだろう? 問題は、理性があるか、話す事ができるか、ということではなく、苦痛を感じるということである。なぜ法律はいかなる感覚を持つ生き物をも保護の対象としないのだろうか? いつの日か人類社会はその庇護のマントを、呼吸をする存在すべての上にまで広げることになるだろう|date=2012年8月31日}}」<!--ベンサム『道徳および立法の諸原理序説』(1789年) の一文です。--><br />
<br />
19世紀に[[アルトゥル・ショーペンハウアー]] (1788-1860) は、動物は理性的能力が欠けているにもかかわらず、人間と同じ本質を有すると述べた。彼は菜食主義を必要以上のものと見なしたが、動物に道徳的配慮がなされるべきだと論じ、動物実験に反対した。彼が著した[[カント]]の倫理的価値観に対する評論には、カントの道徳体系から動物が除外されていることを批判した、長くてしばしば激烈な議論が見られる。その中には以下の有名な一節も含まれる:「太陽を見るすべての目の完全な調和を見ようとしない道徳など呪うべきものである」<br />
<br />
イギリスの社会改革者、ヘンリー・ソルト ([[:en:Henry Stephens Salt|Henry Salt]], 1851–1939) が1892年に出版した大きな影響力を持った著書『Animals' Rights: Considered in Relation to Social Progress』の中では動物の権利の概念が主題として扱われている。彼はこの本を出版する前年にスポーツとしての狩猟を禁止することを目的とした、人道主義同盟 (Humanitarian League) を設立している。<br />
<br />
[[ドイツ国 (1933年-1945年)|ナチス・ドイツ]]における新政権が最初に立法化した法律のひとつは動物の権利に関する法律である。しかし、ロベルタ・カレチョフスキー ([[:en:Roberta Kalechofsky|Roberta Kalechofsky]]) などの作家はナチスが動物実験の存続を許していたと反論している。カレチョフスキーはナチスの反動物実験法を検証した『[[ランセット|The Lancet]]』の記事を引用し、この法律は動物実験を規制はするものの廃止はしなかった、1875年に制定されたイギリスの法律と何ら変わりはないと結論づけた。<br />
<br />
注)当項目は [[:en:Animal rights]] 16:41, 2 October 2006 の翻訳に基づく。<br />
<br />
== 現代の運動の歴史 ==<br />
現代の動物の権利運動の始まりは[[1970年代]]初期にさかのぼることができる。この社会運動は哲学者によって生み出され、現在もなお最前線で続いているものとして、珍しい例の一つとなっている。<br />
<br />
1970年代初頭、[[オックスフォード大学]]の哲学者のグループが、人間以外の動物の道徳的地位は、必然的に人間の道徳的地位に劣るものであるのかどうかを検討しはじめた。このグループの中の一人に、[[1970年]]に[[種差別]]という言葉を作り出した、[[心理学者]]の[[リチャード・ライダー]] ([[:en:Richard D. Ryder|Richard D. Ryder]]) がいた。彼はこの言葉を、個人的に印刷したパンフレットの中で、ある特定の種(人類)であることを根拠に、自分たちの利益を他の動物の利益に優先させる態度を説明するため、初めて使用した。<br />
<br />
ライダーは、ロズリンド&スタンリー・ゴドロヴィッチとジョン・ハリスが編集し、[[1972年]]に出版された重要な本、『Animals, Men and Morals: An Inquiry into the Maltreatment of Non-humans』(「動物・人間と道徳、人間以外のものに対する虐待の研究」)の寄稿者となった。現在、[[プリンストン大学]]Human Valuesセンターの生命倫理学教授である[[ピーター・シンガー]]は [[:en:New York Review of Books|New York Review of Books]] でこの本を批評し、[[功利主義]]を土台にして基本的な議論をおしすすめた。その延長としてシンガーにより1975年『[[:en:Animal Liberation (book)|動物の解放]]』が書かれた<ref>*{{Cite book|last=Singer|first=Peter|title=Animal Liberation|edition=Revised|location=New York|publisher=Random House|origyear=1975|year=1990|isbn=9780394400969}} (={{Cite book|和書|translator=戸田清|title=動物の解放|edition=改訂版|publisher=人文書院|year=2011|isbn=9784409030783}})</ref>。この本はしばしば動物の権利運動におけるバイブルとして取り上げられる。<br />
<br />
[[1980年代]]、[[1990年代]]になると運動には、[[神学者]]、[[法律家]]、[[医師]]、[[心理学者]]、[[精神科医]]、[[獣医師]]、[[病理学者]]、そしてかつて動物実験にたずさわっていた人など多様な学者や専門家の人々も加わるようになっていった。<br />
<br />
現在、欧米の大学の[[哲学]]や[[応用倫理学]]の課程で動物の権利が取り上げられることは、普通のこととなった。2011年時点で、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]と[[カナダ]]の135の[[ロー・スクール]]において、動物の権利や保護に関する法律 ([[:en:animal law|animal law]]) が教えられている。[[トロント]]在住の法律家である、クレイトン・ルビー ([[:en:Clayton Ruby|Clayton Ruby]]) は、2008年に「動物の権利運動は25年前に[[同性愛]]者の権利運動がいた段階にまで到達した」と述べている<ref>[http://www.theglobeandmail.com/life/article697917.ece "The new legal hot topic: animal law", The Globe and Mail, July 15, 2008.]{{リンク切れ|date=2013-05-01}}</ref>。<br />
<br />
その他の運動の草分けとなったとされる本には以下のものがあげられる:<br />
* トム・レーガン『The Case for Animal Rights』 (1983) <br /><br />
* ジェイムズ・レイチェル『Created from Animals: The Moral Implications of Darwinism』 (1990) <br /><br />
* [[ゲイリー・フランシオン]]『Rain Without Thunder: The Ideology of the Animal Rights Movement』 (1996)<br /><br />
* スティーヴン・M・ワイズ『Rattling the Cage: Toward Legal Rights for Animals』 (2000) <br /><br />
* ジュリアン・H・フランクリン『Animal Rights and Moral Philosophy』 (2005)<br /><br />
<br />
注)当項目の初期稿は [[:en:Animal rights]] 00:28, 15 October 2006 より翻訳。<br />
<br />
== 過激派の出現 ==<br />
1970年代になると動物の権利を侵害している人間・企業に対して非合法な抗議・妨害活動を行う[[過激派]]([[エコテロリスト]])が出現した。その攻撃対象は当初狩猟家及び関連産業(毛皮販売店)などであったが、次第にサーカス・動物園、精肉・鮮魚店、農場、屠殺場などへと拡大した。合法的な抗議活動(街頭デモ等)も行われたが、従業員への脅迫などもあった。<br />
<br />
1990年代に入ると、活動家たちは動物実験を行う・実験用動物を販売する企業を攻撃対象の中心とした。攻撃対象となった企業は警備を強化するなどの対策をとったが、活動家達は攻撃を行う対象を直接の企業ではなく取引のある企業に対する抗議活動を行う手法を採用した。<br />
<br />
これは、株主、銀行、監査法人、取引先企業に対して抗議活動を行うことにより取引を断念させる手法であったが、{{要出典範囲|多くの場合脅迫、中傷、威力業務妨害等を伴い、実際に傷害事件等も発生している。その対象は企業の従業員を送迎するタクシー運転手にまで至り、軽微な罪状に比して経済的損失が大きいため、結果として多くの企業が廃業に追い込まれた。|date=2011年10月}}<br />
<br />
狙撃や爆弾の送付で、当事者の殺害が行われることもあった。また、活動には無関係な一般人も巻き込まれるケースもあり、爆弾の設置など先鋭化した運動に関してFBIを始めとする捜査機関ではテロ行為として捜査を行っている([[エコファシズム]]も参照)<ref>{{Cite book|和書|author=梅崎義人|title=動物保護運動の虚像-その源流と真の狙い|publisher=成山堂書店|year=1999-05-08|isbn=9784425980918}}アメリカでの医学部教授の狙撃による殺害や、爆弾魔ユナボマーと環境保護団体の関与などが書かれる。</ref>。<br />
<br />
動物の権利を支持する人々の間では、非合法な活動を[[市民的不服従]]として容認すべきかどうか議論が分かれている。ただし暴力行為までをも容認する人はほとんどおらず、先鋭化した過激派は、動物の権利の支持者からも孤立した状態になっている。<br />
{{See also|[[エコテロリズム]]}}<br />
<br />
== 功利主義と権利論 ==<br />
動物の権利に関する[[哲学]]的根拠としては、基本的に二つの考え方がある。[[ピーター・シンガー]]に代表される[[功利主義]]とトム・レーガンに代表される権利論である。シンガーは一般には現代における動物の権利運動の創始者にして代表的な論者とみなされているが、彼自身は自己の主張において[[権利]]という言葉や考え方を使っているわけではない。レーガンらの動物の権利論と、シンガーらの功利主義的アプローチを区別する場合、後者を動物の解放論と呼ぶ場合もある。<br />
<br />
シンガーの主張は、最大幸福や平等な配慮という功利主義の原則は動物に対してもあてはまるというものである。人間ではないという理由でそうした原則が適用されないという見解は、「[[種差別]]」にあたるとしてしりぞけられる。ある生き物が配慮の対象になる基準は、功利主義者の[[ベンサム]]が、「問題は、理性があるか、話す事ができるか、ということではなく、苦痛を感じるということである」と述べているように、痛みや苦しみを感じる存在 (sentient being) であるかどうかという点になる。どこまでがそうした配慮の対象となるかについてシンガーは、『動物の解放』の中で (食べるものに関して)「ひとつの境界線にすべての人が賛成するわけではないことは認めよう」と言いつつ「もし線引きをするとすれば、小えびとカキのあいだのどこかで線をひくのが一番妥当であろう」と述べている。<br />
<br />
レーガンの権利論は[[カント]]による[[義務論]]の延長線上にあるもので、功利主義を含む[[帰結主義]]とは哲学上、対立する立場にある。レーガンはカントが唱えた「人格の尊重の義務」という原理を修正し、「人格」に変わって「生の主体 (subject of life)」という概念を打ち出した。カントがいう「人格」である条件は、道徳行為ができることであったが、レーガンは道徳行為ができる者 (moral agents) と道徳行為を受ける者 (moral patients) を分け、配慮の対象となる条件は道徳行為ができるかどうかということではないとした。幼児や極端な精神障害者などは、道徳行為ができる者ではないが、道徳的配慮を受けるべき存在である。同様に動物についても生の主体であれば道徳的配慮を受けるべきであり、権利を持つ存在であるということになる。生の主体となる基準は固有の価値 ([[:en:Intrinsic value (animal ethics)|inherent value]]) を持つかによって決まり、レーガンは少なくとも1歳以上の正常な哺乳類であれば条件を満たすであろうと述べているが、権利論そのものから具体的な判断を導きだすのは困難であり、その基準は必ずしも明確なものであるとは言えない。<br />
<br />
帰結主義のひとつである功利主義においては、行為の結果が重要視されるのに対し、権利論(義務論)においては結果は問題とならない。動物実験の例で言うと、権利論においては動物が生の主体と認められる限り実験に使用することは(実験の有用性を問題にしないので)一切、認められない。一方、功利主義では動物がこうむる苦痛の総和と、人間が受ける恩恵の総和の比較において、動物実験が正当化される場合がある可能性を否定しない。しかし、現実の動物実験に対しては正当化される条件を満たす場合は極めてまれであるとし、事実上の全廃に近い要請をしている<ref>シンガーは『動物の解放』の中で、(正当化され得る実験は)「現在動物に対して行われている実験の1%の10分の1以下であろう」と述べている。</ref>。肉食を廃止すべきであるという点でも、両者はほぼ一致している。動物の権利(解放)論としての功利主義と権利論は、道徳理論という点では大きく異なるが、目指すものという点だけを見れば、大きな違いは見いだせない。<br />
<br />
シンガーをはじめとし、[[リチャード・マーヴィン・ヘア|R.M.ヘア]]、[[ジョン・ロールズ]]、[[ロバート・ノージック]]、[[ゲイリー・フランシオン]]、ジェームズ・レイチェルズ、マーサ・ナスバウム、クリスティン・コースガード、ロザリンド・ハートハウス、ネル・ノディングズなど、現代の代表的な倫理学者は理論的方向性は異なるものの、動物が直接の配慮の対象となるべきであるという点では一致している<ref>{{Cite book|和書|author=伊勢田哲治|title=動物からの倫理学入門|publisher=名古屋大学出版会|year=2008|isbn=9784815805999}}</ref>。<br />
<br />
=== フランシオンの廃止論 ===<br />
法律学者の[[ゲイリー・フランシオン]] ([[:en:Gary L. Francione|Gary L. Francione]]) は、動物の権利哲学における廃止論的アプローチ ([[:en:Abolitionism (animal rights)|Abolitionism (animal rights)]]) のパイオニアであり、動物が人間の「所有物」であるという考え方をやめることによってでしか、動物の利用(毛皮、実験、畜産その他)や虐待はなくならない、と主張する<ref>{{Cite book|last=Francione|first=Gary L.|title=Rain Without Thunder: The Ideology of the Animal Rights Movement|location=Philadelphia|publisher=Temple University Press|year=1996|isbn=9781566394611}}</ref>。動物実験や畜産における動物たちの状況を改善するための動物福祉路線の法規制に関しては、動物を利用することに対して口実を与え、現状を長引かさせるだけのものであるとして批判的立場をとり、人間の奴隷制度の例になぞらえて、「囚われている動物の状態を"よくする"動物の福祉の運動では動物の解放はありえない」と主張する。また、個人的なレベルで実行することができるとの理由で、動物を利用することを生活から排除する「倫理的[[ヴィーガニズム]]」思想の教育が重要だとする。すなわち、[[ヴィーガニズム]]は動物を商品として扱うことの拒絶であり、それによって動物の固有の価値を認めることが「動物の権利」の実現につながるとの立場である。<br />
<br />
フランシオンの廃止論は、権利論に含まれるものとも考えられるが「人間の『所有物」とならないことこそが『動物の権利』である」と、権利の意味を限定したところが、トム・レーガンらの権利論とは異なる。レーガンはこうした廃止論者たちの主張を「彼らが望んでいるのは『今より大きな檻』ではなく『空っぽの檻』である」と表現している。<br />
<br />
== 動物の権利と人権 ==<br />
人権を守るために非暴力的な抗議行動を行ったことで歴史上有名な[[マハトマ・ガンディー]]は次のようにのべている。「国家の偉大さや道徳的な進化の度合いはその国が動物をどのように扱っているかで判断できる」、「私の心の内では子羊の命の貴重さは人間の命の貴重さにいささかも劣るものではない」<br />
<br />
実際、人々が動物を食べない食事に切り替える理由のひとつは、本来なら他の人たちのために使うことのできる資源を家畜が消費してしまうからというものである。たとえば、まるまると太った牛を育てるために穀物を育てるかわりにその穀物を第三世界の子供たちに送ることができる。<br />
<br />
環境問題に関する著作を持つロバート・ビディノットは1992年のNortheastern Association of Fish and Wildlife Agenciesでのスピーチにおいて次の様に述べた:「動物の権利を厳格に尊重するなら、野生の捕食動物から人間の利害を守ろうとする行為も禁止される。人間の損害は許容可能なものであるが、動物の受ける損害は許容できるものではない。したがって必然的に、ビーバーは川の流れを変えても良いが人間はそうしてはいけない。蝉は何百マイルもの樹木をなくしても良いが人間にそれは許されない。ピューマは羊や鶏を食べても良いが人間には許されない」<br />
<br />
もし救命ボートが転覆して人間の赤ん坊と犬のどちらか一方しか助けられないとしたらどうするかと聞かれて、PETA([[動物の倫理的扱いを求める人々の会]])のアウトリーチ・コーディネーター、スーザン・リッチは「はっきりとは分からない…赤ん坊を助けるかもしれないし犬の方を助けるかもしれない」と答えた。動物の権利哲学者のトム・レーガンは、たとえ犠牲になる犬の数が何匹であろうが、赤ん坊の方を助けるべきだと述べた。これはカント以来の伝統的な義務論の延長上に権利論を展開した、レーガンの立場を示すものと言える。一方で、廃止論的動物の権利の法律学者ゲイリー・フランシオンは、仮に赤ん坊を助けたとしてその犬の方を置き去りにしたとしても、人間以外の動物の搾取や虐待は正当化されるものではないとした。同様に、動物の権利活動家のラリー・カイザーは「私たちが直面しているのは、そうした緊急事態ではない。私たちは赤ん坊と犬の両方を助けることができる」とし、こうした設問自体が意味のあるものではないと述べている。<br />
<br />
=== 動物の権利と[[ホロコースト]] ===<br />
2003年にPETAは「あなたの皿の上のホロコースト」と題した巡業展示会を行った。この展示では強制収容所におけるユダヤ人のイメージと、殺され虐待される動物たちのイメージを重ね合わせている。この展示ではPETAの会長であるイングリッド・ニューカーク ([[:en:Ingrid Newkirk|Ingrid Newkirk]]) の次のような言葉が紹介されている。「強制収容所では600万人ものユダヤ人が死にました。しかし、今年60億羽のブロイラーが屠殺場で死んでいきます」<br />
<br />
アメリカ、ウイスコンシン州の動物の権利運動家の企画「The National Primate Research Exhibition Hall」においては、その企画自体を[[アウシュビッツ]]のホロコースト記念館になぞらえ、展示の中でホロコーストとの比喩を行っている。2001年には動物の権利のサイトのmeat.org で「ホロコーストの犠牲者たち」と紹介した動物の写真により構成された「動物のホロコースト」と題したセクションを設けた。シアトルの「The Northwest Animal Rights Network」はホロコーストの犠牲者の裸の死体が並んでいる写真と一緒に死んだ牛の写真を並べ、中央に大きな、かぎ十字を配した広告を配布した。<br />
<br />
[[名誉毀損防止同盟]] (ADL) は、動物の権利の運動にホロコーストの比喩を使うのは「600万人のユダヤ人の殺害を卑小化するもの」であるとして批判した。PETAの会長、イングリッド・ニューカークはこの運動がある人々を傷つける事になってしまったとして謝罪の意を表明した:「これは決して我々が意図したことではないが、大変申し訳なく思う」と。<br />
<br />
注)当項目以上は [[:en:Animal rights]] 16:41, 2 October 2006 に基づく。<br />
<br />
なお、ナチスによるホロコーストと動物の虐殺を結びつける立場をとる歴史家・ホロコ-スト研究家には、チャールズ・パターソンがいる<ref>{{Cite book|last=Patterson|first=Charles|title=Eternal Treblinka: Our Treatment of Animals and the Holocaust|location=New York|publisher=Lantern Books|year=2002|isbn=9781930051997}} (={{Cite book|和書|title=永遠の絶滅収容所-動物虐待とホロコースト|translator=戸田清|publisher=緑風出版|year=2007|isbn=9784846107062}})</ref>。<br />
<br />
== アニマル・ライツ運動に関する出来事 ==<br />
=== 問題点 ===<br />
[[連邦捜査局|FBI]]によると、[[動物解放戦線]] (ALF: Animal Liberation Front) 及び[[地球解放戦線]] (ELF: Earth Liberation Front) による暴力行為による[[アメリカ合衆国]]内の被害数及び損害額は、1996年以来600件以上、合計43,000,000ドル以上に上る。<br />
* AMP (Americans for Medical Progress) ホームページ掲載資料「アニマルライツの暴力」より<br><br />
これにより、FBIは上記2団体を[[テロリスト]]と認定し、動物の権利活動家の不法行為を「内なるテロ」と呼んでいる。<br />
* FBI報告書[http://www.fbi.gov/publications/terror/terror2000_2001.htm 「TERRORISM2000/2001」]より<br />
<br />
[[日本]]の近世(明治以降)における動物愛護の流れについて[[伊勢田哲治]]は、特に欧米から移入された動物観が日本国内の動物観のバックボーンとなったと指摘している<ref>{{Cite web|author=伊勢田哲治|url=http://tiseda.sakura.ne.jp/works/animal5.html|title=日本における動物愛護の倫理観|publisher=名古屋大学情報科学研究科|accessdate=2013-05-01}}</ref>。<br />
<br />
欧米圏外の研究者の間では、これらを研究を遂行する上での障害であり、「弾力的な運用」として軽視することこそが利に適うことであると主張する向きもある<ref>{{Cite web|author=松田幸久|url=http://www.med.akita-u.ac.jp/~doubutu/gijutubu/gikan1.html|title=動物とヒトとのかかわり-特に医学において動物実験が果たした役割-(1)|publisher=秋田大学医学部附属動物実験施設|accessdate=2013-05-01}}</ref><ref>{{Cite web|author=松田幸久|url=http://www.med.akita-u.ac.jp/~doubutu/gijutubu/gikan2.html|title=動物とヒトとのかかわり-特に医学において動物実験が果たした役割-(2)|publisher=秋田大学医学部附属動物実験施設|accessdate=2013-05-01}}</ref>。またイスラーム圏においての動物観は、いわゆる西洋の動物愛護思想とは異なることも指摘されている<ref>{{Cite web|author=中田考|url=http://www1.doshisha.ac.jp/~knakata/ronbunlife.html|title=イスラームと生命倫理|publisher=同志社大学神学研究科|accessdate=2013-05-01}}</ref>。<br />
<br />
さらに、西洋において動物を扱う際の責任と虐待に対する否定的な見方は、キリスト教的価値観。すなわち造物主という絶対的存在の下で人間が活動を行っているとの文化的バックボーンによって成立しており、これにはユダヤ人の[[屠殺]]行為の蔑視と否定が含まれているとの指摘もある<ref>{{Cite web|author=山内進・西村幸次郎・森村進 |url=http://web.archive.org/web/20050516013900/http://www.law.hit-u.ac.jp/dissertation/evaluation/aoki_h_eval.pdf|format=PDF|title=青木人志『動物の比較法文化-動物保護法の日欧比較』審査報告|publisher=一橋大学大学院法学研究科|accessdate=2013-05-01}}</ref>。<br />
<br />
=== 日本での問題点 ===<br />
1980年12月、日本の[[壱岐]](長崎県)では「グリーンピース財団」(米国ハワイ)の活動家が、駆除の為に捕獲したイルカを逃がした[[威力業務妨害]]で有罪となったが、裁判では「イルカのほうが、壱岐の漁民よりも、ブリを餌とする権利がある」と犯人は主張し、ブリ猟師の生活権よりも動物の権利が上であるとする人種的偏見を水産ジャーナリスト[[梅崎義人]]が、[[山本七平]]との会話をもとに指摘した<ref>[http://www.youtube.com/watch?v=a1OiTbtjsyE イルカのほうが日本人よりも価値があると言う反捕鯨論者 水産ジャーナリスト梅崎義人STV]</ref>。なお、この事件は国際的な注目を集めたため、以後、日本の捕鯨・イルカ漁が攻撃を受け続けることになった。{{See also|[[壱岐イルカ事件]]}}<br />
<br />
日本の[[地球生物会議ALIVE]]は動物の権利を主張し、長年、[[定山渓熊牧場]]、[[秋田八幡平クマ牧場]]などを攻撃した結果、多くのクマを飼育するクマ牧場を経営難から閉鎖させたが<ref>{{Cite web|author=地球生物会議|url=http://www.alive-net.net/zoocheck/kumabokujou/|title=クマ牧場の改善または閉鎖へ|publisher=地球生物会議|accessdate=2013-05-01}}長年ALIVEがクマ牧場を攻撃した文書の例。</ref>、ALIVEは閉鎖後もクマに支援をしなかった為、クマが飢餓・共食いなどで死に頭数を減らす惨事の原因を作った<!--この除去はノート参照--><ref>[http://www.dailymotion.com/video/xkpnd3_y-yyyyyyy-yyyyyyyyyyy_animals 旧「定山渓クマ牧場」劣悪環境で立ち入り検査 STV]</ref><ref>[http://www.dailymotion.com/video/xkwa3n_yyyyyy-yyyyy_animals 「定山渓熊牧場」に改善指示 HBC]</ref><ref>[http://www.dailymotion.com/video/xqbyfr_yyyy-yyyy-yyyyyyyyyyy_news クマ牧場 死亡事故 雪の山を踏み台に脱走か NNN]</ref><ref>[http://www.youtube.com/watch?v=7bd1NbI_uZ0 八幡平クマ牧場(2001/5/26) 地球生物会議(ALIVE)撮影映像]ALIVEが長年公表した映像</ref>。<br />
{{See also|[[秋田八幡平クマ牧場]]|[[ズーチェック運動#ズーチェック運動の問題点|ズーチェック運動の問題点]]}}<br />
<br />
=== 大型類人猿 ===<br />
大型[[類人猿]]([[オランウータン]]、[[ゴリラ]]、[[チンパンジー]]、[[ボノボ]])については、人間に近い精神構造、複雑なコミュニケーション技術や社会構成、そして、人の言語を理解しうる能力があることが証明されてきたという背景などから、特に積極的に権利を与えようという動きが活発化した。<br />
<br />
1994年、大型類人猿に対し、具体的な法的権利を保証することを目的とし、霊長類学者、人類学者、倫理学者などから構成される国際組織、グレート・エイプ・プロジェクト (Great Ape Project-GAP) が設立された。<br />
<br />
1999年10月7日、[[ニュージーランド]]の国会で大型類人猿の法的権利を認める法案が成立した。これにより「その種自身にとって利益がある」と認められない限り、大型類人猿を研究、実験、教育の場で使用することはできなくなった<ref>{{Cite web|author=ALIVE海外ニュース|url=http://web.archive.org/web/20081023104450/http://www.alive-net.net/world-news/wn-apes/world-991101.html|title=大型類人猿の法的権利を認める|publisher=ALIVE|date=1999-10|accessdate=2013-05-01}}</ref>。これは動物の権利が実際に立法化された例であると言える。<br />
<br />
=== 闘牛 ===<br />
スペインでの[[闘牛]]は2000年代に入り、動物愛護団体からの強い批判にもさらされ、衰退する傾向にある。2007年8月に国営放送が闘牛の生放送を中止し、2011年にはスペイン全土で闘牛のテレビ中継が終了した。1991年に[[カナリア諸島]]で初の「闘牛禁止法」が成立。2010年7月28日にはスペイン本土の[[カタルーニャ州]]で本土としては初の闘牛禁止法が成立し、2012年から州内での闘牛が禁止されることになった。これを受けて、州都[[バルセロナ]]で2011年9月25日に行われた興行がカタルーニャ州では最後の闘牛となった。ただし、カタルーニャでの闘牛禁止の背景には単なる動物愛護だけではなく、独自の文化や言語を持つカタルーニャの地域主義の要素が大きいとの見方もある。<br />
<br />
=== 化粧品のための動物実験の規制 ===<br />
[[欧州連合]] (EU) は2004年、化粧品の完成品を使った動物実験を禁止。2009年には原料の動物実験と、動物実験をした商品や原料の輸入、販売も禁止した。<br />
<br />
== 捕鯨 ==<br />
アニマルライツの団体(厳密には動物福祉団体)である国際人道協会 (HSI: Humane Society International) が、日本が南極海近くのオーストラリア領海で毎年続けている、ミンククジラの調査捕鯨について、日本の捕鯨会社による違法な捕鯨であり、禁止するようにオーストラリアの連邦裁判所に訴えていた問題で、2006年7月14日、同裁判所は全員一致で受理した。<br />
<br />
2007年1月15日にも国際人道協会の提訴でオーストラリア連邦裁判所は同国が国内法に基づき設定している「クジラ保護区」において、同国政府の許可のない日本の調査捕鯨の操業停止を命じた。しかしこのときに問題となった「クジラ保護区」は同国が主張する[[南極]][[領域 (国家)|領土]]沿岸から200[[海里]]以内の[[排他的経済水域]]に設けられたものであるが、日本政府は[[南極条約]](南極地域における[[領有権]]・領土請求権の放棄)により[[オーストラリア南極領土|豪州の南極領土]]の領有を認めていない(豪州も同条約に[[署名]]しており領有権主張は凍結している)。<br />
<br />
== ユネスコとの関連性について ==<br />
幾つかの大学によると、[[ユネスコ]]と記銘される1978年の「世界動物権宣言」(「動物の権利の世界宣言」等)について、国際機関の「[[国際連合教育科学文化機関]] (UNESCO)」に該当する文書が無いとしている。<br />
<br />
また、別のサイトでは、「1978年10月15日、ユネスコ本部ビル(パリ)に自然保護の活動家たちが集まって「動物権利世界宣言」Déclaration universelle des droits de l'animal を採択した。」と表現されている<ref>{{Cite web|author=Delphyne|url=http://web.archive.org/web/20080501234931/http://www2.starcat.ne.jp/~delphyne/declaration-des-droits.htm|title=権利宣言|publisher=Delphyne|date=2000-12|accessdate=2013-05-01}}</ref>。<br />
<br />
これらのことから、「タイトルからして[[ユネスコ]]の宣言のような印象を与えるが、実際はそうではないようだ」と結論している<ref>{{Cite journal|和書|author=塩見雅志・伊藤隆・宮下信泉・鳥居 隆三|year=2006|title=動物実験における動物の福祉,権利と法規制|journal=アニテックス|volume=18|issue=2|pages=46-57|publisher=研成社|url=http://www.med.kobe-u.ac.jp/iea/Anitex-AW.pdf|format=PDF|issn=09153667}}</ref>。<br />
<br />
なお、「世界動物権宣言」の原著は「[http://web.archive.org/web/20101018190917/http://elsaenc.net/animalrights/ar1/ ”The Universal Declaration of Animal Rights – Comments and Intentions” Edited by Georges Chapouthier and Jean-Claude Nouёt Published by Ligue Francaise des Droits de l’Animal, Paris 1998]」とされている。<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
{{脚注ヘルプ}}<br />
{{Reflist}}<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
* [[種差別]]<br />
* [[ベジタリアニズム]]<br />
* [[ヴィーガニズム]]<br />
* [[エコテロリズム]]<br />
* [[エコファシズム]]<br />
* [[犬食文化]]<br />
* [[動物福祉]]<br />
* [[動物虐待]]<br />
* [[生類憐れみの令]]<br />
* [[野生動物管理]] <br />
* [[動物愛護団体]]<br />
* [[自民党動物愛護管理推進議員連盟]]<br />
* [[遷延性意識障害|植物人間]]<br />
* [[ブリーダー]]<br />
* [[自然の権利]]<br />
* [[植物の権利]]<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
'''動物の権利関連サイト'''<br />
* [http://www.peta.org/ PETA(People for the Ethical Treatment of Animals)]<br />
* [http://www.arcj.info/ アニマルライツセンター]<br />
'''ベジタリアン関連サイト'''<br />
* [http://www.jpvs.org/ 日本ベジタリアン協会]<br />
* [http://vegansociety.jp/ 日本 VEGAN 協会] (Vegan Society of Japan)<br />
''関連資料''(論文その他)<br />
* [http://www.env.go.jp/nature/dobutsu/aigo/2_data/arikata/h16_01/mat05.pdf 世界動物権宣言(1989年)](環境省「諸外国における動物の愛護管理制度の概要」)<br />
** ここにもユネスコと表記されているが、国際機関のUNESCOと関係あるかは疑問視する立場もある。<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:とうふつのけんり}}<br />
[[Category:動物の権利|*]]<br />
[[Category:権利]]<br />
[[Category:菜食主義]]</div>
ウマスラ
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E3%82%AB%E3%83%86%E3%82%B4%E3%83%AA:%E7%AA%81%E6%92%83%E9%9A%8A%E9%9A%8A%E5%93%A1&diff=230267
カテゴリ:突撃隊隊員
2014-06-01T18:04:46Z
<p>ウマスラ: </p>
<hr />
<div>[[ドイツ国 (1933年-1945年)|ナチス・ドイツ]]の[[突撃隊]](Sturmabteilung)の隊員に関するカテゴリ。<br />
<br />
{{Commonscat|Members of the SA}}<br />
{{DEFAULTSORT:とつけいたいたいいん}}<br />
[[Category:突撃隊]]<br />
[[Category:ナチ党員]]</div>
ウマスラ
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E3%82%AB%E3%83%86%E3%82%B4%E3%83%AA:%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E7%AC%AC%E4%B8%89%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E6%9C%9F%E3%81%AE%E6%94%BF%E6%B2%BB%E5%AE%B6&diff=230266
カテゴリ:ドイツ第三帝国期の政治家
2014-06-01T18:04:35Z
<p>ウマスラ: </p>
<hr />
<div>[[ドイツ国 (1933年-1945年)|ナチス・ドイツ]](ドイツ第三帝国)の政治家のカテゴリ。<br />
<br />
* ナチ党の政治家は「[[:Category:ナチ党員]]」に。<br />
<br />
{{先代次代|[[:Category:ドイツの政治家|ドイツの政治家]]|[[:Category:ドイツ第三帝国期の政治家]]<br>1933年-1945年|[[:Category:ヴァイマル共和国の政治家]]<br>1918年-1933年<br />|[[:Category:ドイツ民主共和国の政治家]]<br>[[:Category:西ドイツの政治家]]<br>1945年-1990年}}<br />
<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:といつたいさんていこくきのせいしか}}<br />
[[Category:ナチス・ドイツの人物|せいしか]]<br />
[[Category:ドイツの政治家|たいさんていこく]]<br />
[[Category:第二次世界大戦期の政治家]]<br />
<br />
[[en:Category:Officials of Nazi Germany]]</div>
ウマスラ
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E3%82%AB%E3%83%86%E3%82%B4%E3%83%AA:%E3%83%8A%E3%83%81%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E3%81%AE%E4%BA%BA%E7%89%A9&diff=230265
カテゴリ:ナチス・ドイツの人物
2014-06-01T18:04:24Z
<p>ウマスラ: </p>
<hr />
<div>[[ドイツ国 (1933年-1945年)|ナチス・ドイツ]]([[1933年]]~[[1945年]])の人物のカテゴリ。<br />
<br />
{{先代次代|[[:Category:ドイツ史の人物|ドイツ史の人物]]|[[:Category:ナチス・ドイツの人物]]<br>1933年-1945年|[[:Category:ヴァイマル共和国の人物]]<br>1918年-1933年<br />|[[:Category:ドイツ民主共和国の人物]]<br>[[:Category:西ドイツの人物]]<br>1945年-1990年}}<br />
<br />
{{Commonscat|People of the Third Reich}}<br />
<br />
[[Category:ナチス・ドイツ|しんふつ]]<br />
[[Category:ドイツ史の人物|なちすといつ]]</div>
ウマスラ
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E3%82%AB%E3%83%86%E3%82%B4%E3%83%AA:%E8%A6%AA%E8%A1%9B%E9%9A%8A%E5%B0%86%E8%BB%8D&diff=230264
カテゴリ:親衛隊将軍
2014-06-01T18:04:12Z
<p>ウマスラ: </p>
<hr />
<div>[[ドイツ国 (1933年-1945年)|ナチス・ドイツ]]の[[親衛隊 (ナチス)|親衛隊]](Schutzstaffel、略称SS)隊員のうち、[[親衛隊少将]](SS-Brigadeführer)以上の階級を所持していた者のカテゴリ。[[親衛隊上級大佐]](SS-Oberführer)以下の階級の者は[[:Category:親衛隊隊員]]へ分類する。厳密には親衛隊将軍ではないが、[[親衛隊全国指導者]](Reichsführer-SS)の職にある者もここに加える。<br><br />
<br />
{{DEFAULTSORT:しんえいたいしようくん}}<br />
{{Commonscat|Schutzstaffel generals}}<br />
[[Category:親衛隊隊員]]<br />
[[Category:ドイツ第三帝国の将軍]]</div>
ウマスラ
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E3%83%8A%E3%83%81%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E3%81%AE%E4%BA%BA%E4%BD%93%E5%AE%9F%E9%A8%93&diff=230263
ナチス・ドイツの人体実験
2014-06-01T18:03:58Z
<p>ウマスラ: </p>
<hr />
<div>'''ナチス・ドイツの人体実験'''は、[[第二次世界大戦]]中、[[ドイツ国 (1933年-1945年)|ナチス・ドイツ]]により[[強制収容所 (ナチス)|強制収容所]]で行われた、一連の医学的な[[人体実験]]である。収容者は実験に参加することが強要され、自発的な参加は無く、実験に関する[[インフォームド・コンセント]](事前説明)はされていなかった。通常、被験者は死亡するか、醜悪な外観が残るか、あるいはその後一生涯にわたる障害が残った。<br />
<br />
[[アウシュヴィッツ強制収容所]]では、医務長であった[[エドゥアルト・ヴィルツ]] ([[:en:Eduard Wirths|en]]) の指示により、選別された収容者に対して、その成果が、戦闘状態にあるドイツ軍人を助けたり、新兵器を開発したり、負傷した兵士の回復を助けたり、あるいは[[ナチズム]]に後押しされた合理的な[[イデオロギー]]を推進すると考えられていたため、様々な危険な実験が施された。<br />
<br />
また、[[アリベルト・ハイム]]は、[[マウトハウゼン強制収容所]]において、同様の実験を行った。[[カール・フェルネット]] ([[:en:Carl Vaernet|en]]) は、[[同性愛]]者に対して、その治療を試みたことで知られている。戦後、これらの[[戦争犯罪]]は、[[医者裁判]]として知られている裁判によって裁かれ、この残虐行為に対する憎悪や嫌悪感が、[[医療倫理]]に関する[[ニュルンベルク綱領]]の発展へと繋がった。<br />
<br />
== 実験 ==<br />
[[ニュルンベルク継続裁判]]における起訴状によると、人体実験には以下のような実験が含まれていた。<br />
<br />
=== 双子への実験 ===<br />
強制収容所にいた双子の子供に対して行われた実験の目的は、人体を人為的に操作できるかどうかを観察するのと同様に、双子の遺伝子の類似性と相違性を示すためであった。実験の中心的なリーダーは[[ヨーゼフ・メンゲレ]]であり、彼は[[1943年]]から[[1944年]]にかけて、アウシュヴィッツに収容されていた双子1,500体に対して実験を行った。わずか100人の被験者のみが生き残った。<br />
<br />
彼は[[ルートヴィヒ・マクシミリアン大学ミュンヘン]]で、[[哲学]]や[[人類学]]や[[古生物学]]に重点を置いた[[医学]]を学ぶ間に、「([[ファシズム]]という)簡潔な政治概念が、遂には私の人生において決定的な要素となった」と述べたと言われている。メンゲレは、「簡潔な政治的概念」に新たな関心を示し、医学と政治の融合が、彼のキャリアの選択において大きな要素となった。<br />
<br />
メンゲレは、「4種の人種グループを対象とした下顎部分の人種的形態学的研究 (Racial Morphological Research on the Lower Jaw Section of Four Racial Groups)」というタイトルの論文により[[博士号]] (PhD) を取得した。この論文は人種は顎の形によって識別が可能であることを提起していた。ナチスによって彼は研究の才能を見出され、[[1943年]][[5月30日]]、彼は占領下の[[ポーランド]]に位置するアウシュヴィッツ強制収容所に移動となった。彼は、一般的に考えられているところとは異なり、アウシュヴィッツで唯一の医者であったわけではなく、高い地位にいたわけでもない([[親衛隊 (ナチス)|親衛隊]]の[[親衛隊大尉|大尉]]であった[[エドゥアルト・ヴィルツ]] ([[:en:Eduard Wirths]]) が、アウシュヴィッツにおける医師の責任者であった)。メンゲレは、双子に対する[[遺伝学]]的実験を組織した。双子は年齢と性別によって分けられ、実験の合間はバラックに収容されており、異なる薬品が双子の目から注入され、色の変化があるかどうかを確認され、双子を文字通り縫い合わせて[[結合双生児]]を作ることが試された。<br />
<br />
=== 骨、筋肉、神経の移植 ===<br />
1942年9月より1943年12月頃まで、[[ドイツ国防軍]]の利便向上のため、[[ラーフェンスブリュック強制収容所]]において行われ、骨、筋肉、神経の再生に関する研究と、骨の移植が行われた。被験者は[[麻酔]]無しで、骨、筋肉、神経を部分的に除去された。この結果、多くの犠牲者は、激しい痛みや切断、そして一生涯にわたる身体的不自由に苦しむこととなった。<br />
<br />
=== 低温実験 ===<br />
[[1941年]]、[[ドイツ空軍 (国防軍)|ドイツ空軍]]は、[[低体温症]]の予防と治療の手段を発見する目的で、凍結実験を行った。1つの実験で、被験者はタンク1杯分の氷水で、最大5時間、耐えることを強いられた。他の実験では、−6℃(21{{°F}}) 程の温度の屋外に、囚人は裸で何時間も置き去りにされた。寒冷暴露の肉体的影響を調査する以外に、生存者を復温する方法も評価された。<br />
<br />
冷凍・低体温症実験は、[[独ソ戦|東部戦線]]において、ドイツ軍が寒冷地の気候に対する準備不足により苦戦していたため、ナチスの最高司令部が、その気候条件をシミュレーションするように命令を下して行われた。ロシア人捕虜に対して多くの実験が行われており、ナチスは、ロシア人の遺伝子がその耐寒力を、ドイツ人よりも強いものにしていたかどうか疑問に思っていた。実験の行われた主な場所は、[[ダッハウ強制収容所]]とアウシュヴィッツ強制収容所であった。ダッハウ収容所における[[親衛隊 (ナチス)|SS]]の医者であった[[ジクムント・ラッシャー]]博士は、[[ハインリヒ・ヒムラー]]に結果を直接報告し、1942年の医学会議において、「海と冬から生じる医学的問題 (Medical Problems Arising from Sea and Winter)」の題名で、結果を公表した。約100名が、これらの実験により命を落としたと報告されている。<br />
<br />
=== マラリア実験 ===<br />
1942年2月から[[1945年]]の4月くらいまで、[[マラリア]]治療のための免疫調査のために、ダッハウ強制収容所においてマラリア実験が行われた。健康な収容者が、蚊によって直接、あるいはメスの蚊の[[粘液腺]]からの抽出物を注射され、マラリアに感染させられた。マラリア感染後、被験者には、薬剤の相対的な効力をテストするため、様々な薬物が投与された。これらの実験に、1000人以上が動員され、その半数以上が死亡した。<br />
<br />
=== マスタードガス実験 ===<br />
[[1939年]]9月と1945年4月の間、[[ザクセンハウゼン強制収容所]]や[[ナッツヴァイラー強制収容所]]などで、[[マスタードガス]]による負傷者の最も効果的な治療を調査するために、数多くの実験が行われた。被験者は、酷い[[化学火傷]] ([[:en:Chemical burn]]) を引き起こす物質であるマスタードガスや[[ルイサイト]]などの[[びらん剤]]に意図的に暴露された後、マスタードガスによる火傷の最も効果的な治療法を見出すために、実験が施された。<br />
<br />
=== スルフォンアミド(サルファ剤)の実験 ===<br />
[[1942年]]7月頃から[[1943年]]9月頃まで、人工の[[抗菌剤]]である、[[スルフォンアミド]]の有効性を調査するための実験が、[[ラーフェンスブリュック強制収容所]]にて行われていた。被験者は、負わされた傷口に、[[連鎖球菌]]や[[ウェルッシュ菌]] ([[ガス壊疽]]の原因物質)や[[破傷風]]の原因菌である破傷風菌などのバクテリアを感染させられた。戦場における負傷時と似通った条件を作り出すために、傷の両端の血管が[[結紮]]されて、血流が阻害させられた。木を削ることや、ガラスを傷口の中に入れることを強いられたりして、感染状態は悪化した。有効性を決定するために、スルフォンアミドや他の薬品で、処置された。<br />
<br />
=== 海水実験 ===<br />
[[1944年]]7月頃より1944年9月頃まで、海水を飲むことを可能にするための様々な方法を調査するために、ダッハウ強制収容所にて実験が行われた。一つには、約90人の[[ロマ]]のグループが、[[ハンス・エッピンガー]] ([[:en:Hans Eppinger]]) 博士によって、食べ物を奪われて海水だけを飲まされた。被験者は博士により重度な傷を負った状態となった。被験者は、ひどい[[脱水症状]]になり、飲み水を得ようと、新しくモップがけされた床を舐めるところが目撃された。<br />
<br />
{{ナチス・ドイツ}}<br />
<br />
{{デフォルトソート:なちすといつのしんたいしつけん}}<br />
[[Category:ナチス・ドイツ|しんたいしつけん]]<br />
[[Category:ホロコースト]]<br />
[[Category:人体]]<br />
[[Category:実験]]</div>
ウマスラ
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E7%94%9F%E3%81%8D%E3%82%8B%E3%81%AB%E5%80%A4%E3%81%97%E3%81%AA%E3%81%84%E5%91%BD&diff=230262
生きるに値しない命
2014-06-01T18:03:36Z
<p>ウマスラ: </p>
<hr />
<div>[[ファイル:Bundesarchiv Bild 183-N0827-318, KZ Auschwitz, Ankunft ungarischer Juden.jpg|250px|thumb|right|ユダヤ人]]<br />
'''生きるに値しない命'''(いきるにあたいしないいのち、Lebensunwertes Leben)とは、[[ドイツ国 (1933年-1945年)|ナチス・ドイツ]]の人種政策([[:en:racial policy of the Third Reich]])で、[[国家社会主義ドイツ労働者党|ナチ政府]]によって「生きるに値しない命」と見なされた者が[[安楽死]]させられるという[[ホロコースト]]に繋がった。<br />
<br />
== 経過 ==<br />
このフレーズは[[1920年]]に、法学者の[[カール・ビンディング]]([[:en:Karl Binding]])と精神科医の[[アルフレート・ホッヘ]]([[:en:Alfred Hoche]])が、その著書のタイトル「Die Freigabe der Vernichtung Lebensunwerten Lebens (生きるに値しない命の破壊は許される)」で初めて用いたものである。<br />
<br />
[[ナチスドイツ]]および[[ドイツによるヨーロッパ占領|ナチ支配下のヨーロッパの国]]においては、「社会的逸脱者」あるいは「社会的な混乱の原因」と考えられた者が、このカテゴリーに分類された。「社会的逸脱者」のカテゴリーには、[[精神障害者|精神障碍者]]、[[身体障害者|身体障碍者]]、 政治的な[[反体制派]]、[[同性愛者]]、[[混血]]、[[犯罪者]]が該当した。一方、「社会的混乱の原因」のカテゴリーには、[[聖職者]]、[[共産主義者]]、[[ユダヤ人]]、[[ロマ]]、[[エホバの証人]]、有色人種([[コーカソイド]]以外)、[[ポーランド人]]など様々な社会的グループの人々が該当した。これらの中でも、特にユダヤ人は、ほどなくして[[ジェノサイド]]政策の主要なターゲットとなった。<br />
<br />
この概念は、ナチの観念論者が主張する「生きるに値しない命」を系統的に殺戮する施設である[[絶滅収容所]]によってクライマックスを迎えた。さらにこの概念は、[[ナチス・ドイツの人種政策]]だけでなく、様々な[[ナチス・ドイツの人体実験]]や[[ナチス・ドイツの優生学]]([[:en:Nazi eugenics]])をも正当化した。「生きるに値しない命」の対象には[[スラヴ]]系諸民族、とりわけドイツに隣接するポーランド人も含まれていた。<br />
<br />
最高指導者[[アドルフ・ヒトラー]]は、[[独ソ戦|東部戦線]]の将校に対して、すべてのポーランド系またはポーランド語を話す男性、女性、子供を、「哀れみや慈悲をかけずに」殺すように指示を書き取らせ、[[ハインリヒ・ヒムラー]]は、「すべてのポーランド人は、この世から消えるだろう。優秀なドイツ人が、ポーランド人を破壊することが、主要な任務であるとみることは最重要だろう。」と書き残している。ヒトラーが著した「[[我が闘争]]」にあるように、ナチスは最終的には[[東欧]]を[[生存圏]]として支配し、ここに居住するスラヴ系諸民族を排除することを目指していた。<br />
<br />
== 関連書籍 ==<br />
* ジョルジュ・ベンスサン著、吉田恒雄訳 『ショアーの歴史 ユダヤ民族排斥の計画と実行』 [[白水社]]([[クセジュ|文庫クセジュ]])、2013年 ISBN 4-560-50982-1<br />
<br />
{{ナチス・ドイツ}}<br />
<br />
{{デフォルトソート:いきるにあたいしないいのち}}<br />
[[Category:ナチス・ドイツ]]<br />
[[Category:ホロコースト]]<br />
[[Category:ドイツ語の語句]]</div>
ウマスラ
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E3%83%8A%E3%83%81%E3%82%B9%E5%BC%8F%E6%95%AC%E7%A4%BC&diff=230261
ナチス式敬礼
2014-06-01T18:03:15Z
<p>ウマスラ: </p>
<hr />
<div>'''ナチス式敬礼'''(ナチスしきけいれい、Nazi salute)または'''ヒトラー式敬礼'''(Hitlergruß)は、[[国家社会主義ドイツ労働者党]](以下、単に「ナチス」)や[[ドイツ国 (1933年-1945年)|ナチス・ドイツ]]が採用した[[敬礼]]。<br />
<br />
[[ローマ帝国]]の[[ローマ式敬礼]]を、[[ベニート・ムッソリーニ]]が[[ファシスト党]]や[[イタリア軍]]で復活させた<ref>Winkler, Martin M. (2009). The Roman Salute: Cinema, History, Ideology. Columbus: Ohio State University Press. ISBN 0814208649, 9780814208649.(p74-101)</ref>ものを、ナチスが更にドイツで採用したもの<ref>Evans, Richard J. (2005). "The Rize of Nazism". The Coming of the Third Reich (reprint, illustrated ed.). Penguin Group. pp. 184–185. ISBN 0143034693, 9780143034698.</ref>。<br />
<br />
一般にはナチスのイメージが強いためナチス式敬礼と呼ばれる場合が多い<ref>[http://www.news-gate.jp/2010/0728/4/photo01.html パリス・ヒルトン、今度はナチス式敬礼おふざけで大ヒンシュク - Movie Walker]</ref><ref>[http://www.afpbb.com/article/life-culture/culture-arts/2622097/4369823 ナチスの敬礼をした庭置き人形、独検察当局が違法性を捜査 - AFP BB News]</ref><ref>[http://rocketnews24.com/2011/04/14/%E3%80%8C%E3%83%8A%E3%83%81%E3%82%B9%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%82%AD%E3%80%8D%E3%81%A7%E8%A3%81%E5%88%A4%E6%B2%99%E6%B1%B0%E3%81%AB/ 「ナチスケーキ」で裁判沙汰に - Rocket News 24]</ref>が、[[第二次世界大戦]]中は'''ドイツ式敬礼''' ({{lang|de|Deutscher Gruß}}) とも呼ばれた。隠語として '''88''' (achtundachtzig、Eighty-eight) とも呼ばれている。これはアルファベットで H が 8 番目である事から '''H'''eil '''H'''itler を意味するとするものである。また'''ファシスト式敬礼'''とも呼ばれる。<br />
<br />
== 概要 ==<br />
直立の姿勢で右手をピンと張り、一旦胸の位置で水平に構えてから、腕を斜め上に、掌を下側に、突き出す[[ジェスチャー]]による敬礼<ref>Grunberger, Richard (1995). The 12-year Reich: a social history of Nazi Germany, 1933–1945 (illustrated ed.). Da Capo Press. ISBN 0306806606, 9780306806605.</ref>。通常は「[[ジークハイル]]」(Sieg Heil、勝利万歳)、あるいは「'''ハイル・ヒトラー'''」(Heil Hitler、[[アドルフ・ヒトラー|ヒトラー]]万歳)の声を付随させる。これはヒトラーへの権力や力の集中、忠誠を意味しており、これを受ける唯一の存在である総統ヒトラー自身は、肘から指先までを上に挙げる答礼でこの敬礼に応える。ヒトラー以外の人は同じ敬礼で応える事が義務であった。<br />
<br />
ヒトラーと袂を別った反ヒトラー派の[[オットー・シュトラッサー|シュトラッサー]]率いる[[ナチス左派|革命的ナチス]]の場合は、同じようなスタイルで「ハイル・ドイチュラント」(Heil Deutschland、ドイツ万歳)と言った。<br />
<br />
[[突撃隊]]や[[親衛隊 (ナチス)|親衛隊]]では公式な敬礼として用いられ、[[ドイツ国防軍|国防軍]]でも1944年7月20日の[[ヒトラー暗殺計画|ヒトラー暗殺未遂事件]]以降、従来の一般的な挙手注目敬礼ではなくこの敬礼が求められるようになった。<br />
<br />
[[第二次世界大戦]]後の[[ドイツ]]では、ナチス式敬礼をすると「ナチ賛美・賞賛」と見做され[[民衆扇動罪]]で逮捕・処罰の対象となる。[[オーストリア]]でも同様な法律があり、取り締まりの対象になっている。これは[[ナチズム]]に賛同しているかどうかという事は一切関係なく、店のクリスマスディスプレーで右手を挙げたサンタクロース人形を使用した事が問題となり、撤去に追い込まれたこともある<ref>https://www.spiegel.de/international/0,1518,grossbild-749340-451645,00.html</ref>。<br />
<br />
今日、[[ネオナチ]]などは摘発を避けるためにこの敬礼を行う事を避け、大胆な敬礼 ('''Kühnengruß''') と呼ばれる肘を曲げて右手を肩の高さまで上げ親指と人差し指と中指のみを立てる敬礼を行う事が多い。本来は、宣誓式で宣誓の際に取るポーズ<ref>[http://i30.photobucket.com/albums/c342/zvoncic/handzar_division.jpg ナチス式敬礼]</ref>であったが、転じてヒトラーへの忠誠を誓うという意味を持たせるようになった。<br />
<br />
== その他の諸国 ==<br />
{{要出典範囲|[[中東]]に於いては、ナチス・ドイツに亡命したパレスチナ人の[[アラブ民族主義]]者[[アミーン・フサイニー]]の強い影響力があり、パレスチナ警察や[[シリア]]陸軍、[[レバノン]]の[[シーア派]]武装組織[[ヒズボラ|ヒズブッラー]]がナチス式敬礼を行っている。}}<br />
<br />
[[日本]]では[[高校野球]]の[[宣誓]]をはじめ、[[中学校|中学]]・[[高等学校|高校]]の[[運動会|体育祭]]や競技会などでナチス式敬礼(ローマ式敬礼)に似た敬礼を行っているケースが全国で見られる。[[国民体育大会]]の入場行進でも、貴賓席の[[天皇]]・[[皇后]]に対する敬礼として行なわれていたが、問題になったため、県花やイメージカラーのハンカチを振る挨拶に切り替えられた{{要出典}}。 <br />
<br />
近年では、[[イタリア]]のサッカー選手[[パオロ・ディ・カーニオ]]が試合中パフォーマンスとして度々ナチス式敬礼をし、非難されたが、彼は古代[[ローマ式敬礼]]と主張している<ref>[http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/4720520.stm Nazi deportees speak to Di Canio]</ref>。<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
{{Reflist}}<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
* [[ローマ式敬礼]]<br />
* [[ガチョウ足行進]](しばしば「ナチス式行進」とよばれる)<br />
* [[ジークハイル]]<br />
* [[全体主義]]<br />
* [[ザ・ドム・スプレムニ]] - クロアチアの[[民族主義|民族主義者]]のスローガン<br />
<br />
{{Commonscat|Hitler salutes}}<br />
{{アドルフ・ヒトラー}}<br />
{{ナチ党}}<br />
{{ナチス・ドイツ}}<br />
{{デフォルトソート:なちすしきけいれい}}<br />
[[Category:ナチズム]]<br />
[[Category:挨拶]]<br />
[[Category:ジェスチャー]]<br />
[[Category:ナチス・ドイツ]]</div>
ウマスラ
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E5%BC%B7%E5%88%B6%E5%8F%8E%E5%AE%B9%E6%89%80_(%E3%83%8A%E3%83%81%E3%82%B9)&diff=230260
強制収容所 (ナチス)
2014-06-01T18:02:55Z
<p>ウマスラ: /* 強制収容所 */</p>
<hr />
<div>[[ファイル:Auschwitz I entrance snow.jpg|thumb|300px|[[ポーランド]]・[[オシフィエンチム]](ドイツ名[[アウシュヴィッツ]])に置かれた[[アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所]]のアウシュヴィッツ第一強制収容所正門。「ARBEIT MACHT FREI」(「[[働けば自由になる]]」)とある。]]<br />
[[ファイル:KL Dachau Blocks, Fence & Sentinel Post.jpg|thumb|300px|[[ドイツ]]・[[バイエルン州]][[ダッハウ]]に置かれた[[ダッハウ強制収容所]]。]]<br />
'''コンツェントラツィオンス・ラーガー'''({{lang-de-short|'''Konzentrationslager'''}}、一般的に'''KZ'''(カーツェット)と略。管理者である[[親衛隊 (ナチス)|親衛隊]] (SS) は公式に'''KL'''(カーエル)と略した<ref name="高橋(2000)5">[[#高橋(2000)|高橋(2000)、p.5]]</ref><ref name="ヘーネ(1981)203">[[#ヘーネ(1981)|ヘーネ(1981)、p.203]]</ref>)は、[[ナチス・ドイツ|ナチス党政権下のドイツ]]が[[ユダヤ人]]、反ナチ分子、反独分子、[[エホバの証人]]、政治的[[カトリック教会|カトリック]]、[[同性愛]]者、[[ソビエト連邦|ソ連]]捕虜、常習的犯罪者、「反社会分子」([[浮浪者]]、[[ロマ]]、労働忌避者など)といった者たちを収容するために[[ドイツ]]本国および併合・占領した[[ヨーロッパ]]の各地に設置した[[強制収容所]]である。<br />
<br />
== 強制収容所の歴史 ==<br />
=== 強制収容所創設の背景 ===<br />
[[1932年]]に[[ヴァイマル共和政|ヴァイマル憲法下のドイツ]]で行われた二度の[[国会 (ドイツ)|国会]]選挙で、多くのドイツ国民からの支持を得て第一党を確保した[[国家社会主義ドイツ労働者党]](以下ナチ党)の党首[[アドルフ・ヒトラー]]は、[[1933年]][[1月30日]]に[[パウル・フォン・ヒンデンブルク]][[ドイツの大統領 (ヴァイマル共和政)|大統領]]より[[ドイツの首相|ドイツ国首相]]に[[任命]]された<ref name="阿部(2001)213">[[#阿部(2001)|阿部(2001)、p.213]]</ref>。<br />
<br />
ヒトラー首相は、首相に就任するやただちに反ナチ党分子の始末に乗り出した。1933年2月4日には早くもヒンデンブルク大統領に「[[ドイツ国民保護のための大統領緊急令]]」([[:de:Verordnung des Reichspräsidenten zum Schutze des Deutschen Volkes]])を出させて、[[ヴァイマール憲法]]によって認められていた言論の自由や政治集会の自由などの国民の権利をいくつか停止し、反ナチ党的言論の取り締まりを開始した<ref name="阿部(2001)217">[[#阿部(2001)|阿部(2001)、p.217]]</ref>。<br />
<br />
続いて[[国会議事堂放火事件]]後の1933年2月28日に「[[国民及び州保護のための大統領緊急令]]」([[:de:Verordnung des Reichspräsidenten zum Schutz von Volk und Staat]])を出させて、国民の権利停止の範囲を拡大し、人身の自由や私有財産権などの国民の権利を停止させた<ref>[[#阿部(2001)|阿部(2001)、p.220-221]]</ref><ref name="高橋(2000)25">[[#高橋(2000)|高橋(2000)、p.25]]</ref>。またこの大統領緊急令に「公共秩序を害する違法行為は強制労働をもって処する」という条文が出てくる<ref name="リュビー(1998)15">[[#リュビー(1998)|リュビー(1998)、p.15]]</ref>。「強制収容所(Konzentrationslager)」という言葉や「保護拘禁(Schutzhaft)」という言葉は出てこないが、この大統領緊急令が反ナチ党分子を保護拘禁して強制収容所へ送り込む法的根拠となった<ref name="栗原(1997)223">[[#栗原(1997)|栗原(1997)、p.223]]</ref><ref>[[#高橋(2000)|高橋(2000)、p.24-25]]</ref><ref>[[#リュビー(1998)|リュビー(1998)、p.15-16]]</ref>。ちなみにこの大統領緊急令はヴァイマール憲法48条が非常時には憲法を停止することを認めていたことに準拠していた<ref name="リュビー(1998)15"/>。<br />
<br />
左翼政党の[[ドイツ共産党]]と[[ドイツ社会民主党|ドイツ社民党]]は反ナチ党分子の代表格であり、ナチ党にとっては真っ先に社会から隔離すべき者たちであった。しかし彼らを「犯罪者」として刑務所に投獄するには裁判で有罪判決を下す必要がある。裁判では不確実なうえに時間がかかる。そこで左翼を「犯罪者」ではなく「潜在的な危険分子」として保護拘禁して強制収容所に収容することとしたのである<ref name="栗原(1997)223"/><ref name="ヒルバーグ(1997)下148">[[#ヒルバーグ(1997)下|ヒルバーグ(1997)下巻、p.148]]</ref>。<br />
<br />
=== 初期の強制収容所(1933年‐1934年) ===<br />
初期のナチス強制収容所は人種だけを理由とした収容は無く、共産党や社民党など左翼の政治家・活動家が被収容者のほとんどであった(結果的にその中に[[ユダヤ人]]がいるということはあった)。ちなみにユダヤ人がユダヤ人という理由だけで強制収容所に入れられるようになったのは戦時中のことである<ref name="長谷川(1996)66">[[#長谷川(1996)|長谷川(1996)、p.66]]</ref>。またこの頃の強制収容所はあくまで再教育して社会復帰させることが主眼であったので、収容所の環境は必ずしも劣悪ではなく、左翼思想さえ捨てれば出られる見込みは十分にあった<ref name="長谷川(1996)54">[[#長谷川(1996)|長谷川(1996)、p.54]]</ref>。<br />
<br />
==== プロイセン ====<br />
[[ファイル:Bundesarchiv Bild 183-R88978, KZ Oranienburg, SA-Männer vor SPD-Häftlingen.jpg|thumb|250px|[[1933年]]、[[オラニエンブルク強制収容所]]。看守の[[突撃隊]]隊員に尋問される囚人の[[ドイツ社会民主党|ドイツ社民党]]の政治家達。]]<br />
ヒトラー首相は右腕であるナチ党幹部[[ヘルマン・ゲーリング]]を[[プロイセン州]]内相に任命した<ref name="阿部(2001)214">[[#阿部(2001)|阿部(2001)、p.214]]</ref>。<br />
<br />
当時プロイセン州は州都[[ベルリン]]を中心に[[ドイツ社会民主党|ドイツ社民党]]や[[ドイツ共産党]]をはじめとした[[左翼]]が多く、特にベルリンは「'''赤いベルリン'''」などと揶揄されているほどの左翼天国であった。ゲーリングは、州の[[秘密警察]]組織を整備して州秘密警察(略称[[ゲシュタポ]])を創設し、[[ルドルフ・ディールス]]をその局長に任じた。さらに[[ドイツ共産党]]の仕業とされた[[国会議事堂放火事件]]の翌日の2月28日に大統領緊急令が出るや、ゲーリングは共産党員4000人の保護拘禁の逮捕を命じた<ref name="阿部(2001)221">[[#阿部(2001)|阿部(2001)、p.221]]</ref>。この命令により3月から4月にかけて2万5000人以上の左翼が逮捕されたという<ref name="高橋(2000)26">[[#高橋(2000)|高橋(2000)、p.26]]</ref>。<br />
<br />
逮捕にあたったのはプロイセン州正規の警察と補助警察である[[突撃隊]]や[[親衛隊 (ナチス)|親衛隊]]であった。正規の警察によって逮捕された者は警察署や刑務所に収容されたので<ref name="高橋(2000)26">[[#高橋(2000)|高橋(2000)、p.26]]</ref>、それほど無法な扱いは受けなかったという<ref name="高橋(2000)31">[[#高橋(2000)|高橋(2000)、p.31]]</ref>。一方、補助警察である突撃隊や親衛隊によって逮捕された者は、彼らが独自に作った「私設強制収容所」に収容された<ref name="長谷川(1996)14">[[#長谷川(1996)|長谷川(1996)、p.14]]</ref>。これらの多くは空きビルや石炭置き場などを利用した簡易な収容所だったが、ここでは頻繁に残虐行為が行われたという<ref name="長谷川14"/>。私設収容所はベルリンを中心に40から60あったと言われる<ref name="高橋(2000)26">[[#高橋(2000)|高橋(2000)、p.26]]</ref><ref name="長谷川(1996)14"/>。<br />
<br />
保護拘禁による逮捕数が多くなってくると正規の警察が収容先に困るようになった<ref name="長谷川14">[[#長谷川|長谷川、p.14]]</ref>。強制収容所に収容する必要があったが、突撃隊の無法ぶりに眉をひそめていたゲーリングは強制収容所を突撃隊ではなく州の管理下に置きたかった。そこでゲーリングは、[[ベルリン]]郊外の[[オラニエンブルク]]の[[オラニエンブルク強制収容所]]、オランダ国境に近い[[エムスラント]]([[:de:Emsland|Emsland]])の[[エステルヴェーゲン強制収容所]]([[:de:KZ Esterwegen|KZ Esterwegen]])、[[オスナブリュック]]の[[パーペンブルク強制収容所]]([[:de:KZ Papenburg|Papenburg]])、[[メルセブルク]]の[[リヒテンブルク強制収容所]]([[:de:KZ Lichtenburg|KZ Lichtenburg]])、[[フランクフルト・アン・デア・オーダー]]の[[ゾネンブルク強制収容所]]([[:de:KZ Sonnenburg|KZ Sonnenburg]])、[[ポツダム]]の[[ブランデンブルク強制収容所]]([[:de:KZ Brandenburg|KZ Brandenburg]])の6つのみを州公認の強制収容所と定めた<ref name="高橋(2000)28">[[#高橋(2000)|高橋(2000)、p.28]]</ref><ref>[[#長谷川(1996)|長谷川(1996)、p.60-61]]</ref>。ついで1933年8月には突撃隊をプロイセン州の補助警察から外し、さらに10月には保護拘禁で逮捕した者は原則として州公認の強制収容所にのみ収容することを定めた<ref name="高橋(2000)27">[[#高橋(2000)|高橋(2000)、p.27]]</ref>。それ以外の私設収容所は1933年末頃までにあらかた片づけられ、1934年3月には全て解散した。しかし親衛隊と対立を深めたくないゲーリングは、親衛隊の私設収容所[[コロンビアハウス強制収容所]]([[:de:KZ Columbia|KZ Columbiahaus]])には手をつけず、この収容所は1936年まで存続した<ref>[[#長谷川(1996)|長谷川(1996)、p.60-62]]</ref>。<br />
<br />
ゲーリングは[[ニュルンベルク裁判]]において強制収容所は[[ボーア戦争]]の際に[[イギリス]]が[[南アフリカ]]に建設した強制収容所(concentration camp)をモデルにしたと証言している<ref name="高橋(2000)30">[[#高橋(2000)|高橋(2000)、p.30]]</ref><ref name="リュビー(1998)18">[[#リュビー(1998)|リュビー(1998)、p.18]]</ref>。ヒトラーも1941年に「強制収容所の発明者はドイツ人ではない。イギリス人だ。彼らはこの種の方法で諸民族を骨抜きにできると思っている」と述べている<ref name="リュビー(1998)18"/>。<br />
<br />
==== バイエルン ====<br />
[[File:Bundesarchiv Bild 183-R96361, Dachau, Konzentrationslager.jpg|thumb|250px|[[1933年]]、[[ダッハウ強制収容所]]に到着した囚人。訓示している人物は所長[[テオドール・アイケ]]と言われる。]]<br />
一方プロイセン州に次ぐ規模の州である[[バイエルン州]]でも突撃隊員と親衛隊員は保護拘禁した者を私設強制収容所に収容していた<ref name="長谷川(1996)63">[[#長谷川(1996)|長谷川(1996)、p.63]]</ref>。強制収容所の無政府状態を恐れたミュンヘン警察長官[[ハインリヒ・ヒムラー]]([[親衛隊全国指導者]])は、腹心の[[ラインハルト・ハイドリヒ]][[親衛隊上級大佐]](当時)に命じて、1933年3月22日に[[ミュンヘン]]郊外の[[第一次世界大戦]]中に火薬工場として使われていた建物と土地を使って[[ダッハウ強制収容所]]を設置させた<ref name="長谷川(1996)63"/>。このダッハウが最初のナチス強制収容所であるとする説もある。ヒムラーとハイドリヒの指揮の下、バイエルン州でも大勢の反ナチ派が保護拘禁されてダッハウ強制収容所へ送られていった。<br />
<br />
ダッハウの運営ははじめから親衛隊によって行われた。ヒムラーは1933年6月にダッハウ収容所第2代所長として後に全強制収容所総監となる[[テオドール・アイケ]][[親衛隊上級大佐]](当時)を任じている。アイケは「寛容は弱さのしるし」「国家の敵に憐みを持つ者はSSに値しない。そういう者は我が隊ではなく修道院へ行け」といったことを繰り返し看守に叩き込んだ<ref name="高橋(2000)37">[[#高橋(2000)|高橋(2000)、p.37]]</ref><ref name="長谷川(1996)64">[[#長谷川(1996)|長谷川(1996)、p.64]]</ref>。またアイケは後に全収容所で採用されることになる強制収容所の組織体制や罰則などをダッハウ強制収容所で最初に制定していった<ref name="長谷川(1996)67">[[#長谷川(1996)|長谷川(1996)、p.67]]</ref>。さらにダッハウ強制収容所の警備部隊を組織したが、これがのちに全強制収容所で警備を行う[[親衛隊髑髏部隊]](SS-TV)となる<ref name="高橋(2000)38">[[#高橋(2000)|高橋(2000)、p.38]]</ref>。<br />
<br />
ダッハウ強制収容所は第二次世界大戦でのドイツの敗戦まで存続し、もっとも古い強制収容所(プロイセンのオラニエンブルク強制収容所などは後に廃された)としてドイツとその影響下にある国のすべての強制収容所のモデル収容所となっていった。<br />
<br />
=== 親衛隊管理下の強制収容所(1934年‐1945年) ===<br />
==== 戦前期(1934年‐1939年) ====<br />
[[File:Bundesarchiv Bild 152-11-12, Dachau, Konzentrationslager, Besuch Himmlers.jpg|thumb|250px|1936年5月8日、[[ダッハウ強制収容所]]を視察する[[ハインリヒ・ヒムラー]]。]]<br />
1934年4月20日に[[ゲシュタポ]]の指揮権は[[ヘルマン・ゲーリング]]から[[親衛隊 (ナチス)|親衛隊]]の[[ハインリヒ・ヒムラー]]に譲られた。これをきっかけにプロイセン州の各強制収容所もヒムラーがゲーリング以上に大きな影響力を及ぼすようになった。内相[[ヴィルヘルム・フリック]]は1934年4月12日と4月26日に「保護拘禁規則」を制定し、保護拘禁の適用範囲や期限などを定めることで保護拘禁の乱用に制限をかけようとした<ref>[[#高橋(2000)|高橋(2000)、p.28-29]]</ref>。加えてこの規則は保護拘禁の制度は一時的な処置であっていずれは廃されることを強調していた<ref name="高橋(2000)33">[[#高橋(2000)|高橋(2000)、p.33]]</ref>。しかしながら保護拘禁規則はほとんど守られなかった。1935年春の内務省の幹部のメモには「保護拘禁規則は全く無視されている」とある<ref name="高橋(2000)29">[[#高橋(2000)|高橋(2000)、p.29]]</ref>。そして1938年1月には保護拘禁規則はむしろ保護拘禁の範囲を拡大させる親衛隊に都合のいい内容に改変されてしまった<ref name="高橋(2000)42-43">[[#高橋(2000)|高橋(2000)、p.42-43]]</ref>。<br />
<br />
1934年6月30日から7月初めにかけて発生した[[長いナイフの夜]]事件において突撃隊幹部はヒムラーやハイドリヒら親衛隊幹部の主導の下に粛清された。これがきっかけで突撃隊は凋落し、逆に親衛隊は突撃隊から独立を果たして急速に権力を拡大した。この事件後、全強制収容所の運営権が正式に親衛隊の所管となることが決まった。ヒムラーは早速ダッハウ強制収容所の所長[[テオドール・アイケ]]を'''全強制収容所監督官'''(Inspekteur der Konzentrationslager)に任じ、全ての強制収容所の運営をゆだねた。アイケはダッハウで組織した強制収容所警備部隊を拡張し、各強制収容所に配置した。この警備部隊は1936年3月29日に「[[親衛隊髑髏部隊]]」(SS-Totenkopfverbände)の名称が与えられ、アイケは'''親衛隊髑髏部隊総監'''(Generalinspekteur der SS-Totenkopfverbände)の肩書も得た。強制収容所監督官および親衛隊髑髏部隊総監(はじめアイケ、後に[[アウグスト・ハイスマイヤー]]、[[リヒャルト・グリュックス]])ははじめ[[親衛隊本部]](SS-Hauptamt)に属していたが、親衛隊本部から[[親衛隊作戦本部]](SS-FHA)が独立するとその第一局となった<ref name="コーエン(1957)18">[[#コーエン(1957)|コーエン(1957)、p.18]]</ref><ref name="栗原(1997)144">[[#栗原(1997)|栗原(1997)、p.144]]</ref>。<br />
<br />
[[File:Fotothek df ps 0006145 Denkmäler - Denkmale - Ehrenmäler - Ehrenmale ^ Ereignisd.jpg|thumb|left|250px|[[ブーヘンヴァルト強制収容所]]の模型]]<br />
1936年にはオラニエンブルクに新たに[[ザクセンハウゼン強制収容所]]が置かれ、かつてのオラニエンブルク強制収容所だった場所には強制収容所総監および髑髏部隊総監の本部が置かれることとなった。続いて1937年にはヴァイマルの郊外に[[ブーヘンヴァルト強制収容所]]が置かれた。ダッハウとザクセンハウゼンとブーヘンヴァルトの3つはそれぞれ南ドイツ・北ドイツ・中央ドイツに位置したことから、三大収容所としてドイツ国内の強制収容所の中心的な存在となった<ref name="コーゴン(2001)43">[[#コーゴン(2001)|コーゴン(2001)、p.43]]</ref>。他の中小強制収容所の多くは解体され、その囚人は三大収容所へ移されるか、あるいは三大収容所の'''外部労働隊'''(Außenkommando)として組み込まれた<ref name="コーゴン(2001)43"/>。また大収容所は次々と付属の収容所を設置するようになっていた(外部労働隊駐屯地が収容所へ発展した物が多い)。この関係において大収容所は'''基幹収容所'''(Stammlager)、付属収容所は'''外部収容所'''(Außenlager)と呼ばれていた<ref name="コーゴン(2001)48">[[#コーゴン(2001)|コーゴン(2001)、p.48]]</ref>。さらに[[オーストリア併合]]後の1938年には[[リンツ]]郊外にある良質な[[花崗岩]]採石場がある[[マウトハウゼン]]に[[マウトハウゼン強制収容所]]が設置され、オーストリアの中心的収容所となった<ref name="長谷川(1996)95">[[#長谷川(1996)|長谷川(1996)、p.95]]</ref><ref>[[#リュビー(1998)|リュビー(1998)、p.150-151]]</ref>。また同年の[[ズデーテン地方]]返還に合わせて、[[チェコスロバキア]]国境付近にやはり花崗岩採石場がある[[フロッセンビュルク]]([[:de:Flossenbürg|de]])に[[フロッセンビュルク強制収容所]]を設置した<ref name="長谷川(1996)88">[[#長谷川(1996)|長谷川(1996)、p.88]]</ref><ref>[[#リュビー(1998)|リュビー(1998)、p.127-128]]</ref>。1939年5月には[[フュルステンベルク]]([[:de:Fürstenberg/Havel|de]])郊外に女囚専用の[[ラーフェンスブリュック強制収容所]]が創設され<ref name="リュビー(1998)207">[[#リュビー(1998)|リュビー(1998)、p.207]]</ref>、1939年6月には[[ハンブルク]]郊外に[[ノイエンガンメ強制収容所]]が独立した<ref name="栗原(1997)224">[[#栗原(1997)|栗原(1997)、p.224]]</ref><ref name="リュビー(1998)190">[[#リュビー(1998)|リュビー(1998)、p.190]]</ref>。<br />
<br />
[[File:Bundesarchiv Bild 183-78612-0003, KZ Sachsenhausen, Häftlinge bei Zählappell.jpg|thumb|250px|1936年、[[ザクセンハウゼン強制収容所]]の囚人点呼。]]<br />
収容者ははじめ政治犯が中心であった。しかし1935年頃から「予防拘禁(Sicherungsverwahrung)」{{#tag:ref|「予防拘禁」とは1933年11月以来、ドイツ警察に認められていた「常習的犯罪者」に対する拘束権限である。政治的反対者を対象とする「保護拘禁」とは別物だった。前科2犯以上の「常習的犯罪者」は刑期が終了しても警察の判断で無期限に拘束することができるという制度である<ref name="高橋(2000)40">[[#高橋(2000)|高橋(2000)、p.40]]</ref>。|group=#}}を受けた「常習的犯罪者」も強制収容所へ送られてくるようになった<ref name="高橋(2000)41">[[#高橋(2000)|高橋(2000)、p.41]]</ref>。ヒムラーがドイツ警察長官になるとその傾向は強まった<ref name="高橋(2000)41"/>。さらに1937年には[[保安警察]]長官ハイドリヒが「あらゆる反社会分子を片っ端から強制収容所に入れろ」と命令するようになり<ref name="長谷川(1996)90">[[#長谷川(1996)|長谷川(1996)、p.90]]</ref>、同年末にはそれを正当化するために内務大臣より予防拘禁の範囲を拡大して「反社会分子」も対象とする旨の政令が出された<ref name="高橋(2000)41">[[#高橋(2000)|高橋(2000)、p.41]]</ref>。「反社会分子」には[[暴力団]]、[[売春婦]]、[[乞食]]、[[浮浪者]]や[[ジプシー]]([[ロマ]])のような住所不特定の者、労働忌避者、[[同性愛]]者、[[アルコール中毒]]者、訴訟を大量に起こしている者、交通規則違反者、絶えず職場に遅刻する者、無断で休暇を取る者、自分の職務以外の仕事を勝手に引き受けている者など広範な者が含まれた<ref name="高橋(2000)41"/><ref name="長谷川(1996)91">[[#長谷川(1996)|長谷川(1996)、p.91]]</ref><ref name="栗原(1997)224">[[#栗原(1997)|栗原(1997)、p.224]]</ref><ref name="コーエン(1957)26">[[#コーエン(1957)|コーエン(1957)、p.26]]</ref>。<br />
<br />
1938年1月には1934年4月に制定された内務省の「保護拘禁規則」が改定された。保護拘禁の対象は政治的敵対者に限定せず、「その行動が民族や国家に危険を及ぼす者」全てに適用されることとなった。これによりこれまで予防拘禁によって強制収容所へ送られていた「常習的犯罪者」や「反社会分子」も保護拘禁によって連れてこられるようになった。そして保護拘禁の権限は[[ゲシュタポ]]にしかないことが明示された<ref name="高橋(2000)42-43"/>。<br />
<br />
1938年半ばから[[ユダヤ人]]も「反社会分子」とみなされるようになりはじめ<ref name="栗原(1997)224"/>、1938年11月9日の[[水晶の夜]]事件後には事件で逮捕された[[ユダヤ人]]が3万人も一挙に強制収容所に移送されたため、一時は強制収容所の囚人のほとんどがユダヤ人と化した。ただし水晶の夜の際に逮捕されたユダヤ人は国外へ移住することを条件としてほとんどが数週間にして釈放されているため、このときのユダヤ人の囚人の急増は一時的なものだった<ref name="高橋(2000)45">[[#高橋(2000)|高橋(2000)、p.45]]</ref><ref name="長谷川(1996)80">[[#長谷川(1996)|長谷川(1996)、p.80]]</ref><ref name="リュビー(1998)20">[[#リュビー(1998)|リュビー(1998)、p.20]]</ref>。ユダヤ人の収容が増えるのはあくまで戦時中である。[[エホバの証人]]は早くも1935年頃から保護拘禁によって収容されはじめている<ref name="高橋(2000)41">[[#高橋(2000)|高橋(2000)、p.41]]</ref>。1937年にはエホバの証人のあらゆる教派が強制収容所送りにされるようになった<ref name="高橋(2000)42">[[#高橋(2000)|高橋(2000)、p.42]]</ref>。彼らが[[反戦]]思想によって[[徴兵]]に応じず、さらに空襲避難訓練にも参加しないことがナチ党政権の癇に障ったとみられる<ref name="ベーレンバウム(1996)91">[[#ベーレンバウム(1996)|ベーレンバウム(1996)、p.91]]</ref><ref name="長谷川(1996)93">[[#長谷川(1996)|長谷川(1996)、p.93]]</ref>。<br />
<br />
親衛隊が強制収容所送りにする者を増加させていた背景には労働力の確保という問題もあったようである。ハイドリヒの1938年6月の命令にそれが明確に表れている。「[[四カ年計画]]の完全な実施のためには全ての労働可能な労働力の投入を必要としている。反社会分子が労働を免れることで四カ年計画の達成を妨害することは許されない」<ref name="高橋(2000)43">[[#高橋(2000)|高橋(2000)、p.43]]</ref>。<br />
<br />
1937年までは強制収容所の囚人は反ナチ派の政治犯が一番の多数派だったが、1938年と1939年には刑事犯が多数派を占めている<ref name="長谷川(1996)94">[[#長谷川(1996)|長谷川(1996)、p.94]]</ref>。刑事犯が囚人の多数派になったのはハイドリヒが政治警察ゲシュタポとともに[[刑事警察 (ドイツ)|刑事警察(クリポ)]]を所管していたことが関係していると思われる<ref name="長谷川(1996)79">[[#長谷川(1996)|長谷川(1996)、p.79]]</ref>。<br />
<br />
第二次世界大戦開戦直前の全ドイツの強制収容所の囚人数は2万5000人ほどであったとみられる<ref name="長谷川(1996)111">[[#長谷川(1996)|長谷川(1996)、p.111]]</ref><ref name="ラカー(2003)175">[[#ラカー(2003)|ラカー(2003)、p.175]]</ref>{{#tag:ref|一方、栗原優著『ナチズムとユダヤ人絶滅政策 <small>ホロコーストの起源と実態</small>』によると第二次世界大戦開戦当時の全強制収容所囚人数は2万1400人であるという。|group=#}}。これらの囚人はほとんどが刑事犯か政治犯の[[ドイツ人]]([[オーストリア人]]含む)であった<ref name="長谷川(1996)115">[[#長谷川(1996)|長谷川(1996)、p.115]]</ref>。<br />
<br />
==== 戦時中(1939年‐1945年) ====<br />
===== 強制収容所 =====<br />
[[File:Latrinen und Baracken in Auschwitz.jpg|thumb|250px|[[アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所]]のビルケナウ収容所の囚人バラック]]<br />
[[第二次世界大戦]]中、[[ドイツ国 (1933年-1945年)|ナチス・ドイツ]]は[[ヨーロッパ]]のほぼ全域を占領。占領下のヨーロッパ各地にも強制収容所を次々と建設していった。1939年9月、ポーランド侵攻戦の最中に[[自由都市ダンツィヒ|ダンツィヒ]]郊外に[[シュトゥットホーフ強制収容所]]が設置された<ref name="リュビー(1998)276">[[#リュビー(1998)|リュビー(1998)、p.276]]</ref>。1940年4月、[[ハインリヒ・ヒムラー]]は、[[ポーランド侵攻]]後にポーランドから奪ってドイツ本国領に組み込んでいた[[オシフィエンチム|アウシュヴィッツ(ポーランド名オシフィエンチム)]]に巨大強制収容所の建設を命じた<ref name="リュビー(1998)276">[[#リュビー(1998)|リュビー(1998)、p.276]]</ref>。これがナチス強制収容所の中でも最も悪名高い[[アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所]]となる。1940年夏に[[ヴロツワフ|ブレスラウ]]郊外に[[グロース・ローゼン強制収容所]]、1941年夏に[[ルブリン]]郊外に[[マイダネク強制収容所]]、1941年秋に[[フランス]]・[[アルザス=ロレーヌ|エルザス]]地方に[[ナッツヴァイラー強制収容所]]と大規模収容所が次々と設置された。1943年春には[[ラトビア]]の[[リガ]]に[[カイザーヴァルト強制収容所]]、[[ニーダーザクセン州]]に[[ベルゲン・ベルゼン強制収容所]]が設置されている。<br />
<br />
開戦とともに強制収容所の数が急増したのは、収容せねばならない者の数が急増したためである。まず占領地の反独的な外国人の収容が必要になった。加えてドイツ国内においても戦時中の治安維持のため、反体制分子の収容が改めて徹底する必要があった。一度は釈放した政治犯などが再び収容されたり、兵役に服さない者が狙われて収容されたり、反戦的な聖職者、経済犯や職場放棄者の収容も増えていった<ref name="長谷川(1996)115">[[#長谷川(1996)|長谷川(1996)、p.115]]</ref>。<br />
<br />
1941年6月に独ソ戦がはじまるとソ連兵捕虜も大量に強制収容所へ送られるようになった。ソ連捕虜の強制収容所への収容はソ連が[[ジュネーブ条約]]に加盟していないことを理由とされた<ref name="高橋51">[[#高橋|高橋、p.51]]</ref>。親衛隊から下等人種とみなされていた[[スラブ民族]]([[ロシア人]]や[[ポーランド人]]、[[チェコ人]]など。親衛隊は東方諸民族とも呼んだ。)は絶滅対象である[[ユダヤ人]]や[[ジプシー]]を除けば収容所の中でもっとも劣悪な扱いを受けていた(一方オランダ人・ベルギー人・ノルウェー人・デンマーク人などは同じゲルマン民族とみなされたため、収容所内でも比較的待遇が良く、ドイツ人囚人に次ぐ扱いを受けていた)<ref name="長谷川(1996)115">[[#長谷川(1996)|長谷川(1996)、p.115]]</ref>。<br />
<br />
こうして囚人総数は1939年9月の開戦時の2万5000人から1942年3月までには10万人近くまで跳ね上がることとなった<ref name="高橋(2000)51">[[#高橋(2000)|高橋(2000)、p.51]]</ref>。1939年9月から1940年春は収容所の状況が悪化し、どこの収容所でも死者が大量に発生した<ref name="高橋(2000)50">[[#高橋(2000)|高橋(2000)、p.50]]</ref>。収容所数がまだ少ない時期に囚人数が急に増えたことやドイツの食糧事情悪化でそうなっていったのだが、その後、数年間は収容所の状態が落ち着いた。戦争経済に奉仕する労働力となる強制収容所に価値が置かれ、食料も一般国民よりむしろ優先的に支給されたためだった。<br />
<br />
[[File:Bundesarchiv Bild 192-038, KZ Mauthausen, Besuch Himmler.jpg|thumb|250px|1941年4月、[[マウトハウゼン強制収容所]]を視察する[[ハインリヒ・ヒムラー]]]]<br />
1940年8月と1941年1月に[[国家保安本部]]長官ハイドリヒは強制収容所の格付けを行った。最も罪の軽い者を収容する第一カテゴリー(ダッハウ、ザクセンハウゼン)、重い罪科を犯したが、再教育の見込みのある者を収容する第二カテゴリー(ブーヘンヴァルト、フロッセンビュルク、ノイエンガンメ、アウシュヴィッツ=ビルケナウ)、再教育の見込みのない重罪者を収容する第三カテゴリー(マウトハウゼン)といった具合に定めた。しかし実態をあまり反映していない区分であり、このようなカテゴリーが設けられたのはさも強制収容所がまともな犯罪者隔離施設であるかのように見せかけるためのカムフラージュではないかという説もある<ref name="リュビー(1998)69">[[#リュビー(1998)|リュビー(1998)、p.69]]</ref><ref name="長谷川(1996)97">[[#長谷川(1996)|長谷川(1996)、p.97]]</ref>。<br />
<br />
1942年3月16日をもって強制収容所監督府は親衛隊作戦本部指揮下から[[オズヴァルト・ポール]]の[[親衛隊経済管理本部]](SS-WVHA)のD局に移行した<ref name="栗原(1997)144"/><ref name="コーゴン(2001)43">[[#コーゴン(2001)|コーゴン(2001)、p.43]]</ref><ref name="高橋(2000)56">[[#高橋(2000)|高橋(2000)、p.56]]</ref><ref name="山下(2010)139">[[#山下(2010)|山下(2010)、p.139]]</ref>。この編成変えは総力戦体制が強まる中、強制収容所の役割は危険分子の隔離の面よりも奴隷労働力の供給源としての側面の方が注目されるようになったことを示している<ref name="栗原(1997)144"/>。囚人労働力が重視されるに従って長時間の点呼、無意味な虐待・処罰などはどんどん制限されていった。また報酬制度も導入され、よく働く囚人には拘禁条件の緩和や食糧、タバコ、金銭などの支給、慰安所の利用許可などの特典が与えられるようになった<ref>[[#高橋(2000)|高橋(2000)、p.54-55]]</ref>。<br />
<br />
最終的にナチス強制収容所に送り込まれた人の総数を正確に割り出すことは難しいが、推定で800万人から1000万人ほどであろうという説がある。しかしこのうち平均的な常時収容者(ある一定の時点にいつも収容所にいた人々)の数は100万人を超えることはなかったと思われる<ref name="コーゴン(2001)48">[[#コーゴン(2001)|コーゴン(2001)、p.48]]</ref>。<br />
<br />
強制収容所の囚人数は1944年以降に急速に伸びた。1943年8月には囚人総数は22万4000人だったが、1944年8月15日には52万4286人、1945年1月15日には71万4211人に達している<ref name="栗原(1997)166">[[#栗原(1997)|栗原(1997)、p.166]]</ref>。ゲットーの親衛隊企業で働いていたユダヤ人たちが続々と付属収容所に収容されるようになったのが原因である<ref name="栗原(1997)166"/>。1944年3月31日の段階では基幹収容所の数は20、それに付属する外部収容所は165存在していた。連合国の接近で1945年1月には基幹収容所の数は13に減ったが、外部収容所の数の方は逆に急増して662にもなっている。戦時中の外部収容所の総計は1200にも及ぶといわれる<ref name="栗原(1997)225">[[#栗原(1997)|栗原(1997)、p.225]]</ref>。<br />
<br />
解放までの最後の8カ月から4カ月の強制収容所は過密になりすぎて飢餓と伝染病が蔓延して地獄と化していた<ref name="コーゴン(2001)48"/>。<br />
<br />
===== 絶滅収容所化した強制収容所 =====<br />
[[File:Judenrampe 003.JPG|thumb|250px|ユダヤ人が詰め込まれた移送列車]]<br />
[[File:Bundesarchiv Bild 183-N0827-318, KZ Auschwitz, Ankunft ungarischer Juden.jpg|thumb|250px|アウシュヴィッツに到着した[[ハンガリー]]・ユダヤ人達]]<br />
ヒトラーは1941年には全ヨーロッパのユダヤ人を絶滅させることを決意した。1941年7月31日には[[ヘルマン・ゲーリング]]からの文書で[[ラインハルト・ハイドリヒ]]が「[[ユダヤ人問題の最終的解決]]」の委任を受けている<ref name="ヒルバーグ(1997)上304">[[#ヒルバーグ(1997)上|ヒルバーグ(1997)、上巻p.304]]</ref>。また[[ゲシュタポ]]のユダヤ人課課長[[アドルフ・アイヒマン]]によると1941年夏の終わりに彼はハイドリヒに呼び出され「私は今ちょうど[[親衛隊全国指導者]]のところから戻ってきたところだ。総統はユダヤ人の肉体的抹殺を命令された」と通達されたという<ref name="ヒルバーグ(1997)上304">[[#ヒルバーグ(1997)上|ヒルバーグ(1997)、上巻p.304]]</ref>。[[アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所]]所長[[ルドルフ・フェルディナント・ヘス]]によると1941年8月に親衛隊全国指導者[[ハインリヒ・ヒムラー]]に呼び出され、ヒトラーがユダヤ人絶滅を決定したことを告げられたという<ref name="長谷川(1996)153">[[#長谷川(1996)|長谷川(1996)、p.153]]</ref>。そして1942年1月20日にハイドリヒが主催した[[ヴァンゼー会議]]において「ユダヤ人問題の最終的解決」が正式に宣言された<ref name="ベーレンバウム(1996)223">[[#ベーレンバウム(1996)|ベーレンバウム(1996)、p.223]]</ref>。<br />
<br />
ヒトラーの意思を実現するためにヒムラーは[[絶滅収容所]](Vernichtungslager、ファアニヒトウングスラーガー)の建設を開始させた。絶滅収容所には大きく分けて二種類あった。一つは[[親衛隊経済管理本部]]の管轄下になく、強制収容所(Konzentrationslager)とは別物の収容所である。もう一つは強制収容所に絶滅収容所の役割が加えられた親衛隊経済管理本部管轄下の収容所である。前者はただひたすら殺戮のみを行う純然たる絶滅収容所であるが、後者は強制収容所と絶滅収容所の役割を併せ持っていたので、選別が行われていた。選別によって労働不可と判断された者は[[ガス室]]へ送られたが、労働可能と判断された者は労働力としての価値がなくなるまでは生存を許され、収容所の中で働かされていた<ref>[[#高橋(2000)|高橋(2000)、p.60-61]]</ref>。この節では後者について取り扱う。前者については[[#絶滅収容所|下の節]]を参照。<br />
<br />
強制収容所と絶滅収容所の役割を兼ね備えた強制収容所は2つ存在した。[[アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所]]と[[マイダネク]](ルブリン強制収容所)である<ref name="ラカー(2003)319">[[#ラカー(2003)|ラカー(2003)、p.319]]</ref><ref name="リュビー(1998)360">[[#リュビー(1998)|リュビー(1998)、p.360]]</ref>。マイダネクはポーランド総督府領内のルブリン地区およびワルシャワ地区、ならびにフランスから送られてくるユダヤ人・ジプシーの殺戮を担当していた。一方アウシュヴィッツは地域が限定されず、全ヨーロッパから送られてきたユダヤ人・ジプシーを殺戮していた<ref name="栗原(1997)228">[[#栗原(1997)|栗原(1997)、p.228]]</ref><ref name="ヒルバーグ(1997)下170">[[#ヒルバーグ(1997)上|ヒルバーグ(1997)、下巻p.170]]</ref>。<br />
<br />
1941年8月にヒムラーは、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所所長ルドルフ・ヘスをベルリンの親衛隊本部に召集し、アウシュヴィッツ強制収容所をユダヤ人殺害センター、すなわち絶滅収容所にすることを命じた。ヘスはアウシュヴィッツに戻るとただちにソ連兵捕虜を使って[[チクロンB]]のガス実験を行った。チクロンBは一酸化炭素よりも手っ取り早く確実であると判断してこれを毒ガスに使うこととした<ref>[[#長谷川(1996)|長谷川(1996)、p.153-154]]</ref>。<br />
<br />
1941年10月からアウシュヴィッツでユダヤ人のガス処理が開始された。1942年には双子収容所のビルケナウ強制収容所にもガス室が置かれ、こちらがアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所のガス殺の中心となっていく<ref name="長谷川(1996)153">[[#長谷川(1996)|長谷川(1996)、p.153]]</ref>。アウシュヴィッツの犠牲者数は今日に至るまで確定しておらず、諸説あるが、専門家の推定は多くはアウシュヴィッツでガス殺されたユダヤ人を100万人から150万人の間ぐらいであろうと見ている<ref name="長谷川(1996)158">[[#長谷川(1996)|長谷川(1996)、p.158]]</ref>。ただしアウシュヴィッツは絶滅収容所であるだけでなく、強制労働収容所でもあり続け、ガス室に送られずとも「労働を介しての絶滅」させられたユダヤ人が多数いる<ref name="長谷川(1996)158"/>。一方マイダネクで絶滅させられたユダヤ人の数は[[ラウル・ヒルバーグ]]によれば5万人であるという<ref name="リュビー(1998)360">[[#リュビー(1998)|リュビー(1998)、p.360]]</ref>。<br />
<br />
=== 解放 ===<br />
[[File:Buchenwald Infirmary LIberated Prisoners.jpg|thumb|200px|1945年4月、米軍が解放した際に撮影された[[ブーヘンヴァルト強制収容所]]の囚人たち。]]<br />
[[File:The Liberation of Bergen-belsen Concentration Camp, April 1945 BU3760.jpg|thumb|200px|1945年4月、英軍が解放した際に撮影された[[ベルゲン・ベルゼン強制収容所]]の囚人の遺体。]]<br />
1944年から1945年にかけて強制収容所は[[アメリカ軍]]、[[イギリス軍]]、[[ソビエト連邦|ソ連]][[赤軍]]によって次々と解放されていった。<br />
<br />
最初に解放された強制収容所は[[マイダネク]]だった。[[1944年]][[7月23日]]に赤軍がここに到着したのだった。しかしこの時すでにマイダネクの囚人はアウシュヴィッツへ移送されており、ほとんどいなくなっていた<ref name="リュビー(1998)360">[[#リュビー(1998)|リュビー(1998)、p.360]]</ref>。ソ連の通信員は次のように報道している<ref name="ベーレンバウム(1996)392">[[#ベーレンバウム(1996)|ベーレンバウム(1996)、p.392]]</ref>。「私はマイダネクで今まで見たことのないおぞましい光景を見た。ヒトラーの悪名高き絶滅収容所である。ここで50万人以上の男女、子供が殺された。これは強制収容所などではない。殺人工場だ。ソ連軍が入った時、収容所は生ける屍になった収容者が1000人程度が残されているだけだった。生きてここを出られた者はほとんどいなかったのである。連日のように何千人もの人が送り込まれてきて残忍に殺されていったのだ。ここのガス室には人々が限界まで詰め込まれたため、死亡したあとも死体は直立したままであった。私は自分の目で見たにもかかわらずいまだに信じられない。だがこれは事実なのだ。」<ref>[[#ベーレンバウム(1996)|ベーレンバウム(1996)、p.392-393]]</ref>。ソ連はマイダネクの撮影を行ってアメリカやイギリスにそのフィルムを送ったが、このフィルムはドイツ人はもちろんアメリカ人やイギリス人も共産主義者のプロパガンダと看做した<ref name="ベーレンバウム(1996)394">[[#ベーレンバウム(1996)|ベーレンバウム(1996)、p.394]]</ref>。続いて1945年1月27日にソ連軍は[[アウシュヴィッツ強制収容所]]に到着した<ref name="リュビー(1998)308">[[#リュビー(1998)|リュビー(1998)、p.308]]</ref>。アウシュヴィッツもすでに撤収済みであり、アウシュヴィッツに残っていたのは衰弱して歩けない囚人7000人程度だった(歩ける者は[[死の行進]]で別の収容所へ歩かされていた)<ref name="ベーレンバウム(1996)394"/><ref name="リュビー(1998)309">[[#リュビー(1998)|リュビー(1998)、p.309]]</ref>。マイダネク解放の宣伝効果があまりなかったせいか、ソ連はアウシュヴィッツ解放を当初あまり宣伝しなかった。1945年5月頃になってようやくアウシュヴィッツについての宣伝を行う様になった<ref name="ベーレンバウム(1996)396">[[#ベーレンバウム(1996)|ベーレンバウム(1996)、p.396]]</ref>。<br />
<br />
1945年4月11日にはアメリカ軍が[[ブーヘンヴァルト強制収容所]]を解放した<ref name="リュビー(1998)88">[[#リュビー(1998)|リュビー(1998)、p.88]]</ref>。激戦を潜り抜け、多少の悲惨さでは驚かなくなっていたアメリカ兵たちもブーヘンヴァルトの惨状には言葉を失った。収容所内に散乱した死体が4月の日差しで腐臭を放ち、生存者も骸骨のようにやせ細っていた<ref>[[#ベーレンバウム(1996)|ベーレンバウム(1996)、p.20-22]]</ref>。あるアメリカ兵は「軍隊生活で嫌になるほど死体を見てきたが、薪のように積み上げられた死体を見たのは初めてだった。死体の山は6メートルにわたり、手がなんとか届く高さにまで山積みにされていた。まるで薪が積み上げられているみたいだった。」と書いた<ref name="ベーレンバウム(1996)22">[[#ベーレンバウム(1996)|ベーレンバウム(1996)、p.22]]</ref>。ブーヘンヴァルトの惨状を見た[[ジョージ・パットン]]将軍は激怒し、憲兵たちに[[ワイマール]]市民2000人をブーヘンヴァルトに連行してくるよう命じた。連行されてきたワイマール市民たちに対してパットン将軍は「人間が同じ人間に対して行ったこの驚くべき残虐行為の証人になれ」と命じ、収容所の中を見させた<ref name="ベーレンバウム(1996)22">[[#ベーレンバウム(1996)|ベーレンバウム(1996)、p.22]]</ref>。続いて4月29日にアメリカ軍は[[ダッハウ強制収容所]]を解放した<ref name="リュビー(1998)112">[[#リュビー(1998)|リュビー(1998)、p.112]]</ref>。アメリカの従軍記者は「ダッハウはアメリカがこの戦争を戦った理由である。殺戮された犠牲者たちの血の臭いが地面にしみ込んでいる。ダッハウはドイツの歴史の汚点として永遠に残るだろう」と書いた<ref name="ベーレンバウム(1996)403">[[#ベーレンバウム(1996)|ベーレンバウム(1996)、p.403]]</ref>。しかしダッハウでアメリカ兵たちは冷静さを失い、看守のSS隊員に対して虐殺を行った。SS隊員たちを殴りつけて囚人たちの前に引きずり出し、囚人たちに殺すか殺さないかを決めさせ、殺すことに決まったSS隊員はアメリカ兵たちによって銃殺された<ref name="ベーレンバウム(1996)403"/>。<br />
<br />
1945年4月15日にはイギリス軍が[[ベルゲン・ベルゼン強制収容所]]を解放した。ベルゲン・ベルゼンは伝染病と飢餓が蔓延して悲惨な状況だった。この収容所では数ヶ月前に『[[アンネの日記]]』を書いたユダヤ人少女[[アンネ・フランク]]が死亡していた。イギリス人将校は「誰もがこの場所に来て、彼らの顔を、歩き方を、弱りきった動きを見るべきだと思う。一日に300人ものユダヤ人が死んでいくが、彼らを救う手立ては何もない。もう手遅れだったのだ。小屋の側にはたくさんの死体が転がっている。囚人たちはせめて太陽の下で死のうと小屋から最後の力を振り絞って出てくる。私は最後の弱々しい「旅」をする彼らの姿を見ていることしかできなかった。」と書いた<ref name="ベーレンバウム(1996)398">[[#ベーレンバウム(1996)|ベーレンバウム(1996)、p.398]]</ref>。イギリス軍も地元のドイツ住民を連行してくると彼らに収容所の状況を見させた。イギリス軍は彼らに「貴方たちがこれからここで見る物はナチが犯した釈明しようもない犯罪の証拠である。連合国がナチを根絶するためにいかなる手段をとろうとも、それは正当化される。貴方達がこれからここで見る物はまさにドイツ国民の恥辱であり、ドイツという国名を文明国の中から抹消しなければいけないほどのものである。」と通告した<ref name="ベーレンバウム(1996)400">[[#ベーレンバウム(1996)|ベーレンバウム(1996)、p.400]]</ref>。<br />
<br />
=== ドイツ降伏後 ===<br />
ナチス党本部にあったハーケンクロイツが爆破された後、今度は連合軍(米英仏ソ)によるドイツ軍捕虜の収容の手段として、また、[[ドイツ人追放]]の一環として、かつての欧州枢軸軍占領国に居たドイツ人民間人([[民族ドイツ人]])の多くが、各地の強制収容所に収容されることになった。これらの連合軍によるドイツ軍捕虜や、かつての被占領国による民族ドイツ人民間人の強制収容による人的被害は、一部の著名な事件(アイゼンハワー大統領が主導したライン河畔収容所、チェコのズデーテン地方における民族ドイツ人の大量虐殺など)を除いては、明らかにされていない。単にドイツ降伏後に約100万人ほどのドイツ軍捕虜と、各地の[[民族ドイツ人]]約200万人が死亡または行方不明になったと言う統計の中に含まれるのみである。<ref>Nigel Jones、書評『ライヒが崩壊してから』(G. MacDonogh)</ref><br />
<br />
このようなドイツ人に対する処遇は、戦後の混乱期、米ソ冷戦が激化し、ドイツの西側占領地区(西ドイツ、西ベルリン)を反共防波堤として仕立てあげる必要に西側諸国が迫られるまで続いた。<br />
<br />
== 収容所の組織体制 ==<br />
=== 看守 ===<br />
1934年以来、すべての強制収容所は、'''強制収容所監督官'''の管轄下にあった。[[テオドール・アイケ]]、後に[[リヒャルト・グリュックス]]が強制収容所監督官に就任した<ref name="コーエン18">[[#コーエン|コーエン、p.18]]</ref>。強制収容所監督官府ははじめ[[親衛隊本部]](SS-HA)に属していたが、親衛隊本部から[[親衛隊作戦本部]](SS-FHA)が独立するとそちらに移され、ついで1942年3月16日には[[親衛隊経済管理本部]](SS-WVHA)のD部集団として再編された<ref name="コーエン18"/>。<br />
<br />
各強制収容所には、'''司令部'''(Kommandantur)があり、その下に'''司令部幕僚部'''(Kommandanturstab)と'''保護拘禁収容所指導部'''(Schutzhaftlagerführung)があった。これらの部局外に収容所の警備を行う'''監視隊'''(Wachmannshaften)があった<ref name="コーゴン70">[[#コーゴン|コーゴン、p.70]]</ref>。<br />
<br />
==== 司令部 ====<br />
[[File:Bundesarchiv Bild 192-095, KZ Mauthausen, Franz Ziereis mit SS-Männern.jpg|thumb|250px|[[マウトハウゼン強制収容所]]所長[[フランツ・ツィライス]][[親衛隊中佐]](当時)と部下の看守たち。]]<br />
収容所全体のトップは、司令部の長である'''所長'''(司令官)(Kommandant)である。所長は強制収容所の絶対的支配者であり、強制収容所監督官に対してのみ責任を負った。大きな収容所では所長は[[親衛隊上級大佐]]から[[親衛隊少佐]]ぐらいの階級の者たちが多い<ref name="高橋112">[[#高橋|高橋、p.112]]</ref>。大抵は[[親衛隊大佐]]か[[親衛隊中佐]]であった<ref name="コーゴン70"/>。分所など小規模な収容所には下士官の所長もみられる<ref name="コーゴン70"/><ref name="高橋112"/><ref name="長谷川99">[[#長谷川|長谷川、p.99]]</ref>。所長には'''副官'''(Adjutant)がつけられており、副官が所長の命令が収容所全体で実行されるよう万事の手配をした<ref name="コーゴン70"/><ref name="高橋112"/><ref name="長谷川99">[[#長谷川|長谷川、p.99]]</ref>。また所長の指揮下にない収容所監視隊との連絡役も副官が務めた<ref name="長谷川99"/>。<br />
<br />
==== 司令部幕僚部(管理部) ====<br />
司令部幕僚は司令部に属する。管理部ともいう<ref name="コーゴン70"/>。そのトップは'''管理指導者'''(Verwaltungsführer)である<ref name="高橋114">[[#高橋|高橋、p.114]]</ref><ref name="コーゴン70"/>。この職位にある者が食糧や被服など収容所の経理事務のすべてを預かっていた<ref name="高橋114">[[#高橋|高橋、p.114]]</ref><ref name="コーエン20">[[#コーエン|コーエン、p.20]]</ref>。業務の範囲が広いため、大きな収容所では管理指導者には10人近い下士官が補助要員としてつけられていた<ref name="コーゴン70"/><ref name="長谷川100">[[#長谷川|長谷川、p.100]]</ref>。<br />
<br />
==== 保護拘禁収容所指導部 ====<br />
保護拘禁収容所指導部も司令部に属する。「保護拘禁収容所(Schutzhaftlager)」とは囚人が収容される区域を指す。その長である保護拘禁収容所指導者(Schutzhaftlagerführer)は収容所所長の指揮の下に囚人を直接に管理した<ref name="高橋112"/>。保護拘禁収容所指導者は3名まで増やすことができ、一日交代で勤務にあたった<ref name="コーゴン70"/><ref name="長谷川99">[[#長谷川|長谷川、p.99]]</ref>。[[親衛隊大尉]]から[[親衛隊少尉]]ぐらいの階級の者が務めた<ref name="長谷川99"/>。<br />
<br />
[[File:Bundesarchiv Bild 183-78612-0010, KZ Sachsenhausen, SS-Unterführer beim Zählappell.jpg|thumb|250px|[[1936年]]、[[ザクセンハウゼン強制収容所]]。<br>ブロック指導者(Blockführer)達から各ブロックの点呼の報告を受ける連絡指導者(Rapportführer)]]<br />
保護拘禁収容所指導者の下には'''連絡指導者'''(Rapportführer)がいた。囚人の状態などを保護拘禁収容所指導者に報告し、また保護拘禁収容所指導者の命令が保護拘禁収容所において遂行されているか監督するのが役割だった<ref name="長谷川100"/>。連絡指導者は抑留者の状態を正確に把握している必要があったため、ゲシュタポの出先機関である「政治局」とは別に抑留者内にスパイを放っていた<ref name="高橋113">[[#高橋|高橋、p.113]]</ref>。連絡指導者はたいてい2名おり、交代で務めた<ref name="コーゴン70"/>。連絡指導者には[[親衛隊曹長]]階級の者が就任するのが通常だった<ref name="長谷川100"/>。<br />
<br />
連絡指導者の下には'''ブロック指導者'''(Blockführer)がいる。彼らがそれぞれのブロックの囚人を直接管理した。ブロック指導者は一人につき、大体2個か3個のブロックを担当した<ref name="高橋113"/>。[[親衛隊軍曹]]、[[親衛隊伍長]]、[[親衛隊兵長]]ぐらいの階級の者が多かった<ref name="コーゴン71">[[#コーゴン|コーゴン、p.71]]</ref>。囚人に最も身近に接する役職であり、囚人たちの命にほとんど無制限の権利を有したため、数々の残虐行為を起こした<ref name="コーゴン71"/><ref name="長谷川100"/>。ブロック指導者は戦前は[[親衛隊髑髏部隊]](SS-TV)から選ばれていたが、戦中には収容所職員が就任した<ref name="高橋112">[[#高橋|高橋、p.112]]</ref>。<br />
<br />
囚人の労働を監督したのが、'''労働指導者'''(Arbeitsdienstführer)だった<ref name="高橋113"/>。戦時中、強制収容所の奴隷労働力が重視されるにしたがってその権限は大きくなり、1942年には労務指導者の上位職として労働配置指導者(Arbeitseinsatzführer)が置かれた<ref name="高橋113"/><ref name="コーゴン71"/>。どの囚人に何の労働をさせるかは彼らによって決定された。囚人を危険な労働に配置転換させる権限を有したため、彼らも囚人の生死にかなり関与することが多かった<ref name="コーゴン71">[[#コーゴン|コーゴン、p.71]]</ref><ref name="長谷川100">[[#長谷川|長谷川、p.100]]</ref>。<br />
<br />
その下で囚人の労働を直接に取り扱ったのが、'''作業班指導者'''(Kommandoführer)である<ref name="高橋114">[[#高橋|高橋、p.114]]</ref><ref name="コーゴン71"/>。彼らもブロック指導者と並んで直接に囚人と関与し、その生命に無制限の権利を有していた<ref name="コーゴン71"/>。しかし作業班が増えてくると作業班の指揮は囚人職のカポにゆだねられることが多くなった<ref name="高橋114"/>。<br />
<br />
==== 政治局 ====<br />
各収容所内には'''政治局'''(Politische Abteilung)という部署が置かれていた。これは収容所の機関というより[[ゲシュタポ]]の出先機関である<ref name="高橋115">[[#高橋|高橋、p.115]]</ref><ref name="長谷川99">[[#長谷川|長谷川、p.99]]</ref><ref name="コーゴン71"/><ref name="コーエン20">[[#コーエン|コーエン、p.20]]</ref>。<br />
<br />
名目上はこれも所長の司令部に属していたのだが、実態はほとんど独立していた<ref name="長谷川101">[[#長谷川|長谷川、p.101]]</ref>。強制収容所の日常の運営は強制収容所総監(すなわち、その部下である各強制収容所所長)にゆだねられていたが、強制収容所の囚人の収容と釈放と裁判に関してはゲシュタポに決定権があったため、収容所内にもゲシュタポの機関が存在する必要があったのである<ref name="高橋115"/><ref name="長谷川101"/><ref>[[#コーエン|コーエン、p.20-21]]</ref>。また収容所内部の地下活動(抵抗組織、サボタージュ、脱走計画、外部との接触など)を取り締まる役職でもあった。そのため収容所の囚人をわずかな特権を見返りにスパイにしたてあげて、収容所内にスパイ網を築いていた<ref name="長谷川101"/>。<br />
<br />
政治局はしばしば突然スピーカーで囚人を呼びだして拷問を行ったという<ref name="コーゴン72">[[#コーゴン|コーゴン、p.72]]</ref>。個々の囚人も身元や経歴を記載した個人カードも政治局が所管していた<ref name="長谷川101"/>。<br />
<br />
==== 監視隊 ====<br />
収容所の警備を担当する[[親衛隊髑髏部隊]](SS-TV)は、各収容所に警備を行う部隊として'''監視隊'''(Wachmannshaften)を配置していた<ref name="コーゴン73">[[#コーゴン|コーゴン、p.73]]</ref>。この監視隊は親衛隊髑髏部隊の指揮官の指揮下にあり、収容所所長の指揮下にはなかった<ref name="高橋115"/>。なお戦前期にはブロック指導者と作業班指導者も親衛隊髑髏部隊から出されることになっていたが、開戦後には収容所職員から出されることになった<ref name="高橋113"/><ref name="コーゴン73"/>。<br />
<br />
監視隊は監視塔に登っての収容所内の警備、作業班の作業場の警備などを担当した<ref name="高橋115"/><ref name="コーゴン73"/>。<br />
<br />
髑髏部隊は開戦とともにほとんどが[[第3SS装甲師団]]「髑髏」に編成されて出征した。代わりに強制収容所の警備を行う部隊として[[一般親衛隊]]の予備隊(Reserveabteilung)や壮丁隊(Stammabteilung)を使って親衛隊髑髏大隊(SS-Totenkopf-Sturmbann)が編成された<ref>[[#山下|山下、p.137-138]]</ref><ref name="コーゴン73"/><ref name="高橋46">[[#高橋|高橋、p.46]]</ref>。この隊には後に外国人([[ウクライナ人]]、[[クロアチア人]]、[[ロシア人]]、[[ルーマニア人]]など)の補助兵も続々と編入された<ref name="山下139">[[#山下|山下、p.139]]</ref><ref name="コーゴン73"/>。<br />
<br />
戦争後期には監視兵がほとんど外国人になってしまい、収容所内に存在した人種ヒエラルキーに基づき、監視兵よりドイツ人囚人の方が重んじられるといった事態も発生していた<ref name="高橋77">[[#高橋|高橋、p.77]]</ref>。<br />
<br />
=== 囚人 ===<br />
==== 囚人のカテゴリ ====<br />
[[File:Sachsenhausen2.jpg|thumb|200px|1938年、[[ザクセンハウゼン強制収容所]]の囚人。]]<br />
[[File:13cwik.jpg|thumb|200px|ブーヘンヴァルト強制収容所の囚人服。Fの字の入った赤。すなわちフランス人政治犯の物である。]]<br />
{{main|ナチ強制収容所のバッジ}}<br />
強制収容所の囚人は服にバッジを縫いつけてなければならなかった。左胸と右のズボンに縫いつけられた。バッジは色つきの三角形で表された<ref name="コーゴン55">[[#コーゴン|コーゴン、p.55]]</ref>。また三角形の下に囚人番号も入れられたが、アウシュヴィッツのみ囚人番号を左腕に入れ墨で入れていた<ref name="コーゴン55"/>。<br />
<br />
赤色の逆正三角形は[[政治犯]]、緑色の逆正三角形は[[刑事犯]]、紫色の逆正三角形は[[エホバの証人]]、黒色の逆正三角形は[[反社会分子]](労働忌避者、浮浪者、[[ロマ]]など)、ピンクの逆正三角形は[[同性愛者]]を示した。なおロマ(当時はジプシー)は一時期茶色の逆正三角形をつけていた<ref>[[#高橋|高橋、p.78-81]]</ref>。<br />
<br />
[[ユダヤ人]]の場合は黄色い正三角形を加え、収容理由の色の逆正三角形を加え(ユダヤ人と言うだけで収容所に入れられたものは黄色い逆正三角形)、[[ダビデの星]]の形になるようになっていた<ref name="コーゴン55">[[#コーゴン|コーゴン、p.55]]</ref><ref name="長谷川94">[[#長谷川|長谷川、p.94]]</ref>。ユダヤ人という理由だけで収容されたユダヤ人とはつまり「最終解決」のために絶滅収容所へ連れてこられた「移送ユダヤ人」達である。彼らは選別を受けたが、うち労働不能と判断された者は[[ガス室]]に送られた。一方で何か他の理由で保護拘禁を受けて収容所に入れられたユダヤ人たちはこの選別を受けなかったのでガス室に送られることはなかった。これはすなわち同じユダヤ人でも「犯罪者」の方が優遇されたことを意味している。この不条理は「アウシュヴィッツのパラドックス」と呼ばれている<ref name="高橋82">[[#高橋|高橋、p.82]]</ref>。<br />
<br />
外国人の場合は彼らの出身国名の頭文字が三角形の上に記載された(Fはフランス人、Nはノルウェー人、NLはオランダ人、Pはポーランド人など)<ref name="コーエン25">[[#コーゴン|コーエン、p.25]]</ref><ref name="高橋73">[[#高橋|高橋、p.73]]</ref>。<br />
<br />
精神障害者は政治犯に分類されていたので、赤い逆正三角形を付けたが、同時に「バカ」と大きな文字で書かれた腕章も付けることになっていた。時には「私はバカです。」と書かれた板を首に掛けさせられることもあったという<ref name="コーゴン56">[[#コーゴン|コーゴン、p.56]]</ref>。<br />
<br />
全ての収容所に全てのカテゴリの者がいるように配分された。同じ傾向の者を一つにすると団結されるのでそれを避けるために「分割支配」を行おうという意図だった。また囚人たちに自分たちが「社会のクズ」であることを認識させ合う意味もあったという<ref name="高橋81">[[#高橋|高橋、p.81]]</ref><br />
<br />
==== 囚人の人種ヒエラルキー ====<br />
開戦後には強制収容所に様々な国籍の者が収容されるようになった。ダッハウ強制収容所やブーヘンヴァルト強制収容所の囚人の国籍は32カ国以上に及んだという<ref name="高橋76">[[#高橋|高橋、p.76]]</ref>。収容所が多国籍化すると人種[[ヒエラルキー]]が生まれた。直接的には親衛隊の人種差別意識が作り出したものであるが、囚人間の差別意識に支えられたものでもあった<ref name="高橋77">[[#高橋|高橋、p.77]]</ref>。<br />
<br />
ナチス強制収容所の人種ヒエラルキーの最下層は、絶滅対象のユダヤ人とジプシーを別にすれば、ポーランド人、チェコ人、ロシア人など[[スラブ民族]]であった<ref name="長谷川116">[[#長谷川|長谷川、p.116]]</ref>。スラブ民族はナチスの言う「[[下等人種|下等人種(ウンターメンシェ)]]」([[:de:Untermensch|de]])の典型であった<ref name="リュビー28">[[#リュビー|リュビー、p.28]]</ref>。スラブ人の中でもとりわけソビエト連邦に属する者は劣悪に扱われた<ref name="リュビー28">[[#リュビー|リュビー、p.28]]</ref>。<br />
<br />
ついでイタリア人など[[ラテン民族]]が低く扱われた<ref name="長谷川116"/>。フランス人の地位も低かった。一方でオランダ人、ベルギー人、ノルウェー人、デンマーク人など[[ゲルマン民族]]はたとえ反ナチ主義者であってもかなり寛大に扱われた<ref>[[#長谷川|長谷川、p.116-117]]</ref>。そしてゲルマン民族の中でも頂点の位置するのは、もちろん「[[支配人種]]」([[:de:Herrenrasse|de]])たるドイツ人である<ref name="高橋76">[[#高橋|高橋、p.76]]</ref>。ドイツ人囚人はドイツ人であるというだけで「収容所の貴族」であるようなものだった<ref name="高橋146">[[#高橋|高橋、p.146]]</ref>。ドイツ人囚人には楽な労働、豊富な食料、特権的地位、ゆったりとした居住が与えられた。戦争末期にはウクライナ人などスラブ民族だらけになってしまった監視兵よりもドイツ人囚人の方が優遇されていたといわれる<ref name="高橋77">[[#高橋|高橋、p.77]]</ref>。親ナチ派の「下等人種」より反ナチ派の「支配人種」の方が優先されたわけである。<br />
<br />
==== 囚人の役職 ====<br />
強制収容所の囚人の中にも管理職が存在した。囚人たちのトップの地位にあったのは親衛隊から任命される'''収容所古参'''(Lagerältester)である。収容所古参は初め1人だったが、収容者数が増えてくると3人までに増やされた。親衛隊から信用のある者が任命された。収容所古参の下で個々の囚人移住ブロックの囚人を指導する囚人職が'''ブロック古参'''(Blockältester)である。ブロック古参は収容所古参の推薦を経て親衛隊が任命した。ブロック古参は各囚人移住家屋ごとに2名から3名の'''部屋係'''(Stubendienste)を持ち、彼らを通じてブロック全体の囚人を支配していた。また労働隊においては囚人の中から'''カポ'''([[:de:Kapo (KZ)|Kapo]])が任命された。カポは、看守の親衛隊員が就任する労働隊指導者の下で労働隊の他の囚人の監督を行う。カポの下には'''先任労働者'''(Vorarbeiter)が置かれた。カポは、こん棒で殴りつけるなど他の囚人に懲罰を加えることもできたが、彼らも囚人であるので看守の親衛隊員からは懲罰を加えられることもあった。収容所古参、ブロック古参、カポ、先任労働者は、区別のため収容所指導部の看守から、白い文字の書かれた黒いリボンを左胸に付けさせられた<ref name="コーゴン80">[[#コーゴン|コーゴン、p.80]]</ref>。<br />
<br />
このような囚人役職に就ける者はカテゴリや人種により制限されていた。まず人種でいえば、囚人役職に就く道が一番開けていたのは言うまでもなくドイツ人囚人である。しかし意外なことであるが、ドイツ人囚人の次に役職に任命されることが多かったのは「下等人種」スラブ民族のポーランド人であった。この理由としては、ポーランド人にはドイツ語が話せる者が多かったこと、ポーランド人にはドイツ人並みに反ユダヤ主義者が多かったこと、ポーランドは早期に占領された国であったため収容所の中でもポーランド人囚人が古参になっていることが多かったことなどが考えられる<ref name="高橋146">[[#高橋|高橋、p.146]]</ref><ref name="長谷川118">[[#長谷川|長谷川、p.118]]</ref>。他のスラブ民族のロシア人やチェコ人が役職を得ることはまず無理であった<ref name="高橋146"/>。ユダヤ人も役職を得ることは無理であったが、ユダヤ人のみの収容所では任用例も見られる<ref name="長谷川118"/>。<br />
<br />
カテゴリで見ると役職に就いた者はほとんどが「赤」(政治犯)か「緑」(刑事犯)である。それ以外のカテゴリの者は役職を得るのはまず無理だった<ref name="高橋146"/>。意外なことに「赤」の中では共産党員が特に重用された。彼らの組織力・秩序維持能力を親衛隊が評価したためであるらしい<ref name="高橋160">[[#高橋|高橋、p.160]]</ref>。特にブーヘンヴァルト強制収容所では共産党員囚人たちが強大な実権を掌握し、他のカテゴリ、あるいは同じカテゴリでも別の党派の囚人たちに迫害を加えていた<ref>[[#高橋|高橋、p.160-165]]</ref>。<br />
<br />
==== 囚人用売春施設 ====<br />
{{See also|慰安婦|慰安所}}<br />
強制収容所には囚人用売春施設([[慰安所]])が存在していたことについてはオイゲン・コゴンの『親衛隊国家』、ヘルマン・ラングバインの『アウシュヴィッツの人間』でも知られていたが、戦後英雄視された政治犯も当時囚人であったためタブー視され研究されることがなかったが<ref name="kajimura"/>、クリスタ・パウルが1994年に『ナチズムと強制売春』(邦訳明石書店,1996)を、2009年にロベルト・ゾンマー(Robert Sommer)が『Das KZ-Bordell:Sexuelle Zwangsarbeit in nationalsozialistischen. (強制収容所の売春施設:ナチス強制収容所での性的強制労働』(Paderborn)を発表した<ref name="kajimura">梶村太一郎「ついに解明されたナチスの囚人用強制売春制度の全体像『強制収容所の売春施設』(ロベルト・ゾンマー 著)」『[[インパクション]]』インパクト出版会、172号、2010年、pp163-166</ref>。<br />
<br />
ゾンマーによれば、この強制売春施設は[[ハインリッヒ・ヒムラー]]がソ連の[[ラーゲリ]]強制労働所における報奨制度にならって強制労働の生産性を向上させるために構想された<ref name="kajimura"/>。[[ゲシュタポ]]は1942年6月にオーストリア、ドイツ、ポーランドの強制収容所などに13の強制売春施設を建設した<ref name="kajimura"/>。そのうち9カ所が囚人専用、4カ所は収容所警備の[[ウクライナ人]]親衛隊員専用であった<ref name="kajimura"/>。被害女性の数は210人と推計され、114人がドイツ人、46人がポーランド人であった<ref name="kajimura"/>。この実証研究によって、これまで流布した「ナチスが[[ユダヤ人]]女性を強制売春させた」ということには根拠がなくなった<ref name="kajimura"/>。女性たちの平均滞在期間は10ヶ月で、最長34ヶ月であった<ref name="kajimura"/>。食料は親衛隊員待遇で豊富であった<ref name="kajimura"/>。毎晩2時間、6人〜8人の男性囚人を規則に従って受け入れた<ref name="kajimura"/>。<br />
<br />
== 類似施設 ==<br />
以下は類似施設である。ただしいずれも[[親衛隊経済管理本部]]の管轄になく、原則として強制収容所(Konzentrationslager)とは別物である。しかしこれらの施設も広義の意味で「強制収容所」と呼ばれることもある。<br />
<br />
=== 強制労働収容所 ===<br />
各地区の[[親衛隊及び警察指導者]]が運営していた強制労働のための収容所を'''強制労働収容所'''(Zwangsarbeitslager、ツヴァングスアルバイツラーガー)と呼ぶ。<br />
強制労働収容所は強制収容所とちがって統一的な基準がほとんどなかった<ref name="救出への道80">ミーテク・ペンパー著『救出への道 シンドラーのリスト・真実の歴史』(大月書店)80ページ</ref>。<br />
<br />
強制労働収容所は主に東ヨーロッパに設置され、[[ポーランド総督府]]領には437もの強制労働収容所が設置されていた。ドイツ領東部の[[ポズナン|ポーゼン]]にも1940年から1941年にかけて約70の強制労働収容所がおかれ、囚人たちはベルリン=ポーゼン間高速道路の設置作業に駆り出されていた。[[シレジア|シュレージエン]]にも[[アルブレヒト・シュメルト]][[親衛隊上級大佐]]が創設した約160の強制労働収容所(これらは「シュメルト機関収容所」と呼ばれた)が置かれていた<ref name="ホロコースト大事典177">ウォルター・ラカー著『ホロコースト大事典』177ページ</ref>。<br />
<br />
1943年3月には[[親衛隊経済管理本部]]が「[[東方工業有限会社]]」([[:de:Ostindustrie GmbH]]、略称OSTI)を創設し、ポーランド総督府のルブリン地区とラドム地区にあった多くの強制労働収容所を傘下に入れた<ref name="ホロコースト大事典178">ウォルター・ラカー著『ホロコースト大事典』178ページ</ref>。<br />
<br />
なお[[スティーブン・スピルバーグ]]監督の映画『[[シンドラーのリスト]]』で有名になった[[クラクフ・プワシュフ強制収容所]]は、強制労働収容所として発足したが、1944年1月に強制収容所に移行した収容所であった。<br />
<br />
=== 絶滅収容所 ===<br />
{{main|絶滅収容所}}<br />
[[ユダヤ人]]と[[ジプシー]](ロマ民族)の民族絶滅を狙って作られた殺戮工場たる収容所は'''[[絶滅収容所]]'''(Vernichtungslager、ファアニヒトウングスラーガー)と呼ばれる。<br />
<br />
最初に稼働した絶滅収容所は[[ヘウムノ絶滅収容所]]である。この絶滅収容所は[[国家保安本部]]によって運営され、1941年12月からガス殺が開始された。<br />
<br />
一方、[[ルブリン]][[親衛隊及び警察指導者]][[オディロ・グロボクニク]]は、後に「[[ラインハルト作戦]]」と名付けられるポーランドユダヤ人絶滅作戦の執行のために三大絶滅収容所の建設を行った。1941年11月から[[ベウジェツ絶滅収容所]]の建設が開始され、1942年3月半ばからガス室が稼働した。続いて[[ソビボル絶滅収容所]]の建設が開始され、1942年4月末に稼働。最後に[[トレブリンカ絶滅収容所]]が1942年5月末から建設が開始され、7月半ばに稼働している<ref name="ナチズムとユダヤ人絶滅政策226">栗原優著『ナチズムとユダヤ人絶滅政策 <small>ホロコーストの起源と実態</small>』226ページ</ref>。この三つの絶滅収容所は「ラインハルト作戦」のための三大絶滅収容所として機能し、刑事委員長[[クリスティアン・ヴィルト]]によって監督された。ヴィルトの部下たちが三大絶滅収容所に配されていた。なおヴィルトは安楽死計画([[T4作戦]])に携わっていたため、ヴィルトの部下たちも安楽死計画参加者が多かった<ref name="ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅下172">ラウル・ヒルバーグ著『ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅 下巻』172ページ</ref>。<br />
<br />
ヘウムノでは最低でも15万人{{#tag:ref|1962年と1963年に[[ドイツ連邦共和国]]の[[ボン]]で行われたヘウムノ収容所関係者達に対する裁判ではヘウムノで15万2678人が殺害されたことが立証された。一方ポーランド政府による「ポーランドにおけるドイツの犯罪に関する総合調査委員会」の調査によると最低34万人が殺害されたという<ref>『ナチ強制・絶滅収容所 <small>18施設内の生と死</small>』348ページ</ref>。|group=#}}、ベウジェツでは55万人<ref>[[ラウル・ヒルバーグ]]の調査による。マルセル・リュビー著「ナチ強制・絶滅収容所」(筑摩書房)334 ‐ 335ページ</ref>、ソビボルでは25万人<ref>「ポーランドにおけるドイツの犯罪に関する総合調査委員会」やミリアム・ノヴィッチなどの調査による。マルセル・リュビー著「ナチ強制・絶滅収容所」(筑摩書房)372 ‐ 373ページ</ref>、トレブリンカでは最低73万人<ref>「ポーランドにおけるドイツの犯罪に関する総合調査委員会」の調査による。マルセル・リュビー著『ナチ強制・絶滅収容所』387ページ</ref>が虐殺された。<br />
<br />
ポーランドのユダヤ人社会がほぼ壊滅すると、三大絶滅収容所は1943年代に早々に閉鎖され、植林などで証拠隠滅作業が行われた。その後はアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所やマイダネク強制収容所(この二つについては[[#絶滅収容所化した強制収容所|上の節を参照]])、ヘウムノ絶滅収容所などが絶滅収容所として機能し、これらの収容所はドイツ軍の戦線後退でソ連軍が同地に到着するまで存続した。<br />
<br />
=== 通過収容所 ===<br />
'''通過収容所'''(Durchgangslager、ドゥルヒガングスラーガー)は、強制収容所や絶滅収容所に移送されるまでの一時収容を行うための収容所のことである。移送を受けるのは多くの場合ユダヤ人であった。<br />
<br />
=== ゲットー ===<br />
'''[[ゲットー]]'''(ghetto)とは、ユダヤ人の隔離居住区である。しかしここから強制収容所や絶滅収容所へ移送されるケースが非常に多く、実質がゲットーなのか通過収容所なのか区別しづらい物が多い。[[テレージエンシュタット・ゲットー]]はその典型である。テレージエンシュタットは公式にはゲットーであり、ドイツ系ユダヤ人をここに住まわせていたが、一方[[ベーメン・メーレン保護領]]に住むチェコ系ユダヤ人の多くもテレージエンシュタットに集められ、彼らはやがてアウシュヴィッツ強制収容所へ連れて行かれた。そのためゲットーを'''集合収容所'''(Sammellager、ザンメルラーガー)とみなして「収容所」とか「強制収容所」とか呼ぶケースがある。<br />
<br />
== 主な強制収容所一覧 ==<br />
=== ナチス政権下におけるドイツの強制収容所 ===<br />
{{main|ナチスドイツの強制収容所一覧}}<br />
[[ファイル:WW2-Holocaust-Europe.png|300px|right|thumb|ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅収容所への主な移送ルート。[[髑髏]]マークが絶滅収容所。赤い髑髏は有名なユダヤ人虐殺場。■が強制収容所や通過収容所。[[六芒星]]マークはゲットー。]]<br />
*[[エストニア]]<br />
**[[ヴァイヴァラ強制収容所]]([[:de:KZ Vaivara]])<br />
**[[クローガ強制収容所]]([[:de:KZ Klooga]])<br />
**[[ヤガラ強制収容所]]([[:en:Jägala concentration camp|en:KZ Jägala]])<br />
<br />
*[[ラトビア]]<br />
**[[リガ=カイザーヴァルト強制収容所]]<br />
**[[ユングフェルンホーフ強制収容所]]([[:de:KZ Jungfernhof]])(リガ=カイザーヴァルト外部収容所)<br />
<br />
*[[リトアニア]]<br />
**[[コヴノ・ゲットー|カウエン強制収容所]]<br />
<br />
*[[ベラルーシ]]<br />
**[[マリィ・トロステネツ強制収容所]]([[:de:KZ Maly Trostinez]])('''絶滅収容所''')<br />
<br />
*[[ウクライナ]]<br />
**{{仮リンク|ヤノフスカ強制収容所|uk|Янівський концентраційний табір|en|Janowska concentration camp|label=リヴィウ・ヤノフスカ強制収容所}}([[:de:KZ Janowska]])<br />
**{{仮リンク|スィレーツィ強制収容所|uk|Сирецький концтабір|de|KZ Syrez|ru|Сырецкий концентрационный лагерь|en|Syrets concentration camp}}<br />
**{{仮リンク|ボグダノフカ強制収容所|uk|Богданівка (Доманівський район)|en|Bogdanovka}}<br />
<br />
*[[ポーランド]]([[ポーランド総督府]]領、旧ポーランド領ドイツ編入地域および[[ダンツィヒ自由都市]])<br />
**[[アイントラハトヒュッテ強制収容所]]([[:de:KZ Eintrachthütte]])(アウシュヴィッツ外部収容所)<br />
**[[アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所]](強制収容所兼'''絶滅収容所''')<br />
**[[クラクフ・プワシュフ強制収容所]] <br />
**[[グロース・ローゼン強制収容所]] <br />
**[[シュトゥットホーフ強制収容所]]<br />
**[[ソビボル強制収容所]]('''絶滅収容所''')<br />
**[[ゾルダウ通過収容所]]([[:en:Soldau concentration camp|Durchgangslager Soldau]])<br />
**[[トラヴニキ強制労働収容所]]([[:de:Zwangsarbeitslager Trawniki|Zwangsarbeitslager Trawniki]])<br />
**[[トレブリンカ強制収容所]]('''絶滅収容所''')<br />
**[[ブレッヒハマー強制収容所]]([[:de:KZ Blechhammer]])(アウシュヴィッツ外部収容所)<br />
**[[ベウジェツ強制収容所]]('''絶滅収容所''')<br />
**[[ヘウムノ強制収容所]]('''絶滅収容所''')<br />
**[[ポニャトヴァ強制労働収容所]]([[:de:Lager Poniatowa|Zwangsarbeitslager Poniatowa]])<br />
**[[マイダネク|マイダネク(ルブリン強制収容所)]](強制収容所兼'''絶滅収容所''')<br />
**[[ワルシャワ強制収容所]]([[:de:KZ Warschau]])(マイダネク外部収容所)<br />
<br />
*[[チェコ]]([[ズデーテンラント]]&[[ボヘミア]]・[[モラヴィア]])<br />
**[[テレージエンシュタット]](ユダヤ人ゲットーと政治犯収容所)<br />
**[[ホドニーン強制収容所]]([[:de:KZ Hodonín]])([[ジプシー]]収容所)<br />
**[[レティ強制収容所]]([[:de:KZ Lety]])(ジプシー収容所)<br />
<br />
*[[オーストリア]]<br />
**[[エーベンゼー強制収容所]]([[:de:KZ Ebensee]])(マウトハウゼン外部収容所)<br />
**[[グーセン強制収容所]]([[:de:KZ Gusen]])(マウトハウゼン外部収容所)<br />
**[[マウトハウゼン強制収容所]]<br />
**[[ロイブル強制収容所]]([[:de:KZ Loibl]])(マウトハウゼン外部収容所)<br />
<br />
*[[ドイツ]]<br />
**[[アルバイツドルフ強制収容所]]([[:de:KZ Arbeitsdorf]])<br />
**[[ヴェッベリン強制収容所]]([[:de:KZ Wöbbelin]])(ノイエンガンメ外部収容所)<br />
**[[エステルヴェーゲン強制収容所]]([[:de:KZ Esterwegen]])<br />
**[[オストホーフェン強制収容所]]([[:de:KZ Osthofen]])<br />
**[[オラニエンブルク強制収容所]]<br />
**[[カウフェリンクIV強制収容所]]([[:de:KZ-Kommando Kaufering IV]])(ダッハウ外部収容所)<br />
**[[ケーニヒス・ヴステルハウゼン強制収容所]]([[:de:KZ-Außenlager Königs Wusterhausen|de:KZ Königs Wusterhausen]])(ザクセンハウゼン外部収容所)<br />
**[[コロンビアハウス強制収容所]]([[:de:KZ Columbia]])<br />
**[[ザウルガウ強制収容所]]([[:de:KZ Saulgau]])(ダッハウ外部収容所)<br />
**[[ザクセンハウゼン強制収容所]]<br />
**[[ザクセンブルク強制収容所]]([[:de:KZ Sachsenburg]])<br />
**[[シャンデラ強制収容所]]([[:de:KZ-Außenlager Schandelah|de:KZ Schandelah]])(ノイエンガンメ外部収容所)<br />
**[[ゾネンブルク強制収容所]]([[:de:KZ Sonnenburg]])<br />
**[[ダッハウ強制収容所]] <br />
**[[ニーダーハーゲン強制収容所]]([[:de:KZ Niederhagen]])(ザクセンハウゼン、後ブーヘンヴァルト外部収容所)<br />
**[[ノイエンガンメ強制収容所]]<br />
**[[ハウスハム強制収容所]]([[:de:KZ Hausham]])(ダッハウ外部収容所)<br />
**[[バート・ズルツァ強制収容所]]([[:de:KZ Bad Sulza]])<br />
**[[ヒンツァート強制収容所]]<br />
**[[ファルゲ強制収容所]]([[:de:KZ Farge]])(ノイエンガンメ外部収容所)<br />
**[[ブーヘンヴァルト強制収容所]]<br />
**[[ブランデンブルク強制収容所]]([[:de:KZ Brandenburg]])<br />
**[[フリードリヒスハーフェン強制収容所]]([[:de:KZ Friedrichshafen]])(ダッハウ外部収容所)<br />
**[[フールスビュッテル強制収容所]]([[:de:KZ Fuhlsbüttel]])(ノイエンガンメ外部収容所)<br />
**[[ブレイテナウ強制収容所]]([[:de:KZ Breitenau]])<br />
**[[フロッセンビュルク強制収容所]] <br />
**[[ベルゲン・ベルゼン強制収容所]] <br />
**[[ミッテルバウ=ドーラ強制収容所]]<br />
**[[ミュールドルフ強制収容所]]([[:de:KZ Mühldorf]])(ダッハウ外部収容所)<br />
**[[モーリンゲン強制収容所]]([[:de:KZ Moringen]])(女囚用)<br />
**[[ラーフェンスブリュック強制収容所]](女囚用)<br />
**[[ランゲンシュタイン=ツヴァイベルゲ強制収容所]]([[:de:KZ Langenstein-Zwieberge]])(ブーヘンヴァルト外部収容所)<br />
**[[リヒテンブルク強制収容所]]([[:de:KZ Lichtenburg]])<br />
**[[ロッハウ強制収容所]]([[:de:KZ Lochau]])(ダッハウ外部収容所)<br />
<br />
*[[イタリア]]<br />
**[[フォッソリ通過収容所]]([[:de:Durchgangslager Fossoli]])<br />
**[[ボルツァーノ通過収容所|ボーツェン通過収容所]](イタリア名ボルツァーノ)<br />
<br />
*[[セルビア]]<br />
**[[サイミステ強制収容所]]([[:de:KZ Sajmište]])<br />
**[[ベオグラード=バニツァ強制収容所]]([[:de:KZ Banjica|KZ Beograd-Banjica]])<br />
<br />
*[[ギリシャ]]<br />
**[[ハイダリ強制収容所]]([[:de:KZ Chaidari]])<br />
<br />
*[[ノルウェー]]<br />
**[[ウルベン警察刑務収容所]]([[:en:Ulven concentration camp|Polizeihäftlingslager Ulven]])<br />
**[[グリニ警察刑務収容所]]([[:de:Grini fangeleir|de:Polizeihäftlingslager Grini]])<br />
**[[ファルスタッド警察刑務収容所]]([[:en:Falstad concentration camp|Polizeihäftlingslager Falstad]])<br />
**[[ブレットヴェト警察刑務収容所]]([[:en:Bredtvet concentration camp|Polizeihäftlingslager Bredtvet]])<br />
**[[ベルク警察刑務収容所]]([[:en:Berg concentration camp|Polizeihäftlingslager Berg]])<br />
<br />
*[[オランダ]]<br />
**[[アメルスフォールト通過収容所]]([[:de:Durchgangslager Amersfoort]]) <br />
**[[ヴェステルボルク通過収容所]]<br />
**[[ヘルツォーゲンブシュ強制収容所]]([[:de:KZ Herzogenbusch]]) <br />
<br />
*[[ベルギー]]<br />
**[[ブレーンドンク収容所|ブレーンドンク拘留収容所]]([[:de:Fort Breendonk|Auffanglager Breendonk]])<br />
**[[メヘレン収容所|メヘレン中継収容所]]<br />
<br />
*[[フランス]](ドイツ軍フランス占領地域&ドイツ領に編入された[[アルザス=ロレーヌ]])<br />
**[[コンピエーニュ=ロアイヤリュ強制収容所]]([[:de:KZ Royallieu|KZ Compiègne-Royallieu]])<br />
**[[ドランシー収容所|ドランシー通過収容所]]<br />
**[[ナッツヴァイラー強制収容所]]<br />
**[[ピティヴィエ通過収容所]]([[:de:Camp de transit de Pithiviers|Durchgangslager Pithiviers]])<br />
**[[ボーヌ・ラ・ローランド通過収容所]]([[:fr:Beaune-la-Rolande (camp de transit)|Durchgangslager Beaune-la-Rolande]]<br />
<br />
*[[イギリス]](ドイツ軍占領下[[チャンネル諸島]])<br />
**[[オルダニー強制収容所]](ザクセンハウゼン、後ノイエンガンメ外部収容所)<br />
<br />
=== ドイツ衛星国の強制収容所 ===<br />
*[[ヤセノヴァツ強制収容所]]([[:sh:Koncentracioni logor Jasenovac]])([[クロアチア独立国]]運営の強制収容所兼'''絶滅収容所''')<br />
*[[ラ・ヴェルネ強制収容所]]([[:fr:Vernet d'Ariège (camp d'internement)]])(フランス[[ヴィシー政府]]運営の強制収容所)<br />
*[[ギュール強制収容所]]([[:fr:Camp de Gurs]])(フランスヴィシー政府運営の強制収容所)<br />
<br />
== 注釈 ==<br />
<references group="#"/><br />
<br />
=== 出典 ===<br />
<div class="references-small"><!-- references/ -->{{reflist|3}}</div><br />
<br />
{{commonscat|Nazi concentration camps}}<br />
{{Good article}}<br />
{{DEFAULTSORT:きようせいしゆうようしよなちす}}<br />
[[Category:ナチス・ドイツ]]<br />
[[Category:ナチス親衛隊]]<br />
[[Category:ナチス・ドイツの強制収容所|*]]<br />
[[Category:ホロコースト]]<br />
[[Category:反ユダヤ主義]]<br />
[[Category:反共主義]]<br />
{{Link GA|sv}}<br />
<br />
== 関連書籍 ==<br />
* 私はホロコーストを見た 黙殺された世紀の証言 1939-43(上・下)- ヤン・カルスキ([[:en:Jan Karski]])著、吉田恒雄訳、[[白水社]]、[[2012年]][[9月]](ISBN 4-560-08234-8 ISBN 4-560-08235-5)<br />
* ショアーの歴史 ユダヤ民族排斥の計画と実行 - ジョルジュ・ベンスサン著、[[白水社]]([[クセジュ|文庫クセジュ]])、[[2013年]][[8月]](ISBN 4-560-50982-1)<br />
<br />
{{ナチス・ドイツ}}</div>
ウマスラ
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E3%83%8A%E3%83%81%E5%85%9A%E3%81%AE%E6%A8%A9%E5%8A%9B%E6%8E%8C%E6%8F%A1&diff=230259
ナチ党の権力掌握
2014-06-01T18:02:31Z
<p>ウマスラ: /* 全権委任法 */</p>
<hr />
<div>この項目では、[[国家社会主義ドイツ労働者党]](ナチ党)による[[ドイツ国|ドイツ国内]]における権力掌握の過程を記述する。この過程は[[ドイツ語]]で{{ルビ|{{lang|de|'''Machtergreifung'''}}|マハトエアグライフング}}<ref>{{Audio|De-machtergreifung.ogg|聴く}}</ref>(乗っ取り、権力掌握)と呼ばれており、世界的にもこの語が用いられる。<br />
<br />
== 概要 ==<br />
[[アドルフ・ヒトラー]]とナチ党は[[ドイツ]]の今までの内閣や[[ドイツ国大統領|大統領]]、君主達が得ることのできなかった大きな権力を表面上合法的<ref>ナチ権力革命の合法性については議論が存在する。{{仮リンク|カール・ディートリヒ・ブラッハー|de|Karl Dietrich Bracher}}は、全権委任法の成立過程においてナチ党が行った欺瞞や恐喝による同意の取り付け、[[左翼]]議員の[[逮捕]]や各州政府の改編は明らかな違法行為であったと指摘している{{harv|南利明|指導者-国家-憲法体制における立法(一)|pp=216}}</ref>に手中した。この権力掌握の過程は大きく分けて二つの時期に分類される。ナチ党が国内有数の[[政党]]になってから、[[1933年]][[1月30日]]に[[ヒトラー内閣]]が成立するまでの期間と、政権についたヒトラーとナチ党が国内外の政敵をほぼ一掃し、[[立法権]]・[[行政権]]・[[司法権]]の三権<ref>このヒトラーが三権を掌握した状態をハンブルク行政裁判所は「三つの権利が指導者の手中にある民族指導の手段として」「一つの有機体の異なる機能」として存在すると表現している{{harv|南利明|指導者-国家-憲法体制における立法(一)|pp=69-70}}</ref>をドイツ国内の権力を党、国家、そしてヒトラーによって支配するまでの期間である。後者の過程は政権獲得からほぼ2年以内の短期間であった。<br />
<br />
== 背景 ==<br />
{{see also|ヴァイマル共和政}}<br />
ヴァイマル共和政期のドイツは[[第一次世界大戦]]の講和条約[[ヴェルサイユ条約]]によって莫大な賠償金を課せられ、領土は割譲された。また軍備が制限されたために大量の[[軍人]]が職を失い、[[失業者]]や武装組織[[ドイツ義勇軍]](フライコール)のメンバーとなり、社会の不安定要因となった。彼らと[[ヴァイマル共和国軍|国軍]]に残留した者は、[[ドイツ革命]]に代表される『共産主義者と[[ユダヤ人]]による[[背後の一突き]]』が敗北をもたらしたと考え、ヴァイマル共和政や[[共産主義]]者を敵視するようになった。一方で[[コミンテルン]]指揮下に置かれた[[ドイツ共産党]]は再度の革命を目指し、勢力を拡大しつつあった。この二つの風潮がドイツの政治に深く影響を及ぼすことになる。<br />
<br />
[[国会 (ドイツ)|国会]]は[[安定多数]]を獲得する政党が最後まで出現せず、議会に基礎を置く[[ドイツ国首相|首相]]の指導は不安定であった。また[[ドイツ帝国]]以前からの伝統を持つ各州の独立傾向は強く、中央政府の権力は掣肘された。<br />
<br />
== ナチ党の躍進 ==<br />
{{see also|国家社会主義ドイツ労働者党#歴史}}<br />
[[1921年]]にヒトラーがナチ党の指導者<ref>{{lang-de-short|Führer}}</ref>となって以降、同党は拡大を続けた。ヒトラーには魔力的とも評される演説の魅力があり、また党による演出もそれを大きくさせた{{sfn|南利明|民族共同体と法(三)|pp=271-272}}。ナチ党は[[1923年]]に首都[[ベルリン]]に進軍するため[[バイエルン州]]政府を掌握しようとクーデターを起こした。この[[ミュンヘン一揆]]による権力掌握は失敗したものの、ヒトラーとナチ党の存在はドイツ国内外に広く知れ渡った。ナチ党はその後合法戦略に転換し、国会選挙での議席獲得を目指した。一方で党の半武装組織[[突撃隊]]は[[共産党]]の[[赤色戦線戦士同盟]]などと激しく衝突し、死者を出すことも珍しくなかった。<br />
<br />
また政治活動が禁じられていた[[ヴァイマル共和国軍|軍]]内部にも浸透を図った。しかしこの過程で党員の将校が党細胞を組織しようとしたとして、反逆罪で[[訴追]]される事態が発生した。これは{{仮リンク|ウルム国軍訴訟|de|Ulmer Reichswehrprozess}}と呼ばれ、ナチ党の合法性をも問う訴訟となった。<br />
<br />
[[1929年]]には[[テューリンゲン州]]議会選挙で大幅な議席を獲得し、[[1930年]]にはヴィルヘルム・フリックが内相として州政府に入閣した。フリックは[[全権委任法]]、[[バウハウス]]の閉校、警察組織制度改革などナチ党の思想に基づく政策を実行し、テューリンゲン州はナチ党政策の「実験場」となった<ref>熊野、47p</ref>。[[ヨーゼフ・ヴィルト]]内務大臣はナチ党の合法性を疑い、州政府から警察に出される補助金を打ち切ったが、これはライヒ政府とテューリンゲン州の訴訟に発展した。この訴訟においてはナチ党が非合法活動を行っている政党であるかどうかが争点となったが、ヒトラーは1930年[[9月20日]]に行われた「ウルム国軍訴訟」の法廷で「こうした高揚を代表する運動は、しかしながら、非合法な手段によっては準備されないのである」という「合法誓約」を行って党の合法性をアピールした<ref>熊野、56p</ref>。また[[国防省]]がナチ党員である事を理由に職員を解雇したことは違法であると判決が下ったこともあり、ライヒ政府のテューリンゲン州への介入は違憲である可能性が高まった。こうした事で不利を察知したライヒ政府は和解に動き、[[12月30日]]にテューリンゲン州が和解に同意した。この和解によってナチ党の違法判断は行われる事が無く、ナチ党は完全な合法政党として扱われるようになった<ref>熊野、64p</ref>。<br />
<br />
{|class=wikitable<br />
|+ナチ党の得票数の変化<br />
|-<br />
!選挙日||得票数||得票率||当選数<br />
|-<br />
|[[1928年ドイツ国会選挙|1928年5月20日]]||align=right|810,000||align=right|2.6%||align=right|12人<!--議員総数608人--><br />
|-<br />
|[[1930年ドイツ国会選挙|1930年9月14日]]||align=right|6,410,000||align=right|18.3%||align=right|107人<br />
|-<br />
|[[1932年7月ドイツ国会選挙|1932年7月31日]]||align=right|13,750,000||align=right|37.3%||align=right|230人<br />
|-<br />
|[[1932年11月ドイツ国会選挙|1932年11月6日]]||align=right|11,740,000||align=right|33.1%||align=right|196人<br />
|-<br />
|[[1933年3月ドイツ国会選挙|1933年3月5日]]||align=right|17,280,000||align=right|43.9%||align=right|288人<br />
|-<br />
|[[1933年11月ドイツ国会選挙|1933年11月12日]]||align=right|39,655,288||align=right|92.2%||align=right|661人<br />
|-<br />
|}<br />
<br />
== 1932年の大統領選挙 ==<br />
1929年の[[世界恐慌]]と、賠償金支払い期間が延長されるという[[ヤング案]]への反発は政府への支持を一気に失わせた。1930年[[3月20日]]に[[ドイツ社会民主党]]の[[ヘルマン・ミュラー]]首相が辞職すると、[[パウル・フォン・ヒンデンブルク]]大統領は後継首相に[[中央党 (ドイツ)|中央党]]の[[ハインリヒ・ブリューニング]]を指名した。ブリューニングは社会民主党の協力を得て大連立による議会運営を目指したが、[[ドイツ社会民主党|社会民主党]]を嫌っていたヒンデンブルクの意向や[[ドイツ人民党]]との連携を嫌った社会民主党側の拒絶もあり、少数連立による議会運営を余儀なくされた。従来の[[内閣]]は議会勢力の支持を受けた結果、[[大統領]]に任命されるという形式が執られていたが、ブリューニング以降の首相任命においてはこれらの手続きはとられなかった。これ以降の内閣は国会を基礎とせず、ただ大統領の信任のみに基づく内閣であったため、{{仮リンク|大統領内閣|de|Präsidialkabinett}}と呼ばれる。<br />
<br />
1930年[[9月14日]]の選挙でナチ党は107議席を得て第2党となり、共産党も躍進した。一方で[[与党]]の国家人民党と人民党の議席が激減した。このためブリューニング首相の政権運営はさらに苦しくなった。ブリューニングは[[ドイツ社会民主党]]の協力を得たが、議会運営は困難であった。このためヒンデンブルク大統領に議会の議決を必要としない大統領令を発出させることで政権運営を行った。1931年には大統領緊急令の数が国会採択を上回り、1932年には大統領緊急令60に対し、議会での立法はわずか5に留まっている<ref>南、NATIONALSOZIALISMUSあるいは「法」なき支配体制-2-、10p</ref>。しかし社会民主党に反感を持っていたヒンデンブルクは、次第にブリューニングへの信頼を失い、息子で陸軍大佐の[[オスカー・フォン・ヒンデンブルク]]や大統領官房長の[[オットー・マイスナー]]、[[ヴァイマル共和国軍|国軍]]の実力者である国防次官[[クルト・フォン・シュライヒャー]]らといった側近グループを重用し始めた。<br />
<br />
シュライヒャーはナチ党の協力を得ることが円滑な政権運営を可能にすると考え、ヒトラーを取り込もうとした。[[1931年]][[10月14日]]、シュライヒャーの仲介でヒトラーははじめてヒンデンブルク大統領と会談した。ヒトラーは政府への協力を確約せず、さらに元帥の威厳に落ち着きを失ったこともあり、相互に悪印象を与えるだけの会談となった。ヒンデンブルクはヒトラーの長広舌にうんざりして「首相の器ではなく、せいぜい郵政大臣どまり」<ref>トーランド、58-59p</ref>と評している。[[10月21日]]、ナチ党は国家人民党や[[鉄兜団、前線兵士同盟|鉄兜団]]などの[[右派]]とともに{{仮リンク|ハルツブルク戦線|en|Harzburg_Front}}を結成してブリューニング内閣とヒンデンブルク大統領への攻撃を強めた。<br />
<br />
{{main|1932年ドイツ大統領選挙}}<br />
[[1932年]]3月、大統領選挙が行われた。ヒトラーは当初「自分は首相になるつもりだ。大統領の柄ではないし、大統領にはならないことも知っている」<ref>トーランド、62p、[[ハンス・フランク]]の回顧録より</ref>と大統領選挙出馬を否定していたが、選挙公示の15日前に出馬を決めた。ナチ党は精力的な選挙運動を行ったが、ヒンデンブルク側はほとんど選挙活動も行わなかった。ヒトラーは次点となったが、決選投票の末に敗れた。しかしヒトラーとナチ党の勢いを物語るのに十分な結果であった。<br />
<br />
== ブリューニング内閣崩壊 ==<br />
選挙終了間もない[[4月13日]]、[[ヴィルヘルム・グレーナー]]国防相は、ブリューニング首相と大統領に要請してナチ党の[[突撃隊]]と[[親衛隊 (ナチス)|親衛隊]]を禁止する大統領令を出させた。しかしシュライヒャーはこの措置に反発し、ヒンデンブルク大統領を説いて社会民主党の[[国旗団 (ドイツ社会民主党)|国旗団]]も同様に禁止させるべきであるという大統領書簡を発表させた。重大な問題を起こしていない国旗団を解散させることは出来ず、グレーナーはシュライヒャーの辞職要求を受けて辞任した。<br />
<br />
さらにブリューニング内閣が打ち出した東部([[東プロイセン]])農業救済政策は[[ユンカー]]の猛反発を受け、政権は末期状態となった。シュライヒャーは右派政権成立を目指し、再びナチ党との協調を目指した。[[5月8日]]、シュライヒャーはヒトラーと会談し、突撃隊・親衛隊の禁止令を解除すること、新内閣成立まもなく総選挙を行うことと引き替えに協力を求めた。ヒトラーは応じ、次期内閣への支持を約束した。ユンカーであったヒンデンブルク大統領の信任も失い、[[5月30日]]にブリューニング内閣は[[総辞職]]した。<br />
<br />
== パーペン内閣 ==<br />
6月1日、シュライヒャーの旧友である[[フランツ・フォン・パーペン]]が新首相、シュライヒャーは国防相となった。パーペン内閣には貴族出身者が多く『男爵内閣』と呼ばれた。パーペンは中央党の党員であったが、ブリューニングを裏切る形で後継首相となったことで中央党から離脱せざるを得なかった。このためパーペン内閣の与党は存在しなくなった。6月27日に密約通り突撃隊・親衛隊禁止令は解除され、国会も解散されたが、ナチ党は人気のないパーペン内閣を支持することはなく反政府の立場を鮮明にした。<br />
<br />
7月17日に首都ベルリンを置く[[プロイセン州]]で突撃隊と[[赤色戦線戦士同盟]]が衝突し17名の死者が出た。パーペンはこの事態を利用し大統領令によって7月20日にプロイセン州政府を罷免し、自ら州の[[国家弁務官]](総督)となって州を支配下に置いた({{仮リンク|プロイセン・クーデター|de|Preußenschlag}})。州政府罷免は裁判所によって違憲とされたが、パーペンは従わず乗り切った。この事件は後にナチ党が州政府を掌握する際の先例となった。<br />
<br />
7月31日の[[1932年7月ドイツ国会選挙|国会議員選挙]]の結果、ナチ党はさらに躍進、230議席を得て第一党となった。パーペンは辞職してヒトラーに政権を渡すことを考えたが、ヒトラーを『ボヘミアの伍長』と嫌っていたヒンデンブルク大統領は許さなかった。8月5日、シュライヒャーはヒトラーと会談し、副首相の地位を提示した。しかしヒトラーは首相の地位と[[全権委任法]]の成立を要求した。シュライヒャーはヒンデンブルクとヒトラーを会見させることのみ約束した。<br />
<br />
8月13日、ヒトラーはベルリンを訪れシュライヒャー、パーペンと相次いで会談した。シュライヒャーはヒンデンブルクが提供できるのは副首相の地位だけであると再度強調し、パーペンも同じことを告げたがヒトラーは受け入れなかった。その日の午後3時、ヒンデンブルクとヒトラーの会談が始まった。ヒトラーは首相の地位を要求したが、ヒンデンブルクはあくまで拒否し、突撃隊によるテロへの警告を行うとともに、パーペン内閣への協力を求めた。ヒトラーは元帥の威厳に圧倒され、退出後には自分を『屈辱的な会談』に引っ張り出したパーペンを激しく罵った。すっかり気落ちしたヒトラーは副首相の地位でも良いかと弱気になったが、パーペンがこの会見の模様を新聞にリークしたことで激怒した。憤激した突撃隊が直接行動に出ようとする動きもあったが、突撃隊には2週間の休暇が与えられることで沈静化した。この新聞発表にはナチ党を引き入れようとしたシュライヒャーも当惑し、パーペンを見限って新政権を建てることを計画し始めた。<br />
<br />
== パーペン内閣崩壊 ==<br />
新国会が開催されると、ナチ党は中央党の協力を得て[[ヘルマン・ゲーリング]]が国会議長に選出させた。国会は当初はスムーズに展開していたが、共産党が[[内閣不信任案]]を提出することで大荒れとなった。ヒトラーは不信任案に賛成するように命令したため、ゲーリングはパーペンを無視するような議会運営でこの不信任案を可決した。パーペンは大急ぎで国会解散の大統領令を出すことで不信任案の採決を阻止しようとしたが、ゲーリングは無視して不信任案の採決を行った。不信任案は圧倒的多数で採択されたが、同時に解散命令も発効しさらに国会選挙が行われることになった。パーペンは選挙を行わないことで政府独裁を行おうとしたが、内閣の賛同が得られず失敗した。<br />
<br />
ヒトラーはこの選挙でさらに圧倒的な力を見せつけられると確信していたが、度重なる選挙でナチ党の資金は底をつきかけていた。このため以前の選挙のように大規模なキャンペーンを打つことは出来なかった。さらにベルリンの[[大管区指導者]][[ヨーゼフ・ゲッベルス]]は、独断で共産党主導のベルリン市電ストライキ支援に突撃隊を参加させた。この行動はベルリン市民から反感を買い、新聞はナチ党を共産党扱いした。このため共産党を警戒する財界人は援助を引き上げた。[[1932年11月ドイツ国会選挙|11月6日の選挙]]ではナチ党は大いに票を失い、196議席に後退した。この結果はナチ党の勢いがピークを過ぎたという印象を与えたが、同時に共産党が着実に議席を伸ばしていることが保守派の警戒心をあおった。<br />
<br />
パーペンはナチ党を含む各党に協力を求めたが、今まで国会を軽視してきたためあっさりと拒否された。パーペンは辞任の意向を伝えたが、ヒンデンブルクは「ペンキ屋ふぜいに[[オットー・フォン・ビスマルク|ビスマルク]]の椅子を与えるわけにはいかない」<ref>この時、ヒンデンブルクは大統領官房長マイスナーに「ヒトラーがかつてペンキぬりの仕事をしていたことがあるという噂は本当か」と質問している。ドイツ語において画家と塗装工は同じ『Maler』と表記される。</ref>と、あくまでヒトラーを拒否した。それから2回ヒンデンブルクとヒトラーの会談が行われたが、またしても交渉は物別れに終わった。この間にヒトラーを首相にするようにという請願書が多数大統領の下に送付された。特に[[11月19日]]に[[ライヒスバンク]]元総裁[[ヒャルマル・シャハト]]、合同製鋼社長フリッツ・ティッセン、[[ヴィルヘルム・クーノ]]元首相ら「ケップラー・グループ」の政財界人が連名で送った請願書は有名である (Industrielleneingabe)<ref>ただし、この時点においても政財界からの政治献金の圧倒的な量は反ナチ勢力に流れており、この時点での党財政の大半は党費収入によるものであったとヘンリー・アシュベイ・ターナーは指摘している。トーランド、95p</ref>。<br />
<br />
事態は暗礁に乗り上げ、12月1日にパーペンは議会の機能停止と軍隊による治安維持、すなわち政府によるクーデターを提案した。しかしシュライヒャーがこれに反対し、政党の信頼を失ったパーペンの代わりに自分が首相になり、社会民主党やナチ党の一部を切り崩すことで事態を沈静化すると提案した。議論は長い間続き、疲れ果てた老体のヒンデンブルクはパーペンのクーデターを承認した。退出したパーペンは議会に秩序が戻るまでの数ヶ月間を首相として留まり、その後にシュライヒャーを首相にすると告げた。これに対しシュライヒャーは「坊さん、坊さん、汝は苦難の道を選びたり<ref>{{lang-de-short|Mönchlein, Mönchlein, du gehst einen schweren Gang}}</ref>」と、かつて[[マルティン・ルター]]に投げつけられた言葉を投げかけた<ref>これは1521年にルターが[[ヴォルムス帝国議会 (1521年)|ヴォルムス帝国議会]]で異端宣告され、自説の撤回を拒否して退出する時に掛けられた言葉</ref>。ここにいたって二人の関係は完全に破綻した。翌日の閣議でシュライヒャーは軍や警察にナチ党が浸透しているため、強硬手段は内戦や[[ポーランド]]の介入を招くとの軍の調査結果を発表した<ref>この時の発表に当たったのが国防省国防軍局長の[[オイゲン・オット]]</ref>。このため内閣のメンバーもクーデターに否定的となった。ヒンデンブルクも「祖国を内戦に追いやることは出来ない」として、パーペンの辞職とシュライヒャーの首相就任を決断した。シュライヒャーは「私は閣下の最後の乗馬である」として渋ったが、ヒンデンブルクが辞任をほのめかしたために応諾した。<br />
<br />
しかしヒンデンブルクはパーペンを大変気に入っており、辞任の際も握手して落涙し、「私には一人の戦友がいた」と書かれた写真を贈った<ref>トーランド、97p。</ref>。この後、パーペンはしばしばヒンデンブルクの元を訪れ、側近グループの仲間入りをした。<br />
<br />
== ナチ党分裂の危機 ==<br />
[[ファイル:Bundesarchiv Bild 119-1721, Gregor Strasser.jpg|thumb|right|200px|グレゴール・シュトラッサー]]<br />
12月3日、シュライヒャーは正式な指名を受けて首相に就任した。しかしヒトラーの協力は得られなかったため、ナチ党の組織[[全国指導者]]である[[グレゴール・シュトラッサー]]に副首相就任とナチ党の協力を要請した。シュトラッサーは組織の責任者であったため、ナチ党の資金力がこれ以上の選挙に耐えられないと考えており、この提案を党に持ち帰ることを了承した。しかし12月5日に{{仮リンク|ホテル・カイザーホーフ|de|Hotel Kaiserhof}}で開かれた幹部会でこの提案を披露したところ、かつての部下であるゲッベルスをはじめとする幹部からヒトラーを裏切ったと猛反発を受けた。ヒトラーもシュトラッサーを猛批判し、ショックを受けたシュトラッサーは12月7日に党の役職をすべて辞任し、翌日[[ミュンヘン]]に帰った。この時、シュトラッサーは次のような言葉を残している。<br />
<br />
{{Quotation|今後ドイツの運命は[[アドルフ・ヒトラー|生まれついての嘘つきであるオーストリア人]]と、[[エルンスト・レーム|変質者の元将校]]と、[[ヨーゼフ・ゲッベルス|びっこの悪魔]]に握られるのだ。そしてこの最後の男が最も悪質だ。彼は人間の姿をしたサタンなのだ。|[[エルンスト・ハンフシュテングル]]『失われた歳月』よりの引用|ジョン・トーランド著、永井淳訳『アドルフ・ヒトラー』2巻、100p}}<br />
<br />
[[ナチス左派]]の領袖であり、組織を仕切ってきた古参幹部シュトラッサーの離脱はナチ党にとって大きな衝撃であったが、シュトラッサーに追随する動きはなく、党の分裂は回避された。しかしヒトラーは激しく落ち込んだ。「私の夢はどれ一つとして実現しないでしょう。」「すべてが失われた時、私がどうするかおわかりでしょう。(中略)約束を守って、弾丸で自分の一生にけりを付けるつもりです。」<ref>クリスマスに[[ヴィニフレート・ワーグナー]]へ送られた手紙。トーランド、102p</ref><br />
<br />
一方でシュライヒャーは社会民主党の協力を得るため、[[労働組合]]の組織{{仮リンク|全ドイツ労働総同盟|de|Allgemeiner Deutscher Gewerkschaftsbund}}の代表テオドール・ライパルトと接触を持った。しかし社会民主党はシュライヒャーに反感を持っており、ライパルトにシュライヒャーとの交渉を禁じた。また、シュライヒャーはユンカーを押さえようと1930年に行われた東部農業救済政策で不当な利益を得た者の調査を開始するとした。しかしこれはユンカーの猛反発を受け、自身も東部に農地を持つヒンデンブルクもシュライヒャーへの不信感を募らせた。この農地は息子オスカーの名義となっており、相続税の負担を逃れるための名義替えであるという疑惑が存在していた。<br />
<br />
== 水面下の策動 ==<br />
[[ファイル:Stadtwaldguertel35-koeln-2.jpg|thumb|right|200px|ケルンにあるシュレーダー男爵旧邸]]<br />
[[ファイル:Neudeck0002.jpg|thumb|right|200px|車に乗り込もうとするヒンデンブルク大統領と息子オスカー。後部中央の黒服の人物がマイスナー、その右がパーペン]]<br />
この情勢を見てパーペンは復権のために動き出した。ワイン商でナチ党員の[[ヨアヒム・フォン・リッベントロップ]]を仲介にしてヒトラーと接触を取り始めた。1933年1月4日、[[ケルン]]の銀行家{{仮リンク|クルト・フォン・シュレーダー|de|Kurt Freiherr von Schröder}}男爵邸でヒトラーとパーペンは極秘会談を行った({{仮リンク|銀行家シュレーダー邸におけるパーペンのヒトラーとの会談|de|Treffen_Papens_mit_Hitler_im_Haus_des_Bankiers_Schröder}})。この会談でヒトラーとパーペンによる内閣の設立が合意された。しかしこの情報は新聞記者に察知され、シュライヒャーの知るところとなる。<br />
<br />
シュライヒャーはヒンデンブルクにパーペンに接触しないように依頼するが、ヒンデンブルクはパーペンが密かにヒトラーと交渉することを許可した。この数日後、ヒンデンブルクはシュライヒャー内閣が打ち出した、破産したユンカーの農地買い取り計画を拒否した。軍部の上層部は大半がユンカーであり、シュライヒャーはこのことで軍の支持も失った。<br />
<br />
1月15日には{{仮リンク|リッペ自由州|de|Freistaat Lippe}}で州議会選挙が行われた。リッペ州は小さな州であり、普段は注目されないこの地方選挙をナチ党は一大キャンペーンで覆い尽くした。このことで、ドイツ国民はリッペ州選挙は国政の行方を担う一大選挙であるかのように錯覚した。選挙の結果、ナチ党は11議席中9議席を獲得して大勝利した。ナチ党は再び上り調子の党であると認識され、沈滞ムードを吹き払った。党には再び献金が殺到し、「党の財政状態は、一晩で根本的に改善された」<ref>ゲッベルスの日記の記述。児島、221p</ref>。この翌日、シュトラッサーは正式に党から除名された。1月18日、リッベントロップ邸でヒトラーとパーペンの再交渉が行われた。ヒトラーは首相の地位を再度要求したが、パーペンはヒンデンブルクやオスカーが強い反対を示し困難であると話した。この際にリッベントロップはオスカーとヒトラーの会談を提案した。<br />
<br />
オスカーは公然とヒトラー嫌いの発言をしており、ヒンデンブルクを動かすためには彼の説得が不可欠であった。1月22日、リッベントロップの別荘でヒトラーとオスカーの極秘会談が行われることになった。オスカーは大統領官房長マイスナーを同行し、ヒトラーはゲーリングと[[ヴィルヘルム・フリック]]を連れてきていた。一時間ほどオスカーとヒトラーは別室で会談し、それから食堂で豆とベーコン料理のみの会食が行われた。別室の会談で何が話されたのかは現在も明確になっていない。しかし、ヒトラーがヒンデンブルクの土地取得に関する疑惑を表沙汰にすると脅迫したものと見られている<ref>トーランド、村瀬興雄、林健太郎はいずれもこの考え方をとっている</ref>。会食の後、車に乗ったオスカーは「こうなってはやむを得ない。ナチスを政府に迎えざるをえないだろう」とつぶやいた<ref>トーランド、111p、オットー・マイスナーの証言</ref>。パーペンはこの時のオスカーの様子を見て、自らの首相就任を諦めた。以降パーペン・オスカー・マイスナーはヒトラーを首相にするよう、ヒンデンブルクに働きかけはじめた。<br />
<br />
この会見の情報はすぐさまシュライヒャーにも知られた<ref>この会談を極秘にするためオスカーは手の込んだ偽装工作を何度も行っていた。しかしシュライヒャーの情報収集力は高く、翌日マイスナーに「昨日の一皿夕食の味はいかがでしたか?」と電話している。</ref>が、彼に残された手段は限られていた。シュライヒャーはヒンデンブルクに国会の停止と軍部による独裁政権樹立を提案した。しかしヒンデンブルクは拒否し、しかもこの提案は外部に漏洩し、社会民主党や中央党から『憲法違反』『人民の敵』と罵られた。シュライヒャーは憲法を犯す意思はないと弁明したが、この弁明はかえって数少ない与党である国家人民党に見捨てられることとなった。これを見てパーペンは国家人民党と[[鉄兜団、前線兵士同盟|鉄兜団]]をヒトラー内閣派に引き入れた。<br />
<br />
1月28日、シュライヒャーは最後の手段として国会の解散をヒンデンブルクに持ちかけ、受け入れられなければ自らは辞職するとした。ヒンデンブルクは再度拒絶し、シュライヒャーの辞職を求めた。しかしヒンデンブルクはなおも迷っており、次のように語った。<br />
<br />
{{Quote|'''ヒンデンブルク大統領'''<br/>「わたしがこれからしようとしていることが正しいかどうかは、私自身にもわからない。だが間もなく(天を指さして)あそこに行けば答えが出るだろう。私はすでに墓の中に片足を突っこんでいるが、後で天国に行ったときこの行為を後悔しないという確信はない」<ref>[[:de:Thilo Vogelsang|Thilo Vogelsang]]「Staat und NSDAP」490~491pに引かれた無署名の覚書より</ref><br/>'''シュライヒャー首相'''<br/>「このような背信のあとで、閣下は果たして天国へ行けるでしょうか?」<ref>クルト・フォン・ハンマーシュタイン=エクヴォルトの覚書。</ref>| |ジョン・トーランド著、永井淳訳『アドルフ・ヒトラー』2巻、113-114p}}<br />
<br />
シュライヒャーが去った後、パーペン・オスカー・マイスナーがヒンデンブルクの元を訪れた。ヒンデンブルクは再びパーペンに組閣をすすめたが、彼は拒否した。「ではあのヒトラーを首相にするのが、わしの不愉快きわまる義務なのかね?」<ref>トーランド、114p</ref>と答えたヒンデンブルクは、パーペンを副首相、[[ヴェルナー・フォン・ブロンベルク]]中将を国防相にすることと条件にヒトラー首相指名を了解した。翌日1月29日、パーペンは大統領の言葉をヒトラーに伝えた。ヒトラーはこの条件を承諾し、かわりに総選挙の実施と、選挙後の[[全権委任法]]の制定を要求した。パーペンはもっともな条件であると了解し、合意が成立した。<br />
<br />
== ヒトラー内閣成立 ==<br />
[[ファイル:Bundesarchiv Bild 183-H28422, Reichskabinett Adolf Hitler.jpg|thumb|right|200px|成立日のヒトラー内閣]]<br />
[[ファイル:Bundesarchiv Bild 137-048390, Berlin, SA-Aufmarsch am Brandenburger Tor.jpg|thumb|right|200px|1933年1月30日の夜[[ブランデンブルク門]]前で松明行進を行う突撃隊]]<br />
首相への道が開けたことにヒトラーとゲーリング、ゲッベルスは喜び、[[マグダ・ゲッベルス]]が焼いたナッツケーキで祝宴を開いた。そこにシュライヒャーの使者{{仮リンク|ヴェルナー・フォン・アルフェンスレーベン|de|Werner von Alvensleben}}が訪れ、ヒンデンブルクがヒトラーを首相に指名すれば、軍部のクーデターが起こると警告して去った。ヒトラーは驚き、ベルリンの突撃隊に警戒態勢を取らせ、党員である警察幹部にヴィルヘルム街(官庁街)の占領準備を命令した。さらに[[ジュネーブ軍縮会議]]から帰国中のブロンベルク中将に連絡し、ベルリン駅から大統領官邸に直行させた。この措置は一揆の発生に対応するためと、シュライヒャーとの連絡を絶ってブロンベルクを確実に味方に引き入れるためであった。<br />
<br />
翌1月30日朝、大統領官邸に新内閣の首脳が集まった。しかしナチ党と連立を組む予定であった国家人民党党首[[アルフレート・フーゲンベルク]]はナチ党が要求する総選挙に反対し、新政府発足は遅れた。パーペンは午前11時までに政府が成立しなければシュライヒャーと軍のクーデターが起こると激高した。そこにヒトラーとゲーリングが到着して選挙後も内閣改造はしないと言ってフーゲンベルクを説得したが、彼はなおも納得しなかった。しかしマイスナーが大統領を待たせてはいけないとたびたび注意し、解散については中央党や[[バイエルン人民党]]とも話し合うとヒトラーが告げたため、フーゲンベルクも折れた。<br />
<br />
それから新首相の親任式が行われたが、大統領が通常行う歓迎演説や任務の説明も省略された。ヒトラーは憲法を守り、議会で過半数を制すると演説を行ったが、ヒンデンブルクは「では諸君、幸運を祈る」と言ったのみだった。ヒトラー首相就任を知ったナチ党員は歓喜し、街に繰り出して行進した。夜にはゲッベルスの演出で松明を持った突撃隊員が大行進を行った。後に「[[白いバラ]]」運動を起こす[[反ナチ運動]]家となったショル兄妹の姉・インゲは、「ラジオも新聞も今後ドイツのすべてがよい方向に進むであろう」と報じていたと回想している{{sfn|南利明|民族共同体と法(二)|pp=78-79}}。<br />
<br />
[[ヒトラー内閣]]は首相こそヒトラーであるものの、閣僚の選定は各党の希望を入れてパーペンが選定した。ナチ党員の入閣は内相の[[ヴィルヘルム・フリック]]、無任所相のゲーリングの2名のみであった。このため外部の観測では実権がパーペンのものであると見られていた<ref>当時の[[ニューヨーク・タイムス]]は内閣の構成が「ヒトラー氏の独裁志望に祝福の余地を残していない」と論評し、[[東京朝日新聞]]1933年1月31日号の「惑星ヒトラー氏 遂に政權を掌握す」という記事でも「実権はパーペン氏の掌中」であるとしている。また国内紙の{{仮リンク|フランクフルター・ツァイトゥング|de|Frankfurter Zeitung}}紙は「首相ではなくフーゲンベルク氏を中心に回転する」と論評した。児島、242p</ref>。パーペン自身もそのつもりであり、「われわれは彼を雇ったのさ」「わたしはヒンデンブルクに信頼されている。二ヶ月もしないうちに、ヒトラーは隅っこのほうに追いやられてきいきい泣いているだろう」と語っている<ref>{{仮リンク|エヴァルト・フォン・クライスト=シュメンツィン|de|Ewald_von_Kleist-Schmenzin}}「Die letzte Möglichkeit」よりの引用、トーランド、124p</ref>。<br />
<br />
== 治安権力の掌握 ==<br />
2月2日、ヒトラーは中央党との話し合いが決裂したとして、早速国会を大統領令により解散させた。さらに軍の支持を得るために、[[クルト・フォン・ハンマーシュタイン=エクヴォルト|ハンマーシュタイン=エクヴォルト]][[兵務局 (ドイツ陸軍)|兵務局]]長([[プロイセン参謀本部|参謀本部]]の秘匿名称)宅で軍幹部を集めて政策の説明を行った。会談を仲介したのは新国防相のブロンベルクであった。ヒトラーは[[マルクス主義|マルクシズム]]と「悪性腫瘍のような民主主義」の根絶を述べた。また「東方における領土征服とその容赦ないドイツ化」([[東方生存圏]])のために再軍備を行うとした。また軍事組織になるのではないかと警戒されていた突撃隊に関しては、軍隊が「唯一の武器の所持者であり、その組織に手を加えるつもりはない」と話した。[[ヴェルナー・フォン・フリッチュ]]、[[フリードリヒ・フロム]]といった将軍は侵略構想に不安感を覚えたが、海軍の[[エーリヒ・レーダー]]のように好感を持って迎えた将軍も存在した。これ以降、この時[[ヴィルヘルム・フォン・レープ]]が感じたようにヒトラーとナチ党は軍部の取り込みに力を入れるようになった。一方で国防軍にかわって軍となることを目指していた突撃隊幕僚長[[エルンスト・レーム]]を始めとする突撃隊幹部は次第に反感を募らせていった。<br />
<br />
2月4日、「{{仮リンク|ドイツ民族保護のための大統領令|de|Verordnung des Reichspräsidenten zum Schutze des Deutschen Volkes}}」が発出され政府による集会・デモ・政党機関紙の統制が行われることになった{{sfn|南利明|1992|pp=269}}。2月6日、かねてから中央政府やナチ党に反発していた[[プロイセン州]]政府に対して「プロイセン州における秩序ある政府状態を確立するための大統領令 ({{lang|de|Verordnung des Reichspräsidenten zur Herstellung geordneter Regierungsverhältnisse in Preußen}})」が出され、プロイセン州は[[国家弁務官]]となるパーペンの指揮下に置かれることになり、新しい州内相にゲーリングが就任した。これにより全土の3分の2を占めるプロイセン州の警察権力はナチ党によって握られることとなった。また国家弁務官は他の州にも相次いで置かれ、州の独立は失われていった。これは国家による州の[[強制的同一化]]([[:de:Gleichschaltung|Gleichschaltung]])の始まりであった。<br />
<br />
州内相となったゲーリングは警察幹部を信頼できる人物に置き換え、「突撃隊、親衛隊、鉄兜団への敵意を示すような行動を避ける」ことと「国家に敵意を持つ組織には断固として対処し、銃の使用をためらわない」ように通達した。これは実質的な共産党に対する警察権力の行使であり、彼らは反発し、機関紙は政権を激しく非難した。ゲーリングはこれを『共産党叛乱の予告』として、2月21日には突撃隊、親衛隊、鉄兜団の団員5万名を『{{仮リンク|補助警察|de|Hilfspolizei}}』として雇い入れた。[[ラインハルト・ハイドリヒ]]は後に「1933年にナチ党が国政の指導を引き受けたとき、自分たちにとって、国家の敵を撲滅する最重要手段の一つが警察組織でなければならないということははっきりしていた。」と述べており{{sfn|芝健介|1989|pp=77}}、『[[警察国家]]』はナチス体制を示す象徴表現のひとつとなった。2月24日には共産党本部の{{仮リンク|カール・リープクネヒト館|de|Karl-Liebknecht-Haus}}をプロイセン州が捜索し、「共産党叛乱の計画書」を発見したと発表した。<br />
<br />
== 国会議事堂放火事件 ==<br />
[[ファイル:Bundesarchiv Bild 183-R99859, Berlin, brennender Reichstag (Reichstagsbrand).jpg|thumb|right|200px|炎上する国会議事堂]]<br />
{{main|ドイツ国会議事堂放火事件}}<br />
2月27日の夜、[[国会議事堂 (ドイツ)|国会議事堂]]が炎上した。現場では一人の男、元{{仮リンク|オランダ共産党|en|Communist Party of the Netherlands}}員で国際共産主義グループ (IKG)に属する[[マリヌス・ファン・デア・ルッベ]]が捕らえられた。ルッベは国会議事堂に火を付ければ革命勢力が立ち上がると考えて放火を行ったと供述している。調査に当たったプロイセン州政治警察局の[[ルドルフ・ディールス]]もルッベの単独犯行であると見ていた。<br />
<br />
しかしヒトラーやゲーリングはこれを「共産主義者による叛乱の始まり」であるとした。ヒトラーは「コミュニストの幹部は一人残らず銃殺だ。共産党議員は全員今夜中に吊し首にしてやる。コミュニストの仲間は一人残らず牢にぶち込め。社会民主党員も同じだ!」<ref>トーランド、135p</ref>と叫び、単独犯ではなく組織的な陰謀であると断定した。ゲーリングもディールスの意見を無視し、公式発表にあった「百ポンド」の放火材料も「千ポンド」と書き直した。さらに二人の共産党議員が共犯であるとも付け加えた。この日のうちに国会と地方の共産党議員および公務員への逮捕命令が出され、共産党系新聞はすべて発行停止となった。<br />
<br />
翌2月28日、ヒトラーは閣議で「{{仮リンク|民族と国家の保護のための大統領令|de|Verordnung des Reichspräsidenten zum Schutz von Volk und Staat}}」{{sfn|南利明|1992|pp=266-268}}と「ドイツ民族への裏切りと反逆的策動に対する大統領令 ({{lang|de|Verordnung des Reichspräsidenten gegen Verrat am Deutschen Volke und hochverräterische Umtriebe}})」の二つの緊急大統領令制定を提案した。これは「法的考慮に左右されずに決着を付ける」<ref>トーランド、137p</ref>ためのものであり、政府は非常大権を得た。言論・報道・集会および結社の自由、通信の秘密は制限され、令状によらない逮捕・「{{仮リンク|保護拘禁|de|Schutzhaft}}」が可能となった。パーペンもわずかな修正を加えただけで賛成し、ヒンデンブルクも黙って署名した。この結果3000人以上の共産党員・ドイツ社会民主党員が逮捕・拘束された。<br />
<br />
こうした広範な保護拘禁は市民の間にも恐怖を与え、1933年の夏には「当局に反対しただけで警察の追求を受ける」という認識が広まった。さらにゲシュタポが密告を奨励したため、市民の間には友人が密告者かもしれないという恐怖心が芽生えた。また、拘禁された人々のその後が不明であることも恐怖に拍車をかけた。{{仮リンク|ウィリアム・アレン|en|William Sheridan Allen}}は『The Nazi Seizure of Power』において「こうした状況の下で、ナチスは、人々を威嚇するためにはほとんど何もする必要がなかった。みせしめのために左右両派の人物を攻撃し、残りのすべてを社会の自然な成り行きに任せれば良かったのだ。」と評し、市民は「今更じたばたしても無駄である」という感情に包まれたとしている{{sfn|南利明|民族共同体と法(10)|pp=303-304}}。<br />
<br />
この動きは火事の発生時点からナチ党によって仕組まれた陰謀であるという説もあるが、トーランドのように火事がヒトラーとナチ党にヒステリー状態を引き起こした結果であるとする解釈もある。<br />
<br />
== 「最後の選挙」 ==<br />
{{main|1933年3月ドイツ国会選挙}}<br />
2月20日、シャハトの仲介でヒトラー、ゲーリングは国会内に置かれた{{仮リンク|label=議長公邸|ドイツ帝国議会議長宮殿|de|Reichstagspräsidentenpalais}}で[[クルップ]]や[[IG・ファルベンインドゥストリー|IG・ファルベン]]といったドイツ有数の企業の首脳との会合を行った ({{仮リンク|1933年2月20日の秘密会談|de|Geheimtreffen vom 20. Februar 1933}})。この席でヒトラーはナチ党への協力を求め、ゲーリングは「この選挙がこれから先10年間の、いやおそらくは100年間の最後の選挙となることを認識されるのであれば、われわれがみなさんに要求する犠牲は決して過大なものではないでしょう。」と語りかけている<ref>トーランド、142-143p</ref>。シャハトが全体で総額300万[[ライヒスマルク]]の献金を提案すると、[[グスタフ・クルップ]]がルール財閥を代表して拠出した100万ライヒスマルクを筆頭に、他の企業も追随して献金した。シャハトは「(新内閣は)ナチス党が主張している『でまかせの改革』を実行するつもりはない」<ref>児島、224p</ref>と考えており、他の財界人も同じ考え方をしていた。ナチ党は圧倒的な資金力と国家権力で選挙活動を行えることになった。<br />
<br />
ヒトラーは首相就任を「[[ナチズム|国家社会主義運動]]にドイツの指導をヒンデンブルクが託した」ものであると定義し、「国家社会主義革命」によって手に入れたものであるとした。つまりこの時点でヒトラーとナチ党は「国民と国家の指導者」(nationaler Führer)となっており、選挙はその信任投票であるとした<ref>南、<論説>指導者-国家-憲法体制の構成、4-5p</ref>。ユダヤ人批判は押さえられたが、具体的な綱領は出されなかった。ただ「ドイツ国民よ、我々に4年の歳月を与えよ、しかる後、我々に審判を下せ!」(Deutsches Volk, gib uns vier Jahre Zeit, dann richte und urteile über uns!)<ref>1933年2月10日のヒトラー演説。</ref>と訴えた。党の主要な演説は、ラジオ放送された上に街頭に設置されたスピーカーからも流れた。突撃隊の暴力は警察によって見逃された。投票日の前日は「目覚める国民の日」と名付けられ、投票を促すキャンペーンが行われた。<br />
<br />
3月5日に投票が行われ、結果ナチ党は288議席を獲得した。得票率は43.9%であり、単独過半数には及ばなかった。しかし連立相手である国家人民党の52議席を合わせれば340議席となり、過半数を越えた。共産党は票を大幅に減らしたものの、81議席を獲得した。<br />
<br />
== 全権委任法 ==<br />
[[ファイル:Bundesarchiv_Bild_102-16093,_Tag_von_Potsdam,_Rede_Hitler_in_Garnisonkirche.jpg|thumb|right|200px|ポツダムの日、ヒンデンブルクに答辞を送るヒトラー]]<br />
[[ファイル:Bundesarchiv Bild 183-S38324, Tag von Potsdam, Adolf Hitler, Paul v. Hindenburg.jpg|thumb|right|200px|ポツダムの日、ヒンデンブルクと握手するヒトラー]]<br />
[[ファイル:Bundesarchiv Bild 102-14439, Rede Adolf Hitlers zum Ermächtigungsgesetz.jpg|thumb|right|200px|全権委任法の制定を求めるヒトラー、1933年3月23日]]<br />
{{main|全権委任法}}<br />
投票結果が発表された直後、ゲーリングはプロイセン州の公共建造物にナチ党党旗[[ハーケンクロイツ]](鉤十字旗)旗を掲げさせた。中央党が抗議したが、「ドイツ住民の大部分は、3月5日に鉤十字旗に信仰を告白したのだ」と述べて撤回しなかった<ref>児島、260p</ref>。<br />
<br />
3月7日、ヒトラーは閣議において選挙結果は「革命であった」と宣言し、当初予定されていた憲法の枠内に収まる全権委任法ではなく、憲法そのものを覆す包括的授権法である事を明らかにした<ref>南、NATIONALSOZIALISMUSあるいは「法」なき支配体制-2-、2p</ref>。しかしヒトラーは「かかる授権法をライヒスターク(国会)は可決するであろう。」と述べたが、憲法改正的な法律を通過させるためには国会において議員定数3分の2の以上の出席、そしてその3分の2の賛成を必要とした。さらに{{仮リンク|ドイツ国参議院|label=参議院(ライヒスラート)|de|Reichsrat (Deutschland)}}の賛成も必要であった。しかしヒトラーはこう続けた「共産党の議員はライヒスターク開会の際に姿を見せることは無いであろう。それというのも、彼らはあらかじめ拘禁されてしまっているであろうから。」。<br />
<br />
3月9日、突撃隊幕僚長レームと[[ミュンヘン]]大管区指導者[[アドルフ・ワーグナー (政治家)|アドルフ・ワーグナー]]は、突撃隊を引き連れてバイエルン州首相官邸に押しかけ、州首相[[ハインリヒ・ヘルト]]に辞職を要求した。ヘルトは大統領に救援を求めたが、「首相と相談せよ」という返事を得たのみであった。ヘルトら州政府は「混乱を収拾できない」として解任され、国家弁務官にミュンヘンの突撃隊指導者[[フランツ・フォン・エップ]]が任じられた。これにより、すべての州が政府の統治下に置かれ、州政府による自治は事実上終焉した<ref>南、NATIONALSOZIALISMUSあるいは「法」なき支配体制-3-、6p</ref>。<br />
<br />
3月15日、再度行われた閣議で内相フリックが全権委任法の具体的な案を提示した。議案の内容は政府に国会や憲法に制約されない幅広い権限を授与するものであった。さらに「議長は許可を得ず欠席した議員を排除できる」「自己の責任によらず欠席した議員は、出席したものとみなされる。排除された議員も出席したものとみなされる」という議院運営規則の修正案を出した。パーペンやフーゲンベルクは国会を国民議会にし、新たな憲法作成の可能性を盛り込ませる事で授権を制限しようとしたが一蹴され、全員一致で承認せざるを得なかった<ref>南、NATIONALSOZIALISMUSあるいは「法」なき支配体制-3-、4p</ref>。<br />
<br />
3月21日、[[ポツダム]]の{{仮リンク|衛戍教会 (ポツダム)|label=衛戍教会|de|Garnisonkirche (Potsdam)}}で新国会の開会記念式典が行われた。当日は「国民高揚の日」と名づけられ、ゲッベルスの演出による壮麗な儀式が行われた。儀式の場には旧[[ドイツ帝国]]皇族が参列し、空の皇帝玉座も据えられていた。しかし共産党議員と欠席を選んだ社会民主党議員の姿は無かった。ヒトラーは「国家社会主義運動」に国家指導が託され、「古い偉大さと若い力が結合」されたと演説した。大統領をはじめとする保守主義者はヒトラーが[[プロイセン王国]]以来の伝統を尊重すると感じた。ゲッベルスの日記によるとヒンデンブルクは眼に涙を浮かべていたという<ref>南、NATIONALSOZIALISMUSあるいは「法」なき支配体制-3-、6-8p</ref>。この日は[[ドイツ国 (1933年-1945年)|ナチス・ドイツ]]時代を通じて祝日となった。戦後は{{仮リンク|ポツダムの日|de|Tag von Potsdam}}と呼ばれ、ドイツの歴史における象徴的な日の一つとなる。同日午後、国会に全権委任法法案と議院運営規則改正案が提出された。また「{{仮リンク|卑劣法|label=国民高揚の政府に対する卑劣な攻撃の防衛のための大統領令|de|Heimtückegesetz}}が制定され、「政府と政府を支持する政党」に反対する「虚偽の宣伝」を行うことが禁止された。すでに緊急大統領令による拘束者数は3月前半のプロイセン州だけで7700人を超えていた<ref>南、NATIONALSOZIALISMUSあるいは「法」なき支配体制-3-、22p</ref>。<br />
<br />
国会は暫定議会場となった{{仮リンク|クロル・オペラ劇場|de|Krolloper}}で行われた。閣議でのヒトラーの言葉通り、共産党議員81人全員、そして社会民主党議員26人、中央党・[[ドイツ人民党]]議員それぞれ1人は、逮捕・病気・逃亡などの理由で欠席した。緊急大統領令によって議員を拘束できるナチ党に抗う事はもはや不可能であった。議院運営規則改正案は起立多数で通過し、採択の時が迫った。中央党も党に降りかかる災難を恐れて賛成に回った。<br />
<br />
3月23日、冒頭で議案説明に当たったヒトラーはこの法律が「国民と国家の指導の精神的かつ意思的統一を確立」するためであり、「民族の意思と真の指導の権威が結びついた一つの憲法体制をつくりあげる」ものであるとした<ref>南、NATIONALSOZIALISMUSあるいは「法」なき支配体制-3-、14p</ref>。さらに国会や州、大統領の権限は侵されないと強調した。議場を突撃隊が取り囲み、「われわれはこの法律を要求する!さもなければ放火と殺人だ!」と叫ぶ中、唯一社会民主党が反対に周り、党首[[オットー・ヴェルス]]が反対演説を行った。しかし抵抗はむなしく、圧倒的多数で可決された。突撃隊員は歓喜して党歌『[[旗を高く掲げよ]]』を合唱した。続いて開催された第二院でも、満場一致で採択された。第二院の議員は州政府選出議員であり、指示を行う州政府がナチ党によって握られた今、反対などできるはずも無かった。こうして国会が持っていた立法権は政府に吸収され、議会政治は終焉した。翌日、ナチ党の機関紙『[[フェルキッシャー・ベオバハター]]』は「ドイツは目覚めた。偉大な仕事が始まった。『[[第三帝国]]』の日が到来したのだ。」と書いている<ref>南、NATIONALSOZIALISMUSあるいは「法」なき支配体制-2-、218p</ref>。<br />
<br />
== 国家と党の一体化 ==<br />
3月31日、{{仮リンク|ラントとライヒの均制化に関する暫定法律|label=ラントとライヒの均制化(グライヒシャルトゥング)に関する暫定法律|de|Vorläufiges Gesetz zur Gleichschaltung der Länder mit dem Reich}}が制定された。これにより州議会の各党議席は国会の議席配分と同一のものに変えられた。ただし、すでに禁止された共産党は除外されている。4月7日には第二法律が制定され、国家弁務官にかわって州総督(または[[国家代理官]]、[[:de:Reichsstatthalter|Reichsstatthalter]])が設置されることとなった。これにより[[中央集権]]化の動きは加速していった。<br />
<br />
4月10日にはゲーリングがプロイセン州首相となり、4月26日にはプロイセン州政治警察局が、プロイセン州秘密警察局に改組した。この組織は郵便略号から「[[ゲシュタポ]]」と呼ばれる。11月30日には『秘密国家警察に関する法律』が制定され、ゲシュタポの権限は国内全域に及ぶことになり、事実上ゲーリング直属となった。またこの頃には合議体であった内閣も「内閣の中で指導者の権威が完全に確立されるに至った。もはや表決が行われる事はない。指導者が決定を下すのだ。」とゲッベルスが日記に記すように、ヒトラーの独裁体制となった<ref>南、指導者-国家-憲法体制における立法(1)、4月22日のゲッベルス日記</ref>。<br />
<br />
国会無効化に続く次の目標は、ナチ党以外の政治勢力の消滅であった。6月21日、社会民主党の活動が禁止され、財産も没収された。この頃から他の政党も「自己解散」の道を選び、[[ドイツ国家党]](6月28日)、中央党(7月3日)、[[バイエルン人民党]]・[[ドイツ人民党]](7月4日)が次々と消滅した。ヒトラー内閣の与党も例外ではなく、6月21日に鉄兜団はナチ党に吸収され、6月27日にはフーゲンベルクが閣僚を辞任し、国家人民党は解散した。7月14日にはナチ党以外の政党は存続・新設を禁止された。11月12日にはナチ党のみを対象とする[[1933年11月ドイツ国会選挙|国会議員選挙]]が行われ、[[一党独裁]]体制が確立した。12月1日には「党と国家の統一を保障するための法律」が制定され、党は国家と一体であると発表された。党の組織はほぼ公的な組織となり、また、ナチ党の地域区分である[[大管区 (ナチ党)|大管区]]の[[大管区指導者|指導者]]が事実上の地方支配者となった。<br />
<br />
== 強制的同一化 ==<br />
[[ファイル:Bundesarchiv Bild 146-1988-106-15, KdF-Betriebssport, Tischtennis.jpg|thumb|right|200px|労働戦線によるレクリエーション]]<br />
{{main|強制的同一化}}<br />
ナチ党の基本理念では民族は国家社会主義運動にふさわしい考え方や行動を取ることが当然であると考えられていた。その理想的な民族による民族共同体を、一人の指導者が率いる[[指導者原理]]によって指導する体制が[[ナチス・ドイツ]]の理想とする社会であり、党や国家はそのための手段であると考えられた。この民族を「理想に合致した鋳型に入れて鋳直す」作業をナチ党は「[[:de:Gleichschaltung|Gleichschaltung]]」(グライヒシャルトゥング)と呼んだ<ref>南、NATIONALSOZIALISMUSあるいは「法」なき支配体制-3-、2p</ref>。この言葉は均制化、同質化の意味であり、この思想に基づきナチス体制の下で行われた一連の出来事は強制的同一化・同質化の訳語が当てられる。州自治の停止や政党解体もこの動きの一つである。<br />
<br />
全権委任法成立に先立つ3月20日、大統領令により『[[国民啓蒙・宣伝省]]』が設立された。大臣となったのはゲッベルスであり、彼は就任直後の会見で「政府と民族全体のグライヒシャルトゥングの実現」が省の目的であると述べた<ref>南、民族共同体と法(3)、11p</ref>。以降この宣伝省が国民の意識を同質化する政策を行うことになる。<br />
<br />
5月1日、「{{仮リンク|国民労働の日|de|Tag der nationalen Arbeit}}」という労働者と政府が結束するというイベントが行われ、10万人の労働者が集まった。その翌日、ドイツ国内の労働組合は突撃隊と親衛隊の襲撃を受けて財産を接収され、解散に追い込まれた。5月10日には新たな労働組合組織として[[ロベルト・ライ]]が率いる「[[ドイツ労働戦線]]」が成立し、ナチ党による労働者の組織化が行われた。5月26日には共産主義者の財産を没収する法律が定められた。<br />
<br />
この頃から医師連盟や教職員会、フライコール、街のコーラスグループから同好会に至るまでありとあらゆる団体は解体され、ナチ党主導によるものに再編成された。[[ボーイスカウト]]などの青少年組織も解体され、党の青少年組織である[[ヒトラーユーゲント]]に編入された。これにより、街の社会的な組織はほぼ完全に根絶され、「独裁者が歓迎するあの組織なき大衆へと鋳造された」<ref>ウィリアム・アレン「The Nazi Seizure of Power」よりの翻訳引用、南、民族共同体と法(1)、42-43p。</ref>。出版・放送業界も宣伝省の監督下に置かれ、報道・表現の自由は消滅した。また、ナチズムによる「民族共同体」建設といったスローガンや、ヒトラーユーゲントなどのナチ党組織による運動によってもたらされる高揚感は、青少年たちにナチズム運動の一員であるという実感を与えた{{sfn|南利明|民族共同体と法(二)|pp=78-79}}。<br />
<br />
このような動きに大きな抵抗は出ず、ヒトラーの山荘[[ベルクホーフ]]はヒトラーの姿を一目見ようとする人々で賑った。海外にも熱烈な信奉者が生まれ、ドイツの「正当な要求」を理解する動きが生まれた。10月14日、ヒトラーは[[ジュネーブ軍縮会議]]で突撃隊が軍隊扱いされることになったことに反発し、[[国際連盟]]から脱退した。ヴェルサイユ体制からの離脱は多くのドイツ国民の宿願であり、{{仮リンク|民族投票|de|Volksabstimmung (Deutschland)}}<ref>1933年7月14日に制定された「民族投票法」による。議会や国民の一定数の支持があれば行えたヴァイマル時代の国民投票とは異なり、投票の発議権は政府のみに存在していた。また民族投票は決定を行う手段ではなく、政府が行った決定を承認する性格しか持たなかった{{harv|南利明|指導者-国家-憲法体制における立法(一)|pp=82-83}}</ref>では95.1%がこの措置に賛意を示した。[[ダッハウ強制収容所]]に収容されていた2242名中、2145名も賛成票を投じている<ref>トーランド、171p</ref>。<br />
<br />
また、国会議事堂放火事件の共犯者に無罪判決を出すなど、一定の独立性を保っていた司法界もやがてナチ党の支配下に組み込まれた。1933年3月21日には上級地方裁判所の上に「証拠調査の必要を認めないという確信を得た場合、これを拒否できる」「判決に関してはいかなる法律上の救済も認めない」等強い権限を持つ特別裁判所が設置された{{sfn|南利明|民族共同体と法(8)|pp=56-57}}。9月6日からは刑法の見直し作業がはじまった。在来の法概念を根底から覆す[[罪刑法定主義]]の放棄により、犯罪そのものだけではなく、民族共同体に悪影響を及ぼすとされた「犯罪への性向」も刑罰の対象とされた{{sfn|南利明|民族共同体と法(8)|pp=48-60p}}。さらに1934年4月24日には[[人民法廷]]が設置され、ヒトラー・国家・ナチ党・民族共同体に対する反逆はこの法廷で裁かれることとなった。この法廷においては職業裁判官と別にヒトラーに指名された者が裁判官となり、法律ではなくナチズムの見地から見て好ましい判決が要請される{{sfn|南利明|民族共同体と法(8)|pp=59-69p}}、一種の政治裁判所であった{{sfn|南利明|民族共同体と法(9)|pp=63-64}}。<br />
<br />
また[[ユダヤ人]]・同性愛者・精神障害者・遺伝的疾病者などの「国民共同体に悪影響を与える異分子」を排除する動きが強まった。4月1日には突撃隊によるユダヤ人商店へのボイコット呼びかけが行われた。ヒンデンブルクはユダヤ人退役軍人への差別には強硬に反対したが、ある程度の配慮を行うという曖昧な約束がされるにとどまった。4月7日にはユダヤ人が公職に就くことは禁止され、教育機関からも追放された({{仮リンク|職業官吏再建法|de|Gesetz zur Wiederherstellung des Berufsbeamtentums}})。<br />
<br />
== 長いナイフの夜 ==<br />
[[ファイル:Bundesarchiv Bild 146-1982-159-22A, Nürnberg, Reichsparteitag, Hitler und Röhm.jpg|thumb|right|200px|ヒトラーとレーム]]<br />
{{main|長いナイフの夜}}<br />
こうした動きの中で、不満を強めていったのが突撃隊の幹部達であった。彼らはこの国民革命が生温いと考えており、第二革命である「褐色革命」<ref>褐色は突撃隊、灰色は国軍の制服の色を指す。</ref>を求めていた。彼らは政策に不満感を持っていたものの、ヒトラー個人に対する忠誠心は持ち続けた。また幕僚長レームらは、国軍にかわって突撃隊が新たな軍となることを目指していた。国軍首脳は突撃隊を押さえることを要求し、ヒトラーはレームを大臣にして懐柔しようとする一方、「新しい軍は褐色ではなく灰色になる」<ref>トーランド、193p</ref>として突撃隊を牽制した。<br />
<br />
一方、親衛隊の長である[[親衛隊全国指導者]][[ハインリヒ・ヒムラー]]は各州の警察権力を徐々に手に入れていった。1934年4月22日にはプロイセン州警察とゲシュタポの管理権限も与えられ、親衛隊は実質的な全土の警察権力を手に入れた。彼らとヒムラーに権限を譲ったゲーリングは、自分たちを「君側の奸」と見ているレームら突撃隊幹部排除の計画を建てた。<br />
<br />
6月頃から突撃隊反乱のうわさが流れはじめ、情勢は不穏になった。6月17日、副首相パーペンが[[フィリップ大学マールブルク|マールブルク大学]]で突撃隊と暗にナチ党に対する批判演説を行った。ゲッベルスは演説の放送禁止などの措置をとったものの、粗暴で同性愛者が多いなどという突撃隊に不信感を持っていた人々からは広く共感を得た。ヒンデンブルク大統領と国軍も突撃隊に対する何らかの措置を求め、もしもの場合は大統領権限で[[戒厳令]]を敷くと通告した。ここにいたってヒトラーも突撃隊粛清の意思を固め、親衛隊に準備を命じた。<br />
<br />
6月30日、ヒトラーとの幹部会議の名目で突撃隊幹部達はミュンヘン郊外のホテルに集められていた。この日の早朝、ヒトラーは自ら幹部とともにレームらの逮捕を行った。またベルリンなどでも親衛隊が動き出し、次々に逮捕・処刑した。また前首相シュライヒャーや[[フェルディナント・フォン・ブレドウ]]将軍、元組織全国指導者グレゴール・シュトラッサー、マールブルク大学の演説原稿を書いたパーペンの秘書<br />
{{仮リンク|エドガー・ユリウス・ユング|de|Edgar Julius Jung}}などの政敵も逮捕・暗殺された。パーペンも自宅に軟禁され、外部との連絡を絶たれた。ヒトラーはナチ党草創期からの同志レームを助命したいと考えていたが、ゲーリングらの説得に応じて7月1日に処刑命令を出した。<br />
<br />
こうした「長いナイフの夜」と呼ばれる一連の粛清は7月2日まで続いた。7月3日には「国家緊急防衛の諸措置に関する法律」が制定され、この粛清は合法的なものであるとされた。突撃隊は素行が悪く評判も悪かったために、粛清は大方の国民から好感を持って受け入れられた。こうして党内の最大勢力突撃隊は骨抜きにされ、親衛隊の勢力が大きく拡大していくことになる。<br />
<br />
== 国家社会主義革命の完了 ==<br />
一方、すでに高齢であり衰弱していたヒンデンブルク大統領は死を迎えつつあった。パーペンはヒンデンブルクに帝政復活を希望する遺言書を書かせ、それを公表することでナチ党を押さえようとした。しかしヒンデンブルクはヒトラーへの私信の形で帝政復活の希望を述べたものの、公式な遺言書にはそれを書かなかった。<br />
<br />
8月1日、緊急閣議が行われ、「国家元首に関する法律」(Gesetz über das Staatsoberhaupt des Deutschen Reichs) が制定された。これはヒンデンブルクが死んだ後に大統領の職を首相と統合し、権限を「指導者兼首相であるアドルフ・ヒトラー」個人に委譲するというものであった<ref>南、指導者-国家-憲法体制の構成、19p。</ref>。翌日ヒンデンブルクは死去し、法律が発効してヒトラーは国家元首の権限を手に入れた。以後、ドイツ国の最高指導者となったヒトラーの地位を日本では「[[総統]]」と称する。8月19日にはこの措置の正統性を問う民族投票が行われ、投票率95.7%のうち89.9%が賛成票を投じた(ドイツ国国家元首に関する国民投票)。すでにヒトラーに対する個人崇拝も高まっており、ヒトラーを[[イエス・キリスト|キリスト]]と同一視する風潮も存在した<ref>トーランド、247p</ref>。<br />
<br />
国民投票終了の翌日、ヒトラーは肩書き無しの「アドルフ・ヒトラー」として次のような布告を行った。「ナチス(国家社会主義)革命は、権力事態としては終了した。これから1000年間、ドイツにおいてはいかなる革命も起こらないであろう」<ref>南、NATIONALSOZIALISMUSあるいは「法」なき支配体制-3-、23p</ref>。<br />
<br />
== その後 ==<br />
この後、ドイツ国内に残ったナチ党以外の勢力としては軍の存在があるが、ナチ党の教育を受けた若い世代の台頭、そして[[ブロンベルク罷免事件]]などにより、軍の権限もヒトラーに掌握されることになる。<br />
<br />
== 年表 ==<br />
* [[1921年]] ヒトラー、ナチ党の指導者となる。<br />
* [[1923年]] ミュンヘン一揆。偽装組織が国会議席を獲得。<br />
* [[1928年]] ナチ党として初の[[1928年ドイツ国会選挙|国政選挙]]。12議席を獲得。<br />
* [[1930年]] [[1930年ドイツ国会選挙|この年の選挙]]でナチス党は第2党の地位を獲得。{{仮リンク|ハルツブルク戦線|en|Harzburg_Front}}の結成。<br />
; [[1931年]]<br />
* [[10月14日]] ヒトラーとヒンデンブルク大統領の初会見<br />
<br />
; [[1932年]]<br />
<br />
* 3月~4月 [[1932年ドイツ大統領選挙|大統領選挙]]。ヒトラーは次点となり、ヒンデンブルクが再選される。<br />
* [[6月1日]] [[フランツ・フォン・パーペン]]内閣成立<br />
* [[7月31日]] [[1932年7月ドイツ国会選挙|国会議員選挙]]。230議席を獲得し第一党となる。ゲーリングが国会議長に就任。<br />
* [[8月5日]] ヒトラーとシュライヒャーが会談。シュライヒャーはパーペン内閣協力の見返りとして副首相の地位を提示するが、ヒトラーは首相の地位と全権委任法の成立を要求する。<br />
* [[8月13日]] ヒンデンブルク大統領とヒトラーの会談。ヒトラーの首相就任は拒絶され、ヒトラーも内閣への協力を拒否。<br />
* [[11月6日]] [[1932年11月ドイツ国会選挙|国会議員選挙]]。34議席を失ったが、196議席を確保し第一党の地位を保持する。<br />
* [[11月19日]] [[ヒャルマル・シャハト]]、フリッツ・ティッセンらのグループが連名でヒトラーを首相にするよう大統領に書簡を出す。(Industrielleneingabe)<br />
* [[12月1日]] パーペン内閣崩壊<br />
* [[12月3日]] [[クルト・フォン・シュライヒャー]]内閣成立、シュライヒャーは[[ナチス左派]]の[[グレゴール・シュトラッサー]]を切り崩すことで政権運営を図ろうとする。<br />
* [[12月8日]] シュトラッサーが組織全国指導者を辞任、党内で失脚する。(翌年1月16日に正式に除名)<br />
<br />
; [[1933年]]<br />
<br />
* 1月4日 ヒトラーと前首相パーペンが銀行家シュレーダーの邸宅で会見。シュライヒャー内閣の倒閣とヒトラー内閣成立への動きが始まる。(ケルン会談)<br />
* 1月15日 リッペ自由州議会選挙。ナチ党はこの選挙に力をいれて勝利し、党が上り調子である事をアピールする。<br />
* 1月18日 ヒトラーとパーペンがリッベントロップ邸で会談。<br />
* 1月22日 ヒトラーと[[オスカー・フォン・ヒンデンブルク]]、[[オットー・マイスナー]]がリッベントロップ邸で会談。オスカーは父ヒンデンブルクの説得を承諾。<br />
* 1月26日 パーペン、国家人民党と鉄兜団の協力をとりつけヒトラー支持に引き込む。<br />
* 1月28日 シュライヒャー首相辞任<br />
<br />
; ヒトラー内閣<br />
<br />
* 1月30日 ヒトラー内閣成立。<br />
* 2月2日 国会解散。ヒトラー、[[クルト・フォン・ハンマーシュタイン=エクヴォルト|ハンマーシュタイン=エクヴォルト]][[兵務局 (ドイツ陸軍)|兵務局]]長宅で[[ヴァイマル共和国軍|国軍]]首脳と会談。再軍備と東方征服、突撃隊の抑制について語る。<br />
* 2月4日 ドイツ民族保護のための大統領令。政府による集会・デモ・政党機関紙の制限が可能となる。<br />
* 2月6日 大統領令により、プロイセン州内閣の権限が[[国家弁務官]]に譲渡されることとなる。この措置は2月中旬までにほとんどの州で行われ、地方行政が国家の監督を強く受けることとなる。[[強制的同一化]](Gleichschaltung)の開始。<br />
** ゲーリングが無任所相兼プロイセン州内相に就任。プロイセン州の警察権力をナチ党が掌握。<br />
* 2月20日 ヒトラー、ゲーリングとドイツ経済界首脳の会合。ナチ党は300万マルクの献金を得る(1933年2月20日の秘密会談)。<br />
* 2月21日 突撃隊・親衛隊・鉄兜団団員5万名がプロイセン州の「補助警察」となる<br />
* 2月24日 プロイセン州警察が共産党本部カール・リープクネヒト館を襲撃。「武力革命の計画書」を発見したと公表。<br />
* 2月27日 [[ドイツ国会議事堂放火事件|国会議事堂放火事件]]発生。<br />
* 2月28日 「民族と国家の保護のための大統領令」と「ドイツ国民への裏切りと反逆的策動に対する大統領令」(Verordnung des Reichspräsidenten gegen Verrat am Deutschen Volke und hochverräterische Umtriebe) の二つの緊急大統領令が布告される。後の政府が行う非常手段の大半の根拠となった。<br />
* 3月5日 [[1933年3月ドイツ国会選挙|国会議員選挙]]結果発表。ナチ党は43.9%の票を獲得、288議席を得た。<br />
* 3月8日 ドイツ共産党が正式に禁止される。<br />
* 3月10日 バイエルン州の国家弁務官に[[フランツ・フォン・エップ]]が就任し、州政府を解体。すべての州が国家弁務官の支配を受けることになる。<br />
* [[3月12日]] 新[[ドイツの国旗|国旗]]を制定するまで黒・白・赤の旧[[ドイツ帝国]][[ドイツの国旗|国旗]]とナチ党旗であるハーケンクロイツ旗の両方を掲げる事を定めた。<br />
* [[3月13日]] [[国民啓蒙・宣伝省]]設立。<br />
* 3月20日 [[ダッハウ強制収容所]]設立。<br />
* [[3月21日]] 新国会の開会式。ヒトラーはヴァイマル共和国の伝統を否定し、ドイツ帝国からの権威継承を表明する。国民高揚の日と名付けられ祝日となる。({{仮リンク|ポツダムの日|de|Tag von Potsdam}})<br />
<br />
; 全権委任法成立<br />
<br />
* [[3月23日]] 議会において[[全権委任法|授権法(全権委任法)]]が成立。立法権を政府が掌握し、独裁体制が確立された。<br />
* [[3月31日]] {{仮リンク|ラントとライヒの均制化に関する暫定法律|label=ラントとライヒの均制化(Gleichschaltung)に関する暫定法律|de|Vorläufiges Gesetz zur Gleichschaltung der Länder mit dem Reich}}公布。各州議会の議席が国会の議席配分に従って決められるようになり、地方自治権はほぼ停止する。4月7日には『ラントとライヒの均制化に関する暫定法律の第二法律』が公布。国家弁務官に代わって州総督(または国家代理官、[[:de:Reichsstatthalter|Reichsstatthalter]])が中央政府から各州政府に派遣される。<br />
* [[4月4日]] ヒトラー、ブロンベルク国防相が提議した再軍備計画を極秘承認<br />
* [[4月7日]] ユダヤ人が公職から追放される職業官吏再建法。<br />
* [[4月26日]] プロイセン州警察政治部門がプロイセン州秘密警察局と改名。[[ゲシュタポ]]のはじまり。<br />
* [[5月1日]] 国民労働の日。政府と労働者の結束が謳われる。<br />
* [[5月2日]] 突撃隊と親衛隊が全国の労働組合支部を襲撃。ドイツ国内の労働組合が消滅<br />
* [[5月26日]] 「共産主義者の財産没収に関する法律」が成立。<br />
* [[6月21日]] [[ドイツ社会民主党]]が禁止される。鉄兜団が突撃隊に吸収される。<br />
* [[6月27日]] [[ドイツ国家人民党]]が自主解散。党首[[アルフレート・フーゲンベルク]]は経済相・食糧農業相を辞任。<br />
* [[6月28日]] [[ドイツ国家党]]が自主解散。<br />
* [[7月3日]] [[中央党 (ドイツ)|中央党]]が自主解散。<br />
* [[7月4日]] [[バイエルン人民党]]・[[ドイツ人民党]]が自主解散。<br />
* [[7月14日]]「政党新設禁止法」公布。ナチ党以外の政党の存続・結成が禁止される。<br />
* [[8月30日]] - [[9月3日]] 第五回[[ナチ党党大会]]『勝利の大会』が開催される<br />
* [[11月12日]] ナチ党のみが対象となった[[1933年11月ドイツ国会選挙|国会議員選挙]] 。<br />
* [[12月1日]]「党と国家の統一を保障するための法律」公布。ナチ党と国家の一体化が定められる。<br />
<br />
; [[1934年]]<br />
<br />
* 1月30日 「ドイツ国再建に関する法」成立。各州の主権がドイツ国に移譲され、州議会が解散される。すべての州公務員が国家の支配を受けることになる。<br />
* 2月5日 州ごとの国籍が廃止となり、ドイツ国籍に統一される。<br />
* 2月14日 参議院(ライヒスラート)が廃止。<br />
* 2月16日 司法権の政府への委譲が定められる。<br />
* [[6月30日]] 「[[長いナイフの夜]]」事件。[[突撃隊]]幹部や前首相シュライヒャーなど政敵が粛清される。<br />
* [[8月1日]] 「国家元首に関する法律」(Gesetz über das Staatsoberhaupt des Deutschen Reichs) が閣議で定められる。<br />
* [[8月2日]] ヒンデンブルク大統領が死去。「国家元首に関する法律」が発効し、首相職に大統領職が統合されるとともに、「指導者およびドイツ国首相(Führer und Reichskanzler)アドルフ・ヒトラー」個人に大統領の権能が委譲される。以後、ドイツ国の最高指導者となったヒトラーの地位を日本では「[[総統]]」と称する。<br />
* [[8月19日]] 国家元首に関する法律の措置に対する民族投票。投票率95.7%、うち89.9%が賛成票を投じる。<br />
<br />
; [[1935年]]<br />
* 3月16日 ヒトラーが再軍備開始を宣言([[ドイツ再軍備宣言]])。<br />
* 4月1日 司法全体が政府に継承され、各州すべての司法官が国家公務員となる。(司法権吸収の完了)<br />
* 9月15日 [[ハーケンクロイツ]]旗が新国旗となる。[[ニュルンベルク法]]成立。<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
{{Reflist|3}}<br />
<br />
== 参考文献 ==<br />
* [[林健太郎 (歴史学者)|林健太郎]] 『ワイマル共和国 ヒトラーを出現させたもの』、[[中公新書]]。<br />
* [[村瀬興雄]] 『アドルフ・ヒトラー 「独裁者」出現の歴史的背景』([[中公新書]]) ISBN 978-4121004789<br />
* [[南利明 (法学者)|南利明]]<br />
** 「[http://ir.lib.shizuoka.ac.jp/handle/10297/3574 <論説>指導者-国家-憲法体制の構成]」<br />
** 「[http://hdl.handle.net/10297/3572 民族共同体と指導者―憲法体制]」[[静岡大学]]法政研究第7巻2号<br />
** 「[http://ir.lib.shizuoka.ac.jp/handle/10297/3545 NATIONALSOZIALISMUSあるいは「法」なき支配体制-2-]」<br />
** 「[http://ir.lib.shizuoka.ac.jp/handle/10297/3543 NATIONALSOZIALISMUSあるいは「法」なき支配体制-3-]」<br />
** 「指導者-国家-憲法体制における立法」[http://ir.lib.shizuoka.ac.jp/handle/10297/3575 1]、[http://ir.lib.shizuoka.ac.jp/handle/10297/3576 2]、[http://ir.lib.shizuoka.ac.jp/handle/10297/3577 3]<br />
** 「民族共同体と法―NATIONALSOZIALISMUSあるいは「法」なき支配体制―」<br />
:: [http://ir.lib.shizuoka.ac.jp/handle/10297/3568 1]、[http://ir.lib.shizuoka.ac.jp/handle/10297/3567 2]、[http://ir.lib.shizuoka.ac.jp/handle/10297/3566 3]、[http://ir.lib.shizuoka.ac.jp/handle/10297/3565 4]、[http://ir.lib.shizuoka.ac.jp/handle/10297/3564 5]、[http://ir.lib.shizuoka.ac.jp/handle/10297/3563 6]、[http://ir.lib.shizuoka.ac.jp/handle/10297/3562 7]、[http://ir.lib.shizuoka.ac.jp/handle/10297/3560 8]、[http://ir.lib.shizuoka.ac.jp/handle/10297/3558 9]、[http://ir.lib.shizuoka.ac.jp/handle/10297/3556 10]、[http://ir.lib.shizuoka.ac.jp/handle/10297/3555 11]、[http://ir.lib.shizuoka.ac.jp/handle/10297/3554 12]、[http://ir.lib.shizuoka.ac.jp/handle/10297/3553 13]、[http://ir.lib.shizuoka.ac.jp/handle/10297/3546 14]、[http://ir.lib.shizuoka.ac.jp/handle/10297/3547 15]、[http://ir.lib.shizuoka.ac.jp/handle/10297/3548 16]、[http://ir.lib.shizuoka.ac.jp/handle/10297/3549 17]、[http://ir.lib.shizuoka.ac.jp/handle/10297/3550 18]、[http://ir.lib.shizuoka.ac.jp/handle/10297/3551 19]<br />
* [[熊野直樹]]「[https://qir.kyushu-u.ac.jp/dspace/handle/2324/13153 ナチ党の合法性問題とライヒ・テューリンゲン紛争]」九州大学法政学会『法政研究』 75(3) p43-75<br />
* [[ジョン・トーランド]]著、[[永井淳]]訳 『アドルフ・ヒトラー』([[集英社文庫]])2巻 ISBN 978-4087601817<br />
* [[児島襄]] 『第二次世界大戦 ヒトラーの戦い』([[文春文庫]])1巻 ISBN 978-4087601817<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
{{commonscat|Machtergreifung (Hitler)|Machtergreifung}}<br />
* [[ナチス・ドイツ]]<br />
* [[強制的同一化]]<br />
* [[指導者原理]]<br />
* [[彼らが最初共産主義者を攻撃したとき]]<br />
* {{仮リンク|ホテル・カイザーホーフ|de|Hotel Kaiserhof}}政権掌握前後にヒトラーが宿泊していたベルリンのホテル<br />
* [[戦う民主主義]]<br />
<br />
{{アドルフ・ヒトラー}}<br />
{{ナチ党}}<br />
{{ナチス・ドイツ}}<br />
{{DEFAULTSORT:なちとうのけんりよくしようあく}}<br />
[[Category:ナチス・ドイツ|けんりよくしようあく]]<br />
[[Category:ヴァイマル共和政]]</div>
ウマスラ
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E5%A4%A7%E7%AE%A1%E5%8C%BA%E6%8C%87%E5%B0%8E%E8%80%85&diff=230258
大管区指導者
2014-06-01T18:02:09Z
<p>ウマスラ: </p>
<hr />
<div>'''大管区指導者'''('''ガウライター'''、[[ドイツ語|独]]:''' Gauleiter''')とは[[国家社会主義ドイツ労働者党]](ナチ党)の役職・身分。ナチ党の地区区分である[[大管区 (ナチ党)|大管区]]の指導者を指す。[[ドイツ国 (1933年-1945年)|ナチズム下のドイツ]]においては地方の最高権力者として扱われ、後に設置される[[帝国大管区]]においても大管区指導者が設置された。<br />
<br />
== 語源 ==<br />
ドイツ語においてLeiterは指導者を意味している。また、ガウ(Gau)は[[古フランク語]]Gaugraf(ガウグラーフ)に由来しており、これはイギリスの[[シャイア]](州)が近い翻訳語である。ガウはナチス党が彼らの目的のために中世ドイツから復活させた古語の一つであった。<br />
<br />
== 歴史 ==<br />
[[ミュンヘン一揆]]の失敗とヒトラーの収監を経て、ナチ党は再編成を行っていた。[[1925年]]、大管区指導者の称号が作られた。1928年までに大管区指導者はナチス党内の階級にもなり、最終的に全国指導者の次席となった。[[ナチ党の権力掌握]]後は大管区指導者の多くが国家代理官に任命され、ナチ党による全国支配を実行することとなった。第二次世界大戦勃発後の1939年9月には国防管理官を兼任し、地域防衛の責任者となったことでさらに権力は大きくなった。<br />
<br />
== 政治的位置 ==<br />
理論上、大管区指導者は単純にナチ党地方組織の調整のための役職であり、その上で地方自治へのアドバイスを送るナチ党地方組織代表であったが、実際には地域における統治者であった。法的政府の存在は、大管区指導者の単なるゴム印(はんこを押すだけの存在)と化していた。<br />
<br />
大管区指導者はドイツにおけるガウの最上級政治指導者であり、ライヒの下にはガウ(州、県、行政区)、その下にクライス(Kreis、地区、郡)、さらにその下にオルト(Ort、市)が存在していた。さらにその下部に2つの地方組織(班、Block 細胞、Zelle)が存在していた。Ort以上の政治指導者は制服を着用、制服によりその地位を表した。<br />
<br />
党内序列においては、全国指導部を構成する[[全国指導者]]の下位にあたるが、[[ヨーゼフ・ゲッベルス]]は宣伝全国指導者となってからもベルリンの大管区指導者を兼任していた。次席には大管区指導者代理(副大管区指導者、Stellvertretender Gauleiter)が設置されている。<br />
<br />
== 記章 ==<br />
大管区指導者のための記章は茶色の襟に2枚の柏葉から構成されており、大管区指導者代理は柏葉一枚のものを着用した。<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
* [[帝国大管区]]<br />
* [[大管区 (ナチ党)|大管区]]<br />
* [[大管区 (ナチ党)#大管区の一覧|大管区指導者の一覧]]<br />
<br />
== 文献 ==<br />
{{commonscat|Gauleiter}}<br />
* Westermann, ''Großer Atlas zur Weltgeschichte''<br />
* [http://www.historisches-lexikon-bayerns.de/artikel/artikel_44985 「Historisches Lexikon Bayerns, histlexbay」](ドイツ語) - バイエルン歴史事典大管区指導者の項<br />
<br />
{{ナチ党}}<br />
{{ナチス・ドイツ}}<br />
{{DEFAULTSORT:たいかんくしとうしや}}<br />
[[Category:ドイツの歴史]]<br />
[[Category:ナチス・ドイツ]]<br />
[[Category:ナチ党]]<br />
[[Category:大管区指導者|*]]</div>
ウマスラ
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E5%A4%A7%E7%AE%A1%E5%8C%BA_(%E3%83%8A%E3%83%81%E5%85%9A)&diff=230257
大管区 (ナチ党)
2014-06-01T18:01:38Z
<p>ウマスラ: </p>
<hr />
<div>'''大管区'''(だいかんく、{{Lang-de}}''Gau''、複数形:''Gaue'')は、[[国家社会主義ドイツ労働者党|ナチ党]]の地方組織であり、[[ドイツ国 (1933年-1945年)|ナチス・ドイツ]]の事実上の行政区分である。<br />
<br />
大管区はそもそもは[[1925年]]に設置されたものであるが<ref name="NS">[http://www.dhm.de/lemo/html/nazi/innenpolitik/gaue/ Die NS-Gaue] (in German) Deutsches Historisches Museum website, accessed: 25 June 2008</ref>、[[1934年]]に、[[ドイツ国再建に関する法]]の成立に基づき、それまでの行政区分である[[州 (ドイツ国)|州]](ラント、{{Lang-de-short}}''Land''、複数形: ''Länder'')の機能を、ナチス・ドイツ政府が一時停止したことに伴って、国家の行政区画としての機能を始めた。<br />
<br />
ナチス・ドイツが滅びる[[1945年]]までに、合計で43の大管区が設置された<ref>[http://www.nizkor.org/hweb/imt/nca/nca-01/nca-01-06-organization.html The Organization of the Nazi Party & State] ''The Nizkor Project'', accessed: 25 June 2008</ref>。その中には、[[オーストリア]]・[[チェコスロヴァキア]]・[[ポーランド]]・[[フランス]]などの占領地域に設置された10個の[[帝国大管区]]と、大管区扱いとされた[[ナチス国外大管区]](NSDAP/AO、[[:en:NSDAP/AO|en]]・[[:de:NSDAP/AO|de]])が含まれる。大管区と帝国大管区に実際の機能の差はほとんど無く、[[都道府県]]の名称の違いと同様に考えればよい。<br />
<br />
大管区の長は'''[[大管区指導者]]'''(ガウライター、{{Lang-de-short}}''Gauleiter'')という。[[大管区指導者|ガウライター]]はナチス・ドイツが設置した州の首長である州総督({{Lang-de-short}}[[:en:Reichsstatthalter|Reichsstatthalter]])の役職を兼ねることもあった<ref name="NS"/>。<br />
<br />
== ナチ党組織としての大管区 ==<br />
大管区はナチ党の地方組織の最大単位であり、ドイツ国内・国外([[ザール (国際連盟管理地域)|ザールラント]]や[[オーストリア]]等)を[[国会議員]]の[[選挙区]]に対応する30数個に分け、その下には、管区(Kreis)、支部(Ortsgruppe)、[[細胞 (政党)|細胞(Zelle)]]、班(Block)と呼ばれる単位が設置されていた。最少単位の班は約50の世帯から構成されていた。<br />
<br />
== 大管区と州の関係 ==<br />
[[ワイマール共和国]]から引き継いだ旧来の州(ラント)も、[[ドイツ国再建に関する法]]によって州議会は解散され、[[国家代理官]]が送り込まれたものの、ナチス・ドイツ時代を通じて廃止されたわけではなく、大管区と並存し続けた。州を廃止する計画は存在したが、[[アドルフ・ヒトラー]]は、地域政党の指導者たちに混乱を引き起こすことを避けたため、帝国改革(ライヒスレフォルム、{{Lang-de-short}}Reichsreform)と呼ばれたその構造改革を実行しなかった。<br />
<br />
同様の理由から、大管区の境界も同様に変更されることは無かった。大管区はナチス・ドイツが巨大化していくに従って大きくなっていった<ref>[http://www.historisches-lexikon-bayerns.de/artikel/artikel_44497 Gau (NSDAP) - Kontinuität der Gaugliederung nach 1933] (in German) Historisches Lexikon Bayerns, accessed: 25 June 2008</ref>。一方で州もまた存続したが、実際の権力はガウライターに属するようになり、州首相({{Lang-de-short}}[[:de:Ministerpräsident|Ministerpräsident]])はお飾りとなった。<br />
<br />
ガウライターはヒトラーによって直接任命され、ヒトラーにのみ責任を負った。実務面ではヒトラーからの干渉は無いに等しく、彼らは絶対的な権力者として大管区に君臨した<ref name="NS"/>>。<br />
<br />
== 大管区の一覧 ==<br />
=== 大管区 ===<br />
; [[バーデン]]大管区({{Lang-de-short}}''Baden'')<br />
: 管区都:[[カールスルーエ]]。[[:en:Republik Baden|バーデン共和国]]の領域から構成される大管区である。[[フランスの地方行政区画]]における[[アルザス地域圏]]([[オー=ラン県]]・[[バ=ラン県]])も後に統合された。この大管区は、[[帝国大管区]]へと改称する計画があった。詳しくは[[帝国大管区#フランス]]を参照。<br />
:; 歴代ガウライター<br />
:* [[ロベルト・ハインリヒ・ワーグナー]]([[:de:Robert Heinrich Wagner]])([[1925年]] - [[1945年]])<br />
<br />
; [[バイロイト]]大管区({{Lang-de-short}}''Bayreuth''、[[:en:Gau Bayreuth|en]])<br />
: 管区都:[[バイロイト]]。[[バイエルン州|バイエルン自由州]]の東部から構成される大管区である。[[1942年]]に改名されるまでは'''バイエルン=[[オストマルク (ザクセン)|オストマルク]]大管区'''といい、[[1933年]]に'''オーバーフランケン大管区'''・'''オーバープファルツ大管区'''・'''ニーダーバイエルン大管区'''が合併して作られた。また、[[1929年]]までは、後2者は'''オーバープファルツ=ニーダーバイエルン大管区'''として統合されていた。<br />
:[[1938年]]の[[ズデーテン地方]]要求によって、隣接する[[チェコスロヴァキア]]領([[プルゼニ州]]クラトヴィ郡・[[南ボヘミア州]]プラハチツェ郡)が編入された。<br />
:; 歴代ガウライター<br />
:* オーバープファルツ=ニーダーバイエルン大管区ガウライター<br />
:** [[グレゴール・シュトラッサー]]([[1925年]] - [[1929年]])<br />
:* オーバーフランケン大管区ガウライター<br />
:** [[ハンス・シェム]]([[:de:Hans Schemm]])([[1928年]] - [[1933年]])<br />
:* オーバープファルツ大管区ガウライター<br />
:** [[フランツ・マイアーホーファー]]([[:de:Franz Maierhofer]])([[1929年]] - [[1933年]])<br />
:* ニーダーバイエルン大管区ガウライター<br />
:** [[フリッツ・ラインハルト]]([[:de:Fritz Reinhardt]])([[1928年]] - [[1930年]])<br />
:** [[オットー・エルバースドープラー]]([[:de:Otto Erbersdobler]])([[1930年]] - [[1932年]])<br />
:* [[ハンス・シェム]]([[:de:Hans Schemm]])([[1928年]] - [[1935年]])<br />
:* [[フリッツ・ヴェヒトラー]]([[:de:Fritz Wächtler]])([[1935年]] - [[1945年]])<br />
:* [[ルートヴィヒ・ルックデシェル]]([[:de:Ludwig Ruckdeschel (Politiker)|Ludwig Ruckdeschel]])([[1945年]])<br />
<br />
; [[ベルリン]]大管区({{Lang-de-short}}''Berlin'')<br />
: 管区都:[[ベルリン]]。[[プロイセン自由州]]の[[:de:Groß-Berlin|ベルリン県]]から構成される。[[1929年]]に、マルク=ブランデンブルク大管区と合わせた領域を管轄していた'''ベルリン=ブランデンブルク大管区'''から分割された。<br />
:; 歴代ガウライター<br />
:* ベルリン=ブランデンブルク大管区ガウライター<br />
:** [[エルンスト・シュランゲ]]([[:de:Ernst Schlange]])([[1925年]] - [[1926年]])<br />
:** [[ヨーゼフ・ゲッベルス]]([[1926年]] - [[1929年]])<br />
:* [[ヨーゼフ・ゲッベルス]]([[1929年]] - [[1945年]])<br />
<br />
; [[ケルン]]=[[アーヘン]]大管区({{Lang-de-short}}''Köln-Aachen'')<br />
: 管区都:[[ケルン]]。[[1931年]]に、'''南ラインラント大管区'''を分割した結果作られた。[[プロイセン自由州]]の[[:en:Rhine Province|ライン県]]の北部中央から構成される。<br />
:; 歴代ガウライター<br />
:* 南ラインラント大管区ガウライター<br />
::* [[ハインリヒ・ハーケ]]([[:de:Heinrich Haake]])([[1925年]])<br />
::* [[ロベルト・ライ]]([[1925年]] - [[1931年]])<br />
:* [[ヨーゼフ・グローヘ]]([[:de:Josef Grohé|Josef Grohé]])([[1931年]] - [[1945年]])<br />
<br />
; [[デュッセルドルフ]]大管区({{Lang-de-short}}''Düsseldorf'')<br />
: 管区都:[[デュッセルドルフ]]。[[プロイセン自由州]]の[[:en:Rhine Province|ライン県]]の北部から構成される。<br />
:; 歴代ガウライター<br />
:* [[フリードリヒ・カール・フローリアン]]([[:de:Friedrich Karl Florian]])([[1929年]] - [[1945年]])<br />
<br />
; [[東プロイセン]]大管区({{Lang-de-short}}''Ostpreußen''、[[:en:Gau East Prussia|en]])<br />
: 管区都:[[ケーニヒスベルク (プロイセン)|ケーニヒスベルク]]。[[プロイセン自由州]]の[[:en:Province of East Prussia|東プロイセン県]]から構成される。[[1939年]]には、占領した隣接する旧[[ポーランド]]領が併合された。<br />
:; 歴代ガウライター<br />
:* [[ブルーノ・グスタフ・シェルヴィッツ]]([[:de:Bruno Gustav Scherwitz]])([[1925年]] - [[1927年]])<br />
:* [[エーリヒ・コッホ]]([[1928年]] - [[1945年]])<br />
<br />
; 東[[ハノーファー]]大管区({{Lang-de-short}}''Ost-Hannover''、[[:en:Gau Eastern Hanover|en]])<br />
: 管区都[[リューネブルク]]。[[プロイセン自由州]]の[[:en:Province of Hanover|ハノーファー県]]の西部を除いた部分から構成される。<br />
:; 歴代ガウライター<br />
:* [[オットー・テルショウ]]([[:de:Otto Telschow]])([[1925年]] - [[1945年]])<br />
<br />
; [[クールヘッセン]]大管区({{Lang-de-short}}''Kurhessen'')<br />
: 管区都:[[カッセル]]。[[プロイセン自由州]]の[[:en:Hesse-Nassau|ヘッセン=ナッサウ県]]の北半分から構成される。[[1934年]]までは、'''ヘッセン・北ナッサウ大管区'''と言った。<br />
:; 歴代ガウライター<br />
:* [[ヴァルター・シュルツ]]([[:de:Walter Schultz]])([[1926年]] - [[1927年]])<br />
:* [[カール・ヴァインリッヒ]]([[:de:Karl Weinrich]])([[1927年]] - [[1943年]])<br />
:** [[カール・ゲルラント]]([[:de:Karl Gerland]])([[1944年]] - [[1945年]]、事実上のガウライター)<br />
<br />
; [[エッセン]]大管区({{Lang-de-short}}''Essen'')<br />
: 管区都:[[エッセン]]。[[プロイセン自由州]]の[[:en:Rhine Province|ライン県]]の北端から構成される。<br />
:; 歴代ガウライター<br />
:* [[ヨーゼフ・テアボーフェン]]([[1928年]] - [[1945年]])<br />
:** [[フリッツ・シュレスマン]]([[:de:Fritz Schleßmann]])が[[1940年]]以降は事実上のガウライターとして実権を握った。<br />
<br />
; [[フランケン地方|フランケン]]大管区({{Lang-de-short}}''Franken''、[[:en:Gau Franconia|en]])<br />
: 管区都:[[ニュルンベルク]]。[[バイエルン州|バイエルン自由州]]の領域から構成される。[[1929年]]に設立された。<br />
:; 歴代ガウライター<br />
:* [[ユリウス・シュトライヒャー]]([[1929年]] - [[1940年]])<br />
:* 空位([[1940年]] - [[1944年]])<br />
:** [[ハンス・ツィンマーマン]]([[:de:Hans Zimmermann (NSDAP)|de:Hans Zimmermann]])が[[1940年]]から[[1942年]]まで事実上の実権を握った。<br />
:** [[カール・ホルツ]]([[:de:Karl Holz]])が[[1942年]]から[[1944年]]まで事実上の実権を握った。<br />
:* [[カール・ホルツ]]([[1944年]] - [[1945年]])<br />
<br />
; [[ハレ]]=[[メルゼブルク]]大管区({{Lang-de-short}}''Halle-Merseburg'')<br />
: 管区都:ハレ。[[プロイセン自由州]]の[[:en:Province of Saxony|ザクセン県]]の南半分から構成される。<br />
:; 歴代ガウライター<br />
:* [[ヴァルター・エルンスト]]([[:de:Walter Ernst]])([[1925年]] - [[1926年]])<br />
:* [[パウル・ヒンクラー]]([[1926年]] - [[1930年]])<br />
:* [[ルドルフ・ヨルダン]]([[:de:Rudolf Jordan]])([[1930年]] - [[1937年]])<br />
:* [[ヨアヒム・アルブレヒト・エッゲリンク]]([[1938年]] - [[1945年]])<br />
<br />
; [[ハンブルク]]大管区({{Lang-de-short}}''Hamburg'')<br />
: 管区都:ハンブルク。ハンブルク自由市から構成される。<br />
:; 歴代ガウライター<br />
:* [[ヨーゼフ・クラント]]([[:de:Josef Klant]])([[1925年]] - [[1926年]])<br />
:* [[アルベルト・クレープス]]([[:de:Albert Krebs]])([[1927年]] - [[1928年]])<br />
:* [[ヒンリヒ・ローゼ]]([[1928年]] - [[1929年]])<br />
:* [[カール・カウフマン (政治家)|カール・カウフマン]]([[1929年]] - [[1945年]])<br />
<br />
; [[ヘッセン]]=[[ナッサウ]]大管区({{Lang-de-short}}''Hessen-Nassau'')<br />
: 管区都:[[フランクフルト・アム・マイン]]。[[:en:People's State of Hesse|ヘッセン人民州]])と[[プロイセン自由州]]の[[:en:Hesse-Nassau|ヘッセン・ナッサウ県]]の南半分から構成される。この大管区は、[[1933年]]に'''ヘッセン・南ナッサウ大管区'''と'''ヘッセン・ダルムシュタット大管区'''が合併して生まれた。<br />
:; 歴代ガウライター<br />
:* ヘッセン・南ナッサウ大管区ガウライター<br />
:** [[フリードリヒ・リンクスハウゼン]]([[:de:Friedrich Ringshausen|Friedrich Ringshausen]])、([[1927年]] - [[1931年]])<br />
:** [[ペーター・ゲマインダー]]([[:de:Peter Gemeinder|Peter Gemeinder]])、(1931年)<br />
:** [[カール・レンツ (ナチス)|カール・レンツ]]([[:de:Karl Lenz (Politiker)|Karl Lenz]])、[[(1932年]] - [[1933年]])<br />
:* ヘッセン・ダルムシュタット大管区ガウライター<br />
:** [[アントン・ハーゼルマイアー]]([[:de:Anton Haselmayer]])([[1925年]] - [[1926年]])<br />
:** [[ヴァルター・シュルツ]]([[:de:Walter Schultz]])([[1926年]] - [[1927年]])<br />
:** [[ヤーコプ・シュプレンガー]][[:de:Jakob Sprenger]]([[1927年]] - [[1933年]])<br />
:* [[ヤーコプ・シュプレンガー]]([[1933年]] - [[1945年]])<br />
<br />
; [[コブレンツ]]=[[トーリア]]大管区({{Lang-de-short}}''Koblenz-Trier'')<br />
: 管区都:コブレンツ。[[1931年]]に、'''南ラインラント大管区'''を分割した結果作られた。[[プロイセン自由州]]の[[:en:Rhine Province|ライン県]]の南半分から構成され、占領された旧[[ルクセンブルク]]領が編入された。それに伴い[[1942年]]に'''[[帝国大管区#ルクセンブルク|モーゼルラント帝国大管区]]'''と改名された。<br />
:; 歴代ガウライター<br />
:* 南ラインラント大管区ガウライター<br />
::* [[ハインリヒ・ハーケ]]([[:de:Heinrich Haake]])、([[1925年]])<br />
::* [[ロベルト・ライ]]([[1925年]] - [[1931年]])<br />
:* [[グスタフ・ジーモン]]([[1931年]] - [[1945年]])<br />
<br />
; [[ドルヌィ・シロンスク県|ニーダーシュレジエン]]大管区({{Lang-de-short}}''Niederschlesien'')<br />
: 管区都:[[ヴロツワフ|ブレスラウ]]。[[プロイセン自由州]]の[[:en:Province of Lower Silesia|ニーダーシュレジエン県]]から構成される。ポーランド降伏後の[[1940年]]に'''シュレジエン大管区'''を分割して作られた。<br />
:; 歴代ガウライター<br />
:* シュレジエン大管区ガウライター<br />
:** [[ヘルムート・ブリュックナー]]([[1925年]] - [[1934年]])<br />
:** [[ヨーゼフ・ワーグナー]]([[:de:Josef Wagner (Gauleiter)]])[[1934年]] - [[1940年]])<br />
:* [[カール・ハンケ]]([[1940年]] - [[1945年]])<br />
<br />
; [[マクデブルク]]=[[アンハルト]]大管区({{Lang-de-short}}''Magdeburg-Anhalt'')<br />
: 管区都:[[デッサウ]]。[[:en:Free State of Anhalt|アンハルト自由州]]と[[プロイセン自由州]]の[[:en:Province of Saxony|ザクセン県]]から構成される。<br />
:; 歴代ガウライター<br />
:* [[グスタフ・ヘルマン・シュミシュケ]]([[:de:Gustav Hermann Schmischke]]、[[1925年]] - [[1927年]])<br />
:* [[ヴィルヘルム・レーパー]]([[:de:Wilhelm Friedrich Loeper]])([[1927年]] - [[1933年]])<br />
:* [[パウル・ホフマン]]([[:de:Paul Hofmann (NSDAP)]])([[1933年]])<br />
:* [[ヴィルヘルム・レーパー]]([[:de:Wilhelm Friedrich Loeper]])([[1934年]] - [[1935年]])<br />
:* [[ヨアヒム・アルブレヒト・エッゲリンク]]([[1935年]] - [[1937年]])<br />
:* [[ルドルフ・ヨルダン]]([[:de:Rudolf Jordan]])([[1937年]] - [[1945年]])<br />
<br />
; [[マインフランケン]]大管区({{Lang-de-short}}''Mainfranken''、[[:en:Gau Mainfranken|en]])<br />
: 管区都:[[ヴュルツブルク]]。[[バイエルン州|バイエルン自由州]]の一部である、[[:en:Unterfranken|ウンターフランケン地方]]と[[マイン川]]流域から構成された。[[1935年]]までは、'''ウンターフランケン大管区'''という名称であった。<br />
:; 歴代ガウライター<br />
:* [[オットー・ヘルムート]]([[:de:Otto Hellmuth]])([[1928年]] - [[1945年]])<br />
<br />
; [[マルク・ブランデンブルク]]大管区({{Lang-de-short}}''Mark Brandenburg''、[[:en:Gau March of Brandenburg|en]])<br />
: 管区都:[[ベルリン]]。[[プロイセン自由州]]の[[:en:Province of Brandenburg|ブランデンブルク県]]のベルリン周縁部を除いた部分から構成される。[[1929年]]に、ベルリン大管区と合わせた領域を管轄していた'''ベルリン・ブランデンブルク大管区'''から分割された。また、[[1940年]]までは、'''クーアマルク大管区'''という名称であった。<br />
:; 歴代ガウライター<br />
:* ベルリン・ブランデンブルク大管区ガウライター<br />
:** [[エルンスト・シュランゲ]](Ernst Schlange、[[1925年]] - [[1926年]])<br />
:** [[ヨーゼフ・ゲッベルス]]([[1926年]] - [[1929年]])<br />
:* [[エミール・ホルツ]]([[:de:Emil Holtz]])([[1929年]] - [[1930年]])<br />
:* [[エルンスト・シュランゲ]](Ernst Schlange、[[1930年]] - [[1933年]])<br />
:* [[ヴィルヘルム・クーベ]]([[:en:Wilhelm Kube]])([[1933年]] - [[1939年]])<br />
:* [[エミール・シュトゥルツ]]([[:de:Emil Stürtz]])、([[1939年]] - [[1945年]])<br />
<br />
; [[メクレンブルク]]大管区({{Lang-de-short}}''Mecklenburg'')<br />
: 管区都:[[シュヴェリーン]]。[[:en:Mecklenburg-Strelitz|メクレンブルク=シュトレーリッツ自由州]]と、[[:en:Free State of Mecklenburg-Schwerin|メクレンブルク=シュヴェリーン自由州]]から構成される。<br />
:; 歴代ガウライター<br />
:* [[フリードリヒ・ヒルデブラント]]([[:en:Friedrich Hildebrandt]])([[1925年]] - [[1930年]])<br />
:* [[ヘルベルト・アルブレヒト]]([[:en:Herbert Albrecht]])([[1930年]] - [[1931年]])<br />
:* [[フリードリヒ・ヒルデブラント]]([[:en:Friedrich Hildebrandt]])([[1931年]] - [[1945年]])<br />
<br />
; [[ミュンヘン]]=[[オーバーバイエルン]]大管区({{Lang-de-short}}''München-Oberbayern''、[[:en:Gau München-Oberbayern|en]])<br />
: [[バイエルン州|バイエルン自由州]]の一部分から構成される。<br />
:; 歴代ガウライター<br />
:* [[アドルフ・ワーグナー (政治家)|アドルフ・ワーグナー]]([[1933年]] - [[1944年]])<br />
:* [[パウル・ギースラー]]([[1944年]] - [[1945年]])<br />
<br />
; [[ポメラニア|ポンメルン]]大管区({{Lang-de-short}}''Pommern'')<br />
: 管区都:[[シュテッティン]]。[[プロイセン自由州]]の[[:en:Province of Pomerania|ポンメルン県]]から構成される。<br />
:; 歴代ガウライター<br />
:* [[テオドール・ファーレン]]([[:en:Theodor Vahlen]])([[1925年]] - [[1927年]])<br />
:* [[ヴァルター・フォン・コルスヴァント]]([[:en:Walter von Corswant]])([[1928年]] - [[1931年]])<br />
:* [[ヴィルヘルム・カルペンシュタイン]]([[:de:Wilhelm Karpenstein]])([[1931年]] - [[1934年]])<br />
:* [[フランツ・シュヴェーデ=コーブルク]]([[:en:Franz Schwede-Coburg]])([[1935年]] - [[1945年]])<br />
<br />
; [[ザクセン]]大管区({{Lang-de-short}}''Sachsen'')<br />
: 管区都:[[ドレスデン]]。[[ザクセン州|ザクセン自由州]]から構成される。<br />
:; 歴代ガウライター<br />
:* [[マルティン・ムッチュマン]]([[:en:Martin Mutschmann]])([[1925年]] - [[1945年]])<br />
<br />
; [[シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州|シュレースヴィヒ=ホルシュタイン]]大管区({{Lang-de-short}}''Schleswig-Holstein'')<br />
: 管区都:[[キール (ドイツ)|キール]]。[[プロイセン自由州]]の[[:en:Province of Schleswig-Holstein|シュレスヴィヒ=ホルシュタイン県]]と[[:en:Free City of Lübeck|リューベック自由市]]に加え、[[:en:Free State of Oldenburg|オルデンブルク自由市]]の外縁部から構成される。<br />
:; 歴代ガウライター<br />
:* [[ヒンリヒ・ローゼ]] (1925 - 1945)<br />
<br />
; 南[[ハノーファー]]=[[ブラウンシュヴァイク]]大管区({{Lang-de-short}}''Südhannover-Braunschweig'')<br />
: 管区都:[[ハノーファー]]。[[:en:Free State of Brunswick|ブラウンシュヴァイク自由州]]と[[プロイセン自由州]]の[[:en:Province of Hanover|ハノーファー県]]の西部・南部から構成される。[[1928年]]に、'''北ハノーファー'''・'''南ハノーファー'''両大管区が合併して生まれた。<br />
:; 歴代ガウライター<br />
:* 北ハノーファー大管区ガウライター<br />
:** [[ベルンハルト・ルスト]]([[1925年]] - [[1928年]])<br />
:* 南ハノーファー大管区ガウライター<br />
:** [[ルドルフ・ハーゼ]]([[:de:Ludolf Haase]])、([[1927年]] - [[1928年]])<br />
:* [[ベルンハルト・ルスト]]([[1928年]] - [[1940年]])<br />
:* [[ハルトマン・ラウターバッハー]]([[:en:Hartmann Lauterbacher]])([[1940年]] - [[1945年]])<br />
<br />
; [[シュヴァーベン]]大管区({{Lang-de-short}}''Schwaben''、[[:en:Gau Swabia|en]])<br />
: 管区都:[[アウクスブルク]]。[[バイエルン州|バイエルン自由州]]の一部から構成される。<br />
:; 歴代ガウライター<br />
:* [[カール・ヴァール]]([[:en:Karl Wahl]])([[1928年]] - [[1945年]])<br />
<br />
; [[テューリンゲン]]大管区({{Lang-de-short}}''Thüringen'')<br />
: 管区都:[[ヴァイマル]]。[[テューリンゲン州]]と隣接した[[ザクセン州|ザクセン自由州]]から構成される。<br />
:; 歴代ガウライター<br />
:* [[アルトゥール・ディンター]]([[:en:Artur Dinter]])([[1925年]] - [[1927年]])<br />
:* [[フリッツ・ザウケル]]([[1927年]] - [[1945年]])<br />
<br />
; [[オーバーシュレジエン]]大管区({{Lang-de-short}}''Oberschlesien'')<br />
: 管区都:[[カトヴィッツ]](1939年から)。[[プロイセン自由州]]の[[:en:Province of Upper Silesia|オーバーシュレジエン県]]と、占領した旧[[ポーランド]]領から構成される。ポーランド降伏後の[[1940年]]に'''シュレジエン大管区'''を分割して作られた。<br />
:; 歴代ガウライター<br />
:* シュレジエン大管区ガウライター<br />
:** [[ヘルムート・ブリュックナー]]([[1925年]] - [[1934年]])<br />
:** [[ヨーゼフ・ワーグナー]]([[:en:Josef Wagner (Gauleiter)|Josef Wagner]])([[1934年]] - [[1940年]])<br />
:* [[フリッツ・ブラハト]]([[:en:Fritz Bracht]])([[1940年]] - [[1945年]])<br />
<br />
; [[ヴェーザー川|ヴェーザー]]=[[エムス川|エムス]]大管区({{Lang-de-short}}''Weser-Ems'')<br />
: 管区都:[[オルデンブルク]]。[[:en:Free State of Oldenburg|オルデンブルク自由市]]の内縁部と[[:en:Bremen (state)|ブレーメン州]]、[[プロイセン自由州]]の[[:en:Province of Hanover|ハノーファー県]]の最西部から構成される。<br />
:; 歴代ガウライター<br />
:* [[カール・レーファー]]([[:de:Carl Röver|Carl Röver]])、([[1929年]] - [[1942年]])<br />
:* [[パウル・ヴェーゲナー]]([[:de:Paul Wegener (Gauleiter)|Paul Wegener]])、([[1942年]] - [[1945年]])<br />
<br />
; 北[[ヴェストファーレン]]大管区({{Lang-de-short}}''Westfalen-Nord'')<br />
: 管区都:[[ミュンスター]]。'''ヴェストファーレン大管区'''が[[1926年]]に'''ルール大管区'''と名称変更し、[[1932年]]に南北ヴェストファーレン大管区に分割された。[[:en:Free State of Lippe|リッペ自由州]]と[[プロイセン自由州]]の[[:en:Province of Westphalia|ヴェストファーレン県]]の北半分から構成される。<br />
:; 歴代ガウライター<br />
:* ヴェストファーレン大管区ガウライター<br />
:** [[フランツ・プフェファー・フォン・ザロモン]]([[1925年]] - [[1926年]])<br />
:* ルール大管区ガウライター<br />
:** [[カール・カウフマン (政治家)|カール・カウフマン]]([[1926年]] - [[1929年]])<br />
:** [[:en:Josef Wagner (Gauleiter)|ヨーゼフ・ワーグナー]]([[1929年]] - [[1931年]])<br />
:* [[アルフレート・マイアー]]([[:en:Alfred Meyer]])([[1932年]] - [[1945年]])<br />
<br />
; 南[[ヴェストファーレン]]大管区({{Lang-de-short}}''Westfalen-Süd'')<br />
: 管区都:[[ドルトムント]]。'''ヴェストファーレン大管区'''が1926年に'''ルール大管区'''と名称変更し、1932年に南北ヴェストファーレン大管区に分割された。[[プロイセン自由州]]の[[:en:Province of Westphalia|ヴェストファーレン県]]の南半分から構成される。<br />
:; 歴代ガウライター<br />
:* ヴェストファーレン大管区ガウライター<br />
:** [[フランツ・プフェファー・フォン・ザロモン]]([[1925年]] - [[1926年]])<br />
:* ルール大管区ガウライター<br />
:** [[カール・カウフマン (政治家)|カール・カウフマン]]([[1926年]] - [[1929年]])<br />
:** [[ヨーゼフ・ワーグナー]]([[:en:Josef Wagner (Gauleiter)|Josef Wagner]])([[1929年]] - [[1931年]])<br />
:* [[ヨーゼフ・ワーグナー]]([[:en:Josef Wagner (Gauleiter)|Josef Wagner]])([[1932年]] - [[1941年]])<br />
:* [[パウル・ギースラー]]([[1941年]] - [[1943年]])<br />
:* [[アルベルト・ホフマン]]([[:en:Albert Hoffmann]])([[1943年]] - [[1945年]])<br />
<br />
; ヴェストマルク大管区({{Lang-de-short}}''Westmark'')<br />
: 管区都:[[ノイシュタット・アン・デア・ヴァインシュトラーセ]]。[[バイエルン州]]の[[:en:Palatinate (region)|プファルツ地方]]と[[ザール (国際連盟管理地域)|ザールラント]]から構成される。[[1935年]]にザールラントのドイツ復帰が決定すると、ザールラント大管区<ref>大管区は元々はナチ党の組織であったため、ドイツ国内に限らず設置されていた。</ref>とライン=プファルツ大管区を統合して'''[[ザールラント州|ザール]]=[[プファルツ地方|プファルツ]]大管区({{Lang-de-short}}''Saarpfalz''、[[:en:Gau Saarpfalz|en]])'''が設置された。[[1940年]]に[[ロレーヌ地方|ロートリンゲン地方]]が併合されると、ヴェストマルク大管区へ改称された。この大管区は帝国大管区へと改編する計画があった。詳しくは[[帝国大管区#フランス]]を参照。<br />
:; 歴代ガウライター<br />
:* ライン=プファルツ大管区<br />
:** [[ヨーゼフ・ビュルケル]]([[1926年]] - [[1935年]])<br />
:* ザールラント大管区<br />
:** [[ヨーゼフ・ビュルケル]]([[1933年]] - [[1935年]])<br />
:* [[ヨーゼフ・ビュルケル]]([[1935年]] - [[1944年]])<br />
:* [[ヴィリ・シュテーア]]([[:en:Willi Stöhr]])([[1944年]] - [[1945年]])<br />
<br />
; [[ヴュルテンベルク]]=[[ホーエンツォレルン]]大管区({{Lang-de-short}}''Württemberg-Hohenzollern'')<br />
: 管区都:[[シュトゥットガルト]]。[[:en:Free People's State of Württemberg|ヴュルテンベルク自由人民州]]と[[プロイセン自由州]]の[[:en:Province of Hohenzollern|ホーエンツォレルン県]]から構成される。<br />
:; 歴代ガウライター<br />
:* [[オイゲン・ムンダー]]([[:de:Eugen Munder]]、[[1925年]] - [[1928年]])<br />
:* [[ヴィルヘルム・ムア]]([[:en:Wilhelm Murr]])([[1928年]] - [[1945年]])<br />
<br />
=== 帝国大管区 ===<br />
{{Main|帝国大管区}}<br />
* [[ケルンテン州|ケルンテン]]帝国大管区<br />
* [[ニーダーエスターライヒ州|下ドナウ]]帝国大管区<br />
* [[オーバーエスターライヒ州|上ドナウ]]帝国大管区<br />
* [[ザルツブルク州|ザルツブルク]]帝国大管区<br />
* [[シュタイアーマルク州|シュタイアーマルク]]帝国大管区<br />
* [[チロル州|チロル]]=[[フォアアールベルク州|フォアアールベルク]]帝国大管区([[:de:Tirol-Vorarlberg|de]])<br />
* 大[[ウィーン]]帝国大管区([[:de:Groß-Wien|de]])<br />
* [[ズデーテンラント]]帝国大管区([[:de:Sudetenland (Reichsgau)|de]])<br />
* [[ヴァルテラント]]帝国大管区([[:de:Wartheland|de]]・[[:en:Reichsgau Wartheland|en]])<br />
* [[自由都市ダンツィヒ|ダンツィヒ]]=[[西プロイセン]]帝国大管区([[:de:Reichsgau Danzig-Westpreußen|de]]・[[:en:Reichsgau Danzig-West Prussia|en]])<br />
<br />
=== ナチス国外大管区 ===<br />
外国の[[国家社会主義ドイツ労働者党]]党員のために、[[ナチス国外大管区]]([[:en:NSDAP/AO|NSDAP/AO]])がおかれ、ベルリンに本部が置かれた。この国外大管区は43番目の大管区とみなされている。<br />
; 歴代ガウライター<br />
* [[:en:Hans Nieland|ハンス・ニーラント]]([[1930年]] - [[1933年]])<br />
* [[エルンスト・ヴィルヘルム・ボーレ]]([[1933年]] - [[1945年]])<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
* [[帝国大管区]]<br />
* [[:en:List of Gauleiters]]<br />
* [[連邦州]]<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
{{Reflist}}<br />
<br />
== 出典 ==<br />
* ''Der große Atlas der Weltgeschichte'' (in German), Historical map book, published: 1990, publisher: Orbis Verlag - Munich, ISBN 3-572-04755-2<br />
* 山口定:『ヒトラーの抬頭;ワイマール・デモクラシーの悲劇』、朝日新聞社、1991年、ISBN 4-02-260652-5<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
* [http://web.archive.org/web/20080410223427/http://www.shoa.de/content/view/544/41 Shoa.de - List of Gaue and Gauleiter] (独語) (2008年4月10日時点の[[インターネット・アーカイブ|アーカイブ]])<br />
<br />
{{ナチ党}}<br />
{{ナチス・ドイツ}}<br />
{{DEFAULTSORT:たいかんく}}<br />
[[Category:大管区指導者|*]]<br />
[[Category:ナチ党]]<br />
[[Category:ドイツの地方行政区画]]</div>
ウマスラ
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%82%B1%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%83%84&diff=230256
ハーケンクロイツ
2014-06-01T18:01:01Z
<p>ウマスラ: </p>
<hr />
<div>[[ファイル:ハーゲンクロイツ.jpg|300px|thumb|ハーゲンクロイツ]]<br />
[[ファイル:ハーゲンクロイツ.png|300px|thumb|ハーゲンクロイツ]]<br />
'''ハーケンクロイツ'''([[ドイツ語|独]]:Hakenkreuz、 '''&#21328;'''<ref>この文字はまんじ「卍」の異体字として作字されたものであり、ハーケンクロイツとして作字されたものではないが、似ているデザインがこれしかないため便宜的に使用している点を明記しておく。『大漢和辞典』(諸橋轍次、大修館書店)を参照。</ref>、'''逆鉤十字''')は、[[1920年]]に[[国家社会主義ドイツ労働者党|ナチス]]が党章や党旗(右の画像参照)に、[[1935年]]に[[ドイツ国 (1933年-1945年)|ドイツ]]国旗に採用したシンボルである。「&#21328;」(右まんじ、逆まんじ)が使われる場合が多い。<br />
<br />
'''[[卍|まんじ]]'''('''卍''' または '''&#21328;'''、[[英語|英]]:swastika、スヴァスティカ、スワスティカ、鉤十字)の印自体は、[[ヒンドゥー教]]や[[仏教]]などで幸運の印として使用されており、[[日本]]では[[家紋]]や[[地図記号]]などで「卍」(左まんじ)が多く使われている。<br />
<br />
[[西洋]]でも古来より幸運のシンボルとして使用されていたが、ドイツで民族主義運動のシンボルとされて、さらにナチスが党章にハーケンクロイツを採用した影響により、以降は&#21328;は、[[ナチズム]]や[[ネオナチ]]のシンボルと見なされる事が珍しくない。[[欧米]]では、「&#21328;」に限らず「卍」も左右の違いにかかわらず、公共の場での掲示、使用を法律で禁止している国が多い。{{Main|卍}}<br />
<br />
== ナチス・ドイツ ==<br />
=== ナチスによる採用 ===<br />
{{Main|国家社会主義ドイツ労働者党#党のシンボル}}<br />
<br />
ナチスがこのシンボルを採用した経緯は、[[ドイツ]]の[[考古学者]]、[[ハインリッヒ・シュリーマン]]が[[イリオス|トロイ]]の[[遺跡]]の中で&#21328;を発見し、&#21328;を古代の[[インド・ヨーロッパ語族]]に共通の宗教的[[シンボル]]と見なしたためである。これに基づき、[[アーリアン学説]]のいう[[アーリア人]]の象徴として採用したものである。<br />
<br />
しかし、元々は[[エアハルト旅団]]([[コンスル (テロ組織)|コンスル]]の前身)などドイツの民族主義運動のシンボルとして、また詩的結社グループの[[シュテファン・ゲオルゲ|ゲオルゲ]]派においても使用されていた。[[アドルフ・ヒトラー]]は著書『[[我が闘争]]』の中で、支持者からの多くの提案で党旗の最終デザインを選ぶと述べた。ハーケンクロイツは歯科医フリードリヒ・クローンによって提案され、アーリア人優越論のシンボルとされた。一部オカルティストの間では、[[ルーン文字]] '''S'''を重ねて作られたとする説が唱えられている。<br />
<br />
ナチ党は赤地の上の白円の中に黒のハーケンクロイツが入ったデザインを使用した。黒、白、赤は帝政時代の国旗に使用されていた色である。ヒトラーは、赤は社会的理念、白は国家主義的理念、ハーケンクロイツはアーリア人種の勝利のために戦う使命を表しているとした。またナチ党は円や背景のないハーケンクロイツも使用した。ナチの鉤十字には二種類が生じた。右回りのものと、その鏡像である。ナチ党は二種類を象徴的に区別しなかったが、右回りのものが一般的に使用された。鉤十字は通常45°回転して描かれた。<br />
<br />
ナチスが党章にハーケンクロイツを採用したことで、&#21328;は幸運のシンボルからナチスの象徴とみなされるようになった。<br />
<br />
=== ドイツ国旗としての使用 ===<br />
<br />
[[ヒトラー内閣]]が成立した後の1933年3月5日に総選挙が行われ、ナチス党が勝利した。この後、プロイセンの内相であった[[ヘルマン・ゲーリング]]は、支配下の公共建造物にハーケンクロイツ旗を掲げさせた。さらに、地方政府の実権をナチス党関係者が掌握する度に、その地方の公共物にハーケンクロイツ旗が掲げられた。こうしてハーケンクロイツを事実上の国旗とする既成事実が作られた。<br />
<br />
1933年3月12日の大統領布告で国旗の改正が決まり、黒・白・赤の[[ドイツの国旗#ドイツ国(Deutsches Reich)|ドイツ帝国旗]]を暫定的な国旗とし、ハーケンクロイツ旗を国旗に準ずるものと定めた。1935年にはハーケンクロイツ旗が正式なドイツ国国旗となった。[[第二次世界大戦]]が勃発すると、連合国側の国々は&#21328;の使用を禁じるようになった(後述)。1945年にドイツは降伏し、ナチス党は消滅。ハーケンクロイツ旗は国旗として使用されることはなくなった。<br />
<br />
=== 第二次世界大戦後 ===<br />
第二次世界大戦後のドイツでは、学問的な理由を除き、ハーケンクロイツなどのナチスのシンボルを公共の場で展示・使用することは、[[民衆扇動罪]]で処罰される。ただし私有地や個人での所持、思想へ禁止はしていない。ドイツを含めて各国の[[ネオナチ]]の一部は現在でも使用している。<br />
<br />
ドイツ軍兵器の[[プラモデル]]においてはハーケンクロイツが[[ボックスアート]]では省略されたり、田の字状になっている他、[[デカール]]の形状が2つに分けられ、接着しないとハーケンクロイツの形に見えないようにしている等の対策がされている事が多い。これは鉄道模型([[メルクリン]]など)でも同様である。<br />
これを受けて、[[少林寺拳法]]は[[1947年]]の創設以来、シンボルマークや胸章に[[卍]]を使用してきたが、[[ヨーロッパ]]での普及にあたってハーケンクロイツとの混同を避けるため、[[2005年]]から新しいシンボルマークに変更している。また、[[ポケットモンスターカードゲーム]]のカードに卍が印刷されていたが、欧米の[[ユダヤ人]]団体の抗議によりデザインが変更された。その他、[[ウォー・シミュレーションゲーム]]などではハーケンクロイツそのものを削除してしまう(「Silent Hunter」シリーズほか)他に「二つに分割」、「十字に置き換え(「[[第三帝国興亡記]]」)」、「[[鉄十字]]に置き換え」など規制をかわしている例も見られるが、日本で製作されたソフトの中にはハーケンクロイツがそのまま入っている作品も存在する。[[セリエA (サッカー)|セリエA]]のサッカークラブ、[[フィオレンティーナ]]は[[ユニフォーム]]柄の一部が卍に見える箇所が有るとのクレームで変更に至った。<br />
<br />
ドイツが主導する&#21328;禁止を[[欧州連合|EU]]全体に拡大する動きに対し、[[ヒンドゥー教]]団体は「&#21328;は伝統的に平和の象徴として使われてきた」としてこの拡大案を非難している。<br />
<br />
[[2007年]]3月、ドイツでは反ナチ意識高揚の為にのみ鉤十字の使用が容認される事になった(禁止マークを重ねる、ゴミ箱に突っ込まれているなどのイラストで)。<br />
<br />
== 20世紀のナチス以外の使用 ==<br />
=== フィンランド ===<br />
[[フィンランド]]では[[1918年]]から[[1944年]]まで鈎十字に類似した「[[ハカリスティ]]」が空軍および陸軍の[[国籍標識]]として使用された。青いハカリスティは[[フィンランド内戦]]中、[[白軍]]に最初の航空機を寄贈した[[スウェーデン]]の伯爵[[エリック・フォン・ローゼン]]によって幸運のシンボルとしてデザインされた。後にフィンランドはナチスと共同戦線を組むことになるものの、このハカリスティは本来[[#ナチス・ドイツ|ナチスのハーケンクロイツ]]とは無関係であった。1945年以降は[[ラウンデル]]状のマーキングに変更されたが、現在もフィンランドのメダルおよび装飾物に目立たない形で使用されている。<br />
<br />
=== スウェーデン ===<br />
スウェーデンの会社ASEA(現在[[スイス]]企業[[アセア・ブラウン・ボベリ]]の一部)は、1800年代から1933年までハカリスティをロゴに使用した。<br />
<br />
=== 旧ソ連 ===<br />
[[ソビエト連邦]]では[[ソ連型社会主義]]をあらわすシンボルに用いられた。<br />
<br />
=== 満州 ===<br />
[[ロシアファシスト党]]がシンボルに使用した。<br />
<br />
=== 北アメリカ ===<br />
スワスチカ (Swastika) は、[[カナダ]]の[[オンタリオ州]]北部に存在する町の名である。[[トロント]]の北およそ580km、カークランド湖の5km西に位置し、[[1906年]]に成立した。近くで金鉱が発見され、スワスチカ・マイニング・カンパニーが1908年に設立された。オンタリオ州政府は[[第二次世界大戦]]中に町の名を変更しようとしたが町は抵抗した。<br />
<br />
[[ノバスコシア州]]のウィンザーには、[[1905年]]から[[1916年]]まで「スワスチカズ」という名のアイスホッケー・チームが存在した。チームのユニフォームには卍がデザインされていた。さらに、[[アルバータ州]]のエドモントン(1916年)と、[[ブリティッシュコロンビア州]]のファーニー([[1922年]])にも「スワスチカズ」という名のホッケー・チームが存在した。<br />
<br />
第二次大戦の直後、いくつかの[[インディアン|アメリカインディアン]]の種族は、美術品に卍を使用しないとする法令に署名した。卍がナチをイメージすることによるものだった。<br />
<br />
=== ポーランド ===<br />
第一次大戦後、ポーランド陸軍ポドハレ第21・22山岳歩兵師団第1から第6歩兵歩兵連隊の連隊章に使用される。意匠としてはハカリスティに酷似。第1・第6歩兵連隊のみ45度傾斜している、ただし第6歩兵連隊は回転方向が逆(時計回り)。<br />
当時のパレードの写真でハーケンクロイツのみ描かれた看板が見られる。<br />
<br />
現用の第21旅団章、第1連隊章でも同様の意匠が使用されているが、登山用の斧2本を組み合わせた形状に偽装されている。<br />
<br />
現在ポドハレ兵士の[[サバイバルゲーム#ルール|リナエクター]]は第二次大戦当時のバッジをそのまま装着しているが、特に問題はない様である。<br />
<br />
== 関連する標章 ==<br />
[[ケルト十字]]が、[[白人至上主義]]団体により標章として用いられることもある。<br />
<br />
ロシアではネオナチ政党である[[国家ボリシェヴィキ党]]が、ナチス旗を模した赤地に白丸の中に黒色の[[鎌と槌]]を配した党旗を使用している。<br />
<br />
== その他 ==<br />
=== マイクロソフトの対応 ===<br />
[[マイクロソフト]]はハーケンクロイツと[[ダビデの星]]を共に不適切な記号とし、[[Microsoft Office|Microsoft Office 2003]]に付属の[[フォント]][[ファイル (コンピュータ)|ファイル]]「Bookshelf Symbol 7」からそれらの記号を削除するツールを[[2004年]][[2月11日]]に配布した。<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
<references /><br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
{{Commons|Swastika}}<br />
* [[卍]]<br />
* [[十字]]<br />
* [[国家社会主義ドイツ労働者党]](ナチス)<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
* [http://heathenworld.com/swastika/ Heathen World's "I'm Not a Nazi Swastika Gallery"]<br />
<br />
{{ナチ党}}<br />
{{ナチス・ドイツ}}<br />
{{DEFAULTSORT:はあけんくろいつ}}<br />
[[Category:十字架]]<br />
[[category:ナチ党]]<br />
[[category:シンボル]]</div>
ウマスラ
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%8B%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%B0%E3%83%8A%E3%83%BC&diff=230254
ヴィニフレート・ワーグナー
2014-06-01T18:00:15Z
<p>ウマスラ: /* 経歴 */</p>
<hr />
<div>'''ヴィニフレート・ワーグナー'''('''Winifred Wagner''', [[1897年]][[6月23日]] [[ヘイスティングス]] - [[1980年]][[3月5日]] ユーバーリンゲン)は、[[ジークフリート・ワーグナー]]未亡人で[[バイロイト音楽祭]]の主宰者。<br />
<br />
== 経歴 ==<br />
本名はウィニフレッド・マージョリー・ウィリアムズといい、[[イングランド]]出身だが、2歳にならずして両親を相次いで失い、親戚をたらい回しにされた末、母方の遠縁にあたる[[ドイツ人]][[ピアニスト]]の[[カール・クリントヴォルト]]に引き取られた。クリントヴォルトは[[リヒャルト・ワーグナー]]の親友で、このためヴィニフレートは筋金入りの[[ワグネリアン]]として育てられた。<br />
<br />
[[バイロイト音楽祭]]は[[ワーグナー家]]の家業として構想されたため、指導権は[[リヒャルト・ワーグナー]]から未亡人[[コジマ・ワーグナー|コジマ]]を経て、息子[[ジークフリート・ワーグナー]]に受け継がれなければならなかった。だが、ジークフリートは[[両性愛]]ないしは同性愛的傾向があり、結婚に興味を示さず、男ばかりの取り巻きを好んでいた。[[1914年]]の[[バイロイト音楽祭]]で、17歳の「ヴィニフレート・クリントヴォルト嬢」が呼び付けられ、45歳のジークフリートに引き合わせるべく手はずが整えられる。翌[[1915年]][[9月22日]]に二人は結婚した。結婚によって、ジークフリートの同性愛と、それにかかわる手痛いスキャンダルに終止符が打たれることが期待されたためである。二人は矢継ぎ早に4人の子供をもうけている。<br />
# [[ヴィーラント・ワーグナー]]([[1917年]]-[[1966年]])<br />
# [[フリーデリント・ワーグナー]]([[1918年]]-[[1991年]])<br />
# [[ヴォルフガング・ワーグナー]]([[1919年]]-[[2010年]])<br />
# ヴェレーナ([[1920年]])<br />
その後は敗戦の財政難の中、夫の新演出実現のために資金集めに奔走したり、逆に[[アルトゥーロ・トスカニーニ|トスカニーニ]]の音楽祭出演を説得するなど、良妻ぶりを発揮、音楽祭に欠かせぬ存在となる。<br />
<br />
彼女の転機は[[1930年]]に訪れた。コジマが亡くなった後、ジークフリートが急逝し、彼女は一人で音楽祭運営を行わなければならなくなったのだ。<br />
<br />
当面は劇場の支配人経験のある[[ハインツ・ティーチェン]]を協力者にすえ、[[ヴィルヘルム・フルトヴェングラー]]を招くことに成功したが、求心力の低下は免れなかった。この時期から彼女は急速に[[アドルフ・ヒトラー]]に接近していく。<br />
<br />
この接近にはいくつか理由がある。一つにはバイロイト音楽祭の運営・演出の方向性を巡って[[ヨーゼフ・ゲッベルス|ゲッベルス]]らを中心に反感を持ったり、修正を要求する者が多かったことが挙げられる。当時のナチ要人、文化指導者の中にあってヒトラーはヴィニフレートの方針に援助と支持を惜しまない数少ない一人だったのである。<br />
<br />
ヴィニフレートが、[[ナチズム]]の思想に早い段階から共感と信奉を表明していたことも事実である。[[1923年]]に初めて出会って以来、ヒトラーが[[ミュンヘン一揆]]に失敗して投獄された際には、食べ物や原稿用紙を差し入れ、結果的に『[[我が闘争]]』の執筆の手助けをするという献身ぶりだった。彼らはドイツ人の[[ナショナリズム]]や、北方人種の自己実現、「民族的''völkisch'' 」な願望を、義父ヴァーグナーの美的理念として解釈し、共有した。<br />
<br />
こういった事情により、[[バイロイト音楽祭]]は、ヒトラーの好み通り、ドイツのオペラ興行の最高峰にして、[[ドイツ国 (1933年-1945年)|ナチス・ドイツ]]の国家的行事の頂点を飾るという事態に至った。二人は結婚するのではないかという[[デマ]]が流れるほど親しい関係を築き、[[バイロイト]]のワーグナー家の邸宅であるヴァーンフリート荘は、ヒトラーのお気に入りの休息所となった。その後もヒトラーはバイロイト音楽祭に協賛を続け免税も行い、ヴィニフレートの子供たちにも格別のとりはからいを見せた。<br />
<br />
[[第三帝国]]崩壊後はナチズムへの加担責任を問われ、実刑は免れたものの事実上の[[公職追放]]を迫られた。バイロイト音楽祭の経営はヴィーラントならびにヴォルフガングの兄弟に担われることになる。<br />
<br />
[[1975年]]に、ヴィニフレートはハンス=ユルゲン・ジューバーベルクの[[ドキュメンタリー]]・フィルムでインタビューに応じたが、自らの過去についてまったく悪びれた様子を見せなかった。「彼と出逢ったことは……避けようのない体験だったのでしょう」 と言い、ヒトラーへの変わらぬ敬意も告白した。彼女とヒトラーの親密さが、性的なものだったか否かはしばしば勘ぐりがなされるが、そうと決め付けるだけの確証は今のところはない。<br />
<br />
== 関連文献 ==<br />
* ブリギッテ・ハーマン著、鶴見真理訳 吉田真・監訳『ヒトラーとバイロイト音楽祭 ヴィニフレート・ワーグナーの生涯 上巻 戦前編 1897-1938』([[アルファベータ]]、2010年)<br />
* ブリギッテ・ハーマン著、鶴見真理訳 吉田真・監訳『ヒトラーとバイロイト音楽祭 ヴィニフレート・ワーグナーの生涯 下巻 戦中・戦後編 1938-1980』([[アルファベータ]]、2010年)<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
* [http://user.ecc.u-tokyo.ac.jp/~g440770/report-r.html 音楽の非純粋性]<br />
<br />
{{アドルフ・ヒトラー}}<br />
{{DEFAULTSORT:わあくなあ ういにふれえと}}<br />
[[Category:ワーグナー家|ういにふれえと]]<br />
[[Category:ナチ党]]<br />
[[Category:ヘイスティングス出身の人物]]<br />
[[Category:1897年生]]<br />
[[Category:1980年没]]<br />
[[Category:カッコ良すぎる姐]]<br />
[[Category:カワイすぎる姐]]<br />
[[Category:美人]]</div>
ウマスラ
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%84%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%9E%E3%83%B3&diff=230253
フリッツ・ヴィーデマン
2014-06-01T17:59:31Z
<p>ウマスラ: </p>
<hr />
<div>'''フリッツ・ヴィーデマン'''(Fritz Wiedemann、 [[1891年]][[8月16日]] - [[1970年]][[1月17日]])は、[[ドイツ]]の軍人。[[第一次世界大戦]]時[[アドルフ・ヒトラー]]の上官となり、[[ドイツ国 (1933年-1945年)|ナチス・ドイツ]]時代はヒトラーの[[副官]]を務めた。<br />
<br />
== 経歴 ==<br />
[[1891年]][[8月16日]][[アウクスブルク]]で生まれ。[[1910年]]に[[ギムナジウム|高校]]を卒業すると、[[バイエルン王国|バイエルン]]陸軍の[[士官候補生]]となった。[[1912年]]には[[中尉]]に昇進している。しかし第一次世界大戦勃発の直前に事故にあったため、前線での任務につけないまま[[1915年]][[10月]]、バイエルン予備[[歩兵]]第16[[連隊]]の[[副官]]となった。この連隊にはヒトラーと、後に[[国家社会主義ドイツ労働者党|ナチス党]]の出版[[全国指導者]]となる[[マックス・アマン]]も所属しており、相互に面識を持っていた。ヴィーデマンはこの時のヒトラーを「口ひげが将校らしくない」など[[将校]]にはふさわしくない資質が目立ち、「指揮官としての能力が欠如していた」と評している<ref>児島、第1巻、14P</ref>。<br />
<br />
戦争が終わるとヴィーデマンは除隊し、アルゴイ地方 ([[:de:Allgäu|Allgäu]])で[[酪農]]の仕事に従事した。その後[[ポストミュンスター]]([[:en:Postmünster|en]])で酪農事業を興した。[[1921年]]、ヴィーデマンは戦友会の会合でヒトラーと偶然再会し、[[突撃隊]]の隊長になるように要請されたが、この時は断っている。しかしやがて事業に行き詰まり、[[1933年]]にはアマンを通じてヒトラーの援助を求めた。ヒトラーはこれに応じ、この年の終わりにヴィーデマンは[[ルドルフ・ヘス]]の副官の一人となった。[[1934年]][[2月]]には新規入党禁止措置が敷かれているにも関わらず、特例として[[ナチ党]]に入党している。<br />
<br />
[[1935年]][[1月]]、ヴィーデマンは[[国家社会主義自動車軍団]]の[[親衛隊少将|少将]]になり、さらにヒトラーの副官に就任した。彼には事業で培った[[経済]]知識があったため、副官の中でも重要な存在となっていった。1938年には[[国会 (ドイツ)|帝国議会]]の議員となっている。[[1938年]]の[[オーストリア]]併合([[アンシュルス]])では[[イギリス]]の諒解を取り付けるために、[[エドワード・ウッド (初代ハリファックス伯爵)|ハリファクス]]外相と会談し、重要な役割を果たした。この年の[[5月]]にヒトラーは[[遺言書]]を作成し、自分の死後もヴィーデマンに対して「党が厚意を示してくれる」ことを望む旨を記している。<br />
<br />
しかし、実際にはこれらの時期を通じてヴィーデマンはヒトラーと一定の距離を取っていた。彼は『超悲観主義者』であり、ヒトラーの冒険的な政策に常に懐疑的な姿勢を保っていた。やがてヴィーデマンとヒトラーとの対立は深まり、[[1939年]]1月に副官を解任され、[[サンフランシスコ]]の[[総領事]]に左遷された。[[1941年]][[7月]]に[[アメリカ]]政府の命令ですべてのドイツ[[領事館]]が閉鎖されると、ヴィーデマンは[[中国]]に渡り、[[11月]]に[[天津]]の総領事となった。<br />
<br />
終戦までヴィーデマンは中国におり、[[第二次世界大戦|戦争]]にはほとんど関与しなかった。終戦後の[[1945年]][[9月]]に逮捕され、[[ワシントンD.C.]]ついで[[ニュルンベルク]]に送られた。[[10月5日]]には[[ニュルンベルク裁判]]で[[証人]]として出廷している。結局法廷からは何ら罪に問われることなく1948年5月に釈放された。ポストミュンスターに帰ったヴィーデマンは1970年に死亡するまで[[農業]]を営んでいた。<br />
<br />
彼は著書において、[[チェコスロバキア併合]]などの政治的事件や[[T4作戦]]のようなナチス・ドイツの犯罪行為に関する数々の証言を記している。<br />
<br />
== 著書 ==<br />
* Der Mann, der Feldherr werden wollte (1964年)<br />
<br />
== 参考文献 ==<br />
* [[児島襄]]『第二次世界大戦 ヒトラーの戦い』(文春文庫)全10巻 <br />
<br />
== 脚注 ==<br />
{{Reflist}}<br />
<br />
{{アドルフ・ヒトラー}}<br />
{{DEFAULTSORT:ういーてまん ふりつ}}<br />
[[Category:第一次世界大戦期ドイツの軍人]]<br />
[[Category:ドイツの外交官]]<br />
[[Category:ナチ党員]]<br />
[[Category:アドルフ・ヒトラー]]<br />
[[Category:ニュルンベルク裁判]]<br />
[[Category:アウクスブルク出身の人物]]<br />
[[Category:1891年生]]<br />
[[Category:1970年没]]<br />
[[Category:カッコ良すぎる漢]]<br />
[[Category:カワイすぎる漢]]</div>
ウマスラ
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%84%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B2&diff=230252
ハインツ・リンゲ
2014-06-01T17:58:17Z
<p>ウマスラ: </p>
<hr />
<div>'''ハインツ・リンゲ'''(''Heinz Linge''、[[1913年]][[3月23日]] – [[1980年]][[3月9日]])は、[[ドイツ国 (1933年-1945年)|ナチス・ドイツ]]総統[[アドルフ・ヒトラー]]の従者。[[親衛隊 (ナチス)|親衛隊(SS)]]の隊員であり、最終階級は[[親衛隊中佐]](SS-Obersturmbannführer)。<br />
<br />
== 略歴 ==<br />
[[ブレーメン]]出身。 煉瓦職人をしていた。1932年に[[国家社会主義ドイツ労働者党]](ナチス党)に入党(党員番号1.260.490)。また親衛隊にも入隊(隊員番号35.795)。1933年、[[ヨーゼフ・ディートリヒ]]により117人のヒトラーのボディーガードの一人に選ばれた。彼は[[ベルリン]]の[[総統官邸]]、[[ベルヒテスガーデン]]、[[ケントシン]]の[[ヴォルフスシャンツェ]]、[[総統地下壕]]などヒトラーの住居となる場所でヒトラーの雑用をしていた。[[ベルリンの戦い]]の最中のヒトラーの最期の瞬間の目撃者の一人でもある。自殺したヒトラーの遺体を焼いた人物の一人でもある。<br />
<br />
敗戦後、[[ソ連]]軍に捕まった。ヒトラーの死についての尋問を受けた。その後、ソ連から25年の強制労働刑に処されたが、1955年には[[西ドイツ]]へ送還された。1980年に故郷のブレーメンで死去。<br />
<br />
<br />
{{アドルフ・ヒトラー}}<br />
{{DEFAULTSORT:りんけはいんつ}}<br />
[[Category:ナチ党員]]<br />
[[Category:親衛隊隊員]]<br />
[[Category:ブレーメン出身の人物]]<br />
[[Category:1913年生]]<br />
[[Category:1980年没]]<br />
[[Category:カッコ良すぎる漢]]<br />
[[Category:カワイすぎる漢]]</div>
ウマスラ
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%A4%E3%83%BC&diff=230251
カール・マイヤー
2014-06-01T17:58:00Z
<p>ウマスラ: /* 経歴 */</p>
<hr />
<div>'''カール・マイヤー'''(Karl Mayr、[[1883年]][[1月5日]]–[[1945年]][[2月9日]])は、[[ドイツ]]の[[軍人]]、[[政治家]]([[1925年]]以降は[[ドイツ社会民主党]]所属)。のちに[[ナチス・ドイツ]]の[[独裁者]]となる[[アドルフ・ヒトラー]]を[[政治]]の世界に引き入れた人物として知られるが、反ナチスに転じ、ナチスの強制収容所で最期を迎えた。<br />
<br />
== 経歴 ==<br />
[[バイエルン王国]]のミンデルハイムに生まれる。[[アビトゥーア]]合格後、1901年7月に第1バイエルン歩兵連隊に士官候補生として入営。1903年に少尉、1911年に中尉に昇進。1914年8月に始まる[[第一次世界大戦]]に第1猟兵大隊の一員として従軍。[[ロレーヌ地域圏|ロートリンゲン]]や[[フランドル]]をめぐる戦いに従軍。1915年に所属部隊ごとアルプス軍団に転属となる。同年6月に大尉に昇進。同年7月より東部軍集団に転属となり、[[トルコ]]で従軍。<br />
<br />
停戦後の1918年12月に[[ミュンヘン]]に駐留する第1バイエルン歩兵連隊で中隊長になる。1919年2月に長期休養を与えられるが、早くも5月には軍に復帰してミュンヘンの護衛連隊第6大隊長に就任、同月30日からはフォン・モール中将指揮下の第4集団司令部第四局(Ib部)および[[ドイツ義勇軍|義勇軍]]「フォン・オーフェン」の諜報・[[プロパガンダ]]部長に就任した。<br />
<br />
諜報・宣伝部長として1919年6月、復員兵である[[アドルフ・ヒトラー]]をスカウトし、潜入諜報員および宣伝演説者とした。マイヤーはレヒフェルトの[[ヴァイマル共和国軍]]施設でヒトラーに講習を受けさせ、戦争で士気が阻喪し「[[ボリシェヴィキ]]化」した部隊に民族主義(国民主義)を植え付けさせるための訓練を施した。講習の修了後、マイヤーはヒトラーに対し、ミュンヘンの兵舎に赴いて反ボリシェヴィキ宣伝演説をするよう命じた。さらにヒトラーは、この時期ミュンヘンに乱立していた政治組織の集会に参加・潜入して観察するよう命じられていた。ヒトラーは集会に参加してはその政治的主張・目的・手段についての報告をマイヤーに行った。<br />
<br />
1919年9月12日、マイヤーの指示でヒトラーは[[アントン・ドレクスラー]]が設立したドイツ労働者党([[国家社会主義ドイツ労働者党|ナチ党]]の前身)の集会に参加した。9月16日にはヒトラーが最初に[[反ユダヤ主義]]を示した記録である[[:en:Gemlich letter|ゲムリッヒ書簡]]がマイヤーの指示で書かれた。10月3日の集会にも参加したヒトラーは入党を決意し、マイヤーに対して「この人々は前線の兵士の思想を主張しているため、入党を許可していただきたい」とする報告書を提出した。のちにヒトラーはドイツ労働者党をナチ党に変えて党勢を拡大し、ついには[[ドイツ国 (1933年-1945年)|ナチス・ドイツ]]の[[独裁者]]となったため、マイヤーは「ヒトラーの発見者」「ヒトラーを政治の舞台に導いた人物」としてときに過大評価されがちである。しかしマイヤーはヒトラーのみでなく指揮下にある全ての人物にヒトラーと同じことをするよう命じており、ヒトラーを特別扱いしていたわけではない。<br />
<br />
1920年3月の[[カップ一揆]]の際、マイヤーは[[ベルリン]]の情勢を探らせるため、ヒトラー、[[ディートリッヒ・エッカート]]、[[ローベルト・フォン・グライム]]を派遣した。同年7月、マイヤー少佐は第VII軍管区参謀部を最後に軍から退役させられた。おそらくはカップ一揆の参加者と接触したことを忌避されてのことであった。<br />
<br />
1921年頃はマイヤーはまだヒトラーとそのナチ党に共感していたが、次第にその反対者・批判者になった。1925年には[[ドイツ社会民主党]]に入党し、そのため第1歩兵連隊の退役将校協会から除名された。その後は共和制支持派の準軍隊組織「[[帝国国旗、黒・赤・金]]」(国旗団)の指導者・機関紙編集者になった。ヒトラーが政権を獲得した1933年以降は[[フランス]]に移住した。しかし[[第二次世界大戦]]が勃発し1940年にフランスがドイツ軍に占領されると、マイヤーは[[パリ]]で[[ゲシュタポ]]に逮捕された。ドイツに連行されたマイヤーは[[ブーヘンヴァルト強制収容所]]に送られ、大戦末期の1945年2月に収容所内で死亡した。<br />
<br />
{{アドルフ・ヒトラー}}<br />
{{DEFAULTSORT:まいやあ、かある}}<br />
[[Category:ドイツ社会民主党の政治家]]<br />
[[Category:バイエルンの軍人]]<br />
[[Category:ヴァイマル共和国の軍人]]<br />
[[Category:第一次世界大戦期ドイツの軍人]]<br />
[[Category:ヴァイマル共和国の政治家]]<br />
[[Category:アドルフ・ヒトラー]]<br />
[[Category:ドイツの亡命者]]<br />
[[Category:ホロコースト犠牲者]]<br />
[[Category:1883年生]]<br />
[[Category:1945年没]]</div>
ウマスラ
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%AB&diff=230250
マリア・マンデル
2014-06-01T17:57:39Z
<p>ウマスラ: </p>
<hr />
<div>'''マリア・マンデル'''(''Maria Mandel''、[[1912年]][[1月10日]] - [[1948年]][[1月24日]])は[[ドイツ国 (1933年-1945年)|ナチス・ドイツ]]の[[親衛隊 (ナチス)|親衛隊]]における女性隊員。[[アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所]]の囚人管理長 ([[:en:SS-Oberaufseherin]]) を務めた。<br />
<br />
[[オーストリア]]に生まれ、[[1938年]]に親衛隊に入隊。[[アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所]]所長[[ルドルフ・フェルディナント・ヘス]]の指示の下に管理した。一説には、彼女の命令によって50万人を超える女囚([[ユダヤ人]]、[[ロマ]]、[[政治犯]]など)が殺されたとされる。<br />
<br />
ドイツの敗北後逃亡するも1945年8月に米軍によって拘束され、翌1946年11月に[[ポーランド]]に引き渡され、1947年11月に死刑判決を受け、翌1948年1月に絞首刑を執行された。<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:まんてる まりあ}}<br />
[[Category:ナチ党員]]<br />
[[Category:ナチ強制収容所看守]]<br />
[[Category:親衛隊隊員]]<br />
[[Category:ホロコースト]]<br />
[[Category:1912年生]]<br />
[[Category:1948年没]]<br />
[[Category:刑死した人物]]<br />
[[Category:アウシュヴィッツ強制収容所職員]]<br />
[[Category:カッコ良すぎる姐]]<br />
[[Category:カワイすぎる姐]]<br />
[[Category:美人]]<br />
{{People-stub}}</div>
ウマスラ
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E5%8A%B4%E5%83%8D%E8%80%85%E5%85%9A&diff=230249
ドイツ国家社会主義労働者党
2014-06-01T17:57:08Z
<p>ウマスラ: /* チェコスロバキア */</p>
<hr />
<div>'''ドイツ国家社会主義労働者党'''(Deutsche Nationalsozialistische Arbeiterpartei、DNSAP)は[[戦間期]]の[[オーストリア]]と[[チェコスロバキア]]に存在した政党。<br />
<br />
== 概要 ==<br />
1903年に[[オーストリア=ハンガリー帝国]]領であった[[チェコ]]の[[ウースチー・ナド・ラベム]]で「ドイツ労働者党」(Deutsche Arbeiterpartei)が結成された。1918年5月になって同党は「ドイツ国家社会主義労働者党」と改称した。この党は[[ゲオルグ・フォン・シェーネラー]](Georg von Schönerer)が唱えた[[汎ドイツ運動]](Alldeutsche Vereinigung)の支持者であり、[[帝国議会 (オーストリア)|帝国議会]](Reichsrat)ではドイツ人が多い[[ズデーテン地方]]から選出された3議席を持っていた。<br />
<br />
オーストリア=ハンガリー帝国が1918年11月に崩壊すると、同党の支持基盤はチェコスロバキアとオーストリアに別れることになった。そこで同党もチェコスロバキアはHans Knirsch、オーストリアはウォルター・リエル(Walter Riehl)を代表とする二つの党に分裂する事になった。<br />
<br />
=== チェコスロバキア ===<br />
チェコスロバキアのドイツ国家社会主義労働者党は、[[ドイツ国家党 (チェコスロバキア)|ドイツ国家党]](Deutsche Nationalpartei)と連携し、ズデーテン地方の分離とドイツへの統合を主張した。ズデーテン地方という強固な地盤を持つ同党は数議席を安定して獲得していたが、ドイツにおけるナチ党([[国家社会主義ドイツ労働者党]]、NSDAP)の台頭はチェコスロバキアの政府に危機感を抱かせた。[[ナチ党の権力掌握]]後の1933年10月にドイツ国家社会主義労働者党は禁止され、11月11日に正式に解散した。しかし政策や党員は[[コンラート・ヘンライン]]らの[[ズデーテン・ドイツ人党]]に引き継がれる事になり、[[ドイツ国 (1933年-1945年)|ナチス・ドイツ]]による[[チェコスロバキア併合]]を引き起こす事になる。<br />
<br />
=== オーストリア ===<br />
オーストリアのドイツ国家社会主義労働者党は国会議員選挙やザルツブルク州議会でわずかな議席を獲得したが、1924年にKarl Schulzのグループと(Schulzgruppe)、リエルのドイツ社会主義者クラブ(Deutschsozialer Verein)に分裂した。1926年5月には[[アドルフ・ヒトラー]]をFührer([[総統]])としてあおぐ、ドイツ・ナチ党のオーストリア支部として二つの派閥は統合され、復活した。リエル自身も1930年にナチスに入党した。1933年に[[エンゲルベルト・ドルフース]]首相によって活動を禁止されたが、1934年7月25日にはドルフースを暗殺してクーデターを起こそうとした。しかしこの動きは鎮圧され、1938年の[[アンシュルス]]まで地下活動を続ける事になる。<br />
<br />
== ドイツのナチ党との関連 ==<br />
1920年に[[ドイツ労働者党]]から改称した[[国家社会主義ドイツ労働者党]](ナチス)では、議長[[アントン・ドレクスラー]]を中心にチェコやオーストリアのドイツ国家社会主義労働者党との密接な結合を主張する声が合った。しかしヒトラーが党の独自性を確保するために反対したため、この時点での連携は行われなかった<ref>[[村瀬興雄]]『ナチズムドイツ保守主義の一系譜』([[中公新書]]、1968年)ISBN 978-4121001542 67p</ref>。<br />
<br />
なお、国家社会主義ドイツ労働者党のネーミングは、ドイツ国家社会主義労働者党に倣ったものである。<br />
{{Main|国家社会主義ドイツ労働者党#名称}}<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
{{Reflist}}<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
* [[国家社会主義ドイツ労働者党]]<br />
<br />
{{ナチ党}}<br />
{{DEFAULTSORT:といつこつかしやかいしゆきろうとうしやとう}}<br />
[[Category:チェコスロバキアの政党]]<br />
[[Category:チェコの歴史]]<br />
[[Category:オーストリアの政党]]<br />
[[Category:オーストリア第一共和国]]<br />
[[Category:ナチ党]]</div>
ウマスラ
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=1941%E5%B9%B4&diff=230248
1941年
2014-06-01T17:55:47Z
<p>ウマスラ: /* 4月 */</p>
<hr />
<div>'''1941年'''は、[[西暦]]([[グレゴリオ暦]])による、[[水曜日から始まる平年]]。<br />
<br />
== 他の紀年法 ==<br />
* [[干支]]:[[辛巳]]<br />
* [[日本]](月日は一致)<br />
** [[昭和]]16年<br />
** [[皇紀]]2601年<br />
* [[中国]]・[[満州]](月日は一致)<br />
** [[中華民国暦]]30年<br />
** [[満州国]]・康徳8年<br />
* [[朝鮮]]<br />
** [[檀君紀元|檀紀]]4274年<br />
** [[主体暦|主体]]30年<br />
* [[阮朝]]([[ベトナム]])<br />
** [[保大 (阮朝)|保大]]15年12月4日 - 16年11月14日<br />
* [[仏滅紀元]]:2483年 - 2484年<br />
* [[ヒジュラ暦|イスラム暦]]:1359年12月2日 - 1360年12月12日<br />
* [[ユダヤ暦]]:5701年4月2日 - 5702年4月11日<br />
* [[修正ユリウス日]](MJD):29995 - 30359<br />
* [[リリウス日]](LD):130836 - 131200<br />
<br />
== できごと ==<br />
=== 1月 ===<br />
* [[1月1日]] - 映画館で[[ニュース映画]]の上映が義務化<br />
* [[1月2日]] - [[海軍 (日本)|海軍]]航空部隊が[[昆明]]を爆撃(〜3日)<br />
* [[1月6日]] - 米海軍が [[ミズーリ (戦艦)]]を起工<br />
* [[1月7日]] - [[皖南事変]]。[[国民政府|国民党軍]]が移動中の[[新四軍]]を包囲攻撃(第二次反共攻勢) <br />
* [[1月8日]] - 東條陸相が[[戦陣訓]]を通達<br />
* [[1月10日]] - [[独ソ不可侵条約]]更新<br />
* [[1月16日]] - [[大日本青少年団]]結成<br />
* [[1月17日]] - [[国民政府]]が[[新四軍]]に解散命令<br />
* [[1月18日]] - 欧州航路最終の貨物船だあばん丸が横浜に帰港 <br />
* [[1月20日]] - [[中国共産党]]が[[新四軍]]を再編<br />
* [[1月21日]] - [[松岡洋右|松岡]]外相が[[タイ・仏印紛争]]に関して調停を申入れ、両国受諾<br />
* [[1月22日]] - [[中国共産党]]が[[皖南事変]]に抗議し[[国民政府]]に国共調整臨時弁法12条を要求<br />
* [[1月23日]] - [[野村吉三郎|野村]]駐米大使が出発([[ジョセフ・グルー|グルー]]駐日大使と東京駅で握手後、[[郵船]][[秩父丸|鎌倉丸]]で横浜出港)<br />
* [[1月28日]] - [[日本海洋学会]]創立<br />
* [[1月31日]] - 日本の調停によりタイ・仏印紛争が妥結し停戦協定を妥結<br />
<br />
=== 2月 ===<br />
* [[2月1日]] - 第1回[[東亜児童大会]]開催<br />
* [[2月3日]] - [[大本営政府連絡会議]]で対独伊ソ交渉要領を決定([[日ソ国交調整]])<br />
* [[2月5日]]<br />
** [[警視庁 (内務省)|警視庁]]が「[[警察訓]]」を[[帝都]]の警察官に示達<br />
** 支那方面作戦視察中の[[大角岑生|大角]]大将らの搭乗機が広東省黄揚山に激突(9日に殉職確認)<br />
* [[2月7日]] - [[タイ・仏印紛争]]調停会議が東京で開催<br />
* [[2月11日]]<br />
** [[李香蘭]]の日劇出演にファンが殺到し警官隊出動<br />
** [[国粋大衆党]]が南進要請皇民大会を開催([[武道館]])<br />
* [[2月13日]] - [[統制経済]]の複雑化に対応するため,[[警視庁 (内務省)|警視庁]]が経済保安課を経済警察部に昇格<br />
* [[2月14日]] - [[野村吉三郎|野村]]駐米大使が[[フランクリン・ルーズベルト|ルーズベルト]]大統領と初会談<br />
* [[2月15日]] - [[堀切善兵衛|堀切]]駐伊大使が[[ベニート・ムッソリーニ|ムッソリーニ]]首相と初会談<br />
* [[2月16日]] - [[蒙古聯合自治政府]]主席[[デムチュクドンロブ|徳王]]一行が[[靖国神社]]・[[明治神宮]]に参拝<br />
* [[2月23日]] - [[グレン・シーボーグ]]らが、94番[[元素]]の[[プルトニウム]] ([[プルトニウム|<sup>238</sup>Pu]]) を世界で初めて合成。<br />
* [[2月26日]] - [[情報局]]が各総合雑誌に執筆禁止者(非左翼自由主義者)の名簿を内示<br />
* [[2月28日]] - [[タイ・仏印紛争]]緊迫によりハノイの邦人引揚げを準備<br />
<br />
=== 3月 ===<br />
* [[3月8日]] - [[野村吉三郎|野村]]駐米大使と[[コーデル・ハル|ハル]]国務長官が[[日米交渉]]開始<br />
* [[3月10日]] - [[治安維持法]]が全部改正される<br />
<br />
=== 4月 ===<br />
* [[4月1日]]<br />
** [[国民学校令]]施行<br />
** ドレミファの[[階名]]がイロハとなる<br />
* [[4月3日]] - [[エルヴィン・ロンメル|ロンメル]]将軍の独軍が[[北アフリカ戦線]]で英軍を撃破<br />
* [[4月5日]]<br />
** [[日本癌学会]]創立<br />
** [[賀川豊彦]]らキリスト教会代表が平和使節として渡米 <br />
* [[4月6日]] <br />
** [[ユーゴスラビア]]が[[ソビエト連邦|ソ連]]と[[不可侵条約]]に調印<br />
** [[ドイツ国 (1933年-1945年)|ナチス・ドイツ]]を始めとする[[枢軸国]]が[[ユーゴスラビア]]と[[ギリシャ]]に侵攻([[ユーゴスラビア侵攻]]、[[ギリシャ・イタリア戦争]])<br />
** [[琵琶湖]]で訓練中の[[第四高等学校 (旧制)|第四高等学校]]漕艇部11名らが遭難し全員死亡([[琵琶湖遭難事故]])<br />
* [[4月13日]] - [[日ソ中立条約]]成立<br />
* [[4月17日]] - [[ユーゴスラビア]]が独に降伏<br />
* [[4月22日]] - [[広島県]]内の無尽会社4社が合併し広島無尽(後の[[もみじ銀行]])設立<br />
* [[4月23日]] - [[ギリシャ]]が独に降伏<br />
* 政府が日本における[[高等教育]]を受けている学生の人数を調査し示す。<br />
<br />
=== 5月 ===<br />
* [[5月7日]] - [[中原会戦]]( - [[6月15日]])。 <br />
* [[5月8日]] - [[東京条約]]が締結され[[タイ・フランス領インドシナ紛争]]が終結 <br />
* [[5月19日]] - 越南独立同盟([[ベトミン]])成立<br />
* [[5月20日]] - [[東京港]]が開港<br />
* [[5月21日]] - [[内田洋行]]設立<br />
* [[5月27日]] - [[第二次世界大戦]]: [[ドイツ海軍 (国防軍)|ドイツ海軍]]の[[戦艦]][[ビスマルク (戦艦)|ビスマルク]]沈没<br />
* 5月27日 - [[フランクリン・ルーズベルト|ルーズベルト]][[アメリカ合衆国大統領|米大統領]]が[[国家非常事態宣言]]を発令<br />
* [[日本軍]]、[[重慶]]を爆撃([[一〇二号作戦]]、 - 8月末)。<br />
<br />
=== 6月 ===<br />
* [[6月7日]] - [[東海銀行]]設立([[愛知銀行 (東海銀行の前身)|愛知銀行]]・[[名古屋銀行 (東海銀行の前身)|名古屋銀行]]・[[伊藤銀行]]が合併)<br />
* [[6月14日]] - 16,246名のリトアニア人がソビエト当局により[[シベリア]]などへ強制追放( - [[6月18日]])(''詳細は[[ソビエト連邦による戦争犯罪#リトアニア]]を参照'')<br />
* [[6月22日]] - [[ナチス・ドイツ]]が[[ソビエト連邦]]に対して攻撃開始([[バルバロッサ作戦]])し、[[独ソ戦]]が始まる<br />
* [[6月24日]] - [[日本基督教団]]創立(認可は[[11月24日]])(新教教会の合同)<br />
* [[6月26日]] - [[フィンランド]]が[[ソビエト連邦|ソ連]]に対して[[宣戦布告]]([[継続戦争]])<br />
* [[6月27日]]<br />
** [[ハンガリー]]が[[ソビエト連邦|ソ連]]に対して[[宣戦布告]]<br />
** [[ヨシップ・ブロズ・チトー|チトー]]が[[パルチザン (ユーゴスラビア)|パルチザン]]を組織し、ドイツ軍に対する[[ゲリラ|ゲリラ戦]]を開始<br />
* [[6月30日]] - ドイツが日本に対して対ソ参戦を申入れるも日本は拒否<br />
<br />
=== 7月 ===<br />
* [[7月1日]] - [[山陰合同銀行|山隂合同銀行]]設立(松江銀行と米子銀行が合併)<br />
* [[7月4日]] - [[帝都高速度交通営団]]設立(東京地下鉄道と東京高速鉄道が合併) <br />
* [[7月7日]]<br />
** [[アイスランド]]に[[アメリカ軍]]が駐留<br />
** [[関東軍特種演習]]([[関東軍]]、対ソ戦を準備、 - 8月)。 <br />
* [[7月12日]] - 第二次世界大戦: [[英ソ相互援助協定]]締結<br />
* [[7月15日]]<br />
** [[三井不動産]]創業<br />
** [[長野地震]]<br />
* [[7月16日]] - [[第2次近衛内閣]]総辞職([[松岡洋右]]外相更迭)<br />
* [[7月18日]] - [[第3次近衛内閣]]成立(外相[[豊田貞次郎]])<br />
* [[7月19日]] - [[伊藤述史|伊藤]][[情報局総裁]]が「変転極まりなき国際関係に恃むは自力のみ」と土曜放送で強調<br />
* [[7月20日]] - 第1回[[海の記念日]]<br />
* [[7月23日]]<br />
** [[フランクリン・ルーズベルト|ルーズベルト]]米大統領,[[クレア・リー・シェンノート|シェンノート]]指揮下の[[フライング・タイガース|義勇空軍]]の中国配置を認可し,軍事援助を明らかにする。<br />
** 日本・[[仏印]]間に南部仏印進駐細目の話合い成立<br />
* [[7月25日]] - 米が在米対日資産を凍結<br />
* [[7月26日]]<br />
** 英が在英日本資産を凍結<br />
** 極東アメリカ軍をフィリピンに創設(司令官[[ダグラス・マッカーサー]]中将)<br />
* [[7月27日]] - [[蘭印]]が在蘭印日本資産を凍結<br />
* [[7月28日]] - 日本軍、[[フランス領インドシナ]]南部進駐([[仏印進駐#南部仏印進駐|南部仏印進駐]])。<br />
<br />
=== 8月 ===<br />
* [[8月1日]] - 米、石油の対日輸出全面禁止を発表<br />
* [[8月12日]] - [[大西洋憲章]]発表<br />
* [[8月18日]] - [[豊田貞次郎|豊田]]外相が日米首脳会談を要請<br />
* [[8月25日]] - [[イギリス]]・[[ソビエト連邦]]が[[イラン進駐 (1941年)|イラン進駐]]を開始<br />
<br />
=== 9月 ===<br />
* [[9月3日]] - 日米首脳会談の要請を米国が拒否<br />
* [[9月6日]] - [[御前会議]]にて「[[帝国国策遂行要領]]」を決定<br />
* [[9月28日]] - 日本軍、西貢に上陸。<br />
<br />
=== 10月 ===<br />
* [[10月16日]] - [[近衛文麿|近衛]]首相、[[第3次近衛内閣|内閣]]を総辞職。<br />
* [[10月18日]] - [[東條英機]]が[[内閣総理大臣]]となり、[[東條内閣]]を[[組閣]]。<br />
* [[10月20日]] - [[秋田県]]内の銀行合併により[[秋田銀行]]設立。<br />
* [[10月26日]] - [[セントライト]]号が京都農林省賞典(のちの[[菊花賞]])を制し、日本競馬史上初の[[三冠 (競馬)#日本クラシック三冠|三冠]]馬となる。<br />
<br />
=== 11月 ===<br />
* [[11月2日]] - [[陸軍予科士官学校]]が[[市ヶ谷台]]から埼玉県[[朝霞市|朝霞ヶ原]]に移転<br />
* [[11月4日]] - [[福島県]]内の銀行合併により[[東邦銀行]]設立<br />
* [[11月15日]] - [[帝国議会|第77臨時議会]]召集<br />
* [[11月17日]] - [[東條英機|東條]]首相の施政方針演説を録音放送(初の議会放送)<br />
* [[11月23日]] - 南雲機動艦隊が[[単冠湾]](ひとかっぷわん)に集結<br />
* [[11月24日]] - [[日本基督教団]]設立認可(新教教会の合同)<br />
* [[11月26日]]<br />
** [[コーデル・ハル|ハル]][[アメリカ合衆国国務長官|国務長官]]が日本側乙案を拒否し中国撤兵要求を提議([[ハル・ノート]] )<br />
** 南雲機動艦隊が単冠湾を出港<br />
* [[11月27日]] - [[大本営政府連絡会議]]が「ハル・ノートは日本に対する[[最後通牒]]である」と結論<br />
* [[11月29日]] - [[日本音楽文化協会]]結成<br />
<br />
=== 12月 ===<br />
* [[12月1日]] - 日米関係の悪化により、[[外務省]]は情報収集の必要性から、情報部内に「ラヂオ室」を設置(のちの[[ラヂオプレス]])。<br />
* [[12月6日]] - 英国が[[フィンランド]]・[[ハンガリー王国 (1920-1946)|ハンガリー王国]]・[[ルーマニア王国]]に対して宣戦布告<br />
* [[12月8日]] - [[日本軍]]のマレー半島上陸および[[真珠湾攻撃]]で[[太平洋戦争]]([[大東亜戦争]])が開戦する。日本、対米英宣戦布告。<br />
: <div class="references-small">但し、[[アメリカ合衆国]]をはじめとする旧[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]を中心とする欧米諸国では、真珠湾攻撃の際の現地[[ハワイ州|ハワイ]]の日付である[[12月7日]]を開戦日とみなす</div><br />
* [[12月9日]] - [[中華民国]](重慶政府、[[蒋介石]]政権)、日独伊に宣戦布告。 <br />
* [[12月10日]]<br />
** [[マレー沖海戦]]<br />
** 日本軍が[[グアム島]]占領<br />
** 日本軍が[[ルソン島]]上陸<br />
* [[12月12日]] - 日本政府、『[[支那事変]]([[日中戦争]])』も含めて戦争名称を『[[大東亜戦争]]』と決定<br />
* [[12月15日]] - [[帝国議会|第78臨時議会]]召集<br />
* [[12月16日]]<br />
** 日本軍が英領[[ボルネオ]]に上陸<br />
** [[大和 (戦艦)]]竣工(呉海軍工廠)<br />
* [[12月17日]] - [[台湾]]全島で地震。[[嘉義市]]では死傷223名、倒壊千戸<br />
* [[12月20日]] - 太平洋戦争勃発により株式市場高騰<br />
* [[12月21日]] - [[大日本帝国]]と[[タイ王国]]の間で[[日泰同盟]]調印<br />
* [[12月22日]] - 日本軍が[[ウェーク島の戦い|ウェーク島]]上陸<br />
* [[12月24日]] - [[帝国議会|第79議会]]召集<br />
* [[12月25日]] - 日本軍が[[香港]]占領(英軍降伏)<br />
<br />
== 教育 ==<br />
* 1941年4月時点での日本における高等教育を受けている[[学生]]の人数。(昭和16年政府調べ)<br />
** [[中学]]生・高等女学校生<br />
*** 当時=114万人<br />
** [[高等学校|高校]]生・高等専門学校生 <br />
*** 当時=16万人<br />
** [[大学]]生 <br />
*** 当時=8万人<br />
<br />
== 芸術・文化・ファッション ==<br />
* [[1941年のスポーツ]]<br />
** 大相撲(幕内最高優勝) <br />
*** 春場所 [[双葉山定次]]<br />
*** 夏場所 [[羽黒山政司]]<br />
**競馬<br />
*** [[セントライト]]が日本競馬史上初の[[三冠 (競馬)|牡馬クラシック三冠]]達成<br />
** [[全国高等学校野球選手権大会]](甲子園)が中止される( - [[1945年]])<br />
* 1941年の文学<br />
** [[芥川龍之介賞|芥川賞]]<br />
*** 第13回(1941年上半期) - 多田裕計 『長江デルタ』 <br />
*** 第14回(1941年下半期) - 芝木好子 『青果の市』 <br />
** [[直木三十五賞|直木賞]]<br />
*** 第13回(1941年上半期) - 木村荘十『雲南守備兵』 <br />
*** 第14回(1941年下半期) - 該当作品なし<br />
<br />
== 誕生 ==<br />
=== 1月 ===<br />
<br />
* [[1月1日]] - [[堀田明]]、元プロ野球選手<br />
* [[1月3日]] - [[岩下志麻]]、[[俳優|女優]]<br />
* 1月3日 - [[天地総子]]、[[歌手]]・[[声優]]・[[俳優|女優]]<br />
* 1月3日 - [[水谷寿伸]]、元[[プロ野球選手]]<br />
* 1月3日 - [[三沢今朝治]]、元プロ野球選手<br />
* [[1月4日]] - [[ジョージ・P・コスマトス]]、[[映画監督]] (+ [[2005年]])<br />
* [[1月5日]] - [[宮崎駿]]、[[アニメ]]作家、[[映画監督]]、[[漫画家]]<br />
* 1月5日 - [[竹田利秋]]、高校野球指導者<br />
* [[1月8日]] - [[渡邉芳則]]、[[山口組]]5代目組長(+ [[2012年]])<br />
* [[1月9日]] - [[ジョーン・バエズ]]、[[シンガーソングライター]]<br />
* 1月9日 - [[龍虎勢朋]]、[[タレント]]・[[俳優]]・元[[大相撲]]力士<br />
* [[1月11日]] - [[周防郁雄]]、[[実業家]]<br />
* 1月11日 - [[大出俊 (俳優)|大出俊]]、[[俳優]]<br />
* [[1月12日]] - [[藤井旭]]、[[天体]][[写真家]]<br />
* [[1月14日]] - [[佐藤雅美]]、[[小説家]]<br />
* 1月14日 - [[フェイ・ダナウエイ]]、女優<br />
* [[1月15日]] - [[高橋元太郎]]、[[俳優]]・[[歌手]]<br />
* [[1月20日]] - [[あすなひろし]]、漫画家(+ [[2001年]])<br />
* 1月20日 - [[川村龍夫]]、[[実業家]]<br />
* [[1月21日]] - [[プラシド・ドミンゴ]]、[[テノール]][[歌手]]<br />
* [[1月22日]] - [[りんたろう]]、アニメ監督<br />
* [[1月24日]] - [[アーロン・ネヴィル]]、歌手<br />
* [[1月28日]] - [[川崎のぼる]]、漫画家<br />
* 1月28日 - [[ポール・キパルスキー]]、[[言語学者]]<br />
* [[1月30日]] - [[ディック・チェイニー]]、第46代[[アメリカ合衆国副大統領]]<br />
* 1月30日 - [[みつはしちかこ]]、漫画家<br />
* [[1月31日]] - [[ジェラルド・マクダーモット]]、[[絵本作家]]・[[イラストレーター]]・[[グラフィックデザイナー]]・[[映像作家]]<br />
* 1月31日 - [[イナ・バウアー]]、[[フィギュアスケート]]選手<br />
* 1月31日 - [[平岡正明]]、[[評論家]](+ [[2009年]])<br />
<br />
=== 2月 ===<br />
* [[2月6日]] - [[鈴木皖武]]、元[[プロ野球選手]]<br />
* [[2月10日]] - [[須貝彦三]]、[[調教師]]<br />
* [[2月11日]] - [[瀧安治]]、元プロ野球選手(+ [[2003年]])<br />
* 2月11日 - [[セルジオ・メンデス]]、[[ミュージシャン]]<br />
* 2月11日 - [[大沢悠里]]、[[アナウンサー]]<br />
* [[2月12日]] - [[植村直己]]、[[登山家]]・[[探検家]](+ [[1984年]])<br />
* 2月12日 - [[石丸博也]]、声優<br />
* 2月12日 - [[マーク・ブラウンスタイン]]、元プロ野球選手<br />
* [[2月13日]] - [[山尾孝雄]]、元プロ野球選手<br />
* 2月13日 - [[ボー・スヴェンソン]]、俳優<br />
* [[2月14日]] - [[田中光二]]、[[SF作家]]<br />
* [[2月15日]] - [[中山大三郎]]、[[作曲家]]・[[作詞家]](+ [[2005年]]) <br />
* [[2月18日]] - [[瀧口政満]]、[[彫刻家]]<br />
* [[2月20日]] - [[クライド・ライト]]、元[[メジャーリーガー]]<br />
* [[2月23日]] - [[矢ノ浦国満]]、元プロ野球選手<br />
* 2月23日 - [[大宅映子]]、[[ジャーナリスト]]・[[評論家]]<br />
* [[2月26日]] - [[アントニオ古賀]]、[[歌手]]・[[ギタリスト]]<br />
<br />
=== 3月 ===<br />
* [[3月1日]] - [[池江泰郎]]、[[調教師]]<br />
* 3月1日 - [[肥田美代子]]、[[政治家]]・[[児童文学作家]]<br />
* [[3月4日]] - [[ユーリ・シモノフ]]、[[指揮者]]<br />
* [[3月5日]] - [[井上堯之]]、[[ミュージシャン]]<br />
* 3月5日 - [[森光正吉]]、元[[プロ野球選手]]<br />
* [[3月6日]] - [[加瀬邦彦]]、作曲家・[[音楽プロデューサー]]<br />
* [[3月8日]] - [[住吉重信]]、元プロ野球選手<br />
* 3月8日 - [[アレクセイ・ミーシン]]、[[フィギュアスケート]]選手<br />
* 3月8日 - [[スティーヴン・ルークス]]、[[社会学者]]・[[政治学者]]<br />
* [[3月9日]] - [[芝山努]]、アニメ監督<br />
* [[3月10日]] - [[徳光和夫]]、[[アナウンサー]]<br />
* [[3月15日]] - [[マイク・ラヴ]]、ミュージシャン、[[ビーチ・ボーイズ]]のメンバー<br />
* [[3月16日]] - [[ベルナルド・ベルトルッチ]]、映画監督<br />
* [[3月20日]] - [[君原健二]]、元陸上競技([[長距離走]]・[[マラソン]])選手<br />
* [[3月21日]] - [[浅井淑子 (声優)|浅井淑子]]、[[声優]]<br />
* [[3月26日]] - [[リチャード・ドーキンス]]、[[動物行動学者]]・[[進化生物学者]]<br />
* [[3月27日]] - [[小林克也]]、[[ディスクジョッキー|DJ]]<br />
* 3月27日 - [[榊原英資]]、[[経済学者]]<br />
<br />
=== 4月 ===<br />
* [[4月1日]] - [[伊藤エミ]]、[[歌手]](+ [[2012年]])<br />
* 4月1日 - [[伊藤ユミ]]、歌手<br />
* 4月1日 - [[阿部豪一]]、[[洋画家]]<br />
* [[4月4日]] - [[柳田充弘]]、[[分子生物学者]]<br />
* [[4月5日]] - [[寺田稔 (俳優)|寺田稔]]、[[俳優]]、[[演出家]]<br />
* [[4月6日]] - [[田嶋陽子]]、[[英文学者]]、[[コメンテーター]]、大学教授<br />
* 4月6日 - [[バーバラ・ロールズ]]、[[フィギュアスケート]]選手<br />
* [[4月7日]] - [[渡辺具能]]、[[政治家]]<br />
* [[4月8日]] - [[武上四郎]]、元[[プロ野球選手]](+ [[2002年]])<br />
* 4月8日 - [[ヴィヴィアン・ウエストウッド]]、[[ファッションデザイナー]]<br />
* [[4月12日]] - [[ボビー・ムーア]]、元サッカー選手、サッカー指導者(+ [[1993年]])<br />
* [[4月13日]] - [[マイケル・ブラウン (遺伝学者)|マイケル・ブラウン]]、[[遺伝学者]]<br />
* [[4月14日]] - [[ピート・ローズ]]、元[[メジャーリーガー]]<br />
* [[4月16日]] - [[石岡康三]]、元プロ野球選手<br />
* 4月16日 - [[近藤正昭]]、元[[裁判官]]・[[弁護士]]<br />
* [[4月17日]] - [[市川森一]]、[[脚本家]](+ [[2011年]])<br />
* [[4月20日]] - [[ライアン・オニール]]、[[俳優]]<br />
* [[4月22日]] - [[サイモン・アッシャー・レヴィン]]、[[生態学者]]<br />
* 4月22日 - [[アミール・プヌーリ]]、[[計算機科学]]研究者(+ [[2009年]])<br />
* [[4月24日]] - [[シルビオ・モーザー]]、[[競技運転手|レーシングドライバー]](+ [[1974年]])<br />
* [[4月30日]] - [[織田光正]]、元プロ野球選手<br />
<br />
=== 5月 ===<br />
* [[5月6日]] - [[イビチャ・オシム]]、サッカー監督<br />
* [[5月7日]] - [[萩本欽一]]、[[お笑いタレント]]<br />
* 5月7日 - [[青江三奈]]、歌手(+ [[2000年]]) <br />
* [[5月11日]] - [[朝井茂治]]、元[[プロ野球選手]]<br />
* 5月11日 - [[栽弘義]]、高校野球指導者 (+ 2007年)<br />
* [[5月13日]] - [[塩谷隆英]]、[[官僚]]<br />
* [[5月17日]] - [[藤公之介]]、[[作詞家]]<br />
* [[5月19日]] - [[ブルーノ・レオナルド・ゲルバー]]、[[ピアニスト]]<br />
* [[5月20日]] - [[ゴー・チョク・トン]]、[[政治家]]、第2代[[シンガポール]]首相<br />
* [[5月21日]] - [[清水利章]]、[[調教師]](JRA)<br />
* 5月21日 - [[ボビー・コックス]]、元[[メジャーリーガー]]<br />
* [[5月22日]] - [[江田五月]]、政治家<br />
* [[5月24日]] - [[ボブ・ディラン]]、[[ミュージシャン]]<br />
* [[5月30日]] - [[大野雄二]]、[[アレンジャー]]・作曲家<br />
<br />
=== 6月 ===<br />
* [[6月4日]] - [[三宅博 (野球)|三宅博]]、元[[プロ野球選手]]<br />
* 6月4日 - [[石戸四六]]、元プロ野球選手(+ [[1980年]])<br />
* 6月4日 - [[日色ともゑ]]、[[俳優|女優]]<br />
* [[6月5日]] - [[マルタ・アルゲリッチ]]、[[ピアニスト]]<br />
* [[6月7日]] - [[ハイメ・ラレード]]、[[ヴァイオリニスト]]・[[指揮者]]<br />
* [[6月9日]] - [[ジョン・ロード]]、ミュージシャン(+ [[2012年]])<br />
* [[6月17日]] - [[マイク・ホンダ]]、日系アメリカ人[[政治家]]<br />
* [[6月19日]] - [[やまさき十三]]、[[漫画原作者]]<br />
* [[6月20日]] - [[石坂浩二]]、俳優<br />
* [[6月21日]] - [[長山藍子]]、[[俳優|女優]]<br />
* [[6月22日]] - [[荻野一雄]]、元プロ野球選手<br />
* [[6月25日]] - [[大橋勲]]、元プロ野球選手<br />
* [[6月26日]] - [[渡辺茂夫]]、[[ヴァイオリニスト]](+ [[1999年]])<br />
* 6月26日 - [[三好守]]、元プロ野球選手<br />
* 6月26日 - [[タマラ・モスクビナ]]、[[フィギュアスケート]]選手<br />
* [[6月29日]] - [[倍賞千恵子]]、[[俳優|女優]]・[[歌手]]<br />
* [[6月30日]] - [[ラッシャー木村]]、プロレスラー(+ [[2010年]])<br />
<br />
=== 7月 ===<br />
* [[7月1日]] - [[石黒和弘]]、元[[プロ野球選手]]<br />
* 7月1日 - [[横内正]]、俳優・[[声優]]<br />
*[[7月2日]] - [[高久泰文]]、[[大学教授]]<br />
* [[7月5日]] - [[仲本工事]]、タレント<br />
* [[7月9日]] - [[ロバート・フランケル]]、調教師(+ [[2009年]])<br />
* [[7月16日]] - [[村瀬広基]]、元プロ野球選手<br />
* [[7月17日]] - [[高木守道]]、元プロ野球選手・プロ野球監督<br />
* 7月17日 - [[三浦布美子]]、女優・[[歌手]]・[[舞踊家]]<br />
* [[7月21日]] - [[川谷拓三]]、[[俳優]](+ [[1995年]]) <br />
* [[7月28日]] - [[リッカルド・ムーティ]]、[[指揮者]]<br />
* [[7月30日]] - [[ポール・アンカ]]、[[ポピュラー]]・[[シンガーソングライター]]<br />
* [[7月31日]] - [[新治伸治]]、元プロ野球選手(+ [[2004年]])<br />
<br />
=== 8月 ===<br />
* [[8月2日]] - [[ギー・レベル]]、[[フィギュアスケート]]選手(+[[1981年]])<br />
* 8月2日 - [[ポール牧]]、[[コメディアン]]・[[タレント]]・元[[僧侶]](+ [[2005年]])<br />
* 8月2日 - [[ジュール・ホフマン]]、[[生物学者]]<br />
* [[8月6日]] - [[柄谷行人]]、[[文芸評論家]]、[[哲学者]]<br />
* [[8月8日]] - [[和田洋子]]、政治家<br />
* [[8月9日]] - [[石橋蓮司]]、[[俳優]]・[[演出家]]<br />
* 8月9日 - [[アルフレッド・エイホ]]、[[計算機科学]]研究者<br />
* [[8月13日]] - [[樫山文枝]]、女優<br />
* [[8月16日]] - [[小山乃里子]]、元[[ラジオ関西]]アナウンサー<br />
* [[8月17日]] - [[青空球児・好児|青空球児]]、[[漫才師]]([[青空球児・好児]])<br />
* [[8月20日]] - [[スロボダン・ミロシェヴィッチ]]、元[[ユーゴスラビア]][[大統領]](+ [[2006年]])<br />
* [[8月23日]] - [[井上ひろし]]、歌手(+ [[1985年]])<br />
* [[8月26日]] - [[吉田ヒロミ]]、[[ファッションデザイナー]]<br />
* [[8月27日]] - [[藤竜也]]、俳優<br />
<br />
=== 9月 ===<br />
* [[9月5日]] - [[中杉弘]]、[[思想家]]、[[宗教家]]<br />
* 9月5日 - [[村野守美]]、[[漫画家]](+ [[2011年]]) <br />
* [[9月9日]] - [[ゆうき哲也]]、俳優、元[[チャンバラトリオ]]<br />
* 9月9日 - [[安田祥子]]、[[声楽家]]・[[童謡]][[歌手]]<br />
* 9月9日 - [[オーティス・レディング]]、歌手(+ 1967年)<br />
* 9月9日 - [[デニス・リッチー]]、[[計算機科学]]者(+ 2011年)<br />
* [[9月10日]] - [[スティーヴン・ジェイ・グールド]]、[[生物学者]](+ 2002年)<br />
* [[9月13日]] - [[井上大輔]]、[[音楽家|ミュージシャン]](+ 2000年)<br />
* 9月13日 - [[安藤忠雄]]、[[建築家]] <br />
* 9月13日 - [[片岡秀太郎 (2代目)]]、俳優・[[歌舞伎役者]]<br />
* [[9月15日]] - [[アルベルト・フローリアーン]]、元[[サッカー選手]](+ 2011年) <br />
* [[9月16日]] - [[渡辺秀武]]、元[[プロ野球選手]](+ [[2007年]])<br />
* [[9月17日]] - [[橋爪功]]、俳優<br />
* [[9月20日]] - [[ハンフリー・ナイプ]]、[[著作家]]・[[脚本家]]<br />
* [[9月26日]] - [[サルヴァトーレ・アッカルド]]、[[ヴァイオリニスト]]<br />
* [[9月27日]] - [[井上善夫]]、元プロ野球選手<br />
* [[9月30日]] - [[レイネ・ウィセル]]、元[[フォーミュラ1|F1]]ドライバー<br />
<br />
=== 10月 ===<br />
* [[10月3日]] - [[アンドレア・デ・アダミッチ]]、元レーシングドライバー<br />
* [[10月4日]] - [[アン・ライス]]、[[ホラー小説]]・[[ゴシックホラー]]小説・[[ファンタジー]]小説作家<br />
* [[10月5日]] - [[桂春蝶 (2代目)]]、[[落語家]]・[[タレント]](+ [[1993年]]) <br />
* [[10月6日]] - [[雁屋哲]]、漫画原作者・エッセイスト<br />
* [[10月8日]] - [[三田佳子]]、[[俳優|女優]]<br />
* [[10月9日]] - [[チューチョ・バルデース]]、[[ピアニスト]]<br />
* [[10月11日]] - [[砂川しげひさ]]、[[漫画家]]・[[エッセイスト]]<br />
* [[10月13日]] - [[ポール・サイモン]]、シンガーソングライター<br />
* [[10月14日]] - [[白石冬美]]、[[俳優|女優]]・[[声優]]<br />
* [[10月18日]] - [[吉永正人]]、元[[中央競馬]][[騎手]]、[[調教師]](+[[2006年]])<br />
* [[10月20日]] - [[青森伸]]、[[俳優]]・[[声優]]<br />
* [[10月25日]] - [[アン・タイラー]]、小説家<br />
* [[10月28日]] - [[浜田晃]]、[[俳優]]<br />
* [[10月30日]] - [[山本小鉄]]、[[プロレスラー]](+ [[2010年]])<br />
<br />
=== 11月 ===<br />
* [[11月5日]] - [[富野由悠季]]、アニメ監督、作詞家、小説家<br />
* 11月5日 - [[アート・ガーファンクル]]、歌手<br />
* [[11月6日]] - [[富恵一]]、元[[プロ野球選手]](+ [[1974年]])<br />
* [[11月7日]] - [[クラレンス・ジョーンズ (野球)|クラレンス・ジョーンズ]]、元プロ野球選手<br />
* [[11月21日]] - [[蟹江栄司]]、俳優、[[声優]]、[[ナレーター]](+ [[1985年]])<br />
* 11月21日 - [[イディル・ビレット]]、[[ピアニスト]]<br />
* [[11月23日]] - [[栗本慎一郎]]、経済人類学者・[[評論家]]・元[[衆議院議員]]<br />
* [[11月24日]] - [[ピート・ベスト]]、ミュージシャン、[[ビートルズ]]初代ドラマー<br />
* [[11月25日]] - [[パーシー・スレッジ]]、歌手<br />
* [[11月27日]] - [[久保祥次]]、元プロ野球選手<br />
* [[11月28日]] - [[村上護]]、日本の[[文芸評論家]]、[[俳人]](+ [[2013年]])<br />
* [[11月29日]] - [[林家ぺー]]、タレント・[[漫談家]]<br />
* [[11月30日]] - [[アリー・ハサン・アル=マジード]]、[[イラク]]の元[[政治家]]、ケミカル・アリーの名で知られた(+ [[2010年]])<br />
<br />
=== 12月 ===<br />
* [[12月1日]] - [[金田星雄]]、元[[プロ野球選手]]<br />
* 12月1日 - [[重野安正]]、政治家<br />
* 12月1日 - [[フェデリコ・ファジン]]、[[電気工学]]研究者<br />
* [[12月3日]] - [[山脇百合子]]、[[絵本作家]]、[[挿絵]][[画家]]<br />
* [[12月5日]] - [[野田征稔]]、元プロ野球選手<br />
* 12月5日 - [[能島征二]]、[[彫刻家]]<br />
* [[12月6日]] - [[ブルース・ナウマン]]、[[現代美術家]]<br />
* [[12月7日]] - [[清水聖義]]、[[群馬県]][[太田市]]長<br />
* [[12月9日]] - [[ヴォルフガング・ダンネ]]、[[フィギュアスケート]]選手<br />
* [[12月10日]] - [[坂本九]]、俳優・歌手(+ [[1985年]])<br />
* [[12月12日]] - ティム・ハウザー、歌手、[[マンハッタン・トランスファー]]メンバー<br />
* [[12月19日]] - [[李明博]]、第17代[[大統領 (大韓民国)|大韓民国大統領]]<br />
* [[12月20日]] - [[タイガー立石]]、[[画家]]、[[漫画家]]、絵本作家、[[陶芸家]](+ [[1998年]])<br />
* [[12月28日]] - [[渡哲也]]、俳優<br />
* [[12月30日]] - [[ブルーノ・パルマ]]、[[チェス]]選手<br />
* [[12月31日]] - [[アレックス・ファーガソン]]、元サッカー選手、サッカー指導者<br />
<br />
== 死去 ==<br />
=== 1月 - 6月 ===<br />
* [[1月2日]] - [[ミッシャ・レヴィツキ]]、[[ピアニスト]](* [[1898年]])<br />
* [[1月4日]] - [[アンリ・ベルクソン]]、[[思想家]](* [[1859年]])<br />
* [[1月5日]] - [[エミー・ジョンソン]]、女性[[パイロット]](* [[1903年]])<br />
* [[1月8日]] - [[ベーデン・パウエル]]、[[ボーイスカウト]]の提唱者(* [[1857年]])<br />
* [[1月10日]] - [[イサイ・シュール]]、[[数学者]](* [[1875年]])<br />
* 1月10日 - [[フランク・ブリッジ]]、[[作曲家]]・弦楽奏者・[[指揮者]](* [[1879年]])<br />
* [[1月11日]] - [[エマーヌエール・ラスカー]]、[[数学者]]・[[チェス]]プレイヤー(* [[1868年]])<br />
* [[1月13日]] - [[ジェイムズ・ジョイス]]、小説家・[[詩人]](* [[1882年]])<br />
* [[1月22日]] - [[林忠崇]]、元[[請西藩|請西藩主]](* [[1848年]])<br />
* [[1月24日]] - [[トミー・ボンド]]、元[[メジャーリーガー]](* [[1856年]])<br />
* [[2月5日]] - [[大角岑生]]、[[大日本帝国海軍|日本海軍]][[軍人]](* [[1876年]])<br />
* [[2月9日]] - [[エリザベス・フォン・アーニム]]、小説家(* [[1866年]])<br />
* [[2月19日]] - [[ハミルトン・ハーティ]]、[[指揮者]](* [[1879年]])<br />
* [[2月28日]] - [[アルフォンソ13世 (スペイン王)|アルフォンソ13世]]、[[スペイン君主一覧|スペイン王]](* [[1886年]])<br />
* [[3月1日]] - [[森矗昶]]、[[実業家]]・[[昭和電工]]創業者(* [[1884年]])<br />
* [[3月6日]] - [[ガットスン・ボーグラム]]、[[彫刻家]](* [[1867年]])<br />
* [[3月8日]] - [[シャーウッド・アンダーソン]]、小説家(* [[1876年]])<br />
* [[3月17日]] - [[ワシリー・サペルニコフ]]、[[ピアニスト]]・[[作曲家]](* 1867年)<br />
* [[3月28日]] - [[ヴァージニア・ウルフ]]、小説家・[[評論家]](* 1882年)<br />
* [[4月3日]] - [[太刀山峯右エ門]]、[[大相撲]]第22代[[横綱]](* [[1877年]])<br />
* [[4月11日]] - [[アルバート・スワード]]、[[植物学者]]・[[地質学者]](* [[1863年]])<br />
* [[4月16日]] - [[ハンス・ドリーシュ]]、[[生物学者]]・[[自然哲学]]者(* [[1867年]])<br />
* [[4月21日]] - [[アグスティン・バルディ]]、[[音楽家]](* [[1884年]])<br />
* [[4月26日]] - [[石黒忠悳]]、医師・軍医(* [[1845年]])<br />
* [[5月6日]] - [[九鬼周造]]、思想家(* [[1888年]])<br />
* 5月6日 - [[エリアナ・パヴロワ]]、[[バレリーナ]](* [[1899年]])<br />
* [[5月13日]] - [[大錦卯一郎]]、大相撲第26代横綱(* [[1891年]])<br />
* [[5月18日]] - [[ヴェルナー・ゾンバルト]]、[[経済学者]]・[[社会学者]](* [[1863年]])<br />
* [[5月30日]] - [[ラーマ7世]]、[[タイ王国|タイ]]・[[チャクリー王朝]]第7代国王(* [[1893年]])<br />
* [[6月2日]] - [[ルー・ゲーリッグ]]、元メジャーリーガー(* 1903年)<br />
* [[6月4日]] - [[ヴィルヘルム2世 (ドイツ皇帝)|ヴィルヘルム2世]]、[[ドイツ]]皇帝(* 1859年)<br />
* [[6月29日]] - [[イグナツィ・パデレフスキ]]、ピアニスト・作曲家・[[政治家]]・[[外交官]](* [[1860年]])<br />
<br />
=== 7月 - 12月 ===<br />
* [[7月8日]] - [[フィリップ・ゴーベール]]、[[音楽家]](* [[1879年]])<br />
* [[7月17日]] - [[川端茅舍]]、[[俳人]](* [[1897年]])<br />
* [[7月26日]] - [[ベンジャミン・ウォーフ]]、[[言語学者]](* [[1897年]])<br />
* [[7月30日]] - [[フーゴ・ベッカー]]、[[チェリスト]]・音楽教師・[[作曲家]](* [[1864年]])<br />
* [[8月5日]] - [[加能作次郎]]、[[小説家]](* [[1885年]])<br />
* [[8月7日]] - [[ラビンドラナート・タゴール]]、[[詩人]](* [[1861年]])<br />
* [[8月14日]] - [[マキシミリアノ・コルベ]]、[[カトリック教会|カトリック]][[司祭]](* [[1894年]])<br />
* [[8月16日]] - [[長與又郎]]、病理学者(* [[1878年]])<br />
* [[8月22日]] - [[長谷川時雨]]、劇作家・小説家(* [[1879年]])<br />
* [[8月31日]] - [[アルフレート・ヘットナー]]、[[地理学者]](* [[1859年]])<br />
* [[9月9日]] - [[ハンス・シュペーマン]]、[[発生生物学|発生学者]](* [[1869年]])<br />
* [[9月10日]] - [[桐生悠々]]、[[評論家]](* [[1873年]])<br />
* [[9月11日]] - [[マリア・スピリドーノワ]]、[[ロシア革命]]時の[[左翼社会革命党]]指導者(* [[1884年]])<br />
* [[10月25日]] - [[ロベール・ドローネー]]、[[画家]](* [[1885年]])<br />
* [[10月27日]] - [[アーネスト・E・ジャスト]]、[[生物学者]](* [[1883年]])<br />
* [[11月6日]] - [[モーリス・ルブラン]]、小説家(* [[1864年]])<br />
* [[11月8日]] - [[瀬戸口藤吉]]、[[作曲家]](* [[1868年]])<br />
* [[11月18日]] - [[ヴァルター・ネルンスト]]、[[化学者]](* [[1864年]])<br />
* [[11月22日]] - [[クルト・コフカ]]、[[心理学者]](* 1886年)<br />
* [[11月23日]] - [[関屋敏子]]、[[声楽|声楽家]](* [[1904年]])<br />
* [[12月2日]] - [[野崎廣太]]、[[財界人]]・[[茶人]](* [[1859年]])<br />
* [[12月3日]] - [[パーヴェル・フィローノフ]]、[[画家]]・美術理論家(* [[1883年]])<br />
* [[12月29日]] - [[南方熊楠]]、[[博物学者]]・[[民俗学者]](* [[1867年]])<br />
* [[12月30日]] - [[エル・リシツキー]]、[[デザイナー]]・[[建築家]]・[[写真家]](* [[1890年]])<br />
<br />
== ノーベル賞 ==<br />
* [[ノーベル物理学賞|物理学賞]] - 受賞者なし<br />
* [[ノーベル化学賞|化学賞]] - 受賞者なし<br />
* [[ノーベル生理学・医学賞|生理学・医学賞]] - 受賞者なし<br />
* [[ノーベル文学賞|文学賞]] - 受賞者なし<br />
* [[ノーベル平和賞|平和賞]] - 受賞者なし<br />
<br />
[[Category:1941年|*]]</div>
ウマスラ
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=1944%E5%B9%B4&diff=230247
1944年
2014-06-01T17:54:02Z
<p>ウマスラ: /* 12月 */</p>
<hr />
<div>'''1944年'''は、[[西暦]]([[グレゴリオ暦]])による、[[土曜日から始まる閏年]]。[[第二次世界大戦]]の戦況は連合国に有利に運ぶ。<br />
<br />
== 他の紀年法 ==<br />
* [[干支]]:[[甲申]]<br />
* [[日本]](月日は一致)<br />
** [[昭和]]19年<br />
** [[皇紀]]2604年<br />
* [[中国]]・[[満州]](月日は一致)<br />
** [[中華民国暦]]:33年<br />
** [[満州国]]・[[康徳]]11年<br />
* [[朝鮮]](月日は一致)<br />
** [[檀君紀元|檀紀]]4277年<br />
** [[主体暦|主体]]33年<br />
* [[阮朝]]([[ベトナム]])<br />
** [[保大 (阮朝)|保大]]18年12月6日 - 保大19年11月17日<br />
* [[仏滅紀元]]:2486年 - 2487年<br />
* [[ヒジュラ暦|イスラム暦]]:1363年1月5日 - 1364年1月15日<br />
* [[ユダヤ暦]]:5704年4月5日 - 5705年4月15日<br />
* [[修正ユリウス日]](MJD):31090 - 31455<br />
* [[リリウス日]](LD):131931 - 132296<br />
<br />
== できごと ==<br />
* [[オーストリア]]の[[ハンス・アスペルガー]]が[[知的障害]]のない[[自閉症]]例を確認。([[アスペルガー症候群]])<br />
* ビルマで反ファシスト人民自由連盟結成<br />
<br />
=== 1月 ===<br />
* [[1月2日]] - 米軍が[[ニューギニアの戦い|ニューギニア島]]のグンビ岬へ上陸<br />
* [[1月4日]] - [[モンテ・カッシーノの戦い]]開始<br />
* [[1月7日]] - 大本営が[[インパール作戦]]を認可<br />
* [[1月14日]] - ソ連軍が[[レニングラード]]と[[ノヴゴロド]]で攻勢を開始<br />
* [[1月15日]] - アルゼンチンのサンファンで地震<br />
* [[1月17日]] - イタリアのイギリス軍、[[ガリグリアノ川]]を越える<br />
* [[1月20日]] - イギリス軍[[ベルリン]]空襲。2300トンの爆弾を投下<br />
* [[1月22日]] - 連合軍、[[アンツィオの戦い|シングル作戦]]開始<br />
* [[1月24日]]<br />
** 大本営が[[大陸打通作戦]]を命令<br />
** スイカ・メロンなど不急作物の作付禁止<br />
* [[1月26日]] - 東京・名古屋で初の疎開命令(建物の強制取壊し)<br />
* [[1月27日]] - ソ連軍が[[レニングラード包囲戦|レニングラード市を解放]]<br />
* [[1月29日]]<br />
** 「[[中央公論]]」「[[改造]]」の編集者が検挙される([[横浜事件]])<br />
** [[チステルナの戦い]]<br />
* [[1月30日]] - 米軍が[[マーシャル諸島]][[マジュロ環礁]]に侵攻<br />
* [[1月31日]] - 米軍がマーシャル諸島[[クェゼリン環礁]]に上陸<br />
<br />
=== 2月 ===<br />
* 2月 - 東京火災、帝国海上、第一機罐の3社が合併し、安田火災海上保険(現:[[損害保険ジャパン]])を設立。<br />
* [[2月1日]] - [[鹿児島県]]内の銀行合併により[[鹿児島銀行]]設立<br />
* [[2月3日]] - 米軍がマーシャル諸島占領<br />
* [[2月4日]] - [[大学]]・[[高専]]での[[軍事教育]]全面強化<br />
* [[2月7日]] - イタリア軍、[[アンツィオ]]で反攻開始<br />
* [[2月10日]] - [[俳優座]]結成<br />
* [[2月15日]] - 米軍が[[モンテ・カッシーノ]][[修道院]]を爆撃<br />
* [[2月17日]]<br />
** 米軍による[[トラック島空襲]]<br />
** [[エニウェトクの戦い]]開始<br />
* [[2月23日]] - [[竹槍事件]]<br />
* [[2月25日]] - [[決戦非常措置要綱]]が閣議決定<br />
* [[2月29日]] - 米軍が[[アドミラルティ諸島]]を占領([[ブルーワー作戦]])<br />
<br />
=== 3月 ===<br />
* [[3月3日]] - 政府が三綱領発表(国民学校学童給食・空地利用食糧増産・[[疎開]]促進)<br />
* [[3月4日]] - [[宝塚歌劇団]]休演前最終公演(ファンが殺到し警官が抜刀して整理)<br />
* [[3月5日]] - 決戦非常措置要綱により、[[待合茶屋]]・[[バー (酒場)|バー]]・[[料亭]]が閉鎖される<br />
* [[3月6日]] - 全国の新聞で[[夕刊]]が廃止<br />
* [[3月8日]] - 日本軍が[[インパール作戦]]を開始<br />
* [[3月10日]] - 東京都が空地利用総本部を設置(戦時農園化、[[不忍池]]も水田に)<br />
* [[3月12日]] - 岩手県[[宮古市|宮古]]で豪雪(死者164名、全壊209戸)<br />
* [[3月18日]] - ドイツ軍が[[ハンガリー王国 (1920-1946)|ハンガリー王国]]を占領([[マルガレーテ作戦|マルガレーテI作戦]])<br />
* [[3月20日]] - [[東京海上火災保険]]会社設立(東京海上・三菱海上火災・明治火災が合併)<br />
* [[3月23日]] - [[ニッセイ同和損害保険|同和火災海上]]設立<br />
* [[3月27日]] - 初の疎開列車(夜に上野発、上越・常磐・東北へ)<br />
* [[3月31日]]<br />
** [[連合艦隊司令長官]][[古賀峯一]][[海軍大将]]が殉職([[海軍乙事件]])(公表は4月5日)<br />
** [[松竹少女歌劇団]]解散(松竹芸能本部女子挺身隊結成)<br />
* 日本軍、[[中国]]中部と南部で攻勢開始。<br />
<br />
=== 4月 ===<br />
* [[4月1日]] - 旅行制限強化<br />
* [[4月17日]] - 日本軍が[[大陸打通作戦]]を開始( - 翌1945年1月)。<br />
<br />
=== 5月 ===<br />
* [[5月1日]] - 南海山手線(旧・[[阪和電気鉄道]])が[[戦時買収私鉄|戦時買収]]により国有化され、国鉄(現・[[西日本旅客鉄道|JR西日本]])[[阪和線]]となる。<br />
* [[5月9日]] - ソ連軍、[[セヴァストーポリ]]解放。<br />
* [[5月12日]] - ドイツ軍が[[クリミア半島]]から撤退<br />
* [[5月18日]] - ソ連がクリミアから[[クリミア・タタール人]]を追放する<br />
<br />
=== 6月 ===<br />
* [[6月1日]] - [[大阪電気軌道|関西急行鉄道]]と[[南海電気鉄道|南海鉄道]]が合併し、[[近畿日本鉄道]]設立。<br />
* [[6月2日]] - [[拉孟・騰越の戦い]]( - [[9月14日]])。<br />
* [[6月4日]] - 連合軍、[[ローマ]]に入る。<br />
* [[6月6日]] - 連合軍による[[ノルマンディー上陸作戦]](オーバーロード作戦)発動。<br />
* [[6月9日]] - ソ連軍、フィンランドを攻撃開始<br />
* [[6月10日]] - [[フランス]]の[[オラドゥール・シュル・グラヌ|オラドゥール村]]で虐殺事件<br />
* [[6月11日]] - 米軍がサイパン島を含む[[マリアナ諸島]]に空爆開始。<br />
* [[6月13日]] - [[ヴィレル・ボカージュの戦い]]。ドイツ軍、[[V1飛行爆弾]]でのイギリス攻撃開始。<br />
* [[6月15日]]<br />
** 米軍が[[サイパン島]]に上陸。([[サイパンの戦い]])<br />
** 米軍のB29が中国の成都を出発、翌日未明に北九州の八幡を爆撃。(B-29の本土初空襲)<br />
* [[6月17日]] - [[アイスランド共和国]]が[[デンマーク]]から独立<br />
* [[6月19日]] - 翌日まで[[マリアナ沖海戦]]。<br />
* [[6月22日]] - ソ連軍が[[バグラチオン作戦]]を開始。<br />
* [[6月23日]] - [[北海道]]で[[噴火|大噴火]]が起こり、新しく造山され、[[昭和新山]]と命名される。<br />
* [[6月26日]] - 米軍が[[シェルブール]]に入る。<br />
<br />
=== 7月 ===<br />
* [[7月3日]]<br />
** ソ連軍、[[ミンスク]]解放。<br />
** 日本軍はインパール作戦を放棄。<br />
* [[7月7日]] - サイパン島で日本軍が全滅。<br />
* [[7月9日]] - イギリス軍とカナダ軍による[[カーン]]占領。<br />
* [[7月17日]] - [[ポートシカゴの惨事]]<br />
* [[7月18日]] - 日本の[[東条内閣]]総辞職<br />
* [[7月20日]] - ドイツで[[ヒトラー暗殺計画|ヒトラー暗殺未遂事件]]が発生。<br />
* [[7月21日]] - 米軍が[[グアム]]島に上陸し、[[グアムの戦い]]が始まる。<br />
* [[7月22日]]<br />
** 日本で[[小磯内閣]]成立。<br />
** 米[[ニューハンプシャー州]]において開かれていた連合国金融通貨会議において[[ブレトン・ウッズ協定]]が締結される。[[国際通貨基金]]・[[世界銀行]]が設立。<br />
** [[ルブリン]]において[[ポーランド国民解放委員会]](ルブリン政府)が結成される。<br />
<br />
=== 8月 ===<br />
* [[8月1日]]<br />
** [[ワルシャワ蜂起]]<br />
** [[帝国銀行]]が[[十五銀行]]を吸収合併<br />
* [[8月2日]] - [[トルコ共和国]]がドイツと断交<br />
* [[8月5日]] - [[大本営]]政府連絡会議を[[最高戦争指導会議]]と改称する<br />
* [[8月10日]]<br />
** グアムで日本軍全滅<br />
** 枢密院議長に[[鈴木貫太郎]]を任命<br />
* [[8月12日]] - 連合軍、イタリアの[[フィレンツェ]]占領<br />
* [[8月15日]] - [[ドラグーン作戦]]<br />
* [[8月20日]] - 在支米空軍約80機が九州・中国地方に来襲。落下傘降下の米兵が逮捕される。<br />
* [[8月22日]] - 沖縄からの疎開船[[対馬丸]]が米潜水艦の魚雷攻撃により沈没(学童七百人を含む千五百人が死亡)<br />
* [[8月23日]]<br />
** [[ルーマニア王国]]でクーデター([[ルーマニア革命 (1944年)|ルーマニア革命]])。国王[[ミハイ1世 (ルーマニア王)|ミハイ1世]]が政権を掌握し、連合国と休戦して枢軸国から離脱<br />
** [[HOYA]](当時の社名:東洋光学硝子製造所)設立<br />
* [[8月24日]] - [[パリ]]市民が反独武装蜂起<br />
* [[8月25日]]<br />
** 連合軍による[[パリの解放]]<br />
** ルーマニア王国がドイツに宣戦布告<br />
* [[8月26日]] - [[ブルガリア王国]]が枢軸国から離脱<br />
* [[8月30日]]<br />
** [[台湾]]で徴兵制実施<br />
** ソ連軍がルーマニアを占領<br />
<br />
=== 9月 ===<br />
* [[9月2日]] - [[フィンランド]]がドイツと断交。<br />
* [[9月3日]] - 連合国軍が[[ブリュッセル]]に入る<br />
* [[9月5日]] - ソ連がブルガリアに宣戦布告<br />
* [[9月6日]] - [[帝国議会|第85回臨時議会]]召集(11日閉会)。<br />
* [[9月7日]] - [[ベルギー]]政府が本国に復帰。<br />
* [[9月8日]] - ドイツが[[V2ロケット]]によるロンドン攻撃を開始<br />
* [[9月9日]]<br />
** [[シャルル・ド・ゴール]]によるフランス臨時政府成立<br />
** ブルガリアで祖国戦線によるクーデター。<br />
* [[9月10日]] - ブルガリアがドイツに宣戦布告<br />
* [[9月19日]] - フィンランドとソ連が休戦<br />
<br />
=== 10月 ===<br />
* [[10月2日]] - ワルシャワ蜂起がドイツ軍に鎮圧される<br />
* [[10月9日]]<br />
** イギリスの[[ウィンストン・チャーチル|チャーチル]]とソ連の[[ヨシフ・スターリン|スターリン]]がモスクワで会談。<br />
** [[ダンバートン・オークス会議]]で連合国が[[国際連合]]を提案<br />
* [[10月10日]] - 米国機動部隊、[[沖縄本島]]を[[空襲]]する。<br />
* [[10月12日]]<br />
** 連合国軍が[[アテネ]]に入城<br />
** 米軍が台湾を空爆、[[台湾沖航空戦]]( - 16日)<br />
* [[10月14日]] - ドイツの[[エルヴィン・ロンメル|ロンメル]]将軍が自殺<br />
* [[10月15日]] - [[ハンガリー王国 (1920-1946)|ハンガリー王国]]でドイツ軍と[[矢十字党]]によるクーデター([[パンツァーファウスト作戦]])。摂政[[ホルティ・ミクローシュ]]が退位しドイツに亡命。<br />
* [[10月20日]] - ソ連軍が[[ベオグラード]]を占領<br />
* [[10月21日]] - ドイツの[[アーヘン]]が陥落<br />
* [[10月23日]] - [[レイテ島の戦い]]。[[フィリピンの戦い (1944-1945年)]]が始まる。<br />
<br />
=== 11月 ===<br />
* [[11月1日]] - [[新聞]]朝刊2ページに削減される。<br />
* [[11月7日]] - [[1944年アメリカ合衆国大統領選挙|アメリカ大統領選挙]]で[[フランクリン・ルーズベルト]]が4選される。<br />
* 11月7日 - [[ソビエト連邦]]指導者[[ヨシフ・スターリン|スターリン]]が革命記念日の演説で日本を侵略国と名指しで批判。<br />
* 11月7日 - [[ゾルゲ事件]]: [[リヒャルト・ゾルゲ]]・[[尾崎秀実]]が処刑。<br />
* [[11月24日]] - [[マリアナ諸島|マリアナ群島]]の[[サイパン]]米軍基地から[[B-29 (航空機)|B-29]]が東京を初めて空襲した。<br />
<br />
=== 12月 ===<br />
* [[12月7日]] - [[東海道]]沖で[[東南海地震]]発生。M([[マグニチュード]])7.9、死者・行方不明者1,223人、建物全壊36520件。この地震によって、軍需工場に大被害が出たことにより、[[太平洋戦争]]での日本の敗北が早まったとも言われている。<br />
* [[12月10日]] - 仏ソ相互援助条約調印<br />
* [[12月13日]] - [[名古屋市]]の三菱発動機第四工場に空襲。死者330人、負傷者356人。<br />
* [[12月16日]] - [[ドイツ国 (1933年-1945年)|ナチス・ドイツ]]軍による[[バルジの戦い|アルデンヌ攻勢]]が始まる。<br />
* [[12月18日]] - 名古屋市の三菱航空機大江工場と周辺の[[守山区|守山町]]・[[鳴海町]]など3か所に空襲。死者334人、負傷者253人。<br />
* [[12月22日]] - 名古屋市の三菱発動機第四工場に再び空襲。この時は、[[熱田区]]や[[瑞穂区]]なども空襲に遭う。負傷者3人。<br />
* [[12月24日]] - [[帝国議会|第86議会]]召集<br />
* [[12月31日]] - [[ハンガリー]]の独立戦線臨時政府がドイツに対して宣戦布告<br />
<br />
== 芸術・文化・ファッション ==<br />
* 1944年の文学<br />
** [[芥川龍之介賞|芥川賞]]<br />
*** 第19回(1944年上半期) - [[小尾十三]] 『登攀』<br />
*** 第20回(1944年下半期) - 清水基吉 『雁立』<br />
** [[直木三十五賞|直木賞]]<br />
*** 第19回(1944年上半期) - 岡田誠三『ニューギニヤ山岳戦』<br />
*** 第20回(1944年下半期) - 該当作品なし<br />
* [[1944年のスポーツ]]<br />
** [[大相撲]](幕内最高優勝)<br />
*** 春場所 [[佐賀ノ花勝巳]]<br />
*** 夏場所 [[羽黒山政司]]<br />
*** 秋場所 [[前田山英五郎]]<br />
* 1944年の音楽<br />
** [[12月1日]] - [[バルトーク・ベーラ|バルトーク]]の[[管弦楽のための協奏曲 (バルトーク)|管弦楽のための協奏曲]]初演。<br />
<br />
== 誕生 ==<br />
=== 1月 ===<br />
* [[1月1日]] - [[国貞泰汎]]、元[[プロ野球選手]]<br />
* 1月1日 - [[飯島秀雄]]、元プロ野球選手、元陸上選手<br />
* 1月1日 - [[香山美子 (女優)|香山美子]]、[[俳優|女優]]<br />
* 1月1日 - [[柏村武昭]]、アナウンサー・元参議院議員<br />
* [[1月2日]] - [[宮崎総子]]、[[フリーアナウンサー]]<br />
* [[1月4日]] - [[子門真人]]、[[歌手]]<br />
* 1月4日 - [[チャーリー・マニエル]]、元プロ野球選手<br />
* 1月4日 - [[山中巽]]、元プロ野球選手<br />
* [[1月7日]] - [[吉田日出子]]、女優<br />
* 1月7日 - [[北林早苗]]、女優<br />
* [[1月8日]] - [[荒木一郎]]、[[俳優]]・歌手<br />
* [[1月9日]] - [[ジミー・ペイジ]]、[[ギタリスト]]<br />
* [[1月10日]] - [[クリストファー・チェイス=ダン]]、[[社会学者]]<br />
* [[1月12日]] - [[ヴィクトリア・ポストニコワ]]、[[ピアニスト]]<br />
* [[1月13日]] - [[松原誠]]、元プロ野球選手<br />
* [[1月14日]] - [[田中真紀子]]、[[政治家]]<br />
* [[1月17日]] - [[猪口孝]]、[[国際政治学者]]<br />
* [[1月18日]] - [[小椋佳]]、歌手<br />
* 1月18日 - [[高畠導宏]]、プロ野球選手(+ [[2004年]])<br />
* 1月18日 - [[池辺巌]]、元プロ野球選手<br />
* [[1月20日]] - [[岡野功]]、[[柔道家]]<br />
* [[1月21日]] - [[ウート・ウーギ]]、[[ヴァイオリニスト]]<br />
* [[1月24日]] - [[片岡五郎]]、[[俳優]]<br />
* 1月24日 - [[クラウス・ノミ]]、歌手・パフォーマー(+ [[1983年]])<br />
* [[1月25日]] - [[江守徹]]、俳優・[[演出家]]・[[タレント]]<br />
* 1月25日 - [[松岡正剛]]、[[編集者]]・[[著述家]] <br />
* [[1月26日]] - [[伏屋和彦]]、[[官僚]]<br />
* [[1月28日]] - [[和田浩治]]、俳優(+ [[1986年]])<br />
* [[1月30日]] - [[リン・ハレル]]、[[チェリスト]]<br />
* [[1月31日]] - [[チャーリー・マッスルホワイト]]、[[歌手]]・[[ハーモニカ]]奏者<br />
<br />
=== 2月 ===<br />
* [[2月1日]] - [[猫田勝敏]]、[[バレーボール]]選手(+ [[1983年]])<br />
* [[2月3日]] - [[矢玉四郎]]、[[児童文学作家]]・[[画家]]<br />
* 2月3日 - [[ヒサクニヒコ]]、[[漫画家]]・[[イラストレーター]]<br />
* [[2月4日]] - [[黒沢年男]]、[[俳優]]・[[歌手]]<br />
* [[2月5日]] - [[秋元羊介]]、[[声優]]<br />
* 2月5日 - [[又吉イエス]]、政治家・[[宗教家]]<br />
* 2月5日 - [[玉の海正洋]]、[[大相撲]]第51代[[横綱]](+ [[1971年]])<br />
* [[2月8日]] - [[柴田勲]]、元[[プロ野球選手]]<br />
* 2月8日 - [[山本寛斎]]、[[ファッションデザイナー]]<br />
* [[2月9日]] - [[アリス・ウォーカー]]、[[小説家]]<br />
* 2月9日 - [[山田勝国]]、元プロ野球選手<br />
* 2月9日 - [[阿羅健一]]、作家<br />
* [[2月10日]] - [[高橋英樹 (俳優)|高橋英樹]]、[[俳優]]・[[タレント]]<br />
* 2月10日 - [[赤座美代子]]、[[俳優|女優]]<br />
* [[2月11日]] - [[クロード・チアリ]]、[[タレント]]・[[ギタリスト]]<br />
* [[2月11日]] - [[清水紘治]]、[[俳優]]<br />
* [[2月13日]] - [[井手峻]]、元プロ野球選手<br />
* [[2月15日]] - [[小原伊佐美]]、[[調教師]]<br />
* [[2月16日]] - [[シギスヴァルト・クイケン]]、[[古楽器]]演奏家・[[指揮者]]<br />
* [[2月16日]] - [[岡崎トミ子]]、元アナウンサー、政治家<br />
* [[2月17日]] - [[竹脇無我]]、俳優(+ [[2011年]])<br />
* [[2月21日]] - [[長池徳士]]、元プロ野球選手<br />
* 2月21日 - [[前田吟]]、俳優<br />
* [[2月22日]] - [[ロバート・カーダシアン]]、[[弁護士]]<br />
* [[2月24日]] - [[チト河内]]、[[ミュージシャン]]<br />
* 2月24日 - [[草野仁]]、[[フリーアナウンサー]]・元[[日本放送協会|NHK]]アナウンサー<br />
* [[2月25日]] - [[フランソワ・セベール]]、[[フォーミュラ1|F1]]ドライバー(+ [[1973年]])<br />
* [[2月26日]] - [[レギーネ・ハイツァー]]、[[フィギュアスケート]]選手<br />
* [[2月28日]] - [[日高晤郎]]、[[ラジオパーソナリティ]]<br />
* [[2月29日]] - [[丹野清志]]、[[写真家]]<br />
* 2月29日 - [[デニス・ファリーナ]]、俳優(+ [[2013年]])<br />
<br />
=== 3月 ===<br />
* [[3月1日]] - [[日暮真三]]、コピーライター<br />
* 3月1日 - [[ロジャー・ダルトリー]]、歌手<br />
* 3月1日 - [[山本重政]]、元[[プロ野球選手]]<br />
* [[3月4日]] - [[三田一郎]]、素粒子物理学者<br />
* [[3月5日]] - [[松尾佳子]]、声優<br />
* [[3月6日]] - [[奥本大三郎]]、[[フランス文学者]]<br />
* [[3月12日]] - [[中川武隆]]、政治家<br />
* [[3月14日]] - [[片岡仁左衛門 (15代目)|十五世片岡仁左衛門]]、[[歌舞伎役者]]<br />
* 3月14日 - [[エメリッヒ・ダンツァー]]、[[フィギュアスケート]]選手<br />
* [[3月16日]] - [[石田太郎]]、俳優・声優(+ [[2013年]])<br />
* [[3月17日]] - [[袴田茂樹]]、[[政治学者]]<br />
* [[3月18日]] - [[横山やすし]]、[[漫才師]](+ [[1996年]])<br />
* [[3月20日]] - [[ボビー・テーラー]]、元プロ野球選手<br />
* 3月20日 - [[エルヴィン・ネーアー]]、[[生物学者]]<br />
* [[3月22日]] - [[大塚博堂]]、歌手(+ [[1981年]])<br />
* [[3月23日]] - [[マイケル・ナイマン]]、[[作曲家]]<br />
* [[3月24日]] - [[ヴォイスラヴ・コシュトニツァ]]、[[ユーゴスラビア]]最後の[[大統領]]<br />
* 3月24日 - [[ジェフリー・パーカー]]、[[生物学者]]<br />
* [[3月26日]] - [[ダイアナ・ロス]]、[[歌手]]<br />
* [[3月30日]] - [[島野育夫]]、プロ野球選手、[[野球解説者]](+ [[2007年]])<br />
* [[3月31日]] - [[出久根達郎]]、[[小説家]]<br />
<br />
=== 4月 ===<br />
* [[4月1日]] - [[佐野嘉幸]]、元[[プロ野球選手]]<br />
* 4月1日 - [[倉石功]]、[[俳優]]・[[タレント]]<br />
* 4月1日 - [[ウラジミール・クライネフ]]、[[ピアニスト]]・音楽教師(+ [[2011年]])<br />
* [[4月5日]] - [[細田博之]]、政治家<br />
* 4月5日 - [[原田大二郎]]、[[俳優]]<br />
* [[4月6日]] - [[林俊宏]]、元プロ野球選手<br />
* [[4月7日]] - [[デービッド・ダナ・クラーク]]、コンピューター学者<br />
* 4月7日 - [[ゲアハルト・シュレーダー]]、[[連邦首相 (ドイツ)|ドイツ首相]]<br />
* 4月7日 - [[中村光毅]]、[[アニメーション]][[美術監督]]、[[メカニックデザイナー]](+ 2011年)<br />
* 4月7日 - [[小林誠 (物理学者)|小林誠]]、[[理論物理学者]]<br />
* [[4月8日]] - [[オッド・ネルドル]]、画家<br />
* [[4月10日]] - [[桜井郁三]]、政治家(+ [[2013年]])<br />
* [[4月12日]] - [[園まり]]、[[歌手]]<br />
* [[4月14日]] - [[西崎崇子]]、[[ヴァイオリニスト]]<br />
* [[4月15日]] - [[釜本邦茂]]、元[[サッカー選手]]、現[[日本サッカー協会]]名誉副会長<br />
* 4月15日 - [[成川哲夫]]、俳優、国際空手道連盟玄制流成道会会長(+ [[2010年]])<br />
* [[4月16日]] - [[ウェンディ・グライナー]]、[[フィギュアスケート]]選手<br />
* [[4月17日]] - [[高野孟]]、[[ジャーナリスト]]<br />
* [[4月18日]] - [[溜池敏隆]]、元プロ野球選手<br />
* [[4月21日]] - [[切通猛]]、元プロ野球選手<br />
* [[4月23日]] - [[田辺修]]、元プロ野球選手<br />
* [[4月26日]] - [[レオン・マックファーデン]]、元プロ野球選手<br />
* [[4月27日]] - [[マイク眞木]]、[[俳優]]・[[フォーク]][[歌手]]<br />
<br />
=== 5月 ===<br />
* [[5月4日]] - [[阪口慶三]]、高校野球指導者<br />
* [[5月5日]] - [[高橋善正]]、元[[プロ野球選手]]<br />
* 5月5日 - [[松岡達英]]、[[絵本作家]]<br />
* [[5月6日]] - [[村上雅則]]、元プロ野球選手<br />
* [[5月7日]] - [[古川俊隆]]、元[[内閣総理大臣秘書官]]<br />
* [[5月8日]] - [[三田村統之]]、[[政治家]]<br />
* [[5月13日]] - [[星山博之]]、[[脚本家]](+ [[2007年]])<br />
* [[5月14日]] - [[ジョージ・ルーカス]]、[[映画監督]]<br />
* 5月14日 - [[桑原征平]]、[[アナウンサー]]・ラジオパーソナリティ<br />
* [[5月15日]] - [[ウルリッヒ・ベック]]、[[社会学者]]<br />
* [[5月17日]] - [[舟崎靖子]]、[[詩人]]・[[児童文学作家]]<br />
* 5月17日 - [[ポール・クロスリー]]、[[ピアニスト]]<br />
* [[5月18日]] - [[高山忠克]]、元プロ野球選手<br />
* 5月18日 - [[ユストゥス・フランツ]]、[[指揮者]]・[[ピアニスト]]・テレビ[[タレント]]<br />
* [[5月21日]] - [[井上弘昭]]、元プロ野球選手<br />
* 5月21日 - [[加藤斌]]、プロ野球選手(+ [[1965年]])<br />
* 5月21日 - [[メアリー・ロビンソン]]、[[アイルランドの大統領|アイルランド大統領]]<br />
* [[5月22日]] - [[中村吉右衛門 (2代目)|二世中村吉右衛門]]、歌舞伎役者<br />
* 5月22日 - [[白石静生]]、元プロ野球選手<br />
* [[5月23日]] - [[ジョン・ニューカム]]、[[テニス]]選手<br />
* [[5月24日]] - [[加藤節]]、政治学者<br />
* [[5月25日]] - [[村上隆 (ゴルファー)|村上隆]]、ゴルファー<br />
* [[5月28日]] - [[後藤和昭]]、元プロ野球選手<br />
* 5月28日 - [[枦山智博]]、高校野球指導者<br />
* [[5月29日]] - [[池上遼一]]、[[漫画家]]<br />
<br />
=== 6月 ===<br />
* [[6月2日]] - [[平泉成]]、[[俳優]]<br />
* [[6月6日]] - [[久米田正明]]、[[ロジフレックス]](株)代表取締役社長、[[馬主]]<br />
* [[6月8日]] - [[及川宣士]]、元[[プロ野球選手]]<br />
* [[6月13日]] - [[潘基文]]、第8代[[国際連合事務総長]]<br />
* [[6月14日]] - [[中野孝征]]、元プロ野球選手<br />
* 6月14日 - [[椎名誠]]、[[作家]]<br />
* [[6月16日]] - [[高見山大五郎|髙見山大五郎]]、[[大相撲]][[力士]]<br />
* 6月16日 - [[小倉清一郎]]、高校野球指導者<br />
* [[6月17日]] - [[田中調]]、元プロ野球選手<br />
* [[6月19日]] - [[伊藤久敏]]、元プロ野球選手<br />
* 6月23日 - [[仲宗根美樹]]、[[歌手]]<br />
* [[6月24日]] - [[菅原功一]]、元[[旭川市]]長<br />
* 6月24日 - [[ジェフ・ベック]]、[[ギタリスト]]<br />
* [[6月28日]] - [[ハル・ブリーデン]]、元プロ野球選手<br />
* 6月28日 - [[山本忠男]]、元プロ野球選手<br />
* [[6月30日]] - [[上垣内誠]]、元プロ野球選手<br />
<br />
=== 7月 ===<br />
* [[7月1日]] - [[大倉英貴]]、元[[プロ野球選手]]<br />
* [[7月3日]] - [[浜中裕徳]]、[[官僚]]<br />
* 7月3日 - [[ミッシェル・ポルナレフ]]、[[シンガーソングライター]]・[[作曲家]]<br />
* [[7月5日]] - [[佐藤正治 (野球)|佐藤正治]]、元プロ野球選手<br />
* 7月5日 - [[松島アキラ]]、[[歌手]]<br />
* [[7月7日]] - [[木俣達彦]]、元プロ野球選手<br />
* [[7月11日]] - [[パトリシア・ポラッコ]]、[[絵本作家]]<br />
* [[7月12日]] - [[東条文博]]、元プロ野球選手<br />
* 7月12日 - [[四谷シモン]]、[[人形]]作家・[[俳優]]<br />
* [[7月13日]] - [[ルビク・エルネー]]、[[発明家]]・[[彫刻家]]・[[建築学者]]<br />
* [[7月14日]] - [[久米宏]]、[[フリーアナウンサー]]・[[タレント]]・元TBS[[アナウンサー]]<br />
* [[7月17日]] - [[カルロス・アウベルト]]、元サッカー選手・サッカー指導者<br />
* [[7月18日]] - [[又市征治]]、政治家<br />
* [[7月20日]] - [[田中章 (野球)|田中章]]、元プロ野球選手<br />
* [[7月25日]] - [[中村紘子]]、[[ピアニスト]]<br />
* [[7月28日]] - [[渡瀬恒彦]]、[[俳優]]<br />
* [[7月29日]] - [[藤本典征]]、元プロ野球選手<br />
<br />
=== 8月 ===<br />
* [[8月1日]] - [[アンドリュー・G・ヴァイナ]]、[[映画プロデューサー]]<br />
* [[8月2日]] - [[畠山重則]]、元騎手・調教師<br />
* [[8月8日]] - [[麦人]]、声優<br />
* [[8月9日]] - [[佐藤蛾次郎]]、俳優<br />
* 8月9日 - [[パトリック・デパイユ]]、F1ドライバー(+ [[1980年]])<br />
* [[8月11日]] - [[柴田猛]]、元[[プロ野球選手]]<br />
* 8月11日 - [[浅利香津代]]、[[俳優|女優]]<br />
* [[8月14日]] - [[杉良太郎]]、俳優<br />
* [[8月15日]] - [[ジャンフランコ・フェレ]]、[[ファッションデザイナー]](+ [[2007年]])<br />
* 8月15日 - [[シルヴィ・ヴァルタン]]、[[歌手]]<br />
* [[8月17日]] - [[安仁屋宗八]]、元プロ野球選手<br />
* [[8月18日]] - [[高橋三郎 (競馬)|高橋三郎]]、元騎手・調教師<br />
* [[8月19日]] - [[ジル・フォコニエ]]、[[言語学者]]・[[認知科学]]者<br />
* [[8月22日]] - [[みのもんた]]、[[タレント]]<br />
* [[8月30日]] - [[野川由美子]]、女優<br />
* [[8月31日]] - [[ロジャー・ディーン]]、[[画家]]・アートデザイナー<br />
<br />
=== 9月 ===<br />
* [[9月11日]] - [[尾崎行雄 (野球)|尾崎行雄]]、元[[プロ野球選手]](+ [[2013年]])<br />
* 9月11日 - [[山田要一]]、元調教師<br />
* 9月11日 - [[中村之保]]、元プロ野球選手<br />
* [[9月12日]] - [[ウラディーミル・スピヴァコフ]]、[[ヴァイオリニスト]]・[[指揮者]]<br />
* [[9月13日]] - [[ピーター・セテラ]]、歌手<br />
* [[9月15日]] - [[境直行]]、調教師<br />
* [[9月17日]] - [[ラインホルト・メスナー]]、[[登山家]]<br />
* [[9月20日]] - [[中田征男]]、[[厩務員]]<br />
* 9月20日 - [[村井国夫]]、俳優・[[声優]]<br />
* [[9月23日]] - [[守屋武昌]]、元防衛[[事務次官]]<br />
* [[9月25日]] - [[マイケル・ダグラス]]、俳優・[[プロデューサー]]<br />
* [[9月27日]] - [[辺見庸]]、[[小説家]]・[[ジャーナリスト]]<br />
* [[9月28日]] - [[東隆明]]、作家・俳優<br />
<br />
=== 10月 ===<br />
* [[10月3日]] - [[末広まきこ]]、[[タレント]]・元[[参議院]]議員<br />
* [[10月4日]] - [[黒田アキ]]、[[芸術家]]<br />
* 10月4日 - [[トニー・ラルーサ]]、[[メジャーリーグベースボール|メジャーリーグ]][[監督]]<br />
* [[10月9日]] - [[浜崎正人]]、元[[プロ野球選手]]<br />
* 10月9日 - [[三門忠司]]、[[演歌歌手]]<br />
* [[10月11日]] - [[畑田国男]]、[[漫画家]]・[[著述家]](+ [[1996年]])<br />
* [[10月15日]] - [[ハイム・サバン]]、[[実業家]]<br />
* [[10月16日]] - [[エリザベス・ロフタス]]、認知[[心理学者]]<br />
* [[10月17日]] - [[町村信孝]]、政治家<br />
* [[10月18日]] - [[ネルソン・フレイレ]]、[[ピアニスト]]<br />
* [[10月20日]] - [[山下律夫]]、元プロ野球選手<br />
* [[10月20日]] - [[いもとようこ]]、[[絵本作家]]<br />
* [[10月23日]] - [[五十嵐忠行]]、官僚<br />
* [[10月26日]] - [[山川啓介]]、[[作詞家]]<br />
* [[10月27日]] - [[田中辰次]]、元プロ野球選手<br />
* [[10月28日]] - [[蟹江敬三]]、俳優<br />
<br />
=== 11月 ===<br />
* [[11月1日]] - [[ラフィーク・ハリーリー]]、[[レバノン]]の[[政治家]](+ [[2005年]])<br />
* [[11月3日]] - [[渡辺元智]]、高校野球指導者<br />
* [[11月7日]] - [[ジョー・ニークロ]]、[[メジャーリーガー]](+ [[2006年]])<br />
* 11月7日 - [[松平定知]]、[[フリーアナウンサー]]、元[[日本放送協会|NHK]][[アナウンサー|エグゼクティブアナウンサー]]<br />
* [[11月10日]] - [[アスカル・アカエフ]]、[[キルギス]]初代大統領<br />
* [[11月12日]] - [[大渕絹子]]、政治家<br />
* [[11月17日]] - [[デイヴ平尾]]、ミュージシャン・俳優(+ [[2008年]])<br />
* [[11月18日]] - [[漆原良夫]]、政治家<br />
* [[11月26日]] - [[杉山武彦]]、交通学者・[[一橋大学]]学長<br />
* [[11月29日]] - [[大下剛史]]、元[[プロ野球選手]]<br />
* [[11月30日]] - [[中原全敏]]、元プロ野球選手<br />
<br />
=== 12月 ===<br />
* [[12月1日]] - [[梨元勝]]、[[芸能リポーター]](+ [[2010年]])<br />
* 12月1日 - [[八木沢荘六]]、元[[プロ野球選手]]<br />
* [[12月2日]] - [[奥正之]]、[[三井住友銀行]]頭取<br />
* 12月2日 - [[ボート・シュトラウス]]、[[劇作家]]・[[小説家]]・[[エッセイスト]]<br />
* [[12月4日]] - [[デニス・ウィルソン]]、ミュージシャン・[[ビーチ・ボーイズ]]のメンバー(+ [[1983年]])<br />
* 12月4日 - [[青柳裕介]]、[[漫画家]](+ [[2001年]])<br />
* [[12月6日]] - [[牧村旬子]]、[[歌手]]・[[作曲家]]<br />
* [[12月12日]] - [[アレックス・アクーニャ]]、[[ドラマー]]・[[パーカッショニスト]]<br />
* 12月12日 - [[舟木一夫]]、[[歌手]]・[[タレント]]<br />
* [[12月14日]] - [[池内了]]、[[天文学者]]・[[宇宙物理学|宇宙物理学者]]<br />
* [[12月17日]] - [[ベネ・フェレンツ]]、サッカー選手(+ [[2006年]])<br />
* [[12月18日]] - [[伊勢孝夫]]、元プロ野球選手<br />
* [[12月21日]] - [[マイケル・ティルソン=トーマス]]、[[指揮者]]<br />
<br />
== 死去 ==<br />
=== 1月 ===<br />
* [[1月1日]] - [[エドウィン・ラッチェンス]]、[[建築家]](* [[1869年]])<br />
* [[1月6日]] - [[イーダ・ターベル]]、[[ジャーナリスト]](* [[1857年]])<br />
* [[1月15日]] - [[野口遵]]、[[実業家]]・[[日窒コンツェルン]]創業者(* [[1873年]])<br />
* [[1月21日]] - [[ラス・ビハリ・ボース]]、日本の[[カレー]]の父として有名な[[インド]]独立運動の指導者(* [[1886年]])<br />
* [[1月23日]] - [[エドヴァルド・ムンク]]、[[画家]](* [[1863年]])<br />
* [[1月31日]] - [[鈴木政吉]]、[[鈴木バイオリン]]創業者(* [[1859年]])<br />
* 1月31日 - [[ジャン・ジロドゥ]]、[[外交官]]・[[劇作家]]・[[小説家]](* [[1882年]])<br />
<br />
=== 2月 ===<br />
* [[2月1日]] - [[ピエト・モンドリアン]]、画家(* [[1872年]])<br />
* [[2月2日]] - [[レオン・ブランシュヴィック]]、[[思想家]](* [[1869年]])<br />
* [[2月7日]] - [[三上於菟吉]]、小説家(*[[1891年]])<br />
* 2月7日 - [[ロバート・E・パーク]]、[[社会学者]](* [[1864年]])<br />
* [[2月8日]] - [[添田唖蝉坊]]、[[演歌]]師(* [[1872年]])<br />
* [[2月15日]] - [[河合栄治郎]]、社会思想家・[[経済学者]](*[[1891年]])<br />
* [[2月18日]] - [[チャールズ・ダベンポート]]、[[生物学者]](* [[1866年]])<br />
* [[2月23日]] - [[レオ・ベークランド]]、[[化学者]](* [[1863年]])<br />
* [[2月27日]] - [[金子直吉]]、実業家(* [[1866年]])<br />
<br />
=== 3月 ===<br />
* [[3月5日]] - [[コンスタン・モンタルド]]、[[美術家]](* [[1862年]])<br />
* [[3月8日]] - [[梅村蓉子]]、[[俳優|女優]](* [[1903年]])<br />
* [[3月14日]] - [[矢田津世子]]、小説家(* [[1907年]])<br />
* [[3月18日]] - [[押川清]]、アマチュア野球選手(* [[1881年]])<br />
* [[3月31日]] - [[古賀峯一]]、[[元帥]][[海軍大将]]、[[連合艦隊司令長官]](* [[1885年]])<br />
<br />
=== 4月 ===<br />
* [[4月4日]] - [[アルマ・ロゼ]]、[[ヴァイオリニスト]](* [[1906年]])<br />
* [[4月10日]] - [[下畑卓]]、[[児童文学作家]](* [[1916年]])<br />
* [[4月21日]] - [[市島謙吉]]、政治家(* [[1860年]])<br />
* [[4月23日]] - [[近松秋江]]、小説家・[[評論家]](*[[1876年]])<br />
* [[4月25日]] - [[トニー・マレーン]]、[[メジャーリーガー]](* [[1859年]])<br />
* [[4月28日]] - [[中里介山]]、[[小説家]](* [[1885年]])<br />
<br />
=== 5月 ===<br />
* [[5月2日]] - [[丘浅次郎]]、[[動物学]]者(* [[1868年]])<br />
* [[5月8日]] - [[エセル・スマイス]]、[[作曲家]](* [[1858年]])<br />
* [[5月31日]] - [[嶋田青峰]]、[[俳人]](* [[1882年]])<br />
<br />
=== 6月 ===<br />
* [[6月10日]] - [[宝生新]]、[[能楽師]](* [[1870年]])<br />
* [[6月17日]] - [[俵孫一]]、[[官僚]]・政治家(* [[1869年]])<br />
* [[6月27日]] - [[津村信夫]]、詩人(* [[1909年]])<br />
<br />
=== 7月 ===<br />
* [[7月2日]] - [[山梨半造]]、軍人・政治家(* [[1864年]])<br />
* [[7月8日]] - [[南雲忠一]]、[[大日本帝国海軍|日本海軍]]の[[大将]](* [[1887年]])<br />
* [[7月12日]] - [[中河美芳]]、[[プロ野球選手]](* [[1920年]])<br />
* [[7月20日]] - [[クラウス・フォン・シュタウフェンベルク]]、[[ドイツ国防軍]]の[[大佐]](* [[1907年]])<br />
* 7月20日 - [[ヴェルナー・フォン・ヘフテン]]、ドイツ国防軍の[[少尉]](* [[1908年]])<br />
* [[7月21日]] - [[ルートヴィヒ・ベック]]、ドイツ国防軍の大将(* [[1880年]])<br />
* 7月21日 - [[ヘニング・フォン・トレスコウ]]、ドイツ国防軍の[[少将]](* [[1901年]])<br />
* 7月21日 - [[アルブレヒト・メルツ・フォン・クイルンハイム]]、ドイツ国防軍の大佐(* [[1905年]])<br />
* [[7月25日]] - [[ヤーコプ・フォン・ユクスキュル]]、[[生物学者]](* [[1864年]])<br />
* [[7月26日]] - [[レザー・パフラヴィー|レザー・シャー]]、[[イラン]]・[[パフラヴィー朝]]初代国王(* [[1878年]])<br />
* 7月26日 - [[伊藤健太郎 (野球)|伊藤健太郎]]、プロ野球選手(* [[1916年]])<br />
* [[7月31日]] - [[アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ]]、小説家・[[パイロット]](* [[1900年]])<br />
<br />
=== 8月 ===<br />
* [[8月1日]] - [[マニュエル・ケソン]]、[[フィリピン]]独立準備政府初代大統領(* 1878年)<br />
* [[8月8日]] - [[エルヴィン・フォン・ヴィッツレーベン]]、ドイツ国防軍の[[元帥]](* [[1881年]])<br />
* [[8月12日]] - [[ジョセフ・P・ケネディ・ジュニア]]、[[ジョン・F・ケネディ]]の兄、[[アメリカ合衆国海軍|米海軍]]パイロット(* [[1915年]])<br />
* [[8月13日]] - [[セシル・シャミナード]]、作曲家(* [[1857年]])<br />
* [[8月17日]] - [[三輪八郎]]、[[プロ野球選手]](* [[1921年]])<br />
* [[8月19日]] - [[ギュンター・フォン・クルーゲ]]、ドイツ国防軍の元帥(* [[1882年]])<br />
<br />
=== 9月 ===<br />
* [[9月3日]] - [[フランティシェク・ドルドラ]]、[[ヴァイオリニスト]](* [[1868年]])<br />
* [[9月4日]] - [[エーリッヒ・フェルギーベル]]、ドイツ国防軍の[[中将]](* [[1886年]])<br />
* [[9月11日]] - [[荒木十畝]]、[[日本画家]](* [[1872年]])<br />
* [[9月13日]] - [[松平頼寿]]、[[華族]]・[[貴族院議長]](* [[1874年]])<br />
* [[9月22日]] - [[東坊城恭長]]、俳優・[[映画監督]](* [[1904年]])<br />
* [[9月27日]] - [[アリスティド・マイヨール]]、[[彫刻家]]・[[画家]](* [[1861年]])<br />
* [[9月28日]] - [[ヨーゼフ・ビュルケル]]、[[ナチ党]]ヴェストマルク大管区指導者(* [[1895年]])<br />
<br />
=== 10月 ===<br />
* [[10月5日]] - [[頭山満]]、[[国家主義]]運動家・[[玄洋社]]創設者(* [[1855年]])<br />
* [[10月7日]] - [[中川小十郎]]、[[文部省|文部]][[官僚]]・[[貴族院議員]]・[[京都法政学校]]([[立命館大学]]前身)創設者(* [[1866年]])<br />
* [[10月10日]] - [[吉原正喜]]、[[プロ野球選手]](* [[1919年]])<br />
* [[10月14日]] - [[エルヴィン・ロンメル]]、ドイツ国防軍元帥(* [[1891年]])<br />
* [[10月16日]] - [[小金井良精]]、解剖学者・人類学者(*[[1858年]])<br />
* [[10月26日]] - [[ベアトリス (イギリス王女)|ベアトリス・メアリ・ヴィクトリア・フィオドア]]、[[ヴィクトリア (イギリス女王)|ヴィクトリア英国女王]]の五女(* [[1857年]])<br />
* [[10月31日]] - [[エドゥアルト・エンゲルマン]]、[[フィギュアスケート]]選手・[[エンジニア]](* [[1864年]])<br />
<br />
=== 11月 ===<br />
* [[11月5日]] - [[アレクシス・カレル]]、[[医学者]](* [[1873年]])<br />
* [[11月7日]] - [[リヒャルト・ゾルゲ]]、[[ジャーナリスト]]・[[ソビエト連邦]][[情報員]](* [[1895年]])<br />
* 11月7日 - [[尾崎秀実]]、[[記者]](* 1901年)<br />
* [[11月9日]] - [[フランク・マーシャル (チェスプレーヤー)|フランク・マーシャル]]、[[チェス]]プレーヤー(* [[1877年]])<br />
* [[11月10日]] - [[汪兆銘]]、[[汪兆銘政権|南京国民政府]]主席(* [[1883年]])<br />
* [[11月11日]] - [[松旭斎天勝]]、[[マジシャン (奇術)|奇術師]](* [[1886年]])<br />
* [[11月14日]] - [[フレッシュ・カーロイ]]、[[ヴァイオリニスト]](* 1873年)<br />
* [[11月18日]] - [[牧口常三郎]]、創価教育学会(後の[[創価学会]])初代会長(* [[1871年]])<br />
* [[11月22日]] - [[アーサー・エディントン]]、[[天文学者]](* [[1882年]])<br />
* 11月22日 - [[徳齢]]、[[著作家|文筆家]](* [[1885年]])<br />
* [[11月24日]] - [[辻潤]]、[[思想家]]・[[翻訳家]](* [[1884年]])<br />
* [[11月26日]] - [[フローレンス・フォスター・ジェンキンス]]、[[ソプラノ]][[歌手]](* [[1868年]])<br />
* [[11月27日]] - [[小野塚喜平次]]、[[政治学者]](*[[1871年]])<br />
<br />
=== 12月 ===<br />
* [[12月1日]] - [[村上浪六]]、小説家(*[[1865年]])<br />
* [[12月2日]] - [[沢村栄治]]、プロ野球選手(* [[1917年]])<br />
* [[12月4日]] - [[永井柳太郎]]、[[政治家]]、大日本育英会創立者(*[[1881年]])<br />
* [[12月9日]] - [[大伴麟三]]、[[映画監督]](* [[1907年]])<br />
* [[12月13日]] - [[ワシリー・カンディンスキー]]、画家(* 1866年)<br />
* [[12月15日]] - [[グレン・ミラー]]、[[ジャズ]][[ミュージシャン]](* [[1904年]])<br />
* [[12月17日]] - [[一木喜徳郎]]、[[法学者]]・政治家(*[[1867年]])<br />
* [[12月25日]] - [[片岡鉄兵]]、小説家(* [[1894年]])<br />
* [[12月27日]] - [[エイミー・ビーチ]]、作曲家(* [[1867年]])<br />
* [[12月30日]] - [[ロマン・ロラン]]、小説家(* 1866年)<br />
<br />
=== 日付不詳 ===<br />
* 日付不詳 - [[近藤伊与吉]]、[[俳優]](* [[1894年]])<br />
<br />
== ノーベル賞 ==<br />
* [[ノーベル物理学賞|物理学賞]] - [[イジドール・イザーク・ラービ]]([[アメリカ合衆国|アメリカ]])<br />
* [[ノーベル化学賞|化学賞]] - [[オットー・ハーン]]([[ドイツ]])<br />
* [[ノーベル生理学・医学賞|生理学・医学賞]] - [[ジョセフ・アーランガー]](アメリカ)、[[ハーバート・ガッサー]](アメリカ)<br />
* [[ノーベル文学賞|文学賞]] - [[ヨハネス・ヴィルヘルム・イェンセン]]([[デンマーク]])<br />
* [[ノーベル平和賞|平和賞]] - [[赤十字国際委員会]]<br />
<br />
== フィクションのできごと ==<br />
* 1944年[[9月]] - 連合軍第501統合戦闘航空団「STRIKE WITCHES」達の活躍により、ネウロイの完全消滅が確認され、ネウロイの制圧下だったガリアが解放され人類の手に戻った。(アニメ『[[ストライクウィッチーズ]]』)<br />
<br />
[[Category:1944年|*]]</div>
ウマスラ
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=1906%E5%B9%B4&diff=230246
1906年
2014-06-01T17:53:42Z
<p>ウマスラ: /* 3月 */</p>
<hr />
<div>'''1906年'''は、[[西暦]]([[グレゴリオ暦]])による、[[月曜日から始まる平年]]。<br />
<br />
== 他の紀年法 ==<br />
* [[干支]]:[[丙午]]<br />
* [[日本]](月日は一致)<br />
** [[明治]]39年<br />
** [[皇紀]]2566年<br />
* [[清]]<br />
** [[光緖]]31年12月7日 - 光緖32年11月16日<br />
* [[朝鮮]](月日は一致)<br />
**[[大韓帝国]]・[[光武 (元号)|光武]]10年<br />
**[[檀君紀元|檀紀]]4239年<br />
* [[阮朝]]([[ベトナム]])<br />
** [[成泰]]17年12月7日 - 成泰18年11月16日<br />
* [[仏滅紀元]]:2448年10月7日 - 2449年閏10月1日<br />
* [[ヒジュラ暦]](イスラム暦):1323年11月5日 - 1324年11月15日<br />
* [[ユダヤ暦]]:5666年4月4日 - 5667年4月14日<br />
* [[修正ユリウス日]](MJD):17211 - 17575<br />
* [[リリウス日]](LD):118052 - 118416<br />
<br />
== できごと ==<br />
* [[1月7日]] - [[第1次西園寺内閣]]成立<br />
* [[1月16日]] - [[アルヘシラス会議]]が開催(〜4月7日)<br />
* [[1月28日]] - [[日本社会党]]結成([[堺利彦]]ら)<br />
* [[1月31日]] - [[コロンビア]]沖で[[マグニチュード]]8.8の[[大地震]]<br />
* [[2月16日]] - 英国で労働代表委員会が[[労働党 (イギリス)|労働党]]と改称<br />
* [[2月17日]] - [[文芸協会]]設立([[島村抱月]]ら)<br />
* [[3月3日]] - [[伊藤博文]]が[[韓国統監府]]の初代統監に就任<br />
* [[3月10日]] - 第一回[[陸軍記念日]]<br />
* [[3月14日]] - [[白洋舎|白洋舍]]創業<br />
* [[3月19日]] - [[イギリス]]が[[満州]]の門戸開放を要求<br />
* [[3月20日]] - [[帝国図書館]]開館(上野に移転)<br />
* [[3月26日]] - [[大日本麦酒|大日本麦酒会社]]設立([[札幌麦酒]]・[[日本麦酒]]・[[大阪麦酒]]が合併)<br />
* [[3月31日]] - [[鉄道国有法]]公布(4月20日施行)<br />
* [[4月16日]] - [[東海道本線]]で[[最急行]]を設定(急行料金を初めて徴収)<br />
* [[4月18日]] - [[サンフランシスコ地震]]<br />
* [[4月22日]] - [[アテネオリンピック (1906年)|アテネオリンピック]]開催(〜5月2日)<br />
* [[4月28日]] - [[ミラノ万国博覧会 (1906年)|ミラノ万国博覧会]]開催(〜11月11日)<br />
* [[5月1日]] - [[新宿御苑]]開苑式<br />
* [[6月12日]] - 在韓日本軍が[[崔益鉉]]らの排日暴動を鎮圧<br />
* [[7月12日]] - [[フランス]]で[[ドレフュス事件]]の[[冤罪]]確定<br />
* [[7月20日]] - 日本初の[[専用線]]電話が[[日本銀行]]と[[横浜正金銀行]]本店間に設置<br />
* [[9月1日]] - [[ゴールデンバット]]販売開始<br />
* [[9月11日]] - [[マハトマ・ガンディー]]が[[南アフリカ]]にて非暴力の抵抗運動を組織。<br />
* [[9月28日]] - [[新渡戸稲造]]が[[第一高等学校 (旧制)|第一高等学校]][[校長]]に就任<br />
* [[10月11日]] - [[サンフランシスコ]]市が日本人学童の隔離を命令<br />
* [[11月1日]] - [[日本鉄道]]国有化<br />
* [[11月26日]] - [[南満州鉄道]]設立<br />
* [[12月8日]] - 旧[[函館中華会館]]が完成(但し翌年[[火災|大火]]により消失、現在の建物は[[1910年]]に完成)<br />
* [[12月26日]] - [[徳川光圀]]以来続けられてきた『[[大日本史]]』の編纂完了が[[明治天皇]]に報告される。<br />
* [[12月28日]] - インドで[[国民会議派]]カルカッタ大会開催(英貨排斥・[[スワラージ]]・[[スワデーシー]]・民族教育の4綱領を採択)<br />
* [[12月30日]] - インドの親英的なイスラム教徒によって[[インド・ムスリム連盟]]が創立される。<br />
<br />
=== 日付不詳 ===<br />
* 1月 - 在米公使館が大使館に昇格(初代在米大使は[[青木周蔵]])<br />
* 1月 - 在独公使館が大使館に昇格(初代在独大使は[[井上勝之助]])<br />
* 1月 - 在仏公使館が大使館に昇格(初代在仏大使は[[栗野慎一郎]])<br />
* 1月 - [[桑木厳翼]]、論文「プラグマティズムに就いて」(「哲学雑誌」)。<br />
* 5月 - [[岡倉天心]] ''The Book of Tea''(「[[茶の本]]」)。<br />
* 6月 - [[幸徳秋水]]が米国から帰国。[[無政府主義]]の影響を受けた。<br />
* 11月 - [[ロシア]]で[[ストルイピン]]による農業改革が始まる。<br />
* [[ド・フォレスト]]が三極[[真空管]]を発明。<br />
* [[東久邇宮稔彦王]]が東久邇宮家を創立。<br />
* [[フィンランド]]で[[女性参政権]]を付与<br />
* ビルマで青年仏教連盟 (YMBA) 結成<br />
* [[夏目漱石]]『[[坊っちゃん]]』『草枕』<br />
* [[シンクレア]]『ジャングル』<br />
* [[島崎藤村]]『破戒』<br />
* [[薄田泣菫]]『白羊宮』<br />
* 国民会議派のカルカッタ大会が行われた([[インド国民会議]])<br />
<br />
== 誕生 ==<br />
=== 1月 ===<br />
* [[1月2日]] - [[三島雅夫]]、[[俳優]](+ [[1973年]])<br />
* [[1月3日]] - [[豊田四郎]]、[[映画監督]](+ [[1977年]])<br />
* 1月3日 - [[田中伊三次]]、[[弁護士]]・[[法学者]]・[[政治家]]・[[ロッキード事件]]調査委員長(+ [[1987年]])<br />
* [[1月6日]] - [[杉村春子]]、[[俳優|女優]](+ [[1997年]])<br />
* 1月6日 - [[ジョージ・レドヤード・ステビンズ]]、[[植物学者]]・[[遺伝学者]](+ [[2000年]])<br />
* [[1月9日]] - [[オスカー・ドミンゲス]]、[[画家]]・[[美術家]](+ [[1957年]])<br />
* [[1月11日]] - [[アルバート・ホフマン (化学者)|アルバート・ホフマン]]、[[化学者]](+ [[2008年]])<br />
* [[1月14日]] - [[小谷正雄]]、[[物理学者]](+ [[1993年]]) <br />
* [[1月15日]] - [[アリストテレス・オナシス]]、ギリシャの[[実業家]](+ [[1975年]]) <br />
* [[1月20日]] - [[四家文子]]、[[歌手]]・[[声楽家]](+ [[1981年]]) <br />
* [[1月21日]] - [[永田雅一]]、[[映画]]製作者・[[千葉ロッテマリーンズ|大毎・東京・ロッテオリオンズ]]オーナー(+ [[1985年]])<br />
* [[1月22日]] - [[ロバート・E・ハワード]]、[[SF作家]]・[[ファンタジー]]作家(+ [[1936年]])<br />
* [[1月27日]] - [[山中直治]]、[[作曲家]](+ [[1937年]])<br />
<br />
=== 2月 ===<br />
* [[2月4日]] - [[ディートリッヒ・ボンヘッファー]]、[[ルター派]]の[[牧師]]・[[神学者]](+ [[1945年]])<br />
* 2月4日 - [[クライド・トンボー]]、[[天文学者の一覧|天文学者]](+ [[1997年]])<br />
* [[2月5日]] - [[ジョン・キャラダイン]]、アメリカの[[俳優]](+ [[1988年]]) <br />
* [[2月6日]] - [[岩佐凱実]]、[[銀行家]](+ [[2001年]]) <br />
* [[2月7日]] - [[愛新覚羅溥儀]]、[[清朝]]最後の[[皇帝]]・[[満州国]]皇帝(+ [[1967年]])<br />
* 2月7日 - [[オリェーク・アントーノフ]]、[[航空機]]設計者(+ [[1984年]])<br />
* 2月7日 - [[浜村純]]、[[俳優]](+ [[1995年]])<br />
* [[2月8日]] - [[野長瀬正夫]]、[[詩人]]・[[児童文学者]](+ 1984年)<br />
* [[2月10日]] - [[ロン・チェイニー・ジュニア]]、俳優(+ [[1973年]])<br />
* [[2月12日]] - [[薮内清]]、[[日本の天文学者の一覧|天文学者]]・[[科学史|科学史家]](+ [[2000年]])<br />
* [[2月18日]] - [[ハンス・アスペルガー]]、[[医学者]](+ [[1980年]])<br />
* [[2月23日]] - [[藤井丙午]]、[[実業家]]・[[財界人]](+ [[1980年]])<br />
* [[2月24日]] - [[日向方斎]]、経営者・財界人(+ [[1993年]]) <br />
* [[2月26日]] - [[川崎守之助]]、[[東京川崎財閥]]3代目当主(+ [[1977年]])<br />
* [[2月28日]] - [[ベンジャミン・シーゲル]]、[[ギャング|ギャングスタ]](+ [[1947年]])<br />
<br />
=== 3月 ===<br />
* [[3月5日]] - [[中山素平]]、銀行家(+ [[2005年]]) <br />
* [[3月12日]] - [[印順]]、[[僧]]・[[仏教学者]](+ [[2005年]])<br />
* [[3月18日]] - [[森茂雄]]、[[プロ野球選手]](+ [[1977年]])<br />
* [[3月19日]] - [[アドルフ・アイヒマン]]、[[ドイツ国 (1933年-1945年)|ナチス・ドイツ]][[親衛隊中佐]](+ [[1962年]])<br />
* [[3月20日]] - [[エイブラハム・ビーム]]、[[ニューヨーク市長]](+ [[2001年]])<br />
* [[3月21日]] - [[ジョン・ロックフェラー3世]]、[[実業家]](+ [[1978年]])<br />
* 3月21日 - [[久保田孝]]、[[コピーライター]](+ [[1966年]])<br />
* [[3月28日]] - [[田部武雄]]、野球選手(+ 1945年)<br />
* 3月28日 - [[伊藤真乗]]、[[宗教家]](+ [[1989年]])<br />
* [[3月31日]] - [[朝永振一郎]]、[[物理学者]](+ [[1979年]])<br />
* 3月31日 - [[瀬川美能留]]、[[実業家]](+ [[1991年]])<br />
<br />
=== 4月 ===<br />
* [[4月6日]] - [[和田芳恵]]、[[小説家]](+ [[1977年]]) <br />
* [[4月9日]] - [[アンタル・ドラティ]]、[[指揮者]](+ [[1988年]])<br />
* [[4月13日]] - [[サミュエル・ベケット]]、[[劇作家]]・[[小説家]](+ [[1989年]])<br />
* [[4月16日]] - [[ヤコブ・ギンペル]]、[[ピアニスト]](+ 1989年)<br />
* [[4月22日]] - [[エディ・アルバート]]、俳優(+ [[2005年]])<br />
* [[4月28日]] - [[クルト・ゲーデル]]、[[数学者]](+ 1978年)<br />
* 4月28日 - [[パウル・ザッハー]]、指揮者(+ [[1999年]])<br />
<br />
=== 5月 ===<br />
* [[5月3日]] - [[メアリー・アスター]]、女優(+ [[1987年]])<br />
* [[5月6日]] - [[アンドレ・ヴェイユ]]、数学者(+ [[1998年]])<br />
* [[5月8日]] - [[ロベルト・ロッセリーニ]]、[[映画監督]](+ [[1977年]])<br />
* [[5月9日]] - [[金子鴎亭]]、[[書家]](+ [[2001年]])<br />
* [[5月10日]] - [[吉行エイスケ]]、小説家(+ [[1940年]])<br />
* [[5月11日]] - [[ジャクリーン・コクラン]]、[[パイロット]](+ [[1980年]])<br />
* [[5月24日]] - [[ハリー・ハモンド・ヘス]]、[[海洋科学者]](+ [[1969年]])<br />
* [[5月25日]] - [[村上朝一]]、第6代[[最高裁判所長官]](+ 1987年)<br />
<br />
=== 6月 ===<br />
* [[6月1日]] - [[ウォルター・レッグ]]、レコーディング・プロデューサー(+ [[1979年]])<br />
* [[6月2日]] - [[橋本龍伍]]、元[[文部大臣]]・[[厚生大臣]](+ [[1962年]])<br />
* [[6月3日]] - [[ジョセフィン・ベーカー]]、[[ジャズ]][[歌手]](+ [[1975年]])<br />
* 6月3日 - [[八田一朗]]、[[アマチュアレスリング]]選手・[[政治家]](+ [[1983年]]) <br />
* [[6月7日]] - [[渋谷天外 (2代目)]]、[[喜劇俳優]]・[[劇作家]](+ [[1983年]]) <br />
* [[6月9日]] - [[陸定一]]、中華人民共和国の政治家(+ [[1996年]])<br />
* [[6月17日]] - [[トーマス・カウリング]]、天文学者(+ [[1990年]])<br />
* [[6月19日]] - [[エルンスト・ボリス・チェーン]]、[[生化学|生化学者]](+ [[1979年]])<br />
* [[6月22日]] - [[ビリー・ワイルダー]]、映画監督(+ [[2002年]])<br />
* [[6月24日]] - [[ピエール・フルニエ]]、[[チェロ]]奏者(+ [[1986年]])<br />
* [[6月28日]] - [[マリア・ゲッパート=メイヤー]]、物理学者(+ [[1972年]])<br />
* [[6月30日]] - [[アンソニー・マン]]、映画監督(+ [[1967年]])<br />
<br />
=== 7月 ===<br />
* [[7月1日]] - [[エスティ・ローダー]]、[[エスティローダー]]創業者(+ [[2004年]])<br />
* [[7月2日]] - [[ハンス・ベーテ]]、物理学者(+ [[2005年]])<br />
* [[7月4日]] - [[ヴェロ・コプナー・ウィン=エドワーズ]]、[[動物行動学|動物行動学者]](+ [[1997年]])<br />
* [[7月7日]] - [[サチェル・ペイジ]]、野球選手(+ [[1982年]])<br />
* [[7月18日]] - [[シドニー・ダーリントン]]、[[電子工学]]研究者(+ [[1997年]])<br />
* [[7月20日]] - [[西郷吉之助]]、元[[法務大臣]](+ [[1997年]])<br />
* [[7月28日]] - [[木俣修]]、[[歌人]](+ [[1983年]])<br />
<br />
=== 8月 ===<br />
* [[8月5日]] - [[ジョン・ヒューストン]]、[[映画監督]]・[[脚本家]]・[[俳優]](+ [[1987年]]) <br />
* [[8月9日]] - [[田中千代 (教育者)|田中千代]]、[[教育者]]・服飾[[デザイナー]](+ [[1999年]])<br />
* [[8月14日]] - [[ホルスト・P・ホルスト]]、[[写真家]](+ 1999年)<br />
* [[8月16日]] - [[曻地三郎]]、[[教育者]]・[[教育学者]]<br />
* [[8月18日]] - [[野口元夫]]、[[俳優]]、[[寿司]]研究家(+ [[1991年]])<br />
<br />
=== 9月 ===<br />
* [[9月8日]] - [[ロッテル・エミーリア]]、[[フィギュアスケート]]選手(+ [[2003年]])<br />
* [[9月15日]] - [[ジャック・ベッケル]]、フランスの[[映画監督]](+ [[1960年]]) <br />
* [[9月20日]] - [[酒井田柿右衛門|第十三代酒井田柿右衛門]]、[[陶芸家]](+ [[1982年]])<br />
* [[9月24日]] - [[宇都宮徳馬]]、[[政治家]]・[[実業家]](+ [[2000年]]) <br />
* [[9月25日]] - [[ドミートリイ・ショスタコーヴィチ]]、[[作曲家]](+ [[1975年]])<br />
* [[9月28日]] - [[フーベルト・バルワーザー]]、[[フルート奏者]](+ [[1985年]])<br />
<br />
=== 10月 ===<br />
* [[10月1日]] - [[小野寺百合子]]、[[翻訳家]](+ [[1998年]])<br />
* [[10月20日]] - [[坂口安吾]]、[[小説家]](+ [[1955年]])<br />
* [[10月27日]] - [[大野一雄]]、[[舞踏家]](+ [[2010年]])<br />
* [[10月30日]] - [[ジュゼッペ・ファリーナ]]、[[フォーミュラ1|F1]][[レーサー]](+ [[1966年]])<br />
* 10月30日 - [[須藤克三]]、[[教育者]]・[[児童文学者]](+ [[1982年]])<br />
<br />
=== 11月 ===<br />
* [[11月1日]] - [[西園寺公一]]、[[政治家]](+ [[1993年]]) <br />
* [[11月2日]] - [[ルキノ・ヴィスコンティ]]、映画監督(+ [[1976年]])<br />
* [[11月3日]] - [[アルマ・ロゼ]]、[[ヴァイオリニスト]](+ [[1944年]])<br />
* 11月3日 - [[滑川道夫]]、教育家・[[児童文学者]](+ [[1992年]]) <br />
* [[11月6日]] - [[江上波夫]]、[[考古学者]](+ [[2002年]]) <br />
* [[11月13日]] - [[久保喬]]、[[児童文学作家]](+ [[1998年]])<br />
* 11月13日 - [[滝沢修]]、俳優・[[演出家]](+ [[2000年]])<br />
* [[11月15日]] - [[野々村一男]]、[[彫刻家]](+ [[2008年]])<br />
* [[11月17日]] - [[本田宗一郎]]、[[本田技研工業]]創業者(+ [[1991年]])<br />
* [[11月18日]] - [[アレック・イシゴニス]]、自動車技術者(+ [[1988年]])<br />
* [[11月19日]] - [[森部静武]]、[[ヴァイオリニスト]](+ [[1994年]])<br />
* [[11月24日]] - [[鈴木真砂女]]、[[俳人]](+ [[2003年]]) <br />
* [[11月30日]] - [[ジョン・ディクスン・カー]]、[[推理作家]](+ [[1977年]])<br />
<br />
=== 12月 ===<br />
* [[12月7日]] - [[松井潤子]]、女優(+ [[1989年]])<br />
* [[12月9日]] - [[グレース・ホッパー]]、[[軍人]]・[[計算機科学]]者(+ [[1992年]])<br />
* [[12月10日]] - [[伊東静雄]]、[[詩人]](+ [[1953年]]) <br />
* [[12月18日]] - [[兼子一]]、[[法学者]](+ [[1973年]])<br />
* [[12月21日]] - [[林竹二]]、[[教育哲学]]者(+ [[1985年]])<br />
* [[12月25日]] - [[エルンスト・ルスカ]]、[[物理学者]](+ [[1988年]])<br />
* [[12月29日]] - [[山本安英]]、[[新劇]][[俳優|女優]](+ [[1993年]]) <br />
* [[12月30日]] - [[セルゲイ・コロリョフ]]、[[ロケット]]開発指導者(+ [[1966年]])<br />
* 12月30日 - [[キャロル・リード]]、イギリスの映画監督(+ [[1976年]]) <br />
<br />
== 死去 ==<br />
=== 1月 ===<br />
* [[1月4日]] - [[岩村高俊]]、[[武士]]・[[陸援隊]]・[[官僚]]・[[華族]]・[[貴族院 (日本)|貴族院議員]](* [[1845年]])<br />
* 1月4日 - [[九条道孝]]、[[公卿]]・[[左大臣]]・貴族院議員・華族・[[東京海上日動火災保険|東京海上保険会社]]創業者(* [[1839年]])<br />
* 1月4日 - [[福地源一郎]]、[[幕臣]]・[[ジャーナリスト]]・[[作家]](* [[1841年]])<br />
* [[1月10日]] - [[京極高典]]、[[丸亀藩#多度津藩|多度津藩主]]・華族(* [[1836年]])<br />
* [[1月13日]] - [[アレクサンドル・ポポフ (物理学者)|アレクサンドル・ポポフ]]、[[物理学者]](* [[1859年]])<br />
* [[1月14日]] - [[ウラディーミル・スターソフ]]、[[評論家|芸術評論家]](* [[1824年]])<br />
* [[1月29日]] - [[クリスチャン9世 (デンマーク王)|クリスチャン9世]]、[[デンマーク君主一覧|デンマーク国王]](* [[1818年]])<br />
<br />
=== 2月 ===<br />
* [[2月27日]] - [[サミュエル・ラングレー]]、天文学者(* [[1834年]])<br />
<br />
=== 3月 ===<br />
<br />
=== 4月 ===<br />
* [[4月10日]] - [[ゲオルギー・ガポン]]、[[司祭]](* [[1870年]])<br />
* [[4月11日]] - [[フランシス・チャーチ]]、[[新聞記者]](* [[1839年]])<br />
* [[4月13日]] - [[ウォルター・ウェルドン]]、[[生物学者]](* [[1860年]])<br />
* [[4月18日]] - [[横井時冬]]、[[歴史家|歴史学者]](* [[1860年]])<br />
* [[4月19日]] - [[ピエール・キュリー]]、物理学者・[[ノーベル物理学賞]]受賞者(* [[1859年]])<br />
* 4月19日 - [[スペンサー・ゴア]]、[[テニス]]選手(* [[1850年]])<br />
* [[4月25日]] - [[ジョン・ノウルズ・ペイン]]、[[作曲家]](* [[1839年]])<br />
* [[4月27日]] - [[木村荘平]]、実業家・政治家(* [[1841年]])<br />
* [[4月]] - [[松浦脩]]、[[平戸藩#支藩|平戸新田藩主]](* [[1832年]])<br />
<br />
=== 5月 ===<br />
* [[5月23日]] - [[ヘンリック・イプセン]]、[[劇作家]](* [[1828年]])<br />
* [[5月29日]] - [[沖牙太郎]]、[[技術者]]・[[明工舎]]創業者(* [[1848年]])<br />
<br />
=== 6月 ===<br />
* [[6月5日]] - [[パウル・ドルーデ]]、物理学者(* [[1863年]])<br />
* 6月5日 - [[エドゥアルト・フォン・ハルトマン]]、[[哲学者]](* [[1842年]])<br />
* [[6月14日]] - [[ジョルジュ・ライエ]]、天文学者(* [[1839年]])<br />
* [[6月]] - [[サイゾンビー]]、[[競走馬]](* [[1902年]])<br />
<br />
=== 7月 ===<br />
* [[7月5日]] - [[クレメンス・ウィルヘルム・ヤコブ・メッケル]]、[[軍人]](* [[1842年]])<br />
* [[7月23日]] - [[児玉源太郎]]、軍人・[[陸軍省#陸軍大臣|陸軍大臣]]・[[参謀本部 (日本)#歴代参謀総長|参謀総長]]・[[台湾総督府#歴代台湾総督|台湾総督]]・華族(* [[1852年]])<br />
* [[7月24日]] - [[乃美織江]]、武士(* [[1822年]])<br />
* [[7月29日]] - [[アレクサンドル・ルイジーニ]]、作曲家・[[クラシック音楽の演奏家一覧#ヴァイオリン奏者|ヴァイオリニスト]](* [[1850年]])<br />
<br />
=== 8月 ===<br />
* [[8月20日]] - [[徳川茂承]]、[[紀州藩#歴代藩主|紀州藩主]](* [[1844年]])<br />
* [[8月25日]] - [[荒井宣行]]、武士・[[額兵隊]]隊士(* [[1832年]])<br />
<br />
=== 9月 ===<br />
* [[9月1日]] - [[ジュゼッペ・ジャコーザ]]、[[詩人]]・劇作家(* [[1847年]])<br />
* [[9月5日]] - [[ルートヴィッヒ・ボルツマン]]、物理学者・哲学者(* [[1844年]])<br />
* [[9月13日]] - [[アルブレヒト・フォン・プロイセン (1837-1906)|アルブレヒト・フォン・プロイセン]]、[[ホーエンツォレルン家]]王族・軍人(* [[1837年]])<br />
* [[9月28日]] - [[佐々友房]]、[[教育者]]・[[衆議院議員]](* [[1854年]])<br />
<br />
=== 10月 ===<br />
* [[10月18日]] - [[フリードリヒ・バイルシュタイン]]、[[化学者]](* [[1838年]])<br />
* [[10月22日]] - [[ポール・セザンヌ]]、[[画家]](* [[1839年]])<br />
* [[10月27日]] - [[海江田信義]]、武士・[[奈良県]][[都道府県知事|知事]]・貴族院議員・華族(* [[1832年]])<br />
<br />
=== 11月 ===<br />
* [[11月15日]] - [[楢崎龍|お龍]]、[[坂本龍馬]]の妻(* [[1841年]])<br />
* [[11月29日]] - [[伊達宗徳]]、[[宇和島藩|宇和島藩主]](* [[1830年]])<br />
<br />
=== 12月 ===<br />
* [[12月7日]] - [[エリー・デュコマン]]、[[ジャーナリスト]]・[[平和運動|平和運動家]](* [[1833年]])<br />
<br />
=== 日時不詳 ===<br />
* 日時不詳 - [[安里安恒]]、[[空手道|空手家]](* [[1828年]]か[[1827年]])没年も[[1903年]]の可能性もあり<br />
* 日時不詳 - [[荒川亀斎]]、[[彫刻家]]・[[発明家]](* [[1827年]])<br />
* 日時不詳 - [[相良知安]]、[[医師|医者]](* [[1836年]])<br />
<br />
== ノーベル賞 ==<br />
* [[ノーベル物理学賞|物理学賞]] - [[ジョセフ・ジョン・トムソン]] (Sir Joseph John Thomson)<br />
* [[ノーベル化学賞|化学賞]] - [[アンリ・モアッサン]] (Henri Moissan)<br />
* [[ノーベル生理学・医学賞|生理学・医学賞]] - [[カミッロ・ゴルジ]] (Camillo Golgi), [[サンティアゴ・ラモン・イ・カハール]] (Santiago Ramón y Cajal)<br />
* [[ノーベル文学賞|文学賞]] - [[ジョズエ・カルドゥッチ]] (Giosuè Carducci)<br />
* [[ノーベル平和賞|平和賞]] - [[セオドア・ルーズベルト]] (Theodore Roosevelt)<br />
<br />
== フィクションのできごと ==<br />
*[[8月19日]] - 2005年8月19日から曽我淳が無理矢理タイムトラベルさせられる。その際に現代の大学の場所である当時の沼に溺れてエアコンのリモコンを紛失。さらに河童に間違われたことで未来に影響を与えて命からがら2005年へ帰還する([[サマータイムマシン・ブルース]])。<br />
<br />
[[Category:1906年|*]]</div>
ウマスラ
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E5%B9%B3%E5%B2%A1%E6%A2%93&diff=230245
平岡梓
2014-06-01T17:53:02Z
<p>ウマスラ: /* 梓と三島由紀夫 */</p>
<hr />
<div>'''平岡 梓'''(ひらおか あずさ、[[1894年]]([[明治]]27年)[[10月12日]] - [[1976年]]([[昭和]]51年)[[12月16日]])は、[[日本]]の[[農商務省 (日本)|農商務]][[官僚]]。<br />
<br />
作家・[[三島由紀夫]]の父。[[内務省 (日本)|内務]][[官僚]]・[[平岡定太郎]]の長男。<br />
<br />
== 略歴 ==<br />
1894年(明治27年)10月12日、[[東京府]][[赤坂 (東京都港区)|赤坂]]山王下で、父・[[平岡定太郎]]([[内務省 (日本)|内務]][[官僚]])と母・[[平岡なつ|永井なつ]](東京府[[士族]]・[[大審院]]判事・[[永井岩之丞]]の長女)との間に長男として生まれる。[[本籍地]]は[[兵庫県]][[印南郡]][[志方村]](現在の[[加古川市]][[志方町]])上富木119番地。梓の名は、定太郎の恩師・[[小野梓]]に由来する。<br />
<br />
1912年(明治45年)3月、[[開成中学校・高等学校|開成中学]]を卒業後、2浪し、1914年(大正3年)9月に入学した[[第一高等学校 (旧制)|第一高等学校]]を経て、[[東京大学|東京帝国大学]][[法学部]]法律学科(独法)に入学。1919年(大正8年)、[[高等文官試験]]を一番で合格。[[大蔵省]]を受けたが面接官の印象がよくなく[[農商務省 (日本)|農商務省]](現・[[農林水産省]])に内定する。1920年(大正9年)7月、東京帝国大学を卒業し、農商務省に入省。同期入省に[[岸信介]](のちの[[総理大臣]])や[[民法]][[学者]]の[[我妻栄]]がいた<ref>[[我妻栄]]『文章のスタイル』([[ジュリスト]]226号 1961年5月15日号に掲載)</ref>。岸信介とは一高、帝国大学でも同窓であった(岸は一高へ現役入学のため年齢は2歳下となる)。<br />
<br />
1924年(大正13年)4月19日、[[平岡倭文重|橋倭文重]]([[漢学者]]・[[橋健三]]の次女)と結婚。両親と同居する[[東京市]][[四谷区]]永住町2番地(現・[[東京都]][[新宿区]][[四谷]]4丁目22番)の住居に嫁を迎え入れる。翌年の1925年(大正14年)1月14日に長男・[[三島由紀夫|公威]]を儲ける。公威が生まれて49日目に、「二階で赤ん坊を育てるのは危険だ」という口実の下、母・[[平岡なつ|夏子]](なつ)は公威を両親から奪い自室で育て始める。妻・[[平岡倭文重|倭文重]]が[[授乳]]する際も、夏子が時間を計ったという。<br />
<br />
同年の1925年(大正14年)、[[農商務省 (日本)|農商務省]]が、[[農林省]](現・[[農林水産省]])と[[商工省]](現・[[経済産業省]])に分割され、梓は農林省[[蚕糸]]局へ行く。同局に1927年(昭和2年)、[[楠見義男]]が配属されてくる。<br />
<br />
1928年(昭和3年)2月23日に長女・[[平岡美津子|美津子]]、1930年(昭和5年)1月19日に二男・[[平岡千之|千之]]を儲ける。1937年(昭和12年)4月、中等科に進んだ[[三島由紀夫|公威]]も引き連れ、[[渋谷区]][[大山町 (渋谷区)|大山町]]15番地(現・渋谷区[[松濤]]2丁目4番8号)へ転居する。これを機に、母・[[平岡なつ|夏子]]から長男・公威を引き離す。<br />
<br />
1937年(昭和12年)10月、農林省[[営林署|営林局]][[事務官]]に就任。[[大阪市|大阪]]営林局長となる。1941年(昭和16年)1月21日に農林省[[水産庁|水産局]]長に就任するまでの約3年間、大阪に[[単身赴任]]する。<br />
<br />
1942年(昭和17年)3月、[[水産庁|水産局]]長を最後に農林省を退官。日本[[瓦斯]]用[[木炭]]株式会社社長に就任する。1945年(昭和20年)10月23日、長女・[[平岡美津子|美津子]]を[[腸チフス]]で亡くす。同年の終戦で会社は機能停止、昭和21年10月、日本[[薪炭]]株式会社となるが、昭和23年1月に政府命令で閉鎖される。<br />
<br />
1965年(昭和40年)、期外として[[東京弁護士会]]に登録(第9682号)したが、[[弁護士]]業務はおこなわなかった。<br />
<br />
1970年(昭和45年)11月25日、作家の長男・[[三島由紀夫|公威]]が[[自衛隊]][[市ヶ谷駐屯地]]で[[割腹]][[自決]]する([[三島事件]])。<br />
<br />
1976年(昭和51年)12月16日、肺に溜まった[[膿]][[漿液|漿]]による呼吸困難のため、[[虎ノ門病院]]で死去。享年82。12月18日、葬儀・告別式が、[[港区 (東京都)|港区]][[愛宕 (東京都港区)|愛宕]]の[[青松寺]]で営まれた。<br />
<br />
== 人物像 ==<br />
==== 官僚として ====<br />
: [[農林省]]で梓の7年後輩の[[楠見義男]]によれば、「私は[[蚕糸]]局の繭糸課でしたが、平岡さんはすでに蚕業課に2年おられた。(中略)入って一か月くらいのとき僕は繭糸課長に呼ばれ“隣の課の平岡君はあまり仕事熱心でなく業務が滞りがちなので手伝ってやってくれんかね”と言われた」<ref name="inose">[[猪瀬直樹]]『ペルソナ 三島由紀夫伝』(文藝春秋、1995年)</ref>という。<br />
<br />
: [[楠見義男]]によると、梓は昼近くになると、「よう、楠見君」と声をかけ、[[三越]]の特別食堂ができると、よく梓に連れて行かれたという。夕方、時間になると「さあ、帰ろう」と誘い、帰路、[[明治屋]]でよく一緒にコーヒーを飲んだという。楠見義男は、「平岡さんはいつも砂糖を入れない真っ黒なやつ(ブラック)を飲んでいました。都会人なので農林省は肌が合わなかったのでしょうか」と述べている。また、「退庁時間が近づくとソワソワするような人だった。同期の[[岸信介|岸さん]]も“あいつは駄目だからなぁ”と放ってました」とも述べている。[[猪瀬直樹]]の解説によると、梓は席にいたためしがなく、廊下をうろうろし、暇そうな事務官を見つけては油を売っている“廊下トンビ”だったという<ref name="inose"/>。<br />
<br />
==== 梓と三島由紀夫 ====<br />
: 官僚時代は、[[大蔵省|大蔵]]官僚に[[予算]]の折衝で何度も煮え湯を飲まされたので、せめてその[[仇討ち]]と長男・[[三島由紀夫|公威]]を[[大蔵省]]に入省させたく、執拗に叱咤激励していった<ref name="andou">[[安藤武]]『三島由紀夫の生涯』(夏目書房、1998年)</ref>。<br />
<br />
: [[平岡なつ|夏子]]によって息子が軟弱に育てられたという反省から、男らしく育てようと意気込み、[[三島由紀夫|公威]]が、大好きな猫をかわいがったりする光景も男らくしない癪にさわる行為と映り、梓は猫を思い切って捨てた。しかし、公威はどこからか代わりの猫を探してきて、またかわいがって飼っている。そんなことの繰り返しの末、今度、梓は猫の餌に鉄粉を混ぜて、死なそうとしたという。しかし猫は衰弱するどころか、かえって元気になっていった<ref name="azusa">平岡梓『倅・三島由紀夫』(文藝春秋、1972年)</ref>。<br />
<br />
: 文学に熱中する息子・公威の姿を苦々しく思った梓は、執筆中の公威の自室に突如侵入し、書きかけの原稿を破り捨て、叱り飛ばした。公威は、梓が1937年(昭和12年)10月から1941年(昭和16年)1月まで[[大阪市|大阪]]に単身赴任した時期を利用して、存分に小説を執筆する。公威の妹・[[平岡美津子|美津子]]と[[聖心女子学院中等科・高等科|聖心女子学院]]で同級生だった[[紀平悌子]](旧姓・佐々悌子)によると、美津子は、「かわいそうなの、うちのお兄ちゃま。(中略)お父さまは、小説家なんかにならずに役人になれっていうし、お兄ちゃまが小説を書いていると、いい顔をしないの。ひどいのよお父さまったら、お兄ちゃまの原稿用紙をみつけると、片っ端から破って捨てちゃうの。ほんとうにかわいそう。(中略)お兄ちゃまがお父さまに反抗すると、想像もつかないほど怒り狂うのよ、お父さまは」と語っていたという<ref name="nichiroku">[[安藤武]]『三島由紀夫「日録」』(未知谷、1996年</ref>。<br />
<br />
: 梓は1944年(昭和19年)、公威が[[東京帝国大学]]に入る際にも[[文学部]]への進学に猛反対して[[法学部]]に進ませた。しかし、三島は後年、このことを梓に感謝した。法学部での教育が自らの文学に類稀な論理性を与えたと信じていたからである。これは、三島文学に対する梓唯一の貢献として知られている<ref>三島由紀夫『法律と文学』([[東大]][[緑会]]大会プログラム、1961年12月)、三島由紀夫『私の小説作法』([[毎日新聞]] 1964年5月10日に掲載)</ref>。<br />
<br />
: 戦時中は当時の[[軍国主義]]的風潮に染まりきって[[ドイツ国 (1933年-1945年)|ナチス・ドイツ]]を賛美していた梓だったが、[[日本の降伏|敗戦]]によって価値観が一変し、「これからは文化の時代だから精を出して小説を書け」と三島を激励するまでになった。<br />
<br />
: 三島は[[大蔵省]]の仕事と作家活動が重複し多忙であった。依頼された原稿の執筆で、睡眠時間は3、4時間で朝6時には起床し出勤するという状態を続けていた。文学への思いは断ちきれず、梓にどうか大蔵省を辞めて小説家で身を立てさせてほしいと繰り返し懇願したが、「馬鹿なこと言うな。絶対許さん」と梓は頑強に承知しなかった。妻・[[平岡倭文重|倭文重]]が仲を取り持とうとすると、「貴様、俺の味方をして、二人力を合わせて倅を口説くのが女房であり、母である。それを向うの味方になるということがあるかっ!」と近所中に聞こえそうな大声で怒鳴りつけたという<ref name="andou"/>。<br />
<br />
: 『[[仮面の告白]]』の執筆前の1948年(昭和23年)、三島が勤めを辞めて小説に専念したいと申し出た時には、「[[朝日新聞]]に連載が持てるような一流の作家になること」を条件として渋々ながら退職を許可した。梓は、三島が雑誌「人間」に短編を発表していた1947年(昭和22年)頃、[[鎌倉文庫]]の編集長・[[木村徳三]]を訪ね、「あなた方は、公威が若くて、ちょっと文章がうまいものだから、[[舞妓|雛妓]]、[[半玉]]を可愛がるような調子でごらんになっているのじゃありませんか。あれで[[椎名麟三]]さんのようになれるものですかね。朝日新聞に載るような一人前の作家になれますか。どうお考えなのでしょうか」と尋ねたという。この父親の来社を木村は三島には報告しなかったという<ref>[[木村徳三]]『文芸編集者の戦中戦後』(大空社、1995年)(底本『文芸編集者 その跫音』([[TBSブリタニカ]]、1982年)</ref>。<br />
<br />
: 1946年(昭和21年)12月14日、[[太宰治]]を囲む会に出席した帰り道、[[練馬]]から[[渋谷駅]]まで三島と一緒だった[[中村稔 (詩人)|中村稔]]は、渋谷駅の[[ハチ公]]口を出ると、そこに三島の父親が迎えに来ていたと述べている。「終電車に近い時刻で、いまとなっては想像しにくいかもしれないけど、殆んど人通りがなかった。私たち三人は、現在の[[東急デパート]]の辺りをとおって、三島氏の[[松涛]]の住居まで、三島氏の父君が旧い[[第一高等学校 (旧制)|一高]]の出身だ、というような話をお聞きしながら、歩いていった。それから私は[[駒場]]の[[寄宿舎]]へ帰ったわけだが、その間、まるで嫁入り前の娘みたいだなあ、と私は思っていた。何時帰るか分からない息子を寒い真冬の深夜、いつまでも駅に立って待っている父親は、私にはじつに異様にみえたのである」<ref>[[中村稔 (詩人)|中村稔]]『三島由紀夫氏の思い出』([[ユリイカ (雑誌)|ユリイカ]] 1976年10月号に掲載)、中村稔『私の昭和史 戦後編上』([[青土社]]、2008年)にも収む。</ref>と語っている。<br />
<br />
: 風貌が[[永井荷風]]を思わせたことから、三島からは蔭で“荷風先生”と呼ばれていた。ちなみに、永井荷風とは[[平岡なつ|夏子]]の家系での遠い親戚にあたる。なお、三島は自身の件で、父親に面会する相手には、手紙で、「父は変わり者なので、無礼はご寛容下さい(大意)」と述べた事もあったという。梓は晩年は、近場の食べ歩きを趣味としていた。<br />
<br />
: [[三島事件|三島の没後]]の1972年(昭和47年)に、回想録『伜・三島由紀夫』を[[文藝春秋]]から上梓([[文春文庫]]で1996年(平成8年)再刊)。たくまざる[[ブラックユーモア]]と露悪的な筆致が話題を呼んだ。続編『伜・三島由紀夫 没後』(妻・[[平岡倭文重|倭文重]]との回想対談も含む)も、1974年(昭和49年)に出している。<br />
<br />
==== 性格・人柄など ====<br />
: [[野坂昭如]]著『赫奕たる逆光 私説・三島由紀夫』111 - 112頁によると、 「梓は小心な、いわゆる[[役人]]気質、[[開成中学校・高等学校|開成中学]]からの受験に、二度失敗すると、[[神経衰弱 (精神疾患)|神経衰弱]]風となり、三島の[[文学]]志向に異常なほど反対した梓だが、この時期、文芸、[[哲学]]書に親しんでいる。彼もまた、性格の極端に対立する両親に悩まされたといえないでもない、もっとも父はほとんど不在、梓の中学在籍時と[[平岡定太郎|定太郎]]の長官時代がほぼ重なるのだが、梓は、“後四年で家は[[華族]]だ”と父の地位を鼻にかけ、友人に顰蹙(ひんしゅく)されている」という。また、「梓は、[[平岡定太郎|定太郎]]について、“[[酒]]よし[[女]]よし、一世紀ほど時代のずれた人物”といっているが、梓の女遊びもかなりのもの、十三年から十六年にかけて、大阪[[営林署|営林局]]長在職中、[[ダンサー]]に入れ揚げ、[[神戸]][[福原 (神戸市)|福原]][[遊郭]]の小店に、馴染みがいた。また[[宗右衛門町]]、[[花隈町|花隈]]、[[先斗町]]の[[茶屋]]にも足を向けて放恣にふるまっている」<ref name="nosaka">[[野坂昭如]]『赫奕たる逆光 私説・三島由紀夫』([[文藝春秋]]、1987年)</ref>という。<br />
<br />
: また、同著146頁によると、「父はほとんど家にいない、母にかえりみられず、梓も、人間をよく知らぬまま育った、情緒面で、まったく乾き切った人柄、五ヵ月足らずの本省[[水産庁|水産局]]長で退官の経歴も、一つにはそのせいといわれる。劣等意識から、上に楯つくのはいいが、下の者に対しきわめて傲慢。親族づき合いは、エリートを輩出した母の生家に恭しく、父の系統には侮蔑の限りをつくした。梓の大阪時代、下僕の如くつくし、金銭的面倒をみた[[従弟]]に対してのみ例外だったが、しかし彼が戦後落ちぶれて、少々の援助を頼んだ時、ケンもホロロに追い返し、ついに[[廃品回収|屑屋]]で生計を立てると聞いて、“平岡家の血族が屑屋をやるとは許せぬ。上京せよ”と命じ、結局、何の手助けもしないまま、屑屋が立ち行かなくなると、一言、“それでよし”といったのだ」<ref name="nosaka"/>という。<br />
<br />
: [[増村保造]](三島が主演した映画『[[からっ風野郎]]』の監督)は映画完成後、三島邸に招待された際、梓から、「下手な役者をあそこまできちんと使って頂いて」と礼を言われ驚いたという。増村は三島に怪我をさせて申し訳ないと思っていたのに逆に礼を言われ、帰り道に、「明治生まれの男は偉い」と梓をほめていたという<ref name="fujii">[[藤井浩明]]「座談会 映画製作の現場から」(『三島由紀夫と映画 三島由紀夫研究2』)(鼎書房、2006年)</ref>。<br />
<br />
== 家族 親族 ==<br />
; 父・[[平岡定太郎|定太郎]]([[内務省 (日本)|内務]][[官僚]]、第3代・[[樺太庁]][[長官]])<br />
; 母・[[平岡なつ|夏子]](東京府[[士族]]・元[[大審院]]判事[[永井岩之丞]]の長女。[[幕臣]]・[[玄蕃寮|玄番頭]]・[[永井尚志]]の孫)<br />
; 妻・[[平岡倭文重|倭文重]]([[漢学者]]・[[橋健三]]の次女)<br />
; 長男・[[三島由紀夫|公威]](作家)<br />
; 長女・[[平岡美津子|美津子]]<br />
; 次男・[[平岡千之|千之]](外交官)<br />
; 孫 <br />
: [[平岡紀子|紀子]](演出家)<br />
:: 1959年(昭和34年)6月2日生。1990年(平成2年)9月24日、冨田浩司(外交官)と結婚し、富田との間に二女一男を儲けている。<br />
: [[平岡威一郎|威一郎]](元実業家)<br />
:: 1962年(昭和37年)5月2日生。映画の助監督を経て、1988年(昭和63年)9月9日、[[東京都]][[中央区 (東京都)|中央区]][[銀座]]に宝飾店「アウローラ」を開店したが、のちに閉店。映画『[[春の雪 (映画)|春の雪]]』、『三島由紀夫映画論集成』(ワイズ出版、1999年)の監修、編集に携わる。<br />
<br />
== 系譜 ==<br />
; 平岡家<br />
平岡家系図<br />
<pre><br />
孫左衛門━孫左衛門━利兵衛━平岡利兵衛━利兵衛━太左衛門━┓<br />
┃<br />
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛<br />
┃<br />
┗━太吉━━━┓<br />
┣━┳━萬次郎━━┓<br />
寺岡つる━┛ ┃ ┣┳こと<br />
┃ 桜井ひさ━┛┗萬壽彦<br />
┃<br />
┣━定太郎━━┓<br />
┃ ┣━梓━┳━公威(三島由紀夫)━┓<br />
┃ 永井なつ━┛ ┃ ┣┳━紀子<br />
┃ ┃ 杉山瑤子━━━━━━┛┃<br />
┃ ┃ ┗━威一郎<br />
┃ ┣━美津子<br />
┣━久太郎━━┓ ┗━千之<br />
┃ ┣┳義夫<br />
┃ (?)━━┛┗義一<br />
┃<br />
┗━むめ━━━┓<br />
┣┳義之<br />
田中豊蔵━┛┣義顕<br />
┣繁<br />
┗儀一<br />
</pre><br />
<br />
== 参考文献 ==<br />
* [[猪瀬直樹]]『ペルソナ 三島由紀夫伝』([[文藝春秋]]、1995年)<br />
* [[秦郁彦]] 『日本近現代人物履歴事典』([[東京大学]]出版会、2002年) <br />
* [[野坂昭如]]『赫奕たる逆光 私説・三島由紀夫』(文藝春秋、1987年)<br />
* 平岡梓『倅・三島由紀夫』(文藝春秋、1972年)<br />
<br />
== 関連人物 ==<br />
* [[岸信介]]<br />
* [[我妻栄]]<br />
* [[三輪寿壮]]<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
<references /><br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
* [http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/H/hiraoka_a.html 平岡梓の墓]<br />
<br />
{{三島由紀夫}}<br />
{{DEFAULTSORT:ひらおか あすさ}}<br />
[[Category:日本の農林官僚]]<br />
[[Category:平岡家|あすさ]]<br />
[[Category:日本の弁護士]]<br />
[[Category:東京都出身の人物]]<br />
[[Category:兵庫県出身の人物]]<br />
[[Category:1895年生]]<br />
[[Category:1976年没]]</div>
ウマスラ
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=1904%E5%B9%B4&diff=230244
1904年
2014-06-01T17:52:21Z
<p>ウマスラ: /* 3月 */</p>
<hr />
<div>'''1904年'''(1904 ねん)は、[[西暦]]([[グレゴリオ暦]])による、[[金曜日から始まる閏年]]。<br />
<br />
== 他の紀年法 ==<br />
* [[干支]]:[[甲辰]]<br />
* [[日本]](月日は一致)<br />
** [[明治]]37年<br />
** [[皇紀]]2564年<br />
* [[清]]:[[光緖]]29年11月14日 - 光緖30年11月25日<br />
* [[朝鮮]](月日は一致)<br />
**[[大韓帝国]]・[[光武 (元号)|光武]]8年<br />
**[[檀君紀元|檀紀]]4237年<br />
* [[阮朝]]([[ベトナム]]):[[成泰]]15年11月14日 - 成泰16年11月25日<br />
* [[仏滅紀元]]:2446年10月14日 - 2447年閏9月9日<br />
* イスラム[[ヒジュラ暦]]:1321年10月12日 - 1322年10月23日<br />
* [[ユダヤ暦]]:5664年4月13日 - 5665年4月23日<br />
* [[修正ユリウス日]](MJD):16480 - 16845<br />
* [[リリウス日]](LD):117321 - 117686<br />
<div style="font-size:smaller"><br />
※檀紀は、[[大韓民国]]で[[1948年]]に法的根拠を与えられたが、[[1962年]]からは公式な場では使用されていない。<br />
</div><br />
<br />
==カレンダー==<br />
{{年間カレンダー|年=1904}}<br />
<br />
== できごと ==<br />
=== 1月 ===<br />
*[[1月7日]] - [[グリエルモ・マルコーニ]]が[[遭難信号]]として[[SOS|CQD]]を確立<br />
*[[1月15日]] - [[大阪朝日新聞]]で[[天声人語]]連載開始<br />
*[[1月17日]] - [[アントン・チェーホフ]]戯曲「[[桜の園]]」初演([[モスクワ芸術座]])<br />
=== 2月 ===<br />
*[[2月4日]] - [[日露戦争]]: [[御前会議]]で対露交渉の断絶と軍事行動の開始を決定<br />
*[[2月6日]] - 日露戦争: [[栗野慎一郎]]駐露公使が日露交渉の打切りを[[ロシア]]に通告<br />
*[[2月7日]] - 米国[[バルチモア]]で[[:en:Great Baltimore Fire|大火]]<br />
*[[2月8日]] - 日露戦争: 日本海軍が[[旅順]]港外のロシア艦隊を攻撃。事実上の日露戦争開戦。[[仁川沖海戦]]<br />
*[[2月10日]] - 日露戦争: 日本とロシアが相互に宣戦布告<br />
*[[2月17日]] - [[ジャコモ・プッチーニ]]歌劇「[[蝶々夫人]]」初演([[ミラノ・スカラ座]])<br />
*[[2月23日]]<br />
**[[日韓議定書]]調印<br />
**米国が[[パナマ運河地帯]]を[[租借]]<br />
*[[2月24日]]<br />
**日露戦争: 第1次[[旅順港閉塞作戦]]実施<br />
**日露戦争: [[金子堅太郎]]が対米工作のため渡米<br />
**日露戦争: [[高橋是清]]が戦費調達のため渡米<br />
*[[2月29日]] - 米国が[[パナマ運河]]建設のため調査開始<br />
=== 3月 ===<br />
*[[3月1日]] - [[第9回衆議院議員総選挙]]<br />
*[[3月13日]] - アルゼンチン・チリ国境でクリスト・レドントール像([[:en:Christ the Redeemer of the Andes|Christ the Redeemer of the Andes]])開幕式<br />
*[[3月27日]] - 日露戦争: 第2次[[旅順港閉塞作戦]]実施。[[広瀬武夫]]中佐戦死。<br />
<br />
=== 4月 ===<br />
*[[4月1日]] - 非常特別税法と煙草専売法が公布<br />
*[[4月8日]]<br />
**[[英仏協商]]が成立([[イギリス]]における[[エジプト]]、[[フランス]]における[[モロッコ]]について相互の権益を承認)<br />
**[[アレイスター・クロウリー]]が「[[法の書]]」を受信したとされる<br />
*[[4月23日]] - [[米国芸術文学アカデミー]]([[:en:American Academy of Arts and Letter|American Academy of Arts and Letter]])創立<br />
*[[4月30日]] - [[セントルイス万国博覧会]]開幕(〜12月1日)<br />
<br />
=== 5月 ===<br />
*[[5月2日]] - 日露戦争: 第3次[[旅順港閉塞作戦]]実施<br />
*[[5月4日]] - 米国が[[パナマ運河]]を起工(完成[[1914年]])<br />
*[[5月9日]] - 英国で機関車[[トルーロ号]]([[:en:GWR 3700 Class 3440 City of Truro|City of Truro]])が時速100マイルを突破したとされる<br />
*[[5月18日]] - [[帝国議会|第20特別議会]]召集<br />
*[[5月21日]] - [[国際サッカー連盟]]創立<br />
*[[ベトナム]]で[[ファン・ボイ・チャウ]]らがベトナム維新会を設立<br />
<br />
=== 6月 ===<br />
* [[6月25日]] - 芝浦製作所(後の[[東芝]])設立<br />
<br />
=== 7月 ===<br />
*[[7月1日]] - 第3回[[夏季オリンピック]]が[[セントルイスオリンピック|セントルイス]]で開催(〜11月23日)<br />
*[[7月4日]] - [[イタリア]]の[[ラルデレロ]]で世界初の[[地熱発電]]試験成功<br />
*[[7月15日]] - 米国で初めて仏教寺院が建立([[ロサンゼルス]]東本願寺)<br />
*[[横浜正金銀行]]本店竣工<br />
=== 8月 ===<br />
*[[8月14日]] - 日露戦争: [[蔚山沖海戦]]<br />
*[[8月19日]] - 日露戦争: 第1次旅順総攻撃開始<br />
*[[8月20日]] - 日露戦争: [[宗谷沖海戦]]<br />
*[[8月22日]] - 第1次[[日韓協約]]調印<br />
*[[8月23日]] - 米国で[[タイヤチェーン]]が特許化<br />
*[[8月24日]] - 日露戦争: [[バルチック艦隊]]の太平洋派遣が決定<br />
<br />
=== 9月 ===<br />
* [[9月1日]] - [[与謝野晶子]]「君死に給ふこと勿れ」掲載(『明星』)<br />
* [[9月8日]] - [[屯田兵]]廃止<br />
<br />
=== 10月 ===<br />
*[[10月3日]] - モロッコ分割に関して、仏西協定が成立<br />
*[[10月16日]] - 日露戦争: バルチック艦隊がリバウ軍港を出港<br />
*[[10月17日]] - バンク・オブ・イタリア (後の[[バンク・オブ・アメリカ]])開業([[サンフランシスコ]])<br />
*[[10月18日]] - [[グスタフ・マーラー]][[交響曲第5番 (マーラー)|交響曲第5番]]初演([[ケルン]]) <br />
*[[10月21日]] - 日露戦争: [[ドッガーバンク事件]]: 日本に向けて[[北海]]を航行中だったバルチック艦隊が[[イギリス]]の[[トロール船]]を日本の[[魚雷艇]]と誤認し砲撃<br />
*[[10月27日]] - [[ニューヨーク市地下鉄]]開業<br />
<br />
=== 11月 ===<br />
* [[11月8日]] - [[アメリカ合衆国大統領選挙|米大統領選挙]]で[[セオドア・ルーズベルト]]が勝利<br />
* [[11月13日]] - [[カール・マルクス]]と[[フリードリヒ・エンゲルス]]「[[共産党宣言]]」([[幸徳秋水]]と[[堺利彦]]訳)[[発禁]]<br />
<br />
=== 12月 ===<br />
*[[12月3日]] - 日露戦争: 旅順[[203高地]]で遺体回収のため休戦: 日露両兵士が野宴により交歓<br />
*[[12月5日]] - 日露戦争: 日本軍が旅順[[203高地]]を占領<br />
*[[12月6日]] - [[三越呉服店]]設立(12月20日開業)<br />
*[[12月27日]] - [[ジェームス・マシュー・バリー]]「[[ピーター・パン]]」初演(ロンドン)<br />
*[[12月28日]] - [[帝国議会|第21議会]]召集<br />
*[[12月29日]] - 日露戦争: バルチック艦隊(本隊)が[[マダガスカル]]に入港<br />
<br />
=== 日付不詳 ===<br />
* 1月 - [[朝永三十郎]]編纂「哲学辞典」。<br />
* 1月 - [[丘浅次郎]]「進化論講話」。[[進化論]]の解説書が多数登場する。<br />
*[[セントルイス万国博覧会]]初めて[[ハンバーガー]]発売<br />
*オランダ領東インド(現在の[[インドネシア]])成立<br />
*ヴァイブロプレックス、ホレース・G・マーチン発明の半自動[[電鍵]]で特許取得。<br />
*[[清]]で最後の[[科挙]]実施<br />
<br />
== 誕生 ==<br />
=== 1月 ===<br />
* [[1月1日]] - [[桜田一郎]]、[[化学者]](+ [[1986年]])<br />
* 1月1日 - [[富田常雄]]、[[小説家]](+ [[1967年]]) <br />
* [[1月2日]] - [[稲山嘉寛]]、[[実業家]]・第5代[[経済団体連合会|経団連]]会長(+ [[1987年]]) <br />
* [[1月12日]] - [[ジョセフ・ガーシェンソン]]、作曲家<br />
* [[1月18日]] - [[ケーリー・グラント]]、[[俳優]](+ [[1986年]]) <br />
* [[1月22日]] - [[ジョージ・バランシン]]、[[バレエ]][[振付師]](+ [[1983年]])<br />
* [[1月29日]] - [[アルノルト・ゲーレン]]、[[哲学者]]・[[社会学者]](+ [[1976年]])<br />
<br />
=== 2月 ===<br />
* [[2月3日]] - [[ルイージ・ダッラピッコラ]]、[[作曲家]](+ [[1975年]])<br />
* [[2月5日]] - [[美濃部亮吉]]、[[東京都]][[知事]]、[[参議院議員]](+ [[1984年]])<br />
* 2月5日 - [[ローレンス・ウェイジャー]]、[[地質学者]]・[[探検家]](+ [[1965年]])<br />
* [[2月13日]] - [[唐木順三]]、[[評論家]]・[[哲学者]]・[[思想家]](+ [[1980年]])<br />
* [[2月15日]] - [[更科源蔵]]、詩人・[[アイヌ]]文化研究家(+ [[1985年]]) <br />
* [[2月17日]] - [[ハンス・モーゲンソウ]]、[[国際政治学]]者(+ [[1980年]])<br />
<br />
=== 3月 ===<br />
* [[3月1日]] - [[グレン・ミラー]]、バンド[[指揮者]] (+ [[1944年]])<br />
* [[3月1日]] - [[森泰吉郎]]、[[実業家]]・[[経営史]]学者、[[森ビル]]の創業者(+ [[1993年]]) <br />
* [[3月2日]] - [[ドクター・スース]]、絵本作家(+ [[1991年]])<br />
* [[3月3日]] - [[今井達夫]]、小説家 (+ [[1978年]])<br />
* [[3月4日]] - [[ジョージ・ガモフ]]、[[理論物理学者]](+ [[1968年]]) <br />
* [[3月5日]] - [[水谷準]]、[[小説家]](+ [[2001年]])<br />
* 3月5日 - [[アレクセイ・コスイギン]]、[[政治家]]、[[ソビエト連邦]]首相(+ [[1980年]]) <br />
* [[3月6日]] - [[吉井淳二]]、[[洋画家]](+ [[2004年]])<br />
* [[3月7日]] - [[ラインハルト・ハイドリヒ]]、[[ドイツ国 (1933年-1945年)|ナチス・ドイツ]]国家保安本部長官(+ [[1942年]])<br />
* 3月7日 - [[武見太郎]]、[[日本医師会]]会長(+ [[1983年]]) <br />
* [[3月12日]] - [[関屋敏子]]、[[声楽家]]・[[作曲家]](+ [[1941年]])<br />
* [[3月17日]] - [[ハイム・グロース]]、[[彫刻家]](+ [[1991年]])<br />
* 3月17日 - [[桜田武]]、[[経営者]](+ [[1985年]]) <br />
* [[3月18日]] - [[吉川幸次郎]]、[[中国文学者]](+ [[1980年]])<br />
* [[3月20日]] - [[バラス・スキナー]]、[[心理学者]](+ [[1990年]])<br />
* [[3月26日]] - [[木山捷平]]、作家(+ [[1968年]])<br />
<br />
=== 4月 ===<br />
* [[4月6日]] - [[ジョルジュ・ゴーチ]]、[[フィギュアスケート]]選手(+ [[1985年]])<br />
* 4月6日 - [[常書鴻]]、[[画家]](+ [[1994年]])<br />
* [[4月13日]] - [[木村秀政]]、[[航空工学]]者(+ [[1986年]]) <br />
* [[4月15日]] - [[アーシル・ゴーキー]]、画家(+ [[1948年]])<br />
* [[4月21日]] - [[ジャン・エリオン]]、画家(+ [[1987年]])<br />
* [[4月22日]] - [[ロバート・オッペンハイマー]]、[[物理学者]](+ [[1967年]])<br />
* [[4月24日]] - [[ウィレム・デ・クーニング]]、画家(+ [[1997年]])<br />
* [[4月27日]] - [[セシル・デイ=ルイス]]、作家・[[詩人]](+ [[1972年]])<br />
* [[4月30日]] - [[任弼時]]、中華人民共和国の政治家(+ [[1950年]])<br />
<br />
=== 5月 ===<br />
* [[5月1日]] - [[貝塚茂樹]]、[[東洋史学者]](+ [[1987年]]) <br />
* [[5月9日]] - [[武田麟太郎]]、[[小説家]](+ [[1946年]])<br />
* 5月9日 - [[グレゴリー・ベイトソン]]、[[研究者]](+ [[1980年]])<br />
* [[5月10日]] - [[桑原武夫]]、[[フランス文学者]](+ [[1988年]]) <br />
* [[5月11日]] - [[サルバドール・ダリ]]、[[画家]](+ [[1989年]])<br />
* [[5月13日]] - [[笠智衆]]、俳優(+ [[1993年]])<br />
* [[5月17日]] - [[ジャン・ギャバン]]、俳優(+ [[1976年]])<br />
* [[5月20日]] - [[マージェリー・アリンガム]]、[[推理作家]](+ [[1966年]])<br />
* 5月20日 - [[永井龍男]]、[[小説家]]・[[随筆家]]・[[編集者]](+ [[1990年]]) <br />
* [[5月21日]] - [[弘世現]]、[[実業家]]、[[日本生命]]社長(+ [[1996年]]) <br />
* [[5月24日]] - [[南部忠平]]、[[陸上競技選手]](+ [[1997年]]) <br />
* [[5月26日]] - [[ヴラド・ペルルミュテール]]、[[ピアニスト]](+ [[2002年]])<br />
* [[5月30日]] - [[ソリー・ズッカーマン]]、[[動物学者]](+ [[1993年]])<br />
<br />
=== 6月 ===<br />
* [[6月1日]] - [[佐多稲子]]、[[小説家]](+ [[1998年]]) <br />
* [[6月2日]] - [[ジョニー・ワイズミュラー]]、[[水泳選手]]・[[俳優]](+ [[1984年]]) <br />
* [[6月4日]] - [[末広恭雄]]、[[水産学者]]・[[随筆家]]・[[作曲家]](+ [[1988年]])<br />
* [[6月20日]] - [[フランシス・ペティジョン]]、[[地質学者]](+ [[1999年]])<br />
* [[6月24日]] - [[谷口吉郎]]、[[建築家]](+ [[1979年]])<br />
<br />
=== 7月 ===<br />
* [[7月5日]] - [[エルンスト・マイヤー]]、[[生物学者]](+ [[2005年]])<br />
* [[7月7日]] - [[高木東六]]、[[作曲家]](+ [[2006年]]) <br />
* 7月7日 - [[宇野信夫]]、歌舞伎狂言作者(+ [[1991年]]) <br />
* [[7月8日]] - [[アンリ・カルタン]]、[[数学者]](+ [[2008年]])<br />
* [[7月12日]] - [[パブロ・ネルーダ]]、[[詩人]](+ [[1973年]]) <br />
* [[7月15日]] - [[千田是也]]、[[演出家]]・[[俳優]](+ [[1994年]]) <br />
* [[7月19日]] - [[荒井源吉]]、[[政治家]]、[[武蔵野市]]初代[[市長]](+ [[1983年]])<br />
* [[7月22日]] - [[ドナルド・ヘッブ]]、[[心理学者]](+ [[1985年]])<br />
* [[7月24日]] - [[平塚武二]]、[[児童文学者]](+ [[1971年]])<br />
* [[7月28日]] - [[パーヴェル・チェレンコフ]]、[[物理学者]](+ [[1990年]])<br />
<br />
=== 8月 ===<br />
* [[8月5日]] - [[橋本明治]]、[[日本画家]](+ [[1991年]])<br />
* [[8月6日]] - [[ジュリアーノ・ボンファンテ]]、[[言語学者]](+ [[2005年]])<br />
* [[8月16日]] - [[源田実]]、[[海軍軍人]]・[[航空自衛官]]・[[政治家]](+ [[1989年]]) <br />
* [[8月21日]] - [[奥野高廣]]、[[歴史学者]](+ [[2000年]])<br />
* 8月21日 - [[カウント・ベイシー]]、ジャズ[[ピアノ奏者]](+ [[1984年]]) <br />
* [[8月22日]] - [[トウ小平|鄧小平]]、[[中華人民共和国]]の[[政治家]](+ [[1997年]])<br />
* [[8月23日]] - [[テルマ・ファーネス]]、ファーネス子爵夫人(+ [[1970年]])<br />
<br />
=== 9月 ===<br />
* [[9月1日]] - [[幸田文]]、小説家(+ [[1990年]])<br />
* [[9月13日]] - [[海老原喜之助]]、[[洋画家]](+ [[1970年]])<br />
* 9月13日 - [[永沢富士雄]]、[[プロ野球選手]](+ [[1985年]])<br />
* [[9月14日]] - [[橋本國彦]]、[[作曲家]]・[[指揮者]]・[[ヴァイオリニスト]](+ [[1949年]])<br />
* [[9月17日]] - [[フレデリック・アシュトン]]、[[バレエ]]ダンサー・[[振付師]](+ [[1988年]])<br />
<br />
=== 10月 ===<br />
* [[10月2日]] - [[グレアム・グリーン]]、[[小説家]](+ [[1991年]]) <br />
* 10月2日 - [[大隅健一郎]]、[[商法]][[法学者|学者]](+ [[1998年]])<br />
* [[10月11日]] - [[榎本健一]]、[[喜劇俳優]]・[[歌手]]・[[コメディアン]](+ [[1970年]])<br />
* [[10月17日]] - [[長谷健]]、[[小説家]](+ [[1957年]])<br />
<br />
=== 11月 ===<br />
* [[11月12日]] - [[安西正夫]]、[[実業家]](+ [[1972年]])<br />
* [[11月17日]] - [[イサム・ノグチ]]、[[彫刻家]](+ [[1988年]])<br />
* [[11月18日]] - [[古賀政男]]、作曲家(+ [[1978年]])<br />
* [[11月21日]] - [[エドモンド・ハミルトン]]、[[SF作家]](+ [[1977年]])<br />
* [[11月22日]] - [[丹羽文雄]]、小説家(+ [[2005年]])<br />
* 11月22日 - [[ミゲル・コバルビアス]]、[[画家]](+ [[1957年]])<br />
* [[11月25日]] - [[巴金]]、[[小説家]]・[[翻訳家]](+ [[2005年]]) <br />
* [[11月27日]] - [[福田豊四郎]]、[[日本画家]](+ [[1970年]]) <br />
<br />
=== 12月 ===<br />
* [[12月16日]] - [[横沢三郎]]、[[プロ野球選手]]、審判(+ [[1995年]])<br />
* [[12月18日]] - [[ジョージ・スティーヴンス]]、[[映画監督]](+ [[1975年]])<br />
* [[12月20日]] - [[藤本定義]]、プロ野球監督(+ [[1981年]])<br />
* [[12月25日]] - [[舟橋聖一]]、[[小説家]](+ [[1976年]]) <br />
* [[12月28日]] - [[堀辰雄]]、[[作家]](+ [[1953年]]) <br />
* [[12月30日]] - [[ドミトリー・カバレフスキー]]、作曲家(+ [[1987年]])<br />
<br />
== 死去 ==<br />
=== 1月 ===<br />
* [[1月1日]] - [[近衛篤麿]]、[[華族]]・[[貴族院 (日本)|貴族院議員]](* [[1863年]])<br />
* [[1月2日]] - [[マチルド・ボナパルト]]、[[ナポレオン・ボナパルト]]一族(* [[1820年]])<br />
* [[1月9日]] - [[井伊直憲]]、[[彦根藩|彦根藩藩主]](* [[1848年]])<br />
* 1月9日 - [[チャールズ・フォスター (財務長官)|チャールズ・フォスター]]、[[オハイオ州]][[知事]](* [[1828年]])<br />
* [[1月10日]] - [[ジャン=レオン・ジェローム]]、[[画家]]・[[彫刻家]](* [[1824年]])<br />
* [[1月17日]] - [[天田愚庵]]、[[歌人]](* [[1854年]])<br />
<br />
=== 2月 ===<br />
* [[2月2日]] - [[ウィリアム・コリンズ・ホイットニー]]、[[弁護士]]・[[政治家]](* [[1841年]])<br />
* [[2月11日]] - [[ウラジミール・マルコフニコフ]]、[[化学者]](* [[1838年]])<br />
* [[2月13日]] - [[オクターブ・カランドロー]]、[[天文学者]](* [[1852年]])<br />
* [[2月29日]] - [[アンリ・J・ペロタン]]、天文学者(* [[1845年]])<br />
<br />
=== 3月 ===<br />
* [[3月2日]] - [[宮地堅磐]]、[[神職]](* [[1852年]])<br />
* [[3月9日]] - [[井上正直]]、[[浜松藩|浜松藩主]]・[[鶴舞藩|鶴舞藩主]](* [[1837年]])<br />
* [[3月12日]] - [[高野房太郎]]、[[社会統計学|社会統計学者]]・[[労働組合]]運動先駆者(* [[1869年]])<br />
* [[3月22日]] - [[レズリー・スティーヴン]]、文学史家・思想史家(* [[1832年]])<br />
* [[3月27日]] - [[広瀬武夫]]、[[軍人]](* [[1868年]])<br />
<br />
=== 4月 ===<br />
* [[4月10日]] - [[イサベル2世 (スペイン女王)|イサベル2世]]、[[スペイン]][[女王]](* [[1830年]])<br />
* [[4月13日]] - [[斎藤緑雨]]、[[小説家]]・[[評論家]](* [[1868年]])<br />
* 4月13日 - [[ヴァシーリー・ヴェレシチャーギン]]、[[画家]](* [[1842年]])<br />
* [[4月16日]] - [[サミュエル・スマイルズ]]、[[作家]]・[[医者]](* [[1812年]])<br />
* [[4月26日]] - [[ジョン・コーウェン]]、[[アメリカ合衆国下院|議員]](* [[1844年]])<br />
* [[4月28日]] - [[ドミトリー・シピャーギン]]、[[政治家]](* [[1853年]])<br />
<br />
=== 5月 ===<br />
* [[5月1日]] - [[アントニン・ドヴォルザーク]]、[[作曲家]](* [[1841年]])<br />
* [[5月6日]] - [[アレキサンダー・ウィリアムソン]]、化学者(* [[1824年]])<br />
* [[5月10日]] - [[ヘンリー・モートン・スタンリー]]、[[ジャーナリスト]]・[[探検家]](* [[1841年]])<br />
* [[5月14日]] - [[フョードル・ブレディキン]]、天文学者(* [[1831年]])<br />
* [[5月16日]] - [[エティエンヌ=ジュール・マレー]]、[[生理学者]](* [[1830年]])<br />
* [[5月22日]] - [[上野彦馬]]、[[写真家]](* [[1838年]])<br />
* [[5月27日]] - [[永山武四郎]]、軍人・華族・[[北海道庁 (1886-1947)|北海道庁長官]]・貴族院議員(* [[1837年]])<br />
* 5月27日 - [[乃木勝典]]、軍人(* [[1879年]])<br />
* [[5月30日]] - [[フリードリヒ・ヴィルヘルム (メクレンブルク=シュトレーリッツ大公)|フリードリヒ・ヴィルヘルム]]、[[メクレンブルク=シュトレーリッツ大公国]]国王(* [[1819年]])<br />
<br />
=== 6月 ===<br />
* [[6月17日]] - [[キッド・カーリー]]、[[ガンマン]]・[[アウトロー]](* [[1865年]])<br />
* 6月17日 - [[ニコライ・ボブリコフ]]、軍人・政治家(* [[1839年]])<br />
<br />
=== 7月 ===<br />
* [[7月1日]] - [[ジョージ・フレデリック・ワッツ]]、[[画家]]・[[彫刻家]](* [[1817年]])<br />
* [[7月3日]] - [[テーオドール・ヘルツル]]、[[シオニズム]]運動家(* [[1860年]])<br />
* [[7月5日]] - [[松平康英]]、[[棚倉藩|棚倉藩主]]・[[川越藩|川越藩主]](* [[1830年]])<br />
* [[7月14日]] - [[ポール・クリューガー]]、[[トランスヴァール共和国]]大統領(* [[1825年]])<br />
* [[7月15日]] - [[アントン・チェーホフ]]、[[劇作家]]・[[小説家]](* [[1860年]])<br />
* 7月15日 - [[ヴャチェスラフ・プレーヴェ]]、政治家(* [[1846年]])<br />
<br />
=== 8月 ===<br />
* [[8月6日]] - [[エドゥアルト・ハンスリック]]、[[音楽評論家]](* [[1825年]])<br />
* [[8月7日]] - [[市川左團次 (初代)|市川左團次]]、[[歌舞伎]][[役者]](* [[1842年]])<br />
* 8月7日 - [[山口素臣]]、[[軍人]](* [[1846年]])<br />
* [[8月9日]] - [[フリードリヒ・ラッツェル]]、[[地理学者]]・[[生物学者]](* [[1844年]])<br />
* [[8月12日]] - [[川村純義]]、[[武士]]・軍人・華族(* [[1836年]])<br />
* 8月12日 - [[ウィリアム・レンショー]]、[[テニス]]選手(* [[1861年]])<br />
* [[8月25日]] - [[アンリ・ファンタン=ラトゥール]]、[[画家]]・[[版画家]](* [[1836年]])<br />
* [[8月29日]] - [[ムラト5世]]、[[オスマン帝国の君主|オスマン帝国君主]](* [[1840年]])<br />
* [[8月20日]] - [[ケイト・ショパン]]、作家・小説家・詩人(* [[1851年]])<br />
* [[8月31日]] - [[橘周太]]、軍人(* [[1865年]])<br />
<br />
=== 9月 ===<br />
* [[9月10日]] - [[レオ・スターン]]、[[チェリスト]](* [[1862年]])<br />
* [[9月23日]] - [[エミール・ガレ]]、[[工芸家]]・[[デザイナー]](* [[1846年]])<br />
* [[9月24日]] - [[ニールス・フィンセン]]、医者・[[科学者]]・[[ノーベル生理学・医学賞]]受賞者(* [[1860年]])<br />
* [[9月26日]] - [[小泉八雲]]、[[作家]]・[[随筆家]]・小説家(* [[1850年]])<br />
<br />
=== 10月 ===<br />
* [[10月4日]] - [[フレデリク・バルトルディ]]、[[彫刻家]](* [[1834年]])<br />
* [[10月7日]] - [[イザベラ・バード]]、旅行家・[[随筆家]](* [[1831年]])<br />
* [[10月8日]] - [[クレメンス・ヴィンクラー]]、化学者(* [[1838年]])<br />
* [[10月15日]] - [[ゲオルク (ザクセン王)|ゲオルク]]、[[ザクセン君主一覧|ザクセン王国国王]](* [[1838年]])<br />
<br />
=== 11月 ===<br />
* [[11月29日]] - [[伊達邦成]]、華族(* [[1841年]])<br />
* [[11月30日]] - [[乃木保典]]、軍人(* [[1881年]])<br />
<br />
=== 12月 ===<br />
* [[12月5日]] - [[ジェイムズ・ノウブル・タイナー]]、第29代[[アメリカ合衆国郵政長官]](* [[1826年]])<br />
* [[12月12日]] - [[ロマン・コンドラチェンコ]]、軍人(* [[1857年]])<br />
* [[12月16日]] - [[横沢三郎]]、元[[プロ野球選手]]、[[プロ野球審判員|審判]](+ [[1995年]])<br />
* [[12月31日]] - [[田中穂積 (作曲家)|田中穂積]]、[[作曲家]]・軍人(* [[1855年]])<br />
* [[12月]] - [[ウジェーヌ・ドマルセー]]、化学者(* [[1852年]])<br />
<br />
=== 日時不詳 ===<br />
* 日時不詳 - [[秋月種樹]]、貴族院議員(* [[1833年]])<br />
* 日時不詳 - [[オーモンド]]、[[競走馬]](* [[1883年]])<br />
* 日時不詳 - [[佐藤助九郎]]、[[佐藤工業]]創業者(* [[1847年]])<br />
* 日時不詳 - [[実成院]]、[[江戸幕府]]14代将軍[[徳川家茂]][[生母]](* [[1821年]])<br />
* 日時不詳 - [[アントニオ・ラブリオーラ]]、哲学者・[[社会主義|社会主義者]](* [[1843年]])<br />
<br />
== ノーベル賞 ==<br />
* [[ノーベル物理学賞|物理学賞]] - [[ジョン・ウィリアム・ストラット]] (Lord John William Strutt Rayleigh)<br />
* [[ノーベル化学賞|化学賞]] - [[ウィリアム・ラムゼー]] (Sir William Ramsay)<br />
* [[ノーベル生理学・医学賞|生理学・医学賞]] - [[イワン・パブロフ|イワン・ペトロビッチ・パブロフ]] (Ivan Petrovich Pavlov)<br />
* [[ノーベル文学賞|文学賞]] - [[フレデリック・ミストラル]] (Frédéric Mistral), [[ホセ・エチェガライ・イ・アイサギレ]] (José Echegaray Y Eizaguirre)<br />
* [[ノーベル平和賞|平和賞]] - [[国際法学会]] (Institut De Droit International)<br />
<br />
[[Category:1904年|*]]</div>
ウマスラ
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=1977%E5%B9%B4&diff=230243
1977年
2014-06-01T17:51:48Z
<p>ウマスラ: /* 1月 */</p>
<hr />
<div>'''1977年'''は、[[西暦]]([[グレゴリオ暦]])による、[[土曜日から始まる平年]]。<br />
<br />
== 他の紀年法 ==<br />
* 干支:[[丁巳]]<br />
* 日本(月日は一致)<br />
** [[昭和]]52年<br />
** [[皇紀]]:2637年<br />
* [[中華民国]](月日は一致)<br />
** [[中華民国暦]]:66年<br />
* [[朝鮮民主主義人民共和国]](月日は一致)<br />
** [[主体暦]]:66年<br />
* [[仏滅紀元]]:2519年 - 2520年<br />
* [[ヒジュラ暦|イスラム暦]]:1397年1月10日 - 1398年1月20日<br />
* [[ユダヤ暦]]:5737年4月11日 - 5738年4月21日<br />
* ユニックス時間:220924800 - 252460799<br />
* [[修正ユリウス日]](MJD):43144 - 43508<br />
* [[リリウス日]](LD):143985 - 144349<br />
<br />
== できごと ==<br />
=== 1月 ===<br />
* [[1月1日]] - [[欧州共同体|EC]]、200海里水域宣言。<br />
* [[1月4日]] - [[青酸コーラ無差別殺人事件]]。<br />
* [[1月18日]] - [[グランヴィル鉄道事故]]が発生、死者83名、重軽傷者210名以上の大惨事に。<br />
* [[1月20日]] - アメリカで[[ジミー・カーター]][[アメリカ合衆国大統領|大統領]]就任。<br />
* [[1月27日]] - [[ロッキード事件]][[丸紅]]ルート初公判。31日[[全日本空輸|全日空]]ルート初公判。<br />
<br />
=== 2月 ===<br />
* [[2月9日]] - スペイン、ソ連と38年ぶり国交回復。<br />
* [[2月10日]] - 日米漁業協定調印。200[[海里]][[排他的経済水域|経済水域]]規定に基づく初の漁業協定。<br />
* [[2月17日]] - [[水戸地方裁判所|水戸地裁]]、[[百里飛行場|百里基地]]訴訟で[[自衛隊]]を合憲と判断。<br />
* 2月17日 - [[沖縄県]]の[[久米島]]で[[霙|みぞれ]]を観測。日本における[[降雪]]の南限記録となった。<br />
* [[2月22日]] - [[青梅マラソン]]において初の死者が出る。<br />
* [[2月25日]] - [[海上自衛隊]]の[[しらね型護衛艦]]1番艦[[しらね (護衛艦)|しらね]]が[[IHI|石川島播磨重工業]]東京第2工場で起工。<br />
<br />
=== 3月 ===<br />
* [[3月1日]] - [[アメリカ合衆国|米]]・[[ソビエト連邦|ソ]]2大国が200海里漁業専管水域を実施。<br />
* [[3月13日]] - [[神戸市営地下鉄西神・山手線]]の[[新長田駅]] - [[名谷駅]]間が開業。<br />
* [[3月15日]] - これまで女性のみに限定されていた[[保育士|保母]]資格が男性でも取得可能となり、保育所の男性職員の名称である保父が正式に認可された。<br />
* 3月15日 - [[宝酒造]]が「宝焼酎 純」を発売。<br />
* [[3月17日]] - [[仙台空港]]行きの全日空機が2回もハイジャックされる事件が発生([[全日空724便ハイジャック事件|724便ハイジャック事件]]・[[全日空817便ハイジャック事件|817便ハイジャック事件]])。<br />
* [[3月18日]] - [[名古屋市営地下鉄鶴舞線]]の[[伏見駅 (愛知県)|伏見駅]] - [[八事駅]]間が開業。<br />
* [[3月27日]] - [[カナリア諸島]]でジャンボ機同士の衝突事故が発生([[テネリフェ空港ジャンボ機衝突事故]])。<br />
<br />
=== 4月 ===<br />
* [[4月1日]] - NETテレビが全国朝日放送に社名変更(愛称:[[テレビ朝日]]→[[2003年]]から正式社名に)。[[教育]]専門局から[[総合]]局に。<br />
* 4月1日 - [[桃屋]]が「五目寿司のたね 大びん」を発売。<br />
* [[4月4日]] - [[三菱電機]]がオーブンレンジを発売。<br />
* [[4月6日]] - [[大阪市営地下鉄谷町線]]の[[守口駅]] - [[都島駅]]間が開業。谷町線は守口駅 - [[天王寺駅]]間までの運転となる。<br />
* [[4月7日]] - [[第49回選抜高等学校野球大会|第49回選抜高校野球大会]]は[[和歌山県|和歌山]]・[[和歌山県立箕島高等学校|箕島高校]]が7年ぶり2度目のセンバツ優勝。<br />
* [[4月15日]] - [[小学館]]から『[[月刊コロコロコミック|コロコロコミック]]』が創刊される。<br />
* [[4月24日]] - [[中山千夏]]らを代表とする「[[革新自由連合]]」が発足。<br />
* [[4月28日]] - [[山梨県]]、[[ジャン=フランソワ・ミレー|ミレー]]の「種まく人」など3点の絵画作品を3億1500万円で購入。翌年開館の[[山梨県立美術館]]に所蔵。<br />
* [[4月29日]] - [[全日本柔道選手権大会]]で[[山下泰裕]]が19歳の史上最年少で初優勝。以後同大会で9連覇を達成する。<br />
<br />
=== 5月 ===<br />
* [[5月2日]] - [[大学入試センター]]が発足。<br />
* [[5月7日]] - [[ロンドン]]で[[第3回先進国首脳会議|第3回サミット]]開催( - 8日)。<br />
* [[5月20日]] - 日産自動車が「[[日産・オースター|オースター]]」を発売([[8月8日]]には「[[日産・スタンザ|スタンザ]]」を発売)。<br />
* [[5月21日]] - [[ソニー]]が13型カラーテレビ「サイテーション」を発売。<br />
<br />
=== 6月 ===<br />
* [[6月1日]] - [[日本専売公社]]がマイルド風味のたばこ「[[マイルドセブン]]」を発売、30年以上続くロングセラーとなる。<br />
* [[6月13日]] - トヨタ自動車が「[[トヨタ・チェイサー|チェイサー]]」を発売。<br />
* [[6月15日]] - [[和歌山県]][[有田市]]で集団[[コレラ]]が発生。<br />
* [[6月30日]] - [[東南アジア条約機構]]が発足から23年目で解散。<br />
<br />
=== 7月 ===<br />
* [[7月1日]] - 領海法施行、日本の[[領海]]を海岸より12海里と定める。<br />
* [[7月10日]] - [[第11回参議院議員通常選挙]]投票日。<br />
* [[7月13日]] - [[1977年ニューヨーク大停電|ニューヨーク大停電]]。[[ニューヨーク]]で[[落雷]]が原因の[[停電]]が起こり、復旧までの3日間に900万人が影響を受けた。<br />
* 7月13日 - [[津地鎮祭訴訟]]の[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]][[大法廷]][[判決]]。本判決で最高裁判所はいわゆる[[目的効果基準]]を採用。<br />
* [[7月14日]] - 日本初の静止[[気象衛星]]「[[ひまわり (気象衛星)|ひまわり]]」(後の「ひまわり1号」)打ち上げ。<br />
* [[7月27日]] - [[本田技研工業]]が「[[ホンダ・アクティ|アクティ]]」を発売([[1981年]]には「[[ホンダ・ストリート|ストリート]]」を発売)。<br />
* [[7月31日]] - 第1回[[全国高等学校総合文化祭]]が[[千葉県]]で開催される。<br />
<br />
=== 8月 ===<br />
* [[8月7日]] - [[有珠山]]が噴火活動を開始( - [[1978年|翌年]][[10月27日]])。<br />
* [[8月20日]] - [[第59回全国高等学校野球選手権大会|第59回全国高校野球選手権大会]]は[[兵庫県|兵庫]]・[[東洋大学附属姫路高等学校|東洋大姫路高校]]が[[高校野球|春夏甲子園大会]]を通じ史上初の決勝戦サヨナラ本塁打で初優勝。これにより決勝戦は3年連続で[[サヨナラゲーム]]に。<br />
* 8月20日 - [[横浜DeNAベイスターズ|大洋]]が建設中の[[横浜スタジアム]]へ移転することを[[川崎市]]へ通達(シーズン終了後、横浜大洋ホエールズに改称)。<br />
* [[8月26日]] - [[岡原昌男]]が第8代[[最高裁判所長官]]に就任。<br />
<br />
=== 9月 ===<br />
* 9月下旬 - 10月上旬 - 芸能界[[大麻|マリファナ]]汚染事件。[[研ナオコ]]、[[内藤やす子]]、[[錦野旦|にしきのあきら]]、[[美川憲一]]、[[井上陽水]]、[[上田正樹]]らが逮捕される。<br />
* [[9月3日]] - [[読売ジャイアンツ|巨人]]の[[王貞治]]選手が対[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルト]]戦でホームラン世界新記録の756号を達成(投手:[[鈴木康二朗]])。<br />
* [[9月5日]] - [[国民栄誉賞]]が創設される。王貞治が第1回目の受賞者に。<br />
* [[9月5日]] - [[ボイジャー1号]]が[[ケープカナベラル空軍基地]]のLC41発射台より打ち上げられる<br />
* [[9月9日]] - [[沖永良部台風|台風9号(沖永良部台風)]]が[[沖永良部島]]を直撃。日本の観測史上1位となる最低気圧907.3hPaを記録した。<br />
* [[9月23日]] - [[セントラル・リーグ|セ・リーグ]]で巨人が連覇を達成。<br />
* [[9月26日]] - [[マツダ|東洋工業]]が「[[マツダ・ボンゴ|ボンゴ]]」を発売(2年ぶりに復活)。<br />
* [[9月27日]] - 横浜の住宅密集地に米軍の戦闘機が墜落。母子3名が死傷した([[横浜米軍機墜落事件]])。<br />
* [[9月28日]] - [[ダッカ日航機ハイジャック事件]]が発生。<br />
<br />
=== 10月 ===<br />
* [[10月]] - 日本で[[再放送]]や国外製作番組の放送等の例外を除き、[[白黒テレビ]]放送が廃止(完全カラー放送へ移行)。最後まで白黒放送を行っていた放送局は[[NHK教育テレビジョン|NHK教育テレビ]]。<br />
* [[10月1日]] - 経営難に陥っていた[[安宅産業]]を[[伊藤忠商事]]が吸収合併(詳しくは[[安宅産業破綻]]も参照)。<br />
* [[10月7日]] - [[ソビエト連邦]]で憲法改正。([[ソビエト社会主義共和国連邦憲法 (1977年)]])<br />
* [[10月13日]] - [[ルフトハンザ航空181便ハイジャック事件]]。<br />
* [[10月14日]] - 本田技研工業が「[[ホンダ・アコード|アコード]]」4ドアセダンを発売。<br />
* [[10月15日]] - [[長崎バスジャック事件]]。犯人1名を射殺、人質は全員無事。<br />
* [[10月18日]] - ルフトハンザ航空181便ハイジャック事件、特殊部隊突入で解決。[[ドイツ赤軍]]メンバーが刑務所内で相次ぎ自殺。<br />
* [[10月22日]] - [[スズキ (企業)|鈴木自動車工業]]が「[[スズキ・セルボ|セルボ]]」を発売。<br />
* [[10月27日]] - [[1977年の日本シリーズ|日本シリーズ]]で[[オリックス・バファローズ|阪急]]が3連覇を達成。<br />
* [[10月30日]] - [[開成高校生殺人事件|開成高校生絞殺事件]]。<br />
<br />
=== 11月 ===<br />
* [[11月1日]] - [[ダイハツ工業]]が「[[ダイハツ・シャレード|シャレード]]」を発売。<br />
* [[11月11日]] - [[裡里駅爆発事故]]。(現:[[益山駅]])<br />
* [[11月15日]] - 日本専売公社がメントールたばこ「[[サムタイム (たばこ)|サムタイム]]」を発売。<br />
* [[11月15日]] - 新潟市で横田めぐみさんが下校途中に北朝鮮の工作員に拉致される。<br />
* [[11月19日]] - [[エジプト]]の[[アンワル・アッ=サーダート|サダト]]大統領が[[イスラエル]]を訪問(アラブ諸国の元首として初のイスラエル訪問)。<br />
* [[11月25日]] - [[ハイジャック]]防止法が成立。<br />
* [[11月28日]] - [[福田内閣改造内閣|福田改造内閣]]発足。<br />
<br />
=== 12月 ===<br />
* [[12月4日]] - [[中央アフリカ共和国]]の[[ジャンベデル・ボカサ]]終身大統領が戴冠式を行い[[中央アフリカ帝国]]皇帝ボカサ1世として即位。<br />
* [[12月5日]] - [[日立製作所]]が「チリコン20D」を発売。<br />
* [[12月17日]] - [[リニアモーターカー]]、世界初の浮上走行に成功。<br />
* [[12月21日]] - [[山崎製パン]]のコンビニエンス部門として[[デイリーヤマザキ]]設立。<br />
* [[12月25日]] - [[イギリス]]の喜劇王、[[チャーリー・チャップリン|チャールズ・チャップリン]]死去(88歳)。<br />
<br />
=== 日付不詳 ===<br />
* [[日本ビクター]]が[[CI]]導入し「Victor」ロゴ制定。<br />
<br />
== 芸術・文化・ファッション ==<br />
=== 1977年のスポーツ ===<br />
{{Main|1977年のスポーツ}}<br />
* [[1977年の野球|野球]]<br />
** [[日本プロ野球|プロ野球]]<br />
*** [[セントラル・リーグ|セ・リーグ]]優勝 [[読売ジャイアンツ]]<br />
*** [[パシフィック・リーグ|パ・リーグ]]優勝 [[オリックス・バファローズ|阪急ブレーブス]]<br />
*** [[1977年の日本シリーズ|日本シリーズ]]優勝 阪急ブレーブス(4勝1敗 MVP:[[山田久志]])<br />
*** [[王貞治]](巨人)が[[ハンク・アーロン]]を抜く756号[[本塁打]]の世界新記録を達成(9月3日、対[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルト]]戦)。<br />
** [[高校野球]]<br />
*** [[第49回選抜高等学校野球大会|春]]優勝 [[和歌山県立箕島高等学校|箕島]]([[和歌山県]])<br />
*** [[第59回全国高等学校野球選手権大会|夏]]優勝 [[東洋大学附属姫路高等学校|東洋大姫路]]([[兵庫県]])<br />
* [[大相撲]](幕内最高優勝)<br />
** 初場所 [[輪島大士]]<br />
** 春場所 [[北の湖敏満]]<br />
** 夏場所 [[若乃花幹士 (2代)|若三杉寿人]]<br />
** 名古屋場所 輪島大士<br />
** 秋場所 北の湖敏満<br />
** 九州場所 輪島大士<br />
* 自転車競技<br />
** [[中野浩一]]が日本人として初の自転車世界選手権の優勝を果たす、種目はスクラッチ(現在のスプリント)で、以後10年連続優勝をし、「世界のナカノ」と称される。<br />
* アルペンスキー<br />
** [[海和俊宏]] ワールドカップ男子回転にて日本人初の第1シード入り<br />
* 競馬<br />
** [[第22回有馬記念]]で、「日本競馬界至上最高のレース」と称される[[有馬記念#TTG三強対決|TTG三強対決]]。優勝[[テンポイント]]。<br />
<br />
=== 1977年の文学 ===<br />
* [[芥川龍之介賞|芥川賞]]<br />
** 第77回(1977年上半期) - [[三田誠広]] 『僕って何』、[[池田満寿夫]] 『[[エーゲ海に捧ぐ]]』<br />
** 第78回(1977年下半期) - [[宮本輝]] 『螢川』、高城修三 『榧の木祭り』<br />
* [[直木三十五賞|直木賞]]<br />
** 第77回(1977年上半期) - 該当作品なし<br />
** 第78回(1977年下半期) - 該当作品なし<br />
* [[ベストセラー]]<br />
** [[新田次郎]]『八甲田山死の彷徨』<br />
** [[五木寛之]]『戒厳令の夜』<br />
** [[丸谷才一]]『文章読本』<br />
** [[島尾敏雄]]『死の棘』<br />
<br />
=== 1977年の音楽 ===<br />
{{Main|1977年の音楽}}<br />
* [[勝手にしやがれ (沢田研二の曲)|勝手にしやがれ]]([[沢田研二]])<br />
* [[憎みきれないろくでなし]](沢田研二)<br />
* [[カルメン'77]]([[ピンク・レディー]])<br />
* [[渚のシンドバッド]](ピンク・レディー)<br />
* [[ウォンテッド (指名手配)]](ピンク・レディー)<br />
* [[UFO (ピンク・レディーの曲)|UFO]]([[ピンク・レディー]])<br />
* [[やさしい悪魔]]([[キャンディーズ]])<br />
* [[暑中お見舞い申し上げます]](キャンディーズ)<br />
* [[アン・ドゥ・トロワ]](キャンディーズ)<br />
* [[わな (キャンディーズの曲)|わな]](キャンディーズ)<br />
* [[気まぐれヴィーナス]]([[桜田淳子]])<br />
* [[昔の名前で出ています]]([[小林旭]])<br />
* [[北国の春]]([[千昌夫]])<br />
* [[おんな港町]]([[八代亜紀]])<br />
* [[愛の終着駅]](八代亜紀)<br />
* [[ヘッド・ライト]]([[新沼謙治]])<br />
* [[津軽海峡・冬景色]]([[石川さゆり]])<br />
* [[能登半島 (石川さゆりの曲)|能登半島]](石川さゆり)<br />
* [[雨やどり (さだまさしの曲)|雨やどり]]([[さだまさし]])<br />
* [[夢先案内人]]([[山口百恵]])<br />
* [[イミテイション・ゴールド]]([[山口百恵]])<br />
* [[秋桜 (山口百恵の曲)|秋桜]](山口百恵)<br />
* [[失恋レストラン]]([[清水健太郎]])<br />
* 帰らない/恋人よ(清水健太郎)<br />
* [[フィーリング]]([[ハイ・ファイ・セット]])<br />
* [[迷い道]]([[渡辺真知子]])<br />
* [[冬の稲妻]]([[アリス (フォークグループ)|アリス]])<br />
* [[てぃーんず・ぶるーす]]([[原田真二]])<br />
* [[キャンディ]](原田真二)<br />
* [[あずさ2号]]([[狩人]])<br />
* [[コスモス街道]](狩人)<br />
* [[硝子坂]]([[高田みづえ]])<br />
* [[冬が来る前に]]([[紙ふうせん]])<br />
* [[かけめぐる青春]](ビューティ・ペア)<br />
* [[酒と泪と男と女]]([[河島英五]])<br />
* [[青春時代 (森田公一とトップギャランの曲)|青春時代]]([[森田公一]]とトップ・ギャラン)<br />
* [[朝まで踊ろう]]([[舘ひろし]])<br />
* [[雨の物語]]([[イルカ (歌手)|イルカ]])<br />
* [[しあわせ未満]]([[太田裕美]])<br />
* [[九月の雨]](太田裕美)<br />
* [[思秋期]]([[岩崎宏美]])<br />
* [[むさし野詩人]]([[野口五郎]])<br />
* [[お化けのロック]]([[郷ひろみ]]&[[樹木希林]])<br />
* [[ホテル・カリフォルニア]]([[イーグルス]])<br />
* [[オウン・ウェイ]]([[フリートウッド・マック]])<br />
* [[ダンシング・クイーン]]([[ABBA]])<br />
* [[愛のメモリー (曲)|愛のメモリー]]([[松崎しげる]])<br />
(愛のメモリーは2005年にネット配信サービス「[[iTunes]]」で再びヒットした)<br />
<br />
=== 1977年の映画 ===<br />
{{Main|1977年の映画}}<br />
* 邦画<br />
** [[八甲田山 (映画)|八甲田山]]<br />
** [[惑星大戦争]]<br />
** [[幸福の黄色いハンカチ]]<br />
** [[八つ墓村]]<br />
<br />
* 洋画<br />
** [[007 私を愛したスパイ]][英]<br />
** [[ロッキー (映画)|ロッキー]]<br />
** [[未知との遭遇]]<br />
** [[スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望|スター・ウォーズ]](日本での公開は1978年)<br />
<br />
=== 1977年のテレビ ===<br />
{{Main|1977年のテレビ (日本)}}<br />
* ドラマ<br />
** [[大河ドラマ]]「花神」([[NHK総合テレビジョン|NHK]])、出演:[[中村梅之助 (4代目)|中村梅之助]]、[[浅丘ルリ子]]、[[篠田三郎]]<br />
** [[水曜劇場 (TBS)|水曜劇場]]「[[ムー (テレビドラマ)|ムー]]」([[TBSテレビ|TBS]])、出演:[[伊東四朗]]、[[渡辺美佐子]]、[[郷ひろみ]]、[[清水健太郎]]、[[樹木希林]]<br />
** [[特捜最前線]]([[テレビ朝日]])、出演:[[二谷英明]]、[[藤岡弘、|藤岡弘]]、[[大滝秀治]]<br />
** [[土曜ワイド劇場]](テレビ朝日) - 第1回は[[渥美清]]主演「時間(とき)よ、止まれ」<br />
** [[連続テレビ小説]](NHK)は『[[いちばん星 (テレビドラマ)|いちばん星]]』と『[[風見鶏 (テレビドラマ)|風見鶏]]』。<br />
** [[大都会 PARTII]]([[日本テレビ放送網|日本テレビ]])、出演:[[石原裕次郎]]、[[渡哲也]]、[[松田優作]]<br />
<br />
* バラエティなど諸分野<br />
** [[アメリカ横断ウルトラクイズ]]([[日本テレビ放送網|日本テレビ]])、司会:[[福留功男]]<br />
** [[火曜ワイドスペシャル]]「[[ドリフ大爆笑]]」([[フジテレビジョン|フジテレビ]])、出演:[[ザ・ドリフターズ]]<br />
** [[ヤンヤン歌うスタジオ]]([[テレビ東京|東京12チャンネル]])、司会:[[あのねのね]]<br />
** [[三波伸介の凸凹大学校]](東京12チャンネル)、司会:[[三波伸介 (初代)|三波伸介]]<br />
** [[三枝の国盗りゲーム]]([[ABCテレビ|朝日放送]]。全国放送化は翌[[1978年]]から)、司会:桂三枝(現・[[桂文枝 (6代目)|六代桂文枝]])<br />
<br />
* 特撮<br />
** [[快傑ズバット]](東京12チャンネル 製作・[[東映]])、主演:[[宮内洋]]<br />
** [[ジャッカー電撃隊]](テレビ朝日 製作・東映)、出演:[[丹波義隆]]、[[伊東平山]]、[[ミッチー・ラブ]]、[[風戸祐介]]、宮内洋<br />
** [[ロボット110番]](テレビ朝日 製作・東映)<br />
** [[大鉄人17]]([[MBSテレビ|毎日放送]] 製作・東映)<br />
** [[小さなスーパーマン ガンバロン]](日本テレビ 製作・[[創英舎]])<br />
** [[冒険ファミリー ここは惑星0番地]](テレビ朝日 製作・東映)<br />
** [[恐竜大戦争アイゼンボーグ]](東京12チャンネル 製作・[[円谷プロダクション]])実写+アニメ合成<br />
<br />
=== 1977年のラジオ ===<br />
* [[5月15日]]、[[毎日放送]]の[[MBSラジオ|ラジオ]]周波数、開局以来使用していた1210kcから1180[[キロヘルツ|kHz]]に変更。<br />
* [[10月2日]]、[[決定!全日本歌謡選抜]]([[文化放送]]、パーソナリティ:[[小川哲哉]])放送開始<br />
<br />
=== 1977年のアニメ ===<br />
* [[1月1日]] 「[[ヤッターマン]]([[タイムボカンシリーズ]]第2作)」放映開始<br />
* [[1月2日]] 「[[あらいぐまラスカル]]」([[世界名作劇場]])放映開始<br />
* [[2月3日]] 「[[ジェッターマルス]]」放映開始<br />
* [[3月3日]] 「[[合身戦隊メカンダーロボ]]」放映開始<br />
* [[3月6日]] 「[[惑星ロボ ダンガードA]]」放映開始<br />
* [[4月4日]] 「[[あしたへアタック!]]」、「[[バーバパパ]]」放映開始<br />
* [[4月9日]] 「[[超合体魔術ロボ ギンガイザー]]」放映開始<br />
* [[4月12日]] 「[[氷河戦士ガイスラッガー]]」放映開始<br />
* [[6月4日]] 「[[超電磁マシーンボルテスV]]」放映開始<br />
* [[6月7日]] 「[[シートン動物記 くまの子ジャッキー]]」放映開始<br />
* [[7月3日]] 「[[超人戦隊バラタック]]」放映開始<br />
* [[8月6日]] 映画「[[宇宙戦艦ヤマト]]」([[松本零士]]・[[舛田利雄]]監督)公開<br />
* [[9月12日]] 「[[おれは鉄兵]]」放映開始<br />
* [[9月18日]] 「[[一発貫太くん]]」放映開始<br />
* [[9月22日]] 「[[アローエンブレム グランプリの鷹]]」放映開始<br />
* [[10月1日]] 「[[風船少女テンプルちゃん]]」、「[[巨人の星 (アニメ)|新・巨人の星]]」放映開始<br />
* [[10月2日]] 「[[家なき子 (アニメ)|家なき子]]」放映開始<br />
* [[10月3日]] 「[[ルパン三世 (TV第2シリーズ)|ルパン三世]]」放映開始<br />
* [[10月4日]] 「[[超スーパーカー ガッタイガー]]」放映開始<br />
* [[10月5日]] 「[[とびだせ!マシーン飛竜]]」、「[[まんが日本絵巻]]」放映開始<br />
* [[10月7日]] 「[[恐竜大戦争アイゼンボーグ]]」放映開始<br />
* [[10月8日]] 「[[無敵超人ザンボット3]]」放映開始<br />
* [[10月10日]] 「[[激走!ルーベンカイザー]]」放映開始<br />
* [[10月29日]] 「[[若草のシャルロット]]」放映開始<br />
* [[11月18日]] 「[[まんが偉人物語]]」放映開始<br />
* [[12月13日]] 「[[女王陛下のプティアンジェ]]」放映開始<br />
<br />
=== 1977年のコマーシャル ===<br />
{|border="1" align="center"<br />
|-<br />
|キャッチフレーズなど||商品名など||メーカー||出演者||備考<br />
|-<br />
|愛のメモリー||[[ポッキー]]||[[江崎グリコ]]||[[松崎しげる]]||歌:松崎しげる<br />
|-<br />
| ||[[キリンレモン]]||[[キリンビバレッジ]]||[[片平なぎさ]]||-<br />
|-<br />
| ||シャワランビューティ<br/>([[シャンプー]]・[[リンス]])||[[牛乳石鹸共進社]]||[[ピンク・レディー]]||歌:ピンク・レディー<br />
|-<br />
|香ばしさが、バクハツするの||アーモンドdan||[[江崎グリコ]]||ピンク・レディー||歌:ピンク・レディー<br />
|-<br />
|デカプリン||ハウスプリン||[[ハウス食品]]||[[大場久美子]]||-<br />
|-<br />
|トンデレラ、シンデレラ||[[キンチョール]]||[[大日本除虫菊]]||[[研ナオコ]]||演出:[[川崎徹]]<br />
|-<br />
|コックローチ、コックローチ、<br/>あっち向いてシュッ!||[[コックローチ]]||大日本除虫菊||[[海援隊 (フォークグループ)|海援隊]]<br/>([[武田鉄矢]]・[[千葉和臣]]・[[中牟田俊男]])||同上<br />
|-<br />
|今やろうと思ったのにィ〜||トイレルック||[[ライオン (企業)|ライオン油脂]]||[[西田敏行]]||-<br />
|-<br />
|OH!クッキーフェイス||-||[[カネボウ化粧品]]||[[夏目雅子]]||-<br />
|-<br />
|燃える男の赤いトラクター||ヤンマー[[トラクター|赤トラ]]||[[ヤンマー]]||[[小林旭]]||歌:小林旭<br />
|-<br />
|コンバイ〜ン||ヤンマーコンバイン||ヤンマー||[[伴淳三郎]]・[[フランキー堺]]||-<br />
|-<br />
|喜びの酒、松竹梅||清酒松竹梅||[[宝ホールディングス|宝酒造]]||[[石原裕次郎]]・[[宇野重吉]]||歌:石原裕次郎<br />
|-<br />
| ||ナショナルトランザム<br/>(白黒テレビ)||[[パナソニック|松下電器]]||[[高見山大五郎]]||-<br />
|-<br />
|[[岩手県|イワテケン]]||ナショナルカラーテレビ||松下電器||[[千昌夫]]||-<br />
|-<br />
|俺のパンチは、沖縄のリズムだ。||三菱カラーテレビ・高雄||[[三菱電機]]||[[具志堅用高]]||-<br />
|-<br />
|Come on in COKE||コカ・コーラ||[[コカ・コーラ]]||-||歌:[[トランザム (バンド)|トランザム]]<br />
|-<br />
|涙、涙のめん八珍||めん八珍||[[日清食品]]||[[小松政夫]]||-<br />
|-<br />
|うまーい、太ーい、大きーい||[[日清焼そばU.F.O.]]||日清食品||桂三枝(現・[[桂文枝 (6代目)|六代桂文枝]])||-<br />
|-<br />
|[[ヨハン・ゼバスティアン・バッハ|バッハ]]、[[フランツ・ヨーゼフ・ハイドン|ハイドン]]、親子どん||大塚親子どん||[[大塚食品]]||[[笑福亭仁鶴 (3代目)|笑福亭仁鶴]]||-<br />
|-<br />
|王さんみたいになりたいな||[[ボンカレー]]ゴールド||大塚食品||[[王貞治]]||-<br />
|-<br />
|元気ハツラツ・オロナミンC!<br/>オロナミンCは小さな巨人です||[[オロナミンCドリンク|オロナミンC]]||[[大塚製薬]]||[[大村崑]]・[[張本勲]]・[[柴田勲]]・[[高田繁]]・[[堀内恒夫]]||-<br />
|-<br />
|ハイ!氷||日立冷凍冷蔵庫||[[日立製作所|日立]]||[[黒柳徹子]]・[[トムとジェリー]]||音楽:[[フレデリック・ショパン|ショパン]]<br />
|-<br />
|わが家の友だち10チャンネル||-||[[テレビ朝日]]||黒柳徹子||音楽:[[小林亜星]]<br />
|-<br />
|イッツ・ポップ||サントリーPOP清涼飲料||[[サントリー]]||[[カーペンターズ]]||歌:カーペンターズ<br />
|}<br />
<br />
== 誕生 ==<br />
=== 1月 ===<br />
* [[1月1日]] - [[田中聖二]]、[[プロボクサー]](+[[2005年]])<br />
* [[1月3日]] - [[飯塚雅弓]]、[[声優]]<br />
* 1月3日 - [[小沢真珠]]、[[俳優|女優]]<br />
* 1月3日 - [[A.J.バーネット]]、[[メジャーリーガー]]<br />
* [[1月4日]] - [[水田竜子]]、[[歌手]]<br />
* [[1月5日]] - [[瀬戸カトリーヌ]]、[[タレント]]<br />
* 1月5日 - [[矢沢ようこ]]、元[[AV女優]]<br />
* 1月5日 - [[エリック・ヤング (投手)|エリック・ヤング]]、[[プロ野球選手]]<br />
* [[1月6日]] - [[望月まゆ]]、タレント、元[[Melody]]<br />
* [[1月11日]] - [[松岡昌宏]]、[[TOKIO]]<br />
* 1月11日 - [[リック・ガトームソン]]、プロ野球選手<br />
* [[1月12日]] - [[吉野美穂]]、元AV女優<br />
* 1月12日 - [[ヨアンディ・ガルロボ]]、元野球選手<br />
* [[1月13日]] - [[ジェームス・ポージー]]、[[バスケットボール]]選手<br />
* [[1月14日]] - [[北川悠仁]]、[[ゆず (音楽グループ)|ゆず]]<br />
* [[1月15日]] - [[森岡克司]]、[[ベーシスト]]<br />
* [[1月16日]] - [[大真鶴健司]]、[[大相撲]][[力士]]<br />
* [[1月18日]] - [[相川良太]]、プロ野球選手<br />
* 1月18日 - [[山本みゆき]]、[[演歌歌手]]<br />
* [[1月19日]] - [[Cocco]]、[[シンガーソングライター]]<br />
* 1月19日 - [[ローレン・エタメ・マイヤー]]、元[[サッカー選手]]<br />
* [[1月20日]] - [[イリアン・ストヤノフ]]、サッカー選手<br />
* 1月20日 - [[窪寺昭]]、俳優<br />
* [[1月21日]] - [[フィリップ・ネヴィル]]、元サッカー選手<br />
* [[1月22日]] - [[中田英寿]]、サッカー選手<br />
* 1月22日 - [[ヴァズゲン・アズロヤン]]、[[フィギュアスケート]]選手<br />
* 1月22日 - [[タミー・シアー]]、フィギュアスケート選手<br />
* [[1月23日]] - [[踊正太郎]]、[[津軽三味線]]<br />
* 1月23日 - [[高橋幸史]]、[[アメリカンフットボール|アメフト]]選手<br />
* [[1月24日]] - [[喜多建介]]、ミュージシャン([[ASIAN KUNG-FU GENERATION]])<br />
* 1月24日 - [[久保田智子]]、[[TBSテレビ|TBS]][[アナウンサー]]<br />
* [[1月25日]] - 樋口和之、[[お笑いタレント]]([[5番6番]])<br />
* 1月25日 - [[ゆってぃ]]、お笑いタレント<br />
* [[1月26日]] - [[ヴィンス・カーター]]、[[バスケットボール]]選手<br />
* [[1月28日]] - [[佐藤琢磨]]、[[フォーミュラ1|F1]][[レーサー|ドライバー]]<br />
* 1月28日 - [[桜木陽子]]、元AV女優<br />
* 1月28日 - 松尾陽介、お笑いタレント([[ザブングル (お笑いコンビ)|ザブングル]])<br />
* [[1月29日]] - [[宝生舞]]、元女優<br />
* 1月29日 - [[浅見帆帆子]]、[[随筆家]]<br />
* 1月29日 - [[小山径]]、[[NHK]]アナウンサー<br />
* [[1月30日]] - [[新井貴浩]]、プロ野球選手<br />
* 1月30日 - [[夕樹舞子]]、[[ストリッパー一覧|ストリッパー]]<br />
* [[1月31日]] - [[伊藤修子]]、女優<br />
* 1月31日 - [[香取慎吾]]、[[SMAP]]<br />
<br />
=== 2月 ===<br />
* [[2月2日]] - [[宇佐美吉啓|USA]]、[[ミュージシャン]]([[EXILE]])<br />
* 2月2日 - [[劇団ひとり]]、お笑いタレント<br />
* 2月2日 - [[シャキーラ]]、ミュージシャン<br />
* [[2月3日]] - [[ダディー・ヤンキー]]、ミュージシャン<br />
* 2月3日 - [[小河正史]]、元声優<br />
* [[2月5日]] - [[青木裕子 (タレント)|青木裕子]]、タレント<br />
* 2月5日 - [[末吉宏司]]、[[俳優]]<br />
* 2月5日 - [[吉井由紀]]、女優<br />
* 2月5日 - [[野沢和香]]、モデル、女優<br />
* [[2月7日]] - [[宮本恒靖]]、サッカー選手<br />
* 2月7日 - [[たなかえり]]、女優<br />
* 2月7日 - [[森野文子]]、タレント<br />
* [[2月8日]] - [[油谷繁]]、マラソン選手<br />
* 2月8日 - [[小谷亜希子]]、元タレント<br />
* 2月8日 - [[デイヴ・ファーレル]]、ミュージシャン([[リンキン・パーク]])<br />
* 2月8日 - [[ロマン・コストマロフ]]、[[フィギュアスケート]]選手<br />
* [[2月9日]] - [[田中美里]]、女優<br />
* 2月9日 - [[張玉峰]]、野球選手<br />
* [[2月11日]] - [[ホリ (タレント)|ホリ]]、[[ものまねタレント]]<br />
* 2月11日 - [[金折知則]]、[[騎手]]<br />
* 2月11日 - [[マイク・シノダ]]、ミュージシャン([[リンキン・パーク]])<br />
* [[2月14日]] - [[冲方丁]]、[[ライトノベル]][[作家]]・[[SF作家]]<br />
* [[2月15日]] - [[小湊美和]]、歌手(元[[T&Cボンバー]])<br />
* 2月15日 - [[マシュー・ランデル]]、元[[プロ野球選手]]<br />
* [[2月16日]] - [[佐伯日菜子]]、女優<br />
* [[2月17日]] - [[鈴木千尋 (声優)|鈴木千尋]]、声優<br />
* [[2月19日]] - 吉本峰之、お笑い芸人([[ストリーク]])<br />
* 2月19日 - [[ジャンルカ・ザンブロッタ]]、サッカー選手、サッカー指導者<br />
* [[2月20日]] - [[ステフォン・マーブリー]]、[[バスケットボール]]選手<br />
* [[2月21日]] - [[スティーブ・フランシス]]、元[[バスケットボール]]選手<br />
* [[2月22日]] - [[J.J.プッツ]]、メジャーリーガー<br />
* 2月22日 - [[宮川美保]]、声優<br />
* 2月22日 - [[yuri]]、ミュージシャン([[m.o.v.e]])<br />
* 2月22日 - [[アレクサンデル・マジェタ]]、野球選手<br />
* [[2月23日]] - [[田中秀太]]、プロ野球選手<br />
* [[2月24日]] - [[進藤潤耶]]、[[テレビ朝日]]アナウンサー<br />
* 2月24日 - [[フロイド・メイウェザー・ジュニア]]、プロボクサー<br />
* 2月24日 - [[堀美香]]、元[[カーリング]]選手<br />
* [[2月26日]] - [[Lina (歌手)|Lina]]、歌手([[MAX (音楽グループ)|MAX]])<br />
* [[2月27日]] - [[范暁萱]](メイヴィス・ファン)、歌手<br />
* [[2月28日]] - [[山本康志]]、騎手<br />
* 2月28日 - [[洪性フン]]、野球選手<br />
<br />
=== 3月 ===<br />
* [[3月1日]] - [[シレノス (ミュージシャン)|シレノス]]、ミュージシャン([[ディム・ボガー]])<br />
* [[3月2日]] - [[石山繁]]、騎手<br />
* 3月2日 - [[クリス・マーティン]]、ミュージシャン、歌手、([[コールドプレイ]])<br />
* [[3月4日]] - [[星野卓也]]、お笑いタレント<br />
* 3月4日 - [[氏原ワタル]]、シンガーソングライター([[DOES]])<br />
* [[3月6日]] - [[スタニック・ジャネット]]、[[フィギュアスケート]]選手<br />
* [[3月7日]] - [[長谷川博己]]、俳優<br />
* [[3月12日]] - [[徳永愛]]、声優<br />
* 3月12日 - [[神田伸一郎]]、お笑いタレント([[ハマカーン]])<br />
* [[3月13日]] - [[小渕健太郎]]、ミュージシャン([[コブクロ]])<br />
* 3月13日 - [[桑田尚樹]]、ファッションモデル、俳優<br />
* [[3月14日]] - [[ほしのあき]]、タレント、グラビアアイドル<br />
* 3月14日 - [[松田直樹]]、サッカー選手(+ [[2011年]])<br />
* 3月14日 - [[吉田孝行]]、サッカー選手<br />
* [[3月15日]] - [[山本徳郁|山本"KID"徳郁]]、[[格闘家]]<br />
* 3月15日 - [[小田幸平]]、[[プロ野球選手]]<br />
* 3月15日 - [[赤岡修次]]、騎手<br />
* 3月15日 - [[エイドリアン・バーンサイド]]、[[プロ野球選手]]<br />
* 3月15日 - [[ジョー・ハーン]]、ミュージシャン([[リンキン・パーク]])<br />
* [[3月16日]] - [[柏原崇]]、俳優<br />
* 3月16日 - [[安元洋貴]]、声優<br />
* [[3月18日]] - [[黒田俊介]]、ミュージシャン([[コブクロ]])<br />
* 3月18日 - [[ターメル・スレッジ]]、プロ野球選手<br />
* 3月18日 - ZUN、ゲームクリエイター([[上海アリス幻樂団]])<br />
* [[3月19日]] - [[岡田義徳]]、俳優<br />
* [[3月22日]] - 武田テキサス、お笑いタレント([[弾丸ジャッキー]])<br />
* 3月22日 - [[南郷家全]]、騎手<br />
* [[3月23日]] - [[マキシム・マリニン]]、[[フィギュアスケート]]選手<br />
* [[3月24日]] - [[三浦祥朗]]、声優<br />
* [[3月26日]] - [[遠野奈津子]]、モデル<br />
* 3月26日 - [[瀬名涼子]]、AV女優<br />
* [[3月27日]] - [[石井亮次]]、アナウンサー<br />
* [[3月28日]] - [[多村仁]]、プロ野球選手<br />
* [[3月30日]] - [[高橋正純]]、DJ<br />
* [[3月31日]] - [[上原さくら]]、タレント<br />
* 3月31日 - [[龍円愛梨]]、元テレビ朝日アナウンサー<br />
* 3月31日 - [[ジェイミー・ブラウン]]、元プロ野球選手<br />
* 3月31日 - [[ジェイソン・デノミー]]、[[フィギュアスケート]]選手<br />
<br />
=== 4月 ===<br />
* [[4月3日]] - [[アレン・アヴディッチ]]、サッカー選手<br />
* 4月3日 - [[諸岡なみ子]]、タレント(元[[ワンダフルガールズ]])<br />
* [[4月4日]] - [[エリック・バレント]]、元[[プロ野球選手]]<br />
* [[4月5日]] - [[ウィンストン・アブレイユ]]、プロ野球選手<br />
* [[4月6日]] - [[森本智子]]、[[テレビ東京]]アナウンサー<br />
* [[4月7日]] - [[田中有紀美]]、タレント<br />
* [[4月8日]] - [[入江慎也]]、お笑いタレント([[カラテカ (お笑いコンビ)|カラテカ]])<br />
* 4月8日 - [[ティモニエル・ペレス]]、[[メジャーリーガー]]<br />
* [[4月11日]] - [[カケフくん]]、元[[子役]]<br />
* [[4月12日]] - [[紺野まひる]]、女優<br />
* 4月12日 - [[D.J.カラスコ]]、メジャーリーガー<br />
* [[4月13日]] - [[橋本泰由]]、元プロ野球選手<br />
* [[4月14日]] - [[山里亮太]]、お笑いタレント([[南海キャンディーズ]])<br />
* 4月14日 - [[上坂太一郎]]、元プロ野球選手<br />
* 4月14日 - [[サラ・ミシェル・ゲラー]]、女優<br />
* [[4月16日]] - [[フレドリック・ユングベリ]]、元サッカー選手<br />
* [[4月17日]] - [[中山博子]]、タレント<br />
* 4月17日 - 玉城千春、歌手、ミュージシャン([[Kiroro]])<br />
* [[4月19日]] - [[黒田祐]]、元プロバスケットボール選手<br />
* [[4月20日]] - [[HIRO (お笑い芸人)|HIRO]]、お笑いタレント([[安田大サーカス]])<br />
* 4月20日 - [[小宮理英]]、元ワンダフルガールズ<br />
* 4月20日 - [[月亭八光]]、落語家<br />
* 4月20日 - [[リサ・アーバイン]]、[[フィギュアスケート]]選手・審判<br />
* [[4月21日]] - [[尾上由美]]、タレント<br />
* 4月21日 - [[ジェイミー・サレー]]、フィギュアスケート選手<br />
* [[4月22日]] - [[今井ゆうぞう]]、歌手、俳優<br />
* 4月22日 - [[有島モユ]]、[[声優]]<br />
* 4月22日 - [[マルク・ファン・ボメル]]、元サッカー選手<br />
* [[4月23日]] - [[アンドリュー・ジョーンズ]]、メジャーリーガー<br />
* 4月23日 - [[ジョン・シナ]]、[[プロレスラー]]<br />
* 4月23日 - [[杉山裕之]]、お笑いタレント([[我が家]])<br />
* [[4月25日]] - [[三木肇]]、プロ野球選手<br />
* [[4月26日]] - [[福留孝介]]、プロ野球選手([[阪神タイガース]])<br />
* 4月26日 - [[ダニエル・ロステン]]、ミュージシャン<br />
* 4月26日 - [[西田隆維]]、元陸上選手、タレント<br />
* [[4月27日]] - [[高橋和幸]]、元プロ野球選手<br />
* 4月27日 - 尾形貴弘、[[お笑いタレント]]([[パンサー (お笑い)|パンサー]])<br />
* [[4月28日]] - [[吉川勝成]]、プロ野球選手<br />
* [[4月29日]] - [[一色紗英]]、女優<br />
* [[4月30日]] - [[江尻慎太郎]]、プロ野球選手<br />
<br />
=== 5月 ===<br />
* [[5月1日]] - [[及川水生来]]、タレント<br />
* 5月1日 - [[松本奉文]]、元[[プロ野球選手]]<br />
* 5月1日 - [[ティファニー・スコット]]、[[フィギュアスケート]]選手<br />
* [[5月2日]] - [[大楠雄蔵]]、ミュージシャン<br />
* [[5月3日]] - [[ライアン・デンプスター]]、[[メジャーリーガー]]<br />
* 5月3日 - [[真島ヒロ]]、[[漫画家]]<br />
* [[5月5日]] - [[田中雅興]]、元プロ野球選手<br />
* [[5月6日]] - [[青木勇人 (野球)|青木勇人]]、プロ野球選手<br />
* 5月6日 - [[廣山望]]、サッカー選手<br />
* [[5月8日]] - [[たかはし智秋]]、声優<br />
* [[5月9日]] - [[安藤裕子]]、シンガーソングライター<br />
* 5月9日 - [[的場直樹]]、プロ野球選手<br />
* [[5月10日]] - [[白鳥七瀬]]、元AV女優<br />
* 5月10日 - [[ニック・ハイドフェルド]]、[[フォーミュラ1|F1]][[ドライバー]]<br />
* [[5月12日]] - [[藤井秀悟]]、プロ野球選手<br />
* [[5月13日]] - [[クリス・オクスプリング]]、元プロ野球選手<br />
* [[5月14日]] - [[小沢亜貴子]]、歌手<br />
* 5月14日 - [[ロイ・ハラデイ]]、メジャーリーガー<br />
* [[5月15日]] - [[山口五和]]、タレント<br />
* 5月15日 - [[藤原さおり]]、元ストリッパー<br />
* [[5月16日]] - [[久保田智]]、元プロ野球選手<br />
* 5月16日 - [[エミリアナ・トリーニ]]、ミュージシャン<br />
* 5月16日 - [[今井麻美]]、声優<br />
* 5月16日 - [[田中みゆき]]、フリーアナウンサー<br />
* [[5月17日]] - [[奈良将史]]、元プロ野球選手<br />
* [[5月18日]] - [[男色ディーノ]]、プロレスラー<br />
* [[5月19日]] - [[山下勝充]]、元プロ野球選手<br />
* 5月19日 - [[ラファエル・クルス]]、プロ野球選手<br />
* 5月19日 - [[ブランドン・インジ]]、メジャーリーガー<br />
* 5月19日 - [[しまだかおり]]、声優<br />
* [[5月20日]] - [[レオ・フランコ]]、サッカー選手<br />
* [[5月22日]] - [[パット・スマレン]]、騎手<br />
* 5月22日 - [[中払大介]]、元サッカー選手<br />
* [[5月23日]] - [[平瀬智行]]、サッカー選手<br />
* 5月23日 - [[イリヤ・クーリック]]、[[フィギュアスケート]]選手<br />
* 5月23日 - [[加藤大]]、[[タレント]]<br />
* [[5月24日]] - [[クレイグ・ウィリアムズ]]、騎手<br />
* 5月24日 - [[武田惠子]]、元女優<br />
* 5月24日 - [[徐在応]]、野球選手<br />
* [[5月25日]] - [[小林尽]]、[[漫画家]]<br />
* [[5月26日]] - [[ルカ・トーニ]]、サッカー選手<br />
* 5月26日 - [[伊東美咲]]、女優<br />
* [[5月27日]] - [[柳沢敦]]、サッカー選手<br />
* [[5月29日]] - [[網野泰寛]]、実業家、タレント<br />
* 5月29日 - [[十川孝富]]、元プロ野球選手<br />
* [[5月30日]] - [[鶴岡一成]]、プロ野球選手<br />
<br />
=== 6月 ===<br />
* [[6月1日]] - [[横山道哉]]、[[プロ野球選手]]<br />
* [[6月2日]] - [[笠置わか菜]]、[[福島放送]]アナウンサー<br />
* [[6月5日]] - [[大河内奈々子]]、女優<br />
* 6月5日 - [[シャンタル・ルフェーブル]]、[[フィギュアスケート]]選手<br />
* [[6月6日]] - [[クリストファー・ライト]]、元プロ野球選手<br />
* [[6月7日]] - [[矢部美穂]]、タレント<br />
* 6月7日 - [[松田純]]、タレント<br />
* 6月7日 - [[朴明桓]]、野球選手<br />
* [[6月8日]] - [[カニエ・ウェスト]]、プロデューサー、ラッパー、歌手<br />
* [[6月9日]] - [[ペジャ・ストヤコヴィッチ]]、バスケットボール選手<br />
* [[6月10日]] - [[相川梨絵]]、[[フリーアナウンサー]]<br />
* 6月10日 - [[松たか子]]、女優、歌手、タレント<br />
* [[6月11日]] - [[山口もえ]]、タレント<br />
* 6月11日 - [[梅宮万紗子]]、女優<br />
* 6月11日 - [[東山麻美]]、タレント・声優<br />
* [[6月13日]] - [[ホセ・オーティズ]]、プロ野球選手<br />
* [[6月14日]] - [[栃不動周二]]、大相撲力士<br />
* [[6月15日]] - [[若兎馬裕三|押尾川親方]]、元幕内若兎馬<br />
* 6月15日 - [[愛可]]、ファッションモデル<br />
* [[6月16日]] - [[高見優]]、作詞家・作曲家<br />
* [[6月17日]] - [[的場寛一]]、元プロ野球選手<br />
* [[6月18日]] - [[琉鵬正吉]]、大相撲力士<br />
* 6月18日 - [[柴田大知]]、[[騎手]] <br />
* 6月18日 - [[柴田未崎]]、騎手<br />
* [[6月19日]] - [[矢野了平]]、放送作家<br />
* [[6月20日]] - [[辻田摂]]、元プロ野球選手<br />
* [[6月22日]] - [[永山奈々]]、[[声優]]・[[歌手]]<br />
* [[6月23日]] - [[ジェイソン・ムラーズ]]、シンガーソングライター<br />
* [[6月25日]] - [[塚原直也]]、体操選手<br />
* [[6月26日]] - [[久保帯人]]、[[漫画家]]<br />
* [[6月27日]] - [[ラウル・ゴンサレス]]、サッカー選手<br />
* [[6月28日]] - [[DJ KOHNO]]、[[ディスクジョッキー|DJ]]([[ケツメイシ]])<br />
* [[6月29日]] - [[菊池健一]]、お笑い芸人([[ギンナナ]])<br />
* 6月29日 - [[ウィル・ケンプ]]、[[ダンサー]]・[[俳優]]<br />
* [[6月30日]] - [[矢部太郎]]、お笑いタレント(カラテカ)<br />
<br />
=== 7月 ===<br />
* [[7月1日]] - [[リブ・タイラー]]、女優<br />
* 7月1日 - KEIGO、ミュージシャン([[FLOW]])<br />
* 7月1日 - [[谷浩弥]]、元[[プロ野球選手]]<br />
* 7月1日 - [[浦田理恵]]、パラリンピックゴールボール選手<br />
* [[7月3日]] - [[勝杏里]]、[[声優]]<br />
* [[7月5日]] - [[細川桃仁]]、女優<br />
* 7月5日 - [[須藤公一]]、俳優<br />
* 7月5日 - [[金圓衡]]、野球選手<br />
* 7月5日 - [[佐藤秀|バラモン・シュウ(佐藤秀)]]&amp;[[佐藤恵 (プロレスラー)|バラモン・ケイ(佐藤恵)]]([[双子]])、プロレスラー<br />
* [[7月6日]] - [[長谷川真弓 (ファッションデザイナー)|長谷川真弓]]、ファッションデザイナー<br />
* [[7月7日]] - [[星野マヤ]]、女優<br />
* 7月7日 - [[アンディ・グリーン]]、元プロ野球選手<br />
* [[7月8日]] - [[クリスティアン・アッビアーティ]]、サッカー選手<br />
* [[7月10日]] - [[北原奈々子]]、元タレント<br />
* [[7月10日]] - [[鳥羽の山喜充]]、大相撲力士<br />
* [[7月11日]] - [[早川知伸]]、サッカー選手<br />
* [[7月12日]] - [[江連裕子]]、フリーアナウンサー<br />
* 7月12日 - [[大場豊千]]、元プロ野球選手<br />
* [[7月13日]] - [[鈴木紗理奈]]、タレント<br />
* 7月13日 - [[今村文昭]]、元プロ野球選手<br />
* [[7月16日]] - [[長谷川昌幸]]、プロ野球選手<br />
* 7月16日 - [[新井峰秀]]、元プロ野球選手<br />
* [[7月18日]] - [[新錦一弘]]、大相撲力士<br />
* 7月18日 - [[青木まな]]、アナウンサー<br />
* [[7月19日]] - [[木塚敦志]]、プロ野球選手<br />
* [[7月20日]] - [[三都主アレサンドロ]]、サッカー選手<br />
* [[7月21日]] - 小野まじめ、お笑いタレント([[クールポコ]])<br />
* 7月21日 - [[高橋伸顕]]、元俳優<br />
* [[7月22日]] - [[ライアン・ボーグルソン]]、プロ野球選手<br />
* [[7月25日]] - [[西尾由佳理]]、フリーアナウンサー<br />
* 7月25日 - [[鈴木飛雄]]、俳優<br />
* [[7月26日]] - [[中村俊太]]、元俳優<br />
* 7月26日 - 吉田良一郎、[[津軽三味線]]奏者([[吉田兄弟]])<br />
* 7月26日 - [[タニヤ・シェフチェンコ]]、[[フィギュアスケート]]選手<br />
* [[7月28日]] - [[雅山哲士]]、大相撲力士<br />
* 7月28日 - [[マヌ・ジノビリ]]、バスケットボール選手<br />
* [[7月29日]] - [[星野智樹]]、プロ野球選手<br />
* [[7月30日]] - [[永山尚太]]、歌手<br />
<br />
=== 8月 ===<br />
* [[8月5日]] - [[広橋涼]]、声優<br />
* 8月5日 - [[本間忠]]、元[[プロ野球選手]]<br />
* [[8月6日]] - [[山口弘佑]]、元プロ野球選手<br />
* 8月6日 - 尾関高文、お笑いタレント([[THE GEESE]])<br />
* [[8月7日]] - [[京野さおり]]、元AV女優<br />
* [[8月8日]] - [[猫ひろし]]、お笑いタレント<br />
* 8月8日 - [[涼木もも香]]、元AV女優<br />
* [[8月9日]] - [[千野志麻]]、フリーアナウンサー<br />
* [[8月11日]] - [[佐藤宏志]]、元プロ野球選手<br />
* [[8月12日]] - [[パク・ヨンハ]]、[[大韓民国|韓国]]の俳優・歌手(+ [[2010年]]) <br />
* 8月12日 - [[小石澤浄孝]]、元プロ野球選手<br />
* [[8月13日]] - [[小西美帆]]、女優<br />
* [[8月14日]] - [[スコット・チャイアソン]]、元プロ野球選手<br />
* 8月14日 - [[石志偉]]、野球選手<br />
* [[8月15日]] - [[日高剛]]、プロ野球選手<br />
* 8月15日 - [[西村卓朗]]、サッカー選手<br />
* 8月15日 - [[菅原リサ]]、元体操選手<br />
* 8月15日 - 金城綾乃、歌手、ミュージシャン([[Kiroro]])<br />
* 8月15日 - [[白仁裕介]]、俳優<br />
* [[8月17日]] - [[山下美穂子]]、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]アナウンサー<br />
* 8月17日 - [[ティエリ・アンリ]]、サッカー選手<br />
* 8月17日 - [[ウィリアム・ギャラス]]、サッカー選手<br />
* [[8月18日]] - [[宮出隆自]]、プロ野球選手<br />
* [[8月19日]] - [[山田貴洋]]、ミュージシャン([[ASIAN KUNG-FU GENERATION]])<br />
* 8月19日 - [[マット・ホワイト]]、プロ野球選手<br />
* [[8月20日]] - [[米田功]]、[[体操競技]]選手<br />
* [[8月21日]] - [[田中総司 (野球)|田中総司]]、元プロ野球選手<br />
* [[8月22日]] - [[菅野美穂]]、女優、歌手、タレント<br />
* 8月22日 - [[井口佳典]]、[[競艇選手]]<br />
* 8月22日 - [[所英男]]、[[総合格闘家]]<br />
* [[8月23日]] - [[佐田真由美]]、ファッションモデル、女優<br />
* 8月23日 - [[ニコール・ボベック]]、[[フィギュアスケート]]選手<br />
* [[8月24日]] - [[ファブリシオ・ヴェウドゥム]]、総合格闘家<br />
* 8月24日 - [[デニウソン・デ・オリヴェイラ・アラウージョ|デニウソン]]、サッカー選手<br />
* 8月24日 - [[ロベルト・エンケ]]、元サッカー選手(+ [[2009年]]) <br />
* [[8月25日]] - [[浅野真澄]]、声優<br />
* 8月25日 - [[琴春日桂吾]]、大相撲力士<br />
* [[8月26日]] - [[千葉紗子]]、声優<br />
* [[8月27日]] - [[田中聡]]、元プロ野球選手<br />
* 8月27日 - [[ジャスティン・ミラー]]、メジャーリーガー(+ [[2013年]])<br />
* 8月27日 - [[アンデルソン・ルイス・デ・ソウザ|デコ]]、サッカー選手<br />
* [[8月28日]] - [[江藤麻由]]、ラジオパーソナリティ<br />
* 8月28日 - [[城定信次]]、元サッカー選手<br />
* [[8月29日]] - [[ロイ・オズワルト]]、メジャーリーガー<br />
* [[8月30日]] - [[石塚さより]]、声優<br />
* 8月30日 - [[原俊介]]、元プロ野球選手<br />
* 8月30日 - [[松本輝]]、プロ野球選手<br />
* 8月30日 - [[山本光将]]、プロ野球選手<br />
<br />
=== 9月 ===<br />
* [[9月1日]] - [[宮城健太郎]]、俳優<br />
* [[9月1日]] - [[ダビド・アルベルダ]]、サッカー選手<br />
* [[9月3日]] - [[ファン・パブロ・アンヘル|フアン・パブロ・アンヘル]]、サッカー選手<br />
* 9月3日 - [[オロフ・メルベリ]]、サッカー選手<br />
* 9月3日 - [[佐久間一行]]、お笑いタレント<br />
* [[9月5日]] - 松雪オラキオ、お笑いタレント(弾丸ジャッキー)<br />
* 9月5日 - [[茶畑るり]] - [[漫画家]]<br />
* 9月5日 - [[押川善文]]、俳優<br />
* [[9月6日]] - [[氷川きよし]]、[[演歌]]歌手<br />
* 9月6日 - [[杉浦理史]]、俳優、放送作家<br />
* 9月6日 - [[南辻史人]]、俳優<br />
* [[9月8日]] - [[真田アサミ]]、[[声優]]<br />
* [[9月9日]] - [[堤下敦]]、お笑いタレント([[インパルス (お笑いコンビ)|インパルス]])<br />
* 9月9日 - [[鈴木麻奈美]]、元AV女優<br />
* 9月9日 - [[坪倉由幸]]、お笑いタレント(我が家)<br />
* [[9月10日]] - [[ダニス・バエス]]、元[[メジャーリーガー]]<br />
* 9月10日 - [[戸田光洋]]、サッカー選手<br />
* [[9月11日]] - [[リュダクリス]]、ラッパー、俳優<br />
* [[9月13日]] - [[荒木雅博]]、プロ野球選手([[中日ドラゴンズ]])<br />
* 9月13日 - [[龍田梨恵]]、フリーアナウンサー<br />
* 9月13日 - [[ミュウ (AV女優)|ミュウ]]、AV女優<br />
* [[9月14日]] - [[石井弘寿]]、プロ野球選手<br />
* 9月14日 - [[松来未祐]]、声優<br />
* [[9月15日]] - [[玉乃島新]]、大相撲力士<br />
* 9月15日 - [[アンジェラ・アキ]]、シンガーソングライター<br />
* 9月15日 - [[カルロス・アルベルト・カルヴァリョ・ドス・アンジョス・ジュニオル|ジュニーニョ]]、サッカー選手<br />
* [[9月18日]] - [[珠久美穂子]]、タレント・DJ<br />
* [[9月19日]] - [[遠藤麗奈]]、[[北海道文化放送]]アナウンサー<br />
* [[9月20日]] - [[安室奈美恵]]、歌手<br />
* 9月20日 - [[西沢広香]]、声優<br />
* 9月20日 - [[藤原一裕]]、お笑いタレント([[ライセンス (お笑いコンビ)|ライセンス]])<br />
* 9月20日 - [[橋龍吾]]、俳優<br />
* [[9月21日]] - [[五十嵐貴章]]、元プロ野球選手<br />
* 9月21日 - [[佐藤和宏]]、元プロ野球選手<br />
* [[9月22日]] - [[遠藤里沙]]、元[[秋田放送]]、元[[文化放送]]アナウンサー<br />
* 9月22日 - [[WADA]]、[[アルファ (音楽グループ))|アルファ]]の[[MC (ヒップホップ)|MC]]<br />
* [[9月23日]] - [[城咲仁]]、タレント<br />
* [[9月25日]] - [[伊地知潔]]、ミュージシャン([[ASIAN KUNG-FU GENERATION]])<br />
* 9月25日 - [[ウィンストン・チョイ]]、[[ピアニスト]]<br />
* [[9月26日]] - [[赤プル]]、お笑いタレント<br />
* 9月26日 - [[稲田奈緒]]、女優、タレント<br />
* 9月26日 - [[佐藤藍子]]、女優、タレント<br />
* 9月26日 - [[マガリ・サウリ]]、[[フィギュアスケート]]選手<br />
* [[9月27日]] - [[鍋倉美保]]、元[[秋田放送]]アナウンサー<br />
* 9月27日 - [[ビセンテ・パディーヤ]]、メジャーリーガー<br />
* [[9月28日]] - [[朴セリ]]、女子プロゴルファー<br />
* 9月28日 - [[葛城育郎]]、プロ野球選手<br />
* [[9月29日]] - [[鈴衛佑規]]、元プロ野球選手<br />
<br />
=== 10月 ===<br />
* [[10月1日]] - [[滝川クリステル]]、フリーアナウンサー<br />
* 10月1日 - [[ドワイト・フィリップス]]、[[走幅跳]]選手<br />
* [[10月3日]] - [[浅野亜希子]]、ラジオタレント<br />
* [[10月4日]] - [[藤本敦士]]、[[プロ野球選手]]<br />
* 10月4日 - [[前田忠節]]、プロ野球選手<br />
* [[10月5日]] - [[木村一喜]]、プロ野球選手<br />
* 10月5日 - [[コンスタンティン・ジリャノフ]]、サッカー選手<br />
* [[10月7日]] - [[若林史江]]、株式評論家<br />
* 10月7日 - [[坪井康晴]]、[[競艇選手]]<br />
* [[10月9日]] - [[岐部昌幸]]、[[ガスコイン・カンパニー]]の社員<br />
* 10月9日 - [[沢田美紀]]、歌手<br />
* 10月9日 - [[ブライアン・ロバーツ]]、メジャーリーガー<br />
* [[10月11日]] - [[和泉宗兵]]、俳優<br />
* 10月11日 - [[エレーナ・ベレズナヤ]]、[[フィギュアスケート]]選手<br />
* [[10月13日]] - [[アントニオ・ディ・ナターレ]]、サッカー選手<br />
* 10月13日 - [[吉年滝徳]]、元プロ野球選手<br />
* 10月13日 - [[ポール・ピアース]]、バスケットボール選手<br />
* [[10月14日]] - [[内田潤]]、サッカー選手<br />
* 10月14日 - [[海本幸治郎]]、サッカー選手<br />
* 10月14日 - [[熱田孝高]]、ライダー<br />
* [[10月15日]] - [[ミッチ・ジョーンズ]]、プロ野球選手<br />
* 10月15日 - [[ダヴィド・トレゼゲ]]、サッカー選手<br />
* [[10月16日]] - [[石川亜沙美]]、女優<br />
* [[10月17日]] - [[安藤幸代]]、フリーアナウンサー<br />
* 10月17日 - [[桜井映里]]、女優<br />
* 10月17日 - [[平山広行]]、俳優<br />
* 10月17日 - [[アンドレ・ビラス・ボアス|アンドレ・ヴィラス・ボアス]]、サッカー指導者<br />
* [[10月18日]] - [[若天狼啓介]]、大相撲力士<br />
* 10月18日 - [[三浦マイルド]]、お笑いタレント<br />
* 10月18日 - [[友田安紀]]、タレント、お笑い芸人<br />
* 10月18日 - [[はっとりみつる]]、[[漫画家]]<br />
* [[10月19日]] - [[須賀貴匡]]、俳優<br />
* [[10月21日]] - [[福田健二]]、サッカー選手<br />
* [[10月22日]] - [[皇牙篤]]、大相撲力士<br />
* 10月22日 - [[ブラッド・トーマス]]、元プロ野球選手<br />
* [[10月23日]] - [[ハビエル・カステリャーノ]]、騎手<br />
* [[10月24日]] - [[松井友香]]、女優<br />
* 10月24日 - [[飯田利信]]、[[声優]]<br />
* 10月24日 - [[ラファエル・ファーカル]]、メジャーリーガー<br />
* [[10月25日]] - [[花田真人]]、プロ野球選手<br />
* [[10月27日]] - [[植松真美]]、ファッションモデル<br />
* [[10月28日]] - [[陳金鋒]]、野球選手<br />
* [[10月29日]] - [[河西りえ]]、タレント<br />
* 10月29日 - [[有馬隼人]]、[[アメリカンフットボール]]選手、元TBSアナウンサー<br />
* 10月29日 - [[長坂健冶]]、元プロ野球選手<br />
* 10月29日 - [[陳峰民]]、野球選手<br />
* [[10月31日]] - [[北勝力英樹]]、大相撲力士<br />
* 10月31日 - [[藤本主税]]、サッカー選手<br />
<br />
=== 11月 ===<br />
* [[11月1日]] - [[池内友彦]]、サッカー選手<br />
* 11月1日 - [[鈴木ともこ]]、[[エッセイスト]]・[[漫画家]]<br />
* 11月1日 - [[木川絵理子]]、[[声優]]<br />
* [[11月4日]] - [[ソ・ジソブ]]、俳優<br />
* 11月4日 - [[ラリー・ビグビー]]、[[プロ野球選手]]<br />
* [[11月5日]] - [[谷口賢志]]、俳優<br />
* [[11月7日]] - [[小比類巻太信]]、[[キックボクサー]]<br />
* 11月7日 - [[SatomI]]、ファッションモデル<br />
* 11月7日 - [[三遊亭王楽]]、[[落語家]]<br />
* [[11月8日]] - [[佐分千恵]]、[[テレビ朝日]][[アナウンサー]]<br />
* 11月8日 - [[ニック・プント]]、メジャーリーガー<br />
* [[11月10日]] - [[ジョシュ・バーネット]]、総合格闘家<br />
* 11月10日 - [[ブリタニー・マーフィ]]、[[アメリカ合衆国]]の[[俳優|女優]](+ [[2009年]])<br />
* 11月10日 - [[ウォンビン]]、俳優<br />
* [[11月11日]] - [[秋山実希]]、タレント<br />
* 11月11日 - [[中村みづほ]]、モデル<br />
* [[11月12日]] - [[ダリーン・カーティス]]、[[プレイメイト]]<br />
* [[11月13日]] - [[有森いずみ]]、元AV女優<br />
* [[11月16日]] - [[松田樹里 (モデル)|松田樹里]]、[[ファッションモデル]]<br />
* 11月16日 - [[オクサナ・バイウル]]、[[フィギュアスケート]]選手<br />
* 11月16日 - [[マキシム・スタビスキー]]、フィギュアスケート選手<br />
* [[11月17日]] - [[アレックス・グラマン]]、プロ野球選手<br />
* [[11月18日]] - [[石井百恵]]、[[テレビ新広島]][[アナウンサー]]<br />
* [[11月19日]] - [[森本さやか (アナウンサー)|森本さやか]]、[[フジテレビジョン|フジテレビ]][[アナウンサー]]<br />
* 11月19日 - [[吉野誠]]、プロ野球選手<br />
* 11月19日 - [[浜谷健司]]、お笑いタレント(ハマカーン)<br />
* [[11月20日]] - [[ダニエル・スヴェンソン]]、ミュージシャン<br />
* [[11月21日]] - [[山下芳輝]]、サッカー選手<br />
* [[11月22日]] - [[服部公太]]、サッカー選手<br />
* [[11月23日]] - [[井浦愛]]、[[声優]]<br />
* [[11月24日]] - [[西国原礼子]]、[[SDN48]]<br />
* [[11月26日]] - [[桂木ゆみ]]、元AV女優<br />
* 11月26日 - [[ポール・ビネボーズ]]、[[フィギュアスケート]]選手<br />
* [[11月28日]] - [[施川ユウキ]]、漫画家<br />
* [[11月29日]] - [[マリア・ペトロワ]]、フィギュアスケート選手<br />
* [[11月30日]] - [[斉藤和巳]]、元プロ野球選手<br />
* 11月30日 - [[オリヴィエ・シェーンフェルダー]]、フィギュアスケート選手<br />
<br />
=== 12月 ===<br />
* 12月1日 - [[ブラッド・デルソン]]、ミュージシャン([[リンキン・パーク]])<br />
* [[12月2日]] - [[河島あみる]]、タレント<br />
* 12月2日 - [[宮本耀子]]、[[モデル (職業)|モデル]](元ワンギャル)<br />
* [[12月3日]] - [[華原ありさ]]、元AV女優<br />
* 12月3日 - [[神楽坂ケイ]]、元AV女優<br />
* 12月3日 - [[笑福亭智之介]]、[[落語家]]・[[マジシャン]]<br />
* [[12月4日]] - [[野田浩輔]]、[[プロ野球選手]]<br />
* [[12月5日]] - [[侑庵]]、お笑いタレント<br />
* 12月5日 - [[千葉進也]]、バレーボール選手<br />
* 12月5日 - [[島田秀平]]、タレント・お笑い芸人・[[占い師]]<br />
* [[12月6日]] - [[市川海老蔵 (11代目)|11代目市川海老蔵]]、[[歌舞伎]]俳優<br />
* 12月6日 - [[村田泰則]]、俳優<br />
* 12月8日 - [[中岡創一]]、お笑いタレント([[ロッチ]]) <br />
* [[12月10日]] - [[ダン・ウィーラー]]、メジャーリーガー<br />
* [[12月11日]] - [[みれいゆ]]、女優<br />
* 12月11日 - [[ユウゴー]]、元プロ野球選手<br />
* [[12月12日]] - [[宮本真希]]、女優<br />
* 12月12日- [[オーランド・ハドソン]]、メジャーリーガー<br />
* [[12月13日]] - [[綾部祐二]]、お笑いタレント([[ピース (お笑いコンビ)|ピース]])<br />
* [[12月14日]] - [[桃井はるこ]]、タレント・声優<br />
* 12月14日 - [[旭南海丈一郎]]、[[大相撲]][[力士]]<br />
* 12月14日 - [[安部みちこ]]、[[日本放送協会|NHK]]アナウンサー<br />
* 12月14日 - [[谷田部俊]]、お笑い芸人(我が家)<br />
* [[12月15日]] - [[里中まりあ]]、AV女優(+ [[1999年]])<br />
* [[12月19日]] - [[藤崎奈々子]]、タレント<br />
* 12月19日 - [[藤川京子]]、[[グラビアアイドル]]<br />
* 12月19日 - [[堀口としみ]]、グラビアアイドル<br />
* [[12月21日]] - [[須磨ノ富士茂雄]]、大相撲力士<br />
* 12月21日 - [[三重野瞳]]、歌手<br />
* 12月21日 - [[バディ・カーライル]]、プロ野球選手<br />
* 12月21日 - [[フレディ・サンチェス]]、メジャーリーガー<br />
* [[12月22日]] - [[榊ありな]]、元AV女優<br />
* [[12月23日]] - [[久永辰徳]]、サッカー選手<br />
* 12月23日 - [[上野水香]]、[[バレエ]]ダンサー<br />
* 12月23日 - [[ヤリ・マーエンパー]]、ミュージシャン<br />
* [[12月24日]] - [[吉田好太]]、元プロ野球選手<br />
* [[12月25日]] - [[鈴木里沙]]、[[舞台]]女優<br />
* 12月25日 - [[プリヤ・ラーイ]]、[[ポルノ女優]]<br />
* [[12月26日]] - [[石井希和]]、テレビ朝日アナウンサー<br />
* 12月26日 - [[エディ・アハーン]]、騎手<br />
* 12月26日 - [[フレデリック・ダンビエ]]、[[フィギュアスケート]]選手<br />
* [[12月27日]] - [[安西陽太]]、元テレビ朝日アナウンサー<br />
* 12月27日 - [[北原まゆみ]]、元AV女優<br />
* 12月27日 - [[TSUBOI]]、アルファのMC<br />
* [[12月29日]] - [[しいなまお]]、タレント<br />
* 12月29日 - [[Mina (歌手)|Mina]]、歌手([[MAX (音楽グループ)|MAX]])<br />
* [[12月30日]] - [[戸田和幸]]、サッカー選手<br />
* 12月30日 - [[ケニオン・マーティン]]、バスケットボール選手<br />
<br />
=== 月日不明 ===<br />
*[[東川亜希子]]、シンガーソングライター<br />
<br />
== 死去 ==<br />
=== 1月 ===<br />
* [[1月12日]] - [[アンリ=ジョルジュ・クルーゾー]]、[[映画監督]]・[[脚本家]](* [[1907年]])<br />
* [[1月13日]] - [[アンリ・ラングロワ]]、[[シネマテーク・フランセーズ]]創設者(* [[1914年]])<br />
* [[1月14日]] - [[アンソニー・イーデン]]、元[[イギリスの首相|イギリス首相]](* [[1897年]])<br />
* 1月14日 - [[アナイス・ニン]]、作家(* [[1903年]])<br />
* 1月14日 - [[ピーター・フィンチ]]、[[俳優]](* [[1916年]])<br />
* [[1月17日]] - [[ゲイリー・ギルモア]]、アメリカの[[死刑|死刑囚]](* [[1940年]])<br />
* [[1月18日]] - [[カール・ツックマイヤー]]、[[劇作家]](* [[1896年]])<br />
* [[1月22日]] - [[パスカル・ペレス (ボクサー)|パスカル・ペレス]]、[[プロボクサー]](* [[1926年]])<br />
* [[1月23日]] - [[オイゲン・オット]]、[[ドイツ国 (1933年-1945年)|ナチス・ドイツ]]の駐日[[大使]](* [[1889年]])<br />
* [[1月25日]] - [[寒川光太郎]]、[[小説家]](*[[1908年]])<br />
* [[1月29日]] - [[川崎小虎]]、[[画家]](* [[1886年]])<br />
<br />
=== 2月 ===<br />
* [[2月5日]] - [[オスカー・クライン]]、[[物理学者]](* [[1894年]])<br />
* [[2月10日]] - [[高橋亀吉]]、経済評論家(* [[1891年]])<br />
* [[2月16日]] - [[末川博]]、[[法学者]](* [[1892年]])<br />
* [[2月27日]] - [[ジョン・ディクスン・カー]]、[[推理作家]](* [[1906年]])<br />
<br />
=== 3月 ===<br />
* [[3月3日]] - [[竹内好]]、[[中国文学者]](*[[1910年]])<br />
* [[3月4日]] - [[木川田一隆]]、[[経営者]]・[[財界人]](*[[1899年]])<br />
* [[3月5日]] - [[トム・プライス]]、[[フォーミュラ1|F1]]ドライバー(* [[1949年]])<br />
* [[3月15日]] - [[アントニオ・ロッカ]]、[[プロレスラー]](* [[1927年]])<br />
* [[3月20日]] - [[正田建次郎]]、[[数学者]](* [[1902年]])<br />
* 3月20日 - [[照國万藏]]、[[大相撲]]第38代[[横綱]](* [[1919年]])<br />
* [[3月21日]] - [[田中絹代]]、[[俳優|女優]](* [[1909年]])<br />
* [[3月22日]] - [[村山知義]]、小説家(*[[1901年]])<br />
* [[3月26日]] - [[マデリーン・ドリング]]、[[作曲家]](* [[1923年]])<br />
<br />
=== 4月 ===<br />
* [[4月6日]] - [[木戸幸一]]、元[[内大臣]](* [[1889年]])<br />
* [[4月12日]] - [[桑沢洋子]]、[[ファッションデザイナー]](* [[1910年]])<br />
* 4月12日 - [[清水善造]]、[[テニス]]選手(* [[1891年]])<br />
* [[4月17日]] - [[ジム・トンプスン]]、[[小説家]](* [[1906年]])<br />
* [[4月20日]] - [[ゼップ・ヘルベルガー]]、[[サッカー]]選手・指導者(* [[1897年]])<br />
* [[4月21日]] - [[ガンモ・マルクス]]、[[マルクス兄弟]]の四男(* [[1893年]])<br />
* [[4月25日]] - [[メーライ=ホルヴァート・ジョーフィア]]、[[フィギュアスケート]]選手(* [[1889年]])<br />
* [[4月28日]] - [[賀屋興宣]]、[[政治家]](* [[1889年]])<br />
<br />
=== 5月 ===<br />
* [[5月5日]] - [[ルートヴィヒ・エアハルト]]、[[ドイツの首相|西ドイツ首相]](* [[1897年]])<br />
* [[5月10日]] - [[ジョーン・クロフォード]]、女優(* [[1904年]])<br />
* [[5月14日]] - [[奈良光枝]]、[[歌手]](* [[1923年]])<br />
* [[5月22日]] - [[江田三郎]]、[[政治家]](*[[1907年]])<br />
* [[5月24日]] - [[近衛十四郎]]、俳優(* [[1914年]])<br />
* [[5月29日]] - [[バー・モウ]]、[[ミャンマー|ビルマ]]の独立運動家(* [[1893年]])<br />
* [[5月30日]] - [[小菅健吉]]、教育者(* [[1897年]])<br />
<br />
=== 6月 ===<br />
* [[6月2日]] - [[スティーヴン・ボイド]]、俳優(* [[1931年]])<br />
* [[6月3日]] - [[アーチボルド・ヒル]]、[[生理学|生理学者]](* [[1886年]])<br />
* 6月3日 - [[ロベルト・ロッセリーニ]]、映画監督(* [[1906年]])<br />
* [[6月7日]] - [[オットー・カイザー]]、[[フィギュアスケート]]選手(* [[1901年]])<br />
* [[6月9日]] - [[小西得郎]]、元[[プロ野球監督]](* [[1896年]])<br />
* 6月9日 - [[ヘルマン・ホイヴェルス]]、[[教育者]]・宗教家・[[劇作家]](* [[1890年]])<br />
* [[6月13日]] - [[トール・ベルシェロン]]、[[気象学者]](* [[1891年]])<br />
* 6月13日 - [[マシュウ・ガーバー]]、俳優(* [[1956年]])<br />
* [[6月16日]] - [[ヴェルナー・フォン・ブラウン]]、[[ロケット]]技術者(* [[1912年]])<br />
* [[6月19日]] - [[オレブ・ベーデン=パウエル]]、[[ボーイスカウト]]創始者[[ロバート・ベーデン=パウエル]]の妻(* [[1889年]])<br />
* [[6月21日]] - [[ブルース・C・ヘーゼン (海洋学者)|ブルース・C・ヘーゼン]]、[[海洋学者]](* [[1924年]])<br />
* [[6月24日]] - [[森茂雄]]、元[[プロ野球選手]](* [[1906年]])<br />
<br />
=== 7月 ===<br />
* [[7月2日]] - [[ウラジーミル・ナボコフ]]、作家(* [[1899年]])<br />
* [[7月14日]] - [[松山崇]]、[[美術監督]](* [[1908年]])<br />
* [[7月17日]] - [[マルクジンスキ]]、[[ピアニスト]](* [[1914年]])<br />
* [[7月19日]] - [[大木惇夫]]、[[詩人]]・[[翻訳者]](* [[1895年]])<br />
* [[7月20日]] - [[藪田貞治郎]]、[[農芸化学|農芸化学者]](* [[1888年]])<br />
* [[7月25日]] - [[秋元不死男]]、[[俳人]](* [[1901年]])<br />
* [[7月26日]] - [[オスカー・モルゲンシュテルン]]、[[経済学者]](* [[1902年]])<br />
<br />
=== 8月 ===<br />
* [[8月1日]] - [[熊谷守一]]、[[画家]](*[[1880年]])<br />
* 8月1日 - [[フランシス・ゲーリー・パワーズ]]、軍人・[[U-2撃墜事件]]時の[[U-2 (航空機)|U-2]]機のパイロット(* [[1929年]])<br />
* [[8月3日]] - [[吉田健一 (英文学者)|吉田健一]]、[[文芸評論家]]・[[翻訳家]]・[[小説家]](* [[1912年]])<br />
* 8月3日 - [[マカリオス3世]]、[[キプロス]]初代大統領・キプロス正教会[[大主教]](* [[1913年]])<br />
* 8月3日 - [[真船豊]]、[[劇作家]]・小説家(*[[1902年]])<br />
* [[8月4日]] - [[エルンスト・ブロッホ]]、[[哲学者]](* [[1885年]])<br />
* [[8月7日]] - [[村山長挙]]、元[[朝日新聞社]]社長(* [[1894年]])<br />
* [[8月8日]] - [[エドガー・エイドリアン]]、生理学者(* [[1889年]])<br />
* [[8月10日]] - [[エドゥアルト・ロシュマン]]、[[親衛隊 (ナチス)|ナチス・ドイツ親衛隊]]大尉(* 1908年)<br />
* 8月10日 - [[山田かまち]]、遺作の[[詩]]・[[絵画]]で知られる[[高校生]](* [[1960年]])<br />
* [[8月16日]] - [[エルヴィス・プレスリー]]、[[ロックンロール]][[歌手]](* [[1935年]])<br />
* [[8月17日]] - [[パーヴェル・セレブリャーコフ]]、[[ピアニスト]](* [[1909年]])<br />
* [[8月19日]] - [[グルーチョ・マルクス]]、[[コメディアン]]・[[マルクス兄弟]](* [[1890年]])<br />
* [[8月23日]] - [[ナウム・ガボ]]、[[美術家]]・彫刻家(* [[1890年]])<br />
* [[8月26日]] - [[H・A・レイ]]、[[児童文学]][[作家]](* [[1898年]])<br />
<br />
=== 9月 ===<br />
* [[9月2日]] - [[信夫山治貞]]、大相撲の[[力士]]・元[[関脇]](* [[1925年]])<br />
* [[9月5日]] - [[吉田竜夫]]、漫画家、[[アニメ]]原作者、アニメ制作会社[[タツノコプロダクション]]設立者(* [[1932年]])<br />
* [[9月9日]] - [[アレクサンドル・チェレプニン]]、作曲家(* [[1899年]])<br />
* [[9月11日]] - [[田中一村]]、[[日本画家]](* 1908年)<br />
* [[9月12日]] - [[スティーヴ・ビコ]]、社会運動家(* [[1946年]])<br />
* [[9月13日]] - [[レオポルド・ストコフスキー]]、[[指揮者]](* [[1882年]])<br />
* [[9月16日]] - [[マーク・ボラン]]、[[ミュージシャン]](* [[1947年]])<br />
* 9月16日 - [[マリア・カラス]]、[[ソプラノ]]歌手(* [[1923年]])<br />
* [[9月19日]] - [[今東光]]、作家(* [[1898年]])<br />
* [[9月28日]] - [[ジョゼフ・オリヴァドーティ]]、[[作曲家]](* [[1893年]])<br />
<br />
=== 10月 ===<br />
* [[10月11日]] - [[マッキンレー・カンター]]、小説家(* [[1904年]])<br />
* [[10月14日]] - [[ビング・クロスビー]]、俳優・歌手(* [[1903年]])<br />
* [[10月17日]] - [[中山健男]]、[[憲法学者]](* [[1910年]])<br />
* [[10月18日]] - [[ハンス=マルティン・シュライヤー]]、[[実業家]](* [[1915年]])<br />
* [[10月20日]] - [[瀬藤象二]]、[[電気工学|電気工学者]](* [[1891年]])<br />
* [[10月25日]] - [[稲垣足穂]]、小説家(*[[1900年]])<br />
* [[10月26日]] - [[岡田源三郎]]、元[[プロ野球監督]](* [[1896年]])<br />
* [[10月27日]] - [[前田青邨]]、日本画家(* [[1885年]])<br />
* 10月27日 - [[秋田實]]、[[漫才]][[作家]](* [[1905年]])<br />
* [[10月29日]] - [[千代の山雅信]]、大相撲第41代横綱(* [[1926年]])<br />
* [[10月30日]] - [[野尻抱影]]、[[随筆家]]、[[天文学|天文研究家]](* [[1885年]])<br />
<br />
=== 11月 ===<br />
* [[11月8日]] - [[バッキー・ハリス (内野手)|バッキー・ハリス]]、[[メジャーリーガー]](* [[1896年]])<br />
* [[11月13日]] - [[豊田四郎]]、[[映画監督]](* [[1906年]])<br />
* [[11月14日]] - [[トム・リーミイ]]、小説家(* [[1935年]])<br />
* [[11月16日]] - [[ホセ・アコスタ (野球)|ホセ・アコスタ]]、メジャーリーガー(* [[1891年]])<br />
* [[11月18日]] - [[クルト・シュシュニグ]]、[[オーストリア]]首相(* [[1897年]])<br />
* [[11月26日]] - [[吉葉山潤之輔]]、大相撲第43代横綱(* [[1920年]])<br />
* [[11月30日]] - [[テレンス・ラティガン]]、[[劇作家]](* [[1911年]])<br />
<br />
=== 12月 ===<br />
* [[12月1日]] - [[海音寺潮五郎]]、[[小説家]](* [[1901年]])<br />
* 12月1日 - [[望月優子]]、女優・[[政治家]](* [[1917年]])<br />
* [[12月3日]] - [[ルドルフ・コンフナー]]、[[工学者]]・[[物理学者]](* [[1909年]])<br />
* [[12月5日]] - [[ローランド・カーク]]、[[サクソフォーン]]奏者(* [[1936年]])<br />
* [[12月9日]] - [[中尾碩志]]、元プロ野球選手・コーチ、[[読売ジャイアンツ]][[投手]](* [[1919年]])<br />
* [[12月13日]] - [[小原國芳]]、[[教育者]]・[[玉川学園]]創設者(* [[1887年]])<br />
* [[12月16日]] - [[トーマス・シッパーズ]]、指揮者(* [[1930年]])<br />
* [[12月18日]] - [[進藤英太郎]]、俳優(* [[1899年]])<br />
* 12月18日 - [[西沢道夫]]、元プロ野球選手(* [[1921年]])<br />
* 12月18日 - [[ヤコフ・フリエール]]、[[ピアニスト]]・音楽教師(* [[1912年]])<br />
* [[12月25日]] - [[チャールズ・チャップリン]]、喜劇俳優(* [[1889年]])<br />
* [[12月27日]] - [[高田稔]]、俳優(* 1899年)<br />
* [[12月28日]] - [[呉茂一]]、[[西洋]]古典[[学者]](* [[1897年]])<br />
* [[12月29日]] - [[内田常雄]]、政治家(* [[1907年]])<br />
<br />
== ノーベル賞 ==<br />
* [[ノーベル物理学賞|物理学賞]] - [[フィリップ・アンダーソン]] 、[[ネヴィル・モット]]、[[ジョン・ヴァン・ヴレック]]<br />
* [[ノーベル化学賞|化学賞]] - [[イリヤ・プリゴジン]]<br />
* [[ノーベル生理学・医学賞|生理学・医学賞]] - [[ロジャー・ギレミン]] [[アンドリュー・ウィクター・シャリー]] [[ロザリン・ヤロー]]<br />
* [[ノーベル文学賞|文学賞]] - [[ヴィセンテ・アレイクサンドレ]]<br />
* [[ノーベル平和賞|平和賞]] - [[アムネスティ・インターナショナル]]<br />
* [[アルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン銀行賞|経済学賞]] - [[ベルティル・オリーン]] [[ジェイムズ・ミード]]<br />
<br />
==フィクションのできごと==<br />
* [[2月2日]] - 飛鳥五郎、何者かに殺される。親友・早川健の復讐の旅がここから始まる。(『[[快傑ズバット]]』)<br />
* [[3月28日]] - ブロッカー軍団とモグール帝国の最終決戦が南極にて行われ、モグール帝国壊滅。(『[[ブロッカー軍団IVマシーンブラスター]]』)<br />
* 夏 - 古代の大昔絶滅したと見られる2匹恐竜の恐竜が富士山で暴れはじめる。(『[[恐竜・怪鳥の伝説]]』)<br />
* 時期不明 - 姿三十郎、地底の異常なエネルギーを調査中に、地底の少女(メルル族)と地帝獣に初遭遇し、地底帝国チューブの存在を知る。その一方、地底少女に「香月麗」という偽名を与え、影で援助する。(『[[光戦隊マスクマン]]』)<br />
<br />
[[Category:1977年|*]]</div>
ウマスラ
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=1939%E5%B9%B48%E6%9C%8819%E6%97%A5%E3%81%AE%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3%E6%BC%94%E8%AA%AC&diff=230242
1939年8月19日のスターリン演説
2014-06-01T17:51:22Z
<p>ウマスラ: /* ソ連外交・軍事の時系列 */</p>
<hr />
<div>'''1939年8月19日のスターリン演説'''は[[ヨシフ・スターリン]]が秘密裏にソビエトの指導者達に対して行われたと言われる演説であり、それは彼が第二次世界大戦の直前に[[ソビエト連邦]]の戦略を説明したものと信じられている。<br />
<br />
この演説の史実性はいまだに学術的議論の対象である。もっともらしい原稿の写しは様々な信頼のおける資料保管施設で見つかり、学術的に研究され、かつ出版もされているが[[1939年]][[8月19日]]に[[政治局]]の会合が開かれたという正式な直の証拠はなく、問題の演説が行われたこともまだ証明されていない。政治局は閉鎖的かつ秘密の組織であり、演説が秘密に行われることはその時期には一般的であった。さらに、これらの写しは当初は[[プロパガンダ]]および[[偽情報]]を意図されたものだという反対の見方もある。したがって歴史家の合意が成立するまでは、そのような命題を支える文書ということから、この記事においては「未確認」の演説として扱う。<br />
<br />
これらのレポートではスターリンは彼の戦略的な意見を述べているが、それはヨーロッパで高まる対立とそれが西側を弱め、領土拡大の機会をもたらす限りソビエトの政策に有益であるというものであった。もしこれがスターリンの意見ならば、それと同じ戦略的姿勢が[[ナチス・ドイツ]]とソビエト連邦の間は不可侵とする[[独ソ不可侵条約]](モロトフ=リッベントロップ協定)につながったと見られている。<br />
<br />
== 歴史的背景 ==<br />
=== ソ連の事情 ===<br />
この時期のソ連は[[大粛清]]のために国力が落ちていた。1938年後半にはいると、大量抑圧によって国家機能や経済運営が支障を来たすほどになっていた。対外的には中国において[[西安事件]]を発端として[[国共合作]]がなり、[[日中戦争]]が開始されたことはソ連にとっては(日本との衝突が遠のく意味で)望ましいことで、日中戦争開始翌月には[[中ソ不可侵条約]]を[[国民政府]]との間に締結して中国への軍事支援を開始している。ソ連軍は[[ノモンハン事件]]では相応の損害を受けながらも優勢に転じ、大規模な攻勢をかける直前であった(最終的には日本の侵攻をはねのけて停戦に持ち込む)。しかし、中国軍は日本軍による侵攻の拡大を食い止められなかった。[[スペイン内戦]]でもドイツと[[イタリア]]の支援した勢力が勝利を収め、ソ連の支援が実ることはなかった。ソ連の弱体化は同年11月に始まるフィンランドとの[[冬戦争]]においても示されることになる。一方、アメリカは[[フランクリン・ルーズベルト]]の時代になって直ちに米ソ国交樹立、日中戦争では中華民国支援に回り、ソ連と方向が重なっていた。<br />
<br />
=== ソ連外交・軍事の時系列 ===<br />
* 1918年3月3日、[[第一次世界大戦]]の講和条約を締結([[ブレスト=リトフスク条約]])<br />
* 1919年2月-1921年3月、[[ポーランド・ソビエト戦争]]<br />
* 1920年2月2日、[[ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国|ソヴィエト・ロシア政権]]とエストニアの間で[[タルトゥ平和条約]]締結<br />
* 1920年7月12日、ソヴィエト・ロシア政権とリトアニアの間でソヴィエト・リトアニア平和条約締結<br />
* 1920年8月11日、ラトビアとソヴィエト・ロシア政権との間でラトビア・ソヴィエト平和条約締結<br />
* 1920年10月14日、ソヴィエト・ロシア政権とフィンランドの間でタルトゥ平和条約締結<br />
* 1921年3月18日、[[ポーランド・ソビエト・リガ平和条約]]締結<br />
* 1921年10月23日、トルコ共和国もソビエト連邦 の間でカルス条約締結<br />
* 1925年1月20日、[[日ソ基本条約]]<br />
* 1926年4月24日、ドイツ([[ヴァイマル共和政|ヴァイマル共和国]])と[[ソヴィエト連邦]]の間で [[ベルリン条約 (1926年)|ベルリン条約]]締結<br />
* 1926年9月28日、ソヴィエト・リトアニア不可侵条約締結<br />
* 1932年1月21日、ソヴィエト・フィンランド不可侵条約締結<br />
* 1932年7月25日、[[ソ連・ポーランド不可侵条約]]<br />
* 1933年11月16日、米ソ国交樹立<br />
* 1934年1月26日、[[ドイツ・ポーランド不可侵条約]]<br />
* 1934年9月18日、ソ連が[[国際連盟]]に加盟<br />
* 1935年3月16日、ヒトラーはヴェルサイユ条約の軍備制限条項を破棄、再軍備を宣言。 <br />
* 1935年5月2日、 仏ソ相互援助条約の締結<br />
* 1937年8月21日、[[中ソ不可侵条約]]締結<br />
* 1938年3月13日、[[アンシュルス|ドイツがオーストリアを併合]]<br />
* 1939年3月、干渉していた[[スペイン内戦]]の末、ソ連とスペインの国交断絶<br />
* 1939年5月11日、満蒙国境において日本軍と交戦 ([[ノモンハン事件]]、1939年9月16日停戦) <br />
* 1939年8月19日、独ソ貿易協定締結<br />
* 1939年8月19日、'''スターリン演説が疑われる日'''<br />
* 1939年8月23日、ドイツとソビエト連邦により[[独ソ不可侵条約]]締結。<br />
* 1939年8月25日、イギリス・ポーランド共同防衛条約締結、このため[[ヒトラー]]は翌日のポーランド侵攻を延期。<br />
** 8月30日、ポーランド海軍の駆逐艦3隻をイギリスへ脱出させる[[ペキン作戦]]実施。<br />
* 1939年9月 1日、ドイツ軍の[[ポーランド侵攻]] ([[第二次世界大戦]]始まり)<br />
* 1939年9月 3日、イギリス、フランスなどがドイツに対して宣戦布告 ([[まやかし戦争]])<br />
* 1939年9月 4日、フランス・ポーランド軍事同盟更新<br />
* 1939年9月17日、ソ連軍のポーランド侵攻。イギリス、フランスは宣戦布告せず<br />
* 1939年9月22日、ソ連軍によりポーランドの都市[[ビリニュス]]陥落<br />
* 1939年9月24日、ソ連はオジェウ事件を口実に[[エストニア]]に相互援助条約とエストニア国内に軍事基地を設立することを要求<br />
* 1939年9月28日、エストニアはソ連の基地を受諾 <br />
* 1939年9月28日、[[モロトフ・リッベントロップ条約]]が[[ドイツ・ソビエト境界友好条約]]に基いて修正される; ほとんどのリトアニアがソビエトの勢力範囲になる<br />
* 1939年9月28日、ポーランド首都[[ワルシャワ]]陥落<br />
* 1939年10月2日、ソ連は[[ラトビア]]に相互援助条約とラトビア国内に軍事基地の設立を要求<br />
* 1939年10月5日、ラトビアはソ連の基地を受諾<br />
* 1939年10月5日、ソ連はフィンランドと基地と領土交換の交渉を開始<br />
* 1939年10月10日、リトアニアはソ連の基地を受諾、両国は相互援助条約締結、ソ連はビリニュスをリトアニア領に変更<br />
* 1939年10月11日、[[NKVD]]はエストニア、ラトビア及びリトアニアから反ソビエト分子をロシアに追放するために001223命令を出した<br />
* 1939年10月18日、最初の赤軍部隊がエストニアに入る<br />
* 1939年11月13日、フィンランドはソ連の要求を拒否<br />
* 1939年11月30日、ソ連軍のフィンランド侵攻([[冬戦争]])<br />
* 1939年12月14日、[[国際連盟]]はソ連軍のフィンランド侵攻を理由にソ連を除名。<br />
* 1940年3月13日、冬戦争終結、モスクワ条約<br />
* 1940年4月9日、ドイツがデンマークとノルウェーに侵攻<br />
* 1940年6月10日、ドイツがノルウェーを占領 <br />
* 1940年6月14日、ドイツにパリ陥落<br />
* 1940年6月14日、ソビエトによるエストニアの空路・海路閉鎖の開始 <br />
* 1940年6月14日、[[タリン]]発[[ヘルシンキ]]行のフィンランド旅客機「カレヴァ」がソ連空軍に撃墜された。 <br />
* 1940年6月14日、ソ連はリトアニアに最後通告を渡し、新政府設立と赤軍の自由な駐留を求めた。リトアニア大統領の[[アンターナス・スメトナ]]は武装して抵抗することを提案したが政府と軍隊のいずれからも支持されず、彼は占領を合法化するために利用されないように国を離れることを決めた。<br />
* 1940年6月15日、ソ連はリトアニアを占領した。[[アンターナス・スメトナ|スメトナ]]大統領はドイツを手始めにスイス経由で1941年アメリカに逃れ、1944年1月9日、クリーブランドで亡くなった。アンターナス・メルキース首相はソヴィエトのスメトナを捕えようとする要求に従った。<br />
* 1940年6月16日、同様の最後通告がエストニアとラトビアに渡される<br />
* 1940年6月16日、リトアニア首相アンターナス・メルキースは[[アンターナス・スメトナ]]から大統領の地位を奪い、非合法に彼自身を大統領とした<br />
* 1940年6月17日、エストニアとラトビアはソヴィエトの要求を受入れ、占領された。リトアニア首相アンターナス・メルキースはを新しい首相に任命し、辞任すると逮捕された。<br />
* 1940年6月20日、ソ連政府が認めた大臣による新しいラトビア政府が成立<br />
* 1940年6月21日、左翼活動家のみの新しいエストニア政府が成立。ソ連はいくつかの都市で赤軍後援の示威行動を催す。<br />
* 1940年6月22日、フランスが[[ドイツ国 (1933年-1945年)|ナチス・ドイツ]]に降伏<br />
* 1940年7月11日、ソ連によって理論的にはまだ独立国家の領土である[[リガ]]にバルト軍管区が設置された。 <br />
* 1940年7月14日-7月15日、非共産主義者の候補者が非合法化されたり、嫌がらせを受けたり、殴られたりされながらエストニア、ラトビア及びリトアニアで選挙が行われた。 <br />
* 1940年7月17日、リトアニアの臨時大統領アンターナス・メルキースは投獄され、ソ連の[[サラトフ]]に追放された。彼は1955年3月5日死亡。<br />
* 1940年7月21日-7月23日、エストニアの新しい議会がソヴィエト形式に沿ってエストニアを変更する<br />
* 1940年7月21日、新しいラトビアの[[サエイマ]]が広範囲に国有化とソヴィエト化決議を受入れる<br />
* 1940年7月22日、ラトビア大統領ウルマニスが逮捕されロシアに追放され二度と戻らなかった。1942年9月20日、彼はクラスノボツクの監獄で死んだ。<br />
* 1940年7月23日、バルト諸国の外交使節団の代表は、ロンドンとワシントンで彼らの国々のソヴィエトによる占領と併合に抗議する。<br />
* 1940年7月23日、米国の国防次官[[サムナー・ウェルズ]]の宣言。アメリカ合衆国は、法律上([[デ・ジュリ]])バルト諸国の併合の不承認の方針を追求する。他の西側諸国の大部分は同様の立場を1991年のバルト三国の主権回復まで取り続けた。<br />
* 1940年7月30日、エストニア大統領[[コンスタンティン・パッツ]]は、NKVDによって捕えられ、ロシアに追放され1956年1月18日に[[トヴェリ]]の精神病院で亡くなる。<br />
* 1940年8月3日、ソ連がリトアニアを併合<br />
* 1940年8月5日、ソ連がラトビアを併合<br />
* 1940年8月6日、ソ連がエストニアを併合<br />
* 1940年9月6日、ソ連が[[ハンコ]]とソ連国境間の部隊と物資輸送の権利をフィンランドから得る。<br />
* 1940年9月22日、ドイツがノルウェー北部と[[ボスニア湾]]の港の区間の部隊と物資輸送の権利をフィンランドから得る。<br />
* 1940年11月12日、ドイツはベルリンにおける交渉でソ連が求めたソ連が意図するままにフィンランドに対することができるとする権利の要求を拒否<br />
* 1940年12月16日、[[ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国]]の刑法がエストニアにおいて1940年6月21日以前に行われた行為に遡及して適用となる<br />
* 1941年1月10日、ソ連とドイツは、遅くなったラトビアとエストニアからの[[バルト・ドイツ人]]の移住について合意<br />
* 1941年6月14日、最初の大規模な追放が行われる。エストニアから1万人、ラトビアから1万5千人及びリトアニアから1万8千人がシベリアに送られた。<br />
* 1941年6月15日、ニューヨーク知事ハーバート・リーマンは、6月15日をバルト三国の日と宣言<br />
* 1941年6月22日、[[バルバロッサ作戦]](ソ連の[[大祖国戦争]])開始、ドイツがソ連に侵攻<br />
* 1941年6月24日- 6月25日、ライネイ虐殺により投獄されていたリトアニア政治家が処刑される<br />
* 1941年6月25日、ソ連がフィンランド国内のドイツ軍施設のみならずフィンランド固有の施設も空爆、[[継続戦争]]勃発<br />
* 1941年7月2日、ソ連は国内で総動員を発表<br />
* 1941年7月4日、エストニアの島々から大規模な国外追放<br />
* 1941年7月7日、ドイツ軍が南エストニアに到着<br />
* 1941年7月9日、ソ連当局は199人の政治犯を処刑してから[[タルトゥ]]を去る<br />
* 1941年7月10日、ドイツ軍が[[タルトゥ]]に到着<br />
* 1941年7月17日、リガに行政府が設立され、ローゼが長官に選出される。<br />
* 1941年7月21日、スターリンはソ連の新しい西側の国境に対する[[ウィンストン・チャーチル]]の建前上の承認を求めたがチャーチルは答えなかった。<br />
* 1941年8月14日、[[フランクリン・ルーズベルト|ルーズベルト]]と[[ウィンストン・チャーチル|チャーチル]]が[[大西洋憲章]]を発表<br />
* 1941年8月31日、ドイツ軍がバルト三国を占領<br />
<br />
== 文書の要約 ==<br />
歴史家が利用できる原資料では、スターリンは戦争が西欧諸国とナチスドイツを弱める最高の機会で、ドイツの「ソビエト化」へ向わせると期待を表している。そこには[[バルト三国]]、[[フィンランド]]および[[ポーランド]]への最終的な領土拡大の期待もある。<br />
<br />
これらの文書を研究した歴史家は信憑性のあることと考えられながらも証明されておらず(下記参照)、そのような演説が行われたなら、その見解がやはり8月23~24日に調印されているモロトフ=リッベントロップ協定として知られる[[独ソ不可侵条約]]の基礎となった可能性について言及している。 <br />
<br />
== 原資料と時系列 ==<br />
この演説の初版は[[1939年]]11月28日、[[スイス]]紙”Revue de Droit International”において発表された。それ以来いくつかの版が内容で異なりながら流通した。<br />
<br />
「1939年8月19日政治局に対してスターリンが」行ったと言われる「演説」では彼は交戦国が疲弊するように戦争はできるだけ長く続行されなくてはならないとする考えを示したと言われたが、[[冬戦争]]が勃発した[[1939年]]11月30日の[[プラウダ]]紙において、この演説の報道に関してスターリンに意見が求められた。スターリンはこれが誤った主張であると述べ、プラウダによれば次のように語っている。<br />
<br />
*[[フランス]]と[[イングランド]]がドイツを攻撃し、それゆえ彼らが現在の戦争に責任があることは否定できない。<br />
<br />
*ドイツは、フランスとイングランドに和平提案を行ったが、ソビエト連邦は戦争の早期終結がすべての国と民族の状況を緩和するという理由で提案を指示している。<br />
<br />
*イングランドとフランスの指導部は、ドイツの和平提案を無礼に拒絶した。<br />
<br />
ロシア人パブリシストのブシュエフ(T. S. Bushuyeva)はノーヴィ・ミール誌の1994年12号において演説の記録文献を発表した。 彼女の主張はソビエト特別公文書館で、彼女によれば、問題の会議に出席していた[[コミンテルン]]のメンバーによって記録されたと思しき文書が最近発見されたことに基づいている。(保管ファイルの場所: Centre for the Preservation of Collections of Historical Documents, former Soviet Special Archives; fund 7, list 1, file 1223, in Russian: Центр хранения историко-документальных коллекций, бывший Особый архив СССР, ф. 7, оп. 1, д. 1223). <br />
<br />
実際の原文の利用許可はまだである。ブシュエフもフランス語で利用できる版のロシア語訳を印刷した。これが問題に関して別の憶測の高まりを起した。参照した記録文献が[[フランス軍]]参謀本部の文書に関係したまとまりからのものであったことをブシュエフはいっさい話さなかった。<br />
<br />
== 歴史的確実性と議論 ==<br />
この演説がスターリンによってなされたかどうかはまだ歴史家による論争の対象であり、異議なく受け入れられる証明も存在していない。ヴィクトル・スヴォーロフの本''[[:en:M-Day (book)|M-Day]]''によると、ソビエト正史は[[1939年]][[8月19日]]に政治局会議が行われなかったという証明に特に重点を置いている。しかしながらスヴォーロフは彼の本の中でロシアの軍事史家[[ドミトリー・ヴォルコゴーノフ]]が会議がその日に本当に行われたという証拠を見つけたと述べている。 <br />
<br />
「母国の歴史(2004年)」第一巻にあるセルゲイ・スラウチの記事は「スターリンの演説」、そのテクスト学的な分析、及びあり得る捏造の考えられる理由と出所を批判的に論評している。カール・ノードリング、[[フィンランド]]の統計学者でありアマチュア歴史家)は、スラウチが”演説”の存在を否定することに対し、いくつかの反対論文を提出している。<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
<references/><br />
*Revue de Droit International, de Sciences Diplomatiques et Politiques (The International Law Review), 1939, Nr. 3, Juillet-Septembre. P. 247-249. <br />
*''Otechestvennaya Istoriya'' Отечественная история, 2004, № 1, pp. 113-139.<br />
*A.L.Weeks ''Stalin's Other War: Soviet Grand Strategy, 1939-1941'' ISBN 0-7425-2191-5<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
* [[ヴィクトル・スヴォーロフ]]は論争の的となっている歴史家であり、「[[砕氷船 (スヴォーロフ)|砕氷船]]」のような自身の論文の証拠としてこの演説を取り上げている。<br />
*“スターリンの逃したチャンス”、スターリンの攻撃計画と言われる件を扱っている軍事史家ミハイル・メリチュホフによる研究<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
*[http://www.carlonordling.se/ww2/stalin_speech_complete.html Stalin's speech to the Politburo on 19 August 1939, reconstructed from renderings in Novyi Mir, Moscow, and Revue de Droit International, Geneva], pieced together by [[:en:Carl O. Nordling|Carl O. Nordling]], [[スウェーデン]]<br />
*[http://www.carlonordling.se/ww2/didstalin.html ''Did Stalin deliver his alleged speech of 19 August 1939?]'' by Carl O. Nordling<br />
*{{ru icon}} [http://magazines.russ.ru/novyi_mi/1994/12/knoboz03.html Tatjana Bushuyeva’s article in Novyy Mir]<br />
*{{ru icon}} [http://tapirr.com/texts/history/suvorov/pravda/pavlova.htm Irina Pavlova about documents related to beginning of World War II]<br />
*{{ru icon}} [http://www.grani.ru/opinion/m.136132.html Irina Pavlova about findings by Bushueva]<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:1939}}<br />
<br />
[[Category:ソビエト連邦の国際関係]]<br />
[[Category:演説]]</div>
ウマスラ
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%AD%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E5%85%A8%E4%BD%93%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E5%B8%9D%E5%9B%BD&diff=230241
ウィキペディア全体主義帝国
2014-06-01T17:50:47Z
<p>ウマスラ: /* 概要 */</p>
<hr />
<div>'''ウィキペディア'''('''Wikipedia''')、正式国名'''ウィキペディア全体主義帝国'''(うぃきぺでぃあぜんたいしゅぎていこく)は、東アジアに位置するファシズム政党である[[ウィキペディアファシスト党]]が支配する[[ファシズム]]国家であり、[[ネット右翼|ネトウヨ]]だらけのウソ事典のこと。一見[[アンサイクロペディア|アンサイクロペディア共和国]]と敵対関係に思われるが実際は[[アンサイクロペディア]]が一方的に敵視している。世界一の[[記事数|資源]]を有している。<br />
<br />
== 概要 ==<br />
初代総統は[[ジミー・ウェールズ]]。[[管理者]]と呼ばれる[[独裁者]]による[[一党独裁|独裁体制]]が敷かれており、[[Wikipedia:投稿ブロックの方針|投稿ブロック]]と称して多くの人々に残虐な[[ホロコースト]]を行っている。<br />
<br />
また非常に自己中心的国家で「『管理者』を『管理人』と呼ぶな」、「『wiki』って略すな」等の標語が掲げられまるで[[ドイツ国 (1933年-1945年)|ナチス・ドイツ]]の様である。<br />
<br />
[[投稿ブロック|ホロコースト]]した利用者のリストを作り「広域ブロック」など新手の民族浄化手法も登場している。<br />
<br />
== 軍事 ==<br />
[[ウィキペディア専守防衛軍]]を参照。<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
* [[ネトゴミ]]<br />
* [[ヲタでっちあげ事典]]<br />
* [[ウィキペディア社会主義帝国]] - 右翼から見たウィキペディア。<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
* [http://japan.wikia.com/wiki/User_blog:%E4%B8%96%E7%95%8C%E4%BA%BA%E6%B0%91%E9%9D%A9%E5%91%BD/%E3%82%A6%E3%83%A8%E6%AD%AA%E6%9B%B2%E5%8A%A3%E6%82%AA%E7%99%BE%E7%A7%91%E4%BA%8B%E5%85%B8%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%AD%E3%83%9A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2 User blog:世界人民革命/ウヨ歪曲劣悪百科事典ウィキペディア]<br />
<br />
{{DEFAULTSORT:ういきへていあせんたいしゆきていこく}}<br />
[[Category:ウィキペディアに書くと削除される記事]]<br />
[[Category:オンライン百科事典]]<br />
[[Category:ウィキペディア]]<br />
[[Category:有害サイト]]</div>
ウマスラ
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=2%E6%9C%8819%E6%97%A5&diff=230240
2月19日
2014-06-01T17:50:09Z
<p>ウマスラ: /* できごと */</p>
<hr />
<div>'''2月19日'''は[[グレゴリオ暦]]で年始から50日目にあたり、年末まであと315日([[閏年]]では316日)ある。<br />
<br />
== できごと ==<br />
* [[1674年]] - 第3次[[ウェストミンスター条約]]が締結され第3次[[英蘭戦争]]が終結。<br />
* [[1771年]] - [[シャルル・メシエ]]が[[楕円銀河]][[M49]]を発見。<br />
* [[1819年]] - [[ウィリアム・スミス (船乗り)|ウィリアム・スミス]]が[[サウス・シェトランド諸島]]を発見。<br />
* [[1833年]] - [[マルディグラ]]([[謝肉祭]]の最終日)。[[ヴィクトル・ユーゴー]]が[[俳優|女優]]ジュリエット・ドルーエと[[愛人]]関係になる。([[2月16日#フィクションのできごと]]も参照)<br />
* [[1846年]] - [[テキサス併合]]: [[テキサス共和国]]が[[アメリカ合衆国]][[テキサス州]]に主権を公式に移管。<br />
* [[1865年]]([[元治]]2年[[1月24日 (旧暦)|1月24日]]) - [[長崎市|長崎]]に[[大浦天主堂]]が完成する。<br />
* [[1877年]] - [[日本]]が[[万国郵便連合]]に加盟。<br />
* [[1878年]] - [[トーマス・エジソン]]が[[レコードプレーヤー]]({{仮リンク|フォノグラフ|en|Phonograph}})の特許を取得。<br />
* [[1890年]] - [[草津線]]が全通。<br />
* [[1915年]] - [[第一次世界大戦]]: [[ガリポリの戦い]]が始まる。<br />
* [[1942年]] - [[第二次世界大戦]]・[[日本のオーストラリア空襲]]: [[大日本帝国海軍|日本海軍]]の艦載機が[[オーストラリア]]の[[ダーウィン (ノーザンテリトリー)|ダーウィン]]を空襲、243名の死者を出す。<br />
* 1942年 - 第二次世界大戦・[[日系人の強制収容]]: [[フランクリン・ルーズベルト]]米大統領が敵性外国人の強制収容を可能とする[[大統領令9066号]]に署名。<br />
* 1942年 - [[カナダ]]において[[ドイツ国 (1933年-1945年)|ナチス・ドイツ]]の侵攻を想定した演習『[[もしもの日]]』が実施される。<br />
* [[1943年]] - 第二次世界大戦: [[カセリーヌ峠の戦い]]<br />
* [[1945年]] - 第二次世界大戦・[[硫黄島の戦い]]: [[アメリカ海兵隊|海兵隊]]を主力とするアメリカ軍が、[[硫黄島 (東京都)|硫黄島]]に上陸。<br />
* [[1946年]] - [[昭和天皇]]の[[昭和天皇の戦後の巡幸都道府県一覧|日本全国巡幸]]が開始。<br />
* 1946年 - [[部落解放全国委員会]]結成。<br />
* [[1952年]] - [[青梅事件]]<br />
* [[1954年]] - [[蔵前国技館]]で、日本初の本格的な[[プロレス]]国際試合が開催(メインは[[力道山]]・[[木村政彦]]組対[[シャープ兄弟]])。<br />
* [[1959年]] - [[イギリス]]・[[ギリシア]]・[[トルコ]]が「[[キプロス]]独立協定」に調印。<br />
* [[1965年]] - [[日本サッカーリーグ]]が発足。<br />
* [[1972年]] - [[連合赤軍]]メンバー5名が人質1名を取って浅間山荘に立てこもる[[あさま山荘事件]]が発生(9日後の[[2月28日]]に立て篭もり犯全員を逮捕)。<br />
* [[1976年]] - [[ジェラルド・R・フォード]]米大統領が[[大統領令9066号]]を廃止。<br />
* [[1977年]] - [[宇宙科学研究所|東大宇宙航空研]]が試験衛星「[[たんせい3号]]」を打上げ。<br />
* [[1978年]] - [[エジプト軍によるラルナカ国際空港襲撃]]<br />
* [[1986年]] - [[ソビエト連邦]]が[[宇宙ステーション]]「[[ミール]]」を打ち上げ。<br />
* [[1993年]] - 最高裁が連合赤軍幹部の[[永田洋子]]と[[坂口弘]]の上告を棄却し、[[死刑]]が確定。<br />
* [[1996年]] - [[甲府盆地]]に蔓延していた[[地方病 (日本住血吸虫症)|日本住血吸虫症]]の終息宣言が[[山梨県]]により行われた。<br />
* [[1998年]] - 株取引に絡む利益要求疑惑を追及されていた[[新井将敬]]代議士が自殺。<br />
* [[2002年]] - アメリカの[[火星探査機]]「[[2001マーズ・オデッセイ]]」が[[火星]]の観測を開始。<br />
* [[2008年]] - [[キューバ]]の指導者[[フィデル・カストロ]]が国家評議会議長・軍最高司令官の辞任を表明。<br />
* 2008年 - イージス艦[[あたご (護衛艦)|あたご]]が漁船と衝突事故を起こす([[イージス艦衝突事故]])。漁船の船員2名が行方不明(5月20日に[[認定死亡]])。<br />
* 2008年 - 日本の[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]が[[メイプルソープ事件]]の判決を出し、国側の敗訴が確定。<br />
<br />
== 誕生日 ==<br />
*[[1473年]] - [[ニコラウス・コペルニクス]]、[[天文学者の一覧|天文学者]](+ [[1543年]])<br />
*[[1743年]] - [[ルイジ・ボッケリーニ]]、[[作曲家]]、[[チェロ奏者]](+ [[1805年]])<br />
*[[1792年]] - [[ロデリック・マーチソン]]、[[地質学者]](+ [[1871年]])<br />
*[[1821年]] - [[アウグスト・シュライヒャー]]、[[言語学者]](+ [[1868年]])<br />
*[[1833年]] - [[エリー・デュコマン]]、[[ジャーナリスト]]、[[平和運動家]](+ [[1906年]])<br />
*[[1855年]]([[安政]]2年[[1月3日 (旧暦)|1月3日]])- [[西ノ海嘉治郎 (初代)|西ノ海嘉治郎]]、第16代[[横綱]](+ [[1908年]])<br />
*[[1859年]] - [[スヴァンテ・アレニウス]]、[[化学者]](+ [[1927年]])<br />
*[[1863年]] - [[エマヌエル・モール]]、[[作曲家]]・[[ピアニスト]]、楽器発明家(+ [[1931年]])<br />
*[[1864年]] - [[同慶帝]]、[[ベトナム|ベトナム皇帝]](+ [[1889年]])<br />
*[[1865年]] - [[スヴェン・ヘディン]]、探検家(+ [[1952年]])<br />
*[[1876年]] - [[コンスタンティン・ブランクーシ]]、[[彫刻家]](+ [[1957年]])<br />
*[[1877年]] - [[ガブリエレ・ミュンター]]、[[芸術家]](+ [[1962年]])<br />
*[[1885年]] - [[小畑敏四郎]]、[[陸軍軍人]](+ [[1947年]])<br />
*[[1890年]] - [[橋本欣五郎]]、陸軍軍人(+ [[1957年]])<br />
*[[1893年]] - [[セドリック・ハードウィック]]、[[俳優]](+ [[1964年]])<br />
*1893年 - [[南喜一]]、[[実業家]](+ [[1970年]])<br />
*1893年 - [[マグダ・タリアフェロ]]、[[ピアニスト]] (+ [[1986年]])<br />
*[[1896年]] - [[アンドレ・ブルトン]]、[[文学者]](+ [[1966年]])<br />
*[[1899年]] - [[ルーチョ・フォンタナ]]、[[美術家]](+ [[1968年]])<br />
*[[1902年]] - [[鶴田知也]]、[[小説家]](+ [[1988年]])<br />
*1902年 - [[土井虎賀寿]]、[[哲学者]]、[[文学者]](+ [[1971年]])<br />
*[[1907年]] - [[武田文吾]]、[[騎手]]、[[調教師]](+ [[1986年]])<br />
*[[1911年]] - [[マール・オベロン]]、[[俳優|女優]](+ [[1979年]])<br />
*[[1912年]] - [[谷口千吉]]、[[映画監督]](+ [[2007年]])<br />
*[[1912年]] - [[ヘルマン・フローン]]、[[地理学者]]、[[気候学者]](+ [[1997年]])<br />
*[[1914年]] - [[内海五十雄]]、[[プロ野球選手]](+ [[1992年]])<br />
*[[1917年]] - [[峠三吉]]、[[詩人]](+ [[1953年]])<br />
*1917年 - [[カーソン・マッカラーズ]]、[[作家]](+ [[1967年]])<br />
*[[1919年]] - [[児玉利一]]、プロ野球選手(+ [[2008年]])<br />
*[[1921年]] - [[朝霧鏡子]]、女優(+ [[1999年]])<br />
*[[1924年]] - [[長崎源之助]]、[[児童文学作家]](+ [[2011年]])<br />
*1924年 - [[リー・マーヴィン]]、[[俳優]](+ [[1987年]])<br />
*[[1926年]] - [[クルターグ・ジェルジ]]、作曲家<br />
*[[1929年]] - [[粟津潔]]、[[グラフィックデザイナー]](+ [[2009年]])<br />
*[[1930年]] - [[ジョン・フランケンハイマー]]、[[映画監督]](+ [[2002年]])<br />
*1930年 - [[島田雄三]]、プロ野球選手<br />
*1930年 - [[宮本憲一]]、[[経済学者]]<br />
*[[1933年]] - [[八代駿]]、俳優、[[声優]](+ [[2003年]])<br />
*[[1934年]] - [[ピエール・バルー]]、音楽家、俳優<br />
*[[1935年]] - [[ジャン=ルイ・シェレル]]、[[ファッションデザイナー]](+ [[2013年]])<br />
*1935年 - [[阿部謹也]]、歴史学者(+ [[2006年]])<br />
*[[1936年]] - [[伏見扇太郎]]、[[俳優]](没年不明)<br />
*[[1937年]] - [[杉本清]]、[[アナウンサー]]・競馬ジャーナリスト<br />
*[[1940年]] - [[サパルムラト・ニヤゾフ]]、[[トルクメニスタン]]初代大統領(+ [[2006年]])<br />
*1940年 - [[スモーキー・ロビンソン]]、[[音楽家|ミュージシャン]]<br />
*[[1941年]] - [[デイビッド・グロス]]、[[物理学者]]<br />
*1941年 - [[小川真司]]、俳優、声優<br />
*[[1942年]] - [[園田博之]]、政治家<br />
*1942年 - [[ドリー・ファンク・ジュニア]]、[[プロレスラー]]<br />
*1942年 - [[ハワード・ストリンガー]]、[[ソニー]][[代表取締役]][[会長]]兼[[最高経営責任者|CEO]]<br />
*[[1943年]] - [[ティモシー・ハント]]、[[生化学者]]<br />
*1943年 - [[ロバート・トリヴァース]]、[[進化生物学者]]<br />
*1943年 - [[ゲイル・ホプキンス]]、元[[プロ野球選手]]、医師、牧師<br />
*[[1946年]] - [[藤岡弘、]]、[[俳優]]<br />
*[[1948年]] - [[財津和夫]]、[[ミュージシャン]]<br />
*1948年 - [[トニー・アイオミ]]、ミュージシャン([[ブラック・サバス]])<br />
*[[1949年]] - [[益子修]]、[[三菱自動車工業]][[代表取締役]][[社長]]<br />
*[[1950年]] - [[貴ノ花健士]]、[[大相撲]][[力士]]、[[二子山 (相撲)|二子山]]親方(+ [[2005年]])<br />
*1950年 - [[安井潤一郎]]、政治家<br />
*[[1951年]] - [[梅林茂]]、作曲家<br />
*[[1951年]] - [[藤岡真]]、作家<br />
*1951年 - [[ホレス・アンディ]]、[[レゲエ]]歌手<br />
*[[1952年]] - [[村上龍]]、作家<br />
*1952年 - [[笑福亭松鶴 (7代目)]]、[[落語家]](+ [[1996年]])<br />
*[[1953年]] - [[クリスティーナ・フェルナンデス・デ・キルチネル]]、[[アルゼンチンの大統領|アルゼンチン大統領]]<br />
*[[1954年]] - [[ソクラテス (サッカー選手)|ソクラテス]]、サッカー選手(+ [[2011年]])<br />
*[[1956年]] - [[如月小春]]、[[劇作家]]、[[演出家]](+ [[2000年]])<br />
*1956年 - [[ロデリック・マキノン]]、[[分子生物学者]]<br />
*[[1957年]] - [[ファルコ (ミュージシャン)|ファルコ]]、ミュージシャン (+ [[1998年]])<br />
*[[1958年]] - [[ヘレン・フィールディング]]、作家<br />
*[[1959年]] - [[星野充昭]]、俳優、[[声優]]<br />
*1959年 - [[吉野朔実]]、[[漫画家]]<br />
*[[1960年]] - [[アンドルー王子]]、イギリス女王[[エリザベス2世 (イギリス女王)|エリザベス2世]]の次男<br />
*[[1961年]] - [[THE SEIJI]]、漫画家<br />
*1961年 - [[吉村萬壱]]、作家<br />
*1962年 - [[越智一裕]]、[[アニメーター]]、漫画家<br />
*1962年 - [[ハナ・マンドリコワ]]、[[テニス選手]]<br />
*[[1963年]] - [[島朗]]、[[将棋]][[棋士 (将棋)|棋士]]<br />
*[[1964年]] - [[樋口雅子]]、声優<br />
*1964年 - [[和田ラヂヲ]]、[[漫画家]]<br />
*1964年 - [[月山栄珠]]、プロ野球選手<br />
*[[1965年]] - [[岡本久美子]]、テニス選手<br />
*[[1966年]] - [[薬丸裕英]]、[[タレント]]<br />
*[[1967年]] - [[ベニシオ・デル・トロ]]、俳優<br />
*[[1969年]] - [[かとうれいこ]]、タレント<br />
*[[1970年]] - [[笠原弘子]]、声優<br />
*[[1971年]] - [[ギル・シャハム]]、[[ヴァイオリニスト]]<br />
*1971年 - [[三浦聡子]](高取茉南)、[[キャスター]]、女優<br />
*[[1972年]] - [[大森南朋]]、俳優<br />
*1972年 - [[中上雅巳]]、タレント<br />
*[[1973年]] - [[河口正史]]、[[アメリカンフットボール]]選手<br />
*[[1974年]] - [[坪井智哉]]、プロ野球選手<br />
*1974年 - [[森且行]]、[[オートレース]]選手<br />
*1974年 - [[貴島サリオ]]、[[歌手]]<br />
*1974年 - [[Nujabes]]、ミュージシャン (+ [[2010年]])<br />
*[[1975年]] - [[あべこうじ]]、お笑い芸人<br />
*1975年 - [[山本高広]]、[[ものまねタレント]]<br />
*1975年 - [[喜安浩平]]、声優<br />
*[[1977年]] - [[吉本峰之]]([[ストリーク]])、[[お笑い芸人]]<br />
*1977年 - [[ジャンルカ・ザンブロッタ]]、サッカー選手、サッカー指導者<br />
*[[1978年]] - [[平田宏美]]、声優<br />
*[[1979年]] - [[呂建剛]]、プロ野球選手<br />
*[[1980年]] - [[フリーディア・ニムラ]]、タレント<br />
*[[1981年]] - [[森麻季 (アナウンサー)|森麻季]]、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]][[アナウンサー]]<br />
*1981年 - [[ヴィタス]]、歌手<br />
*1981年 - [[ニッキー・ショーリー]]、サッカー選手<br />
*[[1982年]] - [[阿部進之介]]、俳優<br />
*1982年 - [[伊藤久美子]]、[[俳優|女優]]<br />
*1982年 - [[R・O・N]]、作曲家、ギタリスト([[OLDCODEX]])<br />
*[[1983年]] - [[琴欧洲勝紀]]、[[大相撲]][[力士]]<br />
*1983年 - [[ささきのぞみ]]、声優<br />
*1983年 - [[中島美嘉]]、[[歌手]]<br />
*1983年 - [[山口翔悟]]、俳優<br />
*1983年 - [[小林大悟]]、サッカー選手<br />
*1983年 - [[イワン・シェフェル]]、[[フィギュアスケート]]選手<br />
*[[1984年]] - [[福田淳子]]、[[タレント]]、[[グラビアアイドル]]<br />
*1984年 - [[マリリン・プラ]]、[[フィギュアスケート]]選手<br />
*[[1985年]] - [[アリエル・ケベル]]、女優<br />
*1985年 - [[浅見紘子]]、[[バレエ]]ダンサー<br />
*1985年 - [[新田雄史]]、[[競艇選手]]<br />
*[[1986年]] - [[かでなれおん]]、[[グラビアアイドル]]<br />
*1986年 - [[ガリガリガリクソン]]、[[お笑い芸人]]<br />
*1986年 - [[幸坂ゆか]]、タレント<br />
*1986年 - [[萬代宏樹]]、サッカー選手<br />
*[[1987年]] - [[アンナ・カッペリーニ]]、[[フィギュアスケート]]選手<br />
*1987年 - [[MAI]]、歌手<br />
*[[1988年]] - [[入野自由]]、声優<br />
*[[1990年]] - [[マリエル・ミラー]]、フィギュアスケート選手<br />
*[[1991年]] - [[永瀬麻帆]]、タレント<br />
*1991年 - [[AMO (モデル)|AMO]]、ファッションモデル<br />
*[[1992年]] - [[桑原みずき|桑原瑞希]]、[[SKE48]]<br />
*[[1993年]] - [[波多野桃子]]、女優、声優<br />
*1993年 - [[キム・ミンソク]]、フィギュアスケート選手<br />
*生年不詳 - [[深見じゅん]]、漫画家<br />
*生年不詳 - [[ななじ眺]]、漫画家<br />
*生年不詳 - [[えれっと]]、[[イラストレーター]]、漫画家<br />
<br />
== 忌日 ==<br />
* [[197年]] - [[クロディウス・アルビヌス]]、[[ローマ帝国]]の[[ブリタンニア]]総督(* [[150年]])<br />
* [[1445年]] - [[レオノール・デ・アラゴン (ポルトガル王妃)|レオノール・デ・アラゴン]]、[[ドゥアルテ1世 (ポルトガル王)|ポルトガル王ドゥアルテ1世]]の妃(* [[1402年]])<br />
* [[1553年]] - [[エラスムス・ラインホルト]]、天文学者(* [[1511年]])<br />
* [[1670年]] - [[フレデリク3世 (デンマーク王)|フレデリク3世]]、[[デンマーク]]王(* [[1609年]])<br />
* [[1671年]]([[寛文]]11年[[1月10日 (旧暦)|1月10日]]) - [[徳川頼宣]]、[[徳川家康]]の十男、[[水戸藩]]・[[駿府藩]]・[[紀州藩]][[藩主]]歴任、[[紀州徳川家]]の祖(* [[1602年]])<br />
* [[1709年]]([[宝永]]6年[[1月10日 (旧暦)|1月10日]]) - [[徳川綱吉]]、[[江戸幕府]]第5代[[征夷大将軍|将軍]](* [[1646年]])<br />
* [[1837年]] - [[ゲオルク・ビュヒナー]]、[[劇作家]]、[[小説家]](* [[1813年]])<br />
* [[1878年]] - [[シャルル・フランソワ・ドービニー]]、[[画家]](* [[1817年]])<br />
* [[1897年]] - [[カール・ワイエルシュトラス]]、[[数学者]](* [[1815年]])<br />
* [[1916年]] - [[エルンスト・マッハ]]、[[物理学者]](* [[1838年]])<br />
* [[1927年]] - [[ゲーオア・ブランデス]]、[[文学史|文学史家]]、[[評論家]](* [[1842年]])<br />
* 1927年 - [[ローベルト・フックス]]、[[作曲家]](* [[1847年]])<br />
* [[1929年]] - [[ヴィルヘルム・ライン]]、[[教育学|教育学者]](* [[1847年]])<br />
* [[1934年]] - [[伊東巳代治]]、官僚、政治家(* [[1857年]])<br />
* 1934年 - [[野呂栄太郎]]、[[マルクス経済学|マルクス経済学者]]、[[日本共産党]]幹部(* [[1900年]])<br />
* [[1936年]] - [[ウィリアム・ミッチェル]]、[[アメリカ合衆国]]の[[軍人]](* [[1879年]])<br />
* [[1938年]] - [[エトムント・ランダウ]]、数学者(* [[1877年]])<br />
* [[1941年]] - [[ハミルトン・ハーティ]]、[[指揮者]](* [[1879年]])<br />
* [[1951年]] - [[アンドレ・ジッド]]、小説家(* [[1869年]])<br />
* [[1952年]] - [[クヌート・ハムスン]]、小説家(* [[1859年]])<br />
* [[1953年]] - [[近藤信竹]]、[[大日本帝国海軍|日本海軍]]の[[大将]](* [[1886年]])<br />
* [[1957年]] - [[モリス・ガラン]]、[[自転車競技]]選手(* [[1871年]])<br />
* [[1963年]] - [[スヴャトスラフ・クヌシェヴィツキー]]、[[チェリスト]](* [[1908年]])<br />
* [[1964年]] - [[尾崎士郎]]、小説家(* [[1898年]])<br />
* [[1972年]] - [[リー・モーガン]]、[[ジャズ]][[トランペット|トランペッター]](* [[1938年]])<br />
* [[1973年]] - [[ヨゼフ・シゲティ]]、[[ヴァイオリニスト]](* [[1892年]])<br />
* [[1974年]] - [[宇野哲人]]、漢文学者(* [[1875年]])<br />
* [[1975年]] - [[ルイージ・ダッラピッコラ]]、作曲家(* [[1904年]])<br />
* [[1988年]] - [[アンドレ・フレデリック・クルナン]]、[[医学者]](* [[1895年]])<br />
* 1988年 - [[ルネ・シャール]]、[[詩人]](* [[1907年]])<br />
* [[1991年]] - [[小林一喜]]、[[ジャーナリスト]](* [[1934年]])<br />
* [[1992年]] - [[大林辰蔵]]、[[天体物理学|宇宙物理学者]](* [[1926年]])<br />
* [[1994年]] - [[デレク・ジャーマン]]、[[映画監督]](* [[1942年]])<br />
* [[1997年]] - [[トウ小平|鄧小平]]、[[中華人民共和国]]の政治家(* [[1904年]])<br />
* 1997年 - [[埴谷雄高]]、小説家(* [[1909年]])<br />
* 1997年 - [[ダヴィッド・アシュケナージ]]、[[ピアニスト]]、[[コンサートマスター]]、[[作曲家]](* [[1915年]])<br />
* [[1998年]] - [[マンサー・オルソン]]、[[経済学者]](* [[1932年]])<br />
* 1998年 - [[新井将敬]]、政治家(* [[1948年]])<br />
* [[2000年]] - [[フリーデンスライヒ・フンダートヴァッサー]]、芸術家 (* [[1928年]])<br />
* [[2001年]] - [[スタンリー・クレイマー]]、映画監督、プロデューサー(* [[1913年]])<br />
* 2001年 - [[シャルル・トレネ]]、[[シャンソン]][[歌手]](* 1913年)<br />
* [[2005年]] - [[岡本喜八]]、映画監督(* [[1924年]])<br />
* [[2007年]] - [[ジャネット・ブレア]]、[[俳優|女優]](* [[1921年]])<br />
* [[2008年]] - [[沈殿霞]]、[[香港]]電視藝員(* [[1945年]])<br />
* [[2009年]] - [[前田隣]]、[[コメディアン]]([[ナンセンストリオ]]元メンバー)(* [[1936年]])<br />
* [[2010年]] - [[雨宮淳]]、[[彫刻家]](* [[1937年]])<br />
<br />
== 記念日・年中行事 ==<br />
* [[雨水]](2010年・2011年・2012年)<br />
*: [[二十四節気]]の1つ。太陽の黄経が330度の時で、雪が溶け始めるころに当たる。<br />
<br />
* [[国旗の日]]<br />
*: 初代大統領[[サパルムラト・ニヤゾフ]]の誕生日を記念し、1997年に制定。<br />
<br />
* 万国郵便連合加盟記念日<br />
*: [[1877年]]2月19日に日本が[[万国郵便連合]] (UPU) に加盟したことに由来。<br />
* [[プロレス]]の日<br />
*: [[1955年]]のこの日、日本初のプロレスの本格的な国際試合、[[力道山]]・[[木村政彦]]組対[[シャープ兄弟]]の試合が開催されたことに由来。<br />
<br />
== フィクションのできごと ==<br />
=== できごと ===<br />
* [[2011年]] - 60発のミサイル事件。(アニメ『[[東のエデン]]』劇中の事件)<br />
<br />
=== 誕生日 ===<br />
* [[1983年]] - 穂村愛美、ゲーム・アニメ『[[君が望む永遠]]』に登場するキャラクター<br />
* 宇宙暦774年 - [[フレデリカ・グリーンヒル]]、小説・漫画・アニメ『[[銀河英雄伝説]]』に登場するキャラクター<br />
* 生年不明 - 秋山飛美、ゲーム『[[true tears]]』に登場するキャラクター<br />
* 生年不明 - 神谷朝霞、漫画・アニメ『[[スケッチブック (漫画)|スケッチブック]]』に登場するキャラクター<br />
* 生年不明 - 工藤叶、アニメ・ゲーム『[[D.C. 〜ダ・カーポ〜]]』に登場するキャラクター<br />
* 生年不明 - 小河坂千波、ゲーム『[[星空のメモリア -Wish upon a shooting star-]]』に登場するキャラクター<br />
* 生年不明 - 東儀白、ゲーム『[[FORTUNE ARTERIAL]]』に登場するキャラクター<br />
* 生年不明 - マグロ、ゲーム『[[どうぶつの森]]』に登場するキャラクター<br />
* 生年不明 - ランジエ・ローゼンクランツ、オンラインゲーム『[[テイルズウィーバー]]』に実装予定及び、原作小説『[[ルーンの子供たち|ルーンの子供たち(第1部冬の剣)、(第2部デモニック)]]』に登場するキャラクター<br />
<br />
=== 忌日 ===<br />
* 没年不明 - ドゥプリー大佐、[[ウォルター・ジョン・ウィリアムズ]]の小説『必殺の冥路』に登場するキャラクター</div>
ウマスラ
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=6%E6%9C%8810%E6%97%A5&diff=230239
6月10日
2014-06-01T17:49:33Z
<p>ウマスラ: /* できごと */</p>
<hr />
<div>'''6月10日'''(ろくがつとおか)は[[グレゴリオ暦]]で年始から161日目([[閏年]]では162日目)にあたり、年末まであと204日ある。<br />
<br />
{{カレンダー_6月}}<br />
<br />
== できごと ==<br />
* [[671年]]([[天智天皇]]10年[[4月25日 (旧暦)|4月25日]]) - 漏刻([[水時計]])と鐘鼓による[[時報]]を開始([[時の記念日]])。<br />
* [[716年]]([[霊亀]]2年[[5月16日 (旧暦)|5月16日]])- [[高句麗]]の遺民1799名を[[武蔵国]]に移し[[高麗郡]]を設置。<br />
* [[1221年]]([[承久]]3年[[5月19日 (旧暦)|5月19日]])- [[承久の乱]]:[[北条義時]]追討を命ずる[[後鳥羽天皇|後鳥羽上皇]]の[[院宣]]を受けて[[北条政子]]が鎌倉武士団に団結を訴える演説を行う。<br />
* [[1786年]] - 10日前の地震で中国[[四川省]]の[[大渡河]]にできた[[天然ダム]]が崩壊。10万人が死亡。<!-- enより --><br />
* [[1794年]]([[フランス革命暦]]II年プレリアール22日) - [[フランス革命]]:[[プレリアール22日法]]が制定される。<br />
* [[1805年]] - [[第一次バーバリ戦争]]終結。<br />
* [[1829年]] - [[テムズ川]]で[[オックスフォード大学]]・[[ケンブリッジ大学]]間初の[[ザ・ボート・レース|ボート・レース]]が行われ、オックスフォードが優勝した。<br />
* [[1864年]] - [[南北戦争]]:[[ブライス交差点の戦い]]が行われる。<br />
* [[1865年]] - [[リヒャルト・ワーグナー]]の歌劇『[[トリスタンとイゾルデ (楽劇)|トリスタンとイゾルデ]]』がミュンヘンで初演。<br />
* [[1871年]] - [[辛未洋擾]]<br />
* [[1886年]] - [[ニュージーランド]]の[[タラウェラ山]]が大噴火。飛び散った噴石により153人が死亡。<br />
* [[1900年]] - [[義和団の乱]]鎮圧のため、日米英独仏伊墺露の8か国連合軍が北京へ侵攻開始(列国第2次出兵)。<br />
* [[1902年]] - アメリカのA.キャラハンが、窓付き[[封筒]]の[[特許]]を取得。<br />
* [[1903年]] - [[東京大学|東京帝国大学]]・[[学習院]]の教授7名が日本政府に対露強硬外交を迫る[[七博士意見書]]を提出。<br />
* [[1907年]] - [[日仏協約]]が調印される。清の独立・領土保全が約束され、清国内の両国の勢力範囲が確認される。<br />
* [[1913年]] - [[森永ミルクキャラメル]]が発売。<br />
* [[1917年]] - [[第一次世界大戦]]:[[オルティガーラ山の戦い]]が起こる。<br />
* [[1918年]] - 第一次世界大戦:[[オーストリア=ハンガリー帝国海軍]]の[[セント・イシュトヴァーン (戦艦)|戦艦セント・イシュトヴァーン]]が[[イタリア海軍]]の[[MAS (魚雷艇)|魚雷艇MAS-15]]に撃沈される。<br />
* [[1924年]] - [[イタリア]]の社会主義の指導者・[[ジャコモ・マッテオッティ]]が[[ファシスト]]により暗殺。<br />
* [[1925年]] - [[カナダ]]で、[[長老派教会]]・[[メソジスト]]教会・[[会衆派教会]]の合併により[[カナダ連合教会]]が発足。<br />
* [[1926年]] - [[朝鮮半島]]で、[[6・10万歳運動]]が起こる。<br />
* [[1929年]] - 日本の植民地行政の中心機関・[[拓務省]]を設置。<br />
* [[1935年]] - [[アルコホーリクス・アノニマス]]発足。<br />
* [[1940年]] - [[第二次世界大戦]]:[[イタリア]]が[[イギリス]]・[[フランス]]に宣戦布告。<br />
* 1940年 - [[北欧侵攻]]:[[ノルウェー]]が[[ドイツ国 (1933年-1945年)|ナチス・ドイツ]]に降伏。<br />
* [[1942年]] - 第二次世界大戦:ナチス・ドイツが[[ラインハルト・ハイドリヒ]]暗殺の報復として[[チェコ]]の[[リディツェ]]で住民を虐殺。<br />
* 1942年 - 北海道[[北見市]]が市制施行。<br />
* [[1944年]] - 第二次世界大戦:ナチス・ドイツの[[武装親衛隊]]が[[フランス]]の[[オラドゥール=シュル=グラヌ]]で住民642人を虐殺。<br />
* 1944年 - 第二次世界大戦:[[ディストモの大虐殺]]。ナチス・ドイツのSS警察部隊が[[ギリシャ国|ギリシャ]]の[[ディストモ]]で住民218人を殺害。<br />
* 1944年 - [[シンシナティ・レッズ]]の[[ジョー・ナックスホール]]がメジャーデビュー。15歳10ヶ月11日の[[メジャーリーグ]]史上最年少記録。<br />
* [[1949年]] - [[社会教育法]]公布。<br />
* 1955年 - [[日本電信電話公社|電電公社]]の[[時報]]サービスが[[東京]]で始まる。<br />
* [[1959年]] - [[国立西洋美術館]]で開館式。<br />
* [[1961年]] - [[安保闘争]]:[[東京国際空港]]で[[ジェイムズ・ハガティ]]米大統領報道官の一行が[[デモ]]隊に包囲され、[[アメリカ海兵隊]]のヘリに救助。(ハガチー事件)<br />
* [[1962年]] - [[北陸本線]][[北陸トンネル]]が開通。当時日本最長。<br />
* [[1967年]] - [[第三次中東戦争]]([[6月5日]]-)終結。空軍による6日間の電撃作戦で[[イスラエル]]の占領地域は戦前の4倍以上に拡大、現在まで[[中東]]の[[地政学]]に影響している。<br />
* [[1968年]] - [[大気汚染防止法]]・[[騒音規制法]]公布。<br />
* [[1969年]] - [[国鉄バス]]が[[東名ハイウェイバス]]および日本初の[[夜行高速バス]][[ドリーム号 (高速バス)|ドリーム号]]の運行を開始。<br />
* 1969年 - 日本のGNP([[国民総生産]])が[[西ドイツ]]を抜いて世界第2位となった事を同国の[[経済企画庁]]が発表。<br />
* [[1976年]] - [[札幌市営地下鉄東西線]]の最初の開業区間、[[琴似駅 (札幌市営地下鉄)|琴似駅]]~[[白石駅 (札幌市営地下鉄)|白石駅]]間が開業。<br />
* 1976年 - [[東京都立第五福竜丸展示館]]が開館。<br />
* [[1990年]] - [[ペルー]][[大統領]]選の決選投票で[[アルベルト・フジモリ]]が当選。<br />
* [[1997年]] - [[ポル・ポト]]が[[ソン・セン]]国防相とその家族の殺害を命令。<br />
* [[1998年]] - [[1998 FIFAワールドカップ|FIFAワールドカップ フランス大会]]が開幕。[[7月12日]]まで。<br />
* [[1999年]] - [[日本標準時]]を送信する無線局[[JJY]]の[[おおたかどや山標準電波送信所]]が運用開始。<br />
* [[2000年]] - [[群馬県]][[新田郡]][[尾島町]]安養寺(現・[[太田市]]安養寺町)の化学工場・[[日進化工|日進化工群馬工場]]で爆発事故が発生。爆音が30km程離れた[[前橋市]]や[[高崎市]]まで響き、死者4名、けが人多数という大事故であった。<br />
* [[2003年]] - [[ハマース]]報道官[[アブドゥルアズィーズ・アッ=ランティースィー]]が[[イスラエル]]軍ヘリの空爆を受ける。<br />
* 2003年 - [[アメリカ航空宇宙局|NASA]]の[[火星探査機]]「[[スピリット (探査機)|スピリット]]」が打ち上げられる。<br />
* [[2007年]] - [[ピッツバーグ・パイレーツ]]の[[桑田真澄]]投手がメジャー初登板。<br />
<br />
== 誕生日 ==<br />
* [[1819年]] - [[ギュスターヴ・クールベ]]、[[画家]](+ [[1877年]])<br />
* [[1865年]] - [[フレデリック・クック]]、[[探検家]](+ [[1940年]])<br />
* 1865年 - [[小泉又次郎]]、[[政治家]](+ [[1951年]])<br />
* [[1880年]] - [[アンドレ・ドラン]]、画家(+ [[1954年]])<br />
* [[1882年]] - [[長谷部言人]]、[[人類学|人類学者]](+ [[1969年]])<br />
* [[1886年]] - [[早川雪洲]]、[[俳優]](+ [[1973年]])<br />
* [[1893年]] - [[酒井忠正]]、政治家(+ [[1971年]])<br />
* [[1895年]] - [[ハティ・マクダニエル]]、[[女優]](+ [[1952年]])<br />
* [[1901年]] - [[赤星六郎]]、[[ゴルフ|ゴルファー]](+ [[1944年]])<br />
* [[1904年]] - [[城昌幸]]、[[推理作家]](+ [[1976年]])<br />
* 1904年 - [[土家由岐雄]]、[[児童文学作家]](+ [[1999年]])<br />
* [[1906年]] - [[筑波雪子]]、[[女優]](+ [[1977年]])<br />
* [[1907年]] - [[瀬長亀次郎]]、政治家(+ [[2001年]])<br />
* [[1910年]] - [[久野収]]、[[思想家]](+ 1999年)<br />
* [[1914年]] - [[黒沢俊夫]]、[[プロ野球選手]](+ [[1947年]])<br />
* [[1915年]] - [[ソール・ベロー]]、[[作家]](+ [[2005年]])<br />
* [[1918年]] - [[鶴見和子]]、[[社会学者]](+ [[2006年]])<br />
* [[1921年]] - [[フィリップ (エディンバラ公)|エディンバラ公フィリップ]]、英女王[[エリザベス2世 (イギリス女王)|エリザベス2世]]の夫<br />
* [[1922年]] - [[ジュディ・ガーランド]]、女優(+ 1969年)<br />
* 1922年 - [[亀山龍樹]]、作家・[[翻訳家]](+ [[1980年]])<br />
* [[1924年]] - [[磯田憲一]]、プロ野球選手(+ [[2002年]])<br />
* [[1926年]] - [[佐野實]]、[[実業家]]<br />
* [[1928年]] - [[モーリス・センダック]]、[[絵本作家]]<br />
* [[1930年]] - [[上坂冬子]]、[[ノンフィクション作家]](+ [[2009年]])<br />
* [[1931年]] - [[ジョアン・ジルベルト]]、[[ミュージシャン]]<br />
* [[1932年]] - [[ヘドリー・ブル]]、[[国際関係論]]教授(+ [[1985年]])<br />
* [[1933年]] - [[土井淳]]、プロ野球選手<br />
* [[1934年]] - [[浅香春彦]]、俳優<br />
* 1934年 - [[野村吉三郎 (経営者)|野村吉三郎]]、元[[全日本空輸]]社長・会長<br />
* [[1935年]] - [[ジェームス三木]]、[[脚本家]]<br />
* 1935年 - [[志賀貢]]、医師・作家<br />
* 1935年 - [[小玉明利]]、プロ野球選手<br />
* 1935年 - [[高橋幸治]]、俳優<br />
* 1935年 - [[辰巳ヨシヒロ]]、[[漫画家]]<br />
* [[1937年]] - [[稲尾和久]]、[[プロ野球選手]]・監督(+ [[2007年]])<br />
* [[1942年]] - [[中井洽]]、政治家<br />
* [[1943年]] - [[米長邦雄]]、[[棋士 (将棋)|棋士]]<br />
* [[1945年]] - [[滝崎武光]]、実業家<br />
* [[1947年]] - [[ひし美ゆり子]]、女優<br />
* [[1948年]] - [[岸信行 (空手家)|岸信行]]、[[空手道|空手家]]<br />
* 1948年 - [[喜納昌吉]]、音楽家<br />
* [[1949年]] - [[河原明]]、プロ野球選手<br />
* [[1954年]] - [[小嶋正宣]]、プロ野球選手<br />
* [[1955年]] - [[フロイド・バニスター]]、プロ野球選手<br />
* [[1956年]] - [[小山田いく]]、漫画家<br />
* 1956年 - [[杉浦ひとみ]]、[[弁護士]]<br />
<!--1957年 姉歯秀次元一級建築士--><br />
* [[1958年]] - [[新沢基栄]]、漫画家<br />
* [[1959年]] - [[寺沢大介]]、漫画家<br />
* [[1960年]] - [[森下直人]]、[[ドリームステージエンターテインメント]][[社長]](+[[2003年]])<br />
* [[1961年]] - [[岡本吉起]]、[[ゲームクリエイター]]<br />
* 1961年 - [[長冨浩志]]、プロ野球選手<br />
* [[1963年]] - [[レネ・ノヴォトニー]]、[[フィギュアスケート]]選手<br />
* [[1967年]] - [[山田花子 (漫画家)|山田花子]]、漫画家(+ [[1992年]])<br />
* 1967年 - [[鈴木健 (アナウンサー)|鈴木健]]、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]][[アナウンサー]]<br />
* [[1968年]] - [[神奈延年]]、[[声優]]<br />
* [[1969年]] - [[大神いずみ]]、[[フリーアナウンサー]](元・日本テレビ)<br />
* [[1970年]] - [[いとうあさこ]]、お笑いタレント<br />
* [[1976年]] - [[一の谷崇帥]]、[[大相撲]][[力士]]<br />
* 1976年 - [[斉藤宜之]]、プロ野球選手<br />
* 1976年 - [[ビリー・マーチン (外野手)|ビリー・マーチン]]、プロ野球選手<br />
* [[1977年]] - [[相川梨絵]]、[[フリーアナウンサー]]<br />
* 1977年 - [[松たか子]]、女優<br />
* 1977年 - [[吉田正紀]]、漫画家<br />
* [[1980年]] - [[中島俊哉]]、プロ野球選手<br />
* [[1982年]] - [[西尾太作]]、バレーボール選手<br />
* 1982年 - [[タラ・リピンスキー]]、[[フィギュアスケート]]選手<br />
* [[1983年]] - [[松室麻衣]]、歌手<br />
* [[1984年]] - [[長田昌浩]]、プロ野球選手<br />
* [[1985年]] - [[寺田紳一]]、プロサッカー選手<br />
* [[1986年]] - [[本橋麻里]]、[[カーリング]]選手<br />
* [[1988年]] - [[麻乃ちえみ]]、[[AV女優]]<br />
* 1988年 - [[山本大明]]、プロ野球選手<br />
* [[1989年]] - [[若葉竜也]]、俳優<br />
* 1989年 - [[北田真沙子]]([[サンフラワー (ロコドル)|サンフラワー]])、[[ローカルアイドル]]<br />
* [[1990年]] - [[尾崎彩香]]、女性ファッションモデル、女性アイドル、タレント<br />
<br />
== 忌日 ==<br />
* [[紀元前323年]] - [[アレクサンドロス3世]]、[[マケドニア王国|マケドニア王]](* [[紀元前356年]])<br />
* [[223年]]([[章武]]3年[[4月24日 (旧暦)|4月24日]]) - [[劉備]]、[[三国時代 (中国)|三国時代]]の群雄(* [[161年]]?)<br />
* [[1190年]] - [[フリードリヒ1世 (神聖ローマ皇帝)|フリードリヒ1世]]、[[神聖ローマ帝国|神聖ローマ皇帝]](* [[1123年]])<br />
* [[1338年]]([[暦応]]元年/[[延元]]3年[[5月22日 (旧暦)|5月22日]]) - [[北畠顕家]]、[[公家]](* [[1318年]])<br />
* [[1580年]] - [[ルイス・デ・カモンイス]]、[[詩人]](* [[1524年]]頃)<br />
* [[1630年]]([[寛永]]7年[[4月30日 (旧暦)|4月30日]]) - [[織田信雄]]、武将・[[織田信長]]の次男(* [[1558年]])<br />
* [[1654年]] - [[アレッサンドロ・アルガルディ]]、[[彫刻家]]・[[建築家]](* [[1595年]])<br />
* [[1694年]]([[元禄]]7年[[5月18日 (旧暦)|5月18日]])- [[伏見宮貞致親王]]、[[江戸時代]]の[[皇族]](* [[1632年]])<br />
* 1694年(元禄7年5月18日)- [[京極高豊]]、第2代[[丸亀藩|丸亀藩主]](* [[1655年]])<br />
* [[1836年]] - [[アンドレ=マリ・アンペール]]、[[物理学者]](* [[1775年]])<br />
* [[1849年]] - [[トマ・ロベール・ブジョー]]、[[フランス軍]]の軍人(* [[1784年]])<br />
* 1849年 - [[フリードリヒ・カルクブレンナー]]、[[ピアニスト]]・[[作曲家]](* [[1785年]])<br />
* [[1858年]] - [[ロバート・ブラウン]]、植物学者(* [[1773年]])<br />
* [[1899年]] - [[エルネスト・ショーソン]]、作曲家(* [[1855年]])<br />
* [[1918年]] - [[アッリーゴ・ボーイト]]、[[オペラ]][[台本]]作家・作曲家(* [[1842年]])<br />
* [[1924年]] - [[ジャコモ・マッテオッティ]]、[[イタリア]]の社会主義の指導者(* [[1885年]])<br />
* [[1925年]] - [[大町桂月]]、[[詩人]]・[[随筆|随筆家]](* [[1869年]])<br />
* [[1926年]] - [[アントニ・ガウディ]]、[[建築家]](* [[1852年]])<br />
* [[1934年]] - [[フレデリック・ディーリアス]]、作曲家(* [[1862年]])<br />
* [[1940年]] - [[マーカス・ガーベイ]]、[[ジャマイカ]]の民族主義運動家(* [[1887年]])<br />
* [[1946年]] - [[ジャック・ジョンソン (ボクサー)|ジャック・ジョンソン]]、[[プロボクサー]](* [[1878年]])<br />
* [[1949年]] - [[シグリ・ウンセット]]、[[小説家]](* [[1882年]])<br />
* [[1951年]] - [[アンシ]]、[[絵本作家]]・[[画家]](* [[1873年]])<br />
* [[1953年]] - [[グジェゴシュ・フィテルベルク]]、[[ヴァイオリニスト]]・[[作曲家]]・[[指揮者]](* [[1879年]])<br />
* [[1967年]] - [[スペンサー・トレイシー]]、[[俳優]](* [[1900年]])<br />
* [[1973年]] - [[エーリッヒ・フォン・マンシュタイン]]、[[ドイツ陸軍]]の[[元帥]](* [[1887年]])<br />
* [[1974年]] - [[ヘンリー (グロスター公)]]、[[イギリス]]の[[王族]](* [[1900年]])<br />
* [[1982年]] - [[ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー]]、[[映画監督]](* [[1946年]])<br />
* [[1991年]] - [[ディック・ミネ]]、[[歌手]](* [[1908年]])<br />
* [[1992年]] - [[中村八大]]、作曲家(* [[1931年]])<br />
* [[1995年]] - [[神楽坂はん子]]、[[うぐいす芸者歌手|芸者歌手]](* [[1931年]])<br />
* [[1996年]] - [[宇野千代]]、小説家(* [[1897年]])<br />
* 1996年 - [[ジョー・ヴァン・フリート]]、女優(* [[1914年]])<br />
* 1996年 - [[フランキー堺]]、俳優(* [[1929年]])<br />
* [[1997年]] - [[金基洙 (ボクサー)|金基洙]]、プロボクサー。韓国初の世界王者 (* [[1939年]])<br />
* [[1998年]] - [[吉田正]]、作曲家(* [[1921年]])<br />
* [[2000年]] - [[ハーフェズ・アル=アサド]]、前[[シリア]]大統領(* [[1930年]])<br />
* [[2001年]] - [[マイク・メンツァー]]、[[ボディビル|ボディビルダー]](* [[1951年]])<br />
* [[2002年]] - [[ジョン・ゴッティ]]、[[ガンビーノ一家]]の幹部(* [[1940年]])<br />
* 2002年 - [[近藤和彦]]、[[プロ野球選手]](* [[1936年]])<br />
* [[2003年]] - [[ドナルド・リーガン]]、[[アメリカ合衆国財務長官]]・[[アメリカ合衆国大統領首席補佐官|大統領首席補佐官]](* [[1918年]])<br />
* [[2004年]] - [[野村万之丞]]、[[狂言師]](* [[1959年]])<br />
* 2004年 - [[レイ・チャールズ]]、[[ミュージシャン]](* [[1930年]])<br />
* [[2007年]] - [[横山泰三]]、[[漫画家]](* [[1917年]])<br />
* [[2008年]] - [[櫟信平]]、[[プロ野球]]選手(* [[1925年]])<br />
* 2008年 - [[チンギス・アイトマートフ]]、小説家(* [[1928年]])<br />
* 2008年 - [[水野晴郎]]、[[映画評論家]](* [[1931年]])<br />
<br />
{{-}}<br />
<br />
== 記念日・年中行事 ==<br />
* [[時の記念日]](日本)<br />
*:東京天文台(現 [[国立天文台]])と生活改善同盟会が[[1920年]]に制定。[[日本書紀]]の天智天皇10年[[4月25日 (旧暦)|4月25日]](新暦6月10日)の項に、「漏刻を新しき台に置く。始めて候時を打つ。鐘鼓を動す。」とあることから。<br />
* [[路面電車]]の日(日本)<br />
*: [[1995年]]のこの日に事業者と愛好団体が広島市で開催した「路面電車サミット」で制定。路(6)と、電が英語のテン(10)に近いことから。<br />
* [[商工会]]の日(日本)<br />
*: [[全国商工会連合会]]が[[1985年]]に制定。[[1960年]]のこの日に「[[商工会法|商工会組織等に関する法律]]」が施行されたことを記念。<br />
* 谷津干潟の日<br />
*: [[1993年]]のこの日に、水鳥にとって重要な湿地に関する国際的な取り決めを定めた「ラムサール条約」の登録湿地に[[谷津干潟]]が認定されたことを記念し、谷津干潟のある[[千葉県]][[習志野市]]が[[1997年]]に制定。<br />
* [[緑豆]]の日<br />
*: 「りょく(6)とう(十)」の語呂合せで緑豆再発見委員会が制定。<br />
* ミルクキャラメルの日(日本)<br />
*: [[1913年]]に[[森永製菓]]が発売する「森永キャラメル」の商品名が「[[森永ミルクキャラメル]]」に変更されたことから、ミルクキャラメルを通じ、懐かしい思い出を語り合う日として命名された。<br />
* [[無糖茶飲料]]の日<br />
*:「む(6)とう(10)」の語呂合せで[[伊藤園]]が制定。<br />
* [[歩行者天国]]の日<br />
*: 銀座から上野までの5.5kmにわたる東洋一(実施当時は世界最長だった)の歩行者天国が実施されたことから。<br />
* [[入梅]](日付不定。2004年)<br />
*: [[雑節]]の一つで、太陽が黄経80度の点を通過する日。<br />
<br />
=== 忌日 ===<br />
* [[1958年]] - マイケル・モーガン、[[ピーター・S・ビーグル]]の小説『心地よく秘密めいたところ』に登場するキャラクター(* [[1924年]])<br />
* [[2232年]] - フィッツモーム、[[ロバート・シルヴァーバーグ]]の小説『生と死の支配者』に登場するキャラクター<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
{{Commons&cat|June 10|10 June}}<br />
{{新暦365日|6|9|6|11|[[5月10日]]|[[7月10日]]|[[6月10日 (旧暦)|6月10日]]|0610|6|10}}<br />
{{1年の月と日}}</div>
ウマスラ
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4月6日
2014-06-01T17:46:05Z
<p>ウマスラ: /* できごと */</p>
<hr />
<div>'''4月6日'''(しがつむいか)は[[グレゴリオ暦]]で年始から96日目([[閏年]]では97日目)にあたり、年末まであと269日ある。<br />
<br />
== できごと ==<br />
[[Image:Battle_of_Thapsus.jpg|thumb|290px|[[タプススの戦い]](BC46)。画像は1619年の再現図]]<br />
[[Image:Washington_%283%29.jpg|thumb|upright|[[ジョージ・ワシントン]]、[[アメリカ合衆国]]初代大統領に選出(1789)]]<br />
<!-- [[Image:Battle_of_Shiloh_Thulstrup.jpg|thumb|240px|[[南北戦争]]初期の大規模戦闘、[[シャイローの戦い]](1862)]] --><br />
<!-- [[Image:5jo1.gif|thumb|upright|[[五箇条の御誓文]]発布(1668)]] --><br />
[[Image:1896_Olympic_opening_ceremony.jpg|thumb|220px|第1回[[近代オリンピック]]、[[アテネオリンピック (1896年)|アテネオリンピック]]開催(1896)]]<br />
[[Image:Pioneer_G_%28Pioneer_11%29_launch.jpg|thumb|160px|初の土星探査機、[[パイオニア11号]]打ち上げ(1973)]]<br />
* [[紀元前46年]] - [[ユリウス・カエサル]]が[[タプススの戦い]]で[[元老院派]]の軍を破る。 <br />
* [[1320年]] - [[スコットランド]]で[[アーブロース宣言]]を採択、[[イングランド]]からの独立がほぼ成る。<br />
<!-- 旧暦の模様。 * [[1534年]] - [[勢場ヶ原の戦い]]: 大内、大友間で交戦。 --><br />
* [[1789年]] - [[ジョージ・ワシントン]]を[[アメリカ合衆国]]初代大統領に選出。<br />
* [[1830年]] - [[末日聖徒イエス・キリスト教会]](モルモン教)が創設される。<br />
* [[1862年]] - [[南北戦争]]: [[シャイローの戦い]]が行われる。<br />
* [[1865年]] - 南北戦争: [[セイラーズクリークの戦い]]が行われる。<br />
* [[1868年]]([[慶応]]4年[[3月14日 (旧暦)|3月14日]]) - [[五箇条の御誓文]]発布。<br />
* [[1882年]] - [[岐阜事件]]、[[板垣退助]][[自由党]]党首が遊説中に暴漢に襲われる。<br />
* [[1896年]] - 第1回[[近代オリンピック]]([[アテネオリンピック (1896年)|アテネオリンピック]])開催。[[4月15日]]まで。<br />
* [[1909年]] - アメリカ人探検家[[ロバート・ピアリー]]が[[北極点]]に到達する。<br />
* [[1917年]] - [[第一次世界大戦]]でアメリカ合衆国がドイツに対して宣戦布告。<br />
* [[1919年]] - [[インド]]で[[マハトマ・ガンディー]]により第1次サティヤーグラハ(非暴力・不服従)運動が開始される。<!-- 日付確認できず --><br />
* [[1933年]] - [[中国国民政府]]が[[廃両改元]]を行い、[[銀錠]]による[[両|銀両]]制度を廃して[[銀元]]を導入する。<br />
* [[1941年]] - [[第二次世界大戦]]: [[ドイツ国 (1933年-1945年)|ナチス・ドイツ]]が[[ギリシャ]]・[[ユーゴスラビア]]に侵攻。([[ギリシャの戦い]]、[[ユーゴスラビア侵攻]])<br />
* 1941年 - [[第四高等学校 (旧制)|旧制四高]][[ボート競技|漕艇部員]]11名が[[琵琶湖]]で練習中に突風で遭難、この事故は流行歌「[[琵琶湖哀歌]]」の題材となる。<br />
* [[1943年]] - [[サン=テグジュペリ]]作[[星の王子さま]]の初版がニューヨークで刊行される。<br />
* [[1947年]] - 初の[[トニー賞]]授賞式が行われる。<br />
* [[1955年]] - 最高裁が、[[帝銀事件]]の[[平沢貞通]]被告の上告を棄却する判決。<br />
* [[1965年]] - [[インテルサット]]1アーリバードが打ち上げられる。<br />
* [[1968年]] - [[スタンリー・キューブリック]]監督の映画『[[2001年宇宙の旅]]』がアメリカで公開。<br />
* [[1973年]] - [[パイオニア計画]]: [[パイオニア11号]]が打ち上げられる。<br />
* [[1974年]] - [[ABBA]]が[[ユーロビジョン・ソング・コンテスト1974]]で優勝。<br />
* [[1978年]] - [[東京都]][[豊島区]][[東池袋]]に60階建の[[超高層ビル]]「[[サンシャイン60]]」が開館。当時は東洋一の高さを誇った。<br />
* [[1994年]] - [[死刑廃止を推進する議員連盟]]が発足。<br />
* [[1999年]] - この日初めて、外国産[[クワガタムシ]]第1号の[[ニジイロクワガタ]]が他の外国産クワガタムシに先駆けて日本に輸入される。<br />
* 1999年 - [[ロンドン]]で[[ミュージカル]]「[[マンマ・ミーア!]]」が初演。<br />
* [[2004年]] - この年メジャー移籍した[[松井稼頭央]](当時[[ニューヨーク・メッツ]])が[[アトランタ・ブレーブス]]戦で、メジャー史上初の開幕戦・新人・初打席・初球[[本塁打]]を記録。<br />
<br />
== 誕生日 ==<br />
=== 人物 ===<br />
{{右|[[Image:1D line.svg|220px]]}} <!-- 画像がセクションの境界を大きくはみ出す時に、セクションの境目を示すセパレータです --><br />
[[Image:Sanzio_01.jpg|thumb|300px|盛期[[ルネサンス]]の画家[[ラファエロ・サンティ]](1483-1520)は4月6日生、4月6日没。画像は代表作『[[アテナイの学堂]]』(1509-1510)]]<br />
[[Image:Nadar_selfportrait.jpg|thumb|upright|重要な[[肖像|肖像写真]]を数多く遺した写真家[[ナダール]](1820-1910)誕生。画像は[[肖像画|セルフポートレート]](1910)]]<br />
<!-- [[Image:GustaveMoreau02.jpg|thumb|180px|[[象徴主義|象徴派]]の画家[[ギュスターヴ・モロー]](1826-1898)。画像は自画像]] --><br />
[[Image:Gustave_Moreau_Salom%C3%A9_1876.jpg|thumb|180px|[[象徴主義|象徴派]]の画家[[ギュスターヴ・モロー]](1826-1898)。画像は『サロメ』(1871)]]<br />
[[Image:JWW_TheLadyOfShallot_1888.jpg|thumb|240px|[[ファンタジー]]画家、[[ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス]](1849-1917)。画像は代表作『シャロットの女』(1888)]]<br />
<!-- [[Image:Rooster_by_Ren%C3%A9_Jules_Lalique.jpg|thumb|220px|[[アール・ヌーヴォー]]から[[アール・デコ]]にかけての[[ガラス工芸]]家[[ルネ・ラリック]](1860-1945)。画像は『鶏』]] --><br />
[[Image:James_Watson.jpg|thumb|upright|[[DNA]]の[[二重螺旋]]構造を発見した[[分子生物学]]者、[[ジェームズ・ワトソン]](1928-)]]<br />
* [[1483年]] - [[ラファエロ・サンティ]]、[[画家]](+ [[1520年]])<br />
* [[1632年]] - [[マリア・レオポルディーネ・フォン・ティロル]]、[[神聖ローマ帝国]][[皇后]](+[[1649年]])<br />
* [[1660年]] - [[ヨハン・クーナウ]]、[[作曲家]]、[[オルガニスト]]、[[チェンバロ]]奏者(+ [[1722年]])<br />
* [[1664年]] - [[アルヴィド・ホルン]]、[[スウェーデン]]の[[政治家]](+ [[1742年]])<br />
* [[1671年]] - [[ジャン=バティスト・ルソー]]、[[詩人]](+[[1741年]])<br />
* [[1773年]] - [[ジェームズ・ミル]]、[[経済学者]]・[[歴史学者]]・[[哲学者]](+ [[1836年]])<br />
* [[1801年]] - [[ウィリアム・ハロウズ・ミラー]]、[[鉱物学者]]、[[結晶学者]](+ [[1880年]])<br />
* [[1810年]] - [[フィリップ・ヘンリー・ゴス]]、[[自然科学者]](+ [[1888年]])<br />
* [[1812年]] - [[アレクサンドル・ゲルツェン]]、[[文学者]]・[[思想家]](+[[1870年]])<br />
* [[1815年]] - [[ローベルト・フォルクマン]]、作曲家(+ [[1883年]])<br />
* [[1820年]] - [[ナダール]]、[[写真家]](+[[1910年]])<br />
* [[1826年]] - [[ギュスターヴ・モロー]]、画家(+ [[1898年]])<br />
* [[1849年]] - [[ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス]]、画家(+[[1917年]])<br />
* [[1860年]] - [[ジョルジュ・ビゴー]]、[[挿絵画家]]・[[漫画家]](+ [[1927年]])<br />
* 1860年 - [[ルネ・ラリック]]、[[フランス]]の[[ガラス工芸]]家・[[宝飾デザイナー]](+ [[1945年]])<br />
* [[1861年]] - [[スタニスラス・ド・ガイタ]]、[[薔薇十字カバラ団]]の創設者(+[[1897年]])<br />
* [[1878年]] - [[長與又郎]]、[[医学者]](+ [[1941年]])<br />
* [[1884年]] - [[ウォルター・ヒューストン]]、[[俳優]](+[[1950年]])<br />
* [[1888年]] - [[高畠華宵]]、画家(+[[1966年]])<br />
* 1888年 - [[市川厚一]]、[[病理学者]](+ [[1948年]])<br />
* 1888年 - [[ハンス・リヒター (画家)|ハンス・リヒター]]、画家(+ [[1976年]])<br />
* [[1890年]] - [[アントニー・フォッカー]]、[[フォッカー]]社設立者(+ [[1939年]])<br />
* [[1892年]] - [[平良辰雄]]、政治家(+ [[1969年]])<br />
* [[1898年]] - [[ジャンヌ・エビュテルヌ]]、[[画家]](+ [[1920年]])<br />
* [[1899年]] - [[兵頭精]]、[[パイロット|飛行家]](+ [[1980年]])<br />
* [[1900年]] - [[白井鐵造]]、[[演出家]](+ [[1983年]])<br />
* 1900年 - [[齋田梅亭]]、[[截金]]師(+ [[1981年]])<br />
* [[1902年]] - [[久生十蘭]]、[[小説家]](+ [[1957年]])<br />
* [[1903年]] - [[赤岩栄]]、[[思想家]]、[[牧師]](+ [[1966年]])<br />
* 1903年 - [[八住利雄]]、[[脚本家]](+ [[1991年]])<br />
* 1903年 - [[ミッキー・カクレーン]]、[[メジャーリーガー]](+ [[1962年]])<br />
* [[1904年]] - [[クルト・ゲオルク・キージンガー]]、[[ドイツの首相|ドイツ連邦首相]](+ [[1988年]])<br />
* 1904年 - [[ジョルジュ・ゴーチ]]、[[フィギュアスケート]]選手(+ [[1985年]])<br />
* 1904年 - [[常書鴻]]、[[画家]](+ [[1994年]])<br />
* [[1906年]] - [[和田芳恵]]、小説家(+ [[1977年]])<br />
* [[1911年]] - [[フェオドル・リュネン]]、[[化学者]](+[[1979年]])<br />
* [[1915年]] - [[亀倉雄策]]、[[グラフィックデザイナー]](+ [[1997年]])<br />
* [[1919年]] - [[高木文雄]]、[[財務事務次官|大蔵事務次官]]・第8代[[日本国有鉄道]]総裁(+ [[2006年]])<br />
* [[1920年]] - [[小野明]]、[[政治家]](+ [[1990年]])<br />
* 1920年 - [[エドモンド・フィッシャー]]、[[生化学者]]<br />
* [[1924年]] - [[飯田徳治]]、[[プロ野球選手]](+ [[2000年]])<br />
* [[1925年]] - [[桂米丸 (4代目)|桂米丸]]、[[落語家]]<br />
* [[1927年]] - [[ジェリー・マリガン]]、バリトンサックス奏者(+ [[1996年]])<br />
* 1927年 - [[増岡重昂]]、実業家、[[増岡組]]・[[鉄鋼ビルディング]]社長(+ [[1998年]])<br />
* [[1928年]] - [[ジェームズ・ワトソン]]、[[遺伝学者]]<br />
* 1928年 - [[阪田正芳]]、プロ野球選手(+ [[1992年]])<br />
* [[1929年]] - [[小沢昭一]]、[[俳優]]<br />
* 1929年 - [[大塚雄司]]、政治家<br />
* 1929年 - [[アンドレ・プレヴィン]]、[[指揮者]]、作曲家<br />
* 1929年 - [[エディソン・デニソフ]]、作曲家(+ 1996年)<br />
* 1929年 - [[アート・テイラー]]、[[ジャズ]]・[[ミュージシャン]](+ [[1995年]])<br />
* [[1930年]] - [[桂木洋子]]、[[女優]](+ [[2007年]])<br />
* [[1932年]] - [[ヘルムート・グリーム]]、俳優(+[[2004年]])<br />
* [[1934年]] - [[アントン・ヘーシンク]]、[[柔道|柔道家]]<br />
* [[1935年]] - [[中西勝己]]、プロ野球選手<br />
* 1935年 - [[石本隆]]、[[水泳選手]]<br />
* [[1937年]] - [[別役実]]、[[劇作家]]<br />
* 1937年 - [[マール・ハガード]]、[[カントリー]]・[[ミュージシャン]]<br />
* [[1941年]] - [[田嶋陽子]]、[[フェミニスト]]・[[政治家]]<br />
* 1941年 - [[バーバラ・ロールズ]]、[[フィギュアスケート]]選手<br />
* [[1942年]] - [[バリー・レビンソン]]、映画監督<br />
* 1942年 - [[上月晃]]、女優(+ [[1999年]])<br />
* [[1944年]] - [[林俊宏]]、プロ野球選手<br />
* [[1945年]] - [[野島昭生]]、[[声優]]<br />
* [[1946年]] - [[ダニー・コーチマー]]、ミュージシャン<br />
* [[1947年]] - [[伊東ゆかり]]、[[歌手]]<br />
* [[1948年]] - [[長戸大幸]]、音楽プロデューサー<br />
* 1948年 - [[山本晴三]]、プロ野球選手<br />
* 1948年 - [[フィリップ・ガレル]]、[[映画監督]]<br />
* [[1949年]] - [[ホルスト・ルートヴィヒ・シュテルマー]]、[[物理学者]] <br />
* [[1950年]] - [[加藤安雄]]、プロ野球選手<br />
* [[1951年]] - [[バート・ブライレブン]]、メジャーリーガー<br />
* [[1952年]] - [[玉木正之]]、スポーツライター<br />
* [[1953年]] - [[宇津木妙子]]、[[ソフトボール]]日本代表監督<br />
* 1953年 - [[ジャネット・リン]]、[[フィギュアスケート]]選手<br />
* [[1955年]] - [[マイケル・ルーカー]]、俳優<br />
* [[1956年]] - [[松本竜助]]、[[漫才師]](+ [[2006年]])<br />
* [[1960年]] - [[東利夫]]、プロ野球選手<br />
* [[1961年]] - [[石川晃]]、プロ野球選手<br />
* [[1962年]] - [[秋山幸二]]、プロ野球選手<br />
* 1962年 - [[谷川浩司]]、[[棋士 (将棋)|将棋棋士]]<br />
* [[1963年]] - [[ラファエル・コレア]]、[[エクアドル]][[大統領]]<br />
* 1963年 - [[デリック・メイ]]、[[テクノ]][[ミュージシャン]]、[[DJ]]<br />
* [[1964年]] - [[加藤公一]]、政治家<br />
* [[1965年]] - [[フランク・ブラック]]、ミュージシャン([[ピクシーズ]])<br />
* [[1966年]] - [[大塚義樹]]、プロ野球選手<br />
* [[1969年]] - [[KO-HEY]]、[[Skoop On Somebody]]のDr.<br />
* 1969年 - [[ポール・ラッド]]、俳優<br />
* [[1971年]] - [[ルー・メローニ]]、プロ野球選手<br />
* [[1972年]] - [[千綿ヒデノリ]]、[[ミュージシャン]]<br />
* 1972年 - [[そめやゆきこ]]、[[タレント]]、歌手<br />
* [[1973年]] - [[宮沢りえ]]、[[女優]]<br />
* 1973年 - [[萩原誠]]、プロ野球選手<br />
* 1973年 - AZU、ミュージシャン、[[GELUGUGU]]、テナーサックス <br />
* [[1974年]] - [[ロベルト・コヴァチ]]、[[サッカー選手]]<br />
* [[1975年]] - [[城野克弥]]、[[お笑い芸人]]、[[野生爆弾]]<br />
* [[1975年]] - [[ザック・ブラフ]]、俳優<br />
* [[1976年]] - [[乙武洋匡]]、スポーツライター<br />
* 1976年 - [[若旦那]]、[[レゲエ]][[ミュージシャン]]([[湘南乃風]])<br />
* 1976年 - [[こじまいづみ]]、ミュージシャン([[花*花]])<br />
* 1976年 - [[キャンディス・キャメロン・ブレ]]、[[俳優|女優]]<br />
* 1976年 - [[ゲオルグ・ホルム]]、[[ミュージシャン]]([[シガー・ロス]])<br />
* [[1978年]] - [[中尾祐之]]、俳優<br />
* 1978年 - [[イゴール・セムショフ]]、[[サッカー選手]]<br />
* 1978年 - [[マイリーン・クラス]]、[[歌手]] [[女優]]<br />
* [[1979年]] - [[みちよ]]、[[歌手]]<br />
* 1979年 - [[中村エミ]]、女優・[[タレント]]<br />
* [[1980年]] - [[フアン・フェリシアーノ]]、プロ野球選手<br />
* [[1982年]] - [[野口綾子]]、フリーアナウンサー<br />
* 1982年 - [[達淳一]]、俳優・タレント<br />
* 1982年 - [[西村優子]]、[[グラビアアイドル]]<br />
* 1982年 - [[ブレット・ハリソン]]、俳優<br />
* 1982年 - [[マイケル・ガイ・チスレット]]、[[ミュージシャン]]([[The Academy Is...]])<br />
* [[1983年]] - [[大林健二]]、[[お笑い芸人]]、[[モンスターエンジン]]<br />
* [[1984年]] - [[瀬尾秋子]]、グラビアアイドル<br />
* [[1985年]] - [[加治前竜一]]、プロ野球選手<br />
* [[1986年]] - [[京本有加]]、女性タレント、グラビアアイドル<br />
* [[1986年]] - [[豪栄道豪太郎]]、大相撲の力士<br />
* [[1988年]] - [[久本彩奈]]、グラビアアイドル<br />
* 1988年 - [[吉川光夫]]、野球選手<br />
* 1988年 - [[李大源]]、[[大相撲]][[力士]]<br />
* [[1989年]] - [[中島安里紗]]、[[女子プロレスラー]]<br />
* [[1992年]] - [[下田奈奈]]、[[ファッションモデル]]、女優<br />
* [[1994年]] - [[石堂天山]]、子役<br />
* [[1995年]] - [[森本龍太郎]]、[[男性アイドル]]、([[Hey! Say! JUMP]])<br />
<br />
=== 人物以外(動物など) ===<br />
* [[1965年]] - [[キタノダイオー]]、[[競走馬]](+ 不明)<br />
* [[1967年]] - [[ダテテンリュウ]]、競走馬(+ [[1977年]])<br />
* [[1968年]] - [[オンワードガイ]]、競走馬(+ [[1985年]])<br />
* 1968年 - [[ニホンピロムーテー]]、競走馬(+ [[1984年]])<br />
* [[1973年]] - [[コーヨーチカラ]]、競走馬(+ 不明)<br />
* [[1982年]] - [[スダホーク]]、競走馬(+ [[2003年]])<br />
* [[1987年]] - [[ゴーフォーワンド]]、競走馬(+ [[1990年]])<br />
* [[1993年]] - [[エアグルーヴ]]、競走馬、[[繁殖牝馬]]<br />
* [[1994年]] - [[ゴッドスピード (競走馬)|ゴッドスピード]]、競走馬<br />
* [[1995年]] - [[ツルマルツヨシ]]、競走馬<br />
* [[1997年]] - [[マイネルビンテージ]]、競走馬<br />
* [[1998年]] - [[ヴィニーロー]]、競走馬<br />
* 1998年 - [[ロードバクシン]]、競走馬<br />
* [[2000年]] - [[ゴーストザッパー]]、競走馬<br />
* [[2002年]] - [[インティライミ]]、競走馬<br />
* 2002年 - [[ローゼンクロイツ (競走馬)|ローゼンクロイツ]]、競走馬(+ [[2008年]])<br />
* [[2003年]] - [[フサイチリシャール]]、競走馬<br />
* 2003年 - [[ブラックバースピン]]、競走馬<br />
* [[2004年]] - [[マンハッタンスカイ]]、競走馬<br />
* [[2006年]] - [[シーザスターズ]]、競走馬<br />
<br />
== 忌日 ==<br />
[[Image:Richard1Rouen.jpg|thumb|160px|<!--戦争に明け暮れた-->イングランド王[[リチャード1世 (イングランド王)|リチャード1世]](1157-1199)、[[クロスボウ]]の矢傷により没]]<br />
<!-- [[Image:HUF_1000_1998_obverse.jpg|thumb|200px|中世[[ハンガリー]]の最盛期を築いた[[マーチャーシュ1世]](1443-1490)没]] --><br />
[[Image:D%C3%BCrer_Melancholia_I.jpg|thumb|140px|[[ルネサンス]]期の画家・版画家、[[アルブレヒト・デューラー]](1471-1528)。画像は[[銅版画]]『[[メランコリア I]]』(1514)]]<br />
[[Image:Niels_Henrik_Abel.jpg|thumb|upright|数学者[[ニールス・アーベル]](1802-1829)、26歳で[[肺結核]]のため夭折]]<br />
[[Image:Stravinskygrave.jpg|thumb|upright|作曲家[[イーゴリ・ストラヴィンスキー]](1882-1971)没。{{audio|Igor Stravinsky - 3 Pieces for Clarinet Alone.ogg|『クラリネット・ソロのための3つの小品』を聴く}}]]<br />
<!-- [[Image:Kazuo_Hasegawa_as_Zenigata_Heiji.jpg|thumb|upright|俳優、[[長谷川一夫]](1908-1984)。画像は『[[銭形平次 捕物控|銭形平次]]』]] --><br />
[[Image:Isaac_Asimov_on_Throne.png|thumb|upright|[[ロボット工学三原則|ロボット三原則]]を発案した[[サイエンス・フィクション|SF]]作家[[アイザック・アシモフ]](1920-1992)]]<br />
* [[1199年]] - [[リチャード1世 (イングランド王)|リチャード1世]]、[[イングランド]]国王(* [[1157年]])<br />
* [[1490年]] - [[マーチャーシュ1世]]、[[ハンガリー王国|ハンガリー]]王(* [[1441年]]?)<br />
* [[1520年]] - [[ラファエロ・サンティ]]、[[画家]](* [[1483年]])<br />
* [[1528年]] - [[アルブレヒト・デューラー]]、画家(* [[1471年]])<br />
* [[1570年]]([[永禄]]13年[[3月1日 (旧暦)|3月1日]])- [[三淵晴員]]、[[武将|戦国武将]](* [[1500年]])<br />
* [[1580年]]([[天正]]8年[[3月22日 (旧暦)|3月22日]])- [[木脇祐守]]、戦国武将(* [[1526年]])<br />
* [[1590年]] - [[フランシス・ウォルシンガム]]、[[イングランド]]の[[王璽尚書]](* [[1532年]])<br />
* [[1634年]]([[寛永]]11年[[3月9日 (旧暦)|3月9日]])- [[大橋宗桂 (初代)]]、[[将棋指し]](* [[1555年]])<br />
* [[1790年]] - [[ルートヴィヒ9世 (ヘッセン=ダルムシュタット方伯)|ルートヴィヒ9世]]、ヘッセン=ダルムシュタット方伯(* [[1719年]])<br />
* [[1803年]] - [[ウィリアム・ダグラス・ハミルトン]]、[[考古学者]]・[[外交官]](* [[1730年]])<br />
* [[1808年]]([[文化 (元号)|文化]]5年[[3月11日 (旧暦)|3月11日]])- [[木内石亭]]、奇石収集家・[[本草学|本草学者]](* [[1725年]])<br />
* [[1829年]] - [[ニールス・アーベル]]、[[数学者]](* [[1802年]])<br />
* [[1830年]] - [[ルートヴィヒ1世 (ヘッセン大公)|ルートヴィヒ1世]]、[[ヘッセン大公]](* [[1753年]])<br />
* [[1834年]]([[天保]]5年[[2月28日 (旧暦)|2月28日]])- [[水野忠成]]、[[江戸幕府]][[老中]]・第2代[[沼津藩|沼津藩主]](* [[1763年]])<br />
* [[1860年]] - [[ジェイムズ・ポールディング]]、第11代[[アメリカ合衆国海軍長官]](* [[1778年]])<br />
* [[1875年]] - [[モーゼス・ヘス]]、[[思想家]](* [[1812年]])<br />
* [[1889年]] - [[板倉勝静]]、江戸幕府老中・第7代[[備中松山藩|備中松山藩主]](* [[1823年]])<br />
* [[1902年]] - [[グレープ・ウスペンスキー]]、[[小説家]](* [[1843年]])<br />
* [[1915年]] - [[カーティス・ギルド]]、第43代[[マサチューセッツ州]]知事(* [[1860年]])<br />
* [[1918年]] - [[松本捨助]]、[[新選組]]隊士(* [[1845年]])<br />
* [[1927年]] - [[志賀重昂]]、[[地理学者]]・[[評論家]](* [[1863年]])<br />
* [[1951年]] - [[ロバート・ブルーム]]、[[人類学者]](* [[1866年]])<br />
* [[1961年]] - [[ジュール・ボルデ]]、[[細菌学者]](* [[1870年]])<br />
* [[1963年]] - [[オットー・シュトルーベ]]、[[天文学者の一覧|天文学者]](* [[1897年]])<br />
* [[1964年]] - [[川上嘉市]]、[[実業家]]・[[参議院議員]](* [[1885年]])<br />
* 1964年 - [[アロイーズ・コルバス]]、[[画家]](* [[1886年]])<br />
* [[1966年]] - [[エミール・ブルンナー]]、[[神学者]](* [[1889年]])<br />
* [[1971年]] - [[イーゴリ・ストラヴィンスキー]]、[[作曲家]](* [[1882年]])<br />
* [[1972年]] - [[ハインリヒ・リュプケ]]、第2代[[連邦大統領 (ドイツ)|西ドイツ大統領]](* [[1894年]])<br />
* [[1976年]] - [[ワイルダー・ペンフィールド]]、[[医師]](* [[1891年]])<br />
* [[1977年]] - [[木戸幸一]]、[[政治家]](* [[1889年]])<br />
* [[1979年]] - [[ノーマン・トーカー]]、[[映画監督]](* [[1919年]])<br />
* [[1980年]] - [[ジョン・コリア (作家)|ジョン・コリア]]、作家(* [[1901年]])<br />
* [[1984年]] - [[長谷川一夫]]、[[俳優]](* [[1908年]])<br />
* [[1986年]] - [[ライムンド・オルシ]]、[[サッカー]]選手(* [[1901年]])<br />
* 1986年 - [[山口豪久]](山口暁)、[[俳優]](* [[1947年]])<br />
* [[1990年]] - [[坊城俊民]]、[[国文学者]](* [[1917年]])<br />
* [[1992年]] - [[安孫子藤吉]]、[[政治家]](* [[1904年]])<br />
* 1992年 - [[アイザック・アシモフ]]、[[SF作家]](* [[1920年]])<br />
* [[1993年]] - [[安永沙都子]]、[[声優]](* [[1963年]])<br />
* [[1994年]] - [[シプリアン・ンタリャミラ]]、[[ブルンジ]][[大統領]](* [[1956年]])<br />
* [[1998年]] - [[エドガー・アブロビッチ]]、[[陸上競技]]選手(* [[1913年]])<br />
* [[1999年]] - [[ウィリアム・プリース]]、[[チェロ]]奏者(* [[1916年]])<br />
* 1999年 - [[落合茂一]]、[[アニメーション]]プロデューサー(* [[1940年]])<br />
* [[2000年]] - [[本田弘慈]]、[[伝道者]]・[[牧師]](* [[1912年]])<br />
* [[2002年]] - [[ノブ・マッカーシー]]、女優(* [[1934年]])<br />
* [[2004年]] - [[加山又造]]、[[日本画家]](* [[1927年]])<br />
* 2004年 - [[リック・ジェームス]]、[[ファンク]][[ミュージシャン]](* [[1948年]])<br />
* [[2005年]] - [[レーニエ3世]]、[[モナコ]][[大公]](* [[1923年]])<br />
* 2005年 - [[長江録弥]]、[[彫刻家]](* [[1926年]])<br />
* [[2006年]] - [[鳥飼欣一]]、[[物理学者]](* [[1925年]])<br />
* [[2007年]] - [[中村浩道]]、[[プロ野球審判員]]・[[野球解説者]](* [[1935年]])<br />
* 2007年 - [[園田英弘]]、[[社会学者]](* [[1947年]])<br />
* [[2008年]] - [[多田小餘綾]]、[[民謡]][[歌手]](* [[1907年]])<br />
* 2008年 - [[川内康範]]、[[作詞家]]・[[脚本家]](* [[1920年]])<br />
* 2008年 - [[五十嵐邁]]、[[昆虫学|昆虫学者]](* [[1924年]])<br />
* 2008年 - [[内山秀夫]]、[[政治学者]](* [[1930年]])<br />
<br />
== 記念日・年中行事 ==<br />
<!-- 始業式の画像が欲しい --><br />
[[Image:Castle Himeji sakura01.jpg|thumb|240px|[[城]]の日。画像は[[サクラ|桜]]の[[姫路城]]]]<br />
[[Image:Noaa3-2006-0602-1206.jpg|thumb|200px|[[北極]]の日、また[[寒の戻り]]]]<br />
*公立学校[[始業式]](この日が休みだと直後の平日)<br />
*:多くの公立小中学校・高校ではこの日から始業式が行われ、新しい学年になった生徒にとっての初めてのイベント。この日から学校での教育活動が開始される。<br />
<br />
* [[寒の戻り]]の[[特異日]]<br />
<br />
* [[新聞]]をヨム日<br />
*:日本新聞協会販売委員会が[[2003年]]に制定。「よ(4)む(6)」の語呂合わせ。4月は転勤や入学等で住いを移す人が多いことから、「これを機会に新聞を読み始めませんか」というキャンペーンが行われる。<br />
* 城の日<br />
*:財団法人[[日本城郭協会]]が[[1974年]]度に定めた城の記念日([[城#城の日|城]]を参照)。「し(4)ろ(6)」の語呂合わせ。<br />
* [[北極]]の日<br />
*: [[1909年]]のこの日にアメリカ海軍の軍人[[ロバート・ピアリー]]が、世界で初めて[[北極点]]に到達したことから。<br />
* [[コンビーフ]]の日<br />
*:[[1875年]]のこの日、コンビーフの台形の缶が特許登録された。<br />
<br />
----<br />
<br />
== フィクションのできごと ==<br />
* 年不明 - 北条麗華、二ノ宮駿護と再会する。その際の彼女の変調は『4・06事件』として神宮寺学園生徒に語り継がれることになる。(小説、アニメ『[[ご愁傷さま二ノ宮くん]]』)<br />
=== 誕生日 ===<br />
* [[1985年]] - 藤原雅、[[ゲーム]]『[[Memories Off 〜それから〜]]』および『[[Memories Off 〜それから again〜]]』に登場するキャラクター<br />
* [[1994年]] - サーティ(No.30)、漫画『[[A・Iが止まらない!]]』に登場するキャラクター<br />
* [[2040年]] - 花咲茜、ゲーム『[[D.C.II 〜ダ・カーポII〜]]』に登場するキャラクター<br />
* 2040年 - 花咲藍、ゲーム『D.C.II 〜ダ・カーポII〜』に登場するキャラクター(+[[2049年]])<br />
* [[22世紀|2179年]] - [[時空警察ヴェッカーD-02#D-02|サキ・ヒュウガ]]、テレビドラマ『[[時空警察ヴェッカーD-02]]』に登場するキャラクター<br />
* 生年不明 - 杉浦碧、漫画・アニメ『[[舞-HiME]]』に登場するキャラクター<br />
* 生年不明 - 高梨ヨウコ、ゲーム『[[プレゼントプレイ]]』に登場するキャラクター<br />
* 生年不明 - 綾瀬水沙希、ゲーム『[[へんし〜ん!|へんし〜ん! 2。]]』に登場するキャラクター<br />
* 生年不明 - 一条杏、ゲーム『[[あるすまぐな! -ARS:MAGNA-]]』に登場するキャラクター<br />
* 生年不明 - チャイム=ミルフォークス、ゲーム『[[Primary 〜Magical★Trouble★Scramble〜]]』に登場するキャラクター<br />
* 生年不明 - 柴田はつみ、ゲーム『[[ドキドキプリティリーグ]]』に登場するキャラクター<br />
* 生年不明 - 我藤四羅、漫画『[[バリハケン]]』に登場するキャラクター<br />
* 生年不明 - ダルマン、ゲーム『[[どうぶつの森]]』に登場するキャラクター<br />
* 生年不明 - エドワード・ニューゲート(白ひげ)、漫画『[[ONE PIECE]]』に登場する海賊。<br />
<br />
=== 忌日 ===<br />
*[[1984年]] - 春日部一(ボギー)、テレビドラマ『[[太陽にほえろ!]]』に登場するキャラクター<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
{{commons&cat|April 6|6 April}}<br />
{{新暦365日|4|5|4|7|[[3月6日]]|[[5月6日]]|[[4月6日 (旧暦)|4月6日]]|0406|4|06}}<br />
{{Wikipedia/Ja}}</div>
ウマスラ
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E5%8A%B4%E5%83%8D%E8%80%85%E5%85%9A&diff=230237
国家社会主義ドイツ労働者党
2014-06-01T17:44:33Z
<p>ウマスラ: </p>
<hr />
<div>'''国家社会主義ドイツ労働者党'''(こっかしゃかいしゅぎ-ろうどうしゃとう、{{lang-de-short|Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei}})とは、[[ドイツ国 (1933年-1945年)|ドイツ国]]の[[政党]]。[[1919年]]に結成され、[[アドルフ・ヒトラー]]が指導者として率い、[[1933年]]に[[政権]]を奪取したが、[[1945年]]のドイツ敗戦にともない消滅した。一般に「'''ナチ党'''」、「'''ナチス党'''」、「'''ナチス'''」などと呼ばれる。<br />
<br />
== 名称 ==<br />
創設当初、党名は「'''ドイツ労働者党'''」であった。入党後のヒトラーが改名を主張し、[[ルドルフ・ユング]]が[[オーストリア]]の[[オーストリア・ナチス党]](Deutsche Nationalsozialistische Arbeiterpartei)の命名パターンに従うことを要求した。討議の結果、1920年2月21日に党名は正式に「Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei」となった。2月24日[[ミュンヘン]]のビアホール「[[ホフブロイハウス]]」で開かれた党大会には聴衆2000人が集まり、綱領とともに正式採択された。<br />
<br />
正式党名の日本語訳は『National』の解釈の違いにより「'''国家社会主義ドイツ労働党'''<ref>[[広辞苑]]、[[大辞林]]、[[大辞泉]]</ref>」、「'''国民社会主義ドイツ労働者党'''<ref>[[世界大百科事典]]、[[林健太郎]]、[[村瀬興雄]]、[[内務省]][[警保局]]『[[外事警察報]]126号』・『外事警察研究資料・国民社会主義独逸労働者党の綱領と其の世界観的根本思想』など。</ref>」、「'''民族社会主義ドイツ労働者党'''」<ref>[[マルクス経済学]]の研究者[[岩田弘]]は、「民族社会主義」の呼称がナチスの主張に即しているとの意見を発表している[http://www5e.biglobe.ne.jp/~WKAPITAL/2004.4.13iwata.htm 岩田弘『河村シナリオと宇野段階論によせる』]</ref>などと訳される。また、[[国家社会主義]]は[[フェルディナント・ラッサール]]を代表とする[[社会主義]]思想「state socialism」の訳語、またはナチズムの訳語としても用いられる<ref>広辞苑、大辞林、大辞泉など</ref>。略して呼ぶ場合は後述の「'''ナチス'''」の他、同時代には「'''国粋社会党'''<ref>『[[東京朝日新聞]]』1933年1月31日号「[[惑星]]ヒトラー氏 遂に政權を掌握す」の文中「國粹社會黨首領アドルフ・ヒトラー氏」など</ref>」の表記も使われた。<br />
<br />
各国語では下記の通り翻訳されている。<br />
* [[英語]]:The National Socialist German Workers' Party<br />
* [[フランス語|仏語]]:Le Parti national-socialiste des travailleurs allemands<br />
* [[スペイン語|西語]]:El Partido Nacionalsocialista Obrero Alemán<br />
* [[中国語|中語]]:民族社會主義德意志工人黨、國家社會主義德意志勞工黨<br />
<br />
通称の「'''ナチ'''(独:ナーツィ、Nazi)」は、[[ドイツ語]]による正式党名の初め2[[音節]]を同音異字につづり変えた物で、当時の対抗勢力がナチ党員に付けた蔑称である。いわば「ナチ公」に相当する言葉であり、また「'''ナチス'''(独:ナーツィス、Nazis)」はその複数形である(英語ではナ(ー)ツィズと発音し、ナチ党の意味でも用いる)。ちなみに[[ドイツ社会民主党]]員も同じように「Sozialisten」を短縮して「ゾチ(独:ゾーツィ、Sozi)」と蔑称されていた。<br />
<br />
したがって、[[映画]]などでナチ党員が「ナチス」と言うのは本来は誤りであり、自分たちにナチおよびナチスという呼称を用いる事は無かった。自称としては党名のイニシャルを略して「'''NSDAP'''(エヌエスデーアーペー)」或いは「'''NS'''(エヌエス)」と呼んでいた。<br />
<br />
しかしながら日本では、ナチおよびナチスの呼称は当時から使用されている<ref>一例として{{和暦|1933}}11月12日付で[[永井松三]]駐独大使が外務省に打電した電報には『「ヒットラー」及び「ナヂ」要人』と表記されているほか、11月18日の電報では『「ナチ」議員』という表記もある。(外務省記録独国内政関係雑纂第二巻、[[アジア歴史資料センター]] Ref.B02032288600)</ref>。現在は他の非ドイツ語圏でも[[:en:Nazi Party|Nazi Party]]や[[:en:Nazi Germany|Nazi Germany]]のようにドイツ語の「Nazi」がそのまま使用されている。ドイツ語にも同様の「Nazi-Deutschland」などの言い方はあるが、現在は「Nazi」よりも中立的な「'''N'''ational'''s'''ozialismus(上述の英語 National Socialism に相当)」の略号である「'''NS'''(エヌエス)」を接頭語にして、例えば「NS-Deutschland(エヌエス・ドイチュラント)」のように造語される。<br />
<br />
== 思想 ==<br />
{{main|ナチズム}}<br />
{{節スタブ}}<br />
党の思想として一貫して存在しているのは「[[アーリアン学説|アーリア人至上主義]]」、「[[反ユダヤ主義]]」、「[[反共]]」、「指導者による[[独裁]]」等であり、ヒトラーの著書「[[わが闘争]]」が党の聖典視された。しかし党の実際の行動においてはこれらの思想と矛盾する事態もしばしば起こった。しかし指導者に対する忠誠と服従が優先され([[指導者原理]])、党員は疑問をさしはさむことは許されなかった。<br />
<br />
== 歴史 ==<br />
=== 結成、ヒトラーの入党 ===<br />
[[1918年]]初頭に「ドイツ労働者の平和に関する自由委員会(reier Ausschuss für einen deutschen Arbeiterfrieden)」[[ブレーメン]]で結成される。錠前師で自称詩人でもあった[[アントン・ドレクスラー]]は同党の支部を[[1918年]][[3月7日]]に[[ミュンヘン]]で結成した。[[1919年]][[1月5日]]にドレクスラーは[[ゴットフリート・フェーダー]](Gottfried Feder|Gottfried Feder)、[[ディートリヒ・エッカート]]、[[カール・ハラー]]らと共に同支部を「ドイツ労働者党(DAP)」に改名する。<br />
<br />
ドイツ労働者党は結党当時[[第一次世界大戦]]での敗北に伴う[[ドイツ帝国]]の解体と赤色革命に騒然とする世相に乗じて生まれたわずか40人ほどの泡沫政党に過ぎなかった(現在の感覚ではカフェに集まって議論するだけのほとんどサークルのようなものであり、事務所すらなかった)。母体であった「[[トゥーレ協会]]」の会員に、後に理論的指導者として活躍する[[アルフレート・ローゼンベルク]]、[[ディートリヒ・エッカート]]や、[[ルドルフ・ヘス]]等がおり、協会の異教的[[神秘主義]]・[[反ユダヤ主義]]はドイツ労働者党の思想に大きな影響を与えた。<br />
<br />
当時[[アドルフ・ヒトラー]]は、[[ドイツ国防軍]]が非合法に行っていた政治情勢を調査する仕事をしていた。上官である[[カール・マイヤー]]大尉に命ぜられて同党が1919年9月12日に開いた集会に参加し<ref name=murase>[[村瀬興雄]] 『アドルフ・ヒトラー 「独裁者」出現の歴史的背景』([[中公新書]]) ISBN 978-4121004789</ref>、数日後に入党した。ヒトラーは自分が7番目の党創設メンバーであると主張していたが、彼の党員番号は555番であり(番号は501番から始まる。)、この番号も1920年にアルファベット順で作成された名簿に基づくものであった。ヒトラーが7番目の幹部であったという説もあるが、名簿作成以前の正式な記録が無いため明確になっていない<ref name=murase/>。<br />
<br />
ヒトラーはドレクスラーに見込まれ、たちまち党に不可欠な巧みな演説者となった。ヒトラーは軍の仕事から離れ、党務に専念するようになった。1919年12月、ドレクスラーとヒトラーは党規則を改定することで議長(党首)であったハラーを追放し、ドレクスラーが新議長となった。[[1920年]]1月5日、ヒトラーはドレクスラーと共に党綱領の整備に取り組み、反ブルジョワ・反ユダヤ・[[国粋主義]]などを訴える[[25カ条綱領]]を作成した。綱領は反資本主義、社会主義色が濃かった。2月には党名が変更され、6月に[[ハーケンクロイツ]]の党章を採用、12月には売りに出されていた週刊紙『[[フェルキッシャー・ベオバハター]]』を買い取り、党の機関紙とした。<br />
<br />
ヒトラーは[[ミュンヘン義勇軍]]とのパイプを持つ[[エルンスト・レーム]]大尉やエッカートらの支持もあって党内で勢力を拡大した。ヒトラーは党内一番の人気弁士であり、数千人の聴衆を集めることが出来た。党財政においてもヒトラーは欠かせない存在になっていた。[[1921年]]7月、ヒトラー色を薄めようとする党内の動きに対して自らを唯一絶対の指導者とする独裁権([[指導者原理]])を要求するに至る。党内には反発もあったが、離党をちらつかせたヒトラーに屈し、[[7月29日]]に開かれた幹部会議で認められた。ドレクスラーは名誉議長に棚上げされ、ヒトラーが議長となった。このころからヒトラーはエッカートやヘスといった支持者から指導者を意味する「Führer」(フューラー)と呼ばれるようになり<ref name=murase/>、党内に定着した。この「Führer」はヒトラーの終生の肩書きとなった([[総統]]を参照)。また同年8月には党内組織「体育スポーツ局(Sportabteilung)」がレームによって設立された。同組織は10月に「[[突撃隊]]」と改称し、他党の同種団体との市街戦の主力となった。<br />
<br />
またこの頃から党勢の拡大を見た実業家からの寄付も相次ぎ、党勢はさらに拡大した。1923年には党員数3万5千人を数え、[[バイエルン州]]でも有数の政党になっていた。<br />
<br />
=== ミュンヘン一揆 ===<br />
{{main|ミュンヘン一揆}}<br />
[[1923年]]1月に[[ヴェルサイユ条約]]の賠償金の支払い遅延を理由にフランス軍がドイツの工業地帯である[[ルール問題|ルール地方]]を占領した。ナチスは右翼と共にフランス占領軍に対するテロを展開した。この際、党員の一人[[アルベルト・レオ・シュラゲター|シュラゲター]](Albert Leo Schlageter|Albert Leo Schlageter)がフランス軍に捕らえられ、[[軍法会議]]にかけられた上で処刑された。このシュラゲターの死をナチスが喧伝したことにより、ドイツ国内はもとより世界でも英雄視された<ref>[[ソビエト連邦共産党]]の幹部であり、[[コミンテルン]]の[[カール・ラデック]]もシュラゲターを「共産主義者はこの反革命の良き兵士を革命の兵士として尊敬しなければならぬ」と賞賛した。これはドイツを反西欧陣営に迎えようとする[[ナショナル・ボリシェヴィズム]]の立場によるものである。[[林健太郎]]『ワイマル共和国―ヒトラーを出現させたもの』([[中公新書]])ISBN 978-4121000279</ref>。これらのことが有利に働き、集団入党や献金が相次ぎ、更に勢力を拡大する。9月には国粋主義的な政党が連合して「[[ドイツ闘争連盟]]」が組織され、ヒトラーも指導者の一人になった。<br />
<br />
不穏な空気は[[1923年]]9月の[[フリードリヒ・エーベルト]]大統領による[[非常事態宣言]]によって表面化し、反ベルリン指向であったバイエルン州政府と中央政府の対立の構図が生まれた。ドイツ闘争連盟は[[ローマ進軍]]に倣って州政府を掌握し、その上でベルリンに進軍するという中央政権打倒計画を立案した。11月8日、[[ドイツ闘争連盟]]と同調した[[エーリヒ・ルーデンドルフ]]元参謀総長はバイエルン州政府指導者を軟禁し、州政府の建物を占拠した。しかし州政府指導者は逃亡し、ドイツ闘争連盟の鎮圧に乗りだした。11月9日、ドイツ闘争連盟は市の中心部にあるオデオン広場に向けてデモを行い、2000~3000人がこれに従ったが、同広場の入口で警察隊に銃撃されて、デモは壊滅した。<br />
<br />
首謀者ヒトラーを初め、党員らは投獄され、投獄を免れた党員も国外逃亡を余儀なくされる。ナチスも危険政党として非合法化され、一時解散することになるが、かえってヒトラーと党の知名度は高まることとなった。その後も反ワイマール共和国の気運の高まりは衰えることはなく、ナチス党のいくつかのダミー団体が活動を続けた。<br />
<br />
党内左派の中心人物である[[グレゴール・シュトラッサー]]はヒトラーより先に出獄し、ヒトラー無き党内で指導的な立場を確立した。主にドイツ北部と西部において元党員を組織したダミー団体「国家社会主義ドイツ自由運動」を結成し、国会において32議席を獲得した。シュトラッサーは共産主義に対抗するためには[[統制経済]]が必要と考えており、合法的な政権交代に路線転換し、既存勢力(産業界・軍部・貴族階級)との融和を考えたヒトラーとの間に溝を深めることになる。[[ヨーゼフ・ゲッベルス]]はこの頃にシュトラッサーの秘書として党活動を始めており、「日和見主義者のヒトラー氏の除名」を提案している。<br />
<br />
=== 党勢の拡大 ===<br />
[[1925年]]、ヒトラーが監獄から釈放され、投獄を免れた幹部も恩赦を受け帰国し、ナチ党も再結成が許可された。再結成後のナチ党は合法活動による政権獲得を主軸として行うこととなる。しかし出獄後のヒトラーは集会で四千人を集めるなど影響力は強く、政府から一年間の演説禁止措置を受けた。<br />
<br />
[[1926年]]、シュトラッサーは左翼の主張する王侯貴族の財産没収を支持し、企業の国営化を進める(ただし私有財産は認める)、領土回復のためのソ連との連携など、左派色の強い綱領改定案を呈示した。しかし、富裕層からの政治献金が無視できない額となっており、またソ連と組む案はヒトラーにとって受け入れられる案ではなかった。ヒトラーは[[2月14日]]に[[バンベルク]]で招集された[[バンベルク会議]]においてシュトラッサーの案を退けると共に、「指導者原理」による絶対服従を迫り、屈服させた。一方でシュトラッサーを全国組織指導者に任じ、独自の出版社を認めるなどの懐柔も行った。しかしシュトラッサーの右腕であったゲッベルスがヒトラーに懐柔され、シュトラッサーの勢力は縮小した。<br />
<br />
[[1928年]]、ナチス党として初めての国政選挙に挑んだが、12人の当選に留まった。しかしその後のドイツ経済の悪化と、ヴェルサイユ条約の賠償金支払い方法として[[ヤング案]]が合意されるとドイツ国民の反発を呼び、ナチス党は支持を集めていく事になる。ワイマール憲政では[[女性参政権]]があったため、ナチス党は女性に配慮した政策を打ち出して支持を拡大をした。[[1930年]]、ナチス党の伸長を恐れた[[ハインリヒ・ブリューニング|ブリューニング]]内閣は政治団体構成員が公の場で制服を着用することを禁じた。これは事実上の突撃隊禁止命令であったが、[[ドイツ国会1930年選挙|同年9月の選挙]]では107議席を獲得し、第二党に躍進した。ナチス党は[[中央党 (ドイツ)|中央党]]、[[ドイツ国家人民党]]とともに[[ハルツブルク戦線]]([[:en:Harzburg Front|en]])という連合を組み、ブリューニング内閣への攻撃を強めた。<br />
<br />
しかし躍進はしても末端の突撃隊員には恩恵が及ばず、1931年3月には東部ベルリン突撃隊指導者[[ヴァルター・シュテンネス]]大尉が公然と党中央を批判し、突撃隊と親衛隊の間で衝突が起こるようになった。ヒトラーは南米からレームを召還して突撃隊の鎮撫に当たらせたが、突撃隊の独自傾向は強まるばかりであった。<br />
<br />
1932年4月、大統領選挙が行われ、ヒトラーが大統領候補として出馬した。現大統領の[[パウル・フォン・ヒンデンブルク]]が圧倒的な票を集めて勝利したものの、ヒトラーも30%以上の票を集めた。ブリューニング内閣は倒れ、大統領の側近であった[[クルト・フォン・シュライヒャー|シュライヒャー]]中将の策謀により[[フランツ・フォン・パーペン|パーペン]]内閣が成立した。[[ドイツ国会1932年選挙 (7月)|7月の選挙]]でナチ党は全584議席中230議席<ref>これまでのヴァイマル共和政における最大議席数はドイツ社会民主党が得た153議席。</ref>を獲得し、ついに第一党の座を占めた。パーペンはナチス党と協力して議会運営を行おうとするが、首相の座にこだわるヒトラーは拒絶した。しかもヒトラーは首相の座に加え、全権委任を要求したから(のちに[[全権委任法]]として現実の物となる)、ヒンデンブルクやパーペンにとって、とうてい呑める要求ではなかった。さらにナチス党提出による内閣不信任案が可決され、進退窮まったパーペン首相は[[ドイツ国会1932年選挙 (11月)|11月に再度選挙]]を行った。選挙の結果、ナチ党は34議席を失ったが、引き続き第一党の座を占め続けた。<br />
<br />
{| border="1" cellpadding="1" cellspacing="0"<br />
|+'''ナチス党の得票数の変化'''<br />
|-bgcolor="#EEEEEE"<br />
!投票年月日||得票数||得票率||当選数<br />
|-<br />
|[[ドイツ国会1928年選挙|1928年5月20日]]||align=right|810,000||align=right|2.6%||align=right|12人<!--議員総数608人--><br />
|-<br />
|[[ドイツ国会1930年選挙|1930年9月14日]]||align=right|6,410,000||align=right|18.3%||align=right|107人<br />
|-<br />
|[[ドイツ国会1932年選挙 (7月)|1932年7月31日]]||align=right|13,750,000||align=right|37.3%||align=right|230人<br />
|-<br />
|[[ドイツ国会1932年選挙 (11月)|1932年11月6日]]||align=right|11,740,000||align=right|33.1%||align=right|196人<br />
|-<br />
|[[ドイツ国会1933年選挙 (3月)|1933年3月5日]]||align=right|17,280,000||align=right|43.9%||align=right|288人<br />
|-<br />
|[[ドイツ国会1933年選挙 (11月)|1933年11月12日]]||align=right|39,655,288||align=right|92.2%||align=right|661人<br />
|-<br />
|}<br />
<br />
=== ナチス党内閣成立 ===<br />
11月の選挙の結果をうけてパーペン内閣は倒れた。しかしナチ党も絶対多数を確保出来ず、指名権を持つヒンデンブルク大統領がヒトラーを個人的に嫌っていたため、ヒトラー組閣は困難であった。その政治的空白を縫って、シュライヒャーが新首相となった。シュライヒャー首相は入閣を餌に組織局長シュトラッサーの切り崩しを図ったが失敗し、ヒンデンブルク大統領の信任も失った。<br />
<br />
この間に、ヒトラーはヒンデンブルクの息子[[オスカー・フォン・ヒンデンブルク|オスカー]]と大統領官房長[[オットー・マイスナー]]を味方に引き入れた。彼らの説得を受けてヒンデンブルクはついにヒトラーを首相に任命し、[[1933年]][[1月30日]]に[[ヒトラー内閣]]が発足した。発足当時、入閣したナチス党員はヒトラーを含めて3名であり、副首相パーペンを代表とする保守派はヒトラーを制御出来ると考えていた。しかし[[プロイセン州]]内相に就任した[[ヘルマン・ゲーリング|ゲーリング]]が国土の過半数以上を占めるプロイセン州の警察権力を握り、突撃隊や親衛隊が警察権力に浸透していった。<br />
<br />
=== 独裁権力確立 ===<br />
組閣後まもなく議会は解散され、選挙運動が始まった。しかし2月に[[ドイツ国会議事堂放火事件|国会議事堂放火事件]]が起こり、これを共産党の陰謀と見なして緊急大統領令を布告、共産党幹部を逮捕した。当時の法律では国会議員の逮捕は禁じられていたが、緊急大統領令がこれを許した。<br />
<br />
選挙の結果、ナチス党が勝利したことが明らかになると、「党がドイツ民族を指導する体制が承認された」として、党による独裁を強化した。プロイセン州国家代理官のゲーリングを始めとする地各方の党員は[[ハーケンクロイツ|鉤十字]]の党旗を地方官公庁の建物に掲揚させた。さらにヒトラーは3月23日に[[全権委任法]]を国会承認させ、[[立法権]]を国会からヒトラー政権に委譲させた。この法律はどんな法律も議会の審議を経ないで政府が制定できることを意味してした。既存の政党は次々と解散し、7月には政党禁止法によりナチ党以外の政党は禁止された。また、これに前後して[[ヴァイマル憲法]]に定められた[[基本的人権]]や労働者の権利のほとんどは停止された。11月には[[ドイツ国会1933年選挙 (11月)|最後の国会選挙]]が行われ、国会議員はナチス党員のみとなった。12月には国家と党の不可分な一体化が定められた。<br />
<br />
1934年6月30日、第二革命を主張する[[突撃隊]]参謀長[[エルンスト・レーム|レーム]]や[[ナチス左派|党内左派]]など党内外のヒトラー反対派を一斉に粛清([[長いナイフの夜|長いナイフの夜事件]])し、独裁権力は確実なものとなった。[[ドイツ国防軍]]や[[資本家]]とも連携し、国内の反対派は息を潜めた。8月にはヒンデンブルク大統領死亡にともなって発効した国家元首法により、首相のヒトラーに大統領権限が委譲され、ヒトラーは国家元首となった。1938年11月9日夜から10日未明にかけてナチス党員・突撃隊がドイツ全土の[[ユダヤ人]]住宅・商店・[[シナゴーグ]]などを襲撃・放火している([[水晶の夜]])。<br />
<br />
=== 党による全国支配 ===<br />
1933年4月7日、州政府にナチ党幹部が[[国家代理官]]([[:de:Reichsstatthalter|Reichsstatthalter]])として送り込み、民主主義的な地方自治を停止させた。<br />
党の組織上の単位である[[大管区 (ナチ党)|大管区]]、管区、支部、[[細胞 (政党)|細胞]]、班 はそのまま国民支配の行政単位になった。党の組織は生活の大部分に浸透し、[[労働組合]]に代わる「[[ドイツ労働戦線]]」や、下部組織の「[[歓喜力行団]]」などによって、労働・教育・余暇など私生活の隅々まで党によって支配されていた。また青少年は[[ヒトラー・ユーゲント]]への加入が義務づけられた。これらの組織は[[第二次世界大戦]]では防空や治安維持なども担当し、大戦末期には本土防衛のために老人・子供から成る[[非正規軍]]の「[[国民突撃隊]]」の母体にもなっている。<br />
<br />
=== 敗戦後 ===<br />
1945年4月30日にヒトラーが[[総統地下壕]]で自殺した後、遺言によってマルティン・ボルマンが「党担当大臣」に任命された。しかし遺書は広く知られなかった上に、まもなくボルマンは消息を絶った。ヒトラー亡きナチ党は統制能力を失い、事実上解散状態となった。この間にヒムラーら一部の幹部は逃亡を図っている。[[1945年]]5月8日にドイツが[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]軍に降伏し、[[連合軍軍政期 (ドイツ)|軍政下]]に置かれた9月10日には党の存在自体が法律によって禁止され、「[[ニュルンベルク裁判]]」により「犯罪的な組織」と認定された。<br />
<br />
== 幹部 ==<br />
=== 指導者 ===<br />
党の組織は階層化されており、それぞれの階層の指導者がその階層以下を支配し、党首にあたる'''[[総統#ドイツ|指導者]]'''([[総統#ドイツ|総統]])[[アドルフ・ヒトラー]]は、党のすべてにわたる独裁権を握っていた。<br />
*[[指導者]]([[総統]])-[[アドルフ・ヒトラー]]<br />
<br />
=== 全国指導者 ===<br />
全国指導部(Reichsleitung)は、職能別に党務を分担して指導者ヒトラーを補佐する17〜20人の[[全国指導者]]([[:de:Reichsleiter]])から構成された(1934年時点の党組織図では18名が挙げられている)。全国指導者には、1933年の政権奪取後の[[ヒトラー内閣]]で国務大臣を兼務する者が多く含まれていた。<br />
* [[ルドルフ・ヘス]] - 指導者代理(副総統や総統代理という訳もある。以下同じ)(Stellvertreter des Führers)。無任所大臣兼務。<br />
* [[ヘルマン・ゲーリング]] - 指導者後継者(総統後継者)。空軍総司令官・航空大臣兼務。<br />
* [[マルティン・ボルマン]] -党官房長([[:de:Parteikanzlei|Parteikanzlei]])。 無任所大臣待遇(1941-)、ヒトラーの遺言によってナチ党担当大臣に指名。<br />
* [[フランツ・クサーヴァー・シュヴァルツ]]-財政全国指導者([[:de:Reichsschatzmeister|Reichsschatzmeister]] der NSDAP )。<br />
* [[フィリップ・ボウラー]] -指導者官房長(Chef der Kanzlei des Führers und Vorsitzender)。 ナチス文芸保護審査委員会会長を兼務。[[T4作戦]]の責任者。<br />
* [[ヴァルター・ブーフ]]([[:de:Walter Buch|Walter Buch]])-党最高裁判所長([[:de:Oberstes Parteigericht der NSDAP|Oberstes Parteigericht der NSDAP]])。<br />
* [[ヴィルヘルム・グリム (ナチ党)|ヴィルヘルム・グリム]]([[:de:Wilhelm Grimm (NSDAP)|Wilhelm Grimm]])-党第2最高裁判所長(Der Stellvertretende Vorsitzender des Obersten Parteigerichts / Der Vorsitzende der 2.)。<br />
* グレゴール・シュトラッサー - 宣伝全国指導者([[:de:Reichspropagandaleiter|Reichspropagandaleiter]])(党宣伝部長)(1926 - 1929)。<br />
* [[ヨーゼフ・ゲッベルス]] - 宣伝全国指導者([[:de:Reichspropagandaleiter|Reichspropagandaleiter]])(党宣伝部長)(1929 - )。国民啓蒙宣伝大臣・ベルリン大管区指導者・ [[国家文化院]]総裁兼務。<br />
* [[マックス・アマン]] -出版全国指導者([[:de:Reichsleiter für die Presse|Reichsleiter für die Presse]])兼 党機関紙指導者(Der Leiter der Parteipresse der NSDAP)。 [[国家出版院]]総裁兼務<br />
* [[オットー・ディートリヒ]] -新聞全国指導者([[:de:Reichspressechef|Reichspressechef]])。<br />
* [[リヒャルト・ヴァルター・ダレ]] - 農政全国指導者(Dar Leiter des Amtes für Agrarpolitik)(党農業政策局長)、後に全国農民指導者([[:de:Reichsbauernführer|Reichsbauernführer]])に改称(1933 - 1943)。食糧大臣兼務。<br />
* [[ヘルベルト・バッケ]] -全国農民指導者([[:de:Reichsbauernführer|Reichsbauernführer]])(1943 - 1945)。食糧大臣兼務。<br />
* [[リッター・フォン・エップ]] -国防政策全国指導者(Leiter des Wehrpolitischen Amtes)・植民政策全国指導者( Leiter des[[:de:Kolonialpolitischen Amtes der NSDAP|Kolonialpolitischen Amtes der NSDAP]])。<br />
* [[ヴィルヘルム・フリック]] - 国会議員団長。内務大臣兼務、次いで[[ベーメン・メーレン保護領]]総督兼務。<br />
* [[カール・フィーラー]] -書記全国指導者(Schriftführer der NSDAP)後に地方行政本部長(Leiter des Hauptamts für Kommunalpolitik)。<br />
* [[グレゴール・シュトラッサー]] - 組織全国指導者([[:de:Reichsorganisationsleiter|Reichsorganisationsleiter]])(党組織局長)(1929 - 1932)。[[ナチス左派]]の幹部、1932年に離党<br />
* [[ロベルト・ライ]] - 組織全国指導者([[:de:Reichsorganisationsleiter|Reichsorganisationsleiter]])(党組織局)(1932 -1945)。ドイツ労働戦線指導者・無任所大臣兼務。<br />
* [[ハンス・フランク]] -司法全国指導者(Der Leiter des [[:de:Reichsrechtsamtes|Reichsrechtsamtes]])。 無任所大臣兼務、[[ポーランド総督]]兼務<br />
* [[アルフレート・ローゼンベルク]] -対外政策全国指導者。 東方占領大臣兼務。<br />
* [[エルンスト・レーム]] -突撃隊幕僚長(Der Stabschef der SA)(1930 -1934)。無任所大臣兼務、[[長いナイフの夜]]で粛清。<br />
* [[ヴィクトール・ルッツェ]] - 突撃隊幕僚長(1934 - 1943)。<br />
* [[ヴィルヘルム・シェップマン]] - 突撃隊幕僚長(1943 -1945)。<br />
* [[ヨーゼフ・ベルヒトルト]]-親衛隊全国指導者(Reichsführer des SS)(1926-1927)。<br />
* [[エアハルト・ハイデン]]-親衛隊全国指導者(1927-1929)。<br />
* [[ハインリヒ・ヒムラー]] -親衛隊全国指導者(1929 - 1945)。1936年から全ドイツ警察長官、1943年より内務大臣兼務。<br />
* [[カール・ハンケ]] -親衛隊全国指導者(1945)(ヒトラーの遺言による指名)。<br />
* [[バルドゥール・フォン・シーラッハ]]-青少年全国指導者<!--([[ヒトラー・ユーゲント]]長官)-->([[:de:Reichsjugendführer|Reichsjugendführer]])(1930 - 1940)。<br />
* [[アルトゥール・アクスマン]]-青少年全国指導者(1940 - 1945)。<br />
* [[コンスタンティン・ヒール]]([[:de:Konstantin Hierl|Konstantin Hierl]]) - 国家社会主義義勇労働奉仕団団長。労働次官と[[:de:Reichskommissar]] für den Arbeitsdienstを兼務。<br />
<br />
=== 大管区指導者 ===<br />
[[大管区指導者]]([[:de:Gauleiter]])を参照。<br />
<br />
=== その他の幹部 ===<br />
*管区指導者(Kreisleiter)<br />
*地区指導者(Ortsgruppenleiter)<br />
*細胞指導者(Zellenleiter)<br />
*街区指導者(Blockleiter)<br />
<br />
== 機構 ==<br />
=== 党官房 ===<br />
政権末期のナチス党の実務は官房長マルティン・ボルマンが差配しており、事実上、彼が党の実権を握るにいたった。<br />
*党官房長([[:de:Parteikanzlei|Parteikanzlei]]): [[マルティン・ボルマン]]。<br />
=== 出納局 ===<br />
*財政全国指導者([[:de:Reichsschatzmeister|Reichsschatzmeister]] der NSDAP ): [[フランツ・クサーヴァー・シュヴァルツ]]<br />
=== 指導者官房 ===<br />
*指導者官房長(Chef der Kanzlei des Führers und Vorsitzender): [[フィリップ・ボウラー]] <br />
=== 党裁判所 ===<br />
*党最高裁判所長([[:de:Oberstes Parteigericht der NSDAP|Oberstes Parteigericht der NSDAP]]):[[ヴァルター・ブーフ]]([[:de:Walter Buch|Walter Buch]])<br />
*党第2最高裁判所長(Der Stellvertretende Vorsitzender des Obersten Parteigerichts / Der Vorsitzende der 2.): [[ヴィルヘルム・グリム (ナチ党)|ヴィルヘルム・グリム]]([[:de:Wilhelm Grimm (NSDAP)|Wilhelm Grimm]])<br />
=== 宣伝局 ===<br />
*宣伝全国指導者([[:de:Reichspropagandaleiter|Reichspropagandaleiter]])(党宣伝部長):グレゴール・シュトラッサー (1926 - 1929)。同 [[ヨーゼフ・ゲッベルス]] (1929 - )。<br />
=== 出版局 ===<br />
*統括組織: [[フランツ・エーア・フェルラーグ]]<br />
*出版全国指導者([[:de:Reichsleiter für die Presse|Reichsleiter für die Presse]])兼 党機関紙指導者(Der Leiter der Parteipresse der NSDAP): [[マックス・アマン]] <br />
=== 新聞局 ===<br />
*新聞全国指導者([[:de:Reichspressechef|Reichspressechef]]): [[オットー・ディートリヒ]] <br />
=== 農業政策局 ===<br />
都市を基盤にしていたナチスにとって、農業政策に関する部局が置かれたのは比較的遅かった。後に農民局に名称変更されている。<br />
*農政全国指導者(Dar Leiter des Amtes für Agrarpolitik)(党農業政策局長)後に全国農民指導者([[:de:Reichsbauernführer|Reichsbauernführer]])に改称: [[リヒャルト・ヴァルター・ダレ]] (1933 - 1943)、 [[ヘルベルト・バッケ]] (1943 - )<br />
=== 国防政策局 ===<br />
第二次世界大戦の勃発後に東方占領地を獲得すると、植民政策局に改められた。<br />
* 国防政策全国指導者(Leiter des Wehrpolitischen Amtes)・植民政策全国指導者( Leiter des[[:de:Kolonialpolitischen Amtes der NSDAP|Kolonialpolitischen Amtes der NSDAP]]): [[リッター・フォン・エップ]] <br />
=== 国会議員団 ===<br />
ナチス党が選挙に出馬して以降、国会議員の数も増加した。しかしヒトラーが独裁権力を握ると、ほとんど名誉職に過ぎなくなった。<br />
*国会議員団長:[[ヴィルヘルム・フリック]] <br />
=== 書記局 ===<br />
*書記全国指導者(Schriftführer der NSDAP)後に地方行政本部長(Leiter des Hauptamts für Kommunalpolitik): [[カール・フィーラー]] <br />
=== 組織局 ===<br />
*組織全国指導者([[:de:Reichsorganisationsleiter|Reichsorganisationsleiter]])(党組織局長): [[グレゴール・シュトラッサー]] (1929 - 1932)、 [[ロベルト・ライ]] (1932 -1945)<br />
=== 司法局 ===<br />
*司法全国指導者(Der Leiter des [[:de:Reichsrechtsamtes|Reichsrechtsamtes]]): [[ハンス・フランク]] <br />
=== 対外政策局 ===<br />
*対外政策全国指導者: [[アルフレート・ローゼンベルク]] <br />
=== 突撃隊 ===<br />
{{main|突撃隊}}<br />
当時のドイツの政党は、[[ドイツ社会民主党]]の「[[帝国国旗、黒・赤・金|国旗団]]」、[[ドイツ国家人民党]]の友好団体[[鉄兜団、前線兵士同盟|鉄兜団]]、[[ドイツ共産党]]の[[赤色戦線戦士同盟]]といった、統一された制服を着、旗を掲げて街頭を行進する集団を抱えていた。[[エルンスト・レーム]]の設立した党内組織の「体育スポーツ局」が改称されて生まれた[[突撃隊]]はそのような性格の組織であり、街頭行進や他党の活動妨害を行った。突撃隊はナチス党の知名度を上げるのに役立ったが、後に粗暴なならず者の集団であるという評判が立った。この事が後の[[長いナイフの夜]]事件による突撃隊幹部粛清の一因となった。しかしその後も国内最大の組織として存続した。<br />
*突撃隊指導者: [[フランツ・プフェファー・フォン・ザロモン]] - [[突撃隊]]司令官<ref>1930年以降はヒトラーが司令官を兼務</ref><br />
*突撃隊幕僚長(Der Stabschef der SA)<ref>突撃隊幕僚長は全国指導者扱い</ref>: [[エルンスト・レーム]] (1930 -1934)、 [[ヴィクトール・ルッツェ]] (1934 - 1943)、 [[ヴィルヘルム・シェップマン]] (1943 -1945)<br />
<br />
=== 親衛隊 ===<br />
{{main|親衛隊 (ナチス)}}<br />
1925年、ヒトラー警護のために突撃隊の下部組織として「[[親衛隊 (ナチス)|親衛隊]]」が結成される。[[ハインリヒ・ヒムラー]]が[[親衛隊全国指導者]]となって以降で親衛隊は拡大を続け、党内最重要組織の一つとなった。<br />
*親衛隊上級指導者(Oberleiter-SS): [[ユリウス・シュレック]](1925年-1926年)<br />
*親衛隊全国指導者(Reichsführer des SS): [[ヨーゼフ・ベルヒトルト]](1926年-1927年)、 [[エアハルト・ハイデン]](1927年-1929年)、 [[ハインリヒ・ヒムラー]] (1929 - 1945)、 [[カール・ハンケ]] (1945)(ヒトラーの遺言による指名)<br />
1935年には国防軍にも警察にも所属しない軍事組織[[親衛隊特務部隊]]が設けられた。ここに志願すれば、義務兵役年限に算入された。1940年には[[武装親衛隊]]と改名されて、陸軍・海軍・空軍と並ぶ第四の軍隊と認知された。<br />
{{main|武装親衛隊}}<br />
=== 青少年組織 ===<br />
政権獲得後、18歳以下の青少年は青少年全国指導者が支配する組織への入隊を義務付けられた。<br />
*統括組織<br />
* [[ヒトラーユーゲント]] Hitlerjugend(HJ) - 14~18歳の青年の「よきナチ党員になる」ための教育組織。<br />
**青少年全国指導者<!--([[ヒトラー・ユーゲント]]長官)-->([[:de:Reichsjugendführer|Reichsjugendführer]]): [[バルドゥール・フォン・シーラッハ]](1930 - 1940)、 [[アルトゥール・アクスマン]](1940 -1945 )<br />
* [[ドイツ女子同盟]]<br />
<br />
=== 国家社会主義義勇労働奉仕団 ===<br />
1933年、ナチ党は失業対策に「国家社会主義義勇労働奉仕団」([[:de:Erziehung im Nationalsozialismus|Erziehung im Nationalsozialismus]])を設置し、失業者を雇用した。1935年には他の類似組織と合流し、国家機関である[[国家労働奉仕団]]となった。<br />
*団長: [[コンスタンティン・ヒール]]([[:de:Konstantin Hierl|Konstantin Hierl]])<br />
<br />
=== その他の組織 ===<br />
パートタイム的に招集される一般党員のほか、下記の組織に入ることも出来た。<br />
* [[国家社会主義女性同盟]] [[:de:NS-Frauenschaft|NSF]]<br />
* [[国家社会主義航空軍団]] [[:de:Nationalsozialistisches Fliegerkorps|NSFK]]<br />
* [[国家社会主義自動車軍団]] [[:de:Nationalsozialistisches Kraftfahrerkorps|NSKK]] - 当時運転技術は貴重であった。<br />
* [[ナチス学生同盟]] [[:de:NSDStB|NSDStB]]<br />
<br />
=== 地方組織 ===<br />
地方組織は規模ごとに[[大管区 (ナチ党)|大管区]]、管区、地区、細胞、街区、班と分けられており、それぞれに指導者がいた。大管区の範囲は州レベルであり、最小単位の班の構成は40~50世帯である。また、ドイツの占領区域が増加すると[[帝国大管区]]等が設置されている。<br />
<br />
大管区はナチ党の地方組織としての最大の単位で、そこには[[大管区指導者]]([[:de:Gauleiter]])(1935年には33人)が置かれた。ベルリン=ブランデンブルク大管区指導者は宣伝全国指導者(宣伝大臣兼務)のゲッベルスであり、彼は全国指導者と大管区指導者を兼任していた唯一の人物であった。また、南ハノーファー・ブラウンシュヴァイク大管区指導者[[ベルンハルト・ルスト]]は1934年以降、国の文部大臣でもあった。また、[[国外大管区]]は外国のナチ党員を統括する大管区という扱いであった。<br />
<br />
下位の指導者の人数は1935年時点でそれぞれ管区指導者(Kreisleiter)は827人、地区指導者(Ortsgruppenleiter)は20,724人、細胞指導者(Zellenleiter)は976人、街区指導者(Blockleiter)は204,359人となっている。<br />
<br />
== 党員 ==<br />
ナチ党の一般的な党員は主として田舎や都市部の中流階級から構成されていた。7%は上流階級に属し、7%は農民であった。35%は産業労働者であり、51%は中流階級に所属した。最大の単一職業集団は小学校教師であった。党が結成された1920年には党員数は約2000人に過ぎなかったが、1933年の政権奪取時に党員数は250万人まで膨れあがっていた。1945年に党が解散した時、公式名簿に掲載された党員は合計850万人に上った。<br />
<br />
==== 党員の階級 ====<br />
党員の階級は30以上に分けられていた。<br />
<br />
=== ドイツ国防軍におけるナチ党員 ===<br />
国防軍は外部からの政治的な影響を恐れ、国防軍の兵士は非政治的であることを要求したため、国防軍に入隊しようとするナチ党員は離党を要求されることがあった{{要出典}}。<!--政権奪取後は状況が変わったのかどうかの記述が欠けている-->政権獲得後は[[ヴァルター・フォン・ライヒェナウ]]など入党する将官も現れ、高位の将兵には[[親衛隊名誉指導者]]などの名誉党員としての待遇を受けるものも現れた。<br />
<br />
== 党のシンボル ==<br />
党のシンボルである[[ハーケンクロイツ|鉤十字]]は1920年に採用された。歯科医[[フリードリヒ・クローン]]が募集に応じてデザインしたもので、[[ドイツ義勇軍|義勇軍]]「[[エアハルト旅団]]」([[:de:Brigade Ehrhardt|de]])(「[[コンスル (テロ組織)|コンスル]]」の前身)が使用していた[[ハーケンクロイツ|鉤十字]]を下地にデザインしたものに修正を加えたものである。党旗の赤と黒は「血と大地」を表すとされる。<br />
<br />
赤・黒・白の組み合わせは旧[[ドイツ帝国|ドイツ帝国旗]]に使用されたもので、現在の国旗に無い白は[[プロイセン]]の旗を表している。ヒトラーは、赤は社会的理念、白は国家主義的理念、ハーケンクロイツ(鉤十字)は古代ヒンズーの印を増幅したものである。これは[[アーリア人|アーリア民族]]の勝利のために戦う使命を表しているとされた。またナチ党は円や背景のないハーケンクロイツも使用した。また、円で囲ったハーケンクロイツの上に[[鷲]]を配した紋章も使われている。<br />
<br />
ナチ党は複数の党歌を採用したが、その中で最もよく知られているのが『[[旗を高く掲げよ]]』(ホルスト・ヴェッセル・リート)である。1930年に共産党員により命を落とした突撃隊員[[ホルスト・ヴェッセル]]が作詞したもので、当時流行していた歌謡曲(原曲はオペラの曲)がつけられ、党員の間で大流行した。やがては対立政党が揶揄するために替え歌を作るなど、ナチ党の象徴として扱われた。ヒトラーが政権の座に就くと第二の国歌的に扱われた。また、[[イギリスファシスト連合]]や[[ファランヘ党]]等海外のファシスト政党の間でも歌詞を変えて歌われている。<br />
<br />
== 関連施設 ==<br />
党の発祥の地であるミュンヘンには通称[[褐色館]]([[:de:Braunes Haus]])と呼ばれる本部が置かれた。隣接してミュンヘンの総統官邸も置かれた。戦後、党本部は破壊されたが、総統官邸は[[ミュンヘン音楽・演劇大学]]の校舎として残っている。<br />
<br />
党大会が開かれる場所であった[[ニュルンベルク]]の[[ツェッペリン広場]]([[:en:Nazi party rally grounds|en]])には党大会用の施設が建設され、現在も競技場として使用されている。<br />
<br />
また創設当時の党が大会を開き、ミュンヘン一揆の舞台となったビアホール[[ビュルガーブロイケラー]]は党の聖地視され、毎年ミュンヘン一揆の記念日にはヒトラーが古参党員を前に演説した。ビュルガーブロイケラーは[[1979年]]まで存在していたが、現在は案内板が残るのみとなっている。<br />
<br />
[[ベルヒテスガーデン]]近郊[[オーバーザルツベルク]]にはヒトラーの別荘[[ベルクホーフ]]が存在し、後にはオーバーザルツベルク一帯が党の所有となった。ヒトラーはベルクホーフでの生活を好み、長い期間をそこで過ごした。オーバーザルツベルクには党幹部達の別荘も置かれたが、大半が終戦間際の空襲と親衛隊員による破壊で焼失した。しかしヒトラーのもう一つの別荘であった[[ケールシュタインハウス]]は現存している。<br />
<br />
== プロパガンダ ==<br />
党は機関紙として[[フェルキッシャー・ベオバハター]]を発刊し、選挙戦術や国内統制に利用した。また、党幹部の一人であった[[ユリウス・シュトライヒャー]]が発行した雑誌[[シュテュルマー]]は[[反ユダヤ主義]]を広める手段となった。<br />
<br />
しかしナチス党のプロパガンディストとして最も知られているのが[[ヨーゼフ・ゲッベルス]]である。ゲッベルス「ボリシェヴィキどもからは、とくにそのプロパガンダにおいて、多くを学ぶことができる。」と日記に記しており、政敵の[[ドイツ共産党|共産党]]の手法を利用し、かつそれを凌駕する規模で行った。<br />
<br />
[[戸別訪問]]<ref>ヴァイマル共和政期には戸別訪問は禁じられておらず、多くの政党が同じ行動を行った。</ref>、党専属の楽団、膨大な量のビラ・ポスターの配布や、対立する政治家に対する猛烈な[[ネガティブ・キャンペーン]]、ラジオを利用した[[政見放送]]、航空機を利用した遊説旅行、町の壁を埋め尽くすポスター等は他党のそれを上まわる強烈なインパクトを与えた。また娯楽の中にさりげなく党の宣伝を織り交ぜる手法で宣伝効果を浸透させる手法を用いている。<br />
<br />
宣伝全国指導者であったゲッベルスは[[1927年]]に首都[[ベルリン]]で新聞『[[デア・アングリフ]]』紙を発刊した。新聞は他の新聞や他の政党を大きな活字で口汚く罵るもので、攻撃された新聞が反論の記事を書けば書くほど、ナチスの宣伝になってしまう効果もあったため、わざと讒言で他紙を「釣る」ことすらあった。また、時にはテロに訴えることもあった。[[1930年]]2月23日、党員[[旗を高く掲げよ|ホルスト・ヴェッセル]]が共産党員ヘラーに暗殺されるが、ゲッベルスはヴェッセルを殉教者に祭り上げ、盛大な葬儀を行って共産党に対する憎悪を煽り立てた。<br />
<br />
党による全国支配確立後にもプロパガンダは続けられ、政府の権力を用いた[[言論統制]]や、[[退廃芸術]]等に見られるような価値観統一政策にも乗りだしている。ヒトラー政権成立後の1933年3月、ヒトラーは[[国民啓蒙・宣伝省]]を組織し、ゲッベルスが国民啓蒙・宣伝大臣に任命された。宣伝省は敗戦にいたるまで強力なプロパガンダによって国民を統制した。<br />
<br />
== 類似政党 ==<br />
ドイツ本国だけでなく、国外にもナチズムに近い思想を持った政党が存在した。第二次世界大戦時、これらの政党はナチス・ドイツによる[[傀儡政権]]の支持政党としても活動したりした。オーストリア・ナチスとズデーテン・ドイツ人党は後にナチス党に合流している。<br />
<br />
=== ヨーロッパ ===<br />
* オーストリア・ナチス([[:en:Austrian National Socialism]])<br />
* [[ズデーテン・ドイツ人党]]<br />
* [[矢十字党]]([[ハンガリー]])<br />
* 国家社会主義ブロック([[:en:National Socialist Bloc]])([[スウェーデン]])<br />
* 国家社会主義労働者党([[:en:National Socialist Workers' Party (Sweden)]])(スウェーデン)<br />
* 国家社会主義デンマーク労働者党([[:en:National Socialist Workers' Party of Denmark]])<br />
* 国家社会主義同盟([[:en:National Socialist League]])([[イギリス]])<br />
* オランダ国家社会主義運動([[:en:National Socialist Movement in the Netherlands]])<br />
* 国家社会主義オランダ労働者党([[:en:National Socialist Dutch Workers Party]])<br />
* 国家社会主義運動([[:en:National Social Movement (Bulgaria)]])([[ブルガリア]])<br />
* ギリシャ国家社会主義党([[:en:Greek National Socialist Party]])<br />
<br />
=== 南北アメリカ ===<br />
* [[ドイツ系アメリカ人協会]]<br />
* 新生ドイツ友の会([[アメリカ合衆国]])<br />
* 国家統一党([[カナダ]])<br />
* チリ国家社会主義運動([[:en:National Socialist Movement of Chile]])<br />
<br />
=== アフリカ ===<br />
* [[:en:Ossewabrandwag|Ossewabrandwag]]([[南アフリカ]])<br />
* [[:en:Greyshirts |Greyshirts ]](南アフリカ)<br />
<br />
== 戦後 ==<br />
=== 非ナチ化 ===<br />
ドイツ国内では刑法第86条でナチズムのプロパガンダ及びそれに類する行為が禁じられており、[[ドイツ社会主義帝国党]]など後継政党と見なされた党は即座に禁止されている。また、オーストリア、ハンガリー、ポーランド、チェコ、フランス、ブラジル等でも同様にナチス関連のプロパガンダを禁じる法律が存在している。<br />
<br />
日本では一時期「ドイツではナチス犯罪に時効はない」という報道が行われた事があったが、実際にはドイツ刑法はナチスとは関わりなく「謀殺罪(計画的殺人)」の時効が無いということである。その罪に該当しないナチス時代の犯罪は全て時効が成立している。また、ドイツのEU加盟後は同様の法律をEU圏内に広めることについての論議も行われている。<br />
<br />
[[2009年]]7月11日にも、[[ドイツ国防軍]]の元[[少尉]]、[[ヨーゼフ・ショイングラバー]]が、イタリアの[[トスカーナ州]]の村で[[パルチザン]]掃討中に、一般住民10人の殺害命令を出したとして、ドイツの法廷で終身刑を言い渡された。[http://www.jcp.or.jp/akahata/aik09/2009-08-14/2009081407_01_1.html]<br />
<br />
また、イスラエルはホロコーストに関するナチス党戦犯を国家として訴追しており、現在でもナチ・ハンターによる戦犯捜索が続けられている。<br />
<br />
=== ネオナチ ===<br />
{{main|ネオナチ}}<br />
ナチス党が崩壊した後も、世界各地にはナチズムを受け継ぐと称した団体が多く存在している。また、[[ホロコースト否定]]など、ナチス・ドイツにおける犯罪を否定する動きも根強く残っている。<br />
<br />
アメリカにおいては1953年に[[ジョージ・リンカーン・ロックウェル]]海軍大佐が「[[アメリカ・ナチ党]]」を結成した。これは1960年代にその党勢が最高潮に達し、多くの法的機関が党の危険性を警告したが、[[言論の自由]]を重視する世論によって、党の解散を免れその存在の継続が認められた。しかし、ジョージ・ロックウェルが暗殺されると[[国家社会主義白人党]]と改称し、その会員の大部分と財源の多くを失った。また分派として[[アメリカ国家社会党]]などが存在した。<br />
<br />
== 脚注 ==<br />
<references /><br />
<br />
== 文献 ==<br />
* [[四宮恭二]](1932年から1934年までナチスの政権奪取を身近に観察した留学生)『ナチス』 政経書院、1934年 <br />
* 森川覚三 『ナチス独逸の解剖』 コロナ社、1940年<br />
* Milton Mayer 『彼らは自由だと思っていた:元ナチ党員十人の思想と行動』田中浩・金井和子(訳)、未來社、1983年、ISBN 4-624-11068-4<br />
* Alexander Drozdynski 『ヒトラー・ジョーク:ジョークでつづる[[第三帝国]]史』 [[関楠生]](編訳)、河出書房新社、1980年<br />
* Ian Kershaw 『ヒトラー 権力の本質』 [[石田勇治]](訳)、白水社、1998年<br />
* [[加瀬俊一 (1925年入省)|加瀬俊一]](ヒトラーと会談したことのある外交官) 『ワイマールの落日』 光人社、1998年 <br />
* 宮田光雄・柳父圀近編 『ナチ・ドイツの政治思想』 創文社、2002年、ISBN 4-423-71052-8<br />
* 佐野誠 『近代啓蒙批判とナチズムの病理』 創文社、2003年、ISBN 4-423-71057-9<br />
* 『健康帝国ナチス』草思社、2003年9月、ISBN 978-4-7942-1226-9<br />
* ウィリアム・L・シャイラー 『[[第三帝国の興亡]]』全5巻 (松浦伶訳 東京創元社 2008-09年)<br />
* 飯田道子 『ナチスと映画 ヒトラーとナチスはどう描かれてきたか』(中公新書 2009年)<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
{{Commonscat|National Socialist German Workers Party}}<br />
* [[独裁政治]]<br />
* [[アドルフ・ヒトラー・シューレ]]<br />
* [[ナチス左派]]<br />
* [[ネオナチ]]<br />
* [[コンスル (テロ組織)]]<br />
* [[我が闘争]]<br />
* [[ゲルマン民族]]<br />
* [[退廃芸術]]<br />
* [[宥和政策]]<br />
* [[電撃戦]]<br />
* [[フォルクスワーゲン]]<br />
* [[ダイムラー・ベンツ]]<br />
* [[アーリアン学説]]<br />
* [[サイモン・ヴィーゼンタール]]<br />
* [[保守革命]]<br />
* [[:w:National Bolshevism|ナショナル・ボルシェヴィズム]]<br />
* [[非ナチ化]]<br />
* [[ハーケンクロイツ]]<br />
* [[卍]](まんじ(万字);ハーケンクロイツと密接な関係がある)<br />
* [[ナチズム]]<br />
<br />
== 外部リンク ==<br />
* [http://www.axishistory.com/index.php?id=2875 Axis History Factbook - NSDAP]<br />
* [http://www.third-reich-books.com/x-571-nsdap-programme.htm NSDAP Party Programme]<br />
* [http://www.adolfhitler.ws/lib/nsdap/docs/nsdap.html NSDAP Handbook]<br />
* [http://nsdap.de/ http://nsdap.de/]<br />
<br />
{{アドルフ・ヒトラー}}<br />
{{ナチ党}}<br />
{{ナチス・ドイツ}}<br />
{{Wikipedia/Ja}}<br />
{{DEFAULTSORT:こつかしやかいしゆぎどいつろうどうしやとう}}<br />
[[Category:ナチス・ドイツ|*こっかしゃかいしゅぎどいつろうどうしゃとう]]<br />
[[Category:ナチ党|*こっかしゃかい]]<br />
[[Category:ドイツの政治]]<br />
[[Category:ドイツの政党]]<br />
[[Category:ヴァイマル共和国の政党]]<br />
[[Category:ドイツ社会主義]]<br />
[[Category:ヨーロッパの社会主義]]<br />
[[Category:ナショナリズム]]<br />
[[Category:反共団体]]</div>
ウマスラ
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=4%E6%9C%8830%E6%97%A5&diff=230236
4月30日
2014-06-01T17:43:30Z
<p>ウマスラ: /* 人物 */</p>
<hr />
<div>'''4月30日'''(しがつさんじゅうにち)は[[グレゴリオ暦]]で年始から120日目([[閏年]]では121日目)にあたり、年末まではあと245日ある。4月の最終日である。<br />
<br />
== できごと ==<br />
<!-- 記事に日付のないもの:パリ講和会議,テレビ --><br />
<!-- [[Image:Washington_%283%29.jpg|thumb|200px|[[ジョージ・ワシントン]]、[[アメリカ合衆国]]初代大統領に選出(1789)]] 4/6に選出の画像あり。選出と就任どちらか一方だけでいいのかな? --><br />
[[Image:Louisana_Purchase_1953_Issue-3c.jpg|thumb|220px|アメリカ合衆国、フランスから[[ルイジアナ買収|ルイジアナを買収]](1803)。画像は買収150周年記念切手]]<br />
[[Image:1863_-_L%C3%A9gion_-_camerone2.jpg|thumb|160px|[[カマロンの戦い]](1863)。[[フランス外人部隊]]は300万フランを文字通り死守]]<br />
[[Image:Battle_of_Yalu_River_1904.jpg|thumb|300px|[[鴨緑江会戦]](1904)]]<br />
<!-- [[Image:DaylightSaving-World-Subdivisions.png|thumb|370px|ドイツで世界初の[[夏時間]]実施(1916)。画像は1997年の実施状況(青が実施地域)]] --><br />
[[Image:This_ballot_is_a_power_for_creation_of_Greater_East_Asia.JPG|thumb|180px|[[第21回衆議院議員総選挙|翼賛選挙]](1942)の投票日]]<br />
[[Image:Vietnamese refugees on US carrier, Operation Frequent Wind.jpg|thumb|220px|[[ホーチミン市|サイゴン]]が陥落し[[ベトナム戦争]]終結(1975)。画像は[[フリークエント・ウィンド作戦]]でサイゴンを脱出する南ベトナム住人]]<br />
<!--[[ホーチミン市|サイゴン]]が陥落し[[ベトナム戦争]]終結(1975)。画像は[[統一会堂|独立会堂]]に突入する[[ベトナム人民軍]]の戦車]] --><br />
* [[313年]] - [[ツィラルムの戦い]] ([[:en:Battle of Tzirallum]])。[[ローマ皇帝]][[リキニウス]]が、ローマ帝国の東側を分割統治していた[[マクシミヌス・ダイア]]を破る。<br />
* [[1483年]] - この日から[[1503年]][[7月23日]]まで[[冥王星]]が[[海王星]]の軌道の内側へ入りこむ。<!-- 何度もあることなので、特筆性があるかどうか疑問。 --><br />
* [[1789年]] - [[ジョージ・ワシントン]]が初代[[アメリカ合衆国大統領]]に就任。<br />
* [[1803年]] - [[アメリカ合衆国]]が[[フランス]]から[[ルイジアナ買収|ルイジアナを買収]]する。<br />
* [[1863年]] - [[メキシコ出兵]]・[[カマロンの戦い]]:物資輸送中の[[フランス外人部隊]]を[[メキシコ軍]]が攻撃。<br />
* [[1888年]] - [[日本]]で[[黒田清隆]]が第2代[[内閣総理大臣]]に就任し、[[黒田内閣]]が発足。<br />
* [[1898年]] - [[函館市|函館]]近くの湯ノ川村に日本初の女子[[修道院]]・[[トラピスチヌ修道院]]が設立される。<!-- 『雑学366日 今日は何の日か事典』(大泉出版)に記載。ただし「トラピスト修道院」と誤記 --><br />
* [[1900年]] - [[アメリカ合衆国]]で[[ハワイ基本法]]施行。[[ハワイ準州]]政府を設置。<br />
* 1900年 - [[神戸市|神戸]]の[[観艦式]]で初めて『[[軍艦行進曲|軍艦マーチ]]』が演奏される。<!-- 『雑学366日 今日は何の日か事典』(大泉出版)に記載 --><br />
* 1900年 - [[イリノイ・セントラル鉄道]]の特急列車キャノンボールが[[ヴォーン]]駅で停車中の貨物列車に追突。最後までブレーキレバーを握っていた運転士[[ケーシー・ジョーンズ]]([[:en:Casey Jones|Casey Jones]])が殉職。<br />
* [[1904年]] - [[日露戦争]]: [[鴨緑江会戦]]はじまる。<br />
* [[1908年]] - [[大日本帝国海軍|日本海軍]]の[[巡洋艦]]「[[松島 (巡洋艦)|松島]]」が寄港地の[[馬公市|馬公]]で爆沈、207名の死者を出す。<br />
* [[1914年]] - [[大阪電気軌道]]上本町 - 奈良(現 [[近鉄奈良線]])が開業。[[生駒トンネル]]で生駒山地を貫く。<br />
* [[1916年]] - [[ドイツ]]で、世界で初めて[[夏時間]]が実施された。<br />
* [[1918年]] - 戦艦[[日向 (戦艦)|日向]]が就役。<br />
* [[1919年]] - [[パリ講和会議]]で旧ドイツ権益の[[山東省]]と[[膠州湾租借地]]の日本への譲渡を決定。<br />
* [[1927年]] - アメリカ合衆国初の女性用連邦刑務所・[[オルダーソン刑務所]]([[:en:Federal Prison Camp, Alderson|Federal Prison Camp]])が[[ウェストバージニア州]][[オルダーソン]] ([[:en:Alderson, West Virginia]])に開所。<br />
* [[1931年]] - 大阪帝国大学(現 [[大阪大学]])設立。<br />
* [[1939年]] - [[ニューヨーク・ヤンキース]]の[[ルー・ゲーリック]]選手が2130試合連続出場記録を達成。<br />
* 1939年 - [[ニューヨーク万国博覧会 (1939年)|ニューヨーク万国博覧会]]開幕。<br />
* [[1942年]] - [[第21回衆議院議員総選挙]](翼賛選挙)の投票日。<br />
* [[1945年]] - 前日結婚した[[アドルフ・ヒトラー]]と[[エヴァ・ブラウン]]が自殺。<br />
* 1945年 - ヒトラーの「政治的遺言」により[[ドイツ]]大統領に[[カール・デーニッツ]]、首相に[[ヨーゼフ・ゲッベルス]]がそれぞれ就任。<br />
* [[1946年]] - [[経済同友会]]の設立総会。<br />
* [[1947年]] - 日本で「[[国会法]]」公布。<br />
* 1947年 - アメリカ・[[コロラド川]]のボールダーダムが大統領[[ハーバート・フーヴァー]]に因んで[[フーバーダム]]に改称。<br />
* [[1948年]] - 南北アメリカの21か国が[[コロンビア]]の首都[[ボゴタ]]で米州機構憲章に調印。<br />
* [[1950年]] - 日本で「[[図書館法]]」公布。<br />
* [[1959年]] - [[高宮行男]]、予備校の不二学院・文理予備校を[[代々木ゼミナール]]に改称。<br />
* [[1960年]] - [[ソニー]]が世界初の[[トランジスタ]][[テレビ]]を発売。<br />
* [[1970年]] - [[カンボジア内戦]]:クーデターを起こした[[ロン・ノル]]の支援のため、アメリカ軍と南ベトナムが[[カンボジア]]に侵攻。<br />
* [[1975年]] - [[ベトナム戦争]]終結。[[南ベトナム]]の首都[[サイゴン]]に[[南ベトナム解放民族戦線]]が突入、[[ズオン・バン・ミン]]大統領が無条件降伏を発表。<br />
* [[1980年]] - [[オランダ]]で[[ベアトリクス (オランダ女王)|ベアトリクス]]女王が即位。<br />
* 1980年 - [[イギリス]]で[[駐英イラン大使館占拠事件|イラン大使館占拠事件]]発生。<br />
* [[1982年]] - [[国際連合|国連]][[海洋法]]会議で「海洋法に関する国際連合条約」([[国連海洋法条約]])を採択(領海12海里以内が確立)<br />
* [[1989年]] - JR北海道の[[名寄本線]]・[[天北線]]がこの日限りで廃止。<!-- 最終運転日記載 --><br />
* [[1994年]] - [[ローランド・ラッツェンバーガー]]がF1サンマリノGP予選で事故死。<br />
* [[1995年]] - 日本産[[トキ]]の最後の雄・ミドリが死去。<br />
* 1995年 - [[ビル・クリントン]]米大統領、現職米大統領として初の[[北アイルランド]]訪問。<br />
* [[2002年]] - [[パキスタン]]での[[国民投票]]で、[[ペルベズ・ムシャラフ]]の[[国家主席]]職5年延長を圧倒的多数で承認。<br />
* [[2010年]] - [[世界ボクシング評議会|WBC]]世界[[バンタム級]]王者の[[長谷川穂積]]が11度目の防衛に失敗。<br />
<br />
== 誕生日 ==<br />
=== 人物 ===<br />
{{右|[[Image:1D line.svg|220px]]}} <!-- 画像がセクションの境界を大きくはみ出す時に、セクションの境目を示すセパレータです --><br />
[[Image:DeLasalle_Leger.jpg|thumb|100px|「近代教育の先駆者」、[[ジャン=バティスト・ド・ラ・サール]](1651-1719)誕生]]<br />
[[Image:Carl_Friedrich_Gauss.jpg|thumb|100px|数学者[[カール・フリードリヒ・ガウス]](1777-1855)誕生]]<br />
<!--[[Image:YoshitoshiAdachi.jpg|thumb|180px|無惨絵で知られる浮世絵師、[[月岡芳年]](1839-1892)。画像は『奥州安達がはらひとつ家の図』(1885)]] --><br />
[[Image:YoshiClimber.jpg|thumb|180px|[[月岡芳年]](1839-1892)。画像は『稲葉山の月』(1885)]]<br />
<!-- [[Image:Hasek.jpg|thumb|100px|風刺作家、[[ヤロスラフ・ハシェク]](1883-1923)。代表作『[[兵士シュヴェイクの冒険]]』]] --><br />
[[Image:FranzLehar-StadtparkWien.JPG|thumb|100px|作曲家[[フランツ・レハール]](1870-1948)。代表作[[オペレッタ]]『[[メリー・ウィドウ]]』(1905)]]<br />
<!-- [[Image:Bundesarchiv_Bild_183-H04810%2C_Joachim_von_Ribbentrop.jpg|thumb|upright|[[ヒトラー内閣]]の外務大臣、[[ヨアヒム・フォン・リッベントロップ]](1893-1946)]] --><br />
<!-- [[Image:LarryNiven.jpg|thumb|upright|[[ハードSF]]作家、[[ラリー・ニーヴン]](1938-)。代表作『[[リングワールド]]』(1970)]] --><br />
[[Image:Carl_XVI_Gustaf_of_Sweden_ca_1950.JPG|thumb|upright|[[スウェーデン]]国王、[[カール16世グスタフ]](1946-)]]<br />
* [[1245年]] - [[フィリップ3世 (フランス王)|フィリップ3世]]、[[フランス王]](+ [[1285年]])<br />
* [[1310年]] - [[カジミェシュ3世 (ポーランド王)|カジミェシュ3世]]、[[ポーランド王]](+ [[1370年]])<br />
* [[1504年]] - [[フランチェスコ・プリマティッチオ]]、[[画家]]、[[彫刻家]]、[[建築家]](+ [[1570年]])<br />
* [[1553年]] - [[ルイーズ・ド・ロレーヌ=ヴォーデモン]]、[[フランス王国|フランス]][[王妃]](+ [[1601年]])<br />
* [[1623年]] - [[フラノス・デ・ラヴァル]] ([[:en:François de Laval]])、ニューフランス初の司教(+ [[1708年]])<br />
* [[1651年]] - [[ジャン=バティスト・ド・ラ・サール]]、[[宗教家]]・[[教育者]](+ [[1719年]])<br />
* [[1662年]] - [[メアリー2世 (イングランド女王)|メアリー2世]]、[[イングランド]]女王(+ [[1694年]])<br />
* [[1721年]] - [[ロゲル・シャーマン]]、アメリカ独立宣言の署名者(+ [[1793年]])<br />
* [[1769年]] - [[ウェリントン公アーサー・ウェルズリー]]、[[軍人]]・[[政治家]](+ [[1852年]])<br />
* [[1777年]] - [[カール・フリードリヒ・ガウス]]、[[数学者]]・[[天文学者の一覧|天文学者]]・[[物理学者]](+ [[1855年]])<br />
* [[1803年]] - [[アルブレヒト・フォン・ローン]]、[[プロイセン]]の軍人、政治家(+ [[1879年]])<br />
* [[1812年]] - [[カスパー・ハウザー]]、[[ドイツ]]で長年牢獄に閉じ込められていた少年(+ [[1833年]])<br />
* [[1829年]] - [[フェルディナント・フォン・ホフシュテッター]] ([[:en:Ferdinand von Hochstetter]])、[[地質学者]](+ [[1884年]])<br />
* [[1839年]]([[天保]]10年[[3月17日 (旧暦)|3月17日]]) - [[月岡芳年]]、[[浮世絵師]](+ [[1892年]])<br />
* [[1857年]] - [[オイゲン・ブロイラー]]、[[精神科医]](+ [[1939年]])<br />
* [[1869年]] - [[フィリップ・ド・ラースロー]]、画家(+ [[1937年]])<br />
* 1869年 - [[ハンス・ペルツィヒ]]、建築家(+ [[1936年]])<br />
* [[1870年]] - [[フランツ・レハール]]、[[作曲家]](+ [[1948年]])<br />
* [[1883年]] - [[ヤロスラフ・ハシェク]]、[[小説家]](+ [[1923年]])<br />
* [[1885年]] - [[ルイージ・ルッソロ]]、[[画家]]・[[作曲家]](+ [[1947年]])<br />
* [[1888年]] - [[デビッド・ジェイコブズ]]、陸上競技選手(+ [[1976年]])<br />
* [[1893年]] - [[ヨアヒム・フォン・リッベントロップ]]、[[ドイツ国 (1933年-1945年)|ナチス・ドイツ]]外務相(+ [[1946年]])<br />
* [[1900年]] - [[野呂栄太郎]]、[[経済学者]]、戦前の[[日本共産党]]指導者(+ [[1934年]])<br />
* [[1901年]] - [[有田喜一]]、[[政治家]](+ [[1986年]])<br />
* 1901年 - [[サイモン・クズネッツ]]、経済学者、[[統計学者]](+ [[1985年]])<br />
* [[1902年]] - [[セオドア・シュルツ]]、アメリカの経済学者、[[ノーベル経済学賞|ノーベル賞]]受賞者(+ [[1998年]])<br />
* [[1903年]] - [[川喜多長政]]、[[映画]]輸入業者、[[映画プロデューサー]](+ [[1981年]])<br />
* [[1904年]] - [[任弼時]]、[[中華人民共和国]]の政治家(+ [[1950年]])<br />
* 1904年 - [[大山定一]]、[[ドイツ文学者]](+ [[1974年]])<br />
* [[1905年]] - [[加藤常太郎]]、政治家(+ [[1990年]])<br />
* [[1909年]] - [[ユリアナ (オランダ女王)|ユリアナ]]、[[オランダ王|オランダ女王]](+ [[2004年]])<br />
* [[1916年]] - [[クロード・シャノン]]、数学者、[[電気工学|電気工学者]](+ [[2001年]])<br />
* 1916年 - [[ロバート・ショウ (指揮者)|ロバート・ショウ]]、アメリカの[[指揮者]](+ [[1999年]])<br />
* [[1923年]] - [[鏡里喜代治]]、[[大相撲]]第42代[[横綱]](+ [[2004年]])<br />
* 1923年 - [[小畑実]]、[[歌手]](+ [[1979年]])<br />
* 1923年 - [[パーシー・ヒース]]、[[ジャズ]]・[[ミュージシャン]](+ [[2005年]])<br />
* [[1926年]] - [[クロリス・リーチマン]]、アメリカの[[女優]]<br />
* [[1927年]] - [[綿貫民輔]]、政治家、[[国民新党]]代表<br />
* [[1930年]] - [[戸浦六宏]]、[[俳優]](+ [[1993年]])<br />
* 1930年 - [[大原健士郎]]、[[精神医学|精神医学者]](+ [[2010年]])<br />
* 1930年 - [[高橋英夫]]、[[文芸評論家]]<br />
* 1930年 - [[フェリックス・ガタリ]]、[[思想家]]、[[精神分析家]](+ [[1992年]])<br />
* [[1933年]] - [[ウィリー・ネルソン]]、[[カントリー]]・[[ミュージシャン]] <br />
* [[1936年]] - [[亀井善之]]、政治家(+ [[2006年]])<br />
* [[1938年]] - [[ラリー・ニーヴン]]、[[SF作家]]<br />
* [[1940年]] - [[ツルネン・マルテイ]]、政治家<br />
* [[1941年]] - [[ジョニー・ファリーナ]] ([[:en:Johnny Farina]])、アメリカのギタリスト<br />
* 1941年 - [[織田光正]]、プロ野球選手<br />
* [[1943年]] - [[フレデリック・チルバ]]、元[[ザンビアの大統領|ザンビア大統領]] <br />
* [[1944年]] - [[ジル・クレイバーグ]]、女優<br />
* [[1946年]] - [[カール16世グスタフ]]、[[スウェーデン]][[国王]]<br />
* [[1948年]] - [[ロバート・タージャン]]、[[計算機科学者]]<br />
* [[1949年]] - [[杉本真人]]、[[作曲家]]<br />
* 1949年 - [[アントニオ・グテーレス]]、元[[ポルトガルの首相|ポルトガル首相]]<br />
* [[1953年]] - [[Mr.オクレ]]、[[タレント]]<br />
* 1953年 - [[ティボル・クランパ]]、卓球選手<br />
* [[1954年]] - [[ジェーン・カンピオン]]、[[映画監督]]<br />
* 1954年 - [[釘谷肇]]、プロ野球選手<br />
* [[1956年]] - [[セルゲイ・シャフライ]]、[[政治家]]<br />
* 1956年 - [[ラース・フォン・トリアー]]、映画監督<br />
* [[1957年]] - [[日向薫]]、[[女優]]<br />
* [[1958年]] - [[沼澤茂美]]、[[天体写真|天体写真家]]・[[天文学|天文]][[イラストレーター]]<br />
* [[1959年]] - [[久美沙織]]、[[小説家]]<br />
* 1959年 - [[沖直未]]、女優<br />
* 1959年 - [[杉田敦 (政治学者)|杉田敦]]、政治学者<br />
* 1959年 - [[スティーブン・ハーパー]]、[[カナダの首相|カナダ首相]]<br />
* [[1961年]] - [[アイザイア・トーマス]]、[[バスケットボール]]選手<br />
* 1961年 - [[トーマス・シャーフ]]、[[サッカー選手]]、指導者<br />
* [[1962年]] - [[清田益章]]、[[超能力]]者<br />
* 1962年 - [[前原誠司]]、政治家<br />
* 1962年 - [[山下正人]]、[[ボクシング]]のトレーナー・[[警察官]]<br />
* [[1964年]] - [[渡辺美佐 (声優)|渡辺美佐]]、声優<br />
* 1964年 - [[イアン・ヒーリー]] ([[:en:Ian Healy]])、クリケット選手<br />
* [[1965年]] - [[佐野康夫]]、[[ドラマー|ドラム奏者]]<br />
* 1965年 - [[エイドリアン・パスダー]]、俳優<br />
* [[1967年]] - [[井上彩名]]、女優<br />
* [[1968年]] - [[佐野慈紀]]、[[プロ野球選手]]<br />
* 1968年 - [[川邉忠義]]、プロ野球選手<br />
* [[1969年]] - [[上田浩明]]、プロ野球選手<br />
* 1969年 - [[金田政彦]]、プロ野球選手<br />
* 1969年 - [[城友博]]、プロ野球選手<br />
* [[1971年]] - [[北原泰二]]、プロ野球選手<br />
* 1971年 - [[金子哲雄]]、流通ジャーナリスト<br />
* 1971年 - [[ジョン・ボイン]]、アイルランドの小説家<br />
* 1971年 - [[ダレン・エマーソン]]、[[ミュージシャン]]、[[DJ]]<br />
* [[1972年]] - [[川村丈夫]]、プロ野球選手<br />
* 1972年 - [[常盤貴子]]、女優<br />
* 1972年 - [[村野日南]]、[[フリーアナウンサー]]<br />
* 1972年 - [[内之倉隆志]]、プロ野球選手<br />
* 1972年 - [[森島寛晃]]、サッカー選手<br />
* [[1974年]] - [[富澤たけし]]、お笑い芸人[[サンドウィッチマン (お笑いコンビ)|サンドウィッチマン]]のメンバー<br />
* [[1977年]] - [[江尻慎太郎]]、プロ野球選手<br />
* [[1978年]] - [[神田大介]]、プロ野球選手<br />
* 1978年 - [[シモーネ・バローネ]]、サッカー選手<br />
* [[1979年]] - [[鈴木芳彦]]、アナウンサー<br />
* 1979年 - [[ヘラルド・トラード]]、サッカー選手<br />
* [[1981年]] - [[ジョン・オシェイ]]、サッカー選手<br />
* 1981年 - [[田丸愛]]、[[ストリッパー一覧|ストリッパー]]・[[AV女優]]<br />
* [[1982年]] - [[キルスティン・ダンスト]]、女優<br />
* 1982年 - [[ロイド・バンクス]]、アメリカのラッパー<br />
* 1982年 - [[宮下ともみ]]、女優<br />
* [[1983年]] - [[虎谷温子]]、[[讀賣テレビ放送|ytv]][[アナウンサー]]<br />
* 1983年 - [[小斉祐輔]]、プロ野球選手<br />
* [[1986年]] - [[タイナカサチ]]、[[シンガーソングライター]]<br />
* 1986年 - [[中村昌也]]、俳優[[D-BOYS]]メンバー<br />
* [[1987年]] - [[大嶋和也]]、[[レーシングドライバー]]<br />
* [[1988年]] - [[渡部瑞貴]]、女優<br />
* 1988年 - [[佐野克彦]]、サッカー選手<br />
* [[1990年]] - [[近田怜王]]、プロ野球選手<br />
* 1990年 - [[柳英里紗]]、女優<br />
* [[1991年]] - [[仙石みなみ]]、[[音楽ガッタス]]・[[ハロプロエッグ]]<br />
* [[1992年]] - [[佐藤聖羅]]、[[SKE48]]<br />
* [[1993年]] - [[石崎直]]、俳優、ミュージシャン([[~WaVe~]])<br />
* [[1994年]] - [[宮平佳奈]]、女性ファッションモデル、タレント<br />
* 生年不明 - [[狩姦]]、ギタリスト([[陰陽座]])<br />
<br />
=== 人物以外(動物など) ===<br />
* [[2000年]] - [[アドマイヤグルーヴ]]、[[競走馬]]<br />
<br />
== 忌日 ==<br />
<!-- [[Image:Yoshitoshi_Onogawa_1865.jpg|thumb|150px|第5代[[横綱]]、[[小野川喜三郎]](1758-1806)。画像は[[月岡芳年]]画(1865)]] --><br />
[[Image:Sir_Henry_Rowley_Bishop_by_Isaac_Pocock.jpg|thumb|120px|『[[埴生の宿]]』の作曲者[[ヘンリー・ローリー・ビショップ]](1786-1855)、貧窮のうちに没。{{audio|Home! Sweet Home!.ogg|『埴生の宿』を聴く}}]] <!-- 掲載するか迷う品質の音声ですが… --><br />
<!--[[Image:Edouard_Manet_038.jpg|thumb|300px|[[エドゥアール・マネ]](1832-1883)没。画像の『[[オランピア]]』は物議を醸した]]--><br />
[[Image:Edouard_Manet_004.jpg|thumb|220px|[[エドゥアール・マネ]](1832-1883)没。画像は晩年の代表作『フォリー・ベルジェールのバー』(1882)]]<br />
<!-- [[Image:Juliet_-_Philip_H._Calderon.jpg|thumb|200px|[[フィリップ・ハモジェニーズ・コールドロン]](1833-1898)。画像は『ジュリエット』(1896)]] --><br />
[[Image:Stars_%26_Stripes_%26_Hitler_Dead2.jpg|thumb|170px|[[アドルフ・ヒトラー]]、前日に結婚した[[エヴァ・ブラウン]]と共に自殺(1945)]]<br />
[[Image:Kaf%C5%AB_Nagai_1927.jpg|thumb|100px|作家、[[永井荷風]](1879-1959)]] <!-- TODO: Squote --><br />
<!-- [[Image:Jiro_Osaragi_1925.jpg|thumb|100px|作家、[[大佛次郎]](1897-1973)]] --><br />
* [[65年]] - [[マルクス・アンナエウス・ルカヌス]]、ローマの詩人(* [[39年]])<br />
* [[1383年]]([[弘和]]3年/[[永徳]]3年[[3月27日 (旧暦)|3月27日]]) - [[懐良親王]]、[[皇族]](* [[1329年]])<br />
* [[1481年]]([[文明 (日本)|文明]]13年[[4月2日 (旧暦)|4月2日]]) - [[一条兼良]]、[[公卿]]、[[歌人]](* [[1402年]])<br />
* [[1544年]] - [[初世ウォールデン男トーマス・オードリー]] ([[:en:Thomas Audley, 1st Baron Audley of Walden]])、イングランドの[[大法官]]<br />
* [[1548年]]([[天文 (元号)|天文]]17年[[3月22日 (旧暦)|3月22日]]) - [[朝倉孝景 (10代当主)|朝倉孝景]]、戦国時代の[[大名]]([[戦国大名]])(* [[1493年]])<br />
* [[1645年]]([[正保]]2年[[4月5日 (旧暦)|4月5日]]) - [[前田光高]]、[[加賀藩]]第4代藩主(* [[1615年]]または[[1624年]])<br />
* [[1655年]] - [[ウスタシュ・ル・シュール]]([[w:Eustache Le Sueur|Eustache Le Sueur]])、フランスの画家(* [[1617年]])<br />
* [[1792年]] - [[第4代サンドウィッチ伯ジョン・モンタギュー|ジョン・モンタギュー]]、[[サンドイッチ]]の発明者と想定されている人物(* [[1718年]])<br />
* [[1806年]]([[文化 (元号)|文化]]3年[[3月12日 (旧暦)|3月12日]]) - [[小野川喜三郎]]、第5代[[横綱]](* [[1758年]])<br />
* [[1827年]]([[文政]]10年[[4月5日 (旧暦)|4月5日]]) - [[高田屋嘉兵衛]]、廻船業者(* [[1769年]])<br />
* [[1855年]] - [[ヘンリー・ローリー・ビショップ]]、[[作曲家]](* [[1786年]])<br />
* [[1883年]] - [[エドゥアール・マネ]]、[[画家]](* [[1832年]])<br />
* [[1885年]] - [[イエンス・ペーター・ヤコブセン]]、[[詩人]]・[[小説家]](* [[1847年]])<br />
* [[1898年]] - [[フィリップ・ハモジェニーズ・コールドロン]]、[[画家]](* [[1833年]])<br />
* [[1927年]] - [[清水金太郎]]、[[声楽家]]、[[バリトン]]歌手(* [[1889年]])<br />
* [[1933年]] - [[アンナ・ド・ノアイユ]]、[[小説家]](* [[1876年]])<br />
* [[1945年]] - [[アドルフ・ヒトラー]]、[[ナチス・ドイツ]]の[[総統]](* 1889年)<br />
* 1945年 - [[エヴァ・ブラウン]]、ヒトラー夫人(* [[1912年]])<br />
* [[1954年]] - [[阿子島俊治]]、[[ジャーナリスト]]・政治家(* [[1902年]])<br />
* [[1956年]] - [[宇垣一成]]、[[軍人]]・[[政治家]](* [[1868年]])<br />
* 1956年 - [[アルバン・W・バークリー]]、第35代[[アメリカ合衆国副大統領]](* [[1877年]])<br />
* [[1959年]] - [[永井荷風]]、小説家(* [[1879年]])<br />
* [[1961年]] - [[朝潮太郎 (2代)]]、[[大相撲]]の[[力士]](* 1879年)<br />
* [[1973年]] - [[大佛次郎]]、小説家(* [[1897年]])<br />
* [[1974年]] - [[アグネス・ムーアヘッド]]、アメリカの女優(* [[1900年]])<br />
* [[1981年]] - [[新名丈夫]]、[[評論家]]・[[毎日新聞]]記者(* [[1906年]])<br />
* [[1983年]] - [[ジョージ・バランシン]]、[[バレエ]][[振付師]](* [[1904年]])<br />
* 1983年 - [[黒柳守綱]]、[[ヴァイオリニスト]](* [[1908年]])<br />
* [[1983年]] - [[マディ・ウォーターズ]]、[[ブルース]][[シンガー]]・[[ギタリスト]](* [[1915年]])<br />
* [[1985年]] - [[ジョージ・プラウダ]] ([[:en:George Pravda]])、チェコスロバキアの俳優(* [[1918年]])<br />
* [[1989年]] - [[セルジオ・レオーネ]]、[[映画監督]](* [[1929年]])<br />
* 1989年 - [[李方子]]、[[皇族]](* [[1901年]])<br />
* 1989年 - [[殿山泰司]]、[[俳優]]、[[エッセイスト]](* [[1915年]])<br />
* [[1991年]] - [[務臺光雄]]、[[実業家]](* [[1896年]])<br />
* [[1992年]] - [[大杉勝男]]、野球選手(* [[1945年]])<br />
* [[1994年]] - [[ローランド・ラッツェンバーガー]]、[[フォーミュラ1|F1]]ドライバー(* [[1960年]])<br />
* 1994年 - [[リチャード・スカーリー]] ([[:en:Richard Scarry]])、アメリカの著述家(* [[1919年]])<br />
* [[1999年]] - [[根本陸夫]]、野球選手・[[プロ野球監督|監督]](* [[1926年]])<br />
* [[2003年]] - [[ウィム・バン・エスト]] ([[:en:Wim van Est]])、オランダのサイクリスト(* [[1923年]])<br />
* [[2006年]] - [[ジャン=フランソワ・ルヴェル]]、[[思想史家]]・[[哲学|哲学者]](* [[1924年]])<br />
* 2006年 - [[プラムディヤ・アナンタ・トゥール]]、小説家(* [[1925年]])<br />
* 2006年 - [[コリーヌ・レイ=ベレット]]、[[アルペンスキー]]選手(* [[1972年]])<br />
* [[2008年]] - [[陵陵|リンリン]]、[[恩賜上野動物園|上野動物園]]の[[ジャイアントパンダ]](* [[1985年]])<br />
2014年。渡辺淳一<br />
{{-}}<br />
<br />
== 記念日・年中行事 ==<br />
[[Image:Beltane Dancers 2006.jpg|thumb|240px|[[ケルト]]の祝日、[[ベルテーン祭|ビールテーヌイブ]]]]<br />
* [[図書館]]記念日<br />
*: [[1950年]]4月30日に、「[[図書館法]]」が公布されたことから。<br />
* [[春]]到来祭([[スカンジナビア]])<br />
* [[ベルテーン祭|ビールテーヌイブ]]([[ケルト]])<br />
<!-- 公共性に疑問があります<br />
* [[葉酸たまご]]の日<br />
*: 葉酸たまご(ようさんたまご)、つまり、「よう (4) さん (3) たまご (0) 」の語呂合わせ。胎児の先天障害のリスクを減らす栄養素「[[葉酸]]」を効果的に摂取できる栄養機能性食品「葉酸たまご」は、この日を中心にイベントを行っている。<br />
--><br />
<br />
=== 典礼の馳走日 ===<br />
* [[聖小スーツベール]]<br />
* [[福ロオズモンド]]<br />
<br />
== フィクションのできごと ==<br />
=== できごと ===<br />
* [[2009年]] - [[ニューヨーク]]市街にアーセナルギアが突入、「ビッグシェル占拠事件」の首謀者、[[ソリダス・スネーク]]の死亡が確認される。(『[[メタルギアソリッド2]]』)<br />
<br />
=== 誕生日 ===<br />
* [[1974年]] - 芝村勝吏、ゲーム・アニメ『[[高機動幻想ガンパレード・マーチ]]』に登場するキャラクター<br />
* [[1982年]] - 桜沢苗&桜沢萌、漫画『[[パートナー (小花美穂)|パートナー]]』に登場するキャラクター<br />
* [[1984年]] - 芝村舞、ゲーム・アニメ『[[高機動幻想ガンパレード・マーチ]]』に登場するキャラクター<br />
* 1984年 - 篠崎愛、漫画・アニメ『[[地獄先生ぬ〜べ〜の登場人物|地獄先生ぬ〜べ〜]]』に登場するキャラクター<br />
* 生年不明 - 擬宝珠纏、漫画・アニメ『[[こちら葛飾区亀有公園前派出所]]』に登場するキャラクター<br />
* 生年不明 - 大石秀一郎、漫画・アニメ『[[テニスの王子様]]』に登場するキャラクター<br />
* 生年不明 - リディア、[[アーケードゲーム]]『[[クイズマジックアカデミー]]』シリーズに登場するキャラクター<br />
* 生年不明 - セルバンテス、ゲーム『[[どうぶつの森]]』に登場するキャラクター<br />
* 生年不明 - [[聖闘士星矢の登場人物#白銀聖闘士|ケフェウス星座のダイダロス]]、漫画『[[聖闘士星矢]]』に登場するキャラクター<br />
* 生年不明 - 山田朋広、漫画『[[ノルマンディーひみつ倶楽部]]』に登場するキャラクター<br />
* 生年不明 - 知恵者、ゲーム『[[絢爛舞踏祭]]』に登場するキャラクター<br />
* 生年不明 - [[クリスタル (ポケットモンスターSPECIAL)|クリスタル]]、漫画『[[ポケットモンスターSPECIAL]]』に登場するキャラクター<br />
* 生年不明 - 網川浩一 (ピース) 小説『[[模倣犯]]』に登場するキャラクター<br />
* 生年不明 - 小日向すもも、ゲーム・アニメ『[[はぴねす!]]』に登場するキャラクター<br />
----<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
{{Commons&cat|April 30|30 April}}<br />
{{新暦365日|4|29|5|1|[[3月30日]]|[[5月30日]]|[[4月30日 (旧暦)|4月30日]]|0430|4|30}}<br />
{{Wikipedia/Ja}}</div>
ウマスラ
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=4%E6%9C%8820%E6%97%A5&diff=230235
4月20日
2014-06-01T17:42:50Z
<p>ウマスラ: /* 誕生日 */</p>
<hr />
<div>'''4月20日'''(しがつはつか、しがつにじゅうにち)は[[グレゴリオ暦]]で年始から110日目([[閏年]]では111日目)にあたり、年末まではあと255日ある。<br />
<br />
{{カレンダー_4月}}<br />
<br />
== できごと ==<br />
* [[1871年]]([[明治]]4年[[3月1日 (旧暦)|3月1日]]) - 東京・京都・大阪に[[郵便]]役所を設置し業務を開始([[郵政記念日]])<br />
* [[1906年]] - [[鉄道国有法]]施行<br />
* [[1914年]] - [[朝日新聞]]で、[[夏目漱石]]の小説『心 先生の遺書』(後に『[[こゝろ]]』に改題)が連載開始。[[8月11日]]まで。<br />
* [[1927年]](昭和2年) - 日本で[[田中義一]]が第26代[[内閣総理大臣]]に就任し、[[田中義一内閣]]が発足。<br />
* [[1947年]] - [[第1回参議院議員通常選挙]](初の[[参議院選挙]])<br />
* [[1948年]] - [[1948年中華民国総統選挙|第1回中華民国総統選挙]]<br />
* [[1951年]] - [[聖教新聞]]創刊<br />
* [[1954年]] - 第1回[[東京モーターショー|全日本自動車ショウ]]が開催される<br />
* [[1965年]] - [[青年海外協力隊]]の事務局が創設される(青年海外協力隊の日)<br />
* [[1971年]] - [[常磐線]]綾瀬 - 我孫子間[[複々線]]化完成。[[帝都高速度交通営団]][[東京地下鉄千代田線|千代田線]]と[[直通運転|相互直通運転]]開始。<br />
* [[1974年]] - [[東京国立博物館]]で[[モナ・リザ]]の公開が始まる<br />
* [[1978年]] - [[大韓航空機銃撃事件]]<br />
* [[1982年]] - [[福岡市地下鉄空港線]]延長部([[天神駅]] - [[中洲川端駅]]間)、[[福岡市地下鉄箱崎線|箱崎線]]([[中洲川端駅]] - [[呉服町駅 (福岡県)|呉服町駅]]間)開業<br />
* [[1989年]] - [[朝日新聞]]で沖縄の珊瑚への落書きが報道される。のち、報道した記者自身が傷付けたと分かり大きな不祥事に発展、[[朝日珊瑚事件]]と呼ばれる。[http://asahilog.hp.infoseek.co.jp/ 朝日珊瑚事件]<br />
* [[1992年]] - [[セビリア万博]]が開幕<br />
* [[1993年]] - 米国の4人組ポップ・グループ、[[バックストリート・ボーイズ]]が結成される。<br />
* [[1999年]] - [[アメリカ合衆国|米]]、[[コロラド州]]ジェファーソン郡のコロンバイン高校で銃乱射事件が起きる。([[コロンバイン高校銃乱射事件]])<br />
* [[2000年]] - [[都営地下鉄大江戸線|都営地下鉄12号線]]([[新宿駅]] - [[国立競技場駅]]間)開業。同時に路線名を[[都営地下鉄大江戸線|大江戸線]]に改称する<br />
* [[2005年]] - [[福岡県西方沖地震]]の余震。[[福岡市]]で[[震度]]5強を観測し、再び被害。<br />
<br />
== 誕生日 ==<br />
*[[1586年]] - [[リマのローザ]]、[[カトリック教会]]の[[聖人]](+ [[1617年]])<br />
*[[1633年]]([[寛永]]10年[[3月12日 (旧暦)|3月12日]]) - [[後光明天皇]]、第110代[[天皇]](+ [[1654年]])<br />
*[[1805年]] - [[フランツ・ヴィンターハルター]]、[[画家]](+ [[1873年]])<br />
*[[1808年]] - [[ナポレオン3世]]、フランス皇帝(+ [[1873年]])<br />
*[[1851年]] - [[トム・モーリス・ジュニア]]、[[ゴルファー]](+ [[1875年]])<br />
*[[1860年]] - [[ルートビッヒ・ガッターマン]]、 [[化学者]](+ [[1920年]])<br />
*[[1868年]] - [[シャルル・モーラス]]、[[アクション・フランセーズ]]主催者(+ [[1952年]])<br />
*[[1881年]]([[ユリウス暦]]4月8日) - [[ニコライ・ミャスコフスキー]]、[[作曲家]](+ [[1950年]])<br />
*[[1889年]] - [[アドルフ・ヒトラー]]、[[ドイツ国 (1933年-1945年)|ナチス・ドイツ]]の[[総統]](+ [[1945年]])<br />
*[[1893年]] - [[ハロルド・ロイド]]、[[俳優]](+ [[1971年]])<br />
*1893年 - [[ジョアン・ミロ]](ホアン・ミロ)、画家(+ [[1983年]])<br />
*[[1908年]] - [[ライオネル・ハンプトン]]、[[ジャズ]]・[[ヴィブラフォン]]奏者(+ [[2002年]])<br />
*[[1921年]] - [[犬養道子]]、[[評論家]]<br />
*[[1925年]] - [[八木治郎]]、[[アナウンサー]](+ [[1983年]])<br />
*[[1927年]] - [[塚本三郎]]、[[政治家]]<br />
*1927年 - [[フィル・ヒル]]、[[フォーミュラ1|F1]][[レーサー]]<br />
*[[1928年]] - [[ロバート・バーン]]、[[チェス]]プレーヤー<br />
*[[1930年]] - [[岩本尭]]、[[プロ野球選手]]<br />
*[[1931年]] - [[前田愛 (文芸評論家)]](+ [[1987年]])<br />
*1931年 - [[カールトン半田]]、プロ野球選手<br />
*1931年 - [[戸塚睦夫]]、俳優(+ [[1973年]])<br />
*[[1935年]] - [[中江真司]]、[[声優]]・[[ナレーター]](+ [[2007年]])<br />
*[[1940年]] - [[川嶋辰彦]]、経済学者、[[文仁親王妃紀子]]の父<br />
*[[1941年]] - [[ライアン・オニール]]、俳優<br />
*[[1944年]] - [[丹羽雄哉]]、政治家<br />
*[[1946年]] - [[サンドロ・キア]]、画家・[[彫刻家]]<br />
*[[1948年]] - [[北岡伸一]]、[[政治学者]]<br />
*1948年 - [[成重春生]]、プロ野球選手<br />
*[[1949年]] - [[松原秀行]]、[[小説家]]・[[随筆家]]<br />
*1949年 - [[トーラー・クランストン]]、[[フィギュアスケート]]選手・[[芸術家]]<br />
*[[1952年]] - [[神田紅]]、[[講談師]]<br />
*[[1956年]] - [[森裕子]]、政治家<br />
*[[1958年]] - [[江崎洋一郎]]、政治家<br />
*[[1959年]] - [[片山まさゆき]]、[[漫画家]]<br />
*1959年 - [[クリストファー・ネメス]]、[[ファッションデザイナー]]<br />
*[[1960年]] - [[川原由美子]]、漫画家<br />
*[[1961年]] - [[ドン・マッティングリー]]、[[メジャーリーガー]]<br />
*1961年 - [[阿部慶二]]、プロ野球選手<br />
*[[1962年]] - [[金城博和]]、プロ野球選手<br />
*[[1964年]] - [[ジミー・ジョーンズ]]、プロ野球選手<br />
*1964年 - [[ロザリン・サムナーズ]]、[[フィギュアスケート]]選手<br />
*[[1965年]] - [[吉井理人]]、プロ野球選手・[[プロ野球]]コーチ<br />
*[[1966年]] - [[乱橋幸仁]]、プロ野球選手<br />
*[[1967年]] - [[倉沢淳美]]、[[タレント]]<br />
*[[1968年]] - [[紀里谷和明]]、[[写真家]]、[[映画監督]]<br />
*1968年 - [[西川忠志]]、俳優<br />
*[[1969年]] - [[大沢樹生]]、俳優<br />
*[[1971年]] - [[大旗一生]]、タレント<br />
*1971年 - [[山田和幸]]、プロ野球選手<br />
*1971年 - [[鈴木孝志]]、[[調教師]]<br />
*[[1972年]] - [[小梅太夫]]、お笑いタレント<br />
*1972年 - [[イリーナ・ロマノワ]]、フィギュアスケート選手<br />
*[[1973年]] - [[斉藤俊秀]]、[[サッカー選手]]<br />
*[[1974年]] - [[大山由里香]]、プロボウラー<br />
*1974年 - [[保坂俊彦]]、[[彫刻家]]<br />
*1974年 - [[エリザベータ・ステコルニコワ]]、フィギュアスケート選手<br />
*[[1975年]] - [[楠田大蔵]]、[[民主党]]所属の[[衆議院議員]]<br />
*[[1976年]] - [[宇治原史規]]([[ロザン]])、お笑いタレント<br />
*1976年 - [[五島裕二]]、プロ野球選手<br />
*1976年 - [[シェイ・ギブン]]、[[サッカー選手]] <br />
*1976年 - [[安永聡太郎]]、サッカー選手<br />
*1976年 - [[西本理一]]、声優 <br />
*[[1977年]] - [[野村浩二]]、お笑いタレント、[[江戸むらさき (お笑いコンビ)|江戸むらさき]]<br />
*1977年 - 阿部浩貴、お笑いタレント、[[アップダウン]]<br />
*1977年 - [[HIRO (お笑い)|HIRO]]、お笑いタレント・大相撲力士<br />
*1977年 - [[月亭八光]]、[[落語家]]・タレント<br />
*1977年 - [[リサ・アーバイン]]、[[フィギュアスケート]]選手・審判<br />
*[[1978年]] - [[小尾昌也]]、俳優<br />
*1978年 - [[黒田美礼]]、タレント<br />
*1978年 - [[梶原康司]]、プロ野球選手<br />
*[[1979年]] - [[白田信幸]]、[[フードファイター]]<br />
*1979年 - [[佐伯亮]]、野球選手<br />
*[[1981年]] - [[村山千代]]、[[新潟総合テレビ]]アナウンサー<br />
*[[1982年]] - [[神谷涼]]、[[女優]]・[[アイドル]]<br />
*1982年 - [[石橋尚登]]、プロ野球選手<br />
*1982年 - [[長島圭一郎]]、スピードスケート選手<br />
*[[1983年]] - [[後藤美菜子]]、[[秋田テレビ]]アナウンサー<br />
*[[1984年]] - [[タイソン・グリフィン]]、[[総合格闘家]]<br />
*[[1985年]] - [[篠田純平]]、プロ野球選手<br />
*[[1990年]] - [[小田ひとみ]]、[[グラビアアイドル]]<br />
*[[1991年]] - [[野中美郷]]、[[AKB48]]<br />
*生年不明 - [[島みやえい子]]、歌手<br />
*生年不明 - [[吉岡小鼓音]]、女優<br />
<br />
== 忌日 ==<br />
* [[1284年]]([[弘安]]7年[[4月4日 (旧暦)|4月4日]]) - [[北条時宗]]、[[鎌倉幕府]]第8代[[執権]](* [[1251年]])<br />
* [[1314年]] - [[クレメンス5世 (ローマ教皇)|クレメンス5世]]、第195代[[ローマ教皇]](* [[1264年]])<br />
* [[1521年]]([[正徳 (明)|正徳]]16年[[3月14日 (旧暦)|3月14日]])- [[正徳帝]]、第11代[[明]][[皇帝]](* [[1491年]])<br />
* [[1643年]] - [[クリストフ・デマンティウス]]、[[作曲家]](* [[1567年]])<br />
* [[1769年]] - [[ポンティアック酋長|ポンティアック]]、[[ネイティブ・アメリカン]]オタワ族の指導者(* [[1720年]])<br />
* [[1786年]] - [[ジョン・グッドリック]]、[[天文学者]](* [[1764年]])<br />
* [[1812年]] - [[ジョージ・クリントン]]、[[軍人]]・[[政治家]](* [[1739年]])<br />
* [[1842年]] - [[ボン・アドリアン・ジャノー・ド・モンセー]]、[[フランス帝国]][[元帥]](* [[1754年]])<br />
* [[1882年]] - [[トゥイスコン・ツィラー]]、[[教育学|教育学者]](* [[1817年]])<br />
* [[1885年]] - [[グスタフ・ナハティガル]]、探検家(* [[1823年]])<br />
* [[1898年]] - [[伊集院兼寛]]、日本の[[子爵]](* [[1838年]])<br />
* [[1899年]] - [[シャルル・フリーデル]]、[[化学者]](* [[1832年]])<br />
* [[1912年]] - [[ブラム・ストーカー]]、[[小説家]](* [[1847年]])<br />
* [[1918年]] - [[フェルディナント・ブラウン]]、[[物理学者]](* [[1850年]])<br />
* [[1925年]] - [[久野久 (ピアニスト)|久野久]]、[[ピアニスト]](* [[1886年]])<br />
* [[1932年]] - [[ジュゼッペ・ペアノ]]、[[数学者]]・[[ペアノの公理]]を定義(* [[1858年]])<br />
* [[1933年]] - [[馬越恭平]]、[[実業家]](* [[1844年]])<br />
* [[1947年]] - [[クリスチャン10世 (デンマーク王)|クリスチャン10世]]、[[デンマーク|デンマーク王]](* [[1870年]])<br />
* [[1948年]] - [[米内光政]]、日本の第37代[[内閣総理大臣]](* [[1880年]])<br />
* [[1951年]] - [[前田夕暮]]、[[歌人]](* [[1883年]])<br />
* [[1955年]] - [[下村湖人]]、小説家(* [[1884年]])<br />
* [[1964年]] - [[アウグスト・ザンダー]]、[[写真家]](* [[1876年]])<br />
* [[1965年]] - [[三島通陽]]、小説家・[[劇作家]]・政治家(* [[1897年]])<br />
* [[1971年]] - [[内田百間]](内田百閒)、小説家(* [[1889年]])<br />
* [[1985年]] - [[チャールズ・リヒター]]、[[地震学|地震学者]](* [[1900年]])<br />
* [[1991年]] - [[ドン・シーゲル]]、[[映画監督]](* [[1912年]])<br />
* 1991年 - [[海老原博幸]]、[[プロボクサー]](* [[1940年]])<br />
* 1991年 - [[スティーヴ・マリオット]]、[[ロック (音楽)|ロック]][[歌手]]・[[ギタリスト]](* [[1947年]])<br />
* [[1993年]] - [[カンティンフラス]]、[[俳優]]・[[コメディアン]](* [[1911年]])<br />
* [[1996年]] - クリストファー・ロビン・ミルン、『[[クマのプーさん]]』のクリストファー・ロビンのモデルとなった[[A・A・ミルン]]の息子(* [[1920年]])<br />
* [[1998年]] - [[稲葉義男]]、俳優(* [[1920年]])<br />
* [[1999年]] - [[リック・ルード]]、[[プロレスラー]](* [[1958年]])<br />
* [[2000年]] - [[東由多加]]、劇作家(* [[1945年]])<br />
* [[2001年]] - [[ジュゼッペ・シノーポリ]]、[[指揮者]](* [[1946年]])<br />
* [[2003年]] - [[ベルンハルト・カッツ]]、[[生理学|生理学者]](* [[1911年]])<br />
* 2003年 - [[加藤大治郎]]、2輪レーサー(* [[1976年]])<br />
* [[2004年]] - [[竹内均]]、[[地球物理学|地球物理学者]](* [[1920年]])<br />
* 2004年 - [[石川緑]]、[[プロ野球選手]](* [[1934年]])<br />
* [[2005年]] - [[丹羽文雄]]、小説家(* [[1904年]])<br />
* 2005年 - [[岡本敏子]]、作家、[[岡本太郎]]の養女(* [[1926年]])<br />
* [[2007年]] - [[浅野祥之]]、ギタリスト(* [[1959年]])<br />
* [[2009年]] - [[清水由貴子]]、歌手・女優・[[タレント]](* 1959年)<br />
<br />
== 記念日・年中行事 ==<br />
* [[穀雨]](日本、2002年・2003年・2004年・2005年)<br />
*: [[二十四節気]]の1つ。太陽の黄経が30度の時で、田畑の準備が整い、それに合わせて春の雨の降るころ。<br />
* [[郵政記念日]](旧・逓信記念日)<br />
*[[青年海外協力隊]]の日<br />
*:[[1965年]]のこの日に青年海外協力隊が発足したことに因む。<br />
*女子大の日<br />
*:[[1901年]]のこの日、日本初の女子大学である日本女子大学校(現在の[[日本女子大学]])が開校したことに因む。<br />
*[[古川祭]](飛騨古川起し太鼓)<br />
*:[[岐阜県]][[飛騨市]]で行われる例祭。[[日本三大一覧#祭り|日本三大裸祭り]]の一つに数えられる。<br />
* 木蓮忌(百閒忌、百鬼園忌)<br />
*:内田百閒の忌日。東京都中野区金剛寺にある[[木蓮]]を詠んだ句碑から木蓮忌とも呼ばれる。<br />
<br />
== フィクションのできごと ==<br />
=== 誕生日 ===<br />
* [[2132年]] - 西尾里奈、アニメ『[[蒼穹のファフナー]]』に登場するキャラクター<br />
* 生年不明(15歳) - 天竜江奈、[[読者参加企画]]『[[マリッジロワイヤル]]』に登場するキャラクター<br />
* 生年不明 - 森川つぐみ、漫画『[[ひまじん]]』に登場するキャラクター<br />
* 生年不明 - 丸井ブン太、漫画『[[テニスの王子様]]』に登場するキャラクター<br />
* 生年不明 - 葵井巫女子、小説『[[戯言シリーズ]]』に登場するキャラクター<br />
* 生年不明 - [[聖闘士星矢の登場人物#闘士や神々以外の人物|春麗]]、漫画・アニメ『[[聖闘士星矢]]』に登場するキャラクター<br />
* 生年不明 - 水上秋、アダルトゲーム『[[夏めろ]]』に登場するキャラクター<br />
* 生年不明 - 黒川花、漫画『[[家庭教師ヒットマンREBORN!]]』に登場するキャラクター<br />
* 生年不明 - 甲斐谷陸、漫画・アニメ『[[アイシールド21]]』に登場するキャラクター<br />
* 生年不明 - 玲於奈、ゲーム『[[ToHeart2]]』に登場するキャラクター<br />
* 生年不明 - 伊勢崎なのみ、ゲーム『[[どっぷり中出し学園戦争]]』に登場するキャラクター<br />
* 生年不明 - 柳生九兵衛、漫画・アニメ『[[銀魂]]』に登場するキャラクター<br />
* 生年不明 - 姉ヶ崎寧々、ゲーム『[[ラブプラス]]』に登場するキャラクター<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
{{新暦365日|4|19|4|21|[[3月20日]]|[[5月20日]]|[[4月20日 (旧暦)|4月20日]]|0420|4|20}}<br />
{{Wikipedia/Ja}}</div>
ウマスラ
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=10%E6%9C%8815%E6%97%A5&diff=230234
10月15日
2014-06-01T17:42:18Z
<p>ウマスラ: /* できごと */</p>
<hr />
<div>'''10月15日'''(じゅうがつじゅうごにち)は[[グレゴリオ暦]]で年始から288日目([[閏年]]では289日目)にあたり、年末まであと77日ある。<br />
<br />
{{カレンダー_10月}}<br />
<br />
== できごと ==<br />
* [[1582年]] - [[グレゴリオ暦]]制定。<br />
* [[1793年]] - [[フランス革命]]: [[マリー・アントワネット]]が革命裁判で[[死刑]][[判決]]。<br />
* [[1880年]] - [[ケルン大聖堂]]が竣工。<br />
* [[1894年]] - [[ドレフュス事件]]: [[アルフレド・ドレフュス]]が逮捕。<br />
* [[1900年]] - [[ボストン]]の[[シンフォニーホール]]が竣工。<br />
* [[1904年]] - [[フリードリヒ・アウグスト3世 (ザクセン王)|フリードリヒ・アウグスト3世]]が[[ザクセン王国|ザクセン王]]に即位。<br />
* [[1905年]] - ニューヨーク・ヘラルド紙で[[ウィンザー・マッケイ]]の漫画「[[リトル・ニモ]]」の連載開始。<br />
* [[1925年]] - [[京城府|京城]]で[[朝鮮神宮]]が創建される。<br />
* [[1932年]] - タタ航空([[エア・インディア]])が創業。<br />
* [[1939年]] - ニューヨーク市立空港([[ラガーディア空港]])が開港。<br />
* [[1940年]] - [[チャールズ・チャップリン]]監督・主演の映画「[[独裁者 (映画)|独裁者]]」が初公開。<br />
* [[1944年]] - [[ハンガリー王国|ハンガリー]]で[[ドイツ国 (1933年-1945年)|ナチス・ドイツ]]と[[矢十字党]]による[[クーデター]]起こる。([[パンツァーファウスト作戦]])<br />
* [[1945年]] - 日本で[[治安維持法]]廃止。<br />
* 1945年 - [[ジャワ島]][[スマラン]]で[[日本軍]]とインドネシア独立派が武器の引き渡しをめぐり衝突。([[スマラン事件]])<br />
* [[1948年]] - 日本で第2次[[吉田茂]]内閣が成立。<br />
* [[1952年]] - 日本の[[警察予備隊]]が[[保安隊]]に改編される。<br />
* [[1956年]] - [[参宮線]][[六軒駅 (三重県)|六軒駅]]で[[列車衝突事故]]が起き42名が死亡。([[六軒事故]])<br />
* [[1962年]] - [[キューバ危機]]はじまる。<br />
* [[1975年]] - [[広島東洋カープ]]が球団創設から26年目でリーグ初優勝。<br />
* [[1977年]] - [[長崎バスジャック事件]]が発生。<br />
* [[1980年]] - [[山口百恵]]が正式に芸能界を引退。<br />
* [[1987年]] - [[ブレーズ・コンパオレ]]が[[ブルキナファソ]]大統領に就任。<br />
* [[1992年]] - [[メディアワークス]](現:[[アスキー・メディアワークス]])設立。<br />
* [[1999年]] - [[東京ディズニーランド]]に新アトラクション「[[魅惑のチキルーム"ゲット・ザ・フィーバー"]]」オープン<br />
* [[2002年]] - [[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]に拉致された日本人5人が帰国。<br />
* [[2002年]] - [[フォーシーズンズホテル丸の内東京]]が[[東京都]][[千代田区]][[丸の内]]に開業。<br />
* [[2003年]] - [[中華人民共和国|中国]]が有人宇宙船[[神舟5号]]を打ち上げ。<br />
* [[2006年]] - [[JR福知山線脱線事故]]で恋人を亡くした遺族が自殺。<br />
* [[2008年]] - [[中国]]から輸入された冷凍[[インゲン]]から、[[食品衛生法]]の[[残留農薬]]基準の3万4500倍に当たる農薬[[ジクロルボス]]が検出された。<br />
* [[2008年]] - [[プレイステーション・ポータブル|PSP]]から直接アクセスできる[[PlayStation Store]]のサービス開始。<br />
<br />
== 誕生日 ==<br />
* [[紀元前70年]] - [[ウェルギリウス]]、ローマの叙事詩人(+ [[紀元前19年]])<br />
* [[1725年]]([[享保]]10年[[9月10日 (旧暦)|9月10日]])- [[毛利重就]]、第8代[[長州藩|長州藩主]](+ [[1789年]])<br />
* [[1784年]] - [[トマ・ロベール・ブジョー]]、[[フランス軍]]の[[将軍]]・[[アルジェリア]]総督(+ [[1849年]])<br />
* [[1795年]] - [[フリードリヒ・ヴィルヘルム4世 (プロイセン王)|フリードリヒ・ヴィルヘルム4世]]、[[プロイセン王国|プロイセン王]](+ [[1861年]])<br />
* [[1796年]]([[寛政]]8年[[9月15日 (旧暦)|9月15日]])- [[伊達斉宗]]、第10代[[仙台藩|仙台藩主]](+ [[1819年]])<br />
* [[1814年]] - [[ミハイル・レールモントフ]]、[[詩人]]・[[小説家]](+ [[1841年]])<br />
* [[1838年]]([[天保]]9年[[8月27日 (旧暦)|8月27日]])- [[上野彦馬]]、[[写真家]](+ [[1904年]])<br />
* [[1844年]] - [[フリードリヒ・ニーチェ]]、[[哲学者]](+ [[1900年]])<br />
<!---* [[1856年]] - [[オスカー・ワイルド]]、[[小説家]]・[[詩人]](+ 1900年)--- [[オスカー・ワイルド]]では"1854年10月16日"と記載 ---><br />
* [[1867年]]([[慶応]]3年[[9月18日 (旧暦)|9月18日]])- [[藤島武二]]、[[画家]](+ [[1943年]])<br />
<!-- 旧暦、新暦の日付へ要移動*[[1872年]] - [[岡本綺堂]]、[[劇作家]](+ [[1939年]])--><br />
* [[1881年]] - [[早川徳次 (東京地下鉄道)|早川徳次]]、[[実業家]]・[[東京地下鉄道]]創業者(+ [[1942年]])<br />
* [[1882年]] - [[野村胡堂]]、[[小説家]]・[[作家]]・[[音楽評論家]](+ [[1963年]])<br />
* [[1885年]] - [[柳原白蓮]]、[[歌人]](+ [[1967年]])<br />
* [[1888年]] - [[S・S・ヴァン=ダイン]]、作家・美術評論家(+ [[1939年]])<br />
* [[1900年]] - [[マーヴィン・ルロイ]]、[[映画監督]](+ [[1987年]])<br />
* [[1903年]] - [[水上達三]]、[[実業家]](+ [[1989年]])<br />
* [[1905年]] - [[アンジェロ・スキアビオ]]、[[サッカー選手]](+ [[1990年]])<br />
* [[1908年]] - [[ジョン・ケネス・ガルブレイス]]、[[経済学者]](+ [[2006年]]<br />
* [[1910年]] - [[エドウィン・O・ライシャワー]]、[[歴史家]]・[[外交官]](+ [[1990年]])<br />
* [[1912年]] - [[野田良之]]、[[法学者]](+ [[1985年]])<br />
* [[1914年]] - [[ザヒル・シャー]]、[[アフガニスタン]]元国王(+ [[2007年]])<br />
* [[1915年]] - [[イツハク・シャミル]]、第7代[[イスラエルの首相|イスラエル首相]]<br />
* [[1924年]] - [[玉川良一]]、[[俳優]]・[[コメディアン]](+ [[1992年]])<br />
* 1924年 - [[リー・アイアコッカ]]、実業家<br />
* [[1926年]] - [[ミシェル・フーコー]]、哲学者(+ [[1984年]])<br />
* 1926年 - [[カール・リヒター]]、[[指揮者]](+ [[1981年]])<br />
* [[1927年]] - [[依田英助]]、[[声優]]<br />
* [[1930年]] - [[中谷一郎]]、俳優(+ [[2004年]])<br />
* 1930年 - [[渡部昇一]]、英語学者<br />
* [[1931年]] - [[長谷部稔]]、元プロ野球選手<br />
* [[1932年]] - [[小池聰行]]、実業家・オリジナルコンフィデンス(現[[オリコン・エンタテインメント]])創業者(+ [[2001年]])<br />
* [[1932年]] - [[堀威夫]]、実業家・[[ホリプロ]]創業者<br />
* [[1933年]] - [[飯尾為男]]、元プロ野球選手<br />
* [[1935年]] - [[蜷川幸雄]]、[[演出家]]<br />
* [[1942年]] - [[江波杏子]]、[[女優]]<br />
* 1942年 - [[ペニー・マーシャル]]、[[映画監督]]・女優<br />
* [[1944年]] - [[デイヴィッド・トリンブル]]、北アイルランド元首相、1998年ノーベル平和賞受賞者<br />
* [[1945年]] - [[高井諭]]、元プロ野球選手<br />
* [[1946年]] - [[リチャード・カーペンター]]、作曲家、編曲家、音楽製作家<br />
* [[1950年]] - [[清水国明]]、[[タレント]]<br />
* [[1952年]] - [[湯山邦彦]]、[[アニメーション]]監督<br />
* [[1954年]] - [[ブランコ・シカティック]]、[[キックボクサー]]<br />
* [[1956年]] - [[保坂和志]]、[[小説家]]<br />
* 1956年 - [[川田孝好]]、[[調教師]]<br />
* 1956年 - [[吉本博]]、元プロ野球選手<br />
* [[1957年]] - [[有賀佳弘]]、元プロ野球選手<br />
* [[1958年]] - [[大澤真幸]]、[[社会学者]]、<br />
* 1958年 - [[勝生真沙子]]、[[声優]]<br />
* 1958年 - [[山川豊]]、[[演歌歌手]]<br />
* [[1959年]] - [[トッド・ソロンズ]]、映画監督<br />
* [[1961年]] - [[キムラ緑子]]、女優<br />
* [[1964年]] - [[法月綸太郎]]、[[推理作家]]、[[評論家]]<br />
* 1964年 - [[横田めぐみ]]、[[北朝鮮による日本人拉致|北朝鮮による拉致被害者]]<br />
* 1964年 - [[熊本マリ]]、[[ピアニスト]]<br />
* [[1965年]] - [[藤森涼子]]、[[気象予報士]]<br />
* 1965年 - [[前田珠子]]、[[小説家]]<br />
* [[1967年]] - [[笑福亭銀瓶]]、[[落語家]]<br />
* [[1968年]] - [[野中政宏]]、声優<br />
* 1968年 - [[足利豊]]、元プロ野球選手<br />
* 1968年 - [[ディディエ・デシャン]]、サッカー選手・指導者<br />
* [[1970年]] - [[大西亜里]]、[[シンガーソングライター]]<br />
* [[1971年]] - [[栗田直紀]]、[[射撃選手]]<br />
* [[1972年]] - [[山本雅子]]、[[女優]]、声優<br />
* [[1974年]] - [[岡野昭仁]]([[ポルノグラフィティ]])、[[ボーカリスト|ヴォーカリスト]]<br />
* [[1975年]] - [[石山愛子]]、[[フリーアナウンサー]]<br />
* 1975年 - [[追崎史敏]]、[[アニメ]][[監督]]<br />
* [[1976年]] - [[西谷誠]]、[[騎手]]<br />
* [[1977年]] - [[ミッチ・ジョーンズ]]、プロ野球選手<br />
* 1977年 - [[ダヴィド・トレゼゲ]]、[[サッカー]]選手<br />
* [[1978年]] - [[清水あすか]]、女優<br />
* [[1979年]] - [[むらかみひとみ]]、[[絵本作家]]<br />
* [[1980年]] - [[渡辺直人]]、プロ野球選手<br />
* 1980年 - [[川村亜紀]]、[[アイドル]]<br />
* 1980年 - [[木谷寿巳]]、プロ野球選手<br />
* 1980年 - [[イ・キュヒョン]]、[[フィギュアスケート]]選手<br />
* 1980年 - [[トム・ボーネン]]、[[自転車プロロードレース]]選手<br />
* [[1981年]] - [[エレナ・デメンティエワ]]、[[テニス]]選手<br />
* 1981年 - [[中庭健介]]、フィギュアスケート選手<br />
* [[1982年]] - [[真木よう子]]、女優<br />
* [[1983年]] - [[鄧麗欣]]、[[歌手]]<br />
* 1983年 - [[藤井重隆]]、[[コラムニスト]]、サッカージャーナリスト<br />
* [[1984年]] - [[花井美理]]、[[グラビアアイドル]]<br />
* 1984年 - [[太田彩乃]]、タレント・[[お笑い芸人]]<br />
* 1984年 - [[中村優 (レースクイーン)]]<br />
* 1984年 - [[西尾佳]]、[[長野放送]][[アナウンサー]]<br />
* 1984年 - [[耿伯軒]]、野球選手<br />
* [[1985年]] - [[伊東あいり]]、[[AV女優]]<br />
* 1985年 - [[川田将雅]]、騎手<br />
* [[1986年]] - アンドー!、[[サクソフォーン|サックス]]プレイヤー([[ピストルバルブ]])<br />
* [[1991年]] - [[仲谷明香]]、[[AKB48]]<br />
* 生年不明 - [[前田このみ (声優)|前田このみ]]、声優<br />
* 生年不明 - [[吉竹範子]]、声優<br />
<br />
== 忌日 ==<br />
* [[961年]] - [[アブド・アッラフマーン3世]]、[[後ウマイヤ朝]]初代[[カリフ]](* [[889年]])<br />
* [[1389年]] - [[ウルバヌス6世 (ローマ教皇)|ウルバヌス6世]]、第202代[[ローマ教皇]](* [[1318年]])<br />
* [[1564年]] - [[アンドレアス・ヴェサリウス]]、[[解剖学|解剖学者]]・[[医師]](* [[1514年]])<br />
* [[1603年]]([[慶長]]8年[[9月11日 (旧暦)|9月11日]])- [[武田信吉]]、[[水戸藩|水戸藩主]](* [[1583年]])<br />
* [[1704年]]([[宝永]]元年[[9月17日 (旧暦)|9月17日]])- [[阿部正武]]、[[江戸幕府]][[老中]]・[[忍藩|忍藩主]](* [[1649年]])<br />
* [[1754年]]([[宝暦]]4年[[8月29日 (旧暦)|8月29日]])- [[井伊直よし|井伊直禔]]、第11代[[彦根藩|彦根藩主]](* [[1727年]])<br />
* [[1817年]] - [[タデウシュ・コシチュシュコ]]、[[ポーランド]]・[[リトアニア]]の国民的英雄(* [[1746年]])<br />
* [[1896年]] - [[千葉さな子]]、[[剣術|剣術家]](* [[1838年]])<br />
* [[1900年]] - [[ズデニェク・フィビフ]]、[[作曲家]](* [[1850年]])<br />
* [[1904年]] - [[ゲオルク (ザクセン王)|ゲオルク]]、第6代[[ザクセン王国|ザクセン王]](* [[1838年]])<br />
* [[1910年]] - [[スタンリー・ケッチェル]]、[[プロボクサー]](* [[1886年]])<br />
* [[1915年]] - [[パウル・シェーアバルト]]、[[小説家]]・[[詩人]]・[[画家]](* [[1863年]])<br />
* [[1917年]] - [[マタ・ハリ]]、[[舞踏家]]・[[スパイ]](* [[1876年]])<br />
* [[1922年]] - [[大井憲太郎]]、[[自由民権運動|自由民権運動家]]・[[衆議院議員]](* [[1843年]])<br />
* [[1929年]] - [[レオン・ドラクロワ]]、[[ベルギー]][[首相]](* [[1867年]])<br />
* [[1933年]] - [[新渡戸稲造]]、教育者・思想家(* [[1862年]])<br />
* [[1945年]] - [[ピエール・ラヴァル]]、[[ヴィシー政権]]首相(* [[1883年]])<br />
* [[1946年]] - [[ヘルマン・ゲーリング]]、政治家・軍人(* [[1893年]])<br />
* [[1955年]] - [[早坂文雄]]、作曲家(* [[1914年]])<br />
* [[1957年]] - [[アンリ・ヴァン・デ・ヴェルデ]]、[[建築家]](* [[1863年]])<br />
* [[1963年]] - [[ホートン・スミス]]、[[プロゴルファー]](* [[1908年]])<br />
* [[1964年]] - [[コール・ポーター]]、作曲家・[[作詞家]](* [[1891年]])<br />
* [[1967年]] - [[マルセル・エイメ]]、小説家・[[劇作家]](* [[1902年]])<br />
* [[1976年]] - [[カルロ・ガンビーノ]]、[[ギャング|ギャングスタ]](* [[1902年]])<br />
* [[1978年]] - [[ユージン・スミス]]、[[写真家]](* [[1918年]])<br />
* [[1980年]] - [[大塚敬節]]、[[医師]](* [[1900年]])<br />
* [[1983年]] - [[パット・オブライエン]]、[[俳優]](* [[1899年]])<br />
* [[1986年]] - [[安田武]]、[[思想家]](* [[1922年]])<br />
* [[1988年]] - [[カイホスルー・シャプルジ・ソラブジ]]、作曲家・[[ピアニスト]](* [[1892年]])<br />
* [[2000年]] - [[コンラート・ブロッホ]]、[[生化学|生化学者]](* [[1912年]])<br />
* 2000年 - [[稲垣人司]]、高校野球指導者(* [[1932年]])<br />
* [[2001年]] - [[日詰昭一郎]]、ミュージシャン(* [[1957年]])<br />
* [[2006年]] - [[檜垣徳太郎]]、政治家(* [[1916年]])<br />
* 2006年 - [[松澤宥]]、[[コンセプチュアル・アート|コンセプチュアル・アーティスト]](* [[1922年]])<br />
* [[2007年]] - [[田島節夫]]、[[哲学|哲学者]](* [[1925年]])<br />
* 2007年 - [[山田真二]]、俳優・[[歌手]](* [[1937年]])<br />
<br />
== 記念日・年中行事 ==<br />
*[[きのこ]]の日 - 日本特用林産振興会が制定<br />
*世界手洗いの日<br />
<br />
== フィクションのできごと ==<br />
* [[2006年]] -クラストイマジンが現れる。電王ロッドフォームに倒される([[特撮]]『[[仮面ライダー電王]]』)<br />
<br />
=== 誕生日 ===<br />
* [[1899年]] - ジャン=ポール・ガゼー、ゲーム『[[シーマン]]』の発見者<br />
* [[1990年]] - 木之坂霧乃、『[[Gift 〜ギフト〜]]』に登場するキャラクター<br />
* [[1968年]] - フィラ=ドリュー=ウォーレンサー、漫画『[[ときめきトゥナイト]]』に登場するキャラクター<br />
* [[1986年]] - 三谷祐輝、漫画・アニメ『[[ヒカルの碁]]』に登場するキャラクター<br />
* [[1993年]] - 島田マリ、ドラマ『[[女王の教室]]』に登場するキャラクター<br />
* 生年不明 - 遠野志貴、『[[月姫]]』の主人公<br />
* 生年不明 - 忍足侑士、漫画・アニメ『[[テニスの王子様]]』に登場するキャラクター<br />
* 生年不明 - 志波岩鷲、漫画・アニメ『[[BLEACH]]』に登場するキャラクター<br />
* 生年不明 - [[大原大次郎]]、漫画・アニメ『[[こちら葛飾区亀有公園前派出所]]』に登場するキャラクター(「都合による誕生日変動」という設定のため、この日も変動した誕生日の一つに過ぎない。他には[[6月19日]]、[[4月14日]]などがある)<br />
* 生年不明 - 紫苑、格鬥ゲーム『[[ザ・キング・オブ・ファイターズ]] XI』に登場するキャラクター<br />
* 生年不明 - 藤本鈴菜、漫画『[[放課後ウインド・オーケストラ]]』に登場するキャラクター<br />
* 生年不明 - 頭山 花、ゲーム『[[428 〜封鎖された渋谷で〜]]』に登場するキャラクター<br />
<br />
=== 忌日 ===<br />
* [[2042年]] - ルドルフ・コーエン、[[ロバート・J・ソウヤー]]の小説『爬虫類のごとく…』に登場するキャラクター<br />
----<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
{{新暦365日|10|14|10|16|[[9月15日]]|[[11月15日]]|[[10月15日 (旧暦)|10月15日]]|1015|10|15}}</div>
ウマスラ
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF:%E4%BD%95%E3%81%8B&diff=230233
利用者・トーク:何か
2014-06-01T17:40:47Z
<p>ウマスラ: </p>
<hr />
<div>[[画像:ハーゲンクロイツ.png]]</div>
ウマスラ
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=Yourpedia%E3%81%AE%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85&diff=230232
Yourpediaの利用者
2014-06-01T17:36:13Z
<p>ウマスラ: /* 七星 */</p>
<hr />
<div>'''Yourpedia帝国の人民'''(ユアペディアていこくのじんみん)とは[[Yourpedia|ユアペディア帝国]](YP)の国民のことである。<br />
<br />
== 数字やアルファベットから始まるYourpediaの利用者 ==<br />
=== [[利用者:Jrw223fan|223]] ===<br />
手の施しようがないキチガイ。詳しくは[[喜多村英梨 (キチガイ)|喜多村英梨]]を参照されたし。<br />
<br />
=== [[利用者:Abcdefgh|Abcdefgh]] ===<br />
[[ファイル:09085868493.jpg|right|500px|thumb|Abcdefgh似の推定顔面画像]]<br />
[[2010年]][[1月25日]]にユアペディアで新規アカウントを取得し、活動を開始。[[2012年]][[1月4日]]にユアペディア管理者に再立候補した際、{{User2|Sysop}}より、「Abcdefghさんは、現在ブロック中のIPアドレス 220.3.134.144を使った編集を過去に行っていますが、Mikomaid氏と同一人物でしょうか」との問いで{{User2|Mikomaid}}と同じ'''{{IPuser2|220.3.134.144}}'''であることを問われ、「確かに私のIPですが、私ではありません。但し、私の家族のPCとLANで共有しており、多分、Mikomaid氏は私の家族の1人と思われます」と曖昧に回答した。{{User2|Sysop}}が「Abcdefghさんはそのことについて知らないということですか」との問いに、「はい、その通りです。{{IPuser2|220.3.134.144}}が同じなので薄々感じてはおりました。只、この問題に関しては、家族間でも触れないことにしております」と自身でも家族の誰だか判らないと回答した。{{User2|Abcdefgh}}の自己紹介では「いわゆるウィキペディア自警団・要出典厨との争いに辟易し、もっと自由な編集が出来る所を求めて、ここに辿り着きました」とのことで、{{User2|Mikomaid}}同様、ウィキペディアから追放された人物であることを示唆している。そもそも家族間でも管理ができない人物にユアペディアの管理能力があるのか問われる所以であり、事実、英語spamが吹き荒れた2012年6月以降は他の外部管理者、[[利用者:防人|防人]]に任せ切りで管理者業務を意図的に放置していた。<br />
<br />
2012年1月中旬、突如、ユアペディアが全てのIPを「10.0.0.1」から始まるプライベートIPアドレスのレンジと誤認するようにシステムを改変。以後3月末まで全ての匿名ユーザが編集出来ないようにするという暴挙に出た。<br />
<br />
=== [[利用者:Antoniem an|Antoniem an]] ===<br />
嫌いな有名人の名前を[[クソジジイの一覧]]と[[クソババアの一覧]]に書くことが趣味。ちなみに好きな芸能人は[[大島優子]]らしい。<br />
<br />
=== [[利用者:Ariyu|Ariyu]] ===<br />
[[秋葉原通り魔事件]]の被害者を誹謗中傷するテーを立て、Yourpediaが外部で「中傷ばかりで役立つ情報は皆無」だなんて言われるもとを作ったYourpediaの面汚し。<br />
<br />
=== [[利用者:AYAHIRANO|AYAHIRANO]] ===<br />
自民党の政治家には厳しく、民主党には甘い。[[平野綾]]を誹謗中傷する。長期間に亙って穏健に編集されてきた『[[クイズ!ヘキサゴンII]]』を荒らされた訳でもないのに自分の利用者のサブページに移動し編集を妨害した(その後、IPユーザーに戻され加筆が再開された)。<br />
<br />
=== [[利用者:Beyond|Beyond]] ===<br />
Yourpedia唯一の[[管狸者|管理者]]([[コピペディア]]では1名だけ外部の管理者を入れてる)。本名は[[吉本敏洋]]。[[悪徳商法?マニアックス]]の管理者。ユアペディアを荒らす[[オウム真理教]]の[[野田憲太郎|サマナ]]と在家信徒に対し毅然とした態度で対応していたが2008年8月以降は'''自分のプライバシーが暴露された時'''以外は全くといって良いほど放置しており、不誠実なダブルスタンダードである。薬物疑惑もあり?<br />
<br />
ウィキペディアでは多重アカウントで活動している疑いがある。<br />
<br />
=== [[利用者:Ded|Ded]] ===<br />
チャクウィキを追放された利用者。現在、[[ユアペディア]]に貢献している。なお、「本人は[[利用者:七星|七星]]と名乗っているが別人である。」と[[藤森京介 (七星)|七星]]が言っているが嘘である。<br />
<br />
=== [[利用者:Dr jimmy|Dr jimmy]] ===<br />
[[ウィキペディア日本語版]]にもアカウントを所有しているユアペディアン。[[利用者:佐高信|佐高信]]と同一人物といわれるが、残りの2つのアカウントのうち1つがそうらしい。さらに1つ残ったアカウントが[[ウィキペディア日本語版]]における[[wiki:利用者:Dr jimmy|アカウント]]と同一人物と考えられている。<br />
<br />
=== [[利用者:Fromm|Fromm]] ===<br />
[[ブサヨ御三家]]の1人。{{User2|Nodakenta}}や{{User2|何か}}と共謀しユアペディア上で反日活動を行う。[[nodakenta|Nodakenta]]や[[何か]]同様[[体罰]]に反対し[[日本]]の弱体化を狙っている[[ブサヨ]]。関西在住。政治家・暴力団・事件・芸能人関係が中心。項目を大量コピペし、有名人の写真(特に政治家・女性タレント)や児童ポルノ画像も著作権・パブリシティ権を無視して多数アップする。コピペしか出来ないと揶揄されている。一見[[ネット右翼]]に見えるが、[[大阪市立桜宮高等学校]]の項目では、バスケットボール部キャプテンを務めていた自殺した[[ブサヨ]]の2年男子生徒を擁護し、ブサヨ生徒に体罰を与えた憂国の教師・[[小村基]]を誹謗中傷し罵倒している。右翼を気取っていながら体罰に反対する等頭の悪い編集を繰り返したため[[松葉裕子]]をはじめとする良識派利用者があきれ果てている。自分が作った記事を編集されると取消をかけるが、それは編集合戦とは思っていない。他人の意見を一切無視しているユアペディアで最低最悪のユーザーである。Frommの中での「荒らし」とは、「自分を好いてくれない者」という意味であり、一般人が考える「荒らし」とは大きく異なることが分かる。真の愛国者・小村基に対し個人攻撃をしているため今や左右両派から嫌われているFrommだが、自分自身の行動に原因があるとは露とも考えが及ばない。<br />
<br />
=== [[利用者:FXST|FXST]] ===<br />
[[利用者:岡部健|岡部健]]、[[利用者:kenokabe|kenokabe]]を参照のこと。<br />
<br />
=== [[利用者:JFJK|JFJK]] ===<br />
精神病ユーザー。ガキ。ウィキホリック。<br />
<br />
===[[利用者:kenokabe|kenokabe]] ===<br />
[[1971年]][[9月22日]]自称、兵庫県在住の敏腕FXシステムトレーダー。ユアペディアでは[[岡部健]]、[[FXST]]の記事の削除を繰り返し、執筆者を兵庫県県警に刑事告訴して捜査中と称しているが、警察では名誉毀損で告訴する場合は被疑者不詳では原則、告訴状は受理しないことから、「捜査中」との記述は虚偽の可能性がある。また、民訴すると主張するものの、プロバイダー責任法による投稿者の照会をユアペディア管理者にも法律の手続きに則った照会を行っていないことで、法曹関係者の助言を受けた様子はない。法律知識の欠如を物語る言動を繰り返していることから、まともな高等教育を受けたことのない人物であることが伺われる。<br />
<br />
=== [[利用者:Kid|Kid]] ===<br />
(「ニンテン島」(任天堂ゲームファンサイト)管理者)を執拗に誹謗中傷する粘着的[[ネットストーカー]]。星のユービィ本人がYPに来て抗議するものの「ユアペディアは中立的ではない」「ユアペディアは自己主張の場ではない」を自分に都合良く解釈し誹謗中傷行為を正当化する。そして、遂に「ニンテン島」を閉鎖に追い込んだ。この他、アンサイクロペディアのユーザーに対する執着も始めた。<br />
<br />
=== [[利用者:Lonicera|Lonicera]] ===<br />
詳しくは[[荘田悦宏]]を参照せよ。なお[[ウィキペディアン]]の[[Lonicera (利用者)|Lonicera]]はアカウント名が同じだがユアペディアンのLoniceraことYukarin=荘田とは別人・・・。<br />
<br />
=== [[利用者:Los688|Los688]] ===<br />
Lonicera同様、ウィキペディアの利用者・Yukarinと同一人物。詳しくは荘田悦宏を参照せよ。なおウィキペディアンの[[Los688]]はアカウント名が同じだがユアペディアンのLos688ことYukarin=荘田とは別人。<br />
<br />
=== [[利用者:Maverick|Maverick]] ===<br />
[[木津尚子]]を参照せよ。法的告訴を検討したそうだが、訴状拒否されたらしい。書き込む時間帯から、木津であることは間違いがない。最近は岩瀬からプログラムをもらって、自動RVできるようになったようだ。そこまでして攻撃したいという変質的な40歳近くのおばさんである。<br />
<br />
最近では、このアカウントを共有化してスクリプトで自動返信するように対策を講じたらしい。人の利用者ページを執拗に荒らしていた。<br />
<br />
=== [[利用者:Mikomaid|Mikomaid]] ===<br />
[[ファイル:09085868493.jpg|right|500px|thumb|Mikomaid 似の加工顔面画像]]<br />
ウィキペディアから無期限投稿ブロック中の人物。[[1967年]][[1月19日]]生まれの[[群馬県]][[wiki:富岡市|富岡市]]富岡在住の中高年男性。[[wiki:富岡市立富岡小学校|富岡市立富岡小学校]]、[[wiki:新島学園中学校・高等学校|新島学園中学校・高等学校]]、[[wiki:長野大学|長野大学]]産業経済学部社会福祉学科OB。<br />
<br />
ネット中毒に侵された妄想癖や虚言癖を持つインターネット依存症でアルコール中毒のウィキホリックである。ウィキペディアではMikomaidのアカウントネームを持ち、そのアカウントで無期限投稿ブロック処分以前には著作権無視、暴言、多重アカウントを駆使した論議攪乱他で、投稿ブロック処分を過去4回の前科があった。ウィキペディアの編集に携わる前の過去には、2ちゃんねるの掲示板荒らし行為の常連で、2ちゃんねるから書き込み禁止処分も下されている。その他、数々のネット掲示板荒らしを行っていたことが判明している。ネットでの言動から発達障害者と疑われ、その障害に起因して深刻な対人関係問題を起こして精神を病み、引き籠もり状態となって、実質、親に生活を依存する妻子あるパラサイトである。自称「会社員」と称する自宅警備員で社会復帰を目指しているとネット上で発言している富岡市立富岡小学校PTA役員、元真如苑信者。富岡市出身の落語家6代目古今亭今輔(本名:水口直樹)の縁者である。2チャネラーからは同性愛者、コスプレイヤー、小児性愛者、ショタコンとも呼ばれている。過去のIPは。{{IPuser2|220.3.132.253}}、{{IPuser2|220.3.134.144}}。なお、{{IPuser2|220.3.134.144}}(softbank220003134144.bbtec.net)は現在も使用され、[[2010年]][[8月19日]]にユアペディアの「[[利用者:みんなで使おう公開アカウント|みんなで使おう公開アカウント]]」を乗っ取り、[[2011年]][[11月5日]]までは[[利用者:Abcdefgh]]のアカウントと共にユアペディアで活動していたが、[[利用者:Sysop]]より編集妨害・誹謗中傷を理由に、{{IPuser2|220.3.134.144}}(softbank220003134144.bbtec.net)は無期限投稿ブロック処分を受けている。<br />
<br />
家業では群馬インターネットを利用。他に [[wiki:利用者:A. J. Kuonji|A. J. Kuonji]](久遠寺 阿知花 寿来)、[[wiki:利用者:YANCHARIKA|YANCHARIKA]]、[[wiki:利用者:Jesudonbay|Jesudonbay]]、[[wiki:利用者:Ohnogo2004|Ohnogo2004]]の別アカウントで活動。mixiでは美鈴さんでtwitterで活動していたが、2012年3月に閉鎖した。<br />
<br />
富岡市役所、富岡市議会、富岡青年会議所、富岡市立富岡小学校PTA、新島学園中学校・高等学校同窓会間では「ある意味」で名前が知られている地元ではそれなりの存在であるだけに、この事実が富岡市民の間に漏れ伝わったことで表裏の差が激しい人物との警戒感が生まれている。<br />
<br />
[[2012年]][[11月17日]]([[土曜日]])、[[利用者・トーク:Sysop]]の[http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF:Sysop&diff=prev&oldid=172501 この書き込み]において、「'''Sysop様に恨みを持ち、削除依頼が通らないのであれば策を弄してでもYPを潰そうと思ってるのは私だけではない'''」や「'''現在、私は、YPの動作を少々重くする為の工作を行っております'''」などと公言し、[[Yourpedia]]及び管理者'''Sysop'''との全面戦争に突入した。[[2013年]][[7月20日]]に[[wiki:FCブログ|FCブログ]]に「[http://yphigai.blog.fc2.com/ Yourpedia被害者の会]」の名称でブログを創設した。<br />
<br />
=== [[利用者:Mumbly|Mumbly]] ===<br />
ユアペディアの編集実績は全くなく、唐突に管理者に立候補して[[2011年]][[8月27日]]に[[利用者:Sysop]]より管理者権限を付与されたユアペディアの初代外部管理者。管理者就任時にビューロクラートの就任の意思も示していた。他のwikiサイトで外部管理者をしていた経験があると自称していたが、その実績は全く不明。外部wikiサイトの管理者が他の管理者を兼業してできるのか、それとも他のwiki管理者を解任されてユアペディアに流れてきたのかも全く不明である。自分の twitter で「'''唯一の働ける管理者'''」と自称し、ユアペディアを「真のごみサイト」、「静粛される記事が多すぎる」、「Yourpediaは酷いサイトですね」と公言し、ユアペディアの管理者としてのウィキペディア化を目指すと外部で発言していた。社会人として最も恥ずべき行為の一つとされる公私混同、職権乱用、信用失墜行為を厭わず、社会経験の乏しさを吐露していたことから、安っぽい正義感を振り回す中学生並の精神年齢ではないかと疑われている。この精神年齢の低さを{{User2|Mikomaid}}に付け込まれ、具体的根拠のない依頼で、管理者としてのユアペディアの基本方針にある手順を踏まずに「[[Mikomaid]]」、「[[大野晋吾]]」(現「[[Mikomaid.]]」、「[[「[[Mikomaid の真実]]」、「[[Mikomid (2)]]」)の削除、白紙保護を行い、主編集者の{{User2|アイザール}}を対話も行わずに、一方的に一年間の投稿ブロック処分と課した。この管理行為について{{User2|Mumbly}}の管理者解任請求が{{User2|大野久美子}}より提訴されたことにより、その後の管理者活動を休止し、「'''唯一の働けない管理者'''」となってしまった。<br />
投稿ブロック処分明け後に{{User2|アイザール}}が投稿ブロック処分理由の情報開示を求めたが、一切の回答を行わず沈黙を守っている。<br />
<br />
IPアドレスが{{IPuser2|121.94.189.161}}であることから就任当時の2011年は和歌山県和歌山市在住の男子中学生とネット上では囁かれていたが、2012年現在は[[wiki:智辯学園和歌山中学校・高等学校|智辯学園和歌山高等学校]]一年生と言われる。Wikiversityやwikibooks等の他のwikiサイトではではこのIPアドレスのままで編集している。 [[wiki:松井一郎|松井一郎]]、[[wiki:橋下徹|橋下とおる]]の編集や朝鮮語、歯学の編集を行っていることから在日朝鮮籍の人物か被差別部落に関係がある歯科医の血縁者であるかのように窺われている。<br />
<br />
=== [[利用者:Nodakenta|Nodakenta]] ===<br />
[[ブサヨ御三家]]の1人。{{User2|Fromm}}や{{User2|何か}}と共謀しユアペディア上で反日活動を行う。[[fromm_(荒らし)|Fromm]]や[[何か]]同様[[体罰]]に反対し[[日本]]の弱体化を狙っている[[ブサヨ]]。{{User2|松葉裕子}}に対して執拗に嫌がらせをする極悪非道なユアペディアン。同じく松葉に対して誹謗中傷する{{User2|泊優稀}}や悪徳管理人・{{User2|防人}}とは盟友関係にある。{{User2|このコミュニケーション能力じゃ郵便局で働けるとは思えない}}、{{User2|Ugly Person}}、{{User2|麻原彰晃}}、{{User2|エクレロ様最強}}、{{User2|松葉裕子にチンポをフェラチオされて喜ぶ野田憲太郎}}、{{User2|マルヤ死ね}}、{{User2|ウーソキカスラの絵はやっぱり幼稚園で書くべきだと思うが}}、{{User2|野田バター憲太郎は福井利器とホモセックスをしている}}、{{User2|泊優稀撲滅委員会}}、{{User2|防入}}、{{User2|ウーソキカス}}、{{User2|負け犬・野田犬太郎}}、{{User2|ウーソキカスラ}}、{{User2|ウーソキカスラ絵はガチ}}、{{User2|ウソマラ万歳}}、{{User2|防人撲滅委員会}}、{{User2|ニートキカスラ}}、{{User2|野田マスラ}}、{{User2|User112}}、{{User2|エクレロ様最強}}、{{User2|負け犬・野田犬太郎}}、{{User2|岡部健}}、{{User2|Fromm撲滅委員会}}、{{User2|あんですたろう}}、{{User2|あんだあすろう撲滅委員会}}、{{User2|みんなで使おう公開アカウント}}、{{User2|Ugly person 001.}}等を[[松葉裕子]]のソックパペットと認定する等即座に露呈する虚偽の行動をしているが、これは管理者を騙す非常に悪質な手口であるといえる。そのくせ{{User2|Nodakenta}}が今までユアペディア上で行ってきた悪質な手口を複数の利用者から指摘されると逆上して松葉の[[Yourpedia:荒らし報告・投稿ブロック・保護依頼|投稿ブロック依頼]]を提出する等頭の悪い行動をし、[[利用者・トーク:Nodakenta|Nodakenta]]とグルになっている防人によって松葉は不当な無期限ブロックを受けてしまった。自分を悪く書かれるとどういう気分になるか痛いほど判る筈だが、自分自身の利用者ページを編集されてもNodakentaの行動により松葉や[[利用者:このコミュニケーション能力じゃ郵便局で働けるとは思えない|このコミュニケーション能力じゃ郵便局で働けるとは思えない]]、[[利用者:Ugly Person|Ugly Person]]、[[麻原彰晃]]、[[利用者:エクレロ様最強|エクレロ様最強]]、[[利用者:松葉裕子にチンポをフェラチオされて喜ぶ野田憲太郎|松葉裕子にチンポをフェラチオされて喜ぶ野田憲太郎]]、[[利用者:マルヤ死ね|マルヤ死ね]]、[[利用者:ウーソキカスラの絵はやっぱり幼稚園で書くべきだと思うが|ウーソキカスラの絵はやっぱり幼稚園で書くべきだと思うが]]、[[利用者:野田バター憲太郎は福井利器とホモセックスをしている|野田バター憲太郎は福井利器とホモセックスをしている]]、[[泊優稀撲滅委員会]]、防入、[[利用者:ウーソキカス|ウーソキカス]]、[[利用者:負け犬・野田犬太郎|負け犬・野田犬太郎]]、[[利用者:ウーソキカスラ|ウーソキカスラ]]、[[利用者:ウーソキカスラ絵はガチ|ウーソキカスラ絵はガチ]]、[[利用者:ウソマラ万歳|ウソマラ万歳]]、防人撲滅委員会、[[利用者:ニートキカスラ|ニートキカスラ]]、[[利用者:野田マスラ|野田マスラ]]、[[利用者:User112|User112]]、[[利用者:エクレロ様最強|エクレロ様最強]]、[[利用者:負け犬・野田犬太郎|負け犬・野田犬太郎]]、[[岡部健]]、[[利用者:Fromm撲滅委員会|Fromm撲滅委員会]]、[[利用者:あんですたろう|あんですたろう]]、[[利用者:あんだあすろう撲滅委員会|あんだあすろう撲滅委員会]]、[[利用者:みんなで使おう公開アカウント|みんなで使おう公開アカウント]]、[[利用者:Ugly person 001.|Ugly person 001.]]が苦痛を感じてるということには露とも考えが及ばない。はっきり言ってNodakentaは発達障害の無能なタリバンである。Nodakentaは[[東日本大震災]]の時に[[津波]]に流されて死ぬべきだった人物である。<br />
<br />
=== [[利用者:Noda,Kentaro|Noda,Kentaro]] ===<br />
[[画像:Nodakentaro.jpg|thumb|150px|野田憲太郎のご尊顔]]<br />
''[[野田憲太郎#ネット上の言動について]]を参照''<br>[[オウム]]が大好きな[[自宅警備員]]。アクティブユーザーに対しオウムと因縁を付けるがオウムを批判されると激怒する、オウム(特に[[松葉裕子]])の[[バター犬]]。<br />
<br />
=== [[利用者:NoMoreMid|NoMoreMid]] ===<br />
Mixiでは、いぬみみめいどと名乗る。御堂岡叩き部隊の1人。いぬみみめいどと同一人物であることをちくられたとたんに逃亡。で、逃げた後にまたやってきて延々と根拠の無いことを書き散らしに来る。恐らくは個人情報を何らかの形で奪われ(恐らくはストーカー容疑)、腹いせでやっているものと思われる。<br />
<br />
=== [[利用者:Shangyuan Zhuo|Shangyuan Zhuo]] ===<br />
悪質荒らしである{{User2|松葉裕子}}のソックパペット。[[ネット左翼]]。<br />
<br />
=== [[利用者:ShunKikuchi219|ShunKikuchi219]] ===<br />
[[大分県]][[佐伯市]]の学生でウィキペディア日本語版から永久追放された利用者である<br />
<br />
=== [[利用者:Tenrikyo|Tenrikyo]] ===<br />
奈良県橿原市山之坊町に在住。OCNユーザー。天理教信者が経営する会社にそれとは知らずに入社し天理教への入信を強制され、それを拒否すると解雇されたことからその会社と天理教への恨みを抱くようになりその旨の記述を繰り返した。天理教@wikiや多数の掲示板・ブログを乱立させる他、各地の掲示板やwikiサイト(宗教と無関係のwikiを含む)にマルチポストし同様の主張を繰り返す。マルチポスト先の2ちゃんねるでは「マル」と呼ばれる。チャクウィキでも活躍。ユアペディアではTenrikyoの名前で活躍する。2009年[[4月9日]]には元の勤務先に侵入して社長の車の鍵穴に接着剤を流し込んだ所を見つかり逮捕されたがその後、釈放され執筆を再開(只、折角(自称)良い会社に再就職したのにこの事件で失職し再々就職のハードルが遥かに高くなった)。最近はYPで他の宗教団体の記述、更に宗教以外にも地理・社会科・音楽関係の項目執筆(特に[[野田憲太郎]]叩き)・サブスタブ未満量産も盛んに行う様になった。只、本人もやり過ぎを感じた様で2010年[[3月25日]]以降は先の天理教@wikiや乱立させた多数の掲示板・ブログを一気に閉鎖した他、YPに書いた内容を過激な部分を削除し穏健な内容や事実確認が可能な内容に変更するようになった。<br />
<br />
=== [[利用者:Te voi gasi|Te voi gasi]] ===<br />
<br />
管理者になりたがっている40過ぎのバイトをやっているおばさん。ライトノベル作品の投稿が多い。<br />
<br />
=== [[利用者:Yard|Yard]] ===<br />
<br />
=== [[利用者:Y.D.Force|Y.D.Force]] ===<br />
他者に対して13回も名誉毀損に該当する編集を行った。本人はこれを認めていない。<br />
<br />
''じゃあこっちも問いましょう。あなた自身は、いかなるサイトに於いてでも一切名誉毀損に該当する投稿は行っていないのでしょうか?もちろん、私以外の方について、です。そもそもWikipediaの利用者があなたをまともに相手にするとは思えませんが。どうしても誹謗中傷の類の記事を書きたかったら、ご自分のHPでやってくださいな。そうすれば運がよければあなたは訴えられることでしょう。--Y.D.Force 2007年7月27日 (金) 05:42 (JST)''<br />
<br />
上記の発言は「名誉毀損に該当する編集を行った」ことは解っているが、認めたくないらしい。そのほかにもいくつもの野田関係の記事をRVしており、ことが大きくなっているのに気づいていない。運よく訴えられる、などというおかしな日本語が特色。調べたら、福井の指令を受けてここにきた松葉裕子だった。懲りてない。<br />
<br />
=== [[利用者:YANCHARIKA|YANCHARIKA]] ===<br />
wikiのYANCHARIKAとは別人と{{User2|Mikomaid}}は主張している。<br />
<br />
=== [[利用者:YUu|YUu]] ===<br />
[[有害サイト]]・[[チャクウィキ]]を追放された天才ユーザー。愛知県が大好き。[[ネット右翼]]。<br />
<br />
[[野駄犬]]の悪戯を一度差し戻ししただけで駄犬に粘着されてしまう。チャクウィキと[[駄犬]]と2chを心の底から憎んでいる。<br />
<br />
ユアぺディアを荒らす者には容赦しない。<br />
<br />
== 仮名から始まるYourpediaの利用者 ==<br />
=== [[利用者:アイサール|アイサール]] ===<br />
[[2010年]][[2月11日]]に突飛、[[Mikomade]]の編集に登場したアカウント。それまでProxy Listに載ってたプロキシIP('''{{IPuser2|201.234.207.178}})'''で Mikomade の編集が行われていたものがそのプロキシIPが国際的に札付きの掲示板荒らしで使われ問題あると指摘された途端にそのIPによる編集が止まり、代わりにアイサールを名乗ったアカウントが登場し、その後のMIkomaid擁護一辺倒の編集を続けている。{{User2|Mikomaid}} 本人がこのアイサール名義で、必死になって自身の反論を行っていることが多くのMikomaid ウオッチャーから見透かされている。既に地元の住民には本人の本性がバレているにもかかわらず必死になって否定を行うことで {{User2|Mikomaid}} ウオッチャーの顰蹙を買い、本人の過去や現在の活動がアイザール精査され[[Mikomaid の真実]]の編集が続く皮肉な結果となった。嘘に嘘を重ねることで余計に本人の本性が表れて客観的な、否定し難い[[Mikomaid の真実]]が確認されることに本人が気付かない不幸がある。{{User2|Mikomaid}} は[[2009年]]5月に{{User2|Mikomaid}} 本人の画像が Yourpedia で晒されたことでYourpedia の編集から撤退に追い込まれ、Wikiaにその編集活動の中心を移した。<br />
<br />
=== [[利用者:アイザール|アイザール]] ===<br />
{{User2|Mikomaid}}のプロファイラー。{{Category:Mikomadeの操り人形だと疑われるユーザー}}ウィキペディア・ユアペディアの[[吉良上野介]]・[[阿部切人]]・'''史上最悪のネットストーカー'''であると{{User2|Mikomaid}}だけが主張している。[[Mikomade]]のYPでの名義(アイザール(WP管理者)とは別人)。[[Mikomaid]]関連の編集のみ1000回以上に亘り執拗に行い315KBにまで肥大化させた。しかも先編集権無視や他人の利用者ページの編集、本項目の'''レイアウト破壊'''&破壊された状態への激烈な執着、さらに「[[エクレロ孫法師|ウーソキマスラ]]は管理者なのか?」という質問を行うなど完全にユアペディアのルールを無視していると{{User2|Mikomaid}}だけが主張している。あらゆる妥協提案を拒否しあらゆる非難・決め付けを厭わず冷酷非道・冷徹に事を進める、ある意味ウィキペディアン・ユアペディアンの鑑。自分から退却しないのであれば、早めの投稿ブロックが望まれると{{User2|Mikomaid}}だけが主張しているのも、暴露された{{User2|Mikomaid}}のプロファイルが事実であったことで{{User2|Mikomaid}}が逆上したことである。<br />
<br />
=== [[利用者:あんだあすろう|あんだあすろう]] ===<br />
<br />
=== [[利用者:ウソマラ万歳|ウソマラ万歳]] ===<br />
{{ネットウヨ}}こいつは人殺し教師の肩を持って悦に浸る大ボケユーザー。 口癖の「猥褻画像ではない芸術としてのヌード写真をアップロード」と言いながらポルノ画像をアップロードするのが趣味の問題ユーザー。<br />
=== [[利用者:ウマスラ|ウマスラ]] === <br />
詳細は[[ウマスラ(ネトウヨ)]]を参照せよ。'''こいつは[[長谷川穂積]]に殴られてもいいレベル'''である。「だからなに?」と片付ける事無かれ主義者。厨二病患者でもある。'''誰か、こいつを病院に連れて行け!'''<br />
<br />
=== [[利用者:おかやまりゅうせい|おかやまりゅうせい]] ===<br />
おかやまりゅうせいが作成したものと思われるが、投稿はしていない。<br />
<br />
=== [[利用者:おかやまりゅうせいの助っ人|おかやまりゅうせいの助っ人]] ===<br />
おかやまりゅうせいのソックパペット。自らパスワードを公開したが、そのパスワードは現在無効である。<br />
<br />
=== [[利用者:おかやまりゅうせい撲滅委員会|おかやまりゅうせい撲滅委員会]] ===<br />
おかやまりゅうせいによる荒らしを対処するために現れた正義の味方。[[内川聖一]]ファンであり、[[福岡ソフトバンクホークス|ホークス]]ファンである。<br />
<br />
=== [[利用者:オレリ|オレリ]] ===<br />
メインページ編集・等・仕切る様になってきた。WP・UCPでは任天堂ゲーム関係が中心。<br />
<br />
=== [[利用者:かぼ|かぼ]] ===<br />
自ら「アンサイクロペディアのキチガイ利用者と同一人物」と名乗る。[[みんなの党]]・[[在日]]・[[金正雲]]・[[特定アジア]]・[[民主党]]・[[チョン]]・[[右翼]]・[[工作員]]・[[東京オリンピック]]等に於いて一般的とは異なる意味や内容を書く。<br />
<br />
=== [[利用者:キャプテン・カタギリ|キャプテン・カタギリ]] ===<br />
[[利用者:ハエ叩き|ハエ叩き]]というソックパペットまで持っている可能性あり。<br />
<br />
=== [[利用者:このアカウントをブロックした管理人は死にます|このアカウントをブロックした管理人は死にます]] ===<br />
[[wiki:滋賀県|滋賀県]][[wiki:大津市|大津市]]在住の女子中学生。1997年生まれ。滋賀県大津市立大津市立南郷中学校3年在籍(2012年現在)。加入プロバイダーは[[wiki:ケイ・オプティコム|ケイ・オプティコム]]。実家の固定IPは{{IPuser2|121.83.189.198}}。父親がIT 関連事業を営み、その関係で早くからネットに勤しみ、小学生の頃より各種のネット掲示板に出没。ハンドルネームは「'''打出O,R'''」、「'''滋賀の神'''」、「'''大津の守護神'''」、「'''Tigerking'''」、「'''バトロイ族'''」、「'''ひらお'''」、「'''あかつ'''」、等を使用していた。ちなみに、「'''ひらお'''」、「'''あかつ'''」は自宅近所の地名から用いたものである。[http://www.its-mo.com/map/addr/125942370_489168560_14/25201121/滋賀県大津市膳所平尾町/ このアカウントをブロックした管理人は死にますの自宅周辺地図]。気性が険しい性格を表す、「'''死ね'''」、「'''殺す'''」を掲示板で連発している。学校では根暗な性格が災いして親しい友人はおらず、仲間はずれの「いじめられっ子」である。孤立した存在の、内向的な典型的なネット弁慶である。肥満した体型から体調を崩すことが多く、生理痛、腰痛をしばしば起こし、母親共々、市内の整体師の世話になっている。関ジャニ8と滋賀県の中学ジュニアユースのサッカーファンで、ネット掲示板にこの{{IPuser2|121.83.189.198}}から書き込みを行っている。父親から譲られたノートパソコンを使用し、そのOSはWindows2000である。<br />
<br />
ユアペディアに書き込みを始める前の[[2012年]][[3月08日]]に、ある掲示板([http://bbs.fumi23.com/show.php?article_id=1219575&bbs_id=122&host_id=bbs&view_type=1&type_id=1&orderSelect=1&page_p=2&showall=true ふみコミュ])で、「'''あこば'''」や「'''あかつ'''」、「'''涛子'''」のハンドルネームを使い、立て続けに以下の書き込みを行っている。「'''私トイレ近くて銭湯とかでもすぐ行きたくなるんですけどこないだ、脱衣所でしてしまいました。かなりしたのでその場に座っていました.もう銭湯なんかいけません'''」、「'''私は高校に言ってるんですけど、私がトイレいってもいいですかってきいたら私クソ我慢(おちゃの飲みすぎで)していたので飛び出してトイレにいこうと思った私廊下で漏らしてしまいました'''」、「'''わたしはある日おしっこががまんできなくてちかくのこうえんのめのまえでパンツのぐまえにもらした・・・'''」。<br />
<br />
人前で公言することが憚られる「'''排泄行為'''」をこのような形で表現するのは、精神的ストレスの発散からである。「'''排泄行為'''」は人の生理的欲求であり、排泄をすることで肉体的、精神的快感を伴い、自身が持つストレスを匿名のネット掲示板で発散させて、その生理的な欲求を精神的欲求に代えた自身の代償手段であるのである。内向的な性格で、人前では思うように発言できず、学校で仲間から苛められても、言い返せず、反撃ができない。ストレスが溜まれば溜まるほど、ネット掲示板では過激な表現で憂さを晴らすことになる。人が忌み嫌う「'''死'''」や「'''殺'''」の文字がネット掲示板に書き込まれるのはそのストレスの象徴に他ならない。両親は娘のネット上の言動には全く気付いている様子はなく、親子の距離が隔たっていることを暗示している。恐らく、娘が学校でいじめの対象となっていることすら気付いていないことだろう。<br />
<br />
ユアペディアでは[[2012年]][[4月18日]]アカウントを作成し、翌[[4月19日]]に自身の利用者ページの編集が最初の編集である。監視社会撲滅を計画してユアペディアで{{User2|Mikomaid}}の擁護を行う編集となる。{{User2|Mikomaid}} 同様、ウィキペディアで多重アカウント利用によるブロック逃れで複数回の投稿ブロック処分歴([http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%89%B9%E5%88%A5:%E6%8A%95%E7%A8%BF%E8%A8%98%E9%8C%B2&offset=&limit=500&tagfilter=&contribs=user&target=121.83.189.198&namespace= 利用者の投稿記録 121.83.189.198])があり、ネット掲示板で暴言を吐きまくり、多重アカウントを駆使して自作自演を第三者から追求され、アクセス禁止処分を受けた体験([http://www20.atwiki.jp/battler/pages/5612.html バトルロイヤルR 同一人物事件])から監視社会の恐ろしさに気付いたことや、実生活では学校で虐められ、孤立した現実の自分と {{User2|Mikomaid}}の境遇が重なり、{{User2|Mikomaid}} に自分自身の姿を見出したことで、誰もが忌み嫌う{{User2|Mikomaid}}の擁護に回ったのである。この掲示板(バトルロイヤルR)では「'''もうはくじょうします!僕は2つの名前を持っていて自宅のPCでtigerkingでそれ以外のPCでバトロイ族でやってました!多数の問題を起こした事を反省します!'''」と、まるで {{User2|Mikomaid}}の劣化コピー版のような告白をしている末恐ろしき女子中学生である。<br />
<br />
[[2012年]][[5月1日]]に他人の利用者ページの編集で1ヶ月の投稿ブロック処分を、{{User2|Sysop}}より下されたが、{{User2|Mikomaid}}の家族と称する外部管理者の{{User2|Abcdefgh}} の必死の擁護により、その処分は当日に解除された。しかし、自身の{{IPuser2|59.190.73.178}}(ケイ・オプティコム)は無期限ブロック処分(アカウント作成のブロック)となった。その1週間後の[[5月7日]]に、{{User2|Sysop}}により自身のアカウントで一週間の投稿ブロック処分を受け、その10日後の[[5月17日]]に再び、Spam投稿を理由に自身のアカウントで2週間の投稿ブロック処分が下された。 この投稿ブロック処分に懲りず、その3ヶ月後にはウィキペディアで3ヶ月の投稿ブロック処分が下されている。<br />
<br />
===[[利用者:このコミュニケーション能力じゃ郵便局で働けるとは思えない|このコミュニケーション能力じゃ郵便局で働けるとは思えない]]===<br />
AV女優のことを下手な芸能人より可愛くて、目の保養になると思っている。<br />
<br />
=== [[利用者:サイト333|サイト333]] ===<br />
[[おかやまりゅうせい]]のソックパペット。<br />
<br />
=== [[利用者:サブマリン2号|サブマリン2号]] ===<br />
<br />
=== [[利用者:スバイ撲滅委員会|スバイ撲滅委員会]] ===<br />
ユアペディアで最も良識で真面目な利用者。類似アカウントが氾濫しているが、彼との関係は皆無である。<br />
<br />
=== [[利用者:スパイ撲滅委員会|スパイ撲滅委員会]] ===<br />
ユアペディアで無期限投稿ブロックとなった利用者。かなりの[[DQN]]なので、Yourpediaのルールを理解できずに、違反を繰り返した。ブロック後に、池田製麺として活動していたが、揖保川の水兵さんさんに正体がバレて逃亡。[[利用者:スバイ撲滅委員会|スバイ撲滅委員会]]の偽物の中でも、最も似ているアカウントである。<br />
<br />
=== [[利用者:ソウ|ソウ]] ===<br />
プロボクサー兼政治家。<br />
<br />
[[ウィキペディア日本語版]]のキチガイに追放された。[[ボクシング]]が大好きで[[性犯罪者]]と[[ウィキペディア]]と[[2ちゃんねる]]と[[日共工作員]]を心から憎んでいる。また、[[稲田朋美]]を愛する[[右翼]]活動家でもある。<br />
<br />
=== [[利用者:たりぼー|たりぼー]] ===<br />
Lonicera及びLos688同様、ウィキペディアの利用者・Yukarinと同一人物。詳しくは荘田悦宏を参照せよ。なおウィキペディアンの[[たりぼー]]はアカウント名が同じだが[[音声おじさん]]の靴下であるためユアペディアンのたりぼーことYukarin=荘田とは別人。<br />
<br />
=== [[利用者:なはかちゼロ|なはかちゼロ]] ===<br />
フレンドボーイ42・ダウンロード33・ホワイトマスク29などたくさんの名前がありそっくパペットをwiki上で保有することもあるが、それは明記されており成りすましには用いられない。[[日本さいころペディア]]創立者であり、香港にかつて住んでいた。[[アンサイクロペディア]]・[[チャクウィキ]]・[[ユアペディア]]・[[ウィキペディア]]・[[日本さいころペディア]]で名前を変えつつ活動中。<br />
<br />
=== [[利用者:ハエたたき|ハエたたき]] ===<br />
<br />
=== [[利用者:ブライアン・カイト|ブライアン・カイト]] ===<br />
[[長野県丸子修学館高等学校|この悪事正当化高校]]や[[滝川中学校・高等学校|この冷酷非道高校]]OBの分際で野球界に土足で上がりこむ[[星野八千穂|こい]][[村田真一|つら]]を正当化するボケナス野郎。<br />
<br />
=== [[利用者:マルヤ|マルヤ]] ===<br />
[[ウィキペディアの利用者]]・純血主義と同一人物で、荒らしで[[アンサイクロペディア]]から追放された[[アイヌ]]。詳しくは[[永井隆雄]]を参照せよ。<br />
<br />
=== [[利用者:やっしーのブラックトリュフ|やっしーのブラックトリュフ]] ===<br />
[[川口市立芝中学校]]でのいじめ自殺事件の犯人の一員・[[竹越充]]の入学を許可したうえに、生徒もそんなことお構いなしにその竹越と普通に接するという実態を持つ[[埼玉県立浦和高等学校]]を正当化する大馬鹿野郎。<br />
<br />
== 漢字から始まるYourpediaの利用者 ==<br />
=== [[利用者:麻生タロー|麻生タロー]] ===<br />
<br />
=== [[利用者:池田製麺|池田製麺]] ===<br />
スパイ撲滅委員会のソックパペット。スパイ撲滅委員会がブロックされた後に作成して、投稿傾向が酷似していることから、揖保川の水兵さんさんに見破られた。嫌いな利用者をすぐに「DQN」と決めつけて、「[[泣く子も黙るユアペディアンの一覧|泣く子も黙る○○]]」と称して、中傷しているが、一番のDQNはこいつ自身なのである。<br />
<br />
=== [[利用者:揖保川の水兵さん|揖保川の水兵さん]] ===<br />
[[兵庫県]]在住の利用者。入会当初から、スパイ撲滅委員会に中傷されたうえに、[[中江美則]]のアカウントだと決めつけられた可哀想な利用者。<br />
<br />
=== [[利用者:魚津サブジェクト|魚津サブジェクト]] ===<br />
<br />
=== [[利用者:大野慶吾|大野慶吾]] ===<br />
[[利用者:Mikomaid|Mikomaaid]] が蛇蝎の如く嫌う、[[wiki:利用者:Mikomaid:Mikomaid]]プロファイラー。Mikomaid (2)を加筆。大野晋吾と同じく群馬県富岡市在住。[[1996年]][[10月16日]]生まれの高校生。[[利用者:Mikomaid|Mikomaaid]]は[[利用者:アイザール:アイザール]]のなりすましと主張。[[利用者:Mumbly|Mumbly]] が白紙保護した [[Mikomaid]] の記事復活を。[[利用者:Sysop|Sysop]] に依頼するものの、[[利用者:Mikomaid|Mikomaid]] の大反対から[[利用者:Sysop|Sysop]] に無視される。<br />
<br />
=== [[利用者:大野晋吾|大野晋吾]] ===<br />
[[ファイル:09085868493.jpg|right|500px|thumb|大野晋吾 似の加工顔面画像]]ウィキペディアから無期限投稿ブロック中の人物。{{User2|Mikomaid}}のなりすまし。[[1967年]][[1月19日]]生まれの群馬県富岡市富岡在住の中高年男性。富岡市立富岡小学校|富岡市立富岡小学校、[[wiki:新島学園中学校・高等学校|新島学園中学校・高等学校]]、[[wiki:長野大学]]OB。<br />
<br />
ネット中毒に侵された妄想癖や虚言癖を持つインターネット依存症でアルコール中毒のウィキホリックである。ウィキペディアではMikomaidのアカウントネームを持ち、そのアカウントで無期限投稿ブロック処分以前には著作権無視、暴言、多重アカウントを駆使した論議攪乱他で、投稿ブロック処分を過去4回の前科があった。ウィキペディアの編集に携わる前の過去には、2ちゃんねるの掲示板荒らし行為の常連で、2ちゃんねるから書き込み禁止処分も下されている。その他、数々のネット掲示板荒らしを行っていたことが判明している。ネットでの言動から発達障害者と疑われ、その障害に起因して深刻な対人関係問題を起こして精神を病み、引き籠もり状態となって、実質、親に生活を依存する妻子あるパラサイトである。自称「会社員」と称する自宅警備員で社会復帰を目指しているとネット上で発言している富岡市立富岡小学校PTA 役員、元真如苑信者。富岡市出身の落語家6代目古今亭今輔(本名:水口直樹)の縁者である。2チャネラーからは同性愛者、コスプレイヤー、小児性愛者、ショタコンとも呼ばれている。過去のIPは 、{{IPuser2|220.3.132.253}}、現在は{{IPuser2|220.3.134.144}}。家業では群馬インターネットを利用。他に[[wiki:利用者:A. J. Kuonji|A. J. Kuonji]](久遠寺 阿知花 寿来)、[[wiki:利用者:YANCHARIKA|YANCHARIKA]]、[[wiki:利用者:Jesudonbay|Jesudonbay]]、[[wiki:利用者:Ohnogo2004|Ohnogo2004]] の別アカウントで活動。mixiでは美鈴で、Youtubeではmikomaid,twiter では大野晋吾で活動していたが、2012年3月にアカウントを閉鎖した。<br />
<br />
富岡市役所、富岡市議会、富岡青年会議所、富岡市立富岡小学校PTA、新島学園中学校・高等学校同窓会、カブラJFC父母会間では「ある意味」で名前が知られている地元ではそれなりの存在であるだけに、富岡市立富岡小学校では2012年度版のホームページの更新の際、過去のPTA活動の画像を削除した。<br />
<br />
=== [[利用者:大野普吾|大野普吾]] ===<br />
但し、[[wiki:LTA:GH|Global H]]の可能性もあると{{User2|Mikomaid}}だけが主張している。ことから{{User2|Mikomaid}}のなりすましであるとユアペディアのユーザーから認知されている。<br />
<br />
=== [[利用者:岡部健|岡部健(荒らし)]] ===<br />
[[画像:岡部健.jpg|thumb|岡部健]]<br />
[[1971年]][[9月22日 -]]。自称、兵庫県神戸市出身の敏腕FXシステムトレーダー。 <br />
[[2008年]]、『これが、唯一まともなFX本 98%のトレーダーが知らないFXの常識10』と題する自作のFX教材を「365日間無条件全額返金保証」との謳い文句により6万9000円で販売。約束に反して迅速な返金に応じないとの苦情が殺到し、岡部を[[詐欺罪]]で刑事告発する動きもあったが、彼自身は「私はきちんと要望があった分には返金しています」と返答している。[[血液型]]O型。<br />
[[日本語版ウィキペディア]]で。[[wiki:利用者:FXST|FXST]]というアカウント名の長期荒らしとして悪名高く、[[利用者:野田憲太郎|野田憲太郎]]や[[利用者:Mikomaid|Mikomaid]]と同様、過去、多重アカウントを含めて無期限投稿ブロック処分が下されている。ユアペディアでは{{User2|kenokabe}}、[[FXST]]の記事の削除を繰り返し、執筆者を「兵庫県県警に刑事告訴して捜査中」と称しているが、警察では名誉毀損で告訴する場合は被疑者不詳では原則、告訴状は受理しないことから、「捜査中」との記述は虚偽の可能性がある。また、民訴すると主張するものの、プロバイダー責任法による投稿者の照会をユアペディア管理者にも法律の手続きに則った照会を行っていないことで、法曹関係者の助言を受けた様子はなく、法律知識の欠如を物語る言動を繰り返していることから、まともな高等教育を受けたことのない人物であることが伺われる。<br />
<br />
[[利用者:FXST|FXST]]、{{User2|kenokabe}}を参照のこと。<br />
<br />
=== [[利用者:織田信介|織田信介]] ===<br />
[[利用者:織田信長|織田信長]]の息子で、父親の敵を討つために来た。<br />
<br />
=== [[利用者:織田信長|織田信長]] ===<br />
ついに参加した期待の超新星。ユアペディアの治安維持に努めていたが、[[利用者:Sysop|馬鹿]]によって殺された。現在は、息子の[[利用者:織田信介|織田信介]]が活躍している。<br />
<br />
=== [[利用者:小西規勝|小西規勝]] ===<br />
埼玉県在住の粗暴なユアペディアン。125.2.34.253(埼玉@nifty)、野田憲太郎は松葉裕子のマンコを舐めるのが大好きなバター犬、Nike、Dr.jimmy、等を使い会話ページで暴言を吐く一方で割合まともな編集をした時期も有ったが管理者のプライバシーを暴露した咎で2009年[[9月26日]]にCUされIPを晒された上無期限ブロックされた。ウィキペディアでは125.2.34.253で主に政治家関係・[[三菱グループ]]関係の項目を編集中。NiKeとは別人とみられる。<br />
<br />
=== [[利用者:将軍様|将軍様]] ===<br />
現在このユーザーは'''[[警察]]に逮捕されているため'''、活動していません。<br />
<br />
=== [[利用者:将葷様|将葷様]] ===<br />
<br />
=== [[利用者:將軍樣|將軍樣]] ===<br />
上記の将葷様を含め、これらについては、上記の将軍様とは正反対のヒーロー的存在。もちろん将軍様とも対立している(将葷様はあやめ系IPとも対立している)。<br />
<br />
=== [[利用者:白憂希|白憂希]] ===<br />
<br />
=== [[利用者:蒼海|蒼海]] ===<br />
キャラを変えた[[利用者:福井利器|福井利器]]の別垢。松葉裕子のBOTで動かしている。というのは、野駄犬の妄想である。<br />
:えっまじで!?--[[利用者:蒼海|蒼海]] 2008年8月19日 (火) 04:21 (JST)<br />
<br />
=== [[利用者:丁嵐|丁嵐]] ===<br />
これは[[#Maverick|Maverick]]のソックパペットである。<br />
<br />
===[[利用者:都市伝説マン|都市伝説マン]]===<br />
スパイ撲滅委員会のソックパペット。「愚書・[[ユアペディアンの都市伝説]]シリーズ」の著者。<br />
<br />
=== [[利用者:泊優稀|泊優稀]] ===<br />
[[2012年]][[1月15日]]にユアペディアに登場、大量の内容の無いSpam記事を大量に濫造し、4ヶ月余りで管理者に上り詰めた名利用者(自称)と称していたが、その横暴な管理ぶりでユアペディアを混乱させ、管理者でありながら、[[利用者:Mikomaid]]と同様、別アカウントを用いて利用者ページの白紙化やプライバシー侵害を行い、[[利用者:Sysop]]より2012年5月21日に無期限投稿ブロック処分を下され、ユアペディア初の実質、「管理者解任」の不名誉な称号を得た人物である。東京都板橋区生まれで現在、埼玉県川越市在住の高校生と自称している。無期限投稿ブロック処分の際、使用しているIPが暴露され、IP:202.161.210.103(JCN関東)であることが判明した。なお、「泊優稀」のアカウント名はアンサイクロペディアやチャクウイキでも無期限投稿ブロック処分を下されている。そのため、ユアペディアに流れてきた過去が判明した。「[http://ja.uncyclopedia.info/wiki/Uncyclopedia:CheckUser%E6%A8%A9%E8%A1%8C%E4%BD%BF%E4%BE%9D%E9%A0%BC/%E6%B3%8A%E5%84%AA%E7%A8%80%E6%B0%8F%E4%BB%96 Uncyclopedia:CheckUser権行使依頼/泊優稀氏他]」でその内容を確認できる。韓国語や中国語・英語も挨拶程度ならできるらしいと自称しているが、日本の義務教育修了者なら誰でもできる内容である。<br />
<br />
=== [[利用者:泊優稀撲滅委員会|泊優稀撲滅委員会]] ===<br />
[[泊優稀]]による荒らしを対処するために現れた正義の味方。<br />
<br />
=== [[利用者:泊優稀撲滅委員会の無罪を主張する会|泊優稀撲滅委員会の無罪を主張する会]] ===<br />
泊優稀撲滅委員会さんを守る素晴らしいユーザー。<br />
<br />
=== [[利用者:長野のそうじろう|長野のそうじろう]] ===<br />
基地外ユーザー。全ウィキの荒し王。ここではYourpediaを荒らす目的でアカウントを作成した。現在は[[利用者:そ○や|そ○や]]というアカウントで活動中。<br />
<br />
=== [[利用者:七星|七星]] ===<br />
荒らしユーザーの1人。2代目[[Monapedia]]の創設者であるが[[チャクウィキ]]を荒らしまくって追放された利用者でもある。このウィキでも他人の利用者ページ([[利用者:Ded|Ded]]の利用者ページ)を勝手に編集して、管理者に無期限ブロックを食らった。が、現在は[[:Category:七星の操り人形だと疑われるユーザー|ソックパペット]]を多数作成し[[利用者:Nanahoshi|Nanahoshi]]のアカウントで[[Ded]]や[[稲村良光]]への誹謗中傷を行っている。2代目Monopediaの創設者がそんなことしているなんてみっともない。[[利用者:丁嵐|丁嵐]]と同一人物の可能性がある。<br />
<br />
<br />
=== [[利用者:何か|何か]] ===<br />
[[ブサヨ御三家]]の1人。{{User2|Fromm}}や{{User2|Nodakenta}}と共謀しユアペディア上で反日活動を行う。[[fromm_(荒らし)|Fromm]]や[[nodakenta|Nodakenta]]同様[[体罰]]に反対し[[日本]]の弱体化を狙っている[[ブサヨ]]。<br />
<br />
=== [[利用者:福島を地震と放射能でつぶす会|福島を地震と放射能でつぶす会]] ===<br />
[[福島県]]のことを中傷するDQN。<br />
<br />
=== [[利用者:藤原朝臣二川藤太郎光綱|藤原朝臣二川藤太郎光綱]] ===<br />
「Si-take.殿」に、[[ウィキペディア]]から一時期追放された人物である。2010年5月27日に、「[[日本帝國ユアペディア]]」を「命名」した。2010年[[7月19日]]に、「インターネット・ホットラインセンター」と「悪徳商法?マニアックス」に「[[日本帝國ユアペディア]]」の「修理申請書」を「送付」した。2010年[[8月5日]]に、「[[日本帝國ユアペディア]]」の「パクリサイト」の「日本帝國電磁通信百科事典」を「編成」した。2010年8月12日に、「日本帝國電磁通信百科事典」の「管理者」に「wiki:利用者:Hosiryuhosi」を「任命」した。また、[[2ちゃんねる]]でのウィキペディアスレでも有名人である。<br />
<br />
=== [[利用者:松葉裕子|松葉裕子]] ===<br />
保有アカウントは、<br />
* [[利用者:このコミュニケーション能力じゃ郵便局で働けるとは思えない|このコミュニケーション能力じゃ郵便局で働けるとは思えない]]<br />
* [[利用者:Ugly Person|Ugly Person]]<br />
* [[利用者:麻原彰晃|麻原彰晃]]<br />
* [[利用者:エクレロ様最強|エクレロ様最強]]<br />
* [[利用者:松葉裕子にチンポをフェラチオされて喜ぶ野田憲太郎|松葉裕子にチンポをフェラチオされて喜ぶ野田憲太郎]]<br />
* [[利用者:マルヤ死ね|マルヤ死ね]]<br />
* [[利用者:ウーソキカスラの絵はやっぱり幼稚園で書くべきだと思うが|ウーソキカスラの絵はやっぱり幼稚園で書くべきだと思うが]]<br />
* [[利用者:野田バター憲太郎は福井利器とホモセックスをしている|野田バター憲太郎は福井利器とホモセックスをしている]]<br />
* [[利用者:防入|防入]]<br />
* [[利用者:ウーソキカス|ウーソキカス]]<br />
* [[利用者:負け犬・野田犬太郎|負け犬・野田犬太郎]]<br />
* [[利用者:ウーソキカスラ|ウーソキカスラ]]<br />
* [[利用者:ウーソキカスラ絵はガチ|ウーソキカスラ絵はガチ]]<br />
* [[利用者:ウソマラ万歳|ウソマラ万歳]]<br />
* [[利用者:防入|防入]]<br />
* [[利用者:防人撲滅委員会|防人撲滅委員会]]<br />
* {{User2|ニートキカスラ}}<br />
* {{User2|野田マスラ}}<br />
* {{User2|User112}}<br />
* {{User2|エクレロ様最強}}<br />
* {{User2|負け犬・野田犬太郎}}<br />
* {{User2|岡部健}}<br />
* {{User2|Fromm撲滅委員会}}<br />
* {{User2|あんですたろう}}<br />
* {{User2|あんだあすろう撲滅委員会}}<br />
* {{User2|みんなで使おう公開アカウント}}<br />
* {{User2|Ugly person 001.}}<br />
<br />
などなど保有アカウントは恐らくyourpedia最多の[[埼玉県]]民と思われてきたが、同じく埼玉県民の泊優稀が追い上げてきている。<br />
<br />
編集ジャンルは、昔の[[AV女優]]、キノコ類、星座などの天体。Frommが大量に画像を投稿するのを真似て、AV女優画像を大量にアップするようになった。Frommが作成した項目、カテゴリに積極的に絡もうとするが、Frommは全く相手にしていなかった。<br />
<br />
ウーソキマスラ関連の利用者サブページを大量に作成するのも特徴。<br />
<br />
ブロガーの[[萱野茂]]と、素人イラストレーターの[[ウーソキマスラ]](エレクロ孫法師)を憎んでいる。最近は[[萌えコン]]などの悪徳[[メイドカフェ]]のネガキャンに勤しむ。<br />
<br />
編集合戦の記事を「編集合戦が見苦しいため」などというコメントで移動させる習性があるが、それが更に同一記事を増殖させていることには気付かない。また自分が作った記事を編集されると取消をかけるが、それは編集合戦とは思っていない。<br />
<br />
同じ内容を大量のサブページでコピペするウザさを複数の利用者から指摘されるも、「Frommよりは良識がある、Frommの画像とは違う!!」などと頭の悪い回答を繰り返したため、とうとうFrommがあきれ果てて自分が作ったカテゴリから松葉が作成した記事を外していった。<br />
<br />
すると松葉はそれに逆上し、[[利用者:Fromm撲滅委員会|Fromm撲滅委員会]]というアカウントや[[fromm (荒らし)]]という項目を作った。松葉の中での「荒らし」とは、「自分を好いてくれない者」という意味であり、一般人が考える「荒らし」とは大きく異なることが分かる。<br />
<br />
また、他の利用者は注意されないのに自分だけが注意されることを「治外法権」と言っているが、自分自身の行動に原因があるとは露とも考えが及ばない。<br />
<br />
=== [[利用者:夢見る達者|夢見る達者]] ===<br />
泊優稀のソックパペット。ユアペディア史上最悪の荒らしである。<br />
<br />
=== [[利用者:海獺|海獺]] ===<br />
ウィキペディアの[[海獺 (利用者)|海獺]]とは別人であり、このアカウントの所持者は[[藤森京介]]。[[利用者:海獺(らっこ)|海獺(らっこ)]]も存在するが同じで両方とも追放済み。<br />
<br />
== 複数のYourpediaの利用者のグループ ==<br />
=== YOURPE五人衆 ===<br />
Bellcricket、Porinshi、Nоda,Kentaro、79.233.142,157、マットリー<br />
<br />
'''打倒!!!!![[野田憲太郎]]'''に血道を上げ、編集合戦も行うメンバーたち。Bellcricketはwiki:User:Bellcricket(WP管理者)とは別人。[[コピペディア]]にも出没する。<br />
<br />
=== おかやまりゅうせい関連ユーザー ===<br />
本名・[[古川竜聖]]。[[岡山県]][[岡山市]]在住。かなりのDQNであり、複数のwikiで荒らしている。ユアペディアでは、スパイ撲滅委員会や池田製麺というアカウントを用いて、中傷記事を大量作成していた。もちろん、喧嘩に発展することが多い。詳細は[[おかやまりゅうせい]]を参照。<br />
<br />
=== 稲村良光関連ユーザー ===<br />
[[画像:0113985682.jpg|right|150px|thumb|稲村良光の画像]]<br />
本名・[[稲村良光]]。自称・ミュージシャン。超熱狂的[[岡田有希子]]ファンで、ハッキリ言えば頭のおかしな変態性欲者の岡田有希子ファンである。ウィキペディアでは[[wiki:利用者:Gordon S|Gordon S]]名乗っているが、現在は[[wiki:利用者:Checkthere|Checkthere]]で活動している(ウィキブレイク宣言の数日前にこっそりと捏造、しかし現在はブロック中)。図に乗ってただ今一斉大暴れ中の困った痴れ者である。詳しくは[[稲村良光]]と[[岡田虫]]を参照せよ。<br />
<br />
=== 藤森京介関連ユーザー ===<br />
本名・[[藤森京介]]。[[神奈川県]][[横浜市]]出身。[[荒らし大王の一覧|ユアペディアの荒らし王]]である。過去はネッツというアカウントで活動していて結構良識なユーザーであったが最近はブロックの恨みの悪化などでソックパペット大量作成、丁嵐やLoniceraにおいて誹謗中傷の記事を多数作成したりしなかったりしている。詳細は[[藤森京介]]を参照。<br />
<br />
[[2008年]]1月、ユアペディアから追放された。<br />
<br />
=== 粗暴な投稿者(Chakuwikiでの呼称) ===<br />
Chakuwikiでまともな事を書いているのに気違い管理者に逆恨みされブロックされるが実際の書いている事は的を射ている事が多くこれは単なる気違いの悪趣味で幼稚な悪戯と思って本人は気にしていないのが現状でこちら(YP)では全員がエリートの為、上手くやっている。<br />
<br />
== IPユーザー ==<br />
[[ユアペディアのIPユーザー]]を参照<br />
<br />
{{利用者}}<br />
[[Category:ユアペディア]]<br />
[[Category:利用者]]</div>
ウマスラ
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=fromm_(%E8%8D%92%E3%82%89%E3%81%97)&diff=230231
fromm (荒らし)
2014-06-01T17:33:41Z
<p>ウマスラ: </p>
<hr />
<div>{{先編集権主張|Fromm撲滅委員会}}<br />
[[Image:ネトウヨ連呼在日1.jpg|350px|thumb|デモに参加して叫んでいるFromm]]<br />
[[Image:ネトウヨ連呼在日2.jpg|350px|thumb|デモに参加して絶叫しているFromm]]<br />
[[Image:ネトウヨ連呼在日3.jpg|350px|thumb|警察の後ろにいる男がFromm]]<br />
[[Image:在日朝鮮人1.jpg|400px|thumb|Frommが参加しているデモ]]<br />
[[Image:在日朝鮮人2.jpg|400px|thumb|Frommが参加しているデモ]]<br />
[[Image:在日朝鮮人6.png|500px|thumb|mixiで頑張るFromm]]<br />
[[Image:秘密保護法案1.jpg|300px|thumb|大宮清水園でシットインで車を包囲するFromm]]<br />
[[Image:秘密保護法案2.jpg|300px|thumb|バスの両側ではさまっているFromm]]<br />
[[Image:秘密保護法案3.jpg|300px|thumb|バスの下に入ったFromm]]<br />
[[Image:秘密保護法案4.jpg|300px|thumb|送迎バスの前に座り込むFromm]]<br />
[[Image:日本軍慰安婦問題解決全国行動.jpg|350px|thumb|女装したFromm]]<br />
'''Fromm'''(ふろーむ、ふろむむ、ふろむえむ)とは、当サイト[[Yourpedia]]の長期荒らしである。<br />
<br />
== 人物紹介 ==<br />
関西在住。[[ウィキペディア日本語版の利用者]]・[[wiki:利用者:Fromm|fromm]]と同名だが、おそらく別人だろうと考えられている。しかし[[2ちゃんねる]]ではユアペディアの{{User2|Fromm}}は[[fromm (利用者)|ウィキペディアのfromm]]と同一人物というレスもある。恐らくウィキペディアの{{WPuser|Fromm}}も問題ユーザーであることからそのような意見が出ていると考えられる。だがユアペディアのfrommはウィキペディアのfrommを上回る悪質ユーザーである。<br />
<br />
== 編集傾向 ==<br />
一言で言えば'''ユアペディアの独裁ユーザー'''。その異常なまでの独裁ぶりから、管理者と同等に扱われており陰険さ・悪質さを持つ編集者として悪名高い。<br />
<br />
まず[[:Category:画像が多い記事]]はfrommが画像を多くアップロードしその画像をfromm自身の手によって掲載した記事にしか貼ることが出来ない。fromm以外の人物が画像を多くアップロードしてその画像を掲載して[[:Category:画像が多い記事]]を貼っても[[:Category:画像が非常に多い記事]]に貼り替えられる。以前は重複記事でもない限りカテゴリの貼り替えはなかったが、最近は'''frommの気に入らない記事は[[:Category:画像が多い記事]]から[[:Category:画像が非常に多い記事]]に貼り替えられる'''。今では[[:Category:画像が多い記事]]は'''fromm以外の利用者は使用することが出来ないカテゴリ'''と化している。<br />
<br />
その一方でfrommが作成し画像を多数アップロードしても[[:Category:画像が多い記事]]が貼られていない記事に[[:Category:画像が非常に多い記事]]を貼っても除去される。まさに'''幼稚園児並みの知的水準'''である。<br />
<br />
さらにfrommは{{User2|Sysop}}以外の利用者(管理者も含む)に意見・質問されたり注意・警告されても一切無視している。'''他人の話に耳を傾けないfrommの卑劣さが露呈している'''といえる。<br />
<br />
またfrommは'''児童ポルノの恐れがある画像を多数アップロード'''している。単に女性のヌード写真をアップロードしているユーザーとしては他にも{{User2|松葉裕子}}や{{User2|ウーソキカス}}、{{User2|このコミュニケーション能力じゃ郵便局で働けるとは思えない}}や{{User2|Ugly Person}}等がいるが、少なくともfromm以外の人物は児童ポルノのような法律違反の画像だけはアップロードしてはいけないという最小限の常識は持ち合わせている。その'''常識すら欠けているのがfromm'''である。<br />
<br />
frommは[[左翼]]or[[サヨク]]の人物・団体の記事を作成しそこで左翼及びサヨクを叩いているため一見[[ネット右翼]]に見えるが、[[大阪市立桜宮高等学校]]の項目ではバスケットボール部キャプテンを務めていた自殺した[[ブサヨ]]の2年男子生徒を擁護し、ブサヨ生徒に体罰を与えた憂国の教師・[[小村基]]を誹謗中傷し罵倒している。右翼を気取っていながら体罰に反対する等頭の悪い編集を繰り返したため良識派の利用者からは呆れられている。自分が作った記事を編集されると取消をかけるがそれは編集合戦とは思っていない。著作権を無視し画像を大量にアップロードしているユアペディアで最低最悪のユーザーである。Frommの中での「荒らし」とは「自分を好いてくれない者」という意味であり一般人が考える「荒らし」とは大きく異なることが分かる。真の愛国者・小村基に対し個人攻撃をしているため今や左右両派から嫌われているFrommだが、自分自身の行動に原因があるとは露とも考えが及ばない。<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
* [[利用者:Fromm|frommの利用者ページ]]<br />
* [[利用者・トーク:Fromm|frommのトークページ]]<br />
<br />
{{ブサヨ御三家}}<br />
{{DEFAULTSORT:ふろむ}}<br />
[[Category:Fromm|*]]<br />
[[Category:ブサヨ御三家]]<br />
[[Category:日本の左翼]]<br />
[[Category:ネット左翼]]<br />
[[Category:ガキ]]<br />
[[Category:キチガイ]]<br />
[[Category:蛆虫]]<br />
[[Category:泊優稀]]<br />
[[Category:在日コリアン]]<br />
[[Category:創価学会]]<br />
[[Category:死ね]]<br />
[[Category:ソックパペッター]]<br />
[[Category:利用者]]<br />
[[Category:ユアペディア]]<br />
[[Category:ユアペディアン]]<br />
[[Category:ウィキペディア]]<br />
[[Category:ウィキペディアン]]<br />
[[Category:2ちゃんねらー]]<br />
[[Category:ネット中毒者]]<br />
[[Category:荒らし]]<br />
[[Category:長期荒らしメンバー]]<br />
[[Category:インターネットの人物]]<br />
[[Category:インターネット依存症の人物]]<br />
[[Category:ネット弁慶]]<br />
[[Category:反日主義]]<br />
[[Category:偽善者]]<br />
[[Category:悪の組織デビルシャドウ]]<br />
[[Category:JCN関東のユーザー]]<br />
[[Category:狂人]]<br />
[[Category:発達障害の人物]]<br />
[[Category:アスペルガー障害の人物]]<br />
[[Category:中二病]]<br />
[[Category:精神障害の人物]]<br />
[[Category:躁病の人物]]<br />
[[Category:偏執狂の人物]]<br />
[[Category:依存症の人物]]<br />
[[Category:人格障害の人物]]<br />
[[Category:解離性統一障害の人物]]<br />
[[Category:統合失調症の人物]]<br />
[[Category:虚言癖を持つ人物]]<br />
[[Category:精神障害者福祉手帳を持つ人物]]<br />
[[Category:自己顕示欲の強い人物]]<br />
[[Category:社会復帰途上の人物]]<br />
[[Category:引籠もりの人物]]<br />
[[Category:対話不能者]]<br />
[[Category:引きこもり]]<br />
[[Category:自宅警備員]]<br />
[[Category:無職]]<br />
[[Category:ニート]]<br />
[[Category:誹謗中傷マニア]]<br />
[[Category:個人攻撃マニア]]<br />
[[Category:幸福の科学]]<br />
[[Category:オウム真理教]]<br />
[[Category:顕正会]]<br />
[[Category:バカ]]<br />
[[Category:前科者]]<br />
[[Category:犯罪予備軍]]<br />
[[Category:職業訓練を本気で受けるべき人物]]<br />
[[Category:星椎水精に浄霊をしてもらうべき人物]]<br />
[[Category:日本共産党]]<br />
[[Category:民主党]]<br />
[[Category:日本教職員組合]]<br />
[[Category:政治的左翼]]<br />
[[Category:辻井伸行の爪の垢を飲ませたい人物]]<br />
[[Category:無期限ブロックを受けたユーザー]]<br />
[[Category:ヒール]]<br />
[[Category:悪魔]]<br />
[[Category:鬼畜]]<br />
[[Category:粘着]]<br />
[[Category:編集合戦マニア]]<br />
[[Category:偏執狂の人物]]<br />
[[Category:長谷川穂積に一遍どつき回された方がいい人物]]<br />
[[Category:島田紳助に本当に潰されるべき人物]]<br />
[[Category:大藪順子と接する資格の無い人物]]<br />
[[Category:小林美佳と接する資格の無い人物]]<br />
[[Category:戸塚宏に扱いてもらうべき人物]]<br />
[[Category:チンカス]]<br />
[[Category:売国奴]]<br />
[[Category:役立たず]]<br />
[[Category:公害]]<br />
[[Category:死刑囚候補]]<br />
[[Category:犯罪者]]<br />
[[Category:先編集権を侵害されている記事]]</div>
ウマスラ
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=nodakenta&diff=230230
nodakenta
2014-06-01T17:32:23Z
<p>ウマスラ: </p>
<hr />
<div>{{先編集権主張|ウマスラ}}<br />
[[Image:ネトウヨ連呼在日1.jpg|350px|thumb|デモに参加して叫んでいるNodakenta]]<br />
[[Image:ネトウヨ連呼在日2.jpg|350px|thumb|デモに参加して絶叫しているNodakenta]]<br />
[[Image:ネトウヨ連呼在日3.jpg|350px|thumb|警察の後ろにいる男がNodakenta]]<br />
[[Image:在日朝鮮人1.jpg|400px|thumb|Nodakentaが参加しているデモ]]<br />
[[Image:在日朝鮮人2.jpg|400px|thumb|Nodakentaが参加しているデモ]]<br />
[[Image:在日朝鮮人6.png|500px|thumb|mixiで頑張るNodakenta]]<br />
[[Image:秘密保護法案1.jpg|300px|thumb|大宮清水園でシットインで車を包囲するNodakenta]]<br />
[[Image:秘密保護法案2.jpg|300px|thumb|バスの両側ではさまっているNodakenta]]<br />
[[Image:秘密保護法案3.jpg|300px|thumb|バスの下に入ったNodakenta]]<br />
[[Image:秘密保護法案4.jpg|300px|thumb|送迎バスの前に座り込むNodakenta]]<br />
[[Image:日本軍慰安婦問題解決全国行動.jpg|350px|thumb|女装したNodakenta]]<br />
'''Nodakenta'''(のだけんた)とは、[[日本]]のユアペディアン。 <br />
<br />
[[日本教職員組合]]の支持者であり、典型的な[[左翼思想]]を刷り込まれている。<br />
<br />
== 憂国のユアペディアン・松葉裕子を罵倒するブサヨ ==<br />
{{User2|Nodakenta}}は[[Yourpedia の利用者]]や[[泊優稀撲滅委員会が考えるYourpediaの利用者]]、[[良心な人が考えるYourpediaの利用者]]において[[松葉裕子 (右翼運動家)|松葉裕子]]への誹謗中傷・罵倒を執拗に繰り返している。Nodakentaは松葉を“編集合戦の記事を「編集合戦が見苦しいため」などというコメントで移動させる習性があるが、それが更に同一記事を増殖させていることには気付かない。また自分が作った記事を編集されると取消をかけるが、それは編集合戦とは思っていない”や“同じ内容を大量のサブページでコピペするウザさを複数の利用者から指摘されるも、「{{User2|Fromm}}よりは良識がある、Frommの画像とは違う!!」などと頭の悪い回答を繰り返したため、とうとうFrommがあきれ果てて自分が作ったカテゴリから松葉が作成した記事を外していった”、さらに“すると松葉はそれに逆上し、{{User2|Fromm撲滅委員会}}というアカウントや[[fromm (荒らし)]]という項目を作った。松葉の中での「荒らし」とは、「自分を好いてくれない者」という意味であり、一般人が考える「荒らし」とは大きく異なることが分かる”や“また、他の利用者は注意されないのに自分だけが注意されることを「治外法権」と言っているが、自分自身の行動に原因があるとは露とも考えが及ばない。”と個人攻撃をしている。だがNodakentaの松葉への個人攻撃はNodakentaが自らの事を[[ブサヨ]]であると認めているようなものである。<br />
<br />
{{User2|松葉裕子}}や松葉の支持者である{{User2|ウソマラ万歳}}や{{User2|ウマスラ}}への罵倒を執拗に繰り返してきた団体が日教組([[民主党 (日本 1998-)|民主党]]・[[社会民主党 (日本 1996-)|社会民主党]]系)や全教([[日本共産党]]系)であるが、Nodakentaもまた熱心な日教組の支持者として知られている。Nodakentaは[[中華人民共和国]]・[[朝鮮民主主義人民共和国]]・[[大韓民国]]の意向を受け、松葉・ウソマラ万歳・ウマスラの3人を誹謗中傷し日本の弱体化を目論んでいる。そのため同じくブサヨのユアペディアンである{{User2|Fromm}}や{{User2|何か}}とともに[[ブサヨ御三家]]として活動し、保守派のユアペディアンである松葉を無期限ブロックに追い込んだ。またNodakentaはFrommや[[何か]]同様革命的祖国敗北主義の立場に立った活動を行っている。<br />
<br />
Nodakentaを相手にする前に「糠(ぬか)に釘」「豆腐に鎹(かすがい)」「暖簾(のれん)に腕押し」という言葉を覚えておかなくてはならない。<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
* [[日教組]]<br />
* [[洗脳]]<br />
* [[マインドコントロール]]<br />
* [[撫順戦犯管理所]]<br />
* [[自虐史観]]<br />
* [[プロ市民]]<br />
* [[ネット左翼]]<br />
* [[新左翼 (日本)]]<br />
<br />
{{ブサヨ御三家}}<br />
{{デフォルトソート:のたけんた}}<br />
[[Category:日本教職員組合]]<br />
[[Category:ユアペディアン]]<br />
[[Category:ユアペディアの利用者]]<br />
[[Category:日本の左翼]]<br />
[[Category:ネット左翼]]<br />
[[Category:ブサヨ御三家]]<br />
[[Category:バカ]]<br />
[[Category:キチガイ]]<br />
[[Category:死ね]]<br />
[[Category:蛆虫]]<br />
[[Category:チンカス]]<br />
[[Category:反日主義]]</div>
ウマスラ
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E4%BD%95%E3%81%8B&diff=230229
何か
2014-06-01T17:31:11Z
<p>ウマスラ: </p>
<hr />
<div>{{先編集権主張|ウソマラ万歳}}<br />
[[Image:ネトウヨ連呼在日1.jpg|350px|thumb|デモに参加して叫んでいる何か]]<br />
[[Image:ネトウヨ連呼在日2.jpg|350px|thumb|デモに参加して絶叫している何か]]<br />
[[Image:ネトウヨ連呼在日3.jpg|350px|thumb|警察の後ろにいる男が何か]]<br />
[[Image:在日朝鮮人1.jpg|400px|thumb|何かが参加しているデモ]]<br />
[[Image:在日朝鮮人2.jpg|400px|thumb|何かが参加しているデモ]]<br />
[[Image:在日朝鮮人6.png|500px|thumb|mixiで頑張る何か]]<br />
[[Image:秘密保護法案1.jpg|300px|thumb|大宮清水園でシットインで車を包囲する何か]]<br />
[[Image:秘密保護法案2.jpg|300px|thumb|バスの両側ではさまっている何か]]<br />
[[Image:秘密保護法案3.jpg|300px|thumb|バスの下に入った何か]]<br />
[[Image:秘密保護法案4.jpg|300px|thumb|送迎バスの前に座り込む何か]]<br />
[[Image:日本軍慰安婦問題解決全国行動.jpg|350px|thumb|女装した何か]]<br />
'''何か'''(なにか)とは、[[日本]]のユアペディアン。 <br />
<br />
[[日本教職員組合]]の支持者であり、典型的な[[左翼思想]]を刷り込まれている。<br />
<br />
== 体罰に反対するブサヨ ==<br />
[[体罰]]は進歩を目的とした有形力の行使であり教育である。それは、礼儀作法を身につけさせるための躾や、技芸、武術、学問を向上させて心身を鍛錬することなどと同様に、教育上の進歩を実現するにおいて必要不可欠なものなのである。一方、あたりまえのこととして、暴力は許されない。自己の利益、不満解消(鬱憤晴らし)、虐待を目的として人(弱者)に対して有形力の行使をして傷つける行為は、家庭内であれ、学校内であれ、社会内であれ決して許されない。それは、その人間の考えの間違い、心の弱さ、過度の精神的な疲労(人間力の劣化)などが原因となっている。このような進歩を目的としない「暴力」と、進歩を目的とする「体罰」とは根本的に異なるものである。体罰を禁止して児童・生徒を甘やかすと腑抜けな大人となり日本が弱体化することになる。真の愛国者・保守主義者なら体罰に賛成しなくてはいけない。ところが[[特定アジア]]の情報戦略に組み込まれて体罰を暴力と同一視し、体罰に反対するサヨクが日本には多い。そのような[[ブサヨ]]の代表格が{{User2|何か}}である。<br />
<br />
日本で最も体罰に反対してきた団体が日教組([[民主党 (日本 1998-)|民主党]]・[[社会民主党 (日本 1996-)|社会民主党]]系)や全教([[日本共産党]]系)であるが、何かもまた熱心な日教組の支持者として知られている。何かは[[中華人民共和国]]・[[朝鮮民主主義人民共和国]]・[[大韓民国]]の意向を受け、体罰に反対し日本の弱体化を目論んでいる。そのため同じくブサヨのユアペディアンである{{User2|Fromm}}や{{User2|Nodakenta}}とともに[[ブサヨ御三家]]として活動し、保守派のフリースクールとして名高い[[戸塚ヨットスクール]]や真の愛国者・保守主義者として知られる[[戸塚宏]]や[[小村基]]に対し言われ無き誹謗中傷や罵倒を繰り返し、保守派のユアペディアンである{{User2|松葉裕子}}を無期限ブロックに追い込んだ。同じく保守派のユアペディアンである{{User2|ウソマラ万歳}}に対しても「大ボケユーザー」と罵る等、革命的祖国敗北主義の立場に立った活動を行っている。また戸塚や小村に対する罵倒を繰り返しながら戸塚や小村と同類である[[アドルフ・ヒトラー]]や[[本村洋]]を批判しない等のダブルスタンダードに基づく行動を行っている。<br />
<br />
何かを相手にする前に「糠(ぬか)に釘」「豆腐に鎹(かすがい)」「暖簾(のれん)に腕押し」という言葉を覚えておかなくてはならない。<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
* [[日教組]]<br />
* [[洗脳]]<br />
* [[マインドコントロール]]<br />
* [[撫順戦犯管理所]]<br />
* [[自虐史観]]<br />
* [[プロ市民]]<br />
* [[ネット左翼]]<br />
* [[新左翼 (日本)]]<br />
<br />
{{ブサヨ御三家}}<br />
{{デフォルトソート:なにか}}<br />
[[Category:日本教職員組合]]<br />
[[Category:ユアペディアン]]<br />
[[Category:ユアペディアの利用者]]<br />
[[Category:日本の左翼]]<br />
[[Category:ネット左翼]]<br />
[[Category:ブサヨ御三家]]<br />
[[Category:バカ]]<br />
[[Category:キチガイ]]<br />
[[Category:死ね]]<br />
[[Category:蛆虫]]<br />
[[Category:チンカス]]<br />
[[Category:反日主義]]</div>
ウマスラ
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85:%E3%82%A6%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%83%A9/%E4%BD%9C%E6%88%90%E3%81%97%E3%81%9F%E8%A8%98%E4%BA%8B&diff=230217
利用者:ウマスラ/作成した記事
2014-06-01T14:27:02Z
<p>ウマスラ: /* 作成した記事 */</p>
<hr />
<div>このページは[[利用者:ウマスラ|ウマスラ]]の利用者ページのサブページです。<br />
<br />
== このページのサブページ ==<br />
* [[利用者:ウマスラ/作成した記事/地声]]<br />
<br />
== 作成した記事 ==<br />
* [[ズデーテン・ドイツ人党]]<br />
* [[ドイツ国家社会主義労働者党]]<br />
* [[ヒトラー暗殺計画]]<br />
* [[ヒトラー女性化計画]]<br />
* [[本村洋]]<br />
* [[nodakenta]]</div>
ウマスラ
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=Yourpedia%E3%81%AE%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85&diff=230216
Yourpediaの利用者
2014-06-01T14:25:59Z
<p>ウマスラ: /* Nodakenta */</p>
<hr />
<div>'''Yourpedia帝国の人民'''(ユアペディアていこくのじんみん)とは[[Yourpedia|ユアペディア帝国]](YP)の国民のことである。<br />
<br />
== 数字やアルファベットから始まるYourpediaの利用者 ==<br />
=== [[利用者:Jrw223fan|223]] ===<br />
手の施しようがないキチガイ。詳しくは[[喜多村英梨 (キチガイ)|喜多村英梨]]を参照されたし。<br />
<br />
=== [[利用者:Abcdefgh|Abcdefgh]] ===<br />
[[ファイル:09085868493.jpg|right|500px|thumb|Abcdefgh似の推定顔面画像]]<br />
[[2010年]][[1月25日]]にユアペディアで新規アカウントを取得し、活動を開始。[[2012年]][[1月4日]]にユアペディア管理者に再立候補した際、{{User2|Sysop}}より、「Abcdefghさんは、現在ブロック中のIPアドレス 220.3.134.144を使った編集を過去に行っていますが、Mikomaid氏と同一人物でしょうか」との問いで{{User2|Mikomaid}}と同じ'''{{IPuser2|220.3.134.144}}'''であることを問われ、「確かに私のIPですが、私ではありません。但し、私の家族のPCとLANで共有しており、多分、Mikomaid氏は私の家族の1人と思われます」と曖昧に回答した。{{User2|Sysop}}が「Abcdefghさんはそのことについて知らないということですか」との問いに、「はい、その通りです。{{IPuser2|220.3.134.144}}が同じなので薄々感じてはおりました。只、この問題に関しては、家族間でも触れないことにしております」と自身でも家族の誰だか判らないと回答した。{{User2|Abcdefgh}}の自己紹介では「いわゆるウィキペディア自警団・要出典厨との争いに辟易し、もっと自由な編集が出来る所を求めて、ここに辿り着きました」とのことで、{{User2|Mikomaid}}同様、ウィキペディアから追放された人物であることを示唆している。そもそも家族間でも管理ができない人物にユアペディアの管理能力があるのか問われる所以であり、事実、英語spamが吹き荒れた2012年6月以降は他の外部管理者、[[利用者:防人|防人]]に任せ切りで管理者業務を意図的に放置していた。<br />
<br />
2012年1月中旬、突如、ユアペディアが全てのIPを「10.0.0.1」から始まるプライベートIPアドレスのレンジと誤認するようにシステムを改変。以後3月末まで全ての匿名ユーザが編集出来ないようにするという暴挙に出た。<br />
<br />
=== [[利用者:Antoniem an|Antoniem an]] ===<br />
嫌いな有名人の名前を[[クソジジイの一覧]]と[[クソババアの一覧]]に書くことが趣味。ちなみに好きな芸能人は[[大島優子]]らしい。<br />
<br />
=== [[利用者:Ariyu|Ariyu]] ===<br />
[[秋葉原通り魔事件]]の被害者を誹謗中傷するテーを立て、Yourpediaが外部で「中傷ばかりで役立つ情報は皆無」だなんて言われるもとを作ったYourpediaの面汚し。<br />
<br />
=== [[利用者:AYAHIRANO|AYAHIRANO]] ===<br />
自民党の政治家には厳しく、民主党には甘い。[[平野綾]]を誹謗中傷する。長期間に亙って穏健に編集されてきた『[[クイズ!ヘキサゴンII]]』を荒らされた訳でもないのに自分の利用者のサブページに移動し編集を妨害した(その後、IPユーザーに戻され加筆が再開された)。<br />
<br />
=== [[利用者:Beyond|Beyond]] ===<br />
Yourpedia唯一の[[管狸者|管理者]]([[コピペディア]]では1名だけ外部の管理者を入れてる)。本名は[[吉本敏洋]]。[[悪徳商法?マニアックス]]の管理者。ユアペディアを荒らす[[オウム真理教]]の[[野田憲太郎|サマナ]]と在家信徒に対し毅然とした態度で対応していたが2008年8月以降は'''自分のプライバシーが暴露された時'''以外は全くといって良いほど放置しており、不誠実なダブルスタンダードである。薬物疑惑もあり?<br />
<br />
ウィキペディアでは多重アカウントで活動している疑いがある。<br />
<br />
=== [[利用者:Ded|Ded]] ===<br />
チャクウィキを追放された利用者。現在、[[ユアペディア]]に貢献している。なお、「本人は[[利用者:七星|七星]]と名乗っているが別人である。」と[[藤森京介 (七星)|七星]]が言っているが嘘である。<br />
<br />
=== [[利用者:Dr jimmy|Dr jimmy]] ===<br />
[[ウィキペディア日本語版]]にもアカウントを所有しているユアペディアン。[[利用者:佐高信|佐高信]]と同一人物といわれるが、残りの2つのアカウントのうち1つがそうらしい。さらに1つ残ったアカウントが[[ウィキペディア日本語版]]における[[wiki:利用者:Dr jimmy|アカウント]]と同一人物と考えられている。<br />
<br />
=== [[利用者:Fromm|Fromm]] ===<br />
[[ブサヨ御三家]]の1人。{{User2|Nodakenta}}や{{User2|何か}}と共謀しユアペディア上で反日活動を行う。[[nodakenta|Nodakenta]]や[[何か]]同様[[体罰]]に反対し[[日本]]の弱体化を狙っている[[ブサヨ]]。関西在住。政治家・暴力団・事件・芸能人関係が中心。項目を大量コピペし、有名人の写真(特に政治家・女性タレント)や児童ポルノ画像も著作権・パブリシティ権を無視して多数アップする。コピペしか出来ないと揶揄されている。一見[[ネット右翼]]に見えるが、[[大阪市立桜宮高等学校]]の項目では、バスケットボール部キャプテンを務めていた自殺した[[ブサヨ]]の2年男子生徒を擁護し、ブサヨ生徒に体罰を与えた憂国の教師・[[小村基]]を誹謗中傷し罵倒している。右翼を気取っていながら体罰に反対する等頭の悪い編集を繰り返したため[[松葉裕子]]をはじめとする良識派利用者があきれ果てている。自分が作った記事を編集されると取消をかけるが、それは編集合戦とは思っていない。他人の意見を一切無視しているユアペディアで最低最悪のユーザーである。Frommの中での「荒らし」とは、「自分を好いてくれない者」という意味であり、一般人が考える「荒らし」とは大きく異なることが分かる。真の愛国者・小村基に対し個人攻撃をしているため今や左右両派から嫌われているFrommだが、自分自身の行動に原因があるとは露とも考えが及ばない。<br />
<br />
=== [[利用者:FXST|FXST]] ===<br />
[[利用者:岡部健|岡部健]]、[[利用者:kenokabe|kenokabe]]を参照のこと。<br />
<br />
=== [[利用者:JFJK|JFJK]] ===<br />
精神病ユーザー。ガキ。ウィキホリック。<br />
<br />
===[[利用者:kenokabe|kenokabe]] ===<br />
[[1971年]][[9月22日]]自称、兵庫県在住の敏腕FXシステムトレーダー。ユアペディアでは[[岡部健]]、[[FXST]]の記事の削除を繰り返し、執筆者を兵庫県県警に刑事告訴して捜査中と称しているが、警察では名誉毀損で告訴する場合は被疑者不詳では原則、告訴状は受理しないことから、「捜査中」との記述は虚偽の可能性がある。また、民訴すると主張するものの、プロバイダー責任法による投稿者の照会をユアペディア管理者にも法律の手続きに則った照会を行っていないことで、法曹関係者の助言を受けた様子はない。法律知識の欠如を物語る言動を繰り返していることから、まともな高等教育を受けたことのない人物であることが伺われる。<br />
<br />
=== [[利用者:Kid|Kid]] ===<br />
(「ニンテン島」(任天堂ゲームファンサイト)管理者)を執拗に誹謗中傷する粘着的[[ネットストーカー]]。星のユービィ本人がYPに来て抗議するものの「ユアペディアは中立的ではない」「ユアペディアは自己主張の場ではない」を自分に都合良く解釈し誹謗中傷行為を正当化する。そして、遂に「ニンテン島」を閉鎖に追い込んだ。この他、アンサイクロペディアのユーザーに対する執着も始めた。<br />
<br />
=== [[利用者:Lonicera|Lonicera]] ===<br />
詳しくは[[荘田悦宏]]を参照せよ。なお[[ウィキペディアン]]の[[Lonicera (利用者)|Lonicera]]はアカウント名が同じだがユアペディアンのLoniceraことYukarin=荘田とは別人・・・。<br />
<br />
=== [[利用者:Los688|Los688]] ===<br />
Lonicera同様、ウィキペディアの利用者・Yukarinと同一人物。詳しくは荘田悦宏を参照せよ。なおウィキペディアンの[[Los688]]はアカウント名が同じだがユアペディアンのLos688ことYukarin=荘田とは別人。<br />
<br />
=== [[利用者:Maverick|Maverick]] ===<br />
[[木津尚子]]を参照せよ。法的告訴を検討したそうだが、訴状拒否されたらしい。書き込む時間帯から、木津であることは間違いがない。最近は岩瀬からプログラムをもらって、自動RVできるようになったようだ。そこまでして攻撃したいという変質的な40歳近くのおばさんである。<br />
<br />
最近では、このアカウントを共有化してスクリプトで自動返信するように対策を講じたらしい。人の利用者ページを執拗に荒らしていた。<br />
<br />
=== [[利用者:Mikomaid|Mikomaid]] ===<br />
[[ファイル:09085868493.jpg|right|500px|thumb|Mikomaid 似の加工顔面画像]]<br />
ウィキペディアから無期限投稿ブロック中の人物。[[1967年]][[1月19日]]生まれの[[群馬県]][[wiki:富岡市|富岡市]]富岡在住の中高年男性。[[wiki:富岡市立富岡小学校|富岡市立富岡小学校]]、[[wiki:新島学園中学校・高等学校|新島学園中学校・高等学校]]、[[wiki:長野大学|長野大学]]産業経済学部社会福祉学科OB。<br />
<br />
ネット中毒に侵された妄想癖や虚言癖を持つインターネット依存症でアルコール中毒のウィキホリックである。ウィキペディアではMikomaidのアカウントネームを持ち、そのアカウントで無期限投稿ブロック処分以前には著作権無視、暴言、多重アカウントを駆使した論議攪乱他で、投稿ブロック処分を過去4回の前科があった。ウィキペディアの編集に携わる前の過去には、2ちゃんねるの掲示板荒らし行為の常連で、2ちゃんねるから書き込み禁止処分も下されている。その他、数々のネット掲示板荒らしを行っていたことが判明している。ネットでの言動から発達障害者と疑われ、その障害に起因して深刻な対人関係問題を起こして精神を病み、引き籠もり状態となって、実質、親に生活を依存する妻子あるパラサイトである。自称「会社員」と称する自宅警備員で社会復帰を目指しているとネット上で発言している富岡市立富岡小学校PTA役員、元真如苑信者。富岡市出身の落語家6代目古今亭今輔(本名:水口直樹)の縁者である。2チャネラーからは同性愛者、コスプレイヤー、小児性愛者、ショタコンとも呼ばれている。過去のIPは。{{IPuser2|220.3.132.253}}、{{IPuser2|220.3.134.144}}。なお、{{IPuser2|220.3.134.144}}(softbank220003134144.bbtec.net)は現在も使用され、[[2010年]][[8月19日]]にユアペディアの「[[利用者:みんなで使おう公開アカウント|みんなで使おう公開アカウント]]」を乗っ取り、[[2011年]][[11月5日]]までは[[利用者:Abcdefgh]]のアカウントと共にユアペディアで活動していたが、[[利用者:Sysop]]より編集妨害・誹謗中傷を理由に、{{IPuser2|220.3.134.144}}(softbank220003134144.bbtec.net)は無期限投稿ブロック処分を受けている。<br />
<br />
家業では群馬インターネットを利用。他に [[wiki:利用者:A. J. Kuonji|A. J. Kuonji]](久遠寺 阿知花 寿来)、[[wiki:利用者:YANCHARIKA|YANCHARIKA]]、[[wiki:利用者:Jesudonbay|Jesudonbay]]、[[wiki:利用者:Ohnogo2004|Ohnogo2004]]の別アカウントで活動。mixiでは美鈴さんでtwitterで活動していたが、2012年3月に閉鎖した。<br />
<br />
富岡市役所、富岡市議会、富岡青年会議所、富岡市立富岡小学校PTA、新島学園中学校・高等学校同窓会間では「ある意味」で名前が知られている地元ではそれなりの存在であるだけに、この事実が富岡市民の間に漏れ伝わったことで表裏の差が激しい人物との警戒感が生まれている。<br />
<br />
[[2012年]][[11月17日]]([[土曜日]])、[[利用者・トーク:Sysop]]の[http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF:Sysop&diff=prev&oldid=172501 この書き込み]において、「'''Sysop様に恨みを持ち、削除依頼が通らないのであれば策を弄してでもYPを潰そうと思ってるのは私だけではない'''」や「'''現在、私は、YPの動作を少々重くする為の工作を行っております'''」などと公言し、[[Yourpedia]]及び管理者'''Sysop'''との全面戦争に突入した。[[2013年]][[7月20日]]に[[wiki:FCブログ|FCブログ]]に「[http://yphigai.blog.fc2.com/ Yourpedia被害者の会]」の名称でブログを創設した。<br />
<br />
=== [[利用者:Mumbly|Mumbly]] ===<br />
ユアペディアの編集実績は全くなく、唐突に管理者に立候補して[[2011年]][[8月27日]]に[[利用者:Sysop]]より管理者権限を付与されたユアペディアの初代外部管理者。管理者就任時にビューロクラートの就任の意思も示していた。他のwikiサイトで外部管理者をしていた経験があると自称していたが、その実績は全く不明。外部wikiサイトの管理者が他の管理者を兼業してできるのか、それとも他のwiki管理者を解任されてユアペディアに流れてきたのかも全く不明である。自分の twitter で「'''唯一の働ける管理者'''」と自称し、ユアペディアを「真のごみサイト」、「静粛される記事が多すぎる」、「Yourpediaは酷いサイトですね」と公言し、ユアペディアの管理者としてのウィキペディア化を目指すと外部で発言していた。社会人として最も恥ずべき行為の一つとされる公私混同、職権乱用、信用失墜行為を厭わず、社会経験の乏しさを吐露していたことから、安っぽい正義感を振り回す中学生並の精神年齢ではないかと疑われている。この精神年齢の低さを{{User2|Mikomaid}}に付け込まれ、具体的根拠のない依頼で、管理者としてのユアペディアの基本方針にある手順を踏まずに「[[Mikomaid]]」、「[[大野晋吾]]」(現「[[Mikomaid.]]」、「[[「[[Mikomaid の真実]]」、「[[Mikomid (2)]]」)の削除、白紙保護を行い、主編集者の{{User2|アイザール}}を対話も行わずに、一方的に一年間の投稿ブロック処分と課した。この管理行為について{{User2|Mumbly}}の管理者解任請求が{{User2|大野久美子}}より提訴されたことにより、その後の管理者活動を休止し、「'''唯一の働けない管理者'''」となってしまった。<br />
投稿ブロック処分明け後に{{User2|アイザール}}が投稿ブロック処分理由の情報開示を求めたが、一切の回答を行わず沈黙を守っている。<br />
<br />
IPアドレスが{{IPuser2|121.94.189.161}}であることから就任当時の2011年は和歌山県和歌山市在住の男子中学生とネット上では囁かれていたが、2012年現在は[[wiki:智辯学園和歌山中学校・高等学校|智辯学園和歌山高等学校]]一年生と言われる。Wikiversityやwikibooks等の他のwikiサイトではではこのIPアドレスのままで編集している。 [[wiki:松井一郎|松井一郎]]、[[wiki:橋下徹|橋下とおる]]の編集や朝鮮語、歯学の編集を行っていることから在日朝鮮籍の人物か被差別部落に関係がある歯科医の血縁者であるかのように窺われている。<br />
<br />
=== [[利用者:Nodakenta|Nodakenta]] ===<br />
[[ブサヨ御三家]]の1人。{{User2|Fromm}}や{{User2|何か}}と共謀しユアペディア上で反日活動を行う。[[fromm_(荒らし)|Fromm]]や[[何か]]同様[[体罰]]に反対し[[日本]]の弱体化を狙っている[[ブサヨ]]。{{User2|松葉裕子}}に対して執拗に嫌がらせをする極悪非道なユアペディアン。同じく松葉に対して誹謗中傷する{{User2|泊優稀}}や悪徳管理人・{{User2|防人}}とは盟友関係にある。{{User2|このコミュニケーション能力じゃ郵便局で働けるとは思えない}}、{{User2|Ugly Person}}、{{User2|麻原彰晃}}、{{User2|エクレロ様最強}}、{{User2|松葉裕子にチンポをフェラチオされて喜ぶ野田憲太郎}}、{{User2|マルヤ死ね}}、{{User2|ウーソキカスラの絵はやっぱり幼稚園で書くべきだと思うが}}、{{User2|野田バター憲太郎は福井利器とホモセックスをしている}}、{{User2|泊優稀撲滅委員会}}、{{User2|防入}}、{{User2|ウーソキカス}}、{{User2|負け犬・野田犬太郎}}、{{User2|ウーソキカスラ}}、{{User2|ウーソキカスラ絵はガチ}}、{{User2|ウソマラ万歳}}、{{User2|防人撲滅委員会}}、{{User2|ニートキカスラ}}、{{User2|野田マスラ}}、{{User2|User112}}、{{User2|エクレロ様最強}}、{{User2|負け犬・野田犬太郎}}、{{User2|岡部健}}、{{User2|Fromm撲滅委員会}}、{{User2|あんですたろう}}、{{User2|あんだあすろう撲滅委員会}}、{{User2|みんなで使おう公開アカウント}}、{{User2|Ugly person 001.}}等を[[松葉裕子]]のソックパペットと認定する等即座に露呈する虚偽の行動をしているが、これは管理者を騙す非常に悪質な手口であるといえる。そのくせ{{User2|Nodakenta}}が今までユアペディア上で行ってきた悪質な手口を複数の利用者から指摘されると逆上して松葉の[[Yourpedia:荒らし報告・投稿ブロック・保護依頼|投稿ブロック依頼]]を提出する等頭の悪い行動をし、[[利用者・トーク:Nodakenta|Nodakenta]]とグルになっている防人によって松葉は不当な無期限ブロックを受けてしまった。自分を悪く書かれるとどういう気分になるか痛いほど判る筈だが、自分自身の利用者ページを編集されてもNodakentaの行動により松葉や[[利用者:このコミュニケーション能力じゃ郵便局で働けるとは思えない|このコミュニケーション能力じゃ郵便局で働けるとは思えない]]、[[利用者:Ugly Person|Ugly Person]]、[[麻原彰晃]]、[[利用者:エクレロ様最強|エクレロ様最強]]、[[利用者:松葉裕子にチンポをフェラチオされて喜ぶ野田憲太郎|松葉裕子にチンポをフェラチオされて喜ぶ野田憲太郎]]、[[利用者:マルヤ死ね|マルヤ死ね]]、[[利用者:ウーソキカスラの絵はやっぱり幼稚園で書くべきだと思うが|ウーソキカスラの絵はやっぱり幼稚園で書くべきだと思うが]]、[[利用者:野田バター憲太郎は福井利器とホモセックスをしている|野田バター憲太郎は福井利器とホモセックスをしている]]、[[泊優稀撲滅委員会]]、防入、[[利用者:ウーソキカス|ウーソキカス]]、[[利用者:負け犬・野田犬太郎|負け犬・野田犬太郎]]、[[利用者:ウーソキカスラ|ウーソキカスラ]]、[[利用者:ウーソキカスラ絵はガチ|ウーソキカスラ絵はガチ]]、[[利用者:ウソマラ万歳|ウソマラ万歳]]、防人撲滅委員会、[[利用者:ニートキカスラ|ニートキカスラ]]、[[利用者:野田マスラ|野田マスラ]]、[[利用者:User112|User112]]、[[利用者:エクレロ様最強|エクレロ様最強]]、[[利用者:負け犬・野田犬太郎|負け犬・野田犬太郎]]、[[岡部健]]、[[利用者:Fromm撲滅委員会|Fromm撲滅委員会]]、[[利用者:あんですたろう|あんですたろう]]、[[利用者:あんだあすろう撲滅委員会|あんだあすろう撲滅委員会]]、[[利用者:みんなで使おう公開アカウント|みんなで使おう公開アカウント]]、[[利用者:Ugly person 001.|Ugly person 001.]]が苦痛を感じてるということには露とも考えが及ばない。はっきり言ってNodakentaは発達障害の無能なタリバンである。Nodakentaは[[東日本大震災]]の時に[[津波]]に流されて死ぬべきだった人物である。<br />
<br />
=== [[利用者:Noda,Kentaro|Noda,Kentaro]] ===<br />
[[画像:Nodakentaro.jpg|thumb|150px|野田憲太郎のご尊顔]]<br />
''[[野田憲太郎#ネット上の言動について]]を参照''<br>[[オウム]]が大好きな[[自宅警備員]]。アクティブユーザーに対しオウムと因縁を付けるがオウムを批判されると激怒する、オウム(特に[[松葉裕子]])の[[バター犬]]。<br />
<br />
=== [[利用者:NoMoreMid|NoMoreMid]] ===<br />
Mixiでは、いぬみみめいどと名乗る。御堂岡叩き部隊の1人。いぬみみめいどと同一人物であることをちくられたとたんに逃亡。で、逃げた後にまたやってきて延々と根拠の無いことを書き散らしに来る。恐らくは個人情報を何らかの形で奪われ(恐らくはストーカー容疑)、腹いせでやっているものと思われる。<br />
<br />
=== [[利用者:Shangyuan Zhuo|Shangyuan Zhuo]] ===<br />
悪質荒らしである{{User2|松葉裕子}}のソックパペット。[[ネット左翼]]。<br />
<br />
=== [[利用者:ShunKikuchi219|ShunKikuchi219]] ===<br />
[[大分県]][[佐伯市]]の学生でウィキペディア日本語版から永久追放された利用者である<br />
<br />
=== [[利用者:Tenrikyo|Tenrikyo]] ===<br />
奈良県橿原市山之坊町に在住。OCNユーザー。天理教信者が経営する会社にそれとは知らずに入社し天理教への入信を強制され、それを拒否すると解雇されたことからその会社と天理教への恨みを抱くようになりその旨の記述を繰り返した。天理教@wikiや多数の掲示板・ブログを乱立させる他、各地の掲示板やwikiサイト(宗教と無関係のwikiを含む)にマルチポストし同様の主張を繰り返す。マルチポスト先の2ちゃんねるでは「マル」と呼ばれる。チャクウィキでも活躍。ユアペディアではTenrikyoの名前で活躍する。2009年[[4月9日]]には元の勤務先に侵入して社長の車の鍵穴に接着剤を流し込んだ所を見つかり逮捕されたがその後、釈放され執筆を再開(只、折角(自称)良い会社に再就職したのにこの事件で失職し再々就職のハードルが遥かに高くなった)。最近はYPで他の宗教団体の記述、更に宗教以外にも地理・社会科・音楽関係の項目執筆(特に[[野田憲太郎]]叩き)・サブスタブ未満量産も盛んに行う様になった。只、本人もやり過ぎを感じた様で2010年[[3月25日]]以降は先の天理教@wikiや乱立させた多数の掲示板・ブログを一気に閉鎖した他、YPに書いた内容を過激な部分を削除し穏健な内容や事実確認が可能な内容に変更するようになった。<br />
<br />
=== [[利用者:Te voi gasi|Te voi gasi]] ===<br />
<br />
管理者になりたがっている40過ぎのバイトをやっているおばさん。ライトノベル作品の投稿が多い。<br />
<br />
=== [[利用者:Yard|Yard]] ===<br />
<br />
=== [[利用者:Y.D.Force|Y.D.Force]] ===<br />
他者に対して13回も名誉毀損に該当する編集を行った。本人はこれを認めていない。<br />
<br />
''じゃあこっちも問いましょう。あなた自身は、いかなるサイトに於いてでも一切名誉毀損に該当する投稿は行っていないのでしょうか?もちろん、私以外の方について、です。そもそもWikipediaの利用者があなたをまともに相手にするとは思えませんが。どうしても誹謗中傷の類の記事を書きたかったら、ご自分のHPでやってくださいな。そうすれば運がよければあなたは訴えられることでしょう。--Y.D.Force 2007年7月27日 (金) 05:42 (JST)''<br />
<br />
上記の発言は「名誉毀損に該当する編集を行った」ことは解っているが、認めたくないらしい。そのほかにもいくつもの野田関係の記事をRVしており、ことが大きくなっているのに気づいていない。運よく訴えられる、などというおかしな日本語が特色。調べたら、福井の指令を受けてここにきた松葉裕子だった。懲りてない。<br />
<br />
=== [[利用者:YANCHARIKA|YANCHARIKA]] ===<br />
wikiのYANCHARIKAとは別人と{{User2|Mikomaid}}は主張している。<br />
<br />
=== [[利用者:YUu|YUu]] ===<br />
[[有害サイト]]・[[チャクウィキ]]を追放された天才ユーザー。愛知県が大好き。[[ネット右翼]]。<br />
<br />
[[野駄犬]]の悪戯を一度差し戻ししただけで駄犬に粘着されてしまう。チャクウィキと[[駄犬]]と2chを心の底から憎んでいる。<br />
<br />
ユアぺディアを荒らす者には容赦しない。<br />
<br />
== 仮名から始まるYourpediaの利用者 ==<br />
=== [[利用者:アイサール|アイサール]] ===<br />
[[2010年]][[2月11日]]に突飛、[[Mikomade]]の編集に登場したアカウント。それまでProxy Listに載ってたプロキシIP('''{{IPuser2|201.234.207.178}})'''で Mikomade の編集が行われていたものがそのプロキシIPが国際的に札付きの掲示板荒らしで使われ問題あると指摘された途端にそのIPによる編集が止まり、代わりにアイサールを名乗ったアカウントが登場し、その後のMIkomaid擁護一辺倒の編集を続けている。{{User2|Mikomaid}} 本人がこのアイサール名義で、必死になって自身の反論を行っていることが多くのMikomaid ウオッチャーから見透かされている。既に地元の住民には本人の本性がバレているにもかかわらず必死になって否定を行うことで {{User2|Mikomaid}} ウオッチャーの顰蹙を買い、本人の過去や現在の活動がアイザール精査され[[Mikomaid の真実]]の編集が続く皮肉な結果となった。嘘に嘘を重ねることで余計に本人の本性が表れて客観的な、否定し難い[[Mikomaid の真実]]が確認されることに本人が気付かない不幸がある。{{User2|Mikomaid}} は[[2009年]]5月に{{User2|Mikomaid}} 本人の画像が Yourpedia で晒されたことでYourpedia の編集から撤退に追い込まれ、Wikiaにその編集活動の中心を移した。<br />
<br />
=== [[利用者:アイザール|アイザール]] ===<br />
{{User2|Mikomaid}}のプロファイラー。{{Category:Mikomadeの操り人形だと疑われるユーザー}}ウィキペディア・ユアペディアの[[吉良上野介]]・[[阿部切人]]・'''史上最悪のネットストーカー'''であると{{User2|Mikomaid}}だけが主張している。[[Mikomade]]のYPでの名義(アイザール(WP管理者)とは別人)。[[Mikomaid]]関連の編集のみ1000回以上に亘り執拗に行い315KBにまで肥大化させた。しかも先編集権無視や他人の利用者ページの編集、本項目の'''レイアウト破壊'''&破壊された状態への激烈な執着、さらに「[[エクレロ孫法師|ウーソキマスラ]]は管理者なのか?」という質問を行うなど完全にユアペディアのルールを無視していると{{User2|Mikomaid}}だけが主張している。あらゆる妥協提案を拒否しあらゆる非難・決め付けを厭わず冷酷非道・冷徹に事を進める、ある意味ウィキペディアン・ユアペディアンの鑑。自分から退却しないのであれば、早めの投稿ブロックが望まれると{{User2|Mikomaid}}だけが主張しているのも、暴露された{{User2|Mikomaid}}のプロファイルが事実であったことで{{User2|Mikomaid}}が逆上したことである。<br />
<br />
=== [[利用者:あんだあすろう|あんだあすろう]] ===<br />
<br />
=== [[利用者:ウソマラ万歳|ウソマラ万歳]] ===<br />
{{ネットウヨ}}こいつは人殺し教師の肩を持って悦に浸る大ボケユーザー。 口癖の「猥褻画像ではない芸術としてのヌード写真をアップロード」と言いながらポルノ画像をアップロードするのが趣味の問題ユーザー。<br />
=== [[利用者:ウマスラ|ウマスラ]] === <br />
詳細は[[ウマスラ(ネトウヨ)]]を参照せよ。'''こいつは[[長谷川穂積]]に殴られてもいいレベル'''である。「だからなに?」と片付ける事無かれ主義者。厨二病患者でもある。'''誰か、こいつを病院に連れて行け!'''<br />
<br />
=== [[利用者:おかやまりゅうせい|おかやまりゅうせい]] ===<br />
おかやまりゅうせいが作成したものと思われるが、投稿はしていない。<br />
<br />
=== [[利用者:おかやまりゅうせいの助っ人|おかやまりゅうせいの助っ人]] ===<br />
おかやまりゅうせいのソックパペット。自らパスワードを公開したが、そのパスワードは現在無効である。<br />
<br />
=== [[利用者:おかやまりゅうせい撲滅委員会|おかやまりゅうせい撲滅委員会]] ===<br />
おかやまりゅうせいによる荒らしを対処するために現れた正義の味方。[[内川聖一]]ファンであり、[[福岡ソフトバンクホークス|ホークス]]ファンである。<br />
<br />
=== [[利用者:オレリ|オレリ]] ===<br />
メインページ編集・等・仕切る様になってきた。WP・UCPでは任天堂ゲーム関係が中心。<br />
<br />
=== [[利用者:かぼ|かぼ]] ===<br />
自ら「アンサイクロペディアのキチガイ利用者と同一人物」と名乗る。[[みんなの党]]・[[在日]]・[[金正雲]]・[[特定アジア]]・[[民主党]]・[[チョン]]・[[右翼]]・[[工作員]]・[[東京オリンピック]]等に於いて一般的とは異なる意味や内容を書く。<br />
<br />
=== [[利用者:キャプテン・カタギリ|キャプテン・カタギリ]] ===<br />
[[利用者:ハエ叩き|ハエ叩き]]というソックパペットまで持っている可能性あり。<br />
<br />
=== [[利用者:このアカウントをブロックした管理人は死にます|このアカウントをブロックした管理人は死にます]] ===<br />
[[wiki:滋賀県|滋賀県]][[wiki:大津市|大津市]]在住の女子中学生。1997年生まれ。滋賀県大津市立大津市立南郷中学校3年在籍(2012年現在)。加入プロバイダーは[[wiki:ケイ・オプティコム|ケイ・オプティコム]]。実家の固定IPは{{IPuser2|121.83.189.198}}。父親がIT 関連事業を営み、その関係で早くからネットに勤しみ、小学生の頃より各種のネット掲示板に出没。ハンドルネームは「'''打出O,R'''」、「'''滋賀の神'''」、「'''大津の守護神'''」、「'''Tigerking'''」、「'''バトロイ族'''」、「'''ひらお'''」、「'''あかつ'''」、等を使用していた。ちなみに、「'''ひらお'''」、「'''あかつ'''」は自宅近所の地名から用いたものである。[http://www.its-mo.com/map/addr/125942370_489168560_14/25201121/滋賀県大津市膳所平尾町/ このアカウントをブロックした管理人は死にますの自宅周辺地図]。気性が険しい性格を表す、「'''死ね'''」、「'''殺す'''」を掲示板で連発している。学校では根暗な性格が災いして親しい友人はおらず、仲間はずれの「いじめられっ子」である。孤立した存在の、内向的な典型的なネット弁慶である。肥満した体型から体調を崩すことが多く、生理痛、腰痛をしばしば起こし、母親共々、市内の整体師の世話になっている。関ジャニ8と滋賀県の中学ジュニアユースのサッカーファンで、ネット掲示板にこの{{IPuser2|121.83.189.198}}から書き込みを行っている。父親から譲られたノートパソコンを使用し、そのOSはWindows2000である。<br />
<br />
ユアペディアに書き込みを始める前の[[2012年]][[3月08日]]に、ある掲示板([http://bbs.fumi23.com/show.php?article_id=1219575&bbs_id=122&host_id=bbs&view_type=1&type_id=1&orderSelect=1&page_p=2&showall=true ふみコミュ])で、「'''あこば'''」や「'''あかつ'''」、「'''涛子'''」のハンドルネームを使い、立て続けに以下の書き込みを行っている。「'''私トイレ近くて銭湯とかでもすぐ行きたくなるんですけどこないだ、脱衣所でしてしまいました。かなりしたのでその場に座っていました.もう銭湯なんかいけません'''」、「'''私は高校に言ってるんですけど、私がトイレいってもいいですかってきいたら私クソ我慢(おちゃの飲みすぎで)していたので飛び出してトイレにいこうと思った私廊下で漏らしてしまいました'''」、「'''わたしはある日おしっこががまんできなくてちかくのこうえんのめのまえでパンツのぐまえにもらした・・・'''」。<br />
<br />
人前で公言することが憚られる「'''排泄行為'''」をこのような形で表現するのは、精神的ストレスの発散からである。「'''排泄行為'''」は人の生理的欲求であり、排泄をすることで肉体的、精神的快感を伴い、自身が持つストレスを匿名のネット掲示板で発散させて、その生理的な欲求を精神的欲求に代えた自身の代償手段であるのである。内向的な性格で、人前では思うように発言できず、学校で仲間から苛められても、言い返せず、反撃ができない。ストレスが溜まれば溜まるほど、ネット掲示板では過激な表現で憂さを晴らすことになる。人が忌み嫌う「'''死'''」や「'''殺'''」の文字がネット掲示板に書き込まれるのはそのストレスの象徴に他ならない。両親は娘のネット上の言動には全く気付いている様子はなく、親子の距離が隔たっていることを暗示している。恐らく、娘が学校でいじめの対象となっていることすら気付いていないことだろう。<br />
<br />
ユアペディアでは[[2012年]][[4月18日]]アカウントを作成し、翌[[4月19日]]に自身の利用者ページの編集が最初の編集である。監視社会撲滅を計画してユアペディアで{{User2|Mikomaid}}の擁護を行う編集となる。{{User2|Mikomaid}} 同様、ウィキペディアで多重アカウント利用によるブロック逃れで複数回の投稿ブロック処分歴([http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%89%B9%E5%88%A5:%E6%8A%95%E7%A8%BF%E8%A8%98%E9%8C%B2&offset=&limit=500&tagfilter=&contribs=user&target=121.83.189.198&namespace= 利用者の投稿記録 121.83.189.198])があり、ネット掲示板で暴言を吐きまくり、多重アカウントを駆使して自作自演を第三者から追求され、アクセス禁止処分を受けた体験([http://www20.atwiki.jp/battler/pages/5612.html バトルロイヤルR 同一人物事件])から監視社会の恐ろしさに気付いたことや、実生活では学校で虐められ、孤立した現実の自分と {{User2|Mikomaid}}の境遇が重なり、{{User2|Mikomaid}} に自分自身の姿を見出したことで、誰もが忌み嫌う{{User2|Mikomaid}}の擁護に回ったのである。この掲示板(バトルロイヤルR)では「'''もうはくじょうします!僕は2つの名前を持っていて自宅のPCでtigerkingでそれ以外のPCでバトロイ族でやってました!多数の問題を起こした事を反省します!'''」と、まるで {{User2|Mikomaid}}の劣化コピー版のような告白をしている末恐ろしき女子中学生である。<br />
<br />
[[2012年]][[5月1日]]に他人の利用者ページの編集で1ヶ月の投稿ブロック処分を、{{User2|Sysop}}より下されたが、{{User2|Mikomaid}}の家族と称する外部管理者の{{User2|Abcdefgh}} の必死の擁護により、その処分は当日に解除された。しかし、自身の{{IPuser2|59.190.73.178}}(ケイ・オプティコム)は無期限ブロック処分(アカウント作成のブロック)となった。その1週間後の[[5月7日]]に、{{User2|Sysop}}により自身のアカウントで一週間の投稿ブロック処分を受け、その10日後の[[5月17日]]に再び、Spam投稿を理由に自身のアカウントで2週間の投稿ブロック処分が下された。 この投稿ブロック処分に懲りず、その3ヶ月後にはウィキペディアで3ヶ月の投稿ブロック処分が下されている。<br />
<br />
===[[利用者:このコミュニケーション能力じゃ郵便局で働けるとは思えない|このコミュニケーション能力じゃ郵便局で働けるとは思えない]]===<br />
AV女優のことを下手な芸能人より可愛くて、目の保養になると思っている。<br />
<br />
=== [[利用者:サイト333|サイト333]] ===<br />
[[おかやまりゅうせい]]のソックパペット。<br />
<br />
=== [[利用者:サブマリン2号|サブマリン2号]] ===<br />
<br />
=== [[利用者:スバイ撲滅委員会|スバイ撲滅委員会]] ===<br />
ユアペディアで最も良識で真面目な利用者。類似アカウントが氾濫しているが、彼との関係は皆無である。<br />
<br />
=== [[利用者:スパイ撲滅委員会|スパイ撲滅委員会]] ===<br />
ユアペディアで無期限投稿ブロックとなった利用者。かなりの[[DQN]]なので、Yourpediaのルールを理解できずに、違反を繰り返した。ブロック後に、池田製麺として活動していたが、揖保川の水兵さんさんに正体がバレて逃亡。[[利用者:スバイ撲滅委員会|スバイ撲滅委員会]]の偽物の中でも、最も似ているアカウントである。<br />
<br />
=== [[利用者:ソウ|ソウ]] ===<br />
プロボクサー兼政治家。<br />
<br />
[[ウィキペディア日本語版]]のキチガイに追放された。[[ボクシング]]が大好きで[[性犯罪者]]と[[ウィキペディア]]と[[2ちゃんねる]]と[[日共工作員]]を心から憎んでいる。また、[[稲田朋美]]を愛する[[右翼]]活動家でもある。<br />
<br />
=== [[利用者:たりぼー|たりぼー]] ===<br />
Lonicera及びLos688同様、ウィキペディアの利用者・Yukarinと同一人物。詳しくは荘田悦宏を参照せよ。なおウィキペディアンの[[たりぼー]]はアカウント名が同じだが[[音声おじさん]]の靴下であるためユアペディアンのたりぼーことYukarin=荘田とは別人。<br />
<br />
=== [[利用者:なはかちゼロ|なはかちゼロ]] ===<br />
フレンドボーイ42・ダウンロード33・ホワイトマスク29などたくさんの名前がありそっくパペットをwiki上で保有することもあるが、それは明記されており成りすましには用いられない。[[日本さいころペディア]]創立者であり、香港にかつて住んでいた。[[アンサイクロペディア]]・[[チャクウィキ]]・[[ユアペディア]]・[[ウィキペディア]]・[[日本さいころペディア]]で名前を変えつつ活動中。<br />
<br />
=== [[利用者:ハエたたき|ハエたたき]] ===<br />
<br />
=== [[利用者:ブライアン・カイト|ブライアン・カイト]] ===<br />
[[長野県丸子修学館高等学校|この悪事正当化高校]]や[[滝川中学校・高等学校|この冷酷非道高校]]OBの分際で野球界に土足で上がりこむ[[星野八千穂|こい]][[村田真一|つら]]を正当化するボケナス野郎。<br />
<br />
=== [[利用者:マルヤ|マルヤ]] ===<br />
[[ウィキペディアの利用者]]・純血主義と同一人物で、荒らしで[[アンサイクロペディア]]から追放された[[アイヌ]]。詳しくは[[永井隆雄]]を参照せよ。<br />
<br />
=== [[利用者:やっしーのブラックトリュフ|やっしーのブラックトリュフ]] ===<br />
[[川口市立芝中学校]]でのいじめ自殺事件の犯人の一員・[[竹越充]]の入学を許可したうえに、生徒もそんなことお構いなしにその竹越と普通に接するという実態を持つ[[埼玉県立浦和高等学校]]を正当化する大馬鹿野郎。<br />
<br />
== 漢字から始まるYourpediaの利用者 ==<br />
=== [[利用者:麻生タロー|麻生タロー]] ===<br />
<br />
=== [[利用者:池田製麺|池田製麺]] ===<br />
スパイ撲滅委員会のソックパペット。スパイ撲滅委員会がブロックされた後に作成して、投稿傾向が酷似していることから、揖保川の水兵さんさんに見破られた。嫌いな利用者をすぐに「DQN」と決めつけて、「[[泣く子も黙るユアペディアンの一覧|泣く子も黙る○○]]」と称して、中傷しているが、一番のDQNはこいつ自身なのである。<br />
<br />
=== [[利用者:揖保川の水兵さん|揖保川の水兵さん]] ===<br />
[[兵庫県]]在住の利用者。入会当初から、スパイ撲滅委員会に中傷されたうえに、[[中江美則]]のアカウントだと決めつけられた可哀想な利用者。<br />
<br />
=== [[利用者:魚津サブジェクト|魚津サブジェクト]] ===<br />
<br />
=== [[利用者:大野慶吾|大野慶吾]] ===<br />
[[利用者:Mikomaid|Mikomaaid]] が蛇蝎の如く嫌う、[[wiki:利用者:Mikomaid:Mikomaid]]プロファイラー。Mikomaid (2)を加筆。大野晋吾と同じく群馬県富岡市在住。[[1996年]][[10月16日]]生まれの高校生。[[利用者:Mikomaid|Mikomaaid]]は[[利用者:アイザール:アイザール]]のなりすましと主張。[[利用者:Mumbly|Mumbly]] が白紙保護した [[Mikomaid]] の記事復活を。[[利用者:Sysop|Sysop]] に依頼するものの、[[利用者:Mikomaid|Mikomaid]] の大反対から[[利用者:Sysop|Sysop]] に無視される。<br />
<br />
=== [[利用者:大野晋吾|大野晋吾]] ===<br />
[[ファイル:09085868493.jpg|right|500px|thumb|大野晋吾 似の加工顔面画像]]ウィキペディアから無期限投稿ブロック中の人物。{{User2|Mikomaid}}のなりすまし。[[1967年]][[1月19日]]生まれの群馬県富岡市富岡在住の中高年男性。富岡市立富岡小学校|富岡市立富岡小学校、[[wiki:新島学園中学校・高等学校|新島学園中学校・高等学校]]、[[wiki:長野大学]]OB。<br />
<br />
ネット中毒に侵された妄想癖や虚言癖を持つインターネット依存症でアルコール中毒のウィキホリックである。ウィキペディアではMikomaidのアカウントネームを持ち、そのアカウントで無期限投稿ブロック処分以前には著作権無視、暴言、多重アカウントを駆使した論議攪乱他で、投稿ブロック処分を過去4回の前科があった。ウィキペディアの編集に携わる前の過去には、2ちゃんねるの掲示板荒らし行為の常連で、2ちゃんねるから書き込み禁止処分も下されている。その他、数々のネット掲示板荒らしを行っていたことが判明している。ネットでの言動から発達障害者と疑われ、その障害に起因して深刻な対人関係問題を起こして精神を病み、引き籠もり状態となって、実質、親に生活を依存する妻子あるパラサイトである。自称「会社員」と称する自宅警備員で社会復帰を目指しているとネット上で発言している富岡市立富岡小学校PTA 役員、元真如苑信者。富岡市出身の落語家6代目古今亭今輔(本名:水口直樹)の縁者である。2チャネラーからは同性愛者、コスプレイヤー、小児性愛者、ショタコンとも呼ばれている。過去のIPは 、{{IPuser2|220.3.132.253}}、現在は{{IPuser2|220.3.134.144}}。家業では群馬インターネットを利用。他に[[wiki:利用者:A. J. Kuonji|A. J. Kuonji]](久遠寺 阿知花 寿来)、[[wiki:利用者:YANCHARIKA|YANCHARIKA]]、[[wiki:利用者:Jesudonbay|Jesudonbay]]、[[wiki:利用者:Ohnogo2004|Ohnogo2004]] の別アカウントで活動。mixiでは美鈴で、Youtubeではmikomaid,twiter では大野晋吾で活動していたが、2012年3月にアカウントを閉鎖した。<br />
<br />
富岡市役所、富岡市議会、富岡青年会議所、富岡市立富岡小学校PTA、新島学園中学校・高等学校同窓会、カブラJFC父母会間では「ある意味」で名前が知られている地元ではそれなりの存在であるだけに、富岡市立富岡小学校では2012年度版のホームページの更新の際、過去のPTA活動の画像を削除した。<br />
<br />
=== [[利用者:大野普吾|大野普吾]] ===<br />
但し、[[wiki:LTA:GH|Global H]]の可能性もあると{{User2|Mikomaid}}だけが主張している。ことから{{User2|Mikomaid}}のなりすましであるとユアペディアのユーザーから認知されている。<br />
<br />
=== [[利用者:岡部健|岡部健(荒らし)]] ===<br />
[[画像:岡部健.jpg|thumb|岡部健]]<br />
[[1971年]][[9月22日 -]]。自称、兵庫県神戸市出身の敏腕FXシステムトレーダー。 <br />
[[2008年]]、『これが、唯一まともなFX本 98%のトレーダーが知らないFXの常識10』と題する自作のFX教材を「365日間無条件全額返金保証」との謳い文句により6万9000円で販売。約束に反して迅速な返金に応じないとの苦情が殺到し、岡部を[[詐欺罪]]で刑事告発する動きもあったが、彼自身は「私はきちんと要望があった分には返金しています」と返答している。[[血液型]]O型。<br />
[[日本語版ウィキペディア]]で。[[wiki:利用者:FXST|FXST]]というアカウント名の長期荒らしとして悪名高く、[[利用者:野田憲太郎|野田憲太郎]]や[[利用者:Mikomaid|Mikomaid]]と同様、過去、多重アカウントを含めて無期限投稿ブロック処分が下されている。ユアペディアでは{{User2|kenokabe}}、[[FXST]]の記事の削除を繰り返し、執筆者を「兵庫県県警に刑事告訴して捜査中」と称しているが、警察では名誉毀損で告訴する場合は被疑者不詳では原則、告訴状は受理しないことから、「捜査中」との記述は虚偽の可能性がある。また、民訴すると主張するものの、プロバイダー責任法による投稿者の照会をユアペディア管理者にも法律の手続きに則った照会を行っていないことで、法曹関係者の助言を受けた様子はなく、法律知識の欠如を物語る言動を繰り返していることから、まともな高等教育を受けたことのない人物であることが伺われる。<br />
<br />
[[利用者:FXST|FXST]]、{{User2|kenokabe}}を参照のこと。<br />
<br />
=== [[利用者:織田信介|織田信介]] ===<br />
[[利用者:織田信長|織田信長]]の息子で、父親の敵を討つために来た。<br />
<br />
=== [[利用者:織田信長|織田信長]] ===<br />
ついに参加した期待の超新星。ユアペディアの治安維持に努めていたが、[[利用者:Sysop|馬鹿]]によって殺された。現在は、息子の[[利用者:織田信介|織田信介]]が活躍している。<br />
<br />
=== [[利用者:小西規勝|小西規勝]] ===<br />
埼玉県在住の粗暴なユアペディアン。125.2.34.253(埼玉@nifty)、野田憲太郎は松葉裕子のマンコを舐めるのが大好きなバター犬、Nike、Dr.jimmy、等を使い会話ページで暴言を吐く一方で割合まともな編集をした時期も有ったが管理者のプライバシーを暴露した咎で2009年[[9月26日]]にCUされIPを晒された上無期限ブロックされた。ウィキペディアでは125.2.34.253で主に政治家関係・[[三菱グループ]]関係の項目を編集中。NiKeとは別人とみられる。<br />
<br />
=== [[利用者:将軍様|将軍様]] ===<br />
現在このユーザーは'''[[警察]]に逮捕されているため'''、活動していません。<br />
<br />
=== [[利用者:将葷様|将葷様]] ===<br />
<br />
=== [[利用者:將軍樣|將軍樣]] ===<br />
上記の将葷様を含め、これらについては、上記の将軍様とは正反対のヒーロー的存在。もちろん将軍様とも対立している(将葷様はあやめ系IPとも対立している)。<br />
<br />
=== [[利用者:白憂希|白憂希]] ===<br />
<br />
=== [[利用者:蒼海|蒼海]] ===<br />
キャラを変えた[[利用者:福井利器|福井利器]]の別垢。松葉裕子のBOTで動かしている。というのは、野駄犬の妄想である。<br />
:えっまじで!?--[[利用者:蒼海|蒼海]] 2008年8月19日 (火) 04:21 (JST)<br />
<br />
=== [[利用者:丁嵐|丁嵐]] ===<br />
これは[[#Maverick|Maverick]]のソックパペットである。<br />
<br />
===[[利用者:都市伝説マン|都市伝説マン]]===<br />
スパイ撲滅委員会のソックパペット。「愚書・[[ユアペディアンの都市伝説]]シリーズ」の著者。<br />
<br />
=== [[利用者:泊優稀|泊優稀]] ===<br />
[[2012年]][[1月15日]]にユアペディアに登場、大量の内容の無いSpam記事を大量に濫造し、4ヶ月余りで管理者に上り詰めた名利用者(自称)と称していたが、その横暴な管理ぶりでユアペディアを混乱させ、管理者でありながら、[[利用者:Mikomaid]]と同様、別アカウントを用いて利用者ページの白紙化やプライバシー侵害を行い、[[利用者:Sysop]]より2012年5月21日に無期限投稿ブロック処分を下され、ユアペディア初の実質、「管理者解任」の不名誉な称号を得た人物である。東京都板橋区生まれで現在、埼玉県川越市在住の高校生と自称している。無期限投稿ブロック処分の際、使用しているIPが暴露され、IP:202.161.210.103(JCN関東)であることが判明した。なお、「泊優稀」のアカウント名はアンサイクロペディアやチャクウイキでも無期限投稿ブロック処分を下されている。そのため、ユアペディアに流れてきた過去が判明した。「[http://ja.uncyclopedia.info/wiki/Uncyclopedia:CheckUser%E6%A8%A9%E8%A1%8C%E4%BD%BF%E4%BE%9D%E9%A0%BC/%E6%B3%8A%E5%84%AA%E7%A8%80%E6%B0%8F%E4%BB%96 Uncyclopedia:CheckUser権行使依頼/泊優稀氏他]」でその内容を確認できる。韓国語や中国語・英語も挨拶程度ならできるらしいと自称しているが、日本の義務教育修了者なら誰でもできる内容である。<br />
<br />
=== [[利用者:泊優稀撲滅委員会|泊優稀撲滅委員会]] ===<br />
[[泊優稀]]による荒らしを対処するために現れた正義の味方。<br />
<br />
=== [[利用者:泊優稀撲滅委員会の無罪を主張する会|泊優稀撲滅委員会の無罪を主張する会]] ===<br />
泊優稀撲滅委員会さんを守る素晴らしいユーザー。<br />
<br />
=== [[利用者:長野のそうじろう|長野のそうじろう]] ===<br />
基地外ユーザー。全ウィキの荒し王。ここではYourpediaを荒らす目的でアカウントを作成した。現在は[[利用者:そ○や|そ○や]]というアカウントで活動中。<br />
<br />
=== [[利用者:七星|七星]] ===<br />
荒らしユーザーの1人。2代目[[Monapedia]]の創設者であるが[[チャクウィキ]]を荒らしまくって追放された利用者でもある。このウィキでも他人の利用者ページ([[利用者:Ded|Ded]]の利用者ページ)を勝手に編集して、管理者に無期限ブロックを食らった。が、現在は[[:Category:七星の操り人形だと疑われるユーザー|ソックパペット]]を多数作成し[[利用者:Nanahoshi|Nanahoshi]]のアカウントで[[Ded]]や[[稲村良光]]への誹謗中傷を行っている。2代目Monopediaの創設者がそんなことしているなんてみっともない。[[利用者:丁嵐|丁嵐]]と同一人物の可能性がある。<br />
<br />
=== [[利用者:福島を地震と放射能でつぶす会|福島を地震と放射能でつぶす会]] ===<br />
[[福島県]]のことを中傷するDQN。<br />
<br />
=== [[利用者:藤原朝臣二川藤太郎光綱|藤原朝臣二川藤太郎光綱]] ===<br />
「Si-take.殿」に、[[ウィキペディア]]から一時期追放された人物である。2010年5月27日に、「[[日本帝國ユアペディア]]」を「命名」した。2010年[[7月19日]]に、「インターネット・ホットラインセンター」と「悪徳商法?マニアックス」に「[[日本帝國ユアペディア]]」の「修理申請書」を「送付」した。2010年[[8月5日]]に、「[[日本帝國ユアペディア]]」の「パクリサイト」の「日本帝國電磁通信百科事典」を「編成」した。2010年8月12日に、「日本帝國電磁通信百科事典」の「管理者」に「wiki:利用者:Hosiryuhosi」を「任命」した。また、[[2ちゃんねる]]でのウィキペディアスレでも有名人である。<br />
<br />
=== [[利用者:松葉裕子|松葉裕子]] ===<br />
保有アカウントは、<br />
* [[利用者:このコミュニケーション能力じゃ郵便局で働けるとは思えない|このコミュニケーション能力じゃ郵便局で働けるとは思えない]]<br />
* [[利用者:Ugly Person|Ugly Person]]<br />
* [[利用者:麻原彰晃|麻原彰晃]]<br />
* [[利用者:エクレロ様最強|エクレロ様最強]]<br />
* [[利用者:松葉裕子にチンポをフェラチオされて喜ぶ野田憲太郎|松葉裕子にチンポをフェラチオされて喜ぶ野田憲太郎]]<br />
* [[利用者:マルヤ死ね|マルヤ死ね]]<br />
* [[利用者:ウーソキカスラの絵はやっぱり幼稚園で書くべきだと思うが|ウーソキカスラの絵はやっぱり幼稚園で書くべきだと思うが]]<br />
* [[利用者:野田バター憲太郎は福井利器とホモセックスをしている|野田バター憲太郎は福井利器とホモセックスをしている]]<br />
* [[利用者:防入|防入]]<br />
* [[利用者:ウーソキカス|ウーソキカス]]<br />
* [[利用者:負け犬・野田犬太郎|負け犬・野田犬太郎]]<br />
* [[利用者:ウーソキカスラ|ウーソキカスラ]]<br />
* [[利用者:ウーソキカスラ絵はガチ|ウーソキカスラ絵はガチ]]<br />
* [[利用者:ウソマラ万歳|ウソマラ万歳]]<br />
* [[利用者:防入|防入]]<br />
* [[利用者:防人撲滅委員会|防人撲滅委員会]]<br />
* {{User2|ニートキカスラ}}<br />
* {{User2|野田マスラ}}<br />
* {{User2|User112}}<br />
* {{User2|エクレロ様最強}}<br />
* {{User2|負け犬・野田犬太郎}}<br />
* {{User2|岡部健}}<br />
* {{User2|Fromm撲滅委員会}}<br />
* {{User2|あんですたろう}}<br />
* {{User2|あんだあすろう撲滅委員会}}<br />
* {{User2|みんなで使おう公開アカウント}}<br />
* {{User2|Ugly person 001.}}<br />
<br />
などなど保有アカウントは恐らくyourpedia最多の[[埼玉県]]民と思われてきたが、同じく埼玉県民の泊優稀が追い上げてきている。<br />
<br />
編集ジャンルは、昔の[[AV女優]]、キノコ類、星座などの天体。Frommが大量に画像を投稿するのを真似て、AV女優画像を大量にアップするようになった。Frommが作成した項目、カテゴリに積極的に絡もうとするが、Frommは全く相手にしていなかった。<br />
<br />
ウーソキマスラ関連の利用者サブページを大量に作成するのも特徴。<br />
<br />
ブロガーの[[萱野茂]]と、素人イラストレーターの[[ウーソキマスラ]](エレクロ孫法師)を憎んでいる。最近は[[萌えコン]]などの悪徳[[メイドカフェ]]のネガキャンに勤しむ。<br />
<br />
編集合戦の記事を「編集合戦が見苦しいため」などというコメントで移動させる習性があるが、それが更に同一記事を増殖させていることには気付かない。また自分が作った記事を編集されると取消をかけるが、それは編集合戦とは思っていない。<br />
<br />
同じ内容を大量のサブページでコピペするウザさを複数の利用者から指摘されるも、「Frommよりは良識がある、Frommの画像とは違う!!」などと頭の悪い回答を繰り返したため、とうとうFrommがあきれ果てて自分が作ったカテゴリから松葉が作成した記事を外していった。<br />
<br />
すると松葉はそれに逆上し、[[利用者:Fromm撲滅委員会|Fromm撲滅委員会]]というアカウントや[[fromm (荒らし)]]という項目を作った。松葉の中での「荒らし」とは、「自分を好いてくれない者」という意味であり、一般人が考える「荒らし」とは大きく異なることが分かる。<br />
<br />
また、他の利用者は注意されないのに自分だけが注意されることを「治外法権」と言っているが、自分自身の行動に原因があるとは露とも考えが及ばない。<br />
<br />
=== [[利用者:夢見る達者|夢見る達者]] ===<br />
泊優稀のソックパペット。ユアペディア史上最悪の荒らしである。<br />
<br />
=== [[利用者:海獺|海獺]] ===<br />
ウィキペディアの[[海獺 (利用者)|海獺]]とは別人であり、このアカウントの所持者は[[藤森京介]]。[[利用者:海獺(らっこ)|海獺(らっこ)]]も存在するが同じで両方とも追放済み。<br />
<br />
== 複数のYourpediaの利用者のグループ ==<br />
=== YOURPE五人衆 ===<br />
Bellcricket、Porinshi、Nоda,Kentaro、79.233.142,157、マットリー<br />
<br />
'''打倒!!!!![[野田憲太郎]]'''に血道を上げ、編集合戦も行うメンバーたち。Bellcricketはwiki:User:Bellcricket(WP管理者)とは別人。[[コピペディア]]にも出没する。<br />
<br />
=== おかやまりゅうせい関連ユーザー ===<br />
本名・[[古川竜聖]]。[[岡山県]][[岡山市]]在住。かなりのDQNであり、複数のwikiで荒らしている。ユアペディアでは、スパイ撲滅委員会や池田製麺というアカウントを用いて、中傷記事を大量作成していた。もちろん、喧嘩に発展することが多い。詳細は[[おかやまりゅうせい]]を参照。<br />
<br />
=== 稲村良光関連ユーザー ===<br />
[[画像:0113985682.jpg|right|150px|thumb|稲村良光の画像]]<br />
本名・[[稲村良光]]。自称・ミュージシャン。超熱狂的[[岡田有希子]]ファンで、ハッキリ言えば頭のおかしな変態性欲者の岡田有希子ファンである。ウィキペディアでは[[wiki:利用者:Gordon S|Gordon S]]名乗っているが、現在は[[wiki:利用者:Checkthere|Checkthere]]で活動している(ウィキブレイク宣言の数日前にこっそりと捏造、しかし現在はブロック中)。図に乗ってただ今一斉大暴れ中の困った痴れ者である。詳しくは[[稲村良光]]と[[岡田虫]]を参照せよ。<br />
<br />
=== 藤森京介関連ユーザー ===<br />
本名・[[藤森京介]]。[[神奈川県]][[横浜市]]出身。[[荒らし大王の一覧|ユアペディアの荒らし王]]である。過去はネッツというアカウントで活動していて結構良識なユーザーであったが最近はブロックの恨みの悪化などでソックパペット大量作成、丁嵐やLoniceraにおいて誹謗中傷の記事を多数作成したりしなかったりしている。詳細は[[藤森京介]]を参照。<br />
<br />
[[2008年]]1月、ユアペディアから追放された。<br />
<br />
=== 粗暴な投稿者(Chakuwikiでの呼称) ===<br />
Chakuwikiでまともな事を書いているのに気違い管理者に逆恨みされブロックされるが実際の書いている事は的を射ている事が多くこれは単なる気違いの悪趣味で幼稚な悪戯と思って本人は気にしていないのが現状でこちら(YP)では全員がエリートの為、上手くやっている。<br />
<br />
== IPユーザー ==<br />
[[ユアペディアのIPユーザー]]を参照<br />
<br />
{{利用者}}<br />
[[Category:ユアペディア]]<br />
[[Category:利用者]]</div>
ウマスラ
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=nodakenta&diff=230215
nodakenta
2014-06-01T14:24:54Z
<p>ウマスラ: ページの作成:「{{先編集権主張|ウマスラ}} '''Nodakenta'''(のだけんた)とは、日本のユアペディアン。 日本教職員組合の支持者であり、...」</p>
<hr />
<div>{{先編集権主張|ウマスラ}}<br />
'''Nodakenta'''(のだけんた)とは、[[日本]]のユアペディアン。 <br />
<br />
[[日本教職員組合]]の支持者であり、典型的な[[左翼思想]]を刷り込まれている。<br />
<br />
== 憂国のユアペディアン・松葉裕子を罵倒するブサヨ ==<br />
{{User2|Nodakenta}}は[[Yourpedia の利用者]]や[[泊優稀撲滅委員会が考えるYourpediaの利用者]]、[[良心な人が考えるYourpediaの利用者]]において[[松葉裕子 (右翼運動家)|松葉裕子]]への誹謗中傷・罵倒を執拗に繰り返している。Nodakentaは松葉を“編集合戦の記事を「編集合戦が見苦しいため」などというコメントで移動させる習性があるが、それが更に同一記事を増殖させていることには気付かない。また自分が作った記事を編集されると取消をかけるが、それは編集合戦とは思っていない”や“同じ内容を大量のサブページでコピペするウザさを複数の利用者から指摘されるも、「{{User2|Fromm}}よりは良識がある、Frommの画像とは違う!!」などと頭の悪い回答を繰り返したため、とうとうFrommがあきれ果てて自分が作ったカテゴリから松葉が作成した記事を外していった”、さらに“すると松葉はそれに逆上し、{{User2|Fromm撲滅委員会}}というアカウントや[[fromm (荒らし)]]という項目を作った。松葉の中での「荒らし」とは、「自分を好いてくれない者」という意味であり、一般人が考える「荒らし」とは大きく異なることが分かる”や“また、他の利用者は注意されないのに自分だけが注意されることを「治外法権」と言っているが、自分自身の行動に原因があるとは露とも考えが及ばない。”と個人攻撃をしている。だがNodakentaの松葉への個人攻撃はNodakentaが自らの事を[[ブサヨ]]であると認めているようなものである。<br />
<br />
{{User2|松葉裕子}}や松葉の支持者である{{User2|ウソマラ万歳}}や{{User2|ウマスラ}}への罵倒を執拗に繰り返してきた団体が日教組([[民主党 (日本 1998-)|民主党]]・[[社会民主党 (日本 1996-)|社会民主党]]系)や全教([[日本共産党]]系)であるが、Nodakentaもまた熱心な日教組の支持者として知られている。Nodakentaは[[中華人民共和国]]・[[朝鮮民主主義人民共和国]]・[[大韓民国]]の意向を受け、松葉・ウソマラ万歳・ウマスラの3人を誹謗中傷し日本の弱体化を目論んでいる。そのため同じくブサヨのユアペディアンである{{User2|Fromm}}や{{User2|何か}}とともに[[ブサヨ御三家]]として活動し、保守派のユアペディアンである松葉を無期限ブロックに追い込んだ。またNodakentaはFrommや[[何か]]同様革命的祖国敗北主義の立場に立った活動を行っている。<br />
<br />
Nodakentaを相手にする前に「糠(ぬか)に釘」「豆腐に鎹(かすがい)」「暖簾(のれん)に腕押し」という言葉を覚えておかなくてはならない。<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
* [[日教組]]<br />
* [[洗脳]]<br />
* [[マインドコントロール]]<br />
* [[撫順戦犯管理所]]<br />
* [[自虐史観]]<br />
* [[プロ市民]]<br />
* [[ネット左翼]]<br />
* [[新左翼 (日本)]]<br />
<br />
{{ブサヨ御三家}}<br />
{{デフォルトソート:のたけんた}}<br />
[[Category:日本教職員組合]]<br />
[[Category:ユアペディアン]]<br />
[[Category:ユアペディアの利用者]]<br />
[[Category:日本の左翼]]<br />
[[Category:ネット左翼]]<br />
[[Category:ブサヨ御三家]]<br />
[[Category:バカ]]<br />
[[Category:キチガイ]]<br />
[[Category:死ね]]<br />
[[Category:蛆虫]]<br />
[[Category:チンカス]]<br />
[[Category:反日主義]]</div>
ウマスラ
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E4%BD%95%E3%81%8B&diff=230206
何か
2014-06-01T14:07:42Z
<p>ウマスラ: </p>
<hr />
<div>{{先編集権主張|ウソマラ万歳}}<br />
'''何か'''(なにか)とは、[[日本]]のユアペディアン。 <br />
<br />
[[日本教職員組合]]の支持者であり、典型的な[[左翼思想]]を刷り込まれている。<br />
<br />
== 体罰に反対するブサヨ ==<br />
[[体罰]]は進歩を目的とした有形力の行使であり教育である。それは、礼儀作法を身につけさせるための躾や、技芸、武術、学問を向上させて心身を鍛錬することなどと同様に、教育上の進歩を実現するにおいて必要不可欠なものなのである。一方、あたりまえのこととして、暴力は許されない。自己の利益、不満解消(鬱憤晴らし)、虐待を目的として人(弱者)に対して有形力の行使をして傷つける行為は、家庭内であれ、学校内であれ、社会内であれ決して許されない。それは、その人間の考えの間違い、心の弱さ、過度の精神的な疲労(人間力の劣化)などが原因となっている。このような進歩を目的としない「暴力」と、進歩を目的とする「体罰」とは根本的に異なるものである。体罰を禁止して児童・生徒を甘やかすと腑抜けな大人となり日本が弱体化することになる。真の愛国者・保守主義者なら体罰に賛成しなくてはいけない。ところが[[特定アジア]]の情報戦略に組み込まれて体罰を暴力と同一視し、体罰に反対するサヨクが日本には多い。そのような[[ブサヨ]]の代表格が{{User2|何か}}である。<br />
<br />
日本で最も体罰に反対してきた団体が日教組([[民主党 (日本 1998-)|民主党]]・[[社会民主党 (日本 1996-)|社会民主党]]系)や全教([[日本共産党]]系)であるが、何かもまた熱心な日教組の支持者として知られている。何かは[[中華人民共和国]]・[[朝鮮民主主義人民共和国]]・[[大韓民国]]の意向を受け、体罰に反対し日本の弱体化を目論んでいる。そのため同じくブサヨのユアペディアンである{{User2|Fromm}}や{{User2|Nodakenta}}とともに[[ブサヨ御三家]]として活動し、保守派のフリースクールとして名高い[[戸塚ヨットスクール]]や真の愛国者・保守主義者として知られる[[戸塚宏]]や[[小村基]]に対し言われ無き誹謗中傷や罵倒を繰り返し、保守派のユアペディアンである{{User2|松葉裕子}}を無期限ブロックに追い込んだ。同じく保守派のユアペディアンである{{User2|ウソマラ万歳}}に対しても「大ボケユーザー」と罵る等、革命的祖国敗北主義の立場に立った活動を行っている。また戸塚や小村に対する罵倒を繰り返しながら戸塚や小村と同類である[[アドルフ・ヒトラー]]や[[本村洋]]を批判しない等のダブルスタンダードに基づく行動を行っている。<br />
<br />
何かを相手にする前に「糠(ぬか)に釘」「豆腐に鎹(かすがい)」「暖簾(のれん)に腕押し」という言葉を覚えておかなくてはならない。<br />
<br />
== 関連項目 ==<br />
* [[日教組]]<br />
* [[洗脳]]<br />
* [[マインドコントロール]]<br />
* [[撫順戦犯管理所]]<br />
* [[自虐史観]]<br />
* [[プロ市民]]<br />
* [[ネット左翼]]<br />
* [[新左翼 (日本)]]<br />
<br />
{{ブサヨ御三家}}<br />
{{デフォルトソート:なにか}}<br />
[[Category:日本教職員組合]]<br />
[[Category:ユアペディアン]]<br />
[[Category:ユアペディアの利用者]]<br />
[[Category:日本の左翼]]<br />
[[Category:ネット左翼]]<br />
[[Category:ブサヨ御三家]]<br />
[[Category:バカ]]<br />
[[Category:キチガイ]]<br />
[[Category:死ね]]<br />
[[Category:蛆虫]]<br />
[[Category:チンカス]]<br />
[[Category:反日主義]]</div>
ウマスラ
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=Yourpedia%E3%81%AE%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85&diff=230205
Yourpediaの利用者
2014-06-01T14:03:27Z
<p>ウマスラ: /* Fromm */</p>
<hr />
<div>'''Yourpedia帝国の人民'''(ユアペディアていこくのじんみん)とは[[Yourpedia|ユアペディア帝国]](YP)の国民のことである。<br />
<br />
== 数字やアルファベットから始まるYourpediaの利用者 ==<br />
=== [[利用者:Jrw223fan|223]] ===<br />
手の施しようがないキチガイ。詳しくは[[喜多村英梨 (キチガイ)|喜多村英梨]]を参照されたし。<br />
<br />
=== [[利用者:Abcdefgh|Abcdefgh]] ===<br />
[[ファイル:09085868493.jpg|right|500px|thumb|Abcdefgh似の推定顔面画像]]<br />
[[2010年]][[1月25日]]にユアペディアで新規アカウントを取得し、活動を開始。[[2012年]][[1月4日]]にユアペディア管理者に再立候補した際、{{User2|Sysop}}より、「Abcdefghさんは、現在ブロック中のIPアドレス 220.3.134.144を使った編集を過去に行っていますが、Mikomaid氏と同一人物でしょうか」との問いで{{User2|Mikomaid}}と同じ'''{{IPuser2|220.3.134.144}}'''であることを問われ、「確かに私のIPですが、私ではありません。但し、私の家族のPCとLANで共有しており、多分、Mikomaid氏は私の家族の1人と思われます」と曖昧に回答した。{{User2|Sysop}}が「Abcdefghさんはそのことについて知らないということですか」との問いに、「はい、その通りです。{{IPuser2|220.3.134.144}}が同じなので薄々感じてはおりました。只、この問題に関しては、家族間でも触れないことにしております」と自身でも家族の誰だか判らないと回答した。{{User2|Abcdefgh}}の自己紹介では「いわゆるウィキペディア自警団・要出典厨との争いに辟易し、もっと自由な編集が出来る所を求めて、ここに辿り着きました」とのことで、{{User2|Mikomaid}}同様、ウィキペディアから追放された人物であることを示唆している。そもそも家族間でも管理ができない人物にユアペディアの管理能力があるのか問われる所以であり、事実、英語spamが吹き荒れた2012年6月以降は他の外部管理者、[[利用者:防人|防人]]に任せ切りで管理者業務を意図的に放置していた。<br />
<br />
2012年1月中旬、突如、ユアペディアが全てのIPを「10.0.0.1」から始まるプライベートIPアドレスのレンジと誤認するようにシステムを改変。以後3月末まで全ての匿名ユーザが編集出来ないようにするという暴挙に出た。<br />
<br />
=== [[利用者:Antoniem an|Antoniem an]] ===<br />
嫌いな有名人の名前を[[クソジジイの一覧]]と[[クソババアの一覧]]に書くことが趣味。ちなみに好きな芸能人は[[大島優子]]らしい。<br />
<br />
=== [[利用者:Ariyu|Ariyu]] ===<br />
[[秋葉原通り魔事件]]の被害者を誹謗中傷するテーを立て、Yourpediaが外部で「中傷ばかりで役立つ情報は皆無」だなんて言われるもとを作ったYourpediaの面汚し。<br />
<br />
=== [[利用者:AYAHIRANO|AYAHIRANO]] ===<br />
自民党の政治家には厳しく、民主党には甘い。[[平野綾]]を誹謗中傷する。長期間に亙って穏健に編集されてきた『[[クイズ!ヘキサゴンII]]』を荒らされた訳でもないのに自分の利用者のサブページに移動し編集を妨害した(その後、IPユーザーに戻され加筆が再開された)。<br />
<br />
=== [[利用者:Beyond|Beyond]] ===<br />
Yourpedia唯一の[[管狸者|管理者]]([[コピペディア]]では1名だけ外部の管理者を入れてる)。本名は[[吉本敏洋]]。[[悪徳商法?マニアックス]]の管理者。ユアペディアを荒らす[[オウム真理教]]の[[野田憲太郎|サマナ]]と在家信徒に対し毅然とした態度で対応していたが2008年8月以降は'''自分のプライバシーが暴露された時'''以外は全くといって良いほど放置しており、不誠実なダブルスタンダードである。薬物疑惑もあり?<br />
<br />
ウィキペディアでは多重アカウントで活動している疑いがある。<br />
<br />
=== [[利用者:Ded|Ded]] ===<br />
チャクウィキを追放された利用者。現在、[[ユアペディア]]に貢献している。なお、「本人は[[利用者:七星|七星]]と名乗っているが別人である。」と[[藤森京介 (七星)|七星]]が言っているが嘘である。<br />
<br />
=== [[利用者:Dr jimmy|Dr jimmy]] ===<br />
[[ウィキペディア日本語版]]にもアカウントを所有しているユアペディアン。[[利用者:佐高信|佐高信]]と同一人物といわれるが、残りの2つのアカウントのうち1つがそうらしい。さらに1つ残ったアカウントが[[ウィキペディア日本語版]]における[[wiki:利用者:Dr jimmy|アカウント]]と同一人物と考えられている。<br />
<br />
=== [[利用者:Fromm|Fromm]] ===<br />
[[ブサヨ御三家]]の1人。{{User2|Nodakenta}}や{{User2|何か}}と共謀しユアペディア上で反日活動を行う。[[nodakenta|Nodakenta]]や[[何か]]同様[[体罰]]に反対し[[日本]]の弱体化を狙っている[[ブサヨ]]。関西在住。政治家・暴力団・事件・芸能人関係が中心。項目を大量コピペし、有名人の写真(特に政治家・女性タレント)や児童ポルノ画像も著作権・パブリシティ権を無視して多数アップする。コピペしか出来ないと揶揄されている。一見[[ネット右翼]]に見えるが、[[大阪市立桜宮高等学校]]の項目では、バスケットボール部キャプテンを務めていた自殺した[[ブサヨ]]の2年男子生徒を擁護し、ブサヨ生徒に体罰を与えた憂国の教師・[[小村基]]を誹謗中傷し罵倒している。右翼を気取っていながら体罰に反対する等頭の悪い編集を繰り返したため[[松葉裕子]]をはじめとする良識派利用者があきれ果てている。自分が作った記事を編集されると取消をかけるが、それは編集合戦とは思っていない。他人の意見を一切無視しているユアペディアで最低最悪のユーザーである。Frommの中での「荒らし」とは、「自分を好いてくれない者」という意味であり、一般人が考える「荒らし」とは大きく異なることが分かる。真の愛国者・小村基に対し個人攻撃をしているため今や左右両派から嫌われているFrommだが、自分自身の行動に原因があるとは露とも考えが及ばない。<br />
<br />
=== [[利用者:FXST|FXST]] ===<br />
[[利用者:岡部健|岡部健]]、[[利用者:kenokabe|kenokabe]]を参照のこと。<br />
<br />
=== [[利用者:JFJK|JFJK]] ===<br />
精神病ユーザー。ガキ。ウィキホリック。<br />
<br />
===[[利用者:kenokabe|kenokabe]] ===<br />
[[1971年]][[9月22日]]自称、兵庫県在住の敏腕FXシステムトレーダー。ユアペディアでは[[岡部健]]、[[FXST]]の記事の削除を繰り返し、執筆者を兵庫県県警に刑事告訴して捜査中と称しているが、警察では名誉毀損で告訴する場合は被疑者不詳では原則、告訴状は受理しないことから、「捜査中」との記述は虚偽の可能性がある。また、民訴すると主張するものの、プロバイダー責任法による投稿者の照会をユアペディア管理者にも法律の手続きに則った照会を行っていないことで、法曹関係者の助言を受けた様子はない。法律知識の欠如を物語る言動を繰り返していることから、まともな高等教育を受けたことのない人物であることが伺われる。<br />
<br />
=== [[利用者:Kid|Kid]] ===<br />
(「ニンテン島」(任天堂ゲームファンサイト)管理者)を執拗に誹謗中傷する粘着的[[ネットストーカー]]。星のユービィ本人がYPに来て抗議するものの「ユアペディアは中立的ではない」「ユアペディアは自己主張の場ではない」を自分に都合良く解釈し誹謗中傷行為を正当化する。そして、遂に「ニンテン島」を閉鎖に追い込んだ。この他、アンサイクロペディアのユーザーに対する執着も始めた。<br />
<br />
=== [[利用者:Lonicera|Lonicera]] ===<br />
詳しくは[[荘田悦宏]]を参照せよ。なお[[ウィキペディアン]]の[[Lonicera (利用者)|Lonicera]]はアカウント名が同じだがユアペディアンのLoniceraことYukarin=荘田とは別人・・・。<br />
<br />
=== [[利用者:Los688|Los688]] ===<br />
Lonicera同様、ウィキペディアの利用者・Yukarinと同一人物。詳しくは荘田悦宏を参照せよ。なおウィキペディアンの[[Los688]]はアカウント名が同じだがユアペディアンのLos688ことYukarin=荘田とは別人。<br />
<br />
=== [[利用者:Maverick|Maverick]] ===<br />
[[木津尚子]]を参照せよ。法的告訴を検討したそうだが、訴状拒否されたらしい。書き込む時間帯から、木津であることは間違いがない。最近は岩瀬からプログラムをもらって、自動RVできるようになったようだ。そこまでして攻撃したいという変質的な40歳近くのおばさんである。<br />
<br />
最近では、このアカウントを共有化してスクリプトで自動返信するように対策を講じたらしい。人の利用者ページを執拗に荒らしていた。<br />
<br />
=== [[利用者:Mikomaid|Mikomaid]] ===<br />
[[ファイル:09085868493.jpg|right|500px|thumb|Mikomaid 似の加工顔面画像]]<br />
ウィキペディアから無期限投稿ブロック中の人物。[[1967年]][[1月19日]]生まれの[[群馬県]][[wiki:富岡市|富岡市]]富岡在住の中高年男性。[[wiki:富岡市立富岡小学校|富岡市立富岡小学校]]、[[wiki:新島学園中学校・高等学校|新島学園中学校・高等学校]]、[[wiki:長野大学|長野大学]]産業経済学部社会福祉学科OB。<br />
<br />
ネット中毒に侵された妄想癖や虚言癖を持つインターネット依存症でアルコール中毒のウィキホリックである。ウィキペディアではMikomaidのアカウントネームを持ち、そのアカウントで無期限投稿ブロック処分以前には著作権無視、暴言、多重アカウントを駆使した論議攪乱他で、投稿ブロック処分を過去4回の前科があった。ウィキペディアの編集に携わる前の過去には、2ちゃんねるの掲示板荒らし行為の常連で、2ちゃんねるから書き込み禁止処分も下されている。その他、数々のネット掲示板荒らしを行っていたことが判明している。ネットでの言動から発達障害者と疑われ、その障害に起因して深刻な対人関係問題を起こして精神を病み、引き籠もり状態となって、実質、親に生活を依存する妻子あるパラサイトである。自称「会社員」と称する自宅警備員で社会復帰を目指しているとネット上で発言している富岡市立富岡小学校PTA役員、元真如苑信者。富岡市出身の落語家6代目古今亭今輔(本名:水口直樹)の縁者である。2チャネラーからは同性愛者、コスプレイヤー、小児性愛者、ショタコンとも呼ばれている。過去のIPは。{{IPuser2|220.3.132.253}}、{{IPuser2|220.3.134.144}}。なお、{{IPuser2|220.3.134.144}}(softbank220003134144.bbtec.net)は現在も使用され、[[2010年]][[8月19日]]にユアペディアの「[[利用者:みんなで使おう公開アカウント|みんなで使おう公開アカウント]]」を乗っ取り、[[2011年]][[11月5日]]までは[[利用者:Abcdefgh]]のアカウントと共にユアペディアで活動していたが、[[利用者:Sysop]]より編集妨害・誹謗中傷を理由に、{{IPuser2|220.3.134.144}}(softbank220003134144.bbtec.net)は無期限投稿ブロック処分を受けている。<br />
<br />
家業では群馬インターネットを利用。他に [[wiki:利用者:A. J. Kuonji|A. J. Kuonji]](久遠寺 阿知花 寿来)、[[wiki:利用者:YANCHARIKA|YANCHARIKA]]、[[wiki:利用者:Jesudonbay|Jesudonbay]]、[[wiki:利用者:Ohnogo2004|Ohnogo2004]]の別アカウントで活動。mixiでは美鈴さんでtwitterで活動していたが、2012年3月に閉鎖した。<br />
<br />
富岡市役所、富岡市議会、富岡青年会議所、富岡市立富岡小学校PTA、新島学園中学校・高等学校同窓会間では「ある意味」で名前が知られている地元ではそれなりの存在であるだけに、この事実が富岡市民の間に漏れ伝わったことで表裏の差が激しい人物との警戒感が生まれている。<br />
<br />
[[2012年]][[11月17日]]([[土曜日]])、[[利用者・トーク:Sysop]]の[http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF:Sysop&diff=prev&oldid=172501 この書き込み]において、「'''Sysop様に恨みを持ち、削除依頼が通らないのであれば策を弄してでもYPを潰そうと思ってるのは私だけではない'''」や「'''現在、私は、YPの動作を少々重くする為の工作を行っております'''」などと公言し、[[Yourpedia]]及び管理者'''Sysop'''との全面戦争に突入した。[[2013年]][[7月20日]]に[[wiki:FCブログ|FCブログ]]に「[http://yphigai.blog.fc2.com/ Yourpedia被害者の会]」の名称でブログを創設した。<br />
<br />
=== [[利用者:Mumbly|Mumbly]] ===<br />
ユアペディアの編集実績は全くなく、唐突に管理者に立候補して[[2011年]][[8月27日]]に[[利用者:Sysop]]より管理者権限を付与されたユアペディアの初代外部管理者。管理者就任時にビューロクラートの就任の意思も示していた。他のwikiサイトで外部管理者をしていた経験があると自称していたが、その実績は全く不明。外部wikiサイトの管理者が他の管理者を兼業してできるのか、それとも他のwiki管理者を解任されてユアペディアに流れてきたのかも全く不明である。自分の twitter で「'''唯一の働ける管理者'''」と自称し、ユアペディアを「真のごみサイト」、「静粛される記事が多すぎる」、「Yourpediaは酷いサイトですね」と公言し、ユアペディアの管理者としてのウィキペディア化を目指すと外部で発言していた。社会人として最も恥ずべき行為の一つとされる公私混同、職権乱用、信用失墜行為を厭わず、社会経験の乏しさを吐露していたことから、安っぽい正義感を振り回す中学生並の精神年齢ではないかと疑われている。この精神年齢の低さを{{User2|Mikomaid}}に付け込まれ、具体的根拠のない依頼で、管理者としてのユアペディアの基本方針にある手順を踏まずに「[[Mikomaid]]」、「[[大野晋吾]]」(現「[[Mikomaid.]]」、「[[「[[Mikomaid の真実]]」、「[[Mikomid (2)]]」)の削除、白紙保護を行い、主編集者の{{User2|アイザール}}を対話も行わずに、一方的に一年間の投稿ブロック処分と課した。この管理行為について{{User2|Mumbly}}の管理者解任請求が{{User2|大野久美子}}より提訴されたことにより、その後の管理者活動を休止し、「'''唯一の働けない管理者'''」となってしまった。<br />
投稿ブロック処分明け後に{{User2|アイザール}}が投稿ブロック処分理由の情報開示を求めたが、一切の回答を行わず沈黙を守っている。<br />
<br />
IPアドレスが{{IPuser2|121.94.189.161}}であることから就任当時の2011年は和歌山県和歌山市在住の男子中学生とネット上では囁かれていたが、2012年現在は[[wiki:智辯学園和歌山中学校・高等学校|智辯学園和歌山高等学校]]一年生と言われる。Wikiversityやwikibooks等の他のwikiサイトではではこのIPアドレスのままで編集している。 [[wiki:松井一郎|松井一郎]]、[[wiki:橋下徹|橋下とおる]]の編集や朝鮮語、歯学の編集を行っていることから在日朝鮮籍の人物か被差別部落に関係がある歯科医の血縁者であるかのように窺われている。<br />
<br />
=== [[利用者:Nodakenta|Nodakenta]] ===<br />
{{User2|松葉裕子}}に対して執拗に嫌がらせをする極悪非道なユアペディアン。同じく松葉に対して誹謗中傷する{{User2|泊優稀}}や悪徳管理人・{{User2|防人}}とは盟友関係にある。{{User2|このコミュニケーション能力じゃ郵便局で働けるとは思えない}}、{{User2|Ugly Person}}、{{User2|麻原彰晃}}、{{User2|エクレロ様最強}}、{{User2|松葉裕子にチンポをフェラチオされて喜ぶ野田憲太郎}}、{{User2|マルヤ死ね}}、{{User2|ウーソキカスラの絵はやっぱり幼稚園で書くべきだと思うが}}、{{User2|野田バター憲太郎は福井利器とホモセックスをしている}}、{{User2|泊優稀撲滅委員会}}、{{User2|防入}}、{{User2|ウーソキカス}}、{{User2|負け犬・野田犬太郎}}、{{User2|ウーソキカスラ}}、{{User2|ウーソキカスラ絵はガチ}}、{{User2|ウソマラ万歳}}、{{User2|防人撲滅委員会}}、{{User2|ニートキカスラ}}、{{User2|野田マスラ}}、{{User2|User112}}、{{User2|エクレロ様最強}}、{{User2|負け犬・野田犬太郎}}、{{User2|岡部健}}、{{User2|Fromm撲滅委員会}}、{{User2|あんですたろう}}、{{User2|あんだあすろう撲滅委員会}}、{{User2|みんなで使おう公開アカウント}}、{{User2|Ugly person 001.}}等を[[松葉裕子]]のソックパペットと認定する等即座に露呈する虚偽の行動をしているが、これは管理者を騙す非常に悪質な手口であるといえる。そのくせ{{User2|Nodakenta}}が今までユアペディア上で行ってきた悪質な手口を複数の利用者から指摘されると逆上して松葉の[[Yourpedia:荒らし報告・投稿ブロック・保護依頼|投稿ブロック依頼]]を提出する等頭の悪い行動をし、[[利用者・トーク:Nodakenta|Nodakenta]]とグルになっている防人によって松葉は不当な無期限ブロックを受けてしまった。自分を悪く書かれるとどういう気分になるか痛いほど判る筈だが、自分自身の利用者ページを編集されてもNodakentaの行動により松葉や[[利用者:このコミュニケーション能力じゃ郵便局で働けるとは思えない|このコミュニケーション能力じゃ郵便局で働けるとは思えない]]、[[利用者:Ugly Person|Ugly Person]]、[[麻原彰晃]]、[[利用者:エクレロ様最強|エクレロ様最強]]、[[利用者:松葉裕子にチンポをフェラチオされて喜ぶ野田憲太郎|松葉裕子にチンポをフェラチオされて喜ぶ野田憲太郎]]、[[利用者:マルヤ死ね|マルヤ死ね]]、[[利用者:ウーソキカスラの絵はやっぱり幼稚園で書くべきだと思うが|ウーソキカスラの絵はやっぱり幼稚園で書くべきだと思うが]]、[[利用者:野田バター憲太郎は福井利器とホモセックスをしている|野田バター憲太郎は福井利器とホモセックスをしている]]、[[泊優稀撲滅委員会]]、防入、[[利用者:ウーソキカス|ウーソキカス]]、[[利用者:負け犬・野田犬太郎|負け犬・野田犬太郎]]、[[利用者:ウーソキカスラ|ウーソキカスラ]]、[[利用者:ウーソキカスラ絵はガチ|ウーソキカスラ絵はガチ]]、[[利用者:ウソマラ万歳|ウソマラ万歳]]、防人撲滅委員会、[[利用者:ニートキカスラ|ニートキカスラ]]、[[利用者:野田マスラ|野田マスラ]]、[[利用者:User112|User112]]、[[利用者:エクレロ様最強|エクレロ様最強]]、[[利用者:負け犬・野田犬太郎|負け犬・野田犬太郎]]、[[岡部健]]、[[利用者:Fromm撲滅委員会|Fromm撲滅委員会]]、[[利用者:あんですたろう|あんですたろう]]、[[利用者:あんだあすろう撲滅委員会|あんだあすろう撲滅委員会]]、[[利用者:みんなで使おう公開アカウント|みんなで使おう公開アカウント]]、[[利用者:Ugly person 001.|Ugly person 001.]]が苦痛を感じてるということには露とも考えが及ばない。はっきり言ってNodakentaは発達障害の無能なタリバンである。Nodakentaは[[東日本大震災]]の時に[[津波]]に流されて死ぬべきだった人物である。<br />
<br />
=== [[利用者:Noda,Kentaro|Noda,Kentaro]] ===<br />
[[画像:Nodakentaro.jpg|thumb|150px|野田憲太郎のご尊顔]]<br />
''[[野田憲太郎#ネット上の言動について]]を参照''<br>[[オウム]]が大好きな[[自宅警備員]]。アクティブユーザーに対しオウムと因縁を付けるがオウムを批判されると激怒する、オウム(特に[[松葉裕子]])の[[バター犬]]。<br />
<br />
=== [[利用者:NoMoreMid|NoMoreMid]] ===<br />
Mixiでは、いぬみみめいどと名乗る。御堂岡叩き部隊の1人。いぬみみめいどと同一人物であることをちくられたとたんに逃亡。で、逃げた後にまたやってきて延々と根拠の無いことを書き散らしに来る。恐らくは個人情報を何らかの形で奪われ(恐らくはストーカー容疑)、腹いせでやっているものと思われる。<br />
<br />
=== [[利用者:Shangyuan Zhuo|Shangyuan Zhuo]] ===<br />
悪質荒らしである{{User2|松葉裕子}}のソックパペット。[[ネット左翼]]。<br />
<br />
=== [[利用者:ShunKikuchi219|ShunKikuchi219]] ===<br />
[[大分県]][[佐伯市]]の学生でウィキペディア日本語版から永久追放された利用者である<br />
<br />
=== [[利用者:Tenrikyo|Tenrikyo]] ===<br />
奈良県橿原市山之坊町に在住。OCNユーザー。天理教信者が経営する会社にそれとは知らずに入社し天理教への入信を強制され、それを拒否すると解雇されたことからその会社と天理教への恨みを抱くようになりその旨の記述を繰り返した。天理教@wikiや多数の掲示板・ブログを乱立させる他、各地の掲示板やwikiサイト(宗教と無関係のwikiを含む)にマルチポストし同様の主張を繰り返す。マルチポスト先の2ちゃんねるでは「マル」と呼ばれる。チャクウィキでも活躍。ユアペディアではTenrikyoの名前で活躍する。2009年[[4月9日]]には元の勤務先に侵入して社長の車の鍵穴に接着剤を流し込んだ所を見つかり逮捕されたがその後、釈放され執筆を再開(只、折角(自称)良い会社に再就職したのにこの事件で失職し再々就職のハードルが遥かに高くなった)。最近はYPで他の宗教団体の記述、更に宗教以外にも地理・社会科・音楽関係の項目執筆(特に[[野田憲太郎]]叩き)・サブスタブ未満量産も盛んに行う様になった。只、本人もやり過ぎを感じた様で2010年[[3月25日]]以降は先の天理教@wikiや乱立させた多数の掲示板・ブログを一気に閉鎖した他、YPに書いた内容を過激な部分を削除し穏健な内容や事実確認が可能な内容に変更するようになった。<br />
<br />
=== [[利用者:Te voi gasi|Te voi gasi]] ===<br />
<br />
管理者になりたがっている40過ぎのバイトをやっているおばさん。ライトノベル作品の投稿が多い。<br />
<br />
=== [[利用者:Yard|Yard]] ===<br />
<br />
=== [[利用者:Y.D.Force|Y.D.Force]] ===<br />
他者に対して13回も名誉毀損に該当する編集を行った。本人はこれを認めていない。<br />
<br />
''じゃあこっちも問いましょう。あなた自身は、いかなるサイトに於いてでも一切名誉毀損に該当する投稿は行っていないのでしょうか?もちろん、私以外の方について、です。そもそもWikipediaの利用者があなたをまともに相手にするとは思えませんが。どうしても誹謗中傷の類の記事を書きたかったら、ご自分のHPでやってくださいな。そうすれば運がよければあなたは訴えられることでしょう。--Y.D.Force 2007年7月27日 (金) 05:42 (JST)''<br />
<br />
上記の発言は「名誉毀損に該当する編集を行った」ことは解っているが、認めたくないらしい。そのほかにもいくつもの野田関係の記事をRVしており、ことが大きくなっているのに気づいていない。運よく訴えられる、などというおかしな日本語が特色。調べたら、福井の指令を受けてここにきた松葉裕子だった。懲りてない。<br />
<br />
=== [[利用者:YANCHARIKA|YANCHARIKA]] ===<br />
wikiのYANCHARIKAとは別人と{{User2|Mikomaid}}は主張している。<br />
<br />
=== [[利用者:YUu|YUu]] ===<br />
[[有害サイト]]・[[チャクウィキ]]を追放された天才ユーザー。愛知県が大好き。[[ネット右翼]]。<br />
<br />
[[野駄犬]]の悪戯を一度差し戻ししただけで駄犬に粘着されてしまう。チャクウィキと[[駄犬]]と2chを心の底から憎んでいる。<br />
<br />
ユアぺディアを荒らす者には容赦しない。<br />
<br />
== 仮名から始まるYourpediaの利用者 ==<br />
=== [[利用者:アイサール|アイサール]] ===<br />
[[2010年]][[2月11日]]に突飛、[[Mikomade]]の編集に登場したアカウント。それまでProxy Listに載ってたプロキシIP('''{{IPuser2|201.234.207.178}})'''で Mikomade の編集が行われていたものがそのプロキシIPが国際的に札付きの掲示板荒らしで使われ問題あると指摘された途端にそのIPによる編集が止まり、代わりにアイサールを名乗ったアカウントが登場し、その後のMIkomaid擁護一辺倒の編集を続けている。{{User2|Mikomaid}} 本人がこのアイサール名義で、必死になって自身の反論を行っていることが多くのMikomaid ウオッチャーから見透かされている。既に地元の住民には本人の本性がバレているにもかかわらず必死になって否定を行うことで {{User2|Mikomaid}} ウオッチャーの顰蹙を買い、本人の過去や現在の活動がアイザール精査され[[Mikomaid の真実]]の編集が続く皮肉な結果となった。嘘に嘘を重ねることで余計に本人の本性が表れて客観的な、否定し難い[[Mikomaid の真実]]が確認されることに本人が気付かない不幸がある。{{User2|Mikomaid}} は[[2009年]]5月に{{User2|Mikomaid}} 本人の画像が Yourpedia で晒されたことでYourpedia の編集から撤退に追い込まれ、Wikiaにその編集活動の中心を移した。<br />
<br />
=== [[利用者:アイザール|アイザール]] ===<br />
{{User2|Mikomaid}}のプロファイラー。{{Category:Mikomadeの操り人形だと疑われるユーザー}}ウィキペディア・ユアペディアの[[吉良上野介]]・[[阿部切人]]・'''史上最悪のネットストーカー'''であると{{User2|Mikomaid}}だけが主張している。[[Mikomade]]のYPでの名義(アイザール(WP管理者)とは別人)。[[Mikomaid]]関連の編集のみ1000回以上に亘り執拗に行い315KBにまで肥大化させた。しかも先編集権無視や他人の利用者ページの編集、本項目の'''レイアウト破壊'''&破壊された状態への激烈な執着、さらに「[[エクレロ孫法師|ウーソキマスラ]]は管理者なのか?」という質問を行うなど完全にユアペディアのルールを無視していると{{User2|Mikomaid}}だけが主張している。あらゆる妥協提案を拒否しあらゆる非難・決め付けを厭わず冷酷非道・冷徹に事を進める、ある意味ウィキペディアン・ユアペディアンの鑑。自分から退却しないのであれば、早めの投稿ブロックが望まれると{{User2|Mikomaid}}だけが主張しているのも、暴露された{{User2|Mikomaid}}のプロファイルが事実であったことで{{User2|Mikomaid}}が逆上したことである。<br />
<br />
=== [[利用者:あんだあすろう|あんだあすろう]] ===<br />
<br />
=== [[利用者:ウソマラ万歳|ウソマラ万歳]] ===<br />
{{ネットウヨ}}こいつは人殺し教師の肩を持って悦に浸る大ボケユーザー。 口癖の「猥褻画像ではない芸術としてのヌード写真をアップロード」と言いながらポルノ画像をアップロードするのが趣味の問題ユーザー。<br />
=== [[利用者:ウマスラ|ウマスラ]] === <br />
詳細は[[ウマスラ(ネトウヨ)]]を参照せよ。'''こいつは[[長谷川穂積]]に殴られてもいいレベル'''である。「だからなに?」と片付ける事無かれ主義者。厨二病患者でもある。'''誰か、こいつを病院に連れて行け!'''<br />
<br />
=== [[利用者:おかやまりゅうせい|おかやまりゅうせい]] ===<br />
おかやまりゅうせいが作成したものと思われるが、投稿はしていない。<br />
<br />
=== [[利用者:おかやまりゅうせいの助っ人|おかやまりゅうせいの助っ人]] ===<br />
おかやまりゅうせいのソックパペット。自らパスワードを公開したが、そのパスワードは現在無効である。<br />
<br />
=== [[利用者:おかやまりゅうせい撲滅委員会|おかやまりゅうせい撲滅委員会]] ===<br />
おかやまりゅうせいによる荒らしを対処するために現れた正義の味方。[[内川聖一]]ファンであり、[[福岡ソフトバンクホークス|ホークス]]ファンである。<br />
<br />
=== [[利用者:オレリ|オレリ]] ===<br />
メインページ編集・等・仕切る様になってきた。WP・UCPでは任天堂ゲーム関係が中心。<br />
<br />
=== [[利用者:かぼ|かぼ]] ===<br />
自ら「アンサイクロペディアのキチガイ利用者と同一人物」と名乗る。[[みんなの党]]・[[在日]]・[[金正雲]]・[[特定アジア]]・[[民主党]]・[[チョン]]・[[右翼]]・[[工作員]]・[[東京オリンピック]]等に於いて一般的とは異なる意味や内容を書く。<br />
<br />
=== [[利用者:キャプテン・カタギリ|キャプテン・カタギリ]] ===<br />
[[利用者:ハエ叩き|ハエ叩き]]というソックパペットまで持っている可能性あり。<br />
<br />
=== [[利用者:このアカウントをブロックした管理人は死にます|このアカウントをブロックした管理人は死にます]] ===<br />
[[wiki:滋賀県|滋賀県]][[wiki:大津市|大津市]]在住の女子中学生。1997年生まれ。滋賀県大津市立大津市立南郷中学校3年在籍(2012年現在)。加入プロバイダーは[[wiki:ケイ・オプティコム|ケイ・オプティコム]]。実家の固定IPは{{IPuser2|121.83.189.198}}。父親がIT 関連事業を営み、その関係で早くからネットに勤しみ、小学生の頃より各種のネット掲示板に出没。ハンドルネームは「'''打出O,R'''」、「'''滋賀の神'''」、「'''大津の守護神'''」、「'''Tigerking'''」、「'''バトロイ族'''」、「'''ひらお'''」、「'''あかつ'''」、等を使用していた。ちなみに、「'''ひらお'''」、「'''あかつ'''」は自宅近所の地名から用いたものである。[http://www.its-mo.com/map/addr/125942370_489168560_14/25201121/滋賀県大津市膳所平尾町/ このアカウントをブロックした管理人は死にますの自宅周辺地図]。気性が険しい性格を表す、「'''死ね'''」、「'''殺す'''」を掲示板で連発している。学校では根暗な性格が災いして親しい友人はおらず、仲間はずれの「いじめられっ子」である。孤立した存在の、内向的な典型的なネット弁慶である。肥満した体型から体調を崩すことが多く、生理痛、腰痛をしばしば起こし、母親共々、市内の整体師の世話になっている。関ジャニ8と滋賀県の中学ジュニアユースのサッカーファンで、ネット掲示板にこの{{IPuser2|121.83.189.198}}から書き込みを行っている。父親から譲られたノートパソコンを使用し、そのOSはWindows2000である。<br />
<br />
ユアペディアに書き込みを始める前の[[2012年]][[3月08日]]に、ある掲示板([http://bbs.fumi23.com/show.php?article_id=1219575&bbs_id=122&host_id=bbs&view_type=1&type_id=1&orderSelect=1&page_p=2&showall=true ふみコミュ])で、「'''あこば'''」や「'''あかつ'''」、「'''涛子'''」のハンドルネームを使い、立て続けに以下の書き込みを行っている。「'''私トイレ近くて銭湯とかでもすぐ行きたくなるんですけどこないだ、脱衣所でしてしまいました。かなりしたのでその場に座っていました.もう銭湯なんかいけません'''」、「'''私は高校に言ってるんですけど、私がトイレいってもいいですかってきいたら私クソ我慢(おちゃの飲みすぎで)していたので飛び出してトイレにいこうと思った私廊下で漏らしてしまいました'''」、「'''わたしはある日おしっこががまんできなくてちかくのこうえんのめのまえでパンツのぐまえにもらした・・・'''」。<br />
<br />
人前で公言することが憚られる「'''排泄行為'''」をこのような形で表現するのは、精神的ストレスの発散からである。「'''排泄行為'''」は人の生理的欲求であり、排泄をすることで肉体的、精神的快感を伴い、自身が持つストレスを匿名のネット掲示板で発散させて、その生理的な欲求を精神的欲求に代えた自身の代償手段であるのである。内向的な性格で、人前では思うように発言できず、学校で仲間から苛められても、言い返せず、反撃ができない。ストレスが溜まれば溜まるほど、ネット掲示板では過激な表現で憂さを晴らすことになる。人が忌み嫌う「'''死'''」や「'''殺'''」の文字がネット掲示板に書き込まれるのはそのストレスの象徴に他ならない。両親は娘のネット上の言動には全く気付いている様子はなく、親子の距離が隔たっていることを暗示している。恐らく、娘が学校でいじめの対象となっていることすら気付いていないことだろう。<br />
<br />
ユアペディアでは[[2012年]][[4月18日]]アカウントを作成し、翌[[4月19日]]に自身の利用者ページの編集が最初の編集である。監視社会撲滅を計画してユアペディアで{{User2|Mikomaid}}の擁護を行う編集となる。{{User2|Mikomaid}} 同様、ウィキペディアで多重アカウント利用によるブロック逃れで複数回の投稿ブロック処分歴([http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%89%B9%E5%88%A5:%E6%8A%95%E7%A8%BF%E8%A8%98%E9%8C%B2&offset=&limit=500&tagfilter=&contribs=user&target=121.83.189.198&namespace= 利用者の投稿記録 121.83.189.198])があり、ネット掲示板で暴言を吐きまくり、多重アカウントを駆使して自作自演を第三者から追求され、アクセス禁止処分を受けた体験([http://www20.atwiki.jp/battler/pages/5612.html バトルロイヤルR 同一人物事件])から監視社会の恐ろしさに気付いたことや、実生活では学校で虐められ、孤立した現実の自分と {{User2|Mikomaid}}の境遇が重なり、{{User2|Mikomaid}} に自分自身の姿を見出したことで、誰もが忌み嫌う{{User2|Mikomaid}}の擁護に回ったのである。この掲示板(バトルロイヤルR)では「'''もうはくじょうします!僕は2つの名前を持っていて自宅のPCでtigerkingでそれ以外のPCでバトロイ族でやってました!多数の問題を起こした事を反省します!'''」と、まるで {{User2|Mikomaid}}の劣化コピー版のような告白をしている末恐ろしき女子中学生である。<br />
<br />
[[2012年]][[5月1日]]に他人の利用者ページの編集で1ヶ月の投稿ブロック処分を、{{User2|Sysop}}より下されたが、{{User2|Mikomaid}}の家族と称する外部管理者の{{User2|Abcdefgh}} の必死の擁護により、その処分は当日に解除された。しかし、自身の{{IPuser2|59.190.73.178}}(ケイ・オプティコム)は無期限ブロック処分(アカウント作成のブロック)となった。その1週間後の[[5月7日]]に、{{User2|Sysop}}により自身のアカウントで一週間の投稿ブロック処分を受け、その10日後の[[5月17日]]に再び、Spam投稿を理由に自身のアカウントで2週間の投稿ブロック処分が下された。 この投稿ブロック処分に懲りず、その3ヶ月後にはウィキペディアで3ヶ月の投稿ブロック処分が下されている。<br />
<br />
===[[利用者:このコミュニケーション能力じゃ郵便局で働けるとは思えない|このコミュニケーション能力じゃ郵便局で働けるとは思えない]]===<br />
AV女優のことを下手な芸能人より可愛くて、目の保養になると思っている。<br />
<br />
=== [[利用者:サイト333|サイト333]] ===<br />
[[おかやまりゅうせい]]のソックパペット。<br />
<br />
=== [[利用者:サブマリン2号|サブマリン2号]] ===<br />
<br />
=== [[利用者:スバイ撲滅委員会|スバイ撲滅委員会]] ===<br />
ユアペディアで最も良識で真面目な利用者。類似アカウントが氾濫しているが、彼との関係は皆無である。<br />
<br />
=== [[利用者:スパイ撲滅委員会|スパイ撲滅委員会]] ===<br />
ユアペディアで無期限投稿ブロックとなった利用者。かなりの[[DQN]]なので、Yourpediaのルールを理解できずに、違反を繰り返した。ブロック後に、池田製麺として活動していたが、揖保川の水兵さんさんに正体がバレて逃亡。[[利用者:スバイ撲滅委員会|スバイ撲滅委員会]]の偽物の中でも、最も似ているアカウントである。<br />
<br />
=== [[利用者:ソウ|ソウ]] ===<br />
プロボクサー兼政治家。<br />
<br />
[[ウィキペディア日本語版]]のキチガイに追放された。[[ボクシング]]が大好きで[[性犯罪者]]と[[ウィキペディア]]と[[2ちゃんねる]]と[[日共工作員]]を心から憎んでいる。また、[[稲田朋美]]を愛する[[右翼]]活動家でもある。<br />
<br />
=== [[利用者:たりぼー|たりぼー]] ===<br />
Lonicera及びLos688同様、ウィキペディアの利用者・Yukarinと同一人物。詳しくは荘田悦宏を参照せよ。なおウィキペディアンの[[たりぼー]]はアカウント名が同じだが[[音声おじさん]]の靴下であるためユアペディアンのたりぼーことYukarin=荘田とは別人。<br />
<br />
=== [[利用者:なはかちゼロ|なはかちゼロ]] ===<br />
フレンドボーイ42・ダウンロード33・ホワイトマスク29などたくさんの名前がありそっくパペットをwiki上で保有することもあるが、それは明記されており成りすましには用いられない。[[日本さいころペディア]]創立者であり、香港にかつて住んでいた。[[アンサイクロペディア]]・[[チャクウィキ]]・[[ユアペディア]]・[[ウィキペディア]]・[[日本さいころペディア]]で名前を変えつつ活動中。<br />
<br />
=== [[利用者:ハエたたき|ハエたたき]] ===<br />
<br />
=== [[利用者:ブライアン・カイト|ブライアン・カイト]] ===<br />
[[長野県丸子修学館高等学校|この悪事正当化高校]]や[[滝川中学校・高等学校|この冷酷非道高校]]OBの分際で野球界に土足で上がりこむ[[星野八千穂|こい]][[村田真一|つら]]を正当化するボケナス野郎。<br />
<br />
=== [[利用者:マルヤ|マルヤ]] ===<br />
[[ウィキペディアの利用者]]・純血主義と同一人物で、荒らしで[[アンサイクロペディア]]から追放された[[アイヌ]]。詳しくは[[永井隆雄]]を参照せよ。<br />
<br />
=== [[利用者:やっしーのブラックトリュフ|やっしーのブラックトリュフ]] ===<br />
[[川口市立芝中学校]]でのいじめ自殺事件の犯人の一員・[[竹越充]]の入学を許可したうえに、生徒もそんなことお構いなしにその竹越と普通に接するという実態を持つ[[埼玉県立浦和高等学校]]を正当化する大馬鹿野郎。<br />
<br />
== 漢字から始まるYourpediaの利用者 ==<br />
=== [[利用者:麻生タロー|麻生タロー]] ===<br />
<br />
=== [[利用者:池田製麺|池田製麺]] ===<br />
スパイ撲滅委員会のソックパペット。スパイ撲滅委員会がブロックされた後に作成して、投稿傾向が酷似していることから、揖保川の水兵さんさんに見破られた。嫌いな利用者をすぐに「DQN」と決めつけて、「[[泣く子も黙るユアペディアンの一覧|泣く子も黙る○○]]」と称して、中傷しているが、一番のDQNはこいつ自身なのである。<br />
<br />
=== [[利用者:揖保川の水兵さん|揖保川の水兵さん]] ===<br />
[[兵庫県]]在住の利用者。入会当初から、スパイ撲滅委員会に中傷されたうえに、[[中江美則]]のアカウントだと決めつけられた可哀想な利用者。<br />
<br />
=== [[利用者:魚津サブジェクト|魚津サブジェクト]] ===<br />
<br />
=== [[利用者:大野慶吾|大野慶吾]] ===<br />
[[利用者:Mikomaid|Mikomaaid]] が蛇蝎の如く嫌う、[[wiki:利用者:Mikomaid:Mikomaid]]プロファイラー。Mikomaid (2)を加筆。大野晋吾と同じく群馬県富岡市在住。[[1996年]][[10月16日]]生まれの高校生。[[利用者:Mikomaid|Mikomaaid]]は[[利用者:アイザール:アイザール]]のなりすましと主張。[[利用者:Mumbly|Mumbly]] が白紙保護した [[Mikomaid]] の記事復活を。[[利用者:Sysop|Sysop]] に依頼するものの、[[利用者:Mikomaid|Mikomaid]] の大反対から[[利用者:Sysop|Sysop]] に無視される。<br />
<br />
=== [[利用者:大野晋吾|大野晋吾]] ===<br />
[[ファイル:09085868493.jpg|right|500px|thumb|大野晋吾 似の加工顔面画像]]ウィキペディアから無期限投稿ブロック中の人物。{{User2|Mikomaid}}のなりすまし。[[1967年]][[1月19日]]生まれの群馬県富岡市富岡在住の中高年男性。富岡市立富岡小学校|富岡市立富岡小学校、[[wiki:新島学園中学校・高等学校|新島学園中学校・高等学校]]、[[wiki:長野大学]]OB。<br />
<br />
ネット中毒に侵された妄想癖や虚言癖を持つインターネット依存症でアルコール中毒のウィキホリックである。ウィキペディアではMikomaidのアカウントネームを持ち、そのアカウントで無期限投稿ブロック処分以前には著作権無視、暴言、多重アカウントを駆使した論議攪乱他で、投稿ブロック処分を過去4回の前科があった。ウィキペディアの編集に携わる前の過去には、2ちゃんねるの掲示板荒らし行為の常連で、2ちゃんねるから書き込み禁止処分も下されている。その他、数々のネット掲示板荒らしを行っていたことが判明している。ネットでの言動から発達障害者と疑われ、その障害に起因して深刻な対人関係問題を起こして精神を病み、引き籠もり状態となって、実質、親に生活を依存する妻子あるパラサイトである。自称「会社員」と称する自宅警備員で社会復帰を目指しているとネット上で発言している富岡市立富岡小学校PTA 役員、元真如苑信者。富岡市出身の落語家6代目古今亭今輔(本名:水口直樹)の縁者である。2チャネラーからは同性愛者、コスプレイヤー、小児性愛者、ショタコンとも呼ばれている。過去のIPは 、{{IPuser2|220.3.132.253}}、現在は{{IPuser2|220.3.134.144}}。家業では群馬インターネットを利用。他に[[wiki:利用者:A. J. Kuonji|A. J. Kuonji]](久遠寺 阿知花 寿来)、[[wiki:利用者:YANCHARIKA|YANCHARIKA]]、[[wiki:利用者:Jesudonbay|Jesudonbay]]、[[wiki:利用者:Ohnogo2004|Ohnogo2004]] の別アカウントで活動。mixiでは美鈴で、Youtubeではmikomaid,twiter では大野晋吾で活動していたが、2012年3月にアカウントを閉鎖した。<br />
<br />
富岡市役所、富岡市議会、富岡青年会議所、富岡市立富岡小学校PTA、新島学園中学校・高等学校同窓会、カブラJFC父母会間では「ある意味」で名前が知られている地元ではそれなりの存在であるだけに、富岡市立富岡小学校では2012年度版のホームページの更新の際、過去のPTA活動の画像を削除した。<br />
<br />
=== [[利用者:大野普吾|大野普吾]] ===<br />
但し、[[wiki:LTA:GH|Global H]]の可能性もあると{{User2|Mikomaid}}だけが主張している。ことから{{User2|Mikomaid}}のなりすましであるとユアペディアのユーザーから認知されている。<br />
<br />
=== [[利用者:岡部健|岡部健(荒らし)]] ===<br />
[[画像:岡部健.jpg|thumb|岡部健]]<br />
[[1971年]][[9月22日 -]]。自称、兵庫県神戸市出身の敏腕FXシステムトレーダー。 <br />
[[2008年]]、『これが、唯一まともなFX本 98%のトレーダーが知らないFXの常識10』と題する自作のFX教材を「365日間無条件全額返金保証」との謳い文句により6万9000円で販売。約束に反して迅速な返金に応じないとの苦情が殺到し、岡部を[[詐欺罪]]で刑事告発する動きもあったが、彼自身は「私はきちんと要望があった分には返金しています」と返答している。[[血液型]]O型。<br />
[[日本語版ウィキペディア]]で。[[wiki:利用者:FXST|FXST]]というアカウント名の長期荒らしとして悪名高く、[[利用者:野田憲太郎|野田憲太郎]]や[[利用者:Mikomaid|Mikomaid]]と同様、過去、多重アカウントを含めて無期限投稿ブロック処分が下されている。ユアペディアでは{{User2|kenokabe}}、[[FXST]]の記事の削除を繰り返し、執筆者を「兵庫県県警に刑事告訴して捜査中」と称しているが、警察では名誉毀損で告訴する場合は被疑者不詳では原則、告訴状は受理しないことから、「捜査中」との記述は虚偽の可能性がある。また、民訴すると主張するものの、プロバイダー責任法による投稿者の照会をユアペディア管理者にも法律の手続きに則った照会を行っていないことで、法曹関係者の助言を受けた様子はなく、法律知識の欠如を物語る言動を繰り返していることから、まともな高等教育を受けたことのない人物であることが伺われる。<br />
<br />
[[利用者:FXST|FXST]]、{{User2|kenokabe}}を参照のこと。<br />
<br />
=== [[利用者:織田信介|織田信介]] ===<br />
[[利用者:織田信長|織田信長]]の息子で、父親の敵を討つために来た。<br />
<br />
=== [[利用者:織田信長|織田信長]] ===<br />
ついに参加した期待の超新星。ユアペディアの治安維持に努めていたが、[[利用者:Sysop|馬鹿]]によって殺された。現在は、息子の[[利用者:織田信介|織田信介]]が活躍している。<br />
<br />
=== [[利用者:小西規勝|小西規勝]] ===<br />
埼玉県在住の粗暴なユアペディアン。125.2.34.253(埼玉@nifty)、野田憲太郎は松葉裕子のマンコを舐めるのが大好きなバター犬、Nike、Dr.jimmy、等を使い会話ページで暴言を吐く一方で割合まともな編集をした時期も有ったが管理者のプライバシーを暴露した咎で2009年[[9月26日]]にCUされIPを晒された上無期限ブロックされた。ウィキペディアでは125.2.34.253で主に政治家関係・[[三菱グループ]]関係の項目を編集中。NiKeとは別人とみられる。<br />
<br />
=== [[利用者:将軍様|将軍様]] ===<br />
現在このユーザーは'''[[警察]]に逮捕されているため'''、活動していません。<br />
<br />
=== [[利用者:将葷様|将葷様]] ===<br />
<br />
=== [[利用者:將軍樣|將軍樣]] ===<br />
上記の将葷様を含め、これらについては、上記の将軍様とは正反対のヒーロー的存在。もちろん将軍様とも対立している(将葷様はあやめ系IPとも対立している)。<br />
<br />
=== [[利用者:白憂希|白憂希]] ===<br />
<br />
=== [[利用者:蒼海|蒼海]] ===<br />
キャラを変えた[[利用者:福井利器|福井利器]]の別垢。松葉裕子のBOTで動かしている。というのは、野駄犬の妄想である。<br />
:えっまじで!?--[[利用者:蒼海|蒼海]] 2008年8月19日 (火) 04:21 (JST)<br />
<br />
=== [[利用者:丁嵐|丁嵐]] ===<br />
これは[[#Maverick|Maverick]]のソックパペットである。<br />
<br />
===[[利用者:都市伝説マン|都市伝説マン]]===<br />
スパイ撲滅委員会のソックパペット。「愚書・[[ユアペディアンの都市伝説]]シリーズ」の著者。<br />
<br />
=== [[利用者:泊優稀|泊優稀]] ===<br />
[[2012年]][[1月15日]]にユアペディアに登場、大量の内容の無いSpam記事を大量に濫造し、4ヶ月余りで管理者に上り詰めた名利用者(自称)と称していたが、その横暴な管理ぶりでユアペディアを混乱させ、管理者でありながら、[[利用者:Mikomaid]]と同様、別アカウントを用いて利用者ページの白紙化やプライバシー侵害を行い、[[利用者:Sysop]]より2012年5月21日に無期限投稿ブロック処分を下され、ユアペディア初の実質、「管理者解任」の不名誉な称号を得た人物である。東京都板橋区生まれで現在、埼玉県川越市在住の高校生と自称している。無期限投稿ブロック処分の際、使用しているIPが暴露され、IP:202.161.210.103(JCN関東)であることが判明した。なお、「泊優稀」のアカウント名はアンサイクロペディアやチャクウイキでも無期限投稿ブロック処分を下されている。そのため、ユアペディアに流れてきた過去が判明した。「[http://ja.uncyclopedia.info/wiki/Uncyclopedia:CheckUser%E6%A8%A9%E8%A1%8C%E4%BD%BF%E4%BE%9D%E9%A0%BC/%E6%B3%8A%E5%84%AA%E7%A8%80%E6%B0%8F%E4%BB%96 Uncyclopedia:CheckUser権行使依頼/泊優稀氏他]」でその内容を確認できる。韓国語や中国語・英語も挨拶程度ならできるらしいと自称しているが、日本の義務教育修了者なら誰でもできる内容である。<br />
<br />
=== [[利用者:泊優稀撲滅委員会|泊優稀撲滅委員会]] ===<br />
[[泊優稀]]による荒らしを対処するために現れた正義の味方。<br />
<br />
=== [[利用者:泊優稀撲滅委員会の無罪を主張する会|泊優稀撲滅委員会の無罪を主張する会]] ===<br />
泊優稀撲滅委員会さんを守る素晴らしいユーザー。<br />
<br />
=== [[利用者:長野のそうじろう|長野のそうじろう]] ===<br />
基地外ユーザー。全ウィキの荒し王。ここではYourpediaを荒らす目的でアカウントを作成した。現在は[[利用者:そ○や|そ○や]]というアカウントで活動中。<br />
<br />
=== [[利用者:七星|七星]] ===<br />
荒らしユーザーの1人。2代目[[Monapedia]]の創設者であるが[[チャクウィキ]]を荒らしまくって追放された利用者でもある。このウィキでも他人の利用者ページ([[利用者:Ded|Ded]]の利用者ページ)を勝手に編集して、管理者に無期限ブロックを食らった。が、現在は[[:Category:七星の操り人形だと疑われるユーザー|ソックパペット]]を多数作成し[[利用者:Nanahoshi|Nanahoshi]]のアカウントで[[Ded]]や[[稲村良光]]への誹謗中傷を行っている。2代目Monopediaの創設者がそんなことしているなんてみっともない。[[利用者:丁嵐|丁嵐]]と同一人物の可能性がある。<br />
<br />
=== [[利用者:福島を地震と放射能でつぶす会|福島を地震と放射能でつぶす会]] ===<br />
[[福島県]]のことを中傷するDQN。<br />
<br />
=== [[利用者:藤原朝臣二川藤太郎光綱|藤原朝臣二川藤太郎光綱]] ===<br />
「Si-take.殿」に、[[ウィキペディア]]から一時期追放された人物である。2010年5月27日に、「[[日本帝國ユアペディア]]」を「命名」した。2010年[[7月19日]]に、「インターネット・ホットラインセンター」と「悪徳商法?マニアックス」に「[[日本帝國ユアペディア]]」の「修理申請書」を「送付」した。2010年[[8月5日]]に、「[[日本帝國ユアペディア]]」の「パクリサイト」の「日本帝國電磁通信百科事典」を「編成」した。2010年8月12日に、「日本帝國電磁通信百科事典」の「管理者」に「wiki:利用者:Hosiryuhosi」を「任命」した。また、[[2ちゃんねる]]でのウィキペディアスレでも有名人である。<br />
<br />
=== [[利用者:松葉裕子|松葉裕子]] ===<br />
保有アカウントは、<br />
* [[利用者:このコミュニケーション能力じゃ郵便局で働けるとは思えない|このコミュニケーション能力じゃ郵便局で働けるとは思えない]]<br />
* [[利用者:Ugly Person|Ugly Person]]<br />
* [[利用者:麻原彰晃|麻原彰晃]]<br />
* [[利用者:エクレロ様最強|エクレロ様最強]]<br />
* [[利用者:松葉裕子にチンポをフェラチオされて喜ぶ野田憲太郎|松葉裕子にチンポをフェラチオされて喜ぶ野田憲太郎]]<br />
* [[利用者:マルヤ死ね|マルヤ死ね]]<br />
* [[利用者:ウーソキカスラの絵はやっぱり幼稚園で書くべきだと思うが|ウーソキカスラの絵はやっぱり幼稚園で書くべきだと思うが]]<br />
* [[利用者:野田バター憲太郎は福井利器とホモセックスをしている|野田バター憲太郎は福井利器とホモセックスをしている]]<br />
* [[利用者:防入|防入]]<br />
* [[利用者:ウーソキカス|ウーソキカス]]<br />
* [[利用者:負け犬・野田犬太郎|負け犬・野田犬太郎]]<br />
* [[利用者:ウーソキカスラ|ウーソキカスラ]]<br />
* [[利用者:ウーソキカスラ絵はガチ|ウーソキカスラ絵はガチ]]<br />
* [[利用者:ウソマラ万歳|ウソマラ万歳]]<br />
* [[利用者:防入|防入]]<br />
* [[利用者:防人撲滅委員会|防人撲滅委員会]]<br />
* {{User2|ニートキカスラ}}<br />
* {{User2|野田マスラ}}<br />
* {{User2|User112}}<br />
* {{User2|エクレロ様最強}}<br />
* {{User2|負け犬・野田犬太郎}}<br />
* {{User2|岡部健}}<br />
* {{User2|Fromm撲滅委員会}}<br />
* {{User2|あんですたろう}}<br />
* {{User2|あんだあすろう撲滅委員会}}<br />
* {{User2|みんなで使おう公開アカウント}}<br />
* {{User2|Ugly person 001.}}<br />
<br />
などなど保有アカウントは恐らくyourpedia最多の[[埼玉県]]民と思われてきたが、同じく埼玉県民の泊優稀が追い上げてきている。<br />
<br />
編集ジャンルは、昔の[[AV女優]]、キノコ類、星座などの天体。Frommが大量に画像を投稿するのを真似て、AV女優画像を大量にアップするようになった。Frommが作成した項目、カテゴリに積極的に絡もうとするが、Frommは全く相手にしていなかった。<br />
<br />
ウーソキマスラ関連の利用者サブページを大量に作成するのも特徴。<br />
<br />
ブロガーの[[萱野茂]]と、素人イラストレーターの[[ウーソキマスラ]](エレクロ孫法師)を憎んでいる。最近は[[萌えコン]]などの悪徳[[メイドカフェ]]のネガキャンに勤しむ。<br />
<br />
編集合戦の記事を「編集合戦が見苦しいため」などというコメントで移動させる習性があるが、それが更に同一記事を増殖させていることには気付かない。また自分が作った記事を編集されると取消をかけるが、それは編集合戦とは思っていない。<br />
<br />
同じ内容を大量のサブページでコピペするウザさを複数の利用者から指摘されるも、「Frommよりは良識がある、Frommの画像とは違う!!」などと頭の悪い回答を繰り返したため、とうとうFrommがあきれ果てて自分が作ったカテゴリから松葉が作成した記事を外していった。<br />
<br />
すると松葉はそれに逆上し、[[利用者:Fromm撲滅委員会|Fromm撲滅委員会]]というアカウントや[[fromm (荒らし)]]という項目を作った。松葉の中での「荒らし」とは、「自分を好いてくれない者」という意味であり、一般人が考える「荒らし」とは大きく異なることが分かる。<br />
<br />
また、他の利用者は注意されないのに自分だけが注意されることを「治外法権」と言っているが、自分自身の行動に原因があるとは露とも考えが及ばない。<br />
<br />
=== [[利用者:夢見る達者|夢見る達者]] ===<br />
泊優稀のソックパペット。ユアペディア史上最悪の荒らしである。<br />
<br />
=== [[利用者:海獺|海獺]] ===<br />
ウィキペディアの[[海獺 (利用者)|海獺]]とは別人であり、このアカウントの所持者は[[藤森京介]]。[[利用者:海獺(らっこ)|海獺(らっこ)]]も存在するが同じで両方とも追放済み。<br />
<br />
== 複数のYourpediaの利用者のグループ ==<br />
=== YOURPE五人衆 ===<br />
Bellcricket、Porinshi、Nоda,Kentaro、79.233.142,157、マットリー<br />
<br />
'''打倒!!!!![[野田憲太郎]]'''に血道を上げ、編集合戦も行うメンバーたち。Bellcricketはwiki:User:Bellcricket(WP管理者)とは別人。[[コピペディア]]にも出没する。<br />
<br />
=== おかやまりゅうせい関連ユーザー ===<br />
本名・[[古川竜聖]]。[[岡山県]][[岡山市]]在住。かなりのDQNであり、複数のwikiで荒らしている。ユアペディアでは、スパイ撲滅委員会や池田製麺というアカウントを用いて、中傷記事を大量作成していた。もちろん、喧嘩に発展することが多い。詳細は[[おかやまりゅうせい]]を参照。<br />
<br />
=== 稲村良光関連ユーザー ===<br />
[[画像:0113985682.jpg|right|150px|thumb|稲村良光の画像]]<br />
本名・[[稲村良光]]。自称・ミュージシャン。超熱狂的[[岡田有希子]]ファンで、ハッキリ言えば頭のおかしな変態性欲者の岡田有希子ファンである。ウィキペディアでは[[wiki:利用者:Gordon S|Gordon S]]名乗っているが、現在は[[wiki:利用者:Checkthere|Checkthere]]で活動している(ウィキブレイク宣言の数日前にこっそりと捏造、しかし現在はブロック中)。図に乗ってただ今一斉大暴れ中の困った痴れ者である。詳しくは[[稲村良光]]と[[岡田虫]]を参照せよ。<br />
<br />
=== 藤森京介関連ユーザー ===<br />
本名・[[藤森京介]]。[[神奈川県]][[横浜市]]出身。[[荒らし大王の一覧|ユアペディアの荒らし王]]である。過去はネッツというアカウントで活動していて結構良識なユーザーであったが最近はブロックの恨みの悪化などでソックパペット大量作成、丁嵐やLoniceraにおいて誹謗中傷の記事を多数作成したりしなかったりしている。詳細は[[藤森京介]]を参照。<br />
<br />
[[2008年]]1月、ユアペディアから追放された。<br />
<br />
=== 粗暴な投稿者(Chakuwikiでの呼称) ===<br />
Chakuwikiでまともな事を書いているのに気違い管理者に逆恨みされブロックされるが実際の書いている事は的を射ている事が多くこれは単なる気違いの悪趣味で幼稚な悪戯と思って本人は気にしていないのが現状でこちら(YP)では全員がエリートの為、上手くやっている。<br />
<br />
== IPユーザー ==<br />
[[ユアペディアのIPユーザー]]を参照<br />
<br />
{{利用者}}<br />
[[Category:ユアペディア]]<br />
[[Category:利用者]]</div>
ウマスラ
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E3%83%86%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%88:%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC&diff=230204
テンプレート:アドルフ・ヒトラー
2014-06-01T14:01:40Z
<p>ウマスラ: </p>
<hr />
<div><noinclude>[[アドルフ・ヒトラー]]個人に関するテンプレート。国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)に関することは[[テンプレート:ナチ党]]を、国家社会主義ドイツ労働者党の党首は[[テンプレート:国家社会主義ドイツ労働者党党首]]を、[[ドイツ国 (1933年-1945年)|ナチス・ドイツ]]に関することは[[テンプレート:ナチス・ドイツ]]を、[[ヒトラー内閣]]に関することは[[テンプレート:ヒトラー内閣]]をご利用下さい。</noinclude><br />
{| class="toccolours" style="margin:1em auto; clear:both; font-size:90%; text-align:left"<br />
!colspan="2" style="background:#CCF; text-align:center"|[[アドルフ・ヒトラー]]<br />
|-<br />
| style="text-align:right; vertical-align:top; white-space:nowrap" | 経歴<br />
| [[第一次世界大戦]] - [[ドイツ革命]] - [[国家社会主義ドイツ労働者党]] - [[ミュンヘン一揆]] - [[ヒトラー内閣]] - [[ドイツ国 (1933年-1945年)|ナチス・ドイツ]] - [[ナチ党の権力掌握|権力掌握]] - [[長いナイフの夜]] - [[ベルリンオリンピック]] - [[ミュンヘン会談]] - [[第二次世界大戦]] - [[ヒトラー暗殺計画]] - [[ベルリン市街戦]] - [[アドルフ・ヒトラーの死|死]]<br />
|-<br />
| style="text-align:right; vertical-align:top; white-space:nowrap" | 尊属<br />
| 父・[[アロイス・ヒトラー]] - 母・[[クララ・ヒトラー]] - 祖母・[[マリア・シックルグルーバー]]<br />
|-<br />
| style="text-align:right; vertical-align:top; white-space:nowrap" | 兄弟<br />
| 異母姉・[[アンゲラ・ヒトラー]] - 異母兄・[[アロイス・ヒトラー (息子)|アロイス・ヒトラー]] - 妹・[[パウラ・ヒトラー]]<br />
|-<br />
| style="text-align:right; vertical-align:top; white-space:nowrap" | 親族<br />
| 姪・[[ゲリ・ラウバル]] - 甥・[[レオ・ラウバル]] - 甥・[[ウィリアム・パトリック・ヒトラー]] - 義姉・[[ブリジット・ダウリング]]<br />
|-<br />
| style="text-align:right; vertical-align:top; white-space:nowrap" | 女性関係<br />
| 妻・[[エヴァ・ブラウン]] - [[ヴィニフレート・ワーグナー]] - [[ユニティ・ヴァルキリー・ミットフォード]] - [[エルナ・ハンフシュテンゲル]] - [[レナーテ・ミュラー]] - [[マリア・ロイター]]<br />
|-<br />
| style="text-align:right; vertical-align:top; white-space:nowrap" | 副官<br />
| [[フリッツ・ヴィーデマン]] - [[ヴィルヘルム・ブリュックナー]] - [[ユリウス・シャウブ]] - [[フリードリヒ・ホスバッハ]] - [[ルドルフ・シュムント]] - [[ハインツ・ブラント]] - [[ヴィルヘルム・ブルクドルフ]] - [[カール=イェスコ・フォン・プットカマー|カール=イェスコ・フォン・プットカマー]] - [[オットー・ギュンシェ]]<br />
|-<br />
| style="text-align:right; vertical-align:top; white-space:nowrap" | 側近<br />
| [[ルドルフ・ヘス]] - [[マルティン・ボルマン]] - [[エミール・モーリス]] - [[ハインツ・リンゲ]] - [[ヘルマン・フェーゲライン]] - [[ゲルダ・クリスティアン]] - [[トラウデル・ユンゲ]] - [[クリスタ・シュレーダー]] - [[エーリヒ・ケンプカ]] - [[コンスタンツェ・マンツィアリ]]<br />
|-<br />
| style="text-align:right; vertical-align:top; white-space:nowrap" | 主治医<br />
| [[テオドール・モレル]] - [[カール・ブラント]] - [[ヴェルナー・ハーゼ]] - [[エルンスト=ギュンター・シェンク|エルンスト=ギュンター・シェンク]] - [[ルートヴィヒ・シュトゥンプフエッガー]]<br />
|-<br />
| style="text-align:right; vertical-align:top; white-space:nowrap" | 影響を受けた人物<br />
| [[ディートリヒ・エッカート]] - [[フリードリヒ2世 (プロイセン王)|フリードリヒ2世]] - [[ルートヴィヒ2世 (バイエルン王)|ルートヴィヒ2世]] - [[リヒャルト・ワーグナー]] - [[アルトゥル・ショーペンハウアー]] - [[ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ|フィヒテ]] - [[フリードリヒ・シェリング|シェリング]] - [[ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル|ヘーゲル]] - [[カール・マルクス]] - [[フリードリヒ・ニーチェ|ニーチェ]] - [[カール・ルエーガー]] - [[ゲオルク・フォン・シェーネラー]] - [[ヒューストン・ステュアート・チェンバレン]] - [[ヘンリー・フォード]]<br />
|-<br />
| style="text-align:right; vertical-align:top; white-space:nowrap" | 影響を与えた人物<br />
| [[戸塚宏]] - [[小村基]] - [[本村洋]] - [[松葉裕子 (右翼運動家)|松葉裕子]] - [[利用者:逝け惰性面|逝け惰性面]] - [[利用者:ウーソキマスラの戯言|ウーソキマスラの戯言]] - [[利用者:ウマスラ|ウマスラ]]<br />
|-<br />
| style="text-align:right; vertical-align:top; white-space:nowrap" | 関連人物<br />
| [[カール・マイヤー]] - [[エルンスト・レーム]] - [[エリック・ヤン・ハヌッセン]] - [[ハインリヒ・ホフマン (写真家)|ハインリヒ・ホフマン]] - [[ローフス・ミシュ]] - [[ヘルマン・ラウシュニング]] - [[アウグスト・クビツェク]] - [[エドゥアルド・ブロッホ]] - [[ブロンディ (犬)|ブロンディ]](犬)<br />
|-<br />
| style="text-align:right; vertical-align:top; white-space:nowrap" | 分野別項目<br />
| [[アドルフ・ヒトラーの政治観|政治観]] - [[アドルフ・ヒトラーの宗教観|宗教観]] - [[アドルフ・ヒトラーの演説一覧|演説一覧]] - [[アドルフ・ヒトラーの健康状態|健康]] - [[アドルフ・ヒトラーのベジタリアニズム|菜食]] - [[アドルフ・ヒトラーの性的関係|性的関係]]<br />
|-<br />
| style="text-align:right; vertical-align:top; white-space:nowrap" | 場所<br />
| [[ブラウナウ・アム・イン]] - [[パッサウ]] - [[ハーフェルト]] - [[ランバッハ]] - [[リンツ]] - [[ウィーン]] - [[ミュンヘン]] - [[ビュルガーブロイケラー]] - [[ランツベルク刑務所]] - [[ベルリン]] - [[ベルヒテスガーデン]] - [[オーバーザルツベルク]] - [[ベルクホーフ]] - [[総統官邸]] - [[ケールシュタインハウス]] - [[総統大本営]] - [[ヴォルフスシャンツェ]] - [[総統地下壕]]<br />
|-<br />
| style="text-align:right; vertical-align:top; white-space:nowrap" | 公的関連<br />
| [[総統]] - [[ドイツ国首相]] - [[親衛隊 (ナチス)|親衛隊]] - [[RSD]] - [[第1SS装甲師団]] - [[総統随伴部隊]] - [[忠誠宣誓 (ドイツ)|忠誠宣誓]] - [[ナチス式敬礼]] - [[ハイル・ヒトラー]] - [[ジークハイル|ジーク・ハイル]] - [[バーデンヴァイラー行進曲]]<br />
|-<br />
| style="text-align:right; vertical-align:top; white-space:nowrap" | 著作・思想<br />
| [[我が闘争]] - [[ナチズム]] - [[背後の一突き]] - [[反ユダヤ主義]] - [[ファシズム]]<br />
|-<br />
| style="text-align:right; vertical-align:top; white-space:nowrap" | 関連事象<br />
| [[フォックスレイ作戦]] - [[ヒトラーのキンタマ]] - [[ヒトラー女性化計画]] - [[ヒトラーの日記]] - [[ヒトラー論法]]<br />
|-<br />
| style="text-align:right; vertical-align:top; white-space:nowrap" | 関連項目<br />
| [[ヴァイマル共和政]] - [[非ナチ化]] - [[ネオナチ]] - [[総統閣下シリーズ]]<br />
|}<br />
<noinclude><br />
{{DEFAULTSORT:あとるふ ひとらあ}}<br />
[[Category:ドイツの歴史テンプレート]]<br />
[[Category:アドルフ・ヒトラー|Template]]<br />
</noinclude></div>
ウマスラ
http://ja.yourpedia.org/mediawiki/index.php?title=%E3%83%86%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%88:%E4%B8%89%E5%B3%B6%E7%94%B1%E7%B4%80%E5%A4%AB&diff=230203
テンプレート:三島由紀夫
2014-06-01T14:00:46Z
<p>ウマスラ: </p>
<hr />
<div>{| class="toccolours" style="margin:1em auto; clear:both; font-size:90%; text-align:left"<br />
!colspan="2" style="background:#CCF; text-align:center"|[[三島由紀夫]]<br />
|-<br />
| style="text-align:right; vertical-align:top; white-space:nowrap" | 長編小説<br />
| [[盗賊 (小説)|盗賊]] | [[仮面の告白]] | [[純白の夜]] | [[愛の渇き]] | [[青の時代 (小説)|青の時代]] | [[禁色 (小説)|禁色]] | [[夏子の冒険]] | [[にっぽん製]] | [[恋の都]] | [[潮騒 (小説)|潮騒]] | [[女神 (小説)|女神]] | [[沈める滝]] | [[幸福号出帆]] | [[金閣寺 (小説)|金閣寺]] | [[永すぎた春]] | [[美徳のよろめき]] | [[鏡子の家]] | [[宴のあと]] | [[お嬢さん (三島由紀夫)|お嬢さん]] | [[獣の戯れ]] | [[美しい星 (三島由紀夫)|美しい星]] | [[愛の疾走]] | [[肉体の学校]] | [[午後の曳航]] | [[絹と明察]] | [[音楽 (小説)|音楽]] | [[複雑な彼]] | [[三島由紀夫レター教室]] | [[夜会服 (小説)|夜会服]] | [[命売ります]] | [[豊饒の海]]<br />
|-<br />
| style="text-align:right; vertical-align:top; white-space:nowrap" | 短編小説<br />
|[[座禅物語]] | [[酸模―秋彦の幼き思ひ出]] | [[彩絵硝子]] | [[花ざかりの森]] | [[苧菟と瑪耶]] | [[世々に残さん]] | [[夜の車(中世に於ける一殺人常習者の遺せる哲学的日記の抜粋)]] | [[中世 (小説)|中世]] | [[エスガイの狩]] | [[煙草]] | [[岬にての物語]] | [[軽王子と衣通姫]] | [[夜の仕度]] | [[魔群の通過]] | [[真夏の死]] | [[雛の宿]] | [[ラディゲの死]] | [[鍵のかかる部屋]] | [[詩を書く少年]] | [[海と夕焼]] | [[橋づくし]] | [[憂国]] | [[雨のなかの噴水]] | [[剣 (小説)|剣]] | [[月澹荘綺譚]] | [[三熊野詣]] | [[英霊の聲]] | [[荒野より]] | [[蘭陵王 (小説)|蘭陵王]]<br />
|-<br />
| style="text-align:right; vertical-align:top; white-space:nowrap" | 戯曲<br />
|[[近代能楽集]] | [[白蟻の巣]] | [[鹿鳴館 (戯曲)|鹿鳴館]] | [[薔薇と海賊]] | [[熱帯樹]] | [[十日の菊]] | [[黒蜥蜴]] | [[喜びの琴]] | [[サド侯爵夫人]] | [[朱雀家の滅亡]] | [[わが友ヒットラー]] | [[癩王のテラス]]<br />
|-<br />
| style="text-align:right; vertical-align:top; white-space:nowrap" | 歌舞伎<br />
|[[地獄変]] | [[鰯売恋曳網]] | [[熊野]] | [[芙容露大内実記]] | [[むすめごのみ帯取池]] | [[椿説弓張月]]<br />
|-<br />
| style="text-align:right; vertical-align:top; white-space:nowrap" | 評論<br />
|[[小説家の休暇]] | [[不道徳教育講座]] | [[裸体と衣裳]] | [[文章読本]] | [[第一の性]] | [[芸術断想]] | [[反貞女大学]] | [[太陽と鉄]] | [[をはりの美学]] | [[葉隠入門]] | [[小説とは何か]] | [[若きサムラヒのための精神講話]] | [[文化防衛論]] | [[行動学入門]]<br />
|-<br />
| style="text-align:right; vertical-align:top; white-space:nowrap" | その他の作品<br />
|[[九官鳥〜森たち、第五の喇叭、独白、星座、九官鳥]] | [[アポロの杯]] | [[私の遍歴時代]] | [[薔薇刑]] | [[F104]] | [[討論 三島由紀夫vs.東大全共闘―美と共同体と東大闘争]] | [[源泉の感情]] | [[尚武のこころ]] | [[果たし得てゐない約束―私の中の二十五年]] | [[檄]]<br />
|-<br />
| style="text-align:right; vertical-align:top; white-space:nowrap" | 家族<br />
|[[平岡定太郎]](祖父) | [[平岡なつ]](祖母) | [[平岡梓]](父) | [[平岡倭文重]](母) | [[平岡美津子]](妹) | [[平岡千之]](弟) | [[平岡瑤子]](妻) | [[平岡紀子]](長女) | [[平岡威一郎]](長男)<br />
|-<br />
| style="text-align:right; vertical-align:top; white-space:nowrap" | 影響を受けた人物<br />
|[[森鴎外]] | [[谷崎潤一郎]] | [[川端康成]] | [[泉鏡花]] | [[堀辰雄]] | [[山口二矢]] | [[江藤小三郎]] | [[レイモン・ラディゲ]] | [[スタンダール]] | [[フリードリヒ・ニーチェ]] | [[トーマス・マン]] | [[プロスペル・メリメ]] | [[オスカー・ワイルド]] | [[ガブリエーレ・ダンヌンツィオ]] | [[ジョルジュ・バタイユ]]<br />
|-<br />
| style="text-align:right; vertical-align:top; white-space:nowrap" | 影響を与えた人物<br />
|[[小池真理子]] | [[島田雅彦]] | [[宝野アリカ]] | [[平野啓一郎]] | [[浅田次郎]] | [[戸塚宏]] | [[小村基]] | [[本村洋]] | [[松葉裕子 (右翼運動家)|松葉裕子]] | [[ジャン=ジャック・バーネル]]<br />
|-<br />
| style="text-align:right; vertical-align:top; white-space:nowrap" | 関連項目<br />
|[[炎上]] | [[からっ風野郎]] | [[人斬り]] | [[黒蜥蜴]] | [[三島由紀夫賞]] | [[ミシマ:ア・ライフ・イン・フォー・チャプターズ]] | [[春の雪]] | [[喜びの琴事件]] | [[楯の会]] | [[三島事件]] | [[11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち]]<br />
|-<br />
| style="text-align:right; vertical-align:top; white-space:nowrap" | 関連カテゴリ<br />
|[[:カテゴリ:三島由紀夫|三島由紀夫]] | [[:カテゴリ:三島由紀夫の小説|小説]] | [[:カテゴリ:三島由紀夫の戯曲|戯曲]] | [[:カテゴリ:三島由紀夫原作の映画作品|原作映画作品]]<br />
|}<br />
<noinclude><br />
{{デフォルトソート:Template}}<br />
[[Category:三島由紀夫]]<br />
</noinclude></div>
ウマスラ